剣鬼と黒猫   作:工場船

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第二十三話:月夜の宣戦

 目を閉じて、息を整える。

 指先と、それを動かすための筋肉に感覚を集中。脱力させた状態から徐々に緊張させ、最高潮に達したところで逆の手順で力を抜く。

 それを何度か繰り返し、紫藤イリナは目を開けた。

 彼女の視界の中、離れた場所に立つ木々の間にいくつかの球体が浮かんでいる。ぼんやりとした光を湛えてゆっくり移動するそれらに狙いを付け――。

 

「――ふっ」

 

 鋭い呼気と共に腕を振りぬけば、中空を銀糸が走る。

 風に流されぬほど細い金属糸は、並の刀剣を遥か凌駕する切れ味だ。音もなく飛来する斬糸によって、遠くに置かれた球体の一つが縦に分かれて斬り落とされる。

 そのまま素早く腕を動かすと、糸が分かれて多方向に広がった。

 

 ここからさらに集中。

 ゼロコンマゼロ秒の狂いもなく動作を完了させれば、枝葉の合間を縫って糸が滑らかに動き、まばらに配置された球体を次々と切断していく。成功だ。

 

「――はっ……!」

 

 瞬く間の内に全ての球体が断ち斬られ、光の粒と弾けて消える。

 そしてしばらく間をおいて、今までのそれよりひときわ大きく、人の形をした光が現れた。

 イリナは指とそれに連なる筋肉を微細に動かし、糸を操作する。自身が放った十を超える数の糸が空中でその運動を変え、そして人形を雁字搦めに拘束した。

 

(よし……!)

 

 腕の形をそのままに、指の操作だけで人形を手繰り寄せる。込める力は決して強めず、精密なコントロールを心がけて引っ張れば――。

 

「ほら、どうした速く走れ。でないとデュランダルに切り裂かれてしまうぞ」

 

「ヒイィィィィィッ!! 追いかけてこないでぇっ!!」

 

「……! しまっ……!」

 

 力みが糸を伝わり、拘束が斬撃となって勢いよく人形が四散した。

 

「ああ~……」

 

 がっくりと肩を落とすイリナ。

 斬糸からの拘束・捕獲は単純ながら非常に難度が高く、もう少しで初めて成功するところだったのだが……。

 

「もう、ゼノヴィア! 邪魔しないでって言ってるでしょ!」

 

 イリナの声に走っていたゼノヴィアが立ち止まり、振り向く。

 

「私は邪魔などしていないぞ。こいつが無茶苦茶に逃げるのが悪いんだ」

 

「ヒィィィッ!?」

 

 そう言って、デュランダルの切っ先で木の後ろに隠れていた人物を示す。

 金髪赤眼、小柄な体格の手足は折れそうなほど細く、その身を駒王学園の女子制服に包んでいる。涙目で怯える姿は一見して可憐な美少女にしか見えないが、その人物はれっきとした男だった。

 

 吸血鬼ハーフの転生悪魔、ギャスパー・ヴラディ。

 グレモリー眷族の封印された『僧侶(ビショップ)』である彼がこのたび解禁される運びとなったのは、つい先日のことである。リアス・グレモリーがコカビエル襲撃の対処に関して評価された結果だった。

 

「ギャスパーくんが逃げるのは、デュランダルなんて持って追いかけるからでしょ? それじゃあやっぱり、あなたが悪いじゃない。体力をつけるなら普通に走らせなさい」

 

「追いかけられた方が度胸がついていいじゃないか。一石二鳥と言うやつだ」

 

 当初ギャスパーは自らの力を他者に浴びせるのを怖がり、外に出ることすら拒んでいたが、一誠の熱心な励ましもあって自身の力を制御する特訓に取り組んでいる。

 リアスや朱乃は会談が近いことと、先日の怪しい侵入者の件もあってあまり付き合えないこともあり、一誠を筆頭に眷族一同が協力して事に当たっているのだが……。

 当然のように自らの正当性を主張するゼノヴィアに、イリナは頭を押さえる。

 

「……イッセーくんはどうしたの? ギャスパーくんの特訓って、彼が担当してたはずでしょう?」

 

「イッセーさんなら朱乃さんに呼び出されてここにはいません。なので今日は私たちがやることに……」

 

