剣鬼と黒猫   作:工場船

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第二十六話:会談の黒猫

 紫の空に術式で作られた月が浮かぶ。

 冥界は旧魔王領、レヴィアタンの城に大勢の魔法使いが集まっていた。

 彼らの目的は本日行われる天使・堕天使・悪魔、三大勢力トップが集う会談への襲撃である。

 率いるは旧魔王レヴィアタンの血を継ぐ悪魔、カテレア・レヴィアタン。妖艶な衣装に身を包む、眼鏡をかけた褐色の美女だ。

 

 三大勢力トップの内、一人でも落とせればよし。会談を成立させず、公的な勢力の団結を防ぐことができればそれでいい。

 元はぐれエクソシスト――『禍の団』に存在する天使か堕天使に連なる何者かが先走ったことで計画は遅れ、相手に警戒心を持たせてしまったが、こちらにはヴァーリ・ルシファーという内通者がいるのだ。調整はどうとでもなる。今は『旧』などと呼ばれているが、真なる魔王の血族は偉大なのだから。

 何より、今回は強力で信頼できる助っ人がやってきていた。

 

「カテレア、ここにいたのか」

 

「クルゼレイ」

 

 魔法使いたちが集まる広場。壇上に立つカテレアの隣に、貴族服を着た男がやってくる。

 クルゼレイ・アスモデウス。旧魔王アスモデウスの血を継ぐ悪魔であり、カテレアの恋人でもある男だ。

 本来ならば襲撃に加わる予定など無かった彼だが、会談の日程がずれたことで暇ができたのだろう。開戦の狼煙ともいうべき今回の作戦に参加を申し出てきた。

 

「何もあなたまで来なくとも。私だけで十分なのですが」

 

「そう言わないでくれカテレア。俺とてキミにもしものことがあればと思うと心配なのだ。我らが共に戦えば一人と言わずもう一人……いや、全員葬ることもできるかもしれん。それに正直、ヴァーリは信用ならん」

 

 いくらオーフィスから力を得ているとはいえ、相手は仮にも勢力のトップ。カテレア個人としては、そこまで大きな戦果が出せるかどうかは微妙なところだと思った。しかし、彼の言葉には同意するところもある。

 

 ヴァーリ・ルシファー。

 

 悪魔と人間の混血児であり、現白龍皇。戦いのみを生きがいとする、敵にとっても味方にとっても危うい気性の少年。

 戦力としてこちらへ引き込むことができたのは幸運だが、彼が求めるのは支配ではなく闘争である。真なる魔王としての使命感を持たない彼は、結局のところカテレアたちと根本的に相いれない。

 スカウトした時と同じように、彼女たちには理解できない理由でいきなり寝返ることも十分あり得る。爆弾の様な存在なのだった。

 

「まあ、構いません。確かにあなたがいれば作戦の成功率も上がるでしょう。……ただ、死ぬことだけは許しませんよ」

 

「ふふふ、わかっているとも。何せ我らが新しき世界を創造した暁には、キミと共に次代の子供を作っていくことになるのだからな」

 

「もう……まったく。馬鹿なことを言っていないで、着いてくるのなら早く準備なさい」

 

 強い口調で言い放つカテレアの頬は赤く染まっている。いじらしい彼女の姿に、クルゼレイは微笑んだ。

 嫌でも目に入るその光景を見て魔法使いたちが心の中で悪態を吐く中、カテレアの目前に通信魔法陣が開く。

 

『カテレア・レヴィアタン、頃合いだ。仕掛けろ』

 

 ヴァーリの声だ。

 簡素極まる報告に、カテレアの眼鏡が光る。

 

「時は来ました! 今こそ新世界創造のための第一歩を踏み出す時! 出撃です!」

 

 号令と共に魔法使いたちが動き出す。一斉に構築された術式が眩く輝き、次々と目的地に続くゲートが開く。

 それを見届けて、カテレアは傍らの恋人に語りかける。

 

「さあ、我々も行きますよ。準備はいいですか、クルゼレイ?」

 

「既に完了している。行くぞカテレア」

 

 そうして二人もまたゲートを開き、足を踏み入れた。

 

