剣鬼と黒猫   作:工場船

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停止教室のヴァンパイア
第十七話:引っ越しの挨拶と聖剣使い


「あづい~。日本の夏ってやっぱ外国と違ってしつこい感じにゃ~」

 

「……ここだ。着いたぞ、クロ」

 

 魔王サーゼクス・ルシファーからの依頼を受けて数日、中天を往く初夏の太陽が道行く二人を照りつける。

 目の前には小奇麗なマンションの入り口。

 今までは適当なホテルで暮らしていた修太郎たちだが、三大勢力の会談を警護するにあたって町に滞在する関係上、サーゼクスより拠点となる住居を紹介された。

 何でもここは悪魔が管理する施設であるらしく、魔王からの紹介ということで敷金礼金家賃全てが破格の安さとなっている。元来あまり出費には頓着しない修太郎たちだが、最近は特にロスヴァイセのお小言を聞かされたこともあり、安く済むならありがたく利用させてもらおうという運びになったのだ。

 ちなみにそのロスヴァイセは既にイタリアへ戻っている。噂の百均ショップに立ち寄った彼女はかなりご満悦の様子で、おそらくはこれからも転送魔法でちょくちょく来る気だろうと思われた。

 

 悪魔の用意したマンションだけあって監視や盗聴の危険性も懸念されたが、監視なら既についている気配があるし、盗聴されて困ることは(修太郎には)無い。あったとしても黒歌が勝手にどうにかするだろう。

 そんなこんなでほぼ手ぶらの二人は、つつがなく入居を済ませた。

 

「備え付けの家具だけだとなんだかさびしいにゃん。後で買い物しなくちゃね」

 

「ああ、そうだな。そういえば街の探索はあらかた済ませたが、デパートまで足を延ばしたことは無かった。明日にでも行ってみるか」

 

「やたっ! 久しぶりのデートにゃん?」

 

 欧州では人型での行動に制限がかけられていた黒歌だが、ここにはそれが無い。つまり、気配遮断や認識阻害などの隠行術を使わなくても普通に街を歩けるのだ。

 鼻歌を歌いながら亜空間から大きな旅行鞄を取り出し、服を選び始める黒歌。そんな彼女をよそに、修太郎もまたドワーフ謹製のベルトポーチから包みを取り出した。

 

「あれ、何にゃん? それ」

 

「引っ越し蕎麦だ。商店街で買った。近所への挨拶は基本だろう?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まずは右隣の部屋。

 チャイムを鳴らすと、出てきたのは茶髪の男性だった。外見から見て年齢は修太郎よりも二つか三つ上だろうか? 北欧系の顔立ちは、明らかに日本人ではなかった。

 男はドアの前に立つ修太郎の長身を見て一瞬驚いた顔をする。

 

「このたび隣に引っ越してきました、暮修太郎といいます。これは連れの黒歌。どうぞよろしくお願い申し上げます」

 

「よろしくにゃー」

 

 二人そう言って包みを渡すと、困惑しながらも受け取った男は挨拶を返した。

 

「え、ああ、うん。どうも。俺はベオウ……ベオっていいます。こちらこそどうぞよろしく」

 

 ベオと名乗った男性は首だけで頭を下げる。

 想定外、あるいは予想外とでも言うような困った様子だったが、こちらの目を見て言葉を返す様子は好ましいものだと感じた。

 

「はい。こちらとしてもそちらのお手を煩わせないよう、報告連絡はある程度行う所存ですので」

 

「え?」

 

「自分が言っても信用ならないでしょうが、何か行動を起こす際はお伝えいたします。それでは、お勤めご苦労様です」

 

「え、ええ? はい?」

 

 疑問符を浮かべるベオを後ろに去って行く修太郎と黒歌。

 その背中を見つめるベオ――休暇ついでに修太郎たちの監視及び有事の際の足止めを任された、ルシファー眷族『兵士(ポーン)』ベオウルフは、呆けたようにしばし立ち尽くすしかなかった。

 

「ええ~?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 続いて左隣。

 チャイムの後に出迎えてくれたのは、果たして意外な人物だった。

 

「あなたは……暮修太郎、と小猫の姉」

 

