剣鬼と黒猫   作:工場船

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第八話:北欧旅行記~その5~

「申し訳ありませんでした」

 

 主神住まう銀の宮殿ヴァーラスキャールヴ、玉座の間。

 土下座する剣鬼がそこにいた。ボロボロだった衣服を着替え、ヴァルハラの戦士に支給される普段着姿である。

 巨人王の誇る幻術結界は完膚なきまでに破壊され、間もなく救出された修太郎とロスヴァイセの二人だったが、その代償は大きかった。

 

 上空2300メートル、海面下3000メートル、直径1200メートル四方の空間を丸ごと抉り取った黒歌の『梵天偽装(フェイク・ブラフマーストラ)』は、その後15分間にわたり次元の狭間につながる穴を開け、周辺地帯の環境を激変させた。具体的に言えば巨大な嵐を巻き起こしたのだ。

 それに加えて、ブラフマーストラの余波は異界全体を覆う人界との境界面にまで影響を与えており、多数の魔物が人の世界へ出ていく始末。ロスヴァイセを除く全てのヴァルキリーたちが徹夜覚悟で出張ってくれなかったらどうなっていたことか。

 まさか当の黒歌もここまでの破壊力を発揮するとは思っていなかったらしく、素直に修太郎の土下座と合わせて頭を下げた。

 

「当方、威力絶大であることは自覚しておりましたが、使用経験の浅さゆえ配慮足らず……。なにとぞご容赦のほど賜りたく」

 

「ごめんなさいにゃん」

 

 謝罪する一人と一匹に、主神は瞑目して無言。

 後方に控えるロスヴァイセがハラハラしつつそれを見守っている。

 

「何を言うかと思えば浅ましくも謝罪とは……。オーディン! 聞く必要はない。北欧を統括する神としてこの悪魔を許してはならん、厳格なる判決を!」

 

 傍らに立つロキが気炎を上げる。

 防護壁を張っていた黒歌が無傷なのに対して、大した用意も無く結界破壊の余波を至近でもろに喰らった彼の服装はボロボロだった。

 

「いいぞい。許しちゃう」

 

「よくぞ言ったオーディン! そこの悪魔は……ってなにぃぃっ!?」

 

 笑顔でサムズアップするオーディンに驚きのけぞるロキ。

 

「確かに予想外ではあったがのう、約束を違えたわけでもこちらに犠牲を強いたわけでもない。……まあヴァルキリーの皆には少々悪いことをしたが、それも結局仕事だからのう。あのまま問題が長引くよりも結果的には良かろうて」

 

「――なぜだ!? 梵天の一撃などこの悪魔尋常ではないぞ! 我等を脅かすやもしれんと言うのになぜ放置する!?」

 

「何を言うておるか。あんな欠陥しかない技、そう放てるものではなかろう」

 

 ――欠陥。

 梵天ブラフマーの必殺技を再現した、黒歌が誇る最大術式は神にさえ通用する代物だが、実際の戦闘ではまず使い物にならない。

 前提として、現状では目視範囲でしか狙いを付けられないため遠隔狙撃は不可能。術の準備までにおよそ30分から1時間かかり、加えて周囲に漂う自然の気を節操なく取り込むため、勘がいい者ならすぐ異変に気付く。術式が完成に近づくにつれそれは顕著になり、チャージ中は完全に無防備になることを踏まえれば対処はさほど難しくないだろう。

 繊細極まる術式操作が必須であるが故に、身体へ小石一つ当てられるだけでも制御を失う可能性があるというならなおさらだ。

 

 確かに強力極まるが、やはり神の技を悪魔が使うには無理があったのだ。

 襲撃先に電話連絡で「今から1時間後に核ミサイル撃ちますよ」と伝え、さらに自分の居場所――それもさほど距離が離れていない――を懇切丁寧に教えたうえで神を相手にこれを完了させるとなればまず不可能。強敵に使うべき大技が、相手が強敵である程に使用難易度が上がるなど欠陥以外の何物でもない。

 

「だが、()()()()()がいれば話は別だろう」

 

「だそうじゃが……どうかの、お主」

 

 未だ土下座の姿勢を崩さない剣鬼を見る。

 暮修太郎。オーディンにとっては彼もまた関心を惹かれる存在である。

 年経たクラーケンの巨体を一刀の下に崩した規格外の魔剣は、その技量だけなら神にさえ通用するだろう。首に届かないまでも足止めは十分可能と見えた。ロキも同様の感想を持っており、だからこそこの二人が組んだ時のことを警戒しているのだ。

 

「……前提として――」

 

 顔を伏せたまま修太郎は答える。

 

