剣鬼と黒猫   作:工場船

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第二十八話:魔人《その2》

 魔人の空間操作に巻き込まれた修太郎は、視界が酷く撹拌された後、床の上に降り立った。

 

「ち……、やっぱりお前も飛ばされてきたか」

 

 声の主はアザゼル。難しげな顔で腕を組みながら、落胆した雰囲気を漂わせている。

 周囲を見渡せばサーゼクスにセラフォルー、グレイフィアの悪魔三人とミカエルが顔を突き合わせて会話していた。離れた場所の壁に背中を預けて瞑目するヴァーリの姿も見える。彼らが今いる場所は会談が行われていた会議室ではなく、駒王学園全校生徒を収容できる広大な空間――体育館だ。

 

「うにゃん」

 

 修太郎より遅れて数秒、黒歌が虚空より現れる。ちょうど真上に出現した彼女を、修太郎は横抱きに受け止めた。

 

「無事か、クロ」

 

「う、うん。シュウ……あの男――アレがそうなの? ちょっと尋常じゃないにゃん」

 

 腕の中に納まった黒歌がきょとんとこちらをみつめ、直後に状況を把握して疑問を口にする。

 静かに彼女を降ろすと、サーゼクスより声がかかった。

 

「この状況――修太郎くん、キミの言う『敵』が来たのだね?」

 

 相談は切り上げたのか、そう修太郎に尋ねる。

 

「はい、奴です」

 

 姿こそ少年の肉体を借りていたが、間違いない。

 禍々しい黄金の龍眼と、手の甲に掲げた無限龍(ウロボロス)五芒星(セーマン)、最後に相対した時と変わらぬ暗影の軍装。何よりも、あらゆる負の想念が具現したかのように重く濃密で、不快極まる邪気の波動。

 あの男こそ、世界最高峰の超能力者にして蠱毒を使う外道の邪仙。森羅万象の禍福を意のままに操る陰陽風水を極めし超越者。数百年の長きに亘り、日本の退魔組織と争い続けてきた最悪の魔人――高円雅崇(たかまどまさたか)

 

「土地をパワースポットに変えた後、その力を利用して俺らトップ陣まとめて一か所に強制転移……か」

 

 ぼやくアザゼルが、突然天井に向けて光の槍を放つ。

 鋭く速い閃光が劈くような唸り声をあげて、大穴を穿たんとするが――直後、光槍が消失した。

 

「……ダメだな。建物に当たる直前で別の場所に飛ばされてる。さっきヴァーリが壁を直接殴っても衝撃だけが別の場所に転移させられた。かなり面倒くさい状況だ」

 

 無傷の天井を見て嘆息する。同時に、体育館の外から爆発音が聞こえてきた。

 それを受けてサーゼクスがアザゼルに言う。

 

「いよいよ閉じ込められているということか……。ここで無暗に攻撃しても、おそらく学園内に散っている他の者を危険にさらすだけだろう。これ以上はやめておいた方がいい」

 

「わかってるさ。そっちはどうだ?」

 

「やはり空間の主導権はあちらに握られているようだ。私たちの転移術が発動しない。解析の方は……観測できる術式が非常に不安定且つ特異な代物なため、難航中だ」

 

「特異だと?」

 

「抽象的――文学的とでも言えばいいか。捉える者によって意味合いが微妙に違ってくるのだよ。おまけにところどころ切れ切れで、現状どこから手を付けていいかさえわからない」

 

 答えるサーゼクスの顔は苦い。敵がここに実力者を封じる理由などそう多く無いからだ。

 

「……狙いはひよっこどもか」

 

「あるいは捕えた旧魔王派の二人。何にせよ、敵は非常に手強い。力づくの脱出は他の者を危険にさらし、まともにやっても時間がかかる。さてどうしたものか……」

 

 これだけの戦力だ。力づくで術式を破壊しようと思えば容易い。

 しかし、それを行うことで発生する被害はまず避けることができない。まかり間違って互いが連れてきた護衛や、リアスたち次代を担う若者を殺してしまえば、成立した和平に何の意味も無くなってしまう。無論、最悪の場合はそれすら考慮に入れる必要があるが……。

 

「それですが」

 

 二人の会話に修太郎が割って入る。

 

「転移障壁を破るだけならばクロができます」

 

「まかせるにゃん♪」

 

「本当か!」

 

 アザゼルの声に皆の視線が集まる中、倶利伽羅剣をバトンのようにくるくる回す。そうして横チェキでポーズを決めた黒歌に、セラフォルーだけが「むむ……黒歌ちゃん、やるわね☆」などと反応を返すがスルー。話を続ける。

 

「この手の仙術結界は地脈の流れそのものに一部術式を組み込んでるから、まともに解除しようとしても情報が足りないのよ。だから地脈の流れを一部堰き止めて穴を作るにゃん」

 

「仙術……。相手は仙術使いでもあるのか」

 

 黒歌の解説にサーゼクスが呟く。

 