「知った気配がするかと思えば、キミだったか」

 

 扉を開けたのは青髪に緑のメッシュを入れた少女。元教会の聖剣使い、ゼノヴィア。

 突然訪ねてきた修太郎と黒歌の姿に驚く少女。

 

「うん、グレモリー眷族として悪魔になったからね。ここは赤龍帝――兵藤一誠の家にも近いから、何かと都合がいいんだ。彼の家にはリアス部長とアーシアもいるから」

 

 わからないことがあったらすぐに尋ねに行くのだと言う。なるほど、ここに来るまでの道中でいくつか見知ったオーラの波動を感じたが、それが原因だったのだろう。

 

「そう言えば悪魔になったのだったな」

 

「元教会関係者が、また随分と思い切ったにゃん」

 

「我ながらそう思わない日は無いよ。ただ、私にもやりたいことができたんだ」

 

 苦笑しながらも後悔は無いらしい。その表情は晴れやかだ。

 

「そうか。人生に目標や生きがいを持つのはいいことだ。それはそれとして、このたび隣に引っ越してきたので挨拶に来た」

 

 そう言って、蕎麦の包みを渡す。ありがとう、と受け取るゼノヴィア。

 

「なるほど、これが噂の引っ越し蕎麦、と言う奴だね。蕎麦と側をかけているのか。日本には変わった風習があるんだな」

 

「近頃はあまり見られないようだが」

 

「そうなのか? ということは今、私はレアな体験をしている訳だ。うん、なんだかわくわくするね」

 

 そう言って包みを色々なアングルから眺め出した。商店街で買った普通の品なので別に変わったところがあるわけではないのだが、せっかく本人は嬉しそうなのだから放っておくことにする。

 

「ではな、これからも良いご近所づきあいを頼む」

 

「あ、待ってくれ! 私もあなたに話したいことがあるんだ。よければ、上がっていってもらえないか?」 

 

 引き留めるゼノヴィアに、修太郎と黒歌は顔を見合わせる。

 

「……構わないが」

 

 別段敵意も感じず、特に断る理由も無いので二人はこれを了承した。

 

 ゼノヴィアの部屋は、まだ暮らし始めて間もないからか、やや殺風景だった。

 最低限そろえたと見られる機能性を重視したシンプルな家具は、如何にも彼女のイメージに合う。

 マンションの一室には、リビングの他に部屋が二つあるが、気配を探ればゼノヴィアの他にもう一人住人がいるようだった。修太郎が知る中で心当たりがある人物と言えば……。

 

「紫藤イリナがいるのか?」

 

「やっぱりわかるのか。うん、イリナもこの部屋で暮らしている。しかし、私よりも信仰が深かった彼女はあれからどうにもふさぎ込んでいてね。あまり部屋から出ようとしないんだ」

 

 神の不在を知ったイリナは、なんと一週間近く寝こみ、それ以降もまるで元気がないとのことだった。

 元相棒としてゼノヴィアも色々と世話を焼いてはいるものの、悪魔になったことで交流が困難になったらしい。ならばなぜ悪魔などになったのか、と修太郎は疑問に思った。

 

「それで、話とは?」

 

 勧められるまま修太郎と黒歌の二人は並んで座し、ゼノヴィアとテーブルを挟んで向かい合う。

 

「その前に一つ。小猫の姉……黒歌と言ったかな? あなたに聞きたいことがある」

 

 ゼノヴィアが黒歌を見て尋ねた。

 

「何にゃ?」

 

「あなたに小猫へ危害を加える意思があるか否か、それを問いたい」

 

 途端、黒歌から発せられる圧力が急激に増し、ゼノヴィアの身体を叩く。

 周囲への影響を考えてか、そこまで激しいものではない。しかし、感じられる質――所謂殺気――は少女に冷や汗をかかせるには十分だった。

 とはいえ、たとえ踏み込み過ぎた質問でも眷族の『騎士(ナイト)』としてこれは譲れない。

 

「クロ」

 

「……ま、眷族仲間だもんね。いいわ、答えはノーよ。同じ貴重な猫魈だし、何より妹だもの。そんなことしてもメリットなんて無いにゃん」

 