「それを行う理由がありません。自分たちがこの場にいることそのものが想定外のことなれば、無暗に喧嘩を売る意味は皆無であると進言します」

 

「ほれ、どうじゃロキよ。考えれば理由も意味も無いことなど明白じゃ。そもそも我らも彼らを容易に殺せる手段を持っているならば、むしろ立場は対等と言うものじゃろう。ビビり過ぎじゃよ、ビビり過ぎ」

 

「むぅ……しかし」

 

 唸るロキは不本意げだが、理屈を理解していない訳ではない。こう見えて彼の演算能力は北欧神の中でも屈指であるのだ。

 そんな彼に黒歌が声をかける。

 

「やーい、ビビりー」

 

「なんだと!」

 

「やめんかお主ら。ともあれ夜も遅い、今日は泊まっていくとよかろう。ロスヴァイセよ、案内は任せるぞい」

 

「はい。わかりました」

 

「ありがたい。配慮痛み入ります」

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 ロスヴァイセの先導に従い、修太郎たちは廊下を歩く。

 静かな夜だった。穏やかな輝きを放つ白銀の宮殿は、外から差し込む月光を受けて神秘的な美しさを見せている。

 それを内心で称賛する修太郎の横には、いつも通りの黒猫。離すまいとして男の手を握り、前を行くロスヴァイセへ視線を発している。

 

「……」

 

「……うっ」

 

 背中を叩く視線にたじろぐ戦乙女だが、どう反応したものかわかりかねていた。

 

(というかこの女の人、彼とどういう関係なんでしょう?)

 

 ちらりと件の人物を見る。

 黒い。第一印象はそれである。光の反射が少ない闇色の黒髪に、夜に輝く瞳は黄金、黒い着物をしどけなく着崩した姿は傾国の美女そのものだ。

 

(……おっきい)

 

 何がとは言わない。

 自分のプロポーションには密かな自信があったロスヴァイセだったが、これは少し負けている。

 才女の優秀な演算能力を無駄に使った結果、数値的にはそう大差ないと思われる。しかし女性としては長身のロスヴァイセに比べ、平均的な上背を持つ黒歌のそれは殊更強調されて映るだろう。誰から見てとは言わないが。

 

 修太郎との関係は恋人同士、なのだろうか。

 指と指とを絡めて互いに手を握り歩く姿はそんな雰囲気なのだが……。

 

(……だから、何だと言うのでしょうか)

 

 別に修太郎が誰と付き合っていようが関係無い。

 関係はまったく無いのだ。

 たとえこの誰が見ても殺し屋か何かと思うような――実際そう大差ない――女性に対する機微に欠ける剣術バカが、どのような美女と恋仲にあろうがロスヴァイセには何の影響も無い。

 それでもこんな無駄な思考を続けてしまうのは、きっとあのクサレ巨人王ウートガルザ・ロキが見せた幻のせいだ。絶対に許さない。

 

 そうして一行は客室のある棟にまで辿り着く。

 管理担当の使用人に話を通し部屋へ案内した後、別れる段となったのだが、そこで黒歌がロスヴァイセに声をかけた。

 

「ねえねえ」

 

「――! は、はい?」

 

 意外な人物から呼び止められて驚くロスヴァイセだったが、次にかけられた黒猫の言葉にさらに驚くこととなる。

 

「あなた、幻の中でシュウとどこまでやったの?」

 

「――は?」

 

 何を言われているのかわからなかった。

 

「え、なんで? 何を?」

 

「何ってあなた、あのウートガルザ・ロキとかいう巨人から幻術をかけられてたにゃん? 多分、シュウと色々する幻だったと思ったんだけど、違うの?」

 

「――――!! え、なんで、それを知って??」

 

「なんで――って。皆知ってるにゃん。あれ、アースガルド全土に生中継されてたのよ?」

 

「――――――」

 

 絶句する。並列思考で巨人王への仕返し方法を考えていた頭が一瞬で真っ白になった。

 辛うじて残っていた意識で、修太郎へと視線を映す。目を向けられた男はいつもの無表情で何かに気付くと。

 

「ああ、あの巨人、そんなことを言っていたな。そう言えば伝えていなかった」

 

 なんてことを言った。

 

「――あ、――――あ、ああああ、あああああああああああ!!?」

 

 つまり、自分のあの醜態はアースガルド全域の住人に見られていたということ。

 同僚のヴァルキリーに顔見知りの神、ヴァルハラの戦士たちや学生時代の恩師に古くから世話になった様々な方々。そう言えば、客室棟を管理する使用人もロスヴァイセへなにやら生暖かい視線を向けていた。振り返ればオーディンの目にも可笑しげな雰囲気が混ざっていたような気がする。

