剣鬼と黒猫   作:工場船

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第三十五話:惑わし狐

 翌日の昼過ぎ。

 京都駅ビルは中央改札口前にて、修太郎は空を見ていた。

 八坂を追い払ったあの後、詳しい経緯の説明をするべく黒歌に連絡を取ろうとしたものの、聞く耳持たずで悉く拒否され結局何の話もできていない。

 何故自分はこんなことをやっているのだろう、と思わずにはいられなかった。

 自分としてはただ重要人物の護衛をこなし、少々話をして帰るだけの仕事だったはずである。それがなぜこのような痴話喧嘩染みたことになっているのだろうか。原因を考えても間が悪かったとしか言いようが無く、それだけに解せない。理不尽事には慣れているつもりだったが、この曖昧模糊とした胸中は如何ともしがたかった。

 視線を落とし、周囲を見る。

 

 日本有数の観光都市・京都の玄関口である京都駅は、同じく日本有数のターミナル駅でもある。

 未来志向のデザインは古都・京都のイメージと比較して賛否両論あるようだが、その巨大さと斬新さは観光の目玉となるに十分な物だろう。日々数十万の人々が乗り降りする駅内は、雑踏の音が絶えず響いていた。

 上を見れば、実に4000枚にも及ぶガラス窓で覆われた吹き抜けの大屋根が、鉄骨によって青空を縦横に区切っている。いつか訪れた駒王町のデパートよりもなお高く、風吹きぬけるような広大さを持つアトリウム構造には、ある種の開放感があった。しかしだからといって、修太郎の心が晴れることはない。

 

 八坂が言ったとおり、裏町で行われる交渉の場に修太郎は参加しないこととなった。

 どうやらセラフォルーには話が通っていたらしく、にこやかな笑顔で任を外されてしまえば修太郎としても文句は言えない。代わりの護衛は彼女の眷族が行うとして、本日一日修太郎はフリーになったのだった。

 

 完全に空いた午前中を鍛錬にあて、その後昼食を済ませ、駅ビル内でお土産を購入し、そして今、修太郎は待ち人が来るのを待っている。

 時刻はおやつ時、約束の時間からはもう既に一時間近く経過していた。

 それでも文句ひとつ垂れることなく直立不動で立ち尽くす修太郎は、その日本人離れした長身と堅気に見えない容貌もあって非常に目立っていた。無論、良い意味ではなく。

 普段ならば気配を薄めて注目されることを避けているのだが、それをやって待ち人に素通りされては敵わない。しかしながら、多くの人々から畏怖や好奇の視線を注がれるのはあまり気分が良いものではなかったし、警備員などはあからさまに警戒している。何せ一般人から見た修太郎の纏う空気は剣呑極まるものであり、それが一時間何かを待っているのだ。何が起こるか気が気ではないのだろう。結果として、彼の周囲には不自然な空白地帯ができていた。

 どうしたものか――もう帰ってしまおうか、などと思い始めた丁度その時。

 

「すまぬ、待たせたか?」

 

 隣に降り立ったその声に首を振り向かせる。

 輝く金毛、白磁の肌。京都の地脈を治める美貌の妖狐姫、八坂がそこにいた。

 

「話し合いが中々終わらんでの、こちらから指定しておきながら遅れてしもうた。いちおう余裕は持たせておったのじゃが、山ン本の奴がごねてのう……」

 

「いえ、来ていただけて何より」

 

 そう答えて、彼女の姿を見る。

 彼女は昨日見た巫女装束姿ではなく、清楚な純白のワンピースを着ていた。

 裾は膝下まである長いものだが、夏だからだろうか、大きく露出した真っ白な肩の柔らかいラインと二の腕が眩しい。生地は薄いようで、メリハリの利いたスタイルの曲線が透けて見えるようだ。とはいえ、実際に見えている訳ではないが。

 その可憐な姿から感じる力は莫大。分身などではありえない。間違いなく、九尾の御大将その人だった。

 

「その格好は」

 

「わらわも女子(おなご)じゃからの、この前偶然見つけた『ふぁっしょん雑誌』とやらにあった服を取り寄せてみたのじゃ。着回しがきいて便利な服と聞いておる。しかし中々着る機会が無くてのう……どうじゃ、わらわもまだまだ若かろう?」

