剣鬼と黒猫   作:工場船

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第二十七話:魔人《その1》

「大丈夫ですか? 小猫ちゃん」

 

 かけられた声に目を開く。

 顔を上げればアーシアが心配げな表情でこちらを見つめていた。

 

「……はい。だいじょう、ぶ、です」

 

 答える小猫の頭はふらついている。

 まるで夢中の如く意識は曖昧で、ひどく身体が重い。一言声を返すことすら億劫だった。

 傍らに座るギャスパーもぼんやりと宙を見つめ、心ここに在らずといった様子だ。

 

「体調が悪いのでしょう? 無理をしてはいけないわ。ギャスパーと一緒に部室で待機していなさい」

 

 どう見ても大丈夫ではない様子の小猫とギャスパーにリアスが言い放つ。

 どちらにせよギャスパーは自らの神器をコントロールできないため会談の場に立つことを許されていない。体調が思わしくないなら尚更である。

 

「すみません、部長……。ここで、休んでいます」

 

「……ごめんなさい、部長」

 

 主の言葉に二人はゆっくりと頷く。

 その時、部室の扉が開き木場祐斗が入ってくる。

 

「部長、魔法使いたちの拘束が終わりました」

 

「ご苦労さま。怪我は無いかしら?」

 

「ええ、うまく不意を突けたので僕もイッセーくんもゼノヴィアもみんな無傷です」

 

 彼ら三人はギャスパーを捕えるために転移してきた魔法使いの一団を待ち構え、迎撃する役割を担っていた。

 報告によれば魔法使いたちは、一誠の武装解除――もとい洋服破壊(ドレス・ブレイク)を受けたのち拘束されたようだ。相も変わらない下僕の仕業にリアスは呆れて一つ溜息を吐く。

 

「何にしても、無事でよかったわ。それじゃ、後は彼女たちを引き渡して会談の開始を待つだけね」

 

「サーゼクスさまの方も無事終わったとの連絡も来ましたし、そう時間はかからないと思いますわ」

 

 通信魔法陣を消しながら朱乃が答える。

 どうやらあちらもうまくいったらしい。ここからでは結界の中で繰り広げられた戦いの様子を窺うことはできなかったが、正直な話リアスは微塵も心配していなかった。

 三大勢力トップが揃い踏み、且つ白龍皇とあの剣鬼に加えて黒歌がいるのだ。むしろ敵の方が可哀想に思えてくる。

 

 ちなみにヴァーリと暮修太郎が決闘を行ったことはこの場の全員が知っている。

 ゼノヴィアなどは戦闘映像を見たいと申し出てきたが、生憎と映像データは現在サーゼクスの下で保管されている。今すぐの開示は難しいだろうとのことで、一誠が質問攻めにあっていた。

 

「そうだ祐斗。ギャスパーと小猫の具合が悪いみたいなの。会談中の世話を頼めるかしら?」

 

「ギャスパーくんと小猫ちゃんが? わかりました。そういうことでしたら、任せてください」

 

 木場が快い返事を返すと、再び部室の扉が開く。

 担当の悪魔へ魔法使いを引き渡す作業を終えた一誠とゼノヴィアが入ってきた。

 

「部長、敵の引き渡し完了しました!」

 

「思ったよりも骨の無い相手だった。少し拍子抜けだね」

 

「ええ、二人ともよくやってくれたわ」

 

 労いの言葉に元気よく敬礼のポーズをとった一誠は、ソファにぐったりと座る後輩二人を見つけた。

 

「あれ、小猫ちゃんたちなんだか調子悪そうですけど、どうかしたんですか?」

 

「最近色々と事件続きだったから、きっと疲れが出たのかもしれないわ。ギャスパーも外に出たのは随分と久しぶりだし……。会談が終わったら一度医者に診てもらった方がいいわね」

 

「もしかして私のせいだろうか? 小猫はともかく、ギャスパーは無理に連れ出してしまった部分がある。すまなかった、ギャスパー」

 

「いえ、ゼノヴィアさんのせいじゃ、ありません……。これはきっと、僕自身の、問題ですから」

 

 ゼノヴィアの言葉に眠たげな口調で答えるギャスパー。小猫もうつらうつらとして、今にも寝てしまいそうだ。

 心配げな一誠とゼノヴィアに、木場が進み出る。

 

「心配いらないよ二人とも。会談中は僕がここに残って見ておくから」

 

「おう、頼むぜ木場」

 

「そうか、木場がいるというなら安心だな」

 

