第三十二話:夢中の蛇
――夢を見ている。
鬱蒼と茂る木々の合間を駆け抜けていけば、それを追うように爆炎の柱が舞う。
疾走する少年――御道修太郎は巡る闘気を全開にして、敵を見つめた。
それは、巨大な蛇だった。
迸る神気は漆黒。長く大きな体を覆う鱗の色もまた漆黒。額から生える角は鋭く天を突き、紫電を発する。
狂気に満ちた眼窩は紅蓮の炎を灯し、口腔から吐き出される黒煙が大気と反応して絶えず小さな爆発を起こす。撒き散らされる呪詛の念によって、周囲一帯の動植物が瞬く間に朽ちていく。
あらゆる負の要素を発しながら、堕ちた蛇神は樹海を超えて山頂を目指す。
霊峰富士。
あの神が火口へ落ちれば、弾けた神気の衝撃で大噴火が起こるだろう。
地は割れ、海嘯が町を飲み込む未曽有の災害が人々を襲う。
問題は、それだけで済まないことだった。
噴火の炎と共に飛び散った神の呪詛は本州全土を覆いつくす。そうなれば、そこに住む生命は一つ残らず死滅するだろう。つまり、事実上の日本滅亡だ。
さらに、それを皮切りに呪いは大陸へと渡り、いずれは世界を蹂躙する漆黒の嵐となる。信仰の源たる人々を失えば神々はその力を大きく削られ、各神話勢力のバランスは崩壊。呪いの大地では魔物はおろか龍すらもまともに暮らせない。生きていけるとすれば、それは邪気と呪いの化身、悪鬼怨霊の類だけ。
季節は10月。日本では広い地域で神が不在となる神無月だ。
故に神州屈指の大霊地で繰り広げられる国家存亡を賭けた戦いにおいて、参加できるのは人間だけだった。
しかし、今この場で蛇神と相対する人物は修太郎のみ。蛇神の放つ呪いに耐えながら、それを打倒しうる戦闘力を持つ者が彼以外存在しないために、英雄と呼ばれた少年は一人死地を舞う。
出雲に封じられ身動きできない神々は彼に守りの加護と武器を授け、戦いに参加できない退魔師たちは様々な術具を託した。
握る刃は愛刀・緋緋色金と、荒神調伏の霊剣・布津御霊――その複製。
二刀を両手に、少年は逃げ場のない戦いへと身を投じる。
極限まで研ぎ澄まされた闘気を刃に纏わせ、退魔の念を込める。
月緒流が唯一無二の退魔剣術――降魔剣。
技の構成は単純そのものだが、それ故に極めた者が使えば絶対の効力を発揮する。流派筆頭剣士たる修太郎のそれは、霊剣の助けもあり神々すら畏怖する切れ味を宿していた。
しかしてそれを嘲笑う者がいる。
蛇神の直上、暗影の外套をなびかせ、この異変の元凶が姿を見せる。
暗闇の軍装を纏う偉丈夫は、世界の破滅を願う魔人――高円雅崇だ。
互いにこの場この時こそ、怨敵との最終決戦。
邪気に満ちた漆黒の風を纏いながら、闘気を高める修太郎へと魔人は語りかけてくる。
『やはりお前が来たか。予想通りだが、馬鹿な男だ。この場でおれと戦うことがどういうことかわかっていないはずはないだろうに。今まで後生大事に守ってきたものを捨てる気か?』
この蛇神と戦えば、少年にとって一つの終わりをもたらすこと必定であるが故に。
しかしその問いに返す言葉は今も昔も変わらない。
修太郎は答える。
『捨てはしない。ただ、信じて託された。俺はそれを成し遂げるのみ』
そもそも、今まさに世界規模の大量殺戮を準備しているこの男を放置する選択肢など存在しない。魔人を滅ぼすことは、少年にとって大事なものを守る事にもつながる。
『同じことだ。お前は選択したことこそ後悔せぬだろうが、必ず結果を無念に思うだろうよ。他ならぬおれがそうさせる』
『それでも、俺は迷わない』
構えた二刀に闘気が満ちる。
心・技・体の完全な合一が蒼い風となって大気を裂く。横溢する莫大な気に、黒い瞳が紫電の輝きを灯した。
その様子に魔人は軍刀を構え、邪念を膨れ上がらせながら続ける。
『頑迷だな、愚かだぞ。……しかし、そうだな。たとえば
『何?』
魔人の言葉に背後を見れば、そこには黒髪の美女。
黒い和服を着崩して、煌めく黄金瞳でこちらを見つめ、天真爛漫な笑みを作る。