「いえ、仙人そのものと言っていいでしょう。奴は尸解仙の秘術により不老不死を得ています。魂を滅ぼさない限り、この世から奴が消えることは無い」

 

「不老不死の仙人とは……また凄まじく厄介だなおい。そのしぶとさ、邪龍か何かかよ」

 

 修太郎の補足にアザゼルがうんざりした表情になる。

 冗談のつもりで吐いた後半の言葉に対し、修太郎は予想外の答えを返す。

 

「当たらずとも遠からずと言ったところでしょう。奴は――」

 

 しかし返答は遮られた。

 館内へ現れた新たな気配に、一同が視線を向けたからだ。

 

「お前は、ハーフヴァンパイアの……」

 

「ギャスパー・ヴラディ……?」

 

 堕天使と魔王が声を漏らす。

 ギャスパー・ヴラディ。体育館の壇上に金髪赤眼の少年が立っていた。

 ぼんやりと夢を見るように。傍から見ても正気ではない様子で。

 

 少年は一度瞑目し、そして開く。

 異形の魔眼、神器『停止世界の邪眼(フォービドゥン・バロール・ビュー)』。霊地の力を受け暴走(オーバードライブ)状態にあるそれが時空間の不動縛を放たんとするが、しかし。

 

 奔る銀光、断頭の颶風。

 誰もがそれと知らぬまま、神速の剣鬼が通り過ぎると少年の首が飛ぶ。さらに一拍置いて、四肢、胴体がずれ落ちる。噴出する赤い液体が、むせ返るような鉄の匂いを放った。

 その事実を受けて最初に反応を返したのは少年の主、リアス・グレモリーの兄サーゼクス。

 

「修太郎くん……!? キミはいったい何を……!」

 

「サーゼクス殿。これはギャスパー・ヴラディではない。偽物――式神だ」

 

 崩れ落ちた少年の身体を見れば、燻るように肉を溶かして真実の姿があらわになる。呪符で出来た人形だった。

 本来のギャスパーよりも一回り小さなそれは、腐った血と腐汁を噴き出しながら壇上の床に溶けていく。

 

 式神とは、陰陽師の使役する精霊、または鬼神のことである。

 日常生活から戦闘まで実に幅広い用途を持つこの術は、陰陽師の代名詞でもあり、特に詳しい者でなくとも知っている人は多いだろう。

 おそらく高円雅崇は、この大仰な式神札へと霊的存在の代わりにギャスパー・ヴラディの精神を込めた。この血肉は修太郎たちに容易く感づかれぬよう、どこぞで狩った悪魔の肉体を使って気と精神の同調率を高めたが故のものだ。

 異界形成の前段階における準備は、これにやらせたに違いない。しかし小柄な少年一人だけでは手が足りないだろう。修太郎の勘ではもう一人、協力者にさせられた(・・・・・)者がいるはず。

 

 だが。

 

 ここで修太郎の頭に疑問が浮かぶ。

 

 だがしかし、何故偽物を使う必要がある?

 異界を創る準備にしても、ここで修太郎たちの時を停めるにしても、わざわざ式神の身体を与える必要はない。神器の力は少年の本体から術で投射しているのだろうが、単純出力ならば本体をそのまま使った方が上だろう。そもそも彼が禁手(バランス・ブレイカー)相当の出力を得たとして、単独では修太郎や黒歌にヴァーリを含めた上位陣を完全停止させることなど不可能だ。

 

 つまり今のやりとりはまったく意味が無い。そしてこのような無駄を、あの男がするはずはないのだ。

 

 ならば、そう。次がある(・・・・)

 

「クロ、障壁を張れ!! 本命が来るぞ!!」

 

「にゃっ!?」

 

『気付いたか。だが遅い』

 

 首だけのギャスパー・ヴラディが縦に裂けた黄金眼で嘲笑う。

 

 修太郎が黒歌へ指示を飛ばすと同時、館内中の床より大量の呪符が溢れだす。修太郎はとっさに無数の剣閃を放つが、切り裂かれたのは近くにあるものだけだ。手数も射程も圧倒的に足りない。他の面々も迎撃するが、撃ち落とすよりも前に転移障壁が攻撃を阻み、やはり間に合わない。

 努力虚しく呪符の波濤は瞬く間に体育館の床を、壁を、天井を、隙間なく埋め尽くしていった。

 

 符に描かれていたのはやはり無限龍の五芒星。しかしてその中央には目玉の紋様。総数は優に千を超える。

 それが、一斉に開く。

 

「おいおい……! こりゃあ、ちょっとシャレにならんぞ……ッ!」

 

「馬鹿な……これら全てが……?」

 

「ちっ、禁手化(バランス・ブレイク)――!」

 

 アザゼルが素早く黄金の短剣を取り出し、サーゼクスが消滅魔力の壁を現出させ、ヴァーリが白龍皇の鎧を纏う。ミカエルは十二枚の光り輝く翼を広げながら剣を執り、グレイフィアとセラフォルーは魔力で身体を覆った。だがそれでも。

 