 自分たちを未だかつてない危機が待ち受けているとは知らずに。

 

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

「――っ!」

 

「なんだ、これは……!」

 

 カテレア率いる軍団が見たのは駒王学園の校舎ではなく、漆黒に燃える大地だった。

 想定外の事態に狼狽する魔法使いたち。驚きに目を見開くカテレアとクルゼレイは、草木一本生えていない荒野に立つ人影を見つけた。

 

「あなたたちは……!」

 

 忌々しげにそれらを睨むカテレア。

 待ち構えていたのは魔王サーゼクス・ルシファーとセラフォルー・レヴィアタン、堕天使総督アザゼルに、天使長ミカエルといったそうそうたる面々。そして――。

 

「転移術式に介入された……? 謀られたという訳か……っ! やはり混じりものは信用ならんな、ヴァーリッ!!」

 

「騙して悪いが、約束してしまったんでね。お前たちも魔王の血をひくと言うのなら、一度真っ向からぶつかって見ればどうだ? 新しい景色が見えるかもしれないぞ」

 

 白龍皇ヴァーリ・ルシファー。

 カテレアたちから見れば寝返ったかたちになる少年は不敵に笑んで見せる。カテレアは激昂し、叫ぶ。

 

「ふざけたことを……! あなたとオーフィスの目的は一致していたはず、グレートレッドを倒せなくなっても良いと言うのですか!?」

 

「オーフィスに頼らなくとも、グレートレッドはいずれ倒すさ。しかし物事には順序というものがあることを再確認したんだ。急いては事をし損じる。魅力的なオファーはありがたかったが、人間一人倒せない俺が神に挑んだところで時期尚早と言う話だ。さて、やろうか――禁手化(バランス・ブレイク)

 

Vanishing(バニシング) Dragon(ドラゴン) Balance(バランス) Breaker(ブレイカー)!!!!!!』

 

 光翼を広げ手を前にかざして宣言すれば、煌めく鎧が装着され最強の白龍皇が姿を現す。

 迸る莫大なオーラを身体に受けて、カテレアの背後に浮かぶ魔法使いたちがどよめいた。

 今にも襲い掛からんとするヴァーリだったが、それを手で制して前に出る者がいた。サーゼクス・ルシファーとセラフォルー・レヴィアタンだ。

 

「クルゼレイ、カテレア、矛を下げてはもらえないだろうか? 今なら我々の間にも話し合いで解決できる道があると思うのだ」

 

「――サーゼクス! 貴様、ふざけているのか? 憎き天使や堕天使と手を組もうなどと言う偽りの王が、我々真なる魔王と何を話すと言うのだ! 侮るのも大概にしろッ、貴様はここで我らが滅ぼすッ!!」

 

「カテレアちゃん、こんなことはやめて!」

 

「セラフォルー! 私はあなたを殺し『レヴィアタン』の名を取り返します。覚悟なさい!!」

 

 怒りに身体を震わせながら、カテレアたち二人は懐より小瓶を取り出す。そして中に入った漆黒の蛇を取り出し、呑み込んだ。

 途端に総身から不気味な黒いオーラを溢れさせる。急激な力の高まりに大気が震え、旋風が吹き荒れた。

 

「あれがオーフィスから得たという力ですか。実に禍々しい。どうやら彼らの気性が激しく反映されているようですね」

 

「パワーだけなら大したもんだが、さて……。サーゼクス、交渉はもういいな?」

 

 凄まじいパワーアップを果たした敵に、ミカエルが感想を漏らす。アザゼルはサーゼクスに開戦の確認を取った。

 

「すまないが、もう少し待ってくれアザゼル。……これが最後だクルゼレイ、カテレア。降るつもりはないのだな?」

 

「くどいッ! 魔王気取りの愚か者が、今引きずりおろしてくれる!!」

 

「サーゼクス。あなたは良い王でしたが、我々の望む王ではなかった。故に我らが新しい王となります」

 

「カテレアちゃん……」

 

 その返答を聞いたセラフォルーは悲しげに眉を伏せる。瞑目しながら天を仰いだサーゼクスが目を開くと、その力強い瞳には決意が満ちていた。

 