 

 そう言って、くるりと回る。煌めく金髪とともに柔らかな生地のスカートがふわりと翻った。

 

「お綺麗です」

 

 若いかどうかはともかく。

 

「ふふふ、そうかの?」

 

 答えを聞いた八坂は満足げに微笑む。

 狐の耳と尾は隠しているようだが、幻術の類を使っているのか修太郎の目には薄く存在が確認できる。それらがゆらゆらと揺れていた。

 先導するように修太郎の前を歩きだす八坂は、どこからともなく麦わら帽子を取り出して被った。

 

「では、行こうかのう」

 

 そうしてしばらく、着いて行くままに彼女の後ろを歩く。

 道行く人々の視線は不思議と気にならない。通常、八坂のような金髪の美女が街を歩けば大なり小なり注目を浴びるものだが、おそらくなんらかの術を用いて誤魔化しているのだろう。普段黒歌と一緒に歩く際に展開されるものと似た術の気配がした。

 ふと、前を進む八坂が呟く。

 

「人間というのは不思議な生き物じゃのう」

 

 意識をそちらに向けて応じれば、彼女はそのまま話を続ける。

 

「わらわが京都の地に生まれて幾年月、その間ずっと人というものを見てきた。人間は我らと比べて弱い生き物じゃ。肉体的には勿論、精神的にも不安定で、同族相手でも容易に争いを起こす。欲も強く、天下統一だの他国征服だの、血の気の荒さでいうなら鬼と同等にも見える。身勝手で、子供な種族じゃ。正直な話、あまり好ましい動物ではない」

 

 しかし、と彼女は一息つく。

 

「定命の身であるからか、はたまた不安定な精神の賜物であるのか、お主らが見せる一瞬の煌めきが我らを魅了するのもまた事実。戦の際、ふとした瞬間に見せる爆発力。新たな技術の閃きと、それによる発展。まったくもって素晴らしきことよ。この街など、わずか数十年で見違えるように様変わりした。わらわたちではこううまくはいかぬ」

 

「…………」

 

「今の世は人間を中心に回っておる。信仰を必要とする神に天使、欲望を糧とする悪魔、そして血肉や精気を求める我ら妖魔。一様に人間よりも強靭な生命じゃが、それらに対してお主らが与える影響は非常に強い。文化などはその最たるものじゃ。わかるじゃろ?」

 

「……はい」

 

 投げかけられた問いに首肯する。

 確かに、今まで世界を巡り歩いた修太郎はそれを知っている。須弥山然り、アースガルズ然り、影の国然り……どこの神話体系にも人間が開発した技術・文化の気配が見え隠れしていた。

 例としては聖書の三大勢力が最もわかりやすい。特に悪魔などは転生悪魔の影響か、着実に人間のそれを基に変わっていっている。

 

「多くの神話では神が人を創ったと言うが、こうあっては何が真実かわからぬのう。お主や雅崇、土御門水守のような人でありながら異形を超えた力を持つ者も生まれるのだから、本に不思議なものじゃ。興味が尽きぬ」

 

 振り向いて、後ろ歩きにこちらを見る。

 修太郎には八坂の意図がまるでわからなかった。

 

「何が言いたいのです」

 

「わからぬか? つまりじゃな、此度は良い機会だと言うことじゃ。何せわらわはそう簡単に外へ出られる身ではなくてな、たまに九重と共に夜出歩くことはあるが、昼間などは中々のう。しかし治める者として街の空気も知らんようでは話にならぬであろう?」

 

 などと言って、悪戯気に笑う姿は少女のようでもあった。

 それはつまり。

 

「自分を出し(・・)にした、ということですか」

 

「そう思ってもらって構わぬが、お主と話したいことがあるのも本当じゃ」

 

 修太郎はしばし考え込む。

 彼女が自分と何を話すかと言えばタイミング的に高円雅崇のことだろう。なんにせよ、ここまで来ると修太郎も気になってくる。

 八坂の人格が良くわからないため油断は禁物だが、斬龍刀もあるのだ。もし彼女が修太郎に危害を加えようとしても、逃げるだけならばなんとかなるだろう。

 