 そうして彼らは会談の開始を待つ。

 今まで殺し殺されの関係にあった三大勢力が和合するという歴史的なこの瞬間、それぞれが様々な思いを抱きながら時間を過ごす。

 旧魔王の脅威は過ぎ去った。この時を妨げる者はもういない。そう信じるが故に警戒心は最小に、忍び寄る影を認識できない。

 

 時はただ前へ進む。

 

 開催はもうすぐだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ハハハハハハハハハハハッ!! 旧魔王さまが幼女化ぁ? おいおい何だそりゃ、傑作だな!!」

 

「申し訳ありません。なんとお詫びしたらよいものか……」

 

 アザゼルが修太郎の話を受けて笑い声をあげる。

 会談前の会議室、黒歌と修太郎は旧魔王一派の捕縛が完了した旨を報告しに来ていた。

 

「……封印措置ということであれば仕方がないとして、肝心の情報を話すことは可能か。まず問題とすべきはそこだが……どうかな?」

 

 謝る修太郎に微妙な顔のサーゼクスが尋ねた。同時に給仕係のグレイフィアが会議のテーブルにつく4人へと飲み物を注いでいく。

 

「記憶や人格に直接的な影響をもたらす効果は無いとのことなので、そこは問題ないかと。……そうだな? クロ」

 

「はい、大丈夫。肉体の影響で精神的に少し幼くなるかもしれないけど、それだけです。……たぶん。うにゃーん!?」

 

 修太郎の手が常人にはそれとわからない速さでブレて、黒歌が悲鳴を上げる。

 涙目の黒猫をよそに話は進む。

 

「子供のカテレアちゃん、見てみたいわ☆」

 

「話が聞けるのならばこちらとしては特に問題無いが……流石に面白がっては彼女が可哀想だろう」

 

「解こうと思えばできるようなので、用意が整えば解除させましょう」

 

「いや、別にこのままでいいんじゃねえか? その封印術で話が聞きやすくなるってんなら願ったり叶ったりだろう。そうじゃなきゃあの手の相手は死ぬまでだんまり決め込むぜ」

 

「アザゼルの意見も一理あります。まずは何よりも敵の情報。彼女の身体のことはその後でも良いでしょう。あるいは封印術の解除自体が交渉のカードになるかもしれません」

 

「おーおー、天使長さまは顔に似合わず腹黒いこって。何にせよ、その問題を解決するのは後でいいさ。カテレア・レヴィアタンには悪いがな」

 

 いくらか話し合った結果、カテレアの処遇は後回しとなった。

 報告を終え、退出しようとする修太郎たち。するとアザゼルから声がかかる。

 

「まあ待て暮修太郎。もうすぐ会談も始まる。なんなら立ち会っていけよ」

 

「自分はただの雇われ……部外者です。このような重要な場に顔を出すわけにはいきません」

 

「そう言うとは思っていたがな。お前さん、どこの勢力に属している訳でもないんだろう? 以前は日本の神に従っていたようだが、今は違うみたいだしな。正直な話を言えば、今回の勢力和合についてどこの神話にも属さない『人間』としての意見を聞きたい。どうだ? 『英雄』さまよ」

 

 サーゼクスたち魔王とミカエルもまっすぐに修太郎を見つめてくる。

 アザゼルの意見には両者とも賛成のようだった。

 

「……自分はそのような大それた者ではありません。ただ為すべき時に為すべきことをしただけに過ぎない」

 

 しばしの間をおいて答える修太郎。瞑目し、そうして目を開き、話を続ける。

 

「普通に考えて今まで反目し合っていたあなた方が急に和平を宣言し組むとあれば、それは『危機』の予兆として判断されるでしょう。真偽はともかく、そう思わざるを得ない」

 

 聖書の三大勢力は今現在世界で最も多くの者が認識する存在だ。

 知名度という点で言えば断トツに高く、また人間界に深く根を張る彼らが与える影響は凄まじく大きい。たとえ神話の中枢を成す神や魔王がいなくとも、その宗教的基盤は堅牢にして堅固であり、他神話勢力にとっても決して侮れるものではないだろう。

 何より、事情を知らない人間が三者和合の話を聞けばまず戸惑い、そして脅威と感じる。これはイメージ的な問題だ。

 しかし――。

 

「ただ、個人として言わせていただくならば、そこまで興味は湧かないのです」

 

「興味が無い、と来たか。何故だ?」

 

 アザゼルの問いに頷く。

 