「……残念だ。ならば仕方がない。二人とも、頼む」

 

「委細承知」

 

「了解にゃん」

 

 サーゼクスの言葉と共に、彼の背後から二人の影が姿を現す。

 一人は長身痩躯の男。漆黒の髪と同色の瞳、猛禽類に似た目つきは刃の鋭さ。触れれば斬れる斬撃の化身、剣鬼・暮修太郎。

 もう一人は闇色の美女。黒髪に着物、輝く黄金瞳に嗜虐的な光を湛え、猫耳と二股の尾を楽しげに動かす。黒猫・黒歌。

 闘気と妖力を纏った黒歌がひとり前へ出て宣言する。

 

「ふふふん♪ 最近はなんだかんだでシュウばっかが戦ってたからフラストレーション溜まりっぱなしだったにゃん。そんじゃ、約束通り今回は私だけでやるからシュウは休んでるのよ? ヴァーリも手出しちゃダメにゃん」

 

「あまり力みすぎるなよ。二人とも殺してしまっては情報が手に入らない」

 

「俺もか……。病み上がり後のいい運動になるかと思ったんだがな」

 

 黒歌の言葉を受けて、剣鬼と天龍が後方に控える。

 人を舐めたようなやり取りに、対峙する旧魔王派の二人は激昂した。

 

「悪魔もどきが……しかも一人でだと……? そのような輩に俺たちの相手をさせようと言うのか、サーゼクス!! 愚弄するにもほどがあるぞ貴様ッ!!」

 

「そちらがその気であれば良いでしょう。手始めにその醜い半獣から血祭りにして差し上げます」

 

 二人はドス黒く染まった魔力を練り、破壊力が凝縮された塊を作った。

 その魔力はオーフィスから借り受けた力により前魔王クラスにまで引き上げられている。決して侮れるものではない波動を前に、しかし黒歌の笑みは消えない。

 

「愚弄してるのはどっちかしらん? 私、こう見えて強いのよ?」

 

「ほざけッ!!」

 

 カテレア、クルゼレイの手から魔力波動が放たれると同時、背後の魔法使いたちからも攻撃魔法が降り注ぐ。辺り一帯を埋め尽くす光の雨は、後ろに下がった三大勢力トップたちも巻き込む規模だ。

 その威容を目の前にして黒歌が静かな動作で手を振りかざせば、異空間の鞘から倶利伽羅剣が抜き放たれた。

 

「――起きなさい『黒炎陣』」

 

 刃より発せられる力のうねりは刹那、目前の大気が黒く燃え上がり、瞬く間に大きく広がって黒き波濤となる。

 黒炎の津波が迫る攻撃を悉く飲み込んだ。三毒燃やす炎によって、編まれた術式が燃え、込められた魔法力が燃え、そして悪魔の異能である魔力すらも灰燼と消えていく。

 炎が消えたその跡には、何も残っていなかった。

 

「なん、だと……?」

 

「そんな馬鹿な! 力を高めた私たちの攻撃が……!?」

 

 唖然とする二人をよそに、倶利伽羅剣が舞うように閃き、刃の軌跡が術式を描く。それに共鳴するかの如く燃える大地が裂け、無数の火柱が立ち上った。

 

「浄化の炎が魔力を燃やす。あなたたちはもう私の手の平の内よ。安心するにゃん、肉体までは燃やさないから」

 

 旧魔王派の面々が転移したのは確かに駒王学園だ。開いたゲートの術式に異常は無かった。ただ、転移してきた座標にあらかじめ黒歌が結界を展開していただけのこと。

 対悪魔・魔法使い用の封殺結界『黒炎陣』。

 指名手配犯として悪魔に狙われることの多い黒歌が考案した、倶利伽羅剣の特性と仙術結界の混合秘術。この場においてあらゆる魔的な働きは瞬く間に燃え尽きる。そして今、黒歌は待機状態にあった機能を動かした。

 それが意味するところは、つまり。

 

「ま、魔法力が減っていく……!?」

 

「術式が崩れる……! 攻撃が……魔法が使えない!!」

 