気付けば修太郎の背は伸び、握る刃は白銀の一振りに変わっていた。闘気の鎧は見る影も無く弱々しく、頼りない。
彼女の背後に漆黒の蛇が大口を開けている。燃える紅蓮の眼窩は歓喜に歪んで、今まさに獲物を飲み込まんと飛び掛かり――。
「待っ……」
「…………」
伸ばした右手が空をきる。
目を覚ました修太郎は、そのまま手の平で顔を覆った。
「……情けない」
一つ溜息を吐く。
時計を見れば朝5時前。修太郎にとってはいつもの起床時間だ。
布団から起き上がろうとしたその時、左腕に絡まる温かさに気付く。そちらを見れば、きめ細かく広がる艶やかな黒髪が見えた。
修太郎の相棒である猫又悪魔の黒歌だ。
「にゃむ……にゃあー……」
絶世の美女と呼んでも差支えない容姿を誇る彼女だが、ぴくりぴくりと猫耳を動かしながら、むにゃむにゃと気持ちよさげに笑んで眠る姿は、美しいというよりは可愛らしいという形容の方が当て嵌まる。修太郎の腕を抱えて丸まった姿などは、なるほど猫そのものだ。
もう7月も序盤を過ぎ、暑さに寝苦しくなってきた影響で、掛布団には薄いタオルケットを使っている。
その薄布は半ばまでまくられて、美女の起伏豊かな裸身が大半はみ出していた。
まだ日も登りきらない薄暗闇に、白い肌はひどく映えて見え、呼吸に合わせてゆっくり上下するさまはまるで官能映画の一幕のようだ。端的に言って凄まじく色っぽい。
そもそも、何故服を着ていないのか。
まず疑問を抱くべきはそこだが、その点に関して修太郎は諦めていた。
普段からして黒歌は和服の下に何も着ていないのがほとんどである。別段人に見せたいわけではないようなので、露出狂、と言うよりは露出癖と言うべきか。
本人曰く、「開放的な服装が好き」とのことで、寝るときぐらいは全裸でいたいようだった。
何かに縛られることを由としない彼女らしいと言えばそれまで。ならば別に和服でなくとも良いのではと思わないでもないが、そこら辺りは日本妖怪としてのポリシーなのかもしれない。よくわからないが。
何も無ければ就寝時間は修太郎の方が早い。加えて最近の黒歌は、随分と日本のサブカルチャーが気に入ったらしく、やや夜更かし気味だった。
元々寝床に潜り込んでくること自体はヨーロッパにいたころから度々あった。慣れ親しんだ、と言ってもいい。
それを気付かれぬよう引きはがして起きるのはいつものことである。
「シュウ~にゃふふふふ……」
楽しげな声を漏らしながら、さらに強く抱き込んだ腕に顔を擦り付ける。
これが何気に関節を極めているので抜け出しづらい。スカアハより教わった体術はしっかりと彼女の身体に染み込んでいるようだった。
形崩れを知らない豊満な胸は、むっちりと包み込むような柔らかさを持ちながら弾力に溢れ、肌に極上の心地よさを伝えてくる。
思わずその感触に集中してしまうのは、男ならば誰でも有り得ることだろう。もしかするとヴァーリ辺りは平然と無視しそうではあるが。
しかし、いったいどんな夢を見ているのだろうか? 彼女が幸せならばそれは何よりであるが、少し気になる。
普段ならこのまま朝の鍛錬に取り組むところだが、しかし先ほど見た夢のせいだろうか、今日はもう少しこの寝顔を見つめていたい気分だった。
―○●○―
あの後、朝の鍛錬を終え黒歌を起こした修太郎は、二人して朝食を済ませた。
「私は昼から白音のところに行くけど、シュウはどうするにゃ? 私と来る?」
「いや、今日はアザゼル殿に呼び出されている。おそらく仕事だ」
対『
その呼び出し自体もそこまで多くなく、今まで二、三回出撃した程度。
散発的過ぎるテロ活動は、どうやら敵組織内でいざこざがあって統制がとれていないと予測されていた。
それに魔人が関係しているかどうかまではわからないが、ともあれ修太郎は予定外の暇を持て余していた。なので最近は自身の鍛錬を重点的に行いつつ、たまに黒歌に付き合って白音――塔城小猫の仙術訓練に同席したり、ゼノヴィアとイリナの相手をしたりなどといった状況が続いている。
