ドックの片隅にその人はいた。巨大なガレオン船の下、固定した木材に慎重にかんなをかけている。
案内を買って出た従業員が駆け寄って二、三言葉を交わすと眼鏡を持ち上げた男性がじろりとこちらを見た。その視線の鋭さに思わず肩が跳ね、誤魔化すように頭を下げる。小さな椅子から立ち上がり腰に結んでいたタオルで手を拭った男性は何の用だと呟いた。
「は、はじめまして。船を作っていただきたくて来ました」
やっぱり船を買いに来たんじゃないかと親しげに肩を叩く従業員に目を回しそうになりながら頷いた。眉を寄せた男性は何の船だ、予算はあるのかと続ける。
「その、ええと、空を飛べるような船を……ありますか?」
一向に離してくれない従業員の腕から逃れようと身動ぎしながら伝えると、男性の目の色が変わった。
「帰れ」
「え?」
くるりと背を向けた男性はもはや耳を貸そうともしない。それはあんまりだと従業員が引き止めるがそれも聞かずにとっとと帰ってくれという始末だ。
「空を飛ぶ船などない。船は、波の上を行くものだ」
そんな当たり前の言葉を吐き捨ててドックの奥に消えた。
「だめだった!」
「だろうな」
マリアを抱えていなかったらまさにお手上げという状態で私は宿の寝台にぼふっと身を投げ出した。さっと室内を確認したトニーは扉の鍵を閉めた上でカーテンまで閉め傍に立つ。
「そう思うなら何で直接訪ねさせたのよ」
頬を膨らませて呟くと腕の中から身を乗り出したマリアがよしよしと撫でてくれるのでそのままシーツに頭を預けた。やれやれと翼を広げたトニーは寝台によじ登り腰に羽先を当てる。
「突然現れた人間が、秘匿している筈の船の存在を知っていたら追い返すのが普通だろう。だが、あの反応からするとやはり船自体はまだ残っているらしい」
それを確認するために私を行かせたということか。無駄足を踏んだわけでもないところが何だか複雑だ。
赤の他人が頼み込んでも時間を食うだけだから己にかけた能力を解除しろと続けるトニーに目を丸くした。
確かに、本来息子であり跡継ぎからの説得なら応じてくれる可能性もある。互いに絶縁状態だったならその希望すら絶望的だが、反抗期だったトニーに今だけは感謝した。
「何か失礼なことを考えていないか? ……まあいい、約束した通りノースまでは送ってやるからさっさと解け」
それなんだけど……。言い出し辛い内容に揃って明後日の方向を見る私たちにいぶかしんだトニーが何だと問い詰める。言ったら怒られそうなのでびくびくしながら鳥のぬいぐるみに唇を寄せた。
「解除の仕方がわからない!?」
「わー大きい! 声が大きい!」
一人しかいない筈の部屋から三人分の声がするなんて笑えないし、逢い引きしていると思われるならまだしも幽霊が見えるとか頭のおかしい奴だという風に見られるのは避けたくて必死にくちばしを押さえた。
この事実に気付いたのはつい最近のことだ。珀鉛病が快癒に向かいつつあり、本格的に薬剤の量産体制を整える中好きな時に能力が解除できるようにしておきなと言ったドクトリーヌに従いマリアと任意解除の練習を始めたのがほんの数週間前。
悪魔の実の能力を発動するには一定の条件が必要なケースも多く、例えばオペオペの実は事前にサークルを展開する必要があるしそういった準備が必要ないロギアやゾオン系能力者であっても能力をコントロールするまでには経験が必要だ。
ホビホビの発動条件は手で――厳密には指先で生物に触れること。命令するには契約を交わさなくてはいけないが、おもちゃへ変えるだけならコツも何もいらないシンプルな能力だ。
それだけに、解除の条件は見当もつかなかった。思いついたものはすべて検証したが何も起こらなかったのだ。
原作で描写されているのは能力者が気絶すれば解除されるという一文だけ。当然そうすれば能力をかけた全員のおもちゃ化が解除されることになり、おそるおそるそれを伝えたドクトリーヌの反応は論外の一言だった。
任意解除ができるようになるまで特訓しろとお達しを受け、以来時間を見つけては何でも試しているのだがどれも失敗に終わっている。おもちゃに変身させた後海水をかけても効果がないと知ったのはこの頃だ。
「馬鹿か、馬鹿なのかお前は」
「あ、痛い! 布なのに凄く痛い!」
無駄に長い翼を有効活用するかのように頬をわし掴んで引っ張るトニーにギブアップだとその場を叩いて抗議した。入念にこね回した後、思いっ切り引き伸ばされて最後にぱちんと弾くように解放された。
ひりひりと痛む頬をさすりながらこの体がゴムだったら反動で跳ね返った頬で反撃してやるのに……と思いながら睨み返すと翼をシーツの上に垂らしたトニーが呟いた。
「本当に、できないのか」
くちばしから漏れた言葉は、深い失望を伝えてきた。小突いたらそのまま倒れ込んでしまうんじゃないかと思うくらい体からは力が抜けて見える。
「一生解除できないわけじゃなくて、ただ特定の相手だけを解除することができないの。だから、ええと、ドラムに置いてきた子たちも皆解除するっていうことならすぐできるから」
思っていたよりも遥かに動揺している様子のトニーにフォローを入れると呼吸を整えるように肩をすくめられた。
「わかった。それならそれでなんとかする」
どの道、雪国であるドラムでは電伝虫自体少なく当然ドクトリーヌの家にもない。今ここで気絶して能力を解除したりしたら何かあったのかと心配をかけるのが落ちだ。
「でも。何とかするって……実際にどうするの?」
あの様子では再び話を聞いてもらうのは難しいだろう。どうやって船を譲ってもらうのか首を傾げた私の耳に飛び込んできたのは、フレバンスを脱出した時を彷彿とさせる一言だった。
「決まっているだろう。船を盗む」
今更ですが、熱気球作れたらレッドラインなんてひとっ飛びだったなと思いました。メラメラの実もエースの手に入るのは5年前なので燃料いらず。
ただし誰が食べるのかという問題や、操縦は風任せになるので飛行機路線でよかったのかも。