「飛行魔法が維持できない! お、落ちる!」

 

 狼狽する魔法使いたち。

 それもそうだろう、彼らの力は魔法あってこそ。その源たる魔法力も術式もまともに機能しなくなっているのだ。

 魔法を使う力を失い、魔法使いたちは続々と地に落ちていく。そうして幾ばくもしないうちに、残っているのは二人の悪魔だけになった。

 

「ば、馬鹿な……。こんな馬鹿なことが……」

 

 あれだけいた魔法使いがたった十秒足らずで無力化された。

 ただ殺されるだけならば想定していたが、まさか大した攻撃のアクションも見せずにこれとは。しかも援軍を送るためのゲートまで消し飛ばされたため、これ以上の戦力補充は望めない。

 転移も不可能とくれば、退路は完全に断たれたも同然。

 

「……問題はありません。私たちが勝利すればよいのです」

 

 幸いにしてカテレアとクルゼレイの魔力は失われていなかった。それでも徐々に削られている感覚が止まらない。すぐに決着を付けなければ、いずれ敵わなくなるだろう。

 

 カテレアはその手に握る杖を構える。クルゼレイは亜空間より一振りの剣を取り出した。

 外部放出した魔力は先ほどと同じく瞬く間に燃やし尽くされる。それならばと器物に魔力を通わせて、それで叩く。

 地に降り立った二人は身体強化に魔力を注ぎ、並の『騎士(ナイト)』を凌ぐ速さで疾走する。

 

 二方向から迫る敵に対し、黒歌は不敵な笑みを作って迎え撃った。

 

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

 

「サーゼクス殿、皆さまと共に結界の外へ。これより先、この場の環境は悪魔にとって辛いものとなります」

 

「……そのようだ。わかった、では彼らの相手はキミたちに任せよう」

 

「修太郎くんも黒歌ちゃんも怪我しちゃダメなんだから☆ レヴィアたんとの約束よ?」

 

「私たちにはさほど影響は無いようですが、戦いの邪魔になってはいけません。行きましょうアザゼル」

 

「俺はちょっと見ていきたいんだが……。ちっ、わかったよ。だからミカエル、鬱陶しい目でこっち見んじゃねえ」

 

 修太郎の言葉を受けて状況を把握したサーゼクスを筆頭に、三大勢力トップは全員結界の外へ転移した。

 場に残っているのは修太郎とヴァーリ、黒歌の三人と、旧魔王派の二人。そして落下の衝撃で身動きできない魔法使いの一群だけ。

 

「悪魔にとってふざけた結界だな、これは。俺でさえ碌に魔力が練れない」

 

 白龍皇の鎧に包まれたヴァーリが呟く。試しに魔力弾を作ってみたところ、瞬時に霧散したのだ。

 龍のオーラで肉体を包めば体内魔力の減少は防げたが、魔王並の魔力質量を持つヴァーリでさえこれだ。如何にオーフィスの力を受けて強化していようとも、旧魔王派の二人にとってはほとんどの攻撃手段を封じられたようなものだろう。

 

「最上級以上の悪魔とその眷族を同時に迎撃することを想定して作られた術だ。欠点はクロ自身も魔力を封じられるところだが、あれには妖力と闘気がある」

 

 隣に立つ修太郎が解説する。

 相手の持ち味を封じたうえで自らの持ち味を発揮するという、理不尽が具現化したかのような結界だ。

 

「唯一の打倒手段は接近戦だが……彼女は剣術までこなすのか。まさか、キミが教えたわけじゃないだろうな」

 

「俺に師としての能力は無い。基礎は闘仙勝仏殿に、剣術と体術はスカアハ殿に教え込まれている」

 

「……それはまた、凄まじい面子だな」

 

 視線の先には黒歌とカテレア、クルゼレイの三人が戦いを繰り広げている。

 中国拳法ベースの流れるような動作で振るわれる剣が、敵の攻撃を悉く逸らしていく。闘気の淡い光を纏う黒歌は、二対一の状況にあってさえ互角に勝負を運んでいた。

 

「敵の練度も中々だ。それなりに戦闘経験はあるらしい」

 