「ふぅん、仕事ねぇ……。シュウのことだからそこまでの危険は無いと思うけど、あんまり遅くなっちゃイヤよ?」
「心得ている」
そう言って、黒歌と別れて家を出た。
アザゼルが修太郎を呼び出すときは、大抵駒王学園の旧校舎を指定してくる。
彼は学園でオカルト研究部の顧問教師を務めており、主にグレモリー眷族を中心として神器使いの指導を行っているらしい。
普通の授業においても先生としてうまくやっているようなのは意外……というわけでもない。あの堕天使総督は大抵のことを飄々とそつなくこなすタイプだろう。
抜け目なく、器用で要領がいいのだ。
しかしながら今回の指定場所は生徒会室。
早朝の学園は人が少なく、気配も薄めて歩いている修太郎に気付く人はいない。
部屋に入ると、そこにはアザゼルだけでなくセラフォルー・レヴィアタンの姿もあった。
「おう来たか、暮修太郎」
「やっほー☆ 修太郎くん、元気してましたかー?」
「元気してました。そちらこそ壮健そうで何より」
元気にあいさつする魔王少女はいつものコスプレ姿ではなく、会談の時に着ていたようなフォーマルな服装だった。
「…………」
そんなセラフォルーの背後に隠れ、顔を半分だけ覗かせているのは、カティちゃんこと幼女カテレア・レヴィアタン。
目を合わせてみれば、びくりと反応して顔を引っ込める。
「ほーらカティちゃん、隠れないでご挨拶しなくちゃダメでしょ☆ 魔法少女は顔で人を判断しちゃいけないのよ?」
「やー」
「はははっ、嫌われたもんだな暮修太郎」
そう言って笑うアザゼルに、カテレアの魔力ビームが飛ぶ。
アザゼルはそれを何事も無かったかのように防ぐが、実際のところ彼は修太郎を笑える立場ではない。むしろ攻撃される分、余計に酷いだろう。
攻撃を防がれて悔しがるカテレアに対し、しかし件の総督は「ふはははは、効かんなあ、レヴィアたん!」などとラスボスっぽく応じている。大人げないがノリはいいアザゼルだった。
「ごめんね、修太郎くん☆」
「いえ、特段気にするようなことでは。……いつものことなので」
そう、子供から怖がられるのはいつものことだ。
いつものことなのだが、やはりどこか物悲しいのは内緒だ。
「それで、何か御用でも?」
「む。ああ、それなんだが……まずはお前さんにこいつを渡しておこう」
カテレアとの小競り合いを中断し、アザゼルは懐より薄い板状の物体を取り出した。
軽い金属でできているらしいそれは、修太郎にとってあまり馴染みのない物だ。
「これは……携帯端末ですか」
「ああ、そうだ。そいつは普通の電話としても使えるが、内臓してある術式を起動することで魔法的な通信も可能になっている。何かあった時に連絡が取れなきゃまずいからな。それにこのままじゃお前の方も自由に動けんだろう?」
差し出されたそれを受け取る。
「お気遣い、まことに感謝します」
「雇い主側としては当然のことだ。それには通信以外にも色々機能が付けてあるから暇があったら弄ってみろ。何せ、俺の特別製だ。人工神器の技術も使ってクソ頑丈に作ったおかげで、戦闘中の心配も要らん」
なんという技術の無駄遣い。
そんなもの、修太郎なんかに渡してもいいのかと思わないでもないが、他ならぬ堕天使のトップが寄越すのだから別にいいのだろう。
「そうですか。ではありがたく使わせてもらいます。……ちなみに、自分はこういった機器の扱いについては門外漢なのですが、説明書などはいただけないでしょうか?」
「うん? あるわけねえだろ、そんなもん。使って覚える、ゲームの基本だぜ?」
その言葉を聞いた瞬間、何となく嫌な予感がしたのは気のせいではない。
余計なものには手を触れないようにしよう、と心に誓う修太郎だった。多分だが、碌なことにならない。
とはいえ、その「余計なもの」が何なのかわからなかったりするのだが、この時の修太郎はまだそこに思い当たっていなかった。
そんな修太郎をよそに、アザゼルが口を開く。
「で、本題の方だが……セラフォルー」