「もう嫌だぁぁぁっ! 聖剣怖いぃぃぃぃぃっ!!」

 

 イリナの疑問にアーシアが答え、ギャスパーが木にしがみついて泣き喚く。

 アーシアはアーシアで魔力を使ってターゲットを作り、イリナの修行に協力してくれている。木場も所要で姿が見えず、それ故に必然担当するのはゼノヴィアと――。

 

「ほらギャーくん、これ食べて元気出して」

 

 どこからともなく現れた小猫が、ニンニクでお手玉をしながらギャスパーに近づく。

 

「――」

 

 言葉も無くダッシュで逃げ去ろうとするギャスパー。しかしそれをむざむざ逃がす小猫ではなかった。

 

「たあ、ニンニク封縛縄」

 

 小猫の手から放たれた投げ縄がギャスパーを捕える。縄の輪っか部分には、隙間なくニンニクが連なっていた。

 

「いやぁぁぁん!! ニンニクやめてぇぇぇぇっ!!」

 

「小猫……投げ縄なんてできたのか」

 

「でもなんだか、このために覚えてそうな感じです……」

 

 公開授業の日以来、だんだんと調子を取り戻してきた小猫であるが、ギャスパーが解禁されてからはほとんど元通りになったようだ。時々上の空になることはあるものの、少なくとも暗い表情を見せることはほぼ無くなった。姉の黒歌との仲に何か進展でもあったのだろう。

 

「うわぁぁぁぁん! ニンニク嫌いぃぃぃぃぃっ!!」

 

「ギャーくん、往生際が悪いよ」

 

 縄に巻かれながらもジタバタ暴れるギャスパーだが、『戦車(ルーク)』の馬鹿力を前にしては全くの無力だ。足を滑らせて転び、茂みの中に突っ込んでしまった。

 

「大丈夫ですか? ギャスパーくん」

 

 上半身を茂みの中に沈め、お尻を突き出した格好で転んだギャスパーにアーシアが声をかける。怪我があったのなら彼女の神器で治すつもりなのだろう。

 

「う、うわあぁぁぁぁっ!?」

 

「わっ!? どうしました? ギャスパーくん?」

 

「む、虫、むしぃぃぃぃぃっ!! 虫がいっぱいいますぅぅぅぅっ!!」

 

 突然勢いよく起き上がり、転びながら逃げ出すギャスパー。拘束されながらも手で茂みを指して、顔を真っ青にしている。

 

「何だギャスパー、情けない。虫くらいいるだろう」

 

「夏だものね。ほんと、日本の夏はじめじめして嫌になるわ」

 

 呆れるゼノヴィアに、頷くイリナ。しかしギャスパーは顔を激しく横に振りながら喚く。

 

「だ、だってすごくいっぱいいるんだもん!」

 

「言い訳は駄目だよギャーくん」

 

「言い訳じゃないもん! 嘘じゃないもん! みんなだって絶対気持ち悪いって思うはずだもん!!」

 

「そんなにいるのか? 少し気になってくるな」

 

 必死に抗弁するギャスパーの様子に、ゼノヴィアは彼が突っ込んだ茂みの中を覗き込んだ。

 

「――――うわっ」

 

「えっ、何その反応。――――わぁ」

 

 ゼノヴィアの反応が気になったイリナも覗き込む。すると、二人そろって何とも言えない表情になった。

 つられて他の二人も覗いてみる。

 

 それは芋虫の団子だった。緑色の肌にうねるような黒い紋様、小指サイズの幼虫だ。

 単体で見ればなんということは無いだろう。しかし、無数の芋虫が集まってバスケットボール大の半球を形成していたのなら、なるほど確かに気持ち悪い。

 

「すごく……いっぱいいますね」

 

「ドン引きです」

 

 アーシアは生理的に嫌な所を突かれたのか一つ身震いし、小猫も若干どころではなく引いている。

 

「うーん、消し飛ばすか?」

 

 そんな一同の様子を見て、ゼノヴィアがデュランダルを構える。

 

「ダメよゼノヴィア。神の教えを受けた私たちが罪も無い命を摘んではいけないわ。虫のことはあまり知らないけど、これって蝶々の幼虫じゃないかしら?」

 