「だめにゃん……! 防げな――」

 

「くそ……ッ!!」

 

 全方位数千にも及ぶ視線より発せられる暴力的な圧力は、それぞれが張った防御手段を悉く貫通する。

 

 停まる。

 

 停まる。

 

 何もかもが停まる。

 

 停止した空間に魔人の哄笑が響く。こうして、集えば神すら打倒しうる超絶の雄たちは戦わずして敗北した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

 

 剣戟の音が連鎖的に響き、薄暗闇に火花が散る。鋼と鋼の激突が刹那の間に闇を裂く。

 無限長に続く駒王学園エントランスを駆け抜ける疾風、その数三つ。

 

 一人は黒白の異能剣、聖魔剣の木場祐斗。

 

 一人は濃青の大聖剣、デュランダルのゼノヴィア。

 

 そして最後の一人は、枯れた白髪の魔剣士、漆黒の軍装に身を包む少年フリード・セルゼン。

 

 三者入り混じる戦闘はかつてのエクスカリバー争乱を想わせるが、その状況は大きく異なっていた。

 

「ヒャハハハハハハハハッ!! どうしたどうしましたどうしたんですかァ? オタクらそんなに弱かったっけぇ?」

 

「くっ!」

 

 嘲笑するフリードに、神速の聖魔剣が迫る。

 炎を、冷気を、雷を迸らせながらの連撃は、しかし同じく神速と化し移動する少年に傷一つ負わせることは無い。

 

「ぬるいぜイケメンくん」

 

「がっ、は……!」

 

 フリードの魔剣が聖魔剣を事も無げに跳ね上げる。そのままがら空きの胴体に鋭い蹴撃が突き刺さった。激烈な衝撃に喀血しながら吹き飛ぶ木場。

 

「はあああっ!!」

 

 烈昂の気合いと共に、荒ぶる聖剣の一撃が背後より放たれる。

 空間を破断させながら奔る大斬撃が秘められた破壊力を解放すれば、刃の延長線上に光り輝く剣圧の柱が生まれる。その一撃は床に大きく斬傷を刻むがしかし、目標の姿はそこに無い。

 

「こっちこっち」

 

 上方向より振り落とされた魔剣を、デュランダルで受け止める。直後、急激に増大した斬撃の圧力が聖剣ごとゼノヴィアを圧し潰しにかかった。

 

「ぐうっ!?」

 

「どうだい? ディルヴィングちゃんの味は。甘くて酸っぱい恋の味ぃ、それとも優しいママの味ってかぁ!」

 

 襲い掛かる破壊力に耐えきれず、為す術も無く弾き飛ばされるゼノヴィア。

 デュランダルを床に突き刺すことで倒れこそしなかったものの、衝撃の余波が全身にダメージを与えている。

 

(強い……!)

 

 会談終了直後、気付けばゼノヴィアは木場とこの場に立っていた。

 理解不能の状況に、仲間と合流すべく果てしなく伸びるエントランスをしばらく彷徨っていると、目の前に姿を現したのがフリードだった。

 公開授業中に侵入してきた彼だ。おそらくこの異常の詳細を知る者として、明確な敵である。話を聞き出すべくそのまま戦闘と相成ったわけだが、しかし彼は予想以上に手強くなっていた。

 異常なまでの反射神経に、木場と同等の神速、ゼノヴィアを上回る膂力と魔剣による圧倒的な火力。いずれも以前とは別次元にある。

 

 フリード・セルゼンはわずか13歳でヴァチカン法王直属のエクソシストになった経歴を持っている。

 性格的な面では最悪極まる外道だが、その実力は本物だ。身体能力・反射神経・戦闘センスのどれもがトップクラス。神器を持たず、異能を持つ訳でもない人間の中ではかなり強い部類に入るだろう。しかし、これほど圧倒的ではなかった。

 

「……フリード。キミ、人間を辞めたね?」

 

 木場が尋ねる。聖魔剣を構える姿にいささかの揺らぎも見られないが、やはりダメージは色濃いのだろう。頬に汗が伝っている。

 その質問に、嗜虐的な笑みで魔剣を玩びながらフリードは答える。

 

「正解正解ご名答~。俺さま魔人フリードちゃん。コンゴトモヨロシク~。実は俺、あの時逃げ延びたのはいいけど一度死んじゃってるんだよね。おお、世は無情、哀れフリードくんは道端のクソと化した……と思ったその時! 親切な旦那がこうして蘇らせてくれたってわけ。しかもおまけにチョーパワーアップまでさせてくれてさ。見てちょうだいよコレ、かっこいいっしょ?」

 

 そう言って服の袖をまくり上げる。その腕は黒い鋼のような光沢を放っていた。

 

「鬼の腕だってよ。効果的には『龍の手(トゥワイス・クリティカル)』と同じってんで、両腕ともこれだから俺の地力は常に2×2=4倍! あとこの目も特別製で、てめえらの攻撃はまるでスロウリィ! 全部見切れるぜ。脚もこの前ふざけたヤクザに潰されちまったから強力なのに交換済みさぁ。んでもって……」