「……承知しました。付き合いましょう」

 

「決まりじゃな。では……」

 

 八坂はぐるりと辺りを見回した後、修太郎を見て言う。

 

「まずは監視を撒かねばのう。これでは楽しめぬ」

 

 修太郎も辺りに意識を走らせる。

 八坂と合流した時より気付いてはいたが、強い力を持った妖怪たちが結構な数でこちらを取り囲んでいる。おそらくは修太郎を警戒してのことだろう。

 注がれる視線は鋭く、殺気すら帯びて修太郎の全身を刺す。自分自身に楽しむつもりは毛頭ないが、なるほどこれでは息が詰まる。

 しかしながら、高位妖怪たちが敷く包囲を抜けるのは骨でもあった。

 

「何か良い方法がありますか」

 

「そうじゃの、土地の力を利用してやってもよいが、それはそれで問題じゃから少し遠慮したいところじゃ」

 

「なるほど。では八坂殿、この場は自分に任せていただきたい」

 

「む、何ぞ案でもあるのか?」

 

 その問いに、修太郎は無言で闘気を纏った。

 蒼い炎の如き鎧に、それを目にした八坂は一瞬目を丸くする。

 

「では、失礼する。少々揺れます故、お覚悟を」

 

 対する八坂は、答えの代わりに楽しげな笑みを作った。

 

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

 そんな男女の背後を尾行する影があった。

 小柄な体躯に巫女装束を身に纏った可愛らしい少女である。歳の頃は小学校の低学年ほどだろうか、妖異の証である獣の耳とふさふさした尾を揺らめかせ、物陰から物陰へと移動していた。

 

 少女の名は九重(くのう)

 今現在目の前で男と二人歩く女性――九尾の狐・八坂の娘である。

 一人危険人物と接触する母親を心配に思い、お供である狐巫女たちを数名伴っての行軍であった。

 ぱっちりと大きく愛らしい金色の瞳で前方の二人を凝視する。

 

「ぐむむ、母上……何故(なにゆえ)そのような男と会う必要があるのです……」

 

 小さな顔の眉間にしわを寄せて呟く。

 ピンとまっすぐ立った尾は憤りに細かく震え、納得できないと表情が物語っていた。

 

 日本に住む妖魔の怨敵・御道修太郎のことは九重とて知っている。

 数多の悪鬼悪霊魑魅魍魎、妖獣魔獣鬼神荒神を討滅してきた日本最強の退魔剣士だ。東北の九尾を殺し、飛騨の大鬼神を滅ぼした功績は英雄と呼ばれるに足るものだろう。彼の魔人・高円雅崇に対して真っ向から抗して見せる人物でもあり、今日の日本が平穏な日々を送れているのも彼の存在があればこそ。結果として日本の妖怪たちを救った人物でもある。

 しかしながら、それとこれとは話が別だった。

 

「その者は九十九尾(つづらお)さまを殺した男なのですぞ……!」

 

 修太郎が殺した東北の地を治める九尾――九十九尾は、八坂とは旧知の仲でもあった。故に当然、九重も面識がある。

 九十九尾は姿も知らぬ九重の祖母、つまりは八坂の母と同年代に当たる古狐であり、その妖力は全盛期であれば魔王すら恐れるものであったと言う。

 

 九重が会った時は精神の衰えにより年老いた女性の姿をしていたが、それでも幼いながらに凄まじい妖怪だと感じた。

 彼女は、初めて九重を「八坂の娘」ではなく一人の妖怪として扱ってくれた人物である。厳しいだけではなく時には優しさも見せ、幼い九重は九十九尾の子供たちを羨ましく思ったものだった。とはいえ、八坂のことが嫌いなどということは死んでもあり得ない。

 つまるところ、九重は九十九尾に祖母の面影を見ていたのかもしれない。

 

 それを永遠に亡き者としたのが御道修太郎だ。

 そもそも、九重は九十九尾が魔人の手によって狂ったなどという話を信じていなかった。

 あの高潔で強い彼女が魔人如きの術中に嵌まるはずがない。どうせ殺戮狂いの剣鬼がしでかしたことに対する言い訳だと考えていた。

 そのような者とどうして母は会いたいなどと言うのだろう?