「虫さんたちも一生懸命生きているんですから、殺してしまうのはかわいそうです。それに蝶々は綺麗ですよ」

 

「流石に冗談だ。でもこの光景は軽くショッキングだな。教会の戦士として活動していた頃も虫系の魔物と戦ったことはあるが、それに匹敵する不気味さだ」

 

「珍しいので動画に撮ってアップしましょう。ギャーくんのパソコンで」

 

「僕のパソコンに嫌な動画保存しないでよぉ!!」

 

 結局、この事は生徒会に報告することになった。もしかしたら来たるべき会談の日に向けて今も花壇整備に励む生徒会書記、匙元士郎が何とかするかもしれない。

 

「ともかく、特訓にもどりましょ。アーシアさん、また手伝ってもらってもいい?」

 

「はい大丈夫です。私としても魔力制御の訓練になりますし」

 

 鋼糸の特訓に戻るイリナたち。

 その後ろ姿を見て、ゼノヴィアが悔しげに呟く。

 

「くぅ……いいな。やっぱりイリナだけずるい」

 

「ゼノヴィアも教えてもらったじゃない。デュランダルの使い方」

 

「違う。確かにあれはすごく参考になったが、もっとこうイリナみたいに手取り足取り教えてもらいたいんだ」

 

 イリナは修太郎に鋼糸術を教えてもらった時のことを思いだす。

 指の動きと腕の緊張の具合などを確かめるべく接触しながら行う学習に当初はドキドキしたものだが、時間が経つにつれそんな感情は消え去った。

 

 斬糸術、拘束術、探査術、傀儡術、防御術、加えてそれらの技術を繋ぐ操作。占めて数百パターン全てを、わずか二日で叩き込まれたのだ。

 これが全部基本の型だというのだから恐れ入る。彼が言うには派生を含めれば数に限りなどなく、修太郎自身本格的に学んでいる訳ではない(本人曰く「形だけの付け焼刃」)ため、今後の技術的向上はイリナのセンスにかかっているとのことだ。

 ゼノヴィアと違って学園に通っていないので時間はあったが、訓練が終わった時のイリナは疲労で指一本動かせなくなっていた。

 

 こちらが教えてほしいと願った手前文句など言えようはずもないが、まさかこんな短期間で全部覚えさせられるとは夢にも思わない。

 しかしイリナに才能があるというのは嘘ではなかったらしく、数日程度の自己鍛錬で斬糸はそこそこ扱えるようになった。それを思えば感謝してしかるべきなのだろう。でも、滅茶苦茶きつかった。

 

「……うん、まあ知らないって素敵よね」

 

 黄昏ながら答えるイリナを、しかしゼノヴィアは羨ましそうに見つめる。

 

「くっ、勝者の余裕というやつか……。最近は師匠も黒歌さんも模擬戦に付き合えないようだし、なんだか持て余し気味だ」

 

「だからってギャスパーくんを付き合わせるのはやめなさい。しょうがないでしょ、修太郎さんたちも仕事なんだから」

 

「たしか、公開授業の時に侵入者が出たんですよね?」

 

 小首を傾げながら尋ねるアーシアに、二人が頷く。

 工作員らしき侵入者――容姿から察するにはぐれエクソシストのフリード・セルゼン――が学園に現れたことで、修太郎たちはその捜索に駆り出されていた。ここ数日は隣室のゼノヴィアたちでも会えない時間が続いている状況だ。

 その関係上、会談の日程も数日ほどずれる可能性があるらしい。

 

「…………」

 

 当然、小猫も黒歌に会えていない。

 公開授業で姉の姿を見つけた時、戸惑いと、少しの恐れが湧いた。しかし、嬉しさを感じたのも確かだった。

 行事の前にサーゼクスや、あるいはその代わりにグレイフィアが様子を見に来ることはあったが、全て通して参加してくれることはなかった。彼らの優しさは素直にありがたいし、リアスたちに出会い眷族となってよかったとは思う。だが一方で、そういった催し事のたびに家族が見に来てくれる同級生を――あるいはリアスのことを――見て、少なからず羨ましく感じていた面もあったのだ。

 

 だから、これをきっかけに姉と話そうと思った。今ならきっと逃げずにいられる。しかしどうにも間が悪く、思惑を外されてしまった。

 