 

 フリードの総身からぶわりと澱んだ紫色のオーラが溢れる。

 

「闘気も使えちゃう。ただでさえスッペシャールな俺さまがこんだけ強化されちまえば、そりゃお前さんがた敵わねえってばよ。――さてさて、せっかくお気づきのところ残念ですが、賞品なんて何もありゃしません。あ、でも魔剣の一撃はくれてやってもいいですですよ? なあに遠慮はいりません、言われなくてもやるからさ!」

 

 無造作に魔剣を振れば、剣先より迸る破壊力が衝撃の壁を作り二人へと襲い掛かる。

 魔剣ディルヴィング。破壊という一点に特化した伝説の一振り。適当に振るだけでさえ暴風暴圧を巻き起こすそれに、先ほどから木場とゼノヴィアは防戦一方となっていた。

 

「ハッハハハハハハ!! すっげえすっげえチョー最高! エーックスカリバーも中々良かったけどそんなもん目じゃないね!! いけすかねーイケメンくんも、クソデュランダルのクソビッチもまるで歯が立たねぇでやんの! リベンジ捗るわー、マジリベンジ捗るわー、ホント旦那には感謝感激雨あられですわ!」

 

 気になる単語を吐きながら、衝撃波を連続して飛ばすフリード。

 その継ぎ目にゼノヴィアはデュランダルを大きく振りかぶり、再びの剣圧一閃。ディルヴィングの衝撃波動と相殺する。

 

「行け、木場!!」

 

 言葉よりも先に神速の『騎士』が駆ける。にやりと嫌らしい笑みを浮かべるフリードが、再度ディルヴィングの破壊力を解き放とうと構えた。

 魔剣の切っ先よりそれが放たれる前に、木場はかざした左手の周囲に五本の聖魔剣を創造、釣瓶打ちに射出する。猛スピードで投射された剣弾は、フリードの魔剣によって悉く打ち払われるがしかし、近づくだけの時間は稼げた。

 

「近づけば勝てると思うかよ!」

 

「思わないさ」

 

 魔剣の激烈な一撃を逸らして捌く。まともに受けては吹き飛ばされてしまうが故に、決して正面からやりあったりはしない。

 瞬撃の応酬は瞬く間に十を超える。しかし、地力の差か木場は徐々に押されていく。

 

「そらそら、とっとと死んじまえよっ!!」

 

 ディルヴィングに莫大なオーラを纏わせて、フリードが一閃する。しかし、その一撃が砕いたのは床に突き刺さる一振りの聖魔剣だった。

 

「悪いけど、そういうわけにはいかないな」

 

 足の裏から発生させた剣を足場に、木場はフリードの上空を舞う。すぐさま刃を返して迎撃しようとするフリードだったが――。

 

「おおおおっ!!」

 

「くっそ、このビッチがっ!!」

 

 ゼノヴィアのデュランダルがそれを阻む。

 聖剣のオーラが魔剣のオーラと互いに喰い合い、鍔迫り合いは一時の拮抗を見せる。この決定的な隙を見逃す木場ではない。

 

 短い聖魔剣を複数創り出し、投射しながらフリードの背後に着地。短剣は全て片手で払われたが、それでいい。踏込と共に本命の一撃を放つ。

 両手で振るわれる聖魔剣が、がら空きとなったフリードの胴に吸い込まれ――。

 

「やっべぇ……なーんて言うと思ったか?」

 

 甲高い金属音に止められる。

 フリードの空いた片手には新たな魔剣が握られていた。

 

「魔剣ダインスレイブ。ここからはちっと優しくねぇぜ?」

 

 迸る凍気が床一面に霜を作る。不味いと思った瞬間にはもう遅く、咲き誇る氷華が無数の槍衾となって二人に襲い掛かった。

 木場はとっさに聖魔剣を炎属性に変えて防ぎながら、ゼノヴィアはデュランダルを盾にしながら飛び退る。反応に間に合ったのは幸運だった。しかしそれでも無傷とはいかない。鮮血が床に飛び散る。

 

「ダインスレイブ……! また伝説の魔剣か……!」

 

 歯噛みするゼノヴィア。

 態度はふざけているが、今のフリードは間違いなく強敵だ。

 ゼノヴィアは以前より腕を上げている。にもかかわらず、まるで歯が立たない。修太郎はどうでもよさそうだったが、格上との模擬戦は彼女に備わった危機感知能力を数段研ぎ澄まし、「お手本」を見たことで剣そのものの扱いも向上している。その証拠に、木場よりもゼノヴィアの方がダメージは少ない。

 

「……『旦那』と言ったね。それはいったい何者だい?」

 

 荒い息で木場が尋ねる。脚は霜に覆われ、大きな傷こそ無いものの血まみれだ。おそらく先ほどまでの様な神速の移動は出来なくなっているだろう。

 核心を突くような質問にしかし、フリードは素直に答えた。

 