 修太郎がそれを諌めてようやく圧力が霧散する。小さく安堵の息を吐くゼノヴィア。

 今すぐここで殺されることは無いと思っていたが、格上から浴びせられる敵意はやはり心臓に悪い。

 

「ああ、それが聞けただけでもよかった。最近どうにも彼女は元気がないようでね。中々込み入った事情のようだけど、早く仲直りしてくれると私たちとしても助かる」

 

「こっちとしてはそのつもりなんだけどにゃー。私が近づくと、何でかあの子逃げちゃうのよ」

 

「再会した時に、お前が余計なことを言ったからだろう」

 

「だって白音ったら、私がいないのに楽しそうなんだもの。名前まで変えちゃって、そりゃ私が悪いってわかってるけど、思わず口が滑っても仕方ないじゃない?」

 

 頬を膨らませて拗ねたような表情になる黒歌。要は嫉妬していたのだ。

 あの後、何度か小猫と接触しようと近づいたものの、黒歌の姿を認めるたびに逃げ出す始末。その気になれば捕まえることは容易いが、まさか怖がっている相手を力づくで連れて行ったとして、話が成立するとは考えられない。監視もついているとなればなおさらだろう。

 

「完全に意地になっていると見える。機会を窺うしかないな。時間が経てば、少しは落ち着くだろう」

 

 つまりはそういうことに落ち着くのだが、黒歌は不満げだ。

 

「すまないが、話の本題に入っていいだろうか?」

 

 逸れた話にゼノヴィアが言葉を放つ。

 確かにこのまま無駄話をしていてもしょうがない。

 

「ああ、構わない」

 

 修太郎の返答にゼノヴィアは居住まいを正し、正面からこちらを見据えて口を開いた。

 

「単刀直入に言わせてもらおう。暮修太郎殿、私をあなたの弟子にしてもらえないだろうか?」

 

「……それは、何に対して?」

 

 放たれた言葉に対し、修太郎は疑問で返した。意図はわからないでもないが、一応だ。

 

「もちろん、剣術だ。……そうだな、順を追って話そう」

 

 ゼノヴィアは語る。

 教会本部イタリアはローマで生まれ育った彼女だが、聖剣デュランダルを扱えるほどの素質を持っていたことから、幼少のみぎりより、神のため、宗教のため、修行勉学に励んできたのだと言う。

 それ故に人生における目標はおおよそ宗教に絡んだものとなったらしく、神の不在という真実を知り、それらの目標が全てご破算になったとのことだった。

 

「つまるところ私には生きがいという物が無くなってしまったわけだが、そこで見つけたのがあなただ」

 

 ゼノヴィアは、真っ直ぐにこちらを見つめて言葉を続ける。

 

「確か前にも言ったと思うが、私はあなたほど剣術に長けた人物を見たことが無い。正直何が起きたかはわからなかったが、コカビエルを倒すあなたの姿を見た時、衝撃が走ったんだ」

 

 曰く、自分も同じ剣術を使ってみたい、と思ったのだそうだ。一刀の下に敵を下すその剣は、彼女の理想であるらしい。

 

「しかし、そこで生まれた問題があった。おそらくあなたの剣術は、あなただけが持つ才能を極限まで磨き上げて編み出したオンリーワンな代物なのだろう。私では十年二十年頑張ってもまず身に付けられない。百年かけても無理だとわかる。それだけあなたの才能は破格で、奇跡的なのだと推測できた」

 

 だから――。

 

「私は考えた。ならば千年、万年ならどうか? と。そんなわけで私は悪魔になった。まあそれだけでなく、神がいないと知って半ばやけくそになった感じも否めないが、ともかく私はあなたの剣を覚えたいと思ったんだ。私自身強くなれば、悪魔のゲームでも役に立つ機会が増えるから一石二鳥と言う奴だね。でも正直、あなたの剣技は傍から見ていても何をしているかわからない。だから覚えるも何も無い訳で、そこでこうして直接頼んでいるんだが……」

 