 

「何か考えがあるのですか……? 九重にはわかりませぬ……」

 

 本当ならば即座に止めに入りたいところだが、そう思うが故に物陰から様子を窺うに留まっていた。

 二人は何やら会話をしながら歩いているようだ。母が施した術のせいか、九重にも内容までは聞こえてこない。

 もっと近づこうかと思ったその時、九重は信じられないものを見る。

 

「……なん、じゃと……?」

 

 八坂が振り向き修太郎に対して笑いかけたのだ。今まで見た事の無い、子供のような笑みである。

 九重の背筋に電流走る。

 まさか、考えられないことだが、まさか母は……。

 

「あの男に、惚れた……というのですか……?」

 

 もしその予想が当たっていたとして、それはつまり、あの恐ろしい男が九重の新たな父になるということ。何だそれは。意味がわからない。あまりにも理解不能な事柄に、九重の意識が大量のエラーを吐き出す。

 頭の中が真っ白に染まり、視界が真っ黒になる。

 全身から力が抜け、呆然としながらその場にへたり込んだ。

 

「く、九重さま! お気を確かに!」

 

「ただ笑いかけただけでありまするぞ! まだ八坂さまが御道修太郎に心を寄せているなどと決まったわけでは……」

 

「……はっ! そ、そうじゃな。ただ笑っただけじゃ。まだ慌てる時間ではない」

 

 お供の声に気を立て直す。

 そう、思い返せば母があの凶悪な面相の男に恋をする要素など何一つ無いのだ。もしかすると色香であの男を惑わせ、籠絡し、首を断って、九十九尾の仇をとるつもりなのかもしれない。

 

(ふぅ……私としたことが……)

 

 先ほどの八坂が見せた表情が、あまりにも普段とかけ離れていたため混乱してしまった。

 深呼吸を数度行って気分を落ち着かせれば、普段の九重に立ち戻る。

 そうして観察を続行すれば、そこには蒼い炎のようなオーラを纏った男と、それに横抱きで抱えられる母がいた。

 

「……は?」

 

 思わず素っ頓狂な声が漏れる。

 それも束の間、母を抱えた男は神速で跳び去った。

 建物を足場にして瞬く間に彼方へと消えていく二人の姿。

 しばし、沈黙が場を支配する。

 

「や……」

 

「八坂さまが……」

 

「攫われた……?」

 

 お供の狐巫女たちが呆然として呟く。

 その直後、周辺を包囲していた妖怪たちの気配が騒ぎだしてやっと、九重の意識は回復した。

 

「は、母上ーーーーーーーーーーー!?」

 

「九重さま!?」

 

 絶叫する九重。

 そうして一人お供を置いて飛び出した。

 八坂に教わった術を駆使し、狐火を纏って駆け抜ける九重は疾風と見まがうスピードだ。

 急いで追従し、落ち着くように叫ぶ狐巫女たちをぐんぐん引き離していく。少女は今、混乱の極致にあった。

 

(母上母上母上母上母上母上母上母上母上母上母上ーーーー!!)

 

 胸中でそれだけを叫びながら、下手人が辿ったであろう経路を疾走する。

 しかし、母はおろか男の影一つ見えない。風下の方向へ向かったからか、匂いすらも流れてほとんど無くなってしまっていた。

 それでも諦めずに、妖力と体力の続く限り走り続け、母の姿を探す。

 そうして日も落ちてきた夕暮れ、街から外れた地域にある広場に降り立った九重は、ほどなくして完全に見失ったことを嫌でも理解した。

 

「うっ、うううっ、は、ははうえ゛ぇぇ…………」

 

 ぼろぼろと涙がこぼれる。

 あの男に攫われた母はいったい何をされるのだろうか?