「怖い人さ。あれに比べりゃコカビーの野郎なんかゴミも同然だね。しかし見事にハマってくれちゃってまあ、もうオタクら全員死亡確定だ。魔王さまも総督さまも天使長さまも、みんなみんな喰われちまうよ。ハハッ、ザマァ!!」

 

「なに……?」

 

「『なに……?』じゃねえってばさ。もうてめえらに助けなんざ来ねえって言ってるんですよ! こうして時間稼いどけば誰か来てくれると思ったかよ? 無理無理、今頃強い奴らは全員封殺されてるぜ。旧魔王の間抜けどもとは格が違うんだよ、旦那は」

 

 嘲笑うフリードは二刀を構えもしない。完全にこちらを舐めた態度だが、しかし今はそれよりも気になることがある。

 

「師匠たちを封じただと? そんな馬鹿な」

 

「いったいどうやって……」

 

「さあ? どうでもいいっしょそんなこと。わかる? ここにいるってことは、旦那からすればお前ら放置しても問題ない雑魚ってことなんだぜ? 今頃はイッセーくんもグレモリーの御嬢さんも同じような状況のはずさ。なら死ぬしかないだろ常識的に考えて」

 

 そうしてフリードは二刀を交差させ、構えた。同時に、魔剣から発せられる力が増大する。

 

「ほらほら、仲間助けたいなら頑張って俺を倒して見ろよ! どうせ無理だろうけどなぁ!!」

 

 膨れ上がる邪気は今までよりもなお強く、フリードは闇色の旋風を纏う。

 今まで手加減されていたのはわかっていた。だが目の前で力の桁を一つ上げられては、流石に戦慄を禁じ得ない。仲間のことは心配だがしかし、今はこの危機を乗り越えなければ話にならないのだ。

 

 二人の『騎士』は死を覚悟して、それぞれの握る剣を構えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

 

 駒王学園は新校舎に位置する講堂。そこにおいてもまた一つの攻防が繰り広げられていた。

 飛来する黒光を消滅魔力が叩き落とし、雷が焼き払う。撃ち漏らしたものを強固な防御障壁が阻み、反撃の水流弾が敵を穿つ。

 

 リアス・グレモリー、姫島朱乃、アーシア・アルジェント、ソーナ・シトリー、真羅椿姫の5名は会議室からこの場所へと飛ばされていた。突然起こった異常な現象に嫌な予感を感じた一同だったが、見事それは的中する。

 講堂には護衛の天使・堕天使・悪魔たちと、捕縛した『禍の団』構成員がおり、そこへ謎の敵が襲撃してきたのだ。

 

 状況的に見て狙いはおそらく旧魔王の二人。和平が成立したばかりというタイミングで少々の戸惑いはあったものの、これだけ多くの戦士たちが揃っている状況だ。防衛・撃退は容易かと思われた。

 しかし。

 

「また再生した……」

 

「……キリがありませんわね」

 

 敵は軍装に身を包む男女。その数はたったの三人。

 戦力差は十倍以上あるにもかかわらず、押し込まれているのはこちらだった。

 

「敵の戦闘力はおそらく平均的な上級悪魔と同じ程度だと思われます。しかし、あの再生能力が厄介極まりない」

 

「フェニックスを三人一度に相手にしているのと同じ、ということね」

 

 ソーナの分析にリアスが答える。

 当初は数の差から容易く撃破できたが、いくら消し飛ばしても、どれほど徹底的に焼き払っても、すぐさま元の姿に復元されてしまうのだ。そうして持久戦に持ち込まれた結果、一人、また一人と味方は倒れていき、今では十人程度にまで数を減らしてしまっていた。

 

 敵の異様な能力には驚愕するしかない。しかしそれよりも不可解なことがある。

 リアスと朱乃、アーシアは、敵の姿に見覚えがあったのだ。

 

 今も果敢に突撃してくる長身の男はドーナシーク。

 無数の黒い光を放ちながら飛び回る小柄な少女はミッテルト。

 後方より大きな一撃を飛ばしてくる妖艶な美女はカラワーナ。

 

 どれも過去リアスが消し飛ばした堕天使たちである。

 しかも彼らが使う力は一見すると光力のように見えて、その実全く違うものだ。

 高密度に凝縮された負の想念――所謂ところの呪力。

 信仰・祝福の真逆をいくこの力は特に天使のような聖性を持つ存在に多大な効果を及ぼす。天使より転じてなる堕天使が持つはずはない力だった。

 それに加え、あらゆる生物にとって毒となる呪いのエネルギーは、障壁や他の物体に当たるたびに大気中へと弾け、リアスたちの身体に少しずつダメージを蓄積させている。アーシアの神器『聖母の微笑(トワイライト・ヒーリング)』でさえ呪いの除去はできない。

 敵を打倒する手段がわからない現状、このままでは嬲り殺されること必至だった。

 

 突然の空間転移に滅ぼした存在の復活。この学園でいったい何が起こっているのか? 一誠は、木場は、ゼノヴィアは、小猫は、ギャスパーは、果たして無事であるのか?