「あなた方が種の存続を願う理由は理解できる。それは、命ある者として当然の判断でしょう。おそらく多少の混乱が起こるとしても、時流と思えば仕方がないと受け止めます。その上で、自分はそれに関心が持てません。何故ならば、どうあっても自分がやることは変わらない」

 

「為すべきことってやつか? それはいったいなんだ?」

 

 強者四人の視線を受けてなお、修太郎は動じない。その漆黒の双眸で彼らを見据え、静かに口を開く。

 

「無辜の民を邪なる力より護ること。そして――」

 

 傍らの黒猫に視線を移す。

 彼女はきょとんとしながら輝く黄金の瞳でこちらを見上げてくる。

 わずかな、本当にわずかな笑みを浮かべた修太郎は、視線を四人の方向へと戻し、続けた。

 

「クロ――黒歌を助け続けること。何が変わろうと、何が目の前に立ちはだかろうと、これだけは譲れない」

 

 響く声は低く鋭い。

 断固とした決意が大気を震わせ、何よりもその刃の如き視線が言葉の真実を物語る。

 

「……言い切ったな。それはたとえ俺たち全員が敵になってもか?」

 

「無論」

 

「神々と戦うことになっても?」

 

「当然」

 

「世界の全てを相手にしても?」

 

「存在の総てを賭けて」

 

 二人の視線が交差する。

 そしてアザゼルは確信した。おそらくこの場の誰もが同じように感じ取っただろう。

 この男は本気だ。出来る出来ないではなく、そうと決めたら必ずやる。どこまでもまっすぐに、己の何をも顧みず、そして相手が何であろうとも、一矢報いるだけの力がある。

 旧魔王の末裔が掲げるプライドなど比較にもならない。この強靭極まる意志力が、戦闘において種族を超えた驚異的な力を生み出しているのだ。

 

「はっ、そりゃあ確かに興味が湧かないだろうな。じゃあ何だ、今お前がこの場で仕事してるのは全部そこの悪魔のためか」

 

「はい」

 

 即答する。

 その様子にとうとうアザゼルはくつくつとした笑いを漏らした。

 

「お前は馬鹿だな」

 

「よく言われます」

 

「長生きできないぞ」

 

「ただ生きるだけの人生など必要ありません」

 

「だろうな。引き留めて悪かった、引き続き警護よろしく頼むぜ。お前の言う『厄介な奴』が来るかもしれないからな」

 

 アザゼルの言葉に首肯で答え、会議室を後にする。

 自然体で去る男をよそに、黒歌の顔は真っ赤になっていた。あまりの恥ずかしさにぷるぷると身を震わせて、言葉も無い様子だ。

 そうして遅れること数秒、慌てたように黒歌も退出して行った。

 

 二人が去った会議室で、堕天使総督は口を開く。

 

「おい、サーゼクス。俺の伝言をお前が聞いてるかどうかは知らないが、あの男を引き入れるなら早めにしとけ。そうでなければちゃんと雇用契約を結ぶことだ。あんなのに横から殴られたらたまったもんじゃない」

 

「聞いているとも。今現在検討しているところだ。しかしなるほど、彼は……危うい」

 

「聞けば彼は『神殺し』を成しているのだとか。それ故にでしょうか、彼にとってはおそらく我々も他神話の神々も『殺せる存在』――『生物の一つ』でしかないのでしょう。欠片の信仰心も感じられません。以前より把握はしていましたが、私たち天使の側には引き込めませんね」

 

「いい子だとは思うんだけど……。でも黒歌ちゃんは悪魔だし、何とかなるんじゃないかしら☆ 愛は無敵なのよ!」

 

「愛……ねぇ。そんな単純な話ならいいんだがな」

 

 小さな呟きは虚空に消える。

 どちらにしても、この話は本日この場で行うべきものではない。

 アザゼルは手を二度叩き、話を中断させる。

 

「まあ、何にせよ前座は終わった。とっとと本題に入ろうぜ。つっても事前の打ち合わせが充実し過ぎて出来レース感が酷いが……」

 

「……そうだな。今リアスたちを呼ぼう」

 

 サーゼクスの要請を受けてグレイフィアが通信魔法陣を開く。

 

 会談が、始まる。

 

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

 

 会談は問題なく進む。

 何しろ三者ともに通信で事前に話は通してあるのだ。時折アザゼルが不穏な発言を挟むことすら予定調和的に、順調とも言えるペースで進行していた。

 リアス・グレモリーによるコカビエル襲撃事件の説明、これに堕天使側が弁解する。一誠の質問にミカエルが天界の『システム』について説明し、アーシアやゼノヴィアが教会を追放されたことに関する謝罪を述べた。