「はいはーい☆ 修太郎くんには今回、私の護衛をしてほしいの」
「護衛……ですか」
セラフォルーを見る。
当代最強の女性悪魔、魔王レヴィアタン。
華奢ながら出るところ出た小柄な体躯、流麗に流れるツインテールは可愛らしい。
見た目はどこからどう見ても可憐な美少女だがしかし、内在する力は半端ではない。
正直な話をすれば、護衛などいらないのでは? と思わずにはいられないが、そういう話ではないのだろう。
「率直に言おうか。対魔人対策のため、京都陰陽師の総元締、土御門家に協力を要請したい。それと京都妖怪勢力を纏め上げる九尾の狐……八坂姫とも話し合いの場を設けてある。お前さん、どちらも知り合いだそうだな?」
「そうですが……説得を手伝え、と?」
「そうだ。高円の野郎についてはこっちも必死になって探してるが、未だに影の一つも踏めない状況が続いてる。あの手の敵相手にこのままじゃまずい。既に確立したノウハウがあるなら、利用しない手はないだろう」
「確かに。自分としてもあの方々の力を借りたいところではあります。よろしい。受けましょう」
京都の陰陽師たちには過去何度も助けられている。
以前の高円雅崇との最終決戦に赴く際、出雲に閉じ込められた神々から加護を授かるにあたって重要な役割を担っていたのは土御門の陰陽師だ。決戦の場においては彼らから預かった術具がなければ勝てるかどうかは危うかっただろう。
しかし。
「妖怪勢力との話し合いに関しては、自分なしで行っていただきたい」
「ほう、そりゃまたなぜ?」
「京都の妖怪は自分のことを快く思っていないからです」
八坂姫率いる妖怪たちも魔人と長い間相対してきた。高円雅崇の京都侵攻時などには、互いに助け合ったこともある。
だが同時に修太郎は彼らの怨敵でもあった。
高円雅崇は垂れ流す邪気だけで低位から中位レベルの妖怪を狂わせる。
当時の修太郎は、全国を巡りながら休むことなく魔人の邪気に狂った妖怪たちを次々と討滅していた。その中には当然京都の妖怪も含まれている。
原因は他にあるとはいえ、たかだか数年で万を超える妖魔を斬れば異形の天敵と見なされるのも当然。
八坂姫個人がこちらをどう思っているかは知らないが、もしも修太郎が彼女と接触する場合、周囲の妖怪たちが黙っていないだろう。何せ修太郎には東北の九尾を斬ったという実績もあるのだから。
「なるほどな。だが暮修太郎、もしもその八坂姫がお前に会わせろと指定してきていたらどうする?」
「何?」
アザゼルの言葉に、修太郎は目を見開いて驚く。
「あちらからの条件でな、「協力してもいいが、御道修太郎の姿を見たい」ってな具合で要求された。お前、やっこさんと過去に何かあったのか?」
それは修太郎こそ聞きたい。
彼女との面識などそれこそ数えるほどしかないのだ。会話すら碌にした覚えがないのに、いったい何だというのだろう。
「……わかりません。しかし……あちらが望むというのであれば、仕方がないのでしょう」
欲を言えば、そもそも京都に近づくことすらあまり乗り気ではない。
しかし毒を喰らわば皿までと言うように、受けた仕事に関して迷っていることこそ無駄の極致、愚の骨頂である。たとえ修太郎が個人的に狐妖怪を苦手としていても、やるべきことはやらなくてはならない。
どうせなら、ついでに用事を済ませてしまってもいいかもしれない。
「決まりだな。悪い、こっちの都合ばかり押しつけちまって」
「いえ、妥当な所かと。自分としても問題はありません」
「そう言ってくれると助かる。でだ、押しつけついでに一つ調べてほしいこともあるんだが、頼めるか?」
「? 何でしょうか」
「200年前の赤龍帝のことだ。当時の土御門家に協力して高円と戦っていたらしくてな、そいつのせいで兵藤一誠の神器がちょっと面倒くさいことになってる」
「わかりました。聞いてみましょう」
話もついたところでセラフォルーがぽんっと手を叩く。
「それじゃあ明日朝9時、駅前集合よ☆ よろしくね、修太郎くん」