 かつて高円雅崇に捕えられた妖怪たちは見るも無残に解体されていたと聞く。九重の認識の中で、御道修太郎はあれと同類だ。あるいは、少女の頭では思いもつかない凄惨な辱めを受けた末、切り刻まれて殺されるかもしれない。

 いったい自分はどうすればいいのか。何もできないのか。九十九尾のように母は殺されてしまうのか。

 

「ははう゛え゛ぇぇぇ……!!」

 

 ぐるぐると回る思考は絶望に沈んで、何が何やらわからない。嗚咽と涙だけが溢れて響く。

 町はずれで一人泣き叫ぶ妖狐の少女を慰める従者はいない。彼女たちは置いて来てしまった。

 術で姿を隠している今、まばらに歩く人間たちも誰一人それに気づかない。

 少女は今、世界に独りだった――のだが。

 

「………てい」

 

「うあ゛っ!?」

 

 聞きなれない掛け声がしたかと思うと、九重の頭を強い衝撃が襲う。

 痛みに頭を押さえながら衝撃の正体を見れば、そこには一人の少女が手を差し出していた。

 歳の頃は九重よりもやや上といったところだろうか。奈落の闇を連想させる黒い頭髪は長く、同じく奈落の如き黒瞳がこちらを覗き込む。端正な顔は作り物めいて、肌は病的なまでに白く美しい。その対照的なコントラストを覆う衣服は幾重ものフリルに彩られた黒いゴシックロリータドレス。

 にじみ出る不可思議な存在感に気圧され、わずかにのけぞる九重。

 対する黒の少女は――。

 

「我、参上」

 

 そんなことを言う。

 そして九重をはたいた(と思われる)方とは反対の手に持ったものを差し出してきた。

 

「あげる」

 

 鼻先に突きつけられるクリームの甘い匂い。

 見れば、それはクレープだった。

 

「???」

 

「食べる」

 

 少女に勧められるがまま、黄色い生地に覆われたそれを受け取り、食べる。乗せられたトッピング――苺とチョコレートソース――の酸味と甘味が舌の上に広がる。そこに生クリームが合わされば、至福の時間が訪れた。

 無心となって黙々と食べ続ければ、ほどなくクレープは全て胃の中に消えた。

 

「元気になった?」

 

 それを確認した黒い少女は、無表情でそう聞いてくる。

 

「うむ、かたじけない。お主はいったい……」

 

「我、お母さん。母は子供に優しいもの」

 

「そ、そうであるか」

 

 何者か聞こうとしたところの返答である。意味はわからない。

 胸を張って答える少女は相変わらず異質な気配を放っているが、悪意のある存在ではないようだ。

 それにしても、隠行の術を施してある九重を認識しているということは、この少女只者ではない。慰めてもらっておいて何だが、九重の中でわずかな警戒心が湧く。

 

「お主は……何じゃ?」

 

「ん。我は……」

 

「おれの身内だ、少女」

 

 突如、頭上から声がかかる。九重の背後に誰かいた。

 驚いて振り向くと、声の主は一人の男だった。歳の頃は三十代前半といったところだろうか。肩幅の広い長身、短い黒髪は逆立ち、切れ長の目には黒い少女と同じく奈落の闇がはめ込まれている。夏だというのに黒いコートを羽織った姿は異様以外の表現ができない。

 人間だ(・・・)。見た瞬間に、九重はそう思った。何故かはわからないが、そう思わなければいけない気がしたのだ。

 

「あまり側を離れないよう言っておいたのだが。彼女が何か迷惑をかけてはいないかな?」

 

「う、む……特には何も」

 

 むしろ世話になった立場である。

 覗き込む男の表情は逆光で窺えない。しかし、どこか愉しげに見えた。

 思わず気圧される。

 

「ならば良かった。ああ、おれは――」

 

「マサタカ」

 

「……と言う者だ。陰陽師をしている」

 

 割って入った少女に動じることなく、マサタカと呼ばれた男は続けた。

 マサタカ……まさたか。九重はその名に聞き覚えがあるような気がした。最近どころか、割と高い頻度で聞いているような……しかし、いまいち思い出せない。多分、そこまで重要なことではないのだろう。

 

「きみは妖狐か。かなり位の高い血族と見るが、何故このようなところに?」

 

 男は話を続ける。表情はやはり窺えないが、九重にはにこやかな笑みを浮かべているように思えた。

 そのことに酷い違和感を感じつつ、しかし警戒心は不思議と無くなっていく。

 自然と九重は男の目を見つめた。

 暗い、暗い、どこまでも暗い(うろ)の瞳。

 その最奥が、黄金に瞬く。

 