「現魔王派と過去戦争をやっていたこともあると聞くから、ある程度はやるだろう。俺とやっても意外と面白い戦いになったかもしれないな。もったいないことをした」

 

 修太郎の評価にヴァーリが補足する。

 プライドの塊と聞いていたから誤解していたが、自信を裏付けるだけの実力は持ち合わせていたようだ。

 前衛のクルゼレイが威力の高い剣撃を繰り出し、その穴をカテレアが杖術で埋める。中々良いコンビネーションだった。個人の技量としては黒歌が勝っているだろうが、敵の二人が終始冷静に一切の焦りを見せず事を運べば、あるいは付け入る隙を作れるかもしれない。

 

「だが無理だ。この陣が発動した今、純血悪魔ではクロに勝てん」

 

「ほう、随分な自信だ。俺としてはキミがやった方が早いと思うんだけどな」

 

「ヴァーリ、お前は何か勘違いをしている」

 

「どういう意味だ?」

 

 意図の不明な修太郎の言葉に、ヴァーリは疑問符を浮かべた。

 ヴァーリとしては自身を下した修太郎ならば、あの二人の悪魔を容易く破ることができると踏んだのだが。

 

「お前は知らんだろうがな。強い弱いを判じて言うなら、クロは俺より強いぞ」

 

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

 

 クルゼレイの放った渾身の一撃が大地を割る。

 剣先より迸る魔力波動は直後に燃え去るが、生まれた衝撃までは消せない。巻き上がった礫が衝撃波に乗って広範囲に飛び散り、弾丸の雨と化す。

 敵はそれを受けて、しかしその笑みにわずかの陰りさえ見せず剣から炎を噴き上げ相殺する。

 

「にゃははははっ!!」

 

 遊ばれている。

 膨大な魔力を込めた杖を振るう中、カテレアはそう感じた。

 目の前を舞う転生悪魔、黒猫の半獣は恐るべき力を持っている。クルゼレイの剣もカテレアの杖も、悉くが受け流されまるで当たらない。必殺の意志を込めて大きな攻撃を放っても、先ほどのように容易く打ち消される。

 しかしそれでいて何故か相手の反撃が来ない。翻弄するかのような動きで逃げ回るだけだった。

 

「貴様ァ……ッ!!」

 

 クルゼレイもその事実に気づいていたようだ。表情を忌々しげに歪め、憎悪の視線を敵に向けている。かつて否定した『悪魔の駒(イーヴィル・ピース)』の転生悪魔によって、今まさに窮地に立たされたこの状況。彼にとって、そしてカテレアにとっても屈辱極まる事態だった。

 その様子を見て黒猫はますます笑みを深くする。

 

「ほーらほら、あなたたち運動不足なんじゃない? 普段から身体を動かさないからこういうことになるにゃん」

 

「黙れ畜生風情がッ! 今滅ぼしてくれる!」

 

「いけない、クルゼレイ!!」

 

 顔を真っ赤に激怒して、一人敵へと特攻するクルゼレイ。嫌な予感がしたカテレアは制止の声を放つが、もはや遅かった。

 黒猫の背後、燃える車輪が現れる。

 

「――火車(カシャ)。黒炎ブレンドの特別製よ」

 

 その数七つ。全てが黒炎を吐き出しながら、疾風を超えて駆け抜けた。

 一つ目、二つ目を剣で受け止めたクルゼレイだったが、三つ目の車輪を受け止めた途端に込めていた魔力ごと武器を破壊される。そのまま殺到する火車に為す術無く吹き飛ばされれば、彼方で大爆発が巻き起こる。

 その光景をカテレアは信じられないといった目で見つめ――。

 

「きっ、貴様ぁぁッ!! よくもクルゼレイを!!」

 

 高速で接近し、杖を大きく振りかぶる。武器から溢れるほど莫大な魔力を込めた一撃は、後先考えない全力だ。当たればこれで終わるだろう。

 そして何故か黒猫は躱さない。不幸だったのは、それを不思議に思うほどの思考力をその時のカテレアが持たなかったことだ。

 

 黒猫はにやりとほくそ笑み、片手で刀印を結ぶ。

 神速の思念詠唱と共に、妖力で描かれる水天(ヴァルナ)真言(マントラ)