「承知しました。ところで、個人的に連れて行きたい者が一人いるのですが、よろしいでしょうか?」
「もう一人? 黒歌ちゃん?」
「いえ、京都に悪魔を連れて行くのは面倒が大きいでしょう。なので――」
―○●○―
「新幹線ってこんなに速いのね! 私、初めて乗っちゃった!」
栗毛のツインテールがゆらゆらと揺れる。
京都行きの新幹線の中に修太郎とセラフォルー、そして追加で同伴してきた紫藤イリナが向かい合って座っていた。
今回イリナを京都へ連れて行くのは、鋼糸術のさらなる熟達のためだ。
土御門家に所属する退魔師に、修太郎へと鋼糸の基本を教えた人物がいる。当代きっての糸使いであるその人より直接教われば、イリナの技はさらなる高みを目指せるだろう。
ゼノヴィアたちと違って学園に通っていないイリナは、どうやら今までひたすら特訓に明け暮れていたようで、以前最後に見た時とは見違えるほど実力を上げている。それこそ、もはや修太郎が口を出す余地すら無いほどに。
指導という指導が出来た自覚は無いが、修太郎が導けるのはここまでだ。
さびしいようなそうでないような、何とも言えない想いがある。何にせよ、関わった人が良い成長を見せるのは喜ばしいことだ。
修太郎が京都へ行くにあたって、やはりと言うべきか黒歌と一悶着あった。
しかし、未だ地脈の安定しない駒王町から彼女が離れるのはまずい。ああ見えて理屈がわからないわけではないので、一応納得はしていたようだが、拗ねていじけてしまった。
それに関しては、何か美味しいお土産をたくさん買って帰れば機嫌も直るだろう。
別れる前、最後に「悪い女に誑かされないように」などと言っていたが、京都でわざわざ自分に声をかけてくる女性はまずいないと修太郎は思っていた。自身の容姿が如何に一般人を怖がらせるか程度のことは、彼も自覚している。よって黒歌の考え過ぎである。
「ねえ修太郎さん、そういえば京都の退魔師ってどんな人たちなのかしら? これから行くところは土御門……って言うのよね」
イリナが疑問を呟く。
最初の内は敬語で接してきていた彼女だが、最近は大分くだけて話すようになった。それを違和感なくこなせるのは、彼女の気質によるところが大きいだろう。修太郎も悪い気はしていない。
誰とでも仲良くなれるというのは稀有な才能だと思う。個人的にかなり羨ましかった。
「私も気になる☆ 修太郎くん、教えてくれないかしら?」
セラフォルーが尋ねる。
「ふむ、そうですね……個人的な目線で言えば、割と付き合いやすい人たちだと思っています」
頭の中で知り合いの退魔師たちを思い浮かべながら話す。
「日本の退魔師たちは土着の一族が多く、基本閉鎖的ですが、別に引きこもっているわけではありません。それぞれが管理する土地の中で起こった怪異の解決を主に行い、要請があれば他の地域にも出向きます。俺の家を含む月緒の一族は、どちらかと言えば他への出向を主な活動としていました。……それで、俺が出向いた中でも積極的に力を貸してくれたのは彼ら京都の陰陽師だけだったのです」
特に修太郎は危険度の高い案件を預かることが多く、必然として他家の退魔師と多く関わってきた。
その中でも京都の退魔組織――陰陽院の術師たちはかなり親切な部類にあたる。
「なんで? みんなで協力して仕事するんでしょう?」
イリナが疑問符を浮かべる。
「それがそうでもないのだ。どこの退魔一族にも知られたくない秘伝、秘密というものがある」
たとえば一族代々で禁術を研究・開発していたとする。
その結果、手の付けられない凶悪な妖魔が生まれたならば、それを処分しなければならない。その際、体裁を取り繕うために助っ人の退魔師へ情報を与えない、ということがあった。
他にも手違いで祟り神を封印から解放してしまったり、秘術の失敗で当主が異形と化してしまったりなど、パターンは多岐にわたる。
退魔剣士時代、他家の要請に応えて修太郎が出向いた案件の大半はそういった部類のものである。