 

 ただでさえ幻術に嵌まったという失敗があるのに、さらに自分の妄想、黒歴史を全国公開されたようなものだ。たとえ正確に内容を把握されていなくても、「それを思い描いた」ことがインパクトある場で広く周知されれば、その絶望度合は半端ではない。

 

 血の気が一気に引く。全身の感覚が失せ、目の前が真っ暗になった。

 ひどい。ひどすぎる。これではもう仕事を続けていくことはおろか、碌に表を歩くことすらできないではないか。

 

「……うっ、ぐすっ、いや……いや……いやぁ………うえぇぇん……」

 

 思わず幼児退行すら起こしてしまうほどのショックを受け、その場に座り込み泣きじゃくり始めたロスヴァイセ。

 これには質問した当の黒歌も困った。ちょっとした嫌がらせのつもりだったのだが、まさかここまで深刻な反応を見せるとは思ってもいなかったのだ。

 どうしよう、と修太郎の方に顔を向ければ。

 

「あの場で伝えない方が結果として良かったかもしれないな。きっと使い物にならなくなっていた」

 

 なんてことをのたまう。

 まあ、黒歌には分かっていた反応である。この男は他人の羞恥心をいまいち把握していない節がある。そしてデリカシーが無い。

 

「ロスヴァイセ、キミは悪くない。あの場であれに抗う方法は無かったのなら、この結果は避け得なかったことだろう」

 

「ほんと? わたし、わるくない?」

 

「ああ、キミに落ち度はない。悪いのは巨人王ウートガルザ・ロキだ。その悲しみと絶望は、いずれ来るだろう機会に本人へぶつけてやるといい」

 

「……うん、わたし、きょくだいまほう、あいつにぶつける」

 

 なんという攻撃誘導。前向きに意識を向けさせるとか、もっと穏やかなやり方もあるだろうに。

 当人のヴィジュアルからして復讐を唆す悪人にも見える。こういうことを自然にやるから性質が悪いのだ。人を慰めることに根本から向いていない。

 

 しばらくして泣き止んだロスヴァイセは、とりあえず何とか立ち直った。

 目は赤く充血し、幼児退行を恥じて顔も赤い。それでも表情は毅然としたものを作っているのだから、なんともアンバランスだ。

 生中継での様子からも何となくわかっていたが、おもしろ残念な娘だな、と黒歌は思った。オーディンもからかう訳である。

 

「……ご迷惑をおかけしました。私はもう大丈夫です。ええ、大丈夫……。おのれ、ウートガルザ・ロキめ…………!」

 

 本当に大丈夫なのだろうか。剣鬼のいいように唆されてないだろうか。

 

「何と言うか……お大事に? とにかく元気出すにゃん。生きていればいいことはあるものよ?」

 

「ああ、至言だな。生きてさえいればその内何とかなるだろう。希望を捨てないことだ」

 

「ええ、はい。……そこまで心配されると逆にいたたまれなくなりますが、ありがとうございます」

 

 何かありましたらここへ、と黒歌に通信用魔法陣のアドレスを渡して去っていくロスヴァイセ。

 対幻術用攻撃術式の見直しを……、などぶつぶつ呟く声が聞こえたが、触れない方がいいだろう。疲れ草臥れたその後ろ姿へ嫌がらせの言葉を続けるほど、黒歌は外道ではなかった。

 ともあれ二人は用意された部屋へと入ったのだった。

 

 

 

 

 

 流石は主神の宮殿にある施設と言ったところだろう、修太郎たちに割り当てられた部屋は非常に広かった。

 内装は意外にも現代的で、ふかふかのソファーや大きなベッドが見える。インテリアも素人でさえわかる見事な一品であり、簡素且つ清潔にまとめられた意匠は嫌味の無い高級感を漂わせた。

 

「なんていうか、すごくお金持ちになった気分だにゃん。冷蔵庫まであるし、中の食べ物は自由に食べていいのかしらん?」

 

 今までにない豪華な宿にはしゃぐ黒猫。ある程度整っていれば寝る場所を選ばない修太郎だが、確かにこの部屋は過去最高の環境にある。

 部屋の奥へ歩き、シルク地のカーテンをめくってガラス張りのドアを開けばテラスに出る。

 

 他の建造物よりもひときわ高い場所に位置するオーディンの宮殿は、アースガルズを一望できる名所だ。

 本来であればそう簡単に立ち寄ることができない場所であるだけに、これは望外の機会を得たということになる。

 