 そして何より、勢力屈指の実力者が集っているにもかかわらず、未だ何ら改善が見られないこの状況。事態は想像より深刻であると考えられた。

 

(イッセー……)

 

 心中で想い人の名を呟く。

 赤龍帝・兵藤一誠。

 知り合ってからそこまで時間は経っていないが、それでもわかる。彼はどんな逆境にあっても屈することはないだろう。

 だから、この困難な状況にあってもリアスは諦めなかった。

 希望はある。この場には悪魔界の超越者――リアスの兄サーゼクス・ルシファーを筆頭に勢力のトップが揃っているのだ。どれほど敵が強大であろうと、いずれ何らかの変化が訪れるはず。他力本願は気に食わないが、それに頼るしかない現状、リアスたちはそれを待つことしかできない。

 

 皆が歯がゆい思いを抱く中、激闘は続く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Boost(ブースト)!!』

 

 倍化の音声が響くとともに、総身を巡る力が膨れ上がる。

 そこへ襲い掛かる黒い光刃。一誠は迷うことなく籠手でそれを受け止めた。

 

「うおおおっ!!」

 

 右拳一撃。

 天龍の力が相手の顔面を捕え、跡形も無く吹き飛ばす。鮮血をまき散らしながら力無く倒れる敵だったが――。

 

「くそっ、またかよ……」

 

 飛び散った血液が時間が巻き戻されるかのごとく頭部へと集まり、瞬く間に損傷が復元される。衝撃の余波で破れた服装も同様に、傷一つない新品に戻った。

 そのまま何事も無かったかのように立ち上がる。

 

 敵は黒い長髪の美少女だ。可愛らしい容姿の目は何処までも冷徹に一誠を見つめている。

 その姿はかつて人間だった一誠を殺した堕天使――レイナーレそのもの。

 

 今現在、一誠は赤龍帝の鎧を身に纏っている。

 敵の実力は素の一誠を圧倒するが故に、何よりも臥せる小猫を守るために、この場で禁手化(バランス・ブレイク)せざるを得なかった。

 結果としてこちらがレイナーレを圧倒している訳であるが、何度叩きのめしても先ほどのように蘇ってくる。

 

「はあっ、はあっ、はあっ……!」

 

『どうした? 相棒』

 

 仮初の禁手(バランス・ブレイカー)となった一誠に与えられた時間は約20分。以前の10秒に比べれば格段にマシと言える。

 それに加えて節約しながら戦っている現状、時間はまだ10分以上残っている。にもかかわらず、一誠の精神には多大な負荷がかかっていた。

 

 天野夕麻。

 

 レイナーレ。

 

 一誠の初めての彼女。

 

 そして、一誠を殺した堕天使。

 

 初めて本気で殴った女性であり、好きな人に殺させた女。

 

 この10分足らずで彼女を何度殺しただろう。

 心臓を潰し、四肢を千切り、真っ二つに引き裂いた。頭を吹き飛ばし、胴体を両断し、波動弾で消し飛ばした。

 その感触は手にこびりついて消えず、飛び散る鮮血が鼻腔を刺激する。

 

 でも、死なないのだ。

 どれだけ脳漿をぶちまけようと、臓物をまき散らせようと、次の瞬間には元通り。

 あの冷たい視線で一誠を見つめながら、襲い掛かってくる。

 

『死んでくれないかな?』

 

 脳裏にフラッシュバックする少女の言葉。

 

「うおおおおっ!! アスカロンッ!!」

 

Blade(ブレード)!!』

 

 ひどく忌々しいこの状況を打破すべく、籠手の内より刃を解放する。ミカエルより譲られた龍殺しの聖剣が、輝くオーラを迸らせながらレイナーレを両断した。

 相手が魔の存在であればこれで消え去るはず。少なくとも何らかの変化が訪れてほしい。そう願った。

 しかし、そんなものは無い。

 

 袈裟がけにずれた肉体が、瞬く間に修復されていく。一誠は知らないことだが、霊地と化した駒王学園そのものが無制限にレイナーレの身体を復元させていた。

 そうして何事も無かったかのように再びの黒刃一閃。一誠は辛うじてアスカロンの刃で受け止める。

 

 鍔迫り合いの最中でさえ、レイナーレの姿をした敵は何も言葉を発さない。無機質な視線が殊更に一誠の心をざわつかせる。

 

「何なんだよ……お前……ッ!」

 

 声を振り絞りながら力を込めて、レイナーレを弾き飛ばす。

 

Boost(ブースト)!!』

 

「ドラゴンショット!!」

 

 力を溜めて放った極大の魔力砲撃が、目の前の廊下すべてを真っ赤に染め上げる。至近距離からの攻撃は、欠片一つ残さず敵を消し飛ばした――はずなのに。

 

「……!」

 

 闇が渦巻き影が集えばそこには元通りになった敵の姿。

 焦りが身体を支配する。いけないとわかっていながらも、一誠は自身の行動を止めることができない。

 

「うあああああああっ!!」

 