「えっ、なに!? 縄を締めないで小猫ちゃん!」

 

 その憤りを解消するべく、事あるごとに弄られるギャスパーはまったく哀れである。まあ、この二人はこれで平常運転と言えなくもないのだが。

 それよりも。

 

「模擬戦と言えば、二人は姉さまと戦ったことがあるのですか?」

 

 この二人の会話で暮修太郎との模擬戦が話題に上ることはそれなりに多い。しかし黒歌も参加しているというのは初耳である。

 あの姉なのでただ横で見ているだけという線もあるが、何となく気になった小猫は二人に尋ねる。

 

「ああ、あるぞ」

 

「私は模擬戦に参加し始めたのが最近だから、一度だけだけどね」

 

「でも、姉さまは剣士ではないはずですが……」

 

「いや、ちゃんと剣を使っていた。強かったぞ」

 

「うん、普通に負けちゃったわ」

 

 小猫の疑問に二人の答えは意外なものだった。

 黒歌は『僧侶(ビショップ)』の駒二つを消費した生粋の魔力特化型(ウィザード)だったはず。それとも小猫が知らないだけで、姉にも近接戦の適性があったのだろうか?

 

「まるで舞のような動きだった。終始翻弄されてしまったな」

 

「ものすごくたくさんの色々な術を使えるのに、接近戦もできるなんて反則的よね。……まあ修太郎さんとやるよりは戦える分まだ常識的だけど」

 

「師匠と戦うといつの間にか寝てるからな」

 

「現状の私たちじゃ、二対一でも相手にならないもの」

 

 二人して溜息を吐く。実際二人でかかってもかすり傷一つ付けることができなかったのだ。

 そしてしばらく、おもむろにゼノヴィアが口を開いた。

 

「なあイリナ、それにしても……」

 

「なあにゼノヴィア?」

 

「黒歌さん、穿いてなかったな」

 

「……着けてもなかったわね」

 

「揺れていたな。バインバインだった。もしかして、普段から下着を着けないことこそが強さの秘訣だったりするのだろうか?」

 

「そんなまさか。でもあれで垂れないのよね……」

 

「……私は今まで自らの乳こそ至高の美乳だと思っていたのだが……」

 

「ゼノヴィア、あなたまだそんなこと言ってるの? それ日本に来る前の任務でした話じゃない」

 

「うん、まあそうなんだが。でもリアス部長といい朱乃副部長といい、そして黒歌さんといい、比べれば負けた気にもなるだろう?」

 

「……確かに……」

 

「あのう、お二人ともお互い胸を見ていったい何の話を……?」

 

「…………」

 

「ニンニク握り潰しながら無言で縄を締めないで!! 痛いよ小猫ちゃーん!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

「おつかれーっす!」

 

「お疲れ様です」

 

「おつかれにゃー♪」

 

 掛け声と共に缶を開ければ、空気が抜ける軽い音が響く。

 時刻は昼過ぎ。街全域にわたる侵入者の調査から帰ってきた修太郎と黒歌は、ベオウルフの誘いで彼の部屋に集まって酒盛りをすることになった。

 

「しかしベオ殿、侵入者はまだ見つかっていないのに、自分たちだけこのようなことをしてもいいものでしょうか?」

 

 しかも昼間から、だ。まあ夜だからいいという訳でもないのだが。

 

「いいっていいって。やっと増援も来たんだしさ。ここ数日俺たち出ずっぱりだったじゃん? 引き継ぎもちゃんと済んだし、羽根休めにこれぐらいやっても罰は当たらないって!」

 

 堅いなあ、と笑うベオウルフ。

 修太郎の言うとおり、先日公開授業の際に学園へ侵入してきた人物は見つかっていない。下手人の少年が持っていたはずの怪しい包みはおろか、気配の名残すら残さず消え去って、遺留品は教会から持ち出されたと見られる魔剣『バルムンク』のみ。

 町の外縁を囲う結界に怪しい反応が無いことから、未だ下手人は町に留まっている可能性が濃厚だが、修太郎たち三人が連日町中駆けずり回ってさえ捜索はうまくいかなかった。

 