 テラスの中央に立ち、周囲を見渡す。人間界と位相が違う神の世界とはいえ、冬の夜風は肌寒い。

 夜の神界は月光と精霊の輝く燐光が闇を照らし、まさしく神秘を体現したかのような美しい景色を晒している。遠くに見える世界樹は諸々の光を受けて大地に大きな影を作り、その枝葉を天へと伸ばして、月にまで届かんと迫る威容を見せていた。

 この景色を見れただけでもここに来れてよかったと思えるほど素晴らしい。最近になってやっと理解できるようになったことだが、やはりこういう情緒が旅の醍醐味なのだろう。

 そうしてしばらく景色を堪能していると、後ろから黒歌の呼び声が聞こえてきた。

 

「シュウー、ちょっとこっちに来てほしいにゃん!」

 

 何だと思って振り返ると、いくつかある小部屋につながるらしき扉の影から黒歌が手だけを出して手招きしている。

 近づいて部屋へと入ってみれば、急に腕を掴まれ引っ張り込まれた。

 

 そうして押し倒されれば、水飛沫と辺りに漂う白い靄が見える。

 そこは浴室だった。丁寧に闘気で肉体強化を施してまで大きな浴槽に投げ込まれた修太郎は、状況が掴めず訝しげに胸の中の黒猫を見やる。

 

「んふふ~」

 

 結った髪をほどき、唇を赤い舌で舐めながらほくそ笑む黒歌はその身に一つの衣服も纏っていなかった。

 しっとりと濡れた玉の白肌は赤く紅潮し、頬に張り付く黒髪の房が何とも妖しい。男の胸板に潰された豊満な胸は極上の柔らかさを伝え、肉付き良くしなやかな脚を絡ませて、生まれたままの全身で熱い湯の中吸い付くように密着してくる。湯船から出た肩の向こうに見える、綺麗な稜線を描く背筋からのヒップにかけるラインは色気に満ちていた。

 後ろで何かごそごそしていたのはここに湯を張るためだったのだろう。

 

「先ほど着替えたばかりなんだが」

 

「ダメよ、シュウってばさっき私を置いて一人だけ温泉に入ってたにゃん。ちゃんと見てたんだから。あの戦乙女だけズルい、私も一緒に入らないと計算が合わないにゃん」

 

「何の計算なんだ」

 

「うるさい」

 

 かぷり、と首筋を甘噛みされる。頬を擦り付け、舐められる。

 くすぐったさに身じろぎすれば、腕を回されてホールドされてしまった。

 

「……悪かった」

 

「わかればいいにゃん」

 

 そうは言っても離すことはしない。今まで離れていた分を取り戻すかのように甘えだした黒猫に、修太郎は片手で女の髪を梳き、もう片方の手で背中を抱いた。

 

「……にゃあん」

 

 甘い声で鳴く黒歌に対し、瞑目した修太郎は自身の内に目を向ける。

 廻る、廻る、生命力のエネルギーが互いの間を高速で循環する。相乗効果で増大していくエネルギーは修太郎の身に蓄積されたダメージを癒し、大技の行使によって消耗していた黒歌のオーラを回復させていく。

 そうしてしばらく抱き合っていれば、あらかたの治療は完了した。

 

 さて、修太郎としては後の対応が精神的にきついので、正直発情されるのだけは勘弁だったが、その心配は杞憂だった。

 

「……すー、すー、……にゃー」

 

 突然止まった気の循環に彼女を見れば、静かに寝息を立てる彼の黒猫。

 少々驚きに目を開く修太郎だったが、事情はすぐに把握できた。

 おそらく彼女は今までほとんど寝ていないのだ。術師ではない修太郎には詳しいことまで分からないものの、神界への単独潜入がどれほどの難易度だったかは大体察せる。

 

「苦労をかけたみたいだな……」

 

 穏やかな寝顔を晒す黒歌を見れば、不思議と気持ちが落ち着いてくる。

 後で黒歌に服を着せ、ベッドに運び、自分も着替えを探さなければいけないが、たまにはこういう迷惑も悪くないだろう。

 本日二度目になる熱い湯に身を任せ、修太郎はそう思った。

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 後日、二人同じベッドで目を覚ました――黒歌がしがみついて来たので離れるに離れられなかった――修太郎と黒歌は、客室棟から出て大勢の戦士に囲まれていた。

 臨戦態勢をとる黒歌を手で制し、集団の中央を見れば主神オーディンの姿。

 

「悪いのう、状況が変わったんじゃ。そこの悪魔、捕えさせてもらうぞい」

 

 

 

 

 




主人公は明確に目上の相手と話す際は敬語になります。退魔剣士時代からの癖というか常識ですね。
あれですね、回復パート=イチャつきタイム、みたいな感じになってますね。

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