Boost(ブースト)!!』

 

 大気を裂く左拳がレイナーレの肩を砕く。

 

「消えろっ!」

 

Boost(ブースト)!!』

 

 右拳の激烈な一撃が腹部に大穴を開ける。

 

「消えろッ!!」

 

Boost(ブースト)!!』

 

 続けざまに繰り出した蹴りが、復元中の女を吹き飛ばした。

 背中の噴出口から魔力が噴き出す。超加速を果たした一誠は刹那の間に宙を舞うレイナーレに追いつき、そのまま馬乗りに大地へと押し付けた。衝撃で床が砕け、瓦礫が舞い散る。

 

『相棒、ペースを考えろ! この先何があるのかわからんのだぞ!』

 

 ドライグの忠告は聞こえない。

 マウントポジションをとった一誠は、眼下の敵へと無茶苦茶に拳を叩き付ける。

 復元速度を上回る拳の連打は廊下を砕き、大きな亀裂を作っていく。

 

Boost(ブースト)!!』

 

 大きく拳を振りかぶる。そのわずかな間に復元されるレイナーレの顔。

 その可憐な唇が、初めて言葉を紡いだ。

 

「そんなに何度もこの女を殺して、楽しいのか?」

 

 兜の中で目を見開く。

 次の瞬間、一誠は勢いよく弾き飛ばされた。

 

 体勢を立て直し着地した一誠は敵を見る。ゆらりと立ち上がる女の姿は、先ほどまでの無機質なものとは明らかに違う。そこには人の意志が反映された、ある種の癖のようなものが見えた。

 

「てめえ……何者だ……?」

 

 一誠の声に女が振り向く。その瞳は禍々しい黄金色に染まっていた。

 

「高円雅崇と言う。この式の主だ」

 

「たかまどまさたか……? 式、だと……?」

 

「ああ。現地調達の即席で作った代物だが、中々良くできているだろう? 赤龍帝・兵藤一誠」

 

 レイナーレ――高円雅崇は軍帽の位置を整えながら歩いてくる。

 炎のように揺らめく暗黒が、女の背後に見える。それが近づくにつれて一誠の心に重苦しい何かがのしかかってきた。不安、恐怖、憎悪、諸々の悪感情は、一誠が今現在抱えるものだ。

 思わず後ずさる。

 

「兵藤一誠、何をそんなに不安がっている。この程度の力を持つ相手など掃いて捨てる程いるだろう? 貴公は彼の名高き二天龍が一角、神すら超える赤龍帝だろうに、何を恐れる必要がある? 」

 

 黄金の龍眼が一誠を見つめる。

 ぎらぎらと不気味な光を湛えるそれは、何処までも深くこちらの心の内すら見通されているようで、凄まじく気持ちが悪かった。

 

「ライザー・フェニックスを破っておいて再生復元程度が何だと言うのだ。怖がるな、研ぎ澄ませ、力を高めろ。諦めるなよ、貴公にはそれしか取り柄が無いのだから(・・・・・・・・・・・・・・)。ああ、それとも怖いのは敵ではなく――」

 

 酷薄な笑みが一誠の記憶を刺激する。息が荒くなるのを止めることができない。

 

「この女の手によってまた何かを失うかもしれないということか?」

 

「黙れッ!!」

 

Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)!!!!』

 

 爆発的に高まった力は一誠の速度を超速にまで引き上げる。音の壁を容易く突破しながら敵に向かって拳を放つがしかし、手ごたえはまるで無かった。

 

「なっ……!」

 

「貴公は自分だけの酒池肉林を欲しているのだったな。やめておけ、向いていない。女が怖い(・・・・)などとあっては話にならんぞ」

 

 背後に立つ無傷の女が言葉を放つ。一誠はそれに対して拳を返した。

 しかし、当たらない。まるで煙を殴ったかのようにすり抜けてしまう。

 

「くそっ! くそっ! くそおっ!!」

 

「無様だな。それでも男か情けない。ここまで来てその程度の力しかないのか? 我が三式を破ることはおろか触れることすらできない(てい)で、よくもまあ二天龍を名乗るものだ。仕方がないな、一つ発破をかけてやろう」

 

 一誠の猛攻を一切無視してレイナーレの姿を借りた魔人が背後の廊下に手をかざす。

 すると、その空間に一人の少女が現れた。

 息も荒く細い手足を揺らす、白髪の、小柄な――。

 

「小猫ちゃん!? てめえ、何を――」

 

 小猫はレイナーレを吹き飛ばした隙に保健室の入り口へと置いてきたはず。――空間転移か。

 

「塵掃除だ。いつまでも残っていると煩わしいのでな」

 

 事も無げにそう言い捨てて、魔人はもう片方の手を小猫へとかざす。

 一誠の背筋に悪寒が走る。

 

 ダメだ。絶対にやらせてはいけない。

 

「やめろぉぉぉぉぉぉーーーーーッ!!」

 

Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)!!!!!』

 