 杖を振り下ろすカテレアの眼前に突如銀の盆――水で出来た鏡が現れる。それを割った瞬間、途方もない衝撃が彼女の身体を貫いた。全身から鮮血が吹き出し、それと共に力抜け倒れる。

 

「……な、なぜ?」

 

「なぜもなにも、あなたは自分を攻撃したの。ただそれだけにゃん?」

 

 黒猫――黒歌が行ったのは妖術による呪詛に神々のマントラを被せ、疑似的な『神罰』を再現する術法だ。水鏡に映ったカテレアは彼女の現身。それを攻撃するということは自身を攻撃することに等しい。

 条件さえクリアしていれば、たとえ魔王級の威力を備える攻撃だろうと問答無用で跳ね返す秘術である。

 

「それにしてもこの陣と水鏡、相性悪すぎ。半分くらいしか威力でなかったにゃ。でも意外とあっけないのね。ま、いくら才能があったって、辺境に引っ込んでばかりじゃこんなものってことかしらん?」

 

 つまらなそうに呟く黒猫。しかしカテレアには反論出来るほどの体力が残っていなかった。

 魔力も使えず、接近戦でも敵わない。完敗だ。完全無欠に彼女達は負けた。

 下劣なる転生悪魔ごときに負けるなど、こんなことは認められない。そう思っても身体は動かず、悔しさのみが心に溢れる。

 

「ほんじゃ、ちょちょいとにゃーん」

 

 術式の帯がカテレアを縛るために編まれていく。

 そのまま為す術も無く拘束されようとしたところ、突如目前の地面が割れた。

 

「――!」

 

 燃え上がり、灰と消えながらも迸るドス黒い魔力のオーラ。飛び出してきた無数の触手が、黒猫を絡め取る。

 割れた大地より現れたのは、先ほど吹き飛ばされたクルゼレイ・アスモデウスその人だった。

 

「クルゼ、レイ……?」

 

「逃げろカテレア!! 忌々しいが我らはこやつに勝てん!」

 

 左半身を失い、おびただしい量の血を流しながらクルゼレイが叫ぶ。肉体の使い物にならない部分を強靭な触手に変え、燃える魔力を振り絞りながら黒猫を縛り上げていた。

 

「しか、し……私には、もう逃げるほどの力が……」

 

 かすれた声で諦めの言葉を吐く。傷ついた身体はもはや限界、第一にこの場では魔力による術式を展開できない。転移もできずにどうやって逃げるのか。

 するとクルゼレイが懐から何かを取り出す。一本の触手がカテレアの下に伸び、その何かを砕いた。降り注ぐ雫の煌めき。

 

「これは、フェニックスの涙……?」

 

 悪魔界における至高の回復薬、フェニックスの涙。

 現魔王派ならばともかく、旧魔王派においては極めて入手の難しいそれを、他ならぬ恋人のためにクルゼレイは用意していた。

 

「退路は俺が切り拓こう! ……さらばだ、カテレア。息災でな」

 

「クルゼレイ……!?」

 

 クルゼレイの全身に術式の紋様が浮かび上がる。

 膨大な悪魔の全生命力を全て破壊エネルギーと変える自爆術式だ。如何な黒炎といえども体内に展開される術まで燃やすことはできない。これの直撃を受ければ魔王とて消滅は必至、ダメ押しと言わんばかりに命を削って相手の肉に直接触手を食い込ませれば、もはや黒猫に逃れる術は――。

 

「盛り上がってるところ悪いんだけどにゃー。ごめんなさい、茶番に付き合う暇はないのよね」

 

 再び結ばれる刀印。渦巻く風神(ヴァーユ)真言(マントラ)

 暴風が吹き荒れ、土煙が舞い上がる。次の瞬間、クルゼレイの触手は空を掴んでいた。

 

「ばかな……!」

 

 呆然とするクルゼレイ。自爆術式はもはや止められない。

 焦りに頭を支配され、敵の姿を探せばすぐに見つかった。

 それは二人のはるか上空、地を卑睨する冷たい黄金瞳に戦慄する。

 