特に魔人が活動していたころは「これは高円雅崇のせいだ」と言えば大抵のことが誤魔化せてしまっていた。
日本の退魔組織は、横のつながりはあっても縦の管理が弱いという欠点を抱えているのだ。
「おかげで何度も死にかける羽目になった。京都は土御門を筆頭に複数の退魔一族が管理している。互いが互いを見張っているために、そういったことが少ない」
「無責任……って言いたいところだけど、教会も宗派の違いで色々あるものね。エクスカリバーが奪われた時も、正教会だけ傍観していたし。どこの組織も問題を抱えてるってことかしら?」
「神話ですらそうなのだ。問題を抱えていない組織は無いだろう」
たとえば北欧神話の悪神・ロキなどは、アース神族に所属しながら最終的には巨人側に立っている。
現実ではどうなるかわからないところだが、少なくともそういうことをしそうな存在ではあるのだろう。
「私たち悪魔に協力してくれるかしら?」
セラフォルーが尋ねる。
「今回に限ってはおそらく大丈夫でしょう。高円雅崇の脅威は誰よりも彼らが知っている。放っては置けないはずです。以前の戦いでは多くの力ある退魔師が死んでいますから、直接的な人員投入まではいかないでしょうが、奴に関する情報と、有効な術式の提供ぐらいは期待しても良いかと」
「よかった! あの魔人、とんでもない奴だったものね☆」
ほっと息を吐くセラフォルー。
とはいえまだ決まったわけではないのだが。
「その、魔人って人はそんなに厄介な相手なんですか?」
イリナがセラフォルーに尋ね、セラフォルーが修太郎に視線を向ける。
なぜこちらに説明を振るのか。ともあれ答えることにする。
「奴は非常に陰湿且つ用意周到にことを進める男だ。勝てない戦は決してせず、詰み手が見えるまで表に出てこない。仙術に通じる奴を見つけるのは極めて困難であるから、俺たちは後手に回ることの方が多かった」
陰陽風水の卜占もさらに高位の術師である魔人には通用せず、逆に利用されて罠に嵌められたこともある。
「そしていざ正面から戦ったとしても、生半可な実力では太刀打ちできない力を持っている。『流星』に始まり、『紅炎』『海嘯』『砂塵』『雷霆』――そして『土蜘蛛』。奴の式神、六体の天将は、多くの退魔師を無残に屠っていった。特に『紅炎』は悪魔に対し効果絶大だろう。あれは太陽の炎そのものだ」
「――太陽! そんなものまで使えるの!?」
驚くセラフォルーに修太郎は頷く。
「奴は自身が持つ龍神の力の断片をそういった領域まで利用できます。学園を襲った第一天将――『流星』と、第三の『海嘯』以外は自分が破壊しましたが、悪魔を相手にする以上は修復していると考える方が妥当です。そしておそらく、それらは強化されている」
第一天将・無銘凶星。通称『流星』があれほどまでの威力を発揮していたのだ。他の鬼神も使うのであれば、同等の強化が施されていても何ら不思議ではない。
「故に京都陰陽師たちの協力は必要不可欠。セラフォルー殿には頑張っていただきたい」
「うん、私頑張っちゃう☆ 絶対協力してくれるよう説得して見せるんだから! 八坂姫との話し合い、修太郎くんも頑張ってね☆」
セラフォルーの最後の言葉を聞いて、気分が落ちるのを自覚する。
そうなのだ。なぜか会わねばならないのだ。
正直、あまりいい予感はしない。そしてこういう時の勘はおそろしく当たるのが修太郎だった。
ともあれ一路京都に向かう。
いつも隣にいる黒猫は不在。こういう時、少し物足りなさを感じてしまうのはなぜだろう。
快速で進む新幹線に揺られながら、修太郎は気分転換に窓の向こうの空を見上げるのだった。
投稿だいぶ遅れて申し訳ない。
一日が48時間あればいいのに……その分仕事時間が増えるか。ふぁっく。
そんなこんなで新章です。ちょっと黒歌の出番が少なくなるかも。
次回は修学旅行に先駆けて八坂姫が登場する予定。
ちなみにカテレアちゃんはお留守番です。本当は連れて行くはずでしたが、交渉しに行くのに子連れなんてなめてると思い直し断念。仕方ない。