「なるほど、御道が八坂姫と……。くくく、居合わせたのは偶然であるが、何とも奇妙な縁とも言える。さあ、どうしたものかな……」

 

 九重は何も喋っていないにもかかわらず、男は状況を理解したかのように何か呟く。茫洋とした意識の中では、その内容まで認識することはできなかった。

 そうして男は手の平を九重の頭にかざそうとし――。

 

「てい」

 

「――む?」

 

 黒い少女に阻まれた。

 手刀一閃、男の腕が跳ね上がる。

 その瞬間、九重の意識は一気に現実へと覚醒した。

 

「マサタカ、子供には優しく。……めっ」

 

「……ふむ。ああ、確かに。此度の主旨にも沿わぬ。おれの悪い癖か。よろしい、少女よ」

 

「ふ、ふぁ……!? なんじゃ!?」

 

 寝起きのような感覚の中、急に呼びかけられた九重は慌てて応じる。

 

「きみの探しものを手伝おう」

 

「さ、探しもの……? お主、何故そのことを……?」

 

 何故男が自身の状況を知っているのだろう?

 その問いに、男は平然と答える。

 

「何故も何も、そのように泣き喚いていたではないか。母親を探せばよいのだろう?」

 

 そう言って男が腕を一振りすると、九重の真下に陰陽太極の方陣が敷かれた。

 そのまま刀印を構えながら、驚くほど滑らかに法力を動かす。

 

「血縁を見つけるなど容易い。文字通り『血』の『縁』をたどればよい。たとえ星の裏側にいようと、次元を隔てていようと、血脈の絆は潰えぬ。意志や言葉はおろか、死を以ってしても断てぬ絶対の契約よ。神々すらも抗えん」

 

 九重を基点として探査の光が不可視の領域に走るのを感じる。未熟な彼女の視点でもわかるほどに洗練された術式は、極めて高度な技術の賜物だと一目で理解できた。

 どうやらこの――名は忘れてしまった――男は、非常に強力な陰陽師であるらしい。

 さして間を置かず、男は何かを掴んだかのように一度目を瞑り――。

 

「見つけた」

 

「本当か!?」

 

 思わず大声を上げてしまう。

 男は懐から呪符を取り出し念を込めると、宙目掛けて投げつけた。風に巻かれたように飛翔した呪符は、瞬く間の内に一羽の小鳥となって九重の下へ舞い降りる。

 

「それがきみの母がどこにいるかを知っている。何もせず、ただ着いて行けばよい。それだけで障害など何一つ無く辿り着くだろう」

 

「う、うむ、あいわかった。大変世話になったのじゃ、この恩は……」

 

「いらぬ。所詮戯れだ。そのようなもの、余計である。もう会うこともあるまい」

 

 そう言って、男は踵を返す。

 黒い少女もそれに追随した。手には、いつの間に買ったのかクレープが握られている。

 

「日も暮れてきた。我らは帰ろう。怖い鬼が来てはたまらぬのでな」

 

「我、鬼なんか怖くない」

 

「おれが怖いのだよ。まったく情けないことだが」

 

「……ん、なら帰る」

 

 夕闇に消えていく二人の背中を見ていた九重を、小鳥の式神がつついて急かす。

 ともあれ、これに着いて行けば母の下まで辿り着けるらしい。真偽のほどは不確定だが、今の少女にはこの小鳥以外に頼るものが無い。

 疲れた身体を叱咤して、九重は小鳥の後ろを走り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

 

 修太郎の神速で以って包囲を破った後、八坂の希望により二人は都市部を回る事となった。

 通常京都の観光スポットと言えば晴明神社や伏見稲荷神社などの霊地であるが、それらを統括する立場にある彼女にとしては、そのような場所に行っても仕方がないのだ。そもそも、行けば妖怪たちに見つかること確定である。

 とはいえ、修太郎とてそこまで街に詳しいわけではない。京都へは退魔剣士時代に何度も訪れていながらプライベートで繰り出したことは一度も無く、そもそも黒歌と出会うまではそういった遊びごととは無縁であった身だ。

 