「それにおたくらは会談の警護もやるんだろ? 今体力消耗しちゃあ、当日もたないぜ」

 

「そうよ。いくらシュウが体力お化けでも、大事な仕事を前に疲れて失敗しちゃ本末転倒にゃん。人手も来たんだから休んどきましょ」

 

「……一理あるか」

 

 そうして缶を傾ける。

 酒の類は好まないが、他の二人が盛り上がっているのにわざわざ水を差すことはないだろう。

 それにしても、カクテル類は初めて飲む。今までに飲んだことがある酒類は甘酒に始まり神酒や日本酒が主だったため、ジュースの様な飲み口の味は新鮮だった。

 

「そういえば、ロスヴァイセは今頃なにやってるかしら?」

 

「うん? 誰の話?」

 

 コンビニで買ってきたチーズかまぼこを肴に、黒歌がこぼす。突然出てきた知らない名前に、ベオウルフが反応する。

 

「北欧のヴァルキリーです」

 

「ああ、ああ! 名前までは知らなかったけど、知ってる。白龍皇といい、おたくら顔広いよなぁ」

 

 感心したように頷くベオウルフの顔は赤い。見れば、既に缶を5つも空けている。かなりのペースだ。

 そのままロスヴァイセのことを簡単に話した。

 

「一人だけの営業課ね……。凄まじい人事だなぁ、それ。俺がいかに恵まれてるかわかっちまったぜ……」

 

 彼女が置かれた状況に、ほろりと涙するルシファーの『兵士』。

 彼も彼で忙しい中、休暇の名を借りた任務中である。思うところがあるのだろう。

 しかし、オーディンの無茶ぶりに半ば自業自得で取り組むこととなった彼女と、それに協力する修太郎たち二人は良い友人関係だが、ここ最近は連絡すら取っていなかった。

 

 理由としては単純で、彼女を通じて北欧の勢力に今回の会談の情報が漏れると困るからだ。

 一組織人である彼女がそれを知れば、当然上に報告する義務が生まれる。よしんば口止めに成功しても、接触することで修太郎たちが悪魔側に疑われてしまう可能性もある。故に彼女には「仕事でしばらく連絡が取れない」という旨だけ伝えて、一方的に交流を断っていた。

 

「元気でやっているといいが……会談の件が終わったあと、食事にでも誘ってみよう」

 

「それはいいけど、お酒はNGにゃん」

 

「無論だ」

 

 以前ふとしたきっかけで飲ませた時にわかったことだが、ロスヴァイセは相当酒癖が悪い。

 普段からストレスが溜まりに溜まっているのか、彼女自身の性なのかは知らない。しかし少量で酔っぱらうほど弱いくせに酒乱の気まであり、矢鱈量ばかり飲もうとするものだから、一度アルコールを入れるとそれこそ潰れるまで止まらないのだ。

 結果として次の日にひどい二日酔いで沈み、そして一日中吐く。ぶっちゃけ迷惑であった。

 

「――――!」

 

 そんなことを思っていたからだろうか。それとも噂をすれば影、と言うやつだったのかもしれない。

 修太郎は見知った気配が近づいてくるのに気付いた。気配は歩くような速さで移動し、隣の部屋――修太郎たちの部屋で止まる。

 その後しばらくして移動。今現在、修太郎たちがいる部屋の扉の前で止まった。

 

「――クロ」

 

「ど、どうするにゃん?」

 

 黒歌がそれを知るのに遅れたのは酒が入ったせいだろう。頭が回らないのか、狼狽えている。

 そうこうする内にノックの音が鳴った。

 

「あれ、お客さん?」

 

 止める間もなくベオウルフが席を立つ。ふらつきながらもしっかりとした足取りは実力の高さが窺えたがしかし、今この場では迷惑なだけだった。

 なので――。

 

「申し訳ない」

 

 首筋を手刀で一閃。

 糸が切れたように崩れ落ちるベオウルフを受け止めて、黒歌へ静かにするようジェスチャーを送る。頷いた黒歌と二人して気配を消せば、もはや外からは無人の部屋としか感じられないだろう。

 

『おかしいですね……』

 

 呟く声が聞こえると、気配が徐々に遠ざかっていく。どうやら誤魔化されてくれたらしい。

 

「……危なかったな」

 