 アザゼルの問いに白龍皇は強さを追い求めることを宣言し、赤龍帝は己が性欲に従い和平を求めることを告げる。

 

 そうして会談の最後。

 魔王ルシファー、天使長ミカエル、堕天使総督アザゼルの名において和平協定への調印が成された。

 この協定は会談が行われた場の名をとって『駒王協定』と呼ばれることとなる。

 かくして聖書の三大勢力は協調体制へ――。

 

「――と言ったところか」

 

 中天の月を背にして漆黒の影が浮かぶ。

 枯れた白髪、端正な容貌の少年――フリード・セルゼン。

 しかしながらその恰好は普段と違い、闇色の軍装を纏っている。軍帽の影より見える瞳の色は黄金、縦に裂けた瞳孔は龍のそれ。今の彼はフリードではなかった。

 夜の風に外套(マント)がなびく。少年の姿を借りた魔人が直下の駒王学園を卑睨する。

 闇を切り取る純白の手袋――その甲には無限龍(ウロボロス)に囲まれた五芒星(セーマン)。刀印と共に練り上げた呪力が大気を軋ませた。

 

 術者の念に呼応して、かねてより仕込んだ術式が発動する。

 町中に走る霊脈がその進路を歪め、学園を幾重にも囲むように変化していく。なるほど確かにこの町――駒王町は、大した霊格を持つ土地ではない。しかし今この時において、魔人の手により駒王学園は一級の霊地へと変貌を遂げた。

 

 そのまま霊地の力を掌握し、三大勢力の強固な結界を紙切れの如く破り捨てれば、もはや学園は彼の所有する異界だ。

 たとえ中にいる者たちが気付いたとて時すでに遅く、もはや企みは誰にも止められない。

 しかし。

 

「――お前は、来るだろうな」

 

 屋上を魔人目掛けて駆ける影が一つ。

 長身痩躯の剣鬼が銀光の刃を携えて疾走する。

 

高円(たかまど)――雅崇(まさたか)ァ!!」

 

「久しいな。その有り様でまだ生きているとは思わなかったぞ」

 

 刃の殺気を柳が如く受け流し、空中に悠然と構える魔人――高円雅崇は手の平を走る剣鬼へ向ける。

 

「しかし残念だが、お前と戯れる暇はない。――失せろ」

 

「ほざけッ!」

 

 神速の鮭跳びと共に剣鬼が飛ぶ。直後、屋上の床が大きく陥没した。

 己が放った念威を躱し、瞬く間に彼我の距離を踏破した修太郎を前にして、しかし魔人は焦ることなく冷酷な笑みを浮かべながら指に挟んだ呪符を差し出した。

 途端、学園全土の空間が賽の目状に区切られる。

 

「さらばだ、御道」

 

「ちっ!」

 

 放たれた超速の斬風は空間の歪曲に阻まれ、魔人へと届かない。

 忌々しげに顔を歪めた修太郎は、そのまま歪む景色に吸い込まれて魔人の前から消え去った。

 

「貴公もだ。黒猫」

 

「――にゃっ!?」

 

 襲い掛かる倶利伽羅剣の一撃が、すり抜けるように魔人の身体を通過する。疾風と変化して高円雅崇の背後をとっていた黒歌は、その光景に目を見開いて硬直した。

 そして先の修太郎と同じく空間の歪みに巻き込まれ、この場から消失する。

 

 強者たる二人の攻勢を難なく制した魔人は、破壊された屋上へと静かに降り立った。

 

「…………」

 

 感じる違和感に立ち止まる。

 無傷と思われていた魔人の頬からは血が流れていた。その鋭さから放った相手は明確。

 

「ふん、力は落ちたが腕は上げたか。ただでは起きん男だ」

 

 呟きながら指で一撫ですれば、傷は跡形も無く消え去る。

 無数の呪紋帯をまき散らしながら、魔人・高円雅崇は呪言を紡ぐ。

 領域の主たる彼が起こす大儀式によって、駒王学園の全空間は複雑に歪められていく。中空を無数の分割線が走っては消え、その繰り返しが遁甲術の迷宮を作りだした。

 もはや誰も逃れられない。全ては男の意のままに。

 

 異界形成を終えた高円雅崇は、懐から四枚の黒い羽を取り出す。羽にはそれぞれ朱色の五芒星が描かれていた。

 