 どうしたものかと悩んだ挙句、二人は京都駅ビルに戻ることにした。

 映画村や動物園などは過去娘の九重を連れて行ったことがあるようだが、どうやらそこはあまり利用したことがないとのことだ。

 盲点じゃった、とは八坂の弁である。

 派手に正面突破しておいて何ともあれだが、追手もまさかいきなり戻ってくるとは思っていなかったようで、完全に捜索の穴を突くことができたらしい。二人が駅ビルにやってきたとき、妖怪の気配はほとんど失せていた。

 

 悪魔との会談は昼間で終わったものの、夜には各地の有力妖怪との協議が行われる。

 時刻は4時を回り、刻限は夜8時といったところだろうか。実際に過ごせるのは3時間ほどとして、そうなれば複合商業施設である京都駅ビルはちょうどいいのかもしれなかった。

 

 まずは小腹がすいたと言う八坂と共に喫茶店で甘味を食べる。

 普段から和菓子系統は食べ飽きてるのか、八坂は積極的にケーキなどを頼んでいく。案の定、最終的に食べきれなくなったため、残りは修太郎が処理することとなった。

 調子に乗ったことを八坂から謝られたが、黒歌もよく同じようなことをやるので修太郎は特に気にしなかった。

 かねてより気になっていたので、「妖怪は甘いものを食べても太らないのか」と聞くと、脛を蹴られてしまった。解せない。

 

 続いて訪れたのは伊○丹。

 一階から順番に見ていき、服やアクセサリー、雑貨類を物色する。

 はしゃぐまではいかなくとも、興味津々に見回る八坂はやはり幾つになっても女性なのだろう。薄く確認できる耳と尾は楽しげに揺れていた。

 その様子に修太郎はそこはかとないデジャヴを感じ、これはもしかして世間一般で言うデートなのでは? などと考え始めたのはこの頃である。

 それはともかく、試着までし始めた彼女はこちらに感想を求めてくる。どれも非常に似合っていたので正直に答えると、「お主性質(たち)が悪いな」などと返された。どうにも解せない。

 

 その次は駅ビルよりほど近い家電量販店に行くこととなった。

 聞けば裏町にも最新機器を取りそろえたいのだと言う。どうやら八坂は昨夜の呟きを形にするつもりらしい。

 機械と妖怪、という組み合わせは中々ミスマッチであると思うのだが、それを言うならば悪魔や堕天使もそうである。であれば、これも時流なのだろう。

 

 八坂は特に携帯電話が気になっているのか、長い時間そのコーナーを物色していた。

 事あるごとにこちらへ質問してくる彼女であったが、別に修太郎も携帯端末周りに詳しいわけではない。結果的に店員が質問攻めにあい、難儀しているようだった。とはいえ、純白ワンピースを着たスタイル抜群の金髪美女に迫られることとなったその男性店員はまんざらでもなかったようだが。

 あまりにも置いてけぼりだったので一人端末の周辺機器を見ている(修太郎が持っているものと何故か互換性があった)と、今度は後ろから腿を蹴られた。

 曰く「お主はわらわの護衛でもあるのじゃろうが」とのこと。正式に請け負ったわけではないのだが、彼女の認識はそうなのだろう。しかし、やはり解せない。

 ちなみに店には修太郎が持っている端末以上のスペックを持つものは無かったようだ。

 

 そして今。

 夕暮れに沈む京都の街並みを卑睨する。

 京都タワーの展望台で修太郎と八坂は二人景色を眺めていた。

 

「今日は楽しかったぞ。御道修太郎よ、礼を言う」

 

「であれば重畳。こちらとしても甲斐があったというもの」

 

 そう返す。

 何かと不可解な一日であったものの、悪い時間ではなかったと思う。

 

「ただ、包囲の突破についてはそちらで弁解していただきたい」

 

 八坂を攫って見せたことで京都妖怪たちからの評価はまたもや下がっただろう。そんなものは元々あってないようなものだが、いきり立った妖怪に襲撃などされてはたまらない。

 

「わかっておるよ。手間をかけたのう」

 

「いえ、それよりも……」

 

 視線で話を促す。

 いいかげん本題を聞きたかった。

 それを察した八坂はわずかに唇ととがらせ、拗ねたようにじとりと見返してくる。

 