 踏込に床が大きく砕ける。触れるだけで全てを焼き尽くす激烈なオーラの高まりが大気を真っ赤に染め上げる。

 その至近距離にいてさえ魔人は顔色一つ変えず、一瞥しただけで視線を小猫の方に戻した。

 引き絞った左拳による渾身の一撃が、魔人の顔面に放たれる。

 しかしそれは魔人の肌に一切触れることなく、ただすり抜けるだけだった。

 

「つまらん」

 

 かざした手の平を握り締める。

 ぐちゃり、と何かが潰れて、先の瞬間まで小猫がいた場所には赤黒い肉の塊が生まれていた。

 

「あ、あああああ……あああああ…………」

 

 視界が真っ赤に染まる。

 想起するのはいつかの教会。アーシアが死んだあの瞬間。

 

「……るさない…………! 絶対に許さないッッ!! ぶっ殺してやるッ!! ぶっ壊してやるぞッッッ!! 高円雅崇ァァァァァッッ!!!!」

 

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 咆哮は臨界点を突破し、際限なく高まる力が周辺空間を破壊していく。身じろぎひとつで地が砕け、大気は高温で歪み始める。

 学園全土を揺らす力が廊下一面を赤光で照らす。それでもなお破綻しない空間歪曲は、霊地の主が超絶であることを知らしめていたが、しかし怒る赤龍帝はそんなこと歯牙にもかけない。

 

「うおおおおおおおおおぉぉぉぉぉッ!!」

 

 紅蓮の閃光が魔人へ走る。龍王すら一撃のもとに砕く拳はしかし、今までと同じくすり抜け当たらない。

 だがそれがなんだ。原理は不明だが魔人が入るまでのレイナーレには普通に通用していた攻撃だ。一撃が当たらないならば、当たるまで繰り返すだけのこと。

 

 刹那の間に数十度の交差。どれもが霞を叩くが如く当たらないが、その回数が千を超えた瞬間、魔人の衣服がわずかに破れたのを一誠は確かに見た。

 

 いける。

 当たる。

 このまま殺してやる。

 

「この力の高まり……何度見ても素晴らしい。流石は二天龍の神器、この地上で二番目に強き龍たちの力よ。まあ――」

 

 魔人が手を上に掲げる。

 

「そんなもの、おれは要らんがね」

 

 それが振り下ろされた瞬間、駆ける一誠は途方もない力で圧し潰された。

 砕ける。堅牢を誇る龍の鎧が砕け散る。

 何が起こったのかわからない。ただ、かつてないほど高まった力が一瞬にして蹴散らされた。

 

 嚇怒の念は衰えず、しかし身体が動かない。倍化した力が抜けるのを感じた直後、魔人がこちらに手をかざすのが見えた。

 

「――宝貝(パオペエ)吸星陣(きゅうせいじん)』」

 

 その手に太極の法陣が出現すると、地脈に組み込まれた術式が宝貝に動力を運ぶ。通常であれば膨大な自然の気を必要とする仙人の魔道具は、それにより一瞬で起動した。

 

 空間宝貝『吸星陣』。

 

 その能力は「力の収奪」。

 まず最初に赤龍帝の高まった力が奪い取られる。一時的な狭域展開によって、倍化した力が失せる前にその全ては高円雅崇の手中に納まった。

 徐々に範囲を広げていき、少し離れて聖魔剣と聖剣の力が、さらに離れて魔力が、光力が、魔法力が。学園全土が収まれば、そこからさらに生命力を徴収していく。

 

「……時間停止の影響か。御道たちの力が集まりきらんな」

 

 倒れ伏す一誠をよそに踵を返す魔人はレイナーレの姿を脱ぎ捨てる。舞い落ちる黒い羽を握り締めたのは漆黒の影。人の形をした炎だった。

 

「まあいい。肉体の形成にはこれだけあれば十分だ」

 

 宝貝より膨大な力が溢れ、暗黒の炎に注がれる。

 燃え上がるヒトガタは徐々に確かな像を結び、その真の姿を現した。

 

 肩幅の広い長身に、刈り込まれ逆立つ漆黒の髪。手足はすらりと長く、暗影の軍装に身を包む。

 切れ長の目に嵌まる瞳は龍眼。全てを嘲笑うその色は邪悪な黄金。闇を切り取る純白の手袋には無限龍の五芒星。

 虚空の闇から軍帽を創り出して被り、同じ要領で漆黒の外套(マント)を取り出す。最後に黒い拵えの軍刀を腰に佩く。

 

 邪仙、大陰陽師、日本最悪の魔人――高円雅崇。

 

 暗黒の具現が今ここに蘇った。

 

 




精神攻撃は基本(キリッ)。
魔人さんはこういう奴です。

乱戦というか、別箇所の戦闘を同時に描くのは難しいですね。無駄に長くなりました。
もうちょっと圧縮しないといつまでたっても終わらんぞ……。
ヴァンパイア編終了後、ヘルキャット編(仮)は序章みたいに割と自由にやるつもりです。
曹操たちが出るかもしれない。

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