「往け」

 

 霊力を込めてそれらを手放す。

 宙を舞う4枚の羽は瞬く間に人の形をとり、漆黒の影と化して校舎へと飛び去っていく。

 その光景を見届けた魔人もまた闇に溶け、この場を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

 薄暗い廊下を歩く。

 窓から降り注ぐ月明かりに照らされた通路は常よりも広く、自動車が二台まとめて通れそうなほどだ。

 自身の足音だけが響き渡る静寂の中、兵藤一誠は黙々と進む。

 

 会議室にて三大勢力和合の調印が成された直後、気付けば一誠は一人廊下に佇んでいた。

 周囲を見てもだれ一人いない。アーシアも、朱乃も、ゼノヴィアも、そして一誠の手を握っていたリアスも。

 広がった学園の廊下と、この特異な現象は、明らかに尋常のものではない。この学園で何かが起きているのだ。

 

「…………」

 

 左腕に嵌められたリングを確かめる。『禍の団』を迎え撃つ前にアザゼルから渡された物だ。

 何でも一誠が禁手(バランス・ブレイカー)になるための代価――その代替になる効果を秘めているらしい。「何があるかわからない」ということで受け取った代物だが、まさかアザゼルはこの事態を予測していたのだろうか? 何にせよ、秘められた力が本物ならば実に頼りになるアイテムである。

 ちなみにギャスパーも同様に、神器の制御器を渡されていた。彼の物は神器の能力を抑制する効果があるのだと言う。

 

 そうだ、ギャスパー。そして小猫。

 この異常な状況で、後輩たちは果たして無事でいるだろうか? 頼りになる『騎士』の木場がついているとはいえ、心配である。

 一度そう考えてしまえば、他の仲間たちも気にかかる。

 

 リアスと朱乃、ゼノヴィアにアーシア。

 一誠の状況を見るに、おそらく彼女達も一人になっている可能性がある。リアスたちは高い戦闘力を持っているが、もしこの空間で敵に襲われた場合、戦闘能力をほとんど持たないアーシアは窮地に陥っているはずだ。

 

「くそっ、どこにいるんだ? みんな」

 

 冷静さを失わないよう、はやる気持ちを無理矢理に押さえつけ、一誠は仲間を探す。

 時折見かける教室の扉を開けば、何故か保健室だったり、もしくは体育倉庫だったり、旧校舎の空き部屋だったりした。これはいったいどういうことだろうか。

 

『空間が滅茶苦茶に繋がっているな。気を付けろ相棒、嫌な予感がする』

 

「うわっ!? 起きてたのかよドライグ」

 

 内心の疑問に答えを返したドライグに、一誠は驚く。今の今まで言葉を発さなかったので、てっきり寝ているものと思っていたのだ。

 

『まったく失礼な奴だ。外の様子は常に窺っている。アルビオンがそばにいたからな』

 

「そう言えばそうか、ライバルだもんな。いや、それよりもドライグ! 今の状況がどうなってるかわかるか?」

 

『宿命のライバルに対してその反応か……。まあいいさ。今の状況だが、俺にもよくわからん。ただ、この広さと周囲の様子を見るに、土地全体の空間が強力に歪められているようだ。原因は……不明だが、ドラゴンに似た力を地下に感じるな』

 

「地下に……?」

 

『ああ、真下の方角に大きな力のうねりを感じる。地上にまで溢れるほどの密度だ。人間たちが『パワースポット』などと言う場所があるが、今のここはまさしくそれだな』

 

 パワースポット、と言うと、そのままの通り力を持つ土地のことだ。しかしそういった土地は神々や、その場所に元々住む有力者が管理していると聞いた。

 リアスたちからここ駒王学園がパワースポットであると知らされたことは無い。やはり、この異常と関係があるのだ。

 

「なら下を目指してみるか? うーん、でも……」

 

 一誠が今いる場所は、窓の外を見る限り三階以上の高さに位置している。

 その廊下を今延々と歩いているわけだが、一向に先へ進んでいる気がしない。窓から飛び降りようと試みたが、いざ窓に足をかけてみればなんと学園のはるか上空に繋がっていた。いくら悪魔になっていても、未だ空すら満足に飛べない一誠では確実に死ぬ高さだ。

 どうしたものかと頭を悩ませつつ、それでも歩みを止めずにいると、前方に教室の扉が見えた。

 

「ん? あれは……!」

 

 一誠は扉の横に座り込んだ人影に気付く。白髪の小柄な体躯は――。

 