「無粋じゃのう。こんな綺麗な夕焼けであるのに、もう少し趣向を凝らした台詞の一つでも言えぬのか……まあよい」

 

 ふん、と一度鼻を鳴らして視線を逸らす。

 途端、周囲から人気が消える。人払いの術式か。

 

「今回お主を呼んだ理由はな、何、そう難しいことはない。ただお主がまだ我らにとって危険であるかどうかを確認したかっただけじゃ。結果は……寸でのところで合格、と言ったころじゃな」

 

 そう八坂は告げた。

 そのまま返答を待たず続ける。

 

「かつてのお主は悪意なく我らの同胞を殺し、時には同じ人間でさえ殺した。それも山ほどのう。雅崇が京都へ襲撃をかけた際に見た姿などは、まるで処刑機械のようであったよ」

 

「…………」

 

 無言の修太郎。

 

「しかし、共にこの場を巡って感じたことじゃが……かつてのお主は器物――刀剣そのものであったが、今のお主は紛れも無く『人間』に見えた。やや無愛想で朴念仁じゃがな。まるで見違えるようじゃ。やはりあの猫又が関係しておるのかのう?」

 

「今の自分は、彼女のために生きています」

 

「なるほど。新しく『大事なもの』を見つけたというわけじゃな」

 

 修太郎は首肯する。

 それに八坂は微笑んだ。

 そして問う。

 

「それなのに雅崇と戦うのか」

 

「……はい」

 

「もし勝てたとしても、今度は死ぬぞ。わかっておろう」

 

「…………」

 

 そう、わかっている。

 魔人が学園での一戦で見せた天将の一撃は、かつてと別次元の領域にあった。

 おそらく、以前までは他の神話勢力に気取られぬよう力の規模を調整していたのだ。信じられないことだがつまり、修太郎が知る過去の高円雅崇は手加減していたということだろう。

 しかし、それも今は解禁されている。かつては取らなかった手段や方法を躊躇いなく使ってくるはずだ。それに加えて学園での高円雅崇は完全ではなかった。

 修太郎の全盛期であってさえあれほど手ごわかった相手である。勝てる見込みは極めて薄い。黒歌が加わったとして、どうなるか。

 それでもやらなければ。そう感じる――のだが。

 

 あるいは、もしもそれでかつてと同じく大事なものを失うことになるならば――。

 胸中で黒い蛇が蠢く。

 しかし、修太郎はそれを無理矢理握り潰して続けた。

 

「あれは必ず倒さねばなりません。前に進むために、俺にはそれが必要だ」

 

 その返答に、八坂は一つ溜息を吐いた。

 

「頑固者めが……性質は真逆じゃが、やはりお主と雅崇は似ておるよ。自分勝手なところが特にのう」

 

「……あれと一緒にしないでいただきたい」

 

「怒ったか? しかしわらわにはそう見えるのじゃ」

 

 嫌そうに顔を歪める修太郎に、八坂は飄々と答えた。

 しかし、何故彼女は高円雅崇の事についてこんなにも訳知り顔で話すのだろう。

 疑問に思う修太郎の様子を察したのか、八坂が口を開く。

 

「何故わらわが雅崇の事を良く知っている風なのか気になるのじゃな? それはのう――」

 

 八坂が手の平を前に差し出せば、空間に格子状の軌跡が走る。

 それらが向かい合う両者を巻き込めば、次の瞬間二人は展望台の屋根に降り立っていた。

 驚く修太郎。

 

「これは、高円雅崇の空間歪曲……? なぜ、あなたが……」

 

「気になるか? 答えは簡単、この京都全体を管理している術式はな、わらわとまだ人間だった頃の雅崇が共同で作り上げたものであるからじゃ。これはその機能の一つじゃな」

 

 そう言って、麦わら帽子を被る八坂。彼女の背後より夕日の光が指し込めば、純白のワンピースを透かして綺麗な肢体のラインが浮かび上がる。静かに現出した九尾の金色が美しい。

 

「……そのような話、聞いたことがありません」

 

 高円雅崇がかつて陰陽師として活動していたことは知っていたが、修太