後半の鉛中毒うんぬんは読み飛ばしても支障はないかと。
次回土曜更新(予定)
ドラムの港へついた。真っ白な雪原は違うとわかっていながらも故郷であるフレバンスを連想させる。
「嬢ちゃんとはここでお別れだな」
タダの海賊団も島内へ走る川辺で船を下ろし物資をかっぱらいながら――そしてこの国の軍に追われながら――見送りに一人ついてきたというお頭が口をきゅっと結んでそう言った。
「はい、お世話になりました。皆さんもお元気で」
「おーう! 達者でなー!」
「病気治ったらまた会おうなー!」
牛っぽい人に追われながら(あ、本当に牛になった。能力者だ)も元気に声をかけてくる彼らに私も手を振り返し、お頭が涙交じりに駆け出して海賊船は去っていった。二度と来るなー! という軍の司令官らしき人の叫びを後にして。
流石に海賊と一緒に降り立った人間を放置することはできないのか、軍ではなく守備隊だという彼らに尋ねられ事情を話した。Dr.くれはを探しに来た旨を伝えると隊員の一人がそりで案内してくれることになった。
先ほど牛になっていた彼はドルトンと名乗った。動物系の能力者は普通の人間より強いので万が一を考えて見張りも兼ねているのだろうけれど何にせよDr.くれはの下へ連れて行ってくれるのなら文句はない。
「そのおもちゃは何なのか、聞いてもいいか」
ヤギぞりに乗り込むと、当然ながらおもちゃたちの話になった。海賊船を降りてからこの子たちは言いつけを守っておもちゃの振りをしてくれている。元々使っていた箱は海賊の一人が背負子のように改造してくれて幾分か運びやすくなったのが幸いだ。
「ここへ来るまでに芸をして旅費を稼いでいたので、その小道具です」
ちょっとした仕掛けを仕込んでいるので触っていないように見えても動かせるのだと続ければ、納得したわけではなさそうだけどそれ以上追及されることはなかった。
そりはギャスタという町に向かっている。信じられないことにこんな天気でも季節は晩春らしくスケートが盛んだという湖は確かに溶け出した氷が点々と浮かんでいた。
Dr.くれはの家は町外れの大木をくりぬいて造られていた。ドルトンさんがドアを叩き中へ入ると酒瓶を手にした細い影がこちらを振り返る。
「来客なんて珍しい。病人でも出たかい、ドルトン」
「ええ。彼女がぜひ会いたいと」
紹介を受け、前に出るとサングラスを上げた朽葉色の瞳がこちらを射抜く。おもちゃたちをその場に下ろし、涙を拭って頭を下げた。
「はじめまして、Dr.くれは。私はマグダレナ。あなたに治してもらいたい病気があって来ました」
医者以外には話したくないと告げ、Dr.……ドクトリーヌの了承もあってドルトンさんは帰っていった。そのまま室内に上げられた私は体の痣を見せ、Dr.トラファルガーの文書やおもちゃたちについても伝える。
「フレバンスから逃げたのか。よく生きていられたね」
表情を変えず酒瓶を置いたドクトリーヌは、ぽんと私の頭に手をのせるとそのままわしゃわしゃとかきまわした。撫でるというには少し乱暴なそれがじんわり心に沁み込んでいく。
検査してやるからそこに寝な、と部屋の中央に鎮座する診察台を示されこくりと頷いた。やっと希望の灯が見えた、そんな心地で感謝を口にすると礼なら治ってからいいなと額を小突かれてしまう。
「いい医者を亡くしたもんだね。珀鉛を除去するって考えは間違っちゃいないよ」
十分な支援の下でなら、自然と終結しただろう病だとドクトリーヌは口にした。採血の結果を厳しい目つきで睨みながら試験管を台に戻した彼女はくるりとこちらに向き直る。
「鉛中毒の症状を知っているかい」
私は頷いた。散々勉強し、体験している内容だ。