「危機一髪にゃん」

 

 ほっと一息つく二人。しかし――。

 

『やっぱりいるじゃないですか』

 

 背後からした声に驚く。振り向けば、光の玉が窓の外に浮かんでいた。探査魔法の遠隔端末だ。

 彼女の方が一枚上手だったようだ。

 修太郎たちは腹をくくらざるを得なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なるほど、そういった訳があったのですね」

 

 修太郎たちの事情を聞いたロスヴァイセは、瞑目して一つ頷いた。

 場所はそのままベオウルフの部屋。スーツ姿のロスヴァイセと向かい合って座る形だ。

 

「確かにそれを知ってしまえば私もヴァルキリーの端くれですから、オーディンさまに報告しなければいけません。でも、恩人の不利になるようなことを進んで行うようなこともしたくはないのです」

 

「では……」

 

「この件は報告せず、私の胸の内に留めておきます。しかし、他の者に知られれば流石に秘密になどできませんが」

 

 そう言って、銀髪の戦乙女は微笑んだ。

 

「やったー! ありがとにゃん、ロスヴァイセ。大好き!!」

 

「わっ、黒歌さん!?」

 

 まだ微妙に酔いが回っているのだろう。いきなり抱き着いて来た黒歌にロスヴァイセは戸惑っていた。

 

「いや、良かったね。丸く収まって」

 

「ベオ殿」

 

 そこで首筋を押さえながらベオウルフが起き上がってくる。

 ロスヴァイセとの話の途中から意識が戻っていたのは気付いていたが、まさかここまで早く復帰するとは修太郎としても予想外だった。

 

「申し訳ない。何分いきなりのことで、ああするしか思いつかなかったのです」

 

「別にいいさ。事情が事情だし、仕方ない。むしろ俺が油断してたのが悪い。精進しなくちゃな。うん」

 

「そう言っていただければ助かります」

 

 修太郎の言葉にベオウルフは微笑みで返した。

 そうしてまだ飲み足りないのか、再び酒の入った缶を開ける。

 

「そういえばロスヴァイセ。俺たちに何か用事でもあるのか?」

 

 疑問に思ったことを訪ねる。彼女がわざわざ修太郎たちを探していたということは、それなりの理由があるはずだった。

 黒歌に抱き着かれながら、しかし再会を喜んでいる気配のロスヴァイセは「ああ、そうでした」と修太郎に顔を向けて答える。

 

「先日ドワーフたちから連絡があったのですが、修太郎さん、あなたの刀が逃げ出しました」

 

「――は?」

 

「にゃん?」

 

 いったい何を言っているのかわからなかった。

 

「あなたが元々使っていた、緋緋色金の刀が逃げ出しました」

 

 ロスヴァイセが言い直す。

 

「いや、意味がわからない」

 

「何が起こってるにゃん?」

 

 聞けばドワーフがなんやかんや理由を付けては預かったままだった修太郎の愛刀――無銘・緋緋色金が何処かに行ったらしい。

 とは言っても紛失したとか盗まれたとかそういう訳ではない。なんでも一人の若いドワーフが刃の手入れをするべく握ったところ、そのドワーフを()()()逃げだしたのだという。

 

「操られたドワーフ当人は数日後に帰ってきました。どうやら剣士の手から剣士の手へと渡ることで移動しているようなのです」

 

 そんな話を聞かされて、誰よりも驚いたのは修太郎である。口を手で覆い、「まさか、でも、いやしかし」などと呟く。

 

「――あれは、妖刀魔剣の類ではなかったはずだが」

 

「あなたが使っていた時はそうだったのでしょう。ドワーフの職人が言うには、おそらく工房に満ちる魔法の力にあてられて変化したのではないかと」

 

「魔剣になったってことかにゃ?」

 

 黒歌の言葉にロスヴァイセが頷く。

 

「俺の刀は何処に向かっている?」

 

 尋ねる修太郎の目は珍しく切実だった。

 あの刀は黒歌よりも付き合いの長い、最も手に馴染む相棒である。15の頃に天皇家より下賜されて以来、ドワーフに預けるまで片時も離さず持ち続けていた彼唯一の財産なのだ。

 