 ダメだろうか? と困り気な表情で見つめてくる少女。

 当の修太郎は、内心で困惑しきりだった。

 修太郎は過去現在未来合わせても人類最強クラスに位置する剣士だろう。『奇跡的な才能』と言うゼノヴィアの評価は当たっている。

 最初に修めた流派に数多の技術を取り込んで、もはや原形すらとどめていない修太郎の剣術は誰にも真似ができず、そして彼自身教える術を持たない。現に今まで出会い、打ち破ってきた剣士の全てがそれを悟り、修太郎へ剣の教えを乞うことはしなかった。

 つまりこういった申し出を受けるのは初めてなのだ。

 

「初めに言っておくが、俺は弟子などとったことが無い。それ故に、キミへ何を教えればいいのか皆目わからない」

 

「それでもいい。少し動きを見せてもらえれば勝手にやってみる」

 

「俺は人間だ。千年以上もキミには付き合えない」

 

「とっかかりが欲しいんだ。それにあなたは今、悪魔の信用を得るために仕事を受けたと聞く。いずれ誰かの眷族になるんだろう?」

 

 ゼノヴィアがそれを知っているのは、おそらく余計な誤解を招かないよう、サーゼクスからリアスにでも連絡があったのだろう。

 

「さあな、まだわからない。何にせよ、たとえ俺がキミの指導に取り組んだとして、その結果には一切の責任をとることが出来ない」

 

 修太郎はそれが嫌なのだ。彼は一度仕事を受けたなら、それを完遂させねば気が済まない性質なのである。

 

「私はそれでも……」

 

「俺が嫌だと言っている。師は弟子を導いてこそ。俺にそのような能力は無い。諦めて他を当たることだ」

 

 有無を言わさずゼノヴィアの言葉を切り捨てる。

 睨むような修太郎の目を、それでもまっすぐ見つめるゼノヴィア。その様子が退く気はないと雄弁に語る。

 ならば――。

 

 鈴鳴りの音が一つ。

 

「――!!」

 

 斬り裂かれるような気配に、ぞわり、とゼノヴィアの全身が総毛だった。

 鋭い痛みを首筋に感じて、とっさにそこへと手を当てる。

 ――斬れていない。

 

 先ほど感じた感覚の正体は、凄まじく鋭利な殺気。

 退魔剣術月緒流が基本戦技『朧風(おぼろかぜ)』。本来は戦闘中のフェイントに用いられるただの殺気運用術だが、熟練者が格下相手に使えば時に幻痛すら伴う代物と化す。

 

 ゼノヴィアとて悪魔になったことで基礎身体能力は向上し、前よりも強くなっているはずだ。

 それでも、力を込めた殺気一つで決意がくじけそうになる。とんでもない男だと、改めて思うより他は無い。しかし、だからこそ――。

 

「私は、あなた以上の剣士はいないと確信する。この機会を失ったら、今の私にはもうやりたいことが思いつかないんだ。頼む……頼みます。何でも言うことを聞きますから、どうか私に剣を教えてください」

 

 そう言って土下座する少女に、修太郎は自らの失敗を認識した。

 諦めさせることを目的に放った殺気で、逆に覚悟完了されてしまっては世話無い。

 ここ最近、どうにも失敗続きだ。デュリオが切っ掛けとなり来日し、魔王との交渉では認識の甘さを露呈し、そして今、このような少女にまで押されている。

 たとえどれだけ強いと言われても、一皮むければただのコミュ障。それが暮修太郎なのだろう。そう思えば気分も下がる。落ち込むなどいったい何時振りだろうか。

 

「……模擬戦の相手ぐらいはしても構わない。しかし、それだけだ。俺の剣は教えないし、教えることができない」

 

 言い終わるや否やゼノヴィアは顔を上げて、ぱあっと表情を輝かせる。目の端には涙まで溜めて、気丈なことだと思考の方向を逸らす。

 

「うん、それでもいいんだ。ありがとうございます」

 

 変な犬に懐かれたような感覚が止まらず、修太郎は内心頭を抱えることになった。

 どうして、こうなった。

 

 

 

 

 

 

                 ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 そして場所は移ってマンションの屋上。

 修太郎とゼノヴィアは、互いに木刀を携えて対峙している。

 あのまま彼女の強い要望で模擬戦をしようということになり、半ば自棄になった修太郎はこれを受けた。

 