「ざーんねん」

 

 妖術とマントラの重ね技、権能模倣『風の化身』。

 その身を疾風と変えた黒猫の手により、悪魔の命を賭した行動は意味を無くした。

 黒猫は、絶望に固まり不気味な触手のオブジェと化したクルゼレイへと巨大な黒炎球を撃ち落とす。

 立ち昇る火柱の中で、魔力の全てと最後の頼みである自爆術式を諸共に消し飛ばされたクルゼレイは、そのまま全ての意識を断った。

 

「く、クルゼレイ……?」

 

 崩れ落ちる恋人を見て、放心するカテレア。回復した身体で立ち上がることすら忘れて男の下に這いずれば、信じられないことにまだ息があった。

 

「安心するにゃ、あなたたちは殺さない。敵の情報全部吐き出した後に、冥界で裁判にかけられて処罰を受けるのよ。これが今生の別れじゃなくて良かったにゃー」

 

 背後に降り立つ黒猫の言葉はこの上ない屈辱だった。

 誇り高き真の魔王たる我々が、汚れきった偽りの魔王どもに手で処断される。さらし首よりもひどい醜態を平然と語られて、カテレアの頭に血が上る。

 まるで路傍の石が如く一蹴されたクルゼレイのこともあり、彼女の頭からは今回の作戦など消え去っていた。

 

「貴様ァァァァァーーーーーッ!!」

 

 殺す。殺す。殺す。何があってもこいつは殺す。

 殺意と憎悪がオーフィスに与えられた力と呼応して、漆黒のオーラが噴出する。燃え散るそばから命を削り魔力を生みだしながら、うねる破壊波動と共にカテレアは特攻した。

 

 魔王級の力が完全開放されれば、如何に黒炎結界が強力であろうと燃やし尽くすまでそれなりのタイムラグがある。

 暴走し始めたカテレアの姿に黒歌は一つ舌打ちをした後、疾風に変化し距離をとった。

 

「まあ予想はしてたけど、完全に捨て鉢になられちゃこっちが困るにゃん。――という訳で」

 

 倶利伽羅剣の一振りで、黒炎陣が停止する。

 魔力の燃焼が無くなったことでカテレアの魔力はその質量を大きく増した。黒々としたオーラで尾を引き疾走する姿はもはや漆黒の蛇そのもの。それは無限の龍神(ウロボロス)の力を借り受けた証左だった。

 

「死ねェェェーーーーーーッ!!」

 

 絶叫するカテレア。

 対する黒歌の表情に焦りは微塵も無い。妖力と闘気と、己が身に眠らせていた魔力を解放する。三色のオーラが光り輝く柱となり、両手で印を組む彼女の身体を練り上げた術式が取り巻いていく。

 魔力、仙術、妖術、マントラ、原初のルーン、北欧式、ゾロアスター式……無数の異なる体系が織りなす力を取り込んで、それは姿を現した。

 

 おどろに燃える黒い炎の身体、爛々と輝く黄金の瞳、巨大な肢体はしなやかに狩猟者を体現し、九つに分かれた尾が大気を切り裂く。

 

 ――超絶変化、秘術『炎身大魔猫』。

 

 三位一体に高まった力が周囲の景色を歪ませる。圧倒的な存在の出現が、結界そのものを吹き飛ばそうとしていた。

 

 黄金瞳が閃くと、その疾走は音より速く。カテレアは認識すらできない。

 神速で目の前に出現した大魔猫より黒炎の前脚が無造作に振るわれれば、それだけで総身の魔力が燃え尽きた。

 

『これでおしまい』

 

 自身を満たしていた力が一気に消失し、唖然とするカテレア。

 魔猫の言葉すら理解できないまま、迫る前脚を見たのを最後に彼女たちの計画は終わりを告げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

 

「おい暮修太郎、何だ今のは」

 

「クロの戦闘形態だ。一時的に神格クラスに通用する力が出せる。いわばお前たちで言う『覇龍(ジャガーノート・ドライブ)』のようなものだな」

 