「小猫ちゃん!」

 

 急いで駆け出し近づくと、やはり人影は塔城小猫だった。顔を蒼くし吐く息も荒く、壁を背にしてぐったりしている。

 

「イッセー……せんぱい?」

 

「ああ、俺だよ小猫ちゃん!」

 

 尋ねる声に答えながら上着を脱いで床に敷き、そこへ辛そうな小猫を横たえた。

 見たところ怪我は無いようだが、相当に調子が悪そうだ。しかし、悪いがそれでも聞かなければいけない。

 

「いったいどうしてこんな場所に? 木場とギャスパーはどうしたんだ?」

 

「わかりま、せん……気付いたら、ここにいました」

 

 切れ切れに答える小猫。やはり一誠と同じ状況にあるらしい。

 横になったおかげか先ほどより呼吸は安定してきたが、素人目に見ても尋常な容態ではない。

 リアスから悪魔は普通の人間が罹るような病気にはならないと聞いたことがある。ならば今のこの状態は悪魔特有のものだろうか? どちらにしても彼女をこのままにしては置けない。

 

「どうすれば……そうだ! 保健室!」

 

 一誠が最初に開けた教室の扉が保健室に繋がっていた。悪魔に効果のある薬品があるとは考えにくいし、そもそもそのような知識は持っていないが、休むには良い場所だ。

 問題は、ここから幾つめの扉がそうだったのか覚えていないことと、おそらく結構な距離があるということだ。

 来た道を引き返すことになるが、具合の悪い彼女を連れて当ても無く彷徨うよりはましだろう。異変そのものの解決には繋がらないとしても、目の前で苦しそうにしている仲間を捨て置くわけにはいかない。

 

「ごめん小猫ちゃん。俺にこうされるのは嫌だろうけど、少しの間だけ我慢してくれ」

 

 そうことわって、少女の小さな身体を背負った。

 何よりも驚いたのはその軽さ。とてつもなく軽いのだ。そう、まるで紙か何かで出来ているかのような――。

 

(余計なことを考えるな、俺! 今は小猫ちゃんを休ませないと!)

 

 小さな違和感を使命感で振り払い、もと来た道を引き返す。

 背中から感じられる体温と息遣いは、確かに生きている者の証だ。負担をかけないように慎重に、しかし急いで移動する。

 

 そうしてどれほどの時間が経っただろう?

 時間が経つごとに小猫の息は荒くなり、感じられる力は弱々しくなっていく。これは明らかにおかしい。はたして保健室で休む程度でどうにかなるだろうか?

 わからない。わからないが、それでも歩みを止めるわけにはいかない。

 先ほど開けた教室は、体育倉庫だった。一誠の記憶が正しければ、次の教室こそが保健室であるはずだが……。

 

「…………!」

 

 見つけた。

 おそらくはあの扉が保健室に繋がるものだ。記憶違いでなければ、だが。それでも可能性は高い。

 乱れかけた息を整えて、今まで通り慎重に、しかし急いで向かう。いくら軽いとは言っても、集中力を保ちながらの移動はそれなりの疲労を一誠に与えていた。

 

「もうすぐだから、小猫ちゃん。頑張って……!」

 

 少女を気遣う一誠が、それに気づいたのは偶然だっただろうか。

 耳に聞こえる風切り音。そして見知った殺気。

 反応するがままとっさに跳び退れば、足元に黒い光の槍が突き立った。

 

「――ッ! 誰だっ!!」

 

 目の前に伸びる廊下、その奥を睨みつける。

 月明かりで出来た窓枠の影。距離は100メートルほどか。離れたその場所より襲撃者が歩いてくる。

 

 月夜の静寂に軍靴の音が鳴り響く。歩みになびく外套(インバネス)の下に見える軍装が、起伏に富んだ身体を包む。影より現れたその素顔は――。

 一誠の顔が驚愕に染まった。

 

「天野、夕麻――レイナーレ……?」

 

 




黒歌「トップ陣の前で世界を敵に回してもお前を助ける宣言された件について」

原作17巻のあとがきによれば一誠たちの住む町は「駒王町」と言うのだそうです。
いいですねロスヴァイセ。実はこの作品書き始めてから好きになったキャラです。初見時はイッセーたちから一歩距離を置いたキャラクターということでスルーしてましたが、じっくり見ると実に可愛い。
今はまだ時期が時期なのであれですが、いずれは彼女もヒロインらしく活躍させたいところです。

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