「なんだかんだ言って、シュウってばお人好しよね。敵は女子供でも斬り捨てる癖に、そうじゃない相手に敵意無く迫られると弱いんだから。まったく、懲りないにゃー」

 

 屋上全体を結界で保護する黒歌は、空中に浮かべた魔法陣に座って観戦の姿勢だ。

 目の前で木刀を構えるゼノヴィアは、うずうずとした様子を隠そうともしていない。修太郎も、ゆっくりと木刀を持ち上げ正眼に構えた。

 

「行くぞっ!!」

 

 踏み込むゼノヴィア。

 『騎士(ナイト)』の特性を使って高速で駆け抜ける。通常の立ち合いならば使わないのだろうが、この男が相手となればそれが致命的になると判断してのことだった。

 デュランダルを扱う要領で木刀に纏わせた魔力を研ぎ澄ませての一閃。風を裂き、斬鉄すら成すだろう渾身の剣はしかし、次の瞬間に空を斬った。

 

「!?」

 

 そして、気付いた時には吹き飛ばされていた。

 こみ上げる嘔吐感。みぞおちに木刀のめり込んだ感覚が、一拍遅れてゼノヴィアの脳を駆け巡る。

 

 結界の壁にぶつかると同時、吐しゃ物を吐き散らす。

 たったの一瞬、一刹那。もしもこれが実戦だったら、既に上半身と下半身が泣き別れている。

 いったいどういう攻撃を受けたのか、実際に相手してもわからない。強いなんてものじゃない、圧倒的な隔たり。次元の違いだけを把握する。

 

「動きが真っ直ぐすぎる。高速で動くにしても脚の運動にもう少し遊びを持たせろ。その姿勢では次にどういった軌道で斬撃が来るのか丸わかりだ」

 

 言いながら、ゆっくり歩いてくる男の眼光は鋭く恐ろしい。

 先の一撃を受けただけで、ゼノヴィアから見た今の修太郎は天を突くような巨大な絶壁に見えた。

 こみ上げる吐き気をなんとか堪えて、再度構える。

 

 こうして見れば隙など微塵も見当たらないように思える。思うと言うのは、意図的に作られた隙のようなものが瞬く間に浮かんでは消えを繰り返し、攻めるべきタイミングを崩してくるからだ。

 複雑怪奇なその様は、今のゼノヴィアに理解できないものだった。どこに打ち込んでも次の瞬間に転がってるのは自分だと、そう思えて躊躇する。

 そして、気付けば宙を舞っていた。

 

 投げられたのだと知った時、目の前に迫る木刀の軌跡が見えた。

 とっさに自身の木刀で受け止めたものの、宙で弾かれて地に叩き付けられる。何とか受け身に成功したが、あまりの衝撃に意識が飛びそうになった。

 

「何故動かない。『騎士(ナイト)』は速さを武器にしているんだろう。動きを止めるな、臆せばそこで死ぬと思え」

 

 男の低く平坦な声が響く。怖い、と思った。

 鋭すぎる目つきからは一切の容赦が排除されている。ゆっくりなはずの歩調は、まるで死刑宣告のカウントダウンに思えてくる。決して避けることのできない脅威、『死』とはまさにこれを言うのだろうと実感した。

 再び立ち上がるゼノヴィアだったが、あまりの実力差にもはや戦意が折れそうだ。

 

 それでもなけなしの意志を振り絞り、震える脚で立ち向かう。

 これを乗り越えればきっと彼に一歩近づけると信じて。

 

 一分後、何一つ修太郎の動きを掴めないままボコボコにされ、完全に気絶したゼノヴィアの姿があった。

 

 

 

 

 

 

                 ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 ドアをノックする音が聞こえる。

 ベッドの端で足を抱えてうずくまる少女、紫藤イリナは虚ろな瞳で自室のドアを見た。

 またゼノヴィアが食事でも運んできたのだろうか? 自分は放っておいてくれといったのに。

 