「これはドワーフたちの推測になりますが、意思を持つ剣が向かうとしたら、その目的地は担い手の場所になるそうです」

 

 つまりは――。

 

「俺のところに戻ってくると?」

 

「おそらくは」

 

 ロスヴァイセの返答に、ひとまず修太郎は安堵の息を吐いた。

 そして刀が戻ってきたならば、もう二度と誰にも預けないと決めた。

 

「わざわざすまないな。礼を言おう」

 

「いえ、大したことではありません。お二人の顔も久しぶりに見ておきたかったですし」

 

 恥ずかしげにそう答えるロスヴァイセ。

 すると突然数回手を叩く音が聞こえる。そちらを向けば、ベオウルフが酒類の缶と瓶をこちらに突き出していた。

 

「話は終わった? それじゃあみんなで飲もうぜ!」

 

「まだ続けるのですか」

 

 心なし呆れた口調の修太郎。

 

「ま、いいけどにゃん」

 

 乗り気な黒歌。

 

「昼間からお酒だなんて……でも私もご一緒してもよろしいのですか?」

 

 微妙な顔をしながら、しかし少し飲みたそうなロスヴァイセ。

 

「オッケーオッケー。酒を飲むのに神話体系なんて関係ないさ」

 

 笑いながら歓迎するベオウルフと、そして――。

 

「何がオッケーですかベオウルフ。定時連絡も忘れて昼間からいい身分ですね」

 

 輝く真紅の魔法陣と共に現れた、迸る莫大な魔力――君臨するは殲滅女王(クイーン・オブ・ディバウア)、グレイフィア・ルキフグス。

 

 錆びついた機械のように、ベオウルフが振り向く。酔っぱらって真っ赤だった顔は一瞬にして氷点下の青に変わり、おびただしい量の冷や汗が床に落ちる。

 

「あ、あああああ姐さん!? こ、これはですね、やむを得ない事情が……」

 

「ある、と本当に言うつもりですか?」

 

「申し訳ございません」

 

 『女王』が放つ絶対零度の視線を受ければ、もはや一回の『兵士』ごときに抗うことなどできはしない。

 後に待ち受ける"お仕置き"を想像し、そしてベオウルフは涙して屈した。

 

 ちなみに修太郎たちはグレイフィアが現れるなり早々に退去していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

 深夜。

 雲一つない夜空を月が照らす。季節は初夏に当たるとはいえまだこの時間帯は肌寒く、吹き抜ける風が冷気を運んでくる。

 マンションの屋上。月光が作りだす光と闇の中、白龍皇ヴァーリと剣士・暮修太郎は対峙していた。

 

「このような時間に何の用だ、ヴァーリ」

 

 黒歌と、そして会談が終わるまで泊まっていくことになったロスヴァイセは部屋で寝ている。

 結局あの後流れで再び酒を飲んだのが良かったのか悪かったのか、ともあれヴァーリが意図的に放ったオーラの波動を受けても起きる気配はなかった。

 

 修太郎の鋭い視線を受けたヴァーリは不敵な笑みで答える。

 

「何、そう時間をとるつもりはないさ。用事は一つ――暮修太郎、俺と戦おう」

 

「断る。以前より言っているはずだ。お前と戦っている暇はない」

 

 即答する修太郎。

 当然だ。この忙しい時期に目の前の少年は何を言っているのか。

 しかしヴァーリは退く様子を見せず、そして驚愕の言葉を放った。

 

「何も無料(タダ)で望んでいるわけじゃない。対価はあるさ。キミたちにとっては今最も欲しいものであるはずだ。そう、数日後に延期された会談――その場を襲う敵の情報と、作戦の詳細だ」

 

「なんだと……? お前はいったい何を言っている?」

 

 それを告げられた瞬間、修太郎は白銀の刃を構え目の前の少年を睨む。

 高まる戦意が込められた視線を受けて心地よさげに笑んだヴァーリは、光翼を広げて月光を背に飛び立った。

 

「決着だ。決着をつけよう、暮修太郎。俺たちの戦いを終わらせるんだ」

 

 




そんなこんなで次回、対ヴァーリ戦。

アニメBD5巻、本当にオーフィスが出てきとる。改めてみるとマジで痴女いですね、彼女の服装。誰の趣味なんだろう。

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