 戦闘が終わって直後、珍しく動揺をあらわにするヴァーリに修太郎が答える。

 黒歌は倒れたカテレアに封印処置を施すためか、遠くで術式を展開していた。

 

「『覇龍』相当とは……。彼女は魔王よりも強いと言うことか?」

 

「相性を考えるなら、クロが魔王に勝てる可能性は高い。しかし……」

 

 対魔力特効を持つ『炎身大魔猫』は、悪魔や大半の魔法使いに対して無敵に等しい威力を発揮する。しかしその特性上、非常に不安定であるため消耗度合いが凄まじく、全力戦闘を行えば3分と保てない。以前スカアハに挑んだときは、これを突かれて容易く打ち破られた過去がある。

 それ故に、おそらく先ほどの二人よりもはるかに強いだろう現魔王と戦っても必ず勝てるとは言えない。

 

「何にせよ、それは今後の話だ。今考えることではない」

 

「……なるほど世界は広い。キミに気を取られて見逃していた。なあ暮修太郎、彼女と戦っても構わないか?」

 

「構わんが、今やるなら俺も同時についてくる。今度は死ぬが、それでもいいか」

 

「…………なら今は止めておこう。あいつらにああ言った手前、急いてはいけないな。それはそれでとてもそそられるが仕方ない」

 

 かなりの間が空いて、ヴァーリが答える。

 つまり強くなったら挑みに来るということだ。修太郎は内心で面倒なことになったとため息を吐く。

 

「ヴァーリ、お前は会談が終わった後どうするつもりだ。『禍の団』入りはこれで無くなったのだろう?」

 

「キミが以前薦めたとおり、旅にでも出るさ。その前にまた色々ごちゃごちゃしたものを片付けなければいけないが……まったく、裏切りも寝返りもやるものじゃないな」

 

 ぼやくヴァーリに「当たり前だ」と返す。

 三大勢力の和睦前と言うこともあり、今回の一件におけるヴァーリの処遇はアザゼルたちに一任されている。直接の被害は出ておらず、また情報提供という貢献もあって悪いようにはならないだろう。「これを機に勢力追放ともなれば好きに動けていいんだが」とはヴァーリの弁だ。

 

「二人だけで何話し込んでるのよ。こっちは終わったから、あそこで団子になってる魔法使いどもの捕縛、早くやっちゃってちょうだいにゃ」

 

 作業が終わった黒歌より声がかかる。

 見れば術式に縛られてミイラ染みた様相のクルゼレイ・アスモデウスらしきものを傍らに浮かべ、倶利伽羅剣を握っていない方の手で何やら引きずっていた。

 褐色の肌に大きさの合わない衣装と眼鏡――どこかで見たような気がする雰囲気の、幼い女の子だ。

 怪訝な顔でそれを見た二人の男に、黒歌が笑いながら答える。

 

「ちょっと前に思いついた封印術を試してみたの。魔力90%封印! 身体能力抑制! 反骨心低下! 超複雑に術式編み込んだから自力じゃ絶対解けない仕様! 副作用で子供になっちゃったけど、可愛いから別にいいにゃん?」

 

「つまり――」

 

「その幼女は――」

 

 カテレア・レヴィアタン。

 

 何をしてくれてるんだろうこの猫は。

 ドヤァ……と胸を張る黒歌の額にデコピンを浴びせた修太郎は、悲鳴を上げる彼女をよそにどう報告したものか頭を悩ませるのだった。

 




黒歌無双。何このボスキャラ。
大魔猫=覇龍あるいは極覇龍みたいな感じ。

指名手配かかってるので対悪魔メタ満載です。
黒炎陣は主人公と組み合わせると超凶悪。
相手は接近戦しかできなくなるので、死にます(直球)。

思えば原作グレモリー眷属も悪魔メタ充実してますね。雷光の女王、聖剣・聖魔剣の騎士二人に、イッセーも何気に聖剣持ちですし、小猫も浄化の気を覚えてます。
エクスデュランダルの聖剣貸し出しは卑怯臭いと思うんですが、それは何も言われないんだろうか。
ギャスパーの禁手もどきが封印されても、レーティングゲームの相手は泣くしかない。

ヴァンパイア、まだ続きます。

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