 悪魔へと転生を果たした彼女に対し、思うところは多々ある。

 悪魔になった理由はさっき聞こえてきた暮修太郎との会話から知ることができたが、最も気に入らないのはなぜそんなに早く気持ちを切り替えることができたのかということだ。

 それなりに付き合いも長いことから、彼女の思い切りの良さは知っている。信仰心も微妙におかしかったし、だからこそ今回の結果となったのだろうが、それでも。

 裏切られたような気分になるのは別段不自然ではないと思うのだ。

 

 ノックの音は止まない。鬱陶しさに苛立つが、今は悲しみに浸っていたい気分だった。

 天にまします我らが主。聖書に記される唯一絶対の神。天使たちを創造し、我ら遍く人類に愛を与える万物の父。

 物心ついた頃から信じてきた、その偉大なる存在がもういない。それを知った時、自分の中で大切なものを支える何かが折れたような音がした。

 

 いったいこれからどう生きればいいのだろう?

 祈りをささげても、それに応えてくれる存在は無い。信じるものは最初から無かったのだ。教会からは異端の烙印まで押され、もう家族にすら会えないだろう。

 少女には、何も残っていない。

 

 耳に響くノックの音。

 苛立ちが最高潮になったイリナは、乱暴に立ち上がってドアの鍵を開け、そして開いた。

 目の前にいたのは長身の男だった。

 

「修太郎……さん」

 

 暮修太郎。イリナたちが束になっても敵わなかった堕天使、コカビエルを圧倒的な強さで一蹴した男。

 先ほどゼノヴィアと共に外に出て行ったはず。なぜここに戻ってきたのだろうか?

 

「久しぶりだな、紫藤イリナ。あの時は挨拶できずにすまなかった」

 

「あ、うん……はい」

 

 それだけのためにやってきたのか。イリナの興味は急速に失せた。

 しかし。

 

「迷惑をかけてすまないが、同室のよしみでこれの世話を頼んでいいだろうか?」

 

「これ?」

 

 修太郎が小脇に抱えていた何かをイリナに見せた。

 緑のメッシュが一房入った、青髪の少女。

 

「ゼノヴィア!?」

 

 イリナの元相棒はズタボロだった。

 暑くなってきたこともあって薄着だった彼女の、露出していた手足は痣に塗れ、服からは吐しゃ物の匂いもする。どうやら完全に意識を失っているらしく、力無くぐったりとして抱えられていた。

 いったい何があったのだろう? とイリナの頭に疑問符が浮かぶ。

 

「どうしてもと言うから模擬戦をやったのだが、このザマだ。おそらくしばらくは目覚めないだろう。その間に身支度を整えて、傷の手当てをしてもらいたい」

 

 俺は男なのでな、と言う修太郎は無傷。おそらく一方的だったのだろう。それにしても手練れのゼノヴィアがここまでやられるとは。

 あまりに突然なことに頭の処理が追いついていない。それをよそに修太郎は言葉を続ける。

 

「ああそういえば、キミには引っ越し蕎麦よりもこちらの方が良かったか」

 

 と言ってベルトポーチから携帯健康食品の段ボールを取り出し、良いご近所付き合いを頼む、と目の前に置く。

 そうしてイリナの目を見て告げた。

 

「部屋にこもるのもいいが、たまには外に出てみるといい。世界は存外広いのだ。何か、キミにとって新しいものが見つかるかもしれない」

 

 差し出した手には以前イリナが贈った銀のロザリオ。

 促されるままにそれを受け取ったイリナは、去って行く男の背中を見送る事しかできなかった。

 

 後に残されたのは健康食品の段ボール箱とボロボロのゼノヴィア。

 ともあれ今は男の頼み通りに動くしかない。いくら気分が乗らないとはいえ、この状況を放置するほどイリナは無慈悲ではなかった。

 

 伏せる元相棒のために手当ての支度を整える少女の表情は、心なしか先ほどよりも少し明るくなっていた。

 

 




何気にヴァンパイア編に入りました。
それにしてもこのサブタイのセンスの無さよ……!

色々と伏線のようなものを張っていたつもりですが、ゼノヴィアの弟子志願、人によっては少し唐突に感じるかもしれません。
そんな彼女をいきなりボコボコにしましたが、主人公はこんな奴です。
彼自身、今まで容赦されたことないからね!

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