珀鉛はフレバンスの日常に溶け込んでいた。採掘した珀鉛は食器や塗料、甘味料や化粧品に加工される。他の塗料では出せない美しい白色は画家や芸術家に賛美され、酢酸と反応すると鉛糖と称される甘い酢酸鉛に変化する性質はワインにも多く取り入れられた。化粧品は、もっともわかりやすいのはおしろいだろう。
ほとんどが輸出品として製造されていたとはいえ原料を採掘・加工してきた先祖の体内には珀鉛が蓄積し、母体を通じて子孫へと受け継がれていく。そうして珀鉛の製品を日常的に取り扱ってきたことで微弱な毒素がとうとう牙を剥いた。
「本来人間の体には新陳代謝って働きがある。古いものを新しいものに取り替えていく作業だ。同時に必要なものは吸収し、要らない物は排出するようにできている」
珀鉛も普通ならそうなる筈だった。だが、代謝によって排出される量よりも圧倒的に体に取り込まれる量が多かった。
重金属中毒の原因は経口・吸入・経皮による摂取だ。順に重金属――この場合は鉛を含む飲食物を摂取する、気体となった重金属を肺から吸い込む、皮膚に接触し続けた重金属が体内に入り込むことを指す。
珀鉛を加工した食器や甘味料によって経口摂取。採掘や加工現場での吸入。化粧品や顔料による経皮……そのすべてにフレバンスの住人はあてはまっていた。
人体に吸収された鉛は脳や肝臓、腎臓へ向かう。二つの臓器はどちらも代謝を司る部位だ。
まず肝臓では胃や腸で分解・吸収した栄養素を利用しやすい物質に変え貯蔵する。必要に応じてそれらをまた分解し、エネルギーを生み出すこともできる。そして摂取した物質や代謝により生じた有毒な物質を毒性の低い物質へ変換し、体外排出する解毒作用も有している。
腎臓もおおよそ同じである。ここでは血液をろ過し、まだ必要なものは体内へ戻す再吸収を行い不必要なもの――例を上げれば老廃物や血中の塩分など――を尿として排出する機能がある。
血液は近位尿細管とよばれる部位に取り込まれ再吸収や排出を行っているのだが、腎臓の働きが鈍くなったり有毒な物質が一定濃度以上蓄積された場合それらの機能に障害が起こり排出ができなくなってしまうのだ。
肝臓・腎臓の機能障害が理由で排出が行えなかった有毒物質は体内に蓄積しやがて骨にいたる。骨はリン酸カルシウムが結晶化して形成されるものだが、体内に入った鉛が鉛イオンに変わるとリン酸鉛として骨に蓄積され慢性症状を起こしてしまうのだ。蓄積される割合は成人でおよそ90パーセント以上とも言われている。
また腎臓の再吸収が困難になるとリン酸カルシウム自体が排出されてしまうという事態も起こる。これによって骨の形成が妨げられ、骨軟化症を引き起こすこともある。
骨軟化症はその名の通り骨から硬さが失われ骨折しやすくなる病気だ。ここから股関節などの痛みへ繋がり、珀鉛病の主な症状である全身の痛みはこれが原因だろうと言われている。他にも鉛疝痛と呼ばれる周期的な腹部の激痛。消化器症状や神経症状。貧血が認められる場合もあり、それにより顔色が青くなると鉛蒼白と呼ばれることもある。
多くの合併症を引き起こす珀鉛病は珀鉛自体を除去しない限り完治したとはいえない。
体内組織や内臓中に入った鉛は結合が緩いので通常の代謝機能でも次第に減少していくのだが、骨中にいたった鉛は容易に除去することができない。骨自体にも代謝のサイクルはあるがそれだけでは間に合わないのだ。
それらの障壁を乗り越えて珀鉛病から回復したローはオペオペの能力があったとはいえ、医者として非常に優れているのだと思い知った。
「いいかい。その能力で他の患者の進行を食い止めている以上治験の対象はお前一人だ。何もしなけりゃ二年……いや、三年生きられるかどうかというところだね。その間にあっさりくたばっちまうかもしれないし、薬が合わずに悪化する可能性だってある」
そのくらいの覚悟はしておきな。ドクトリーヌの言葉にもう一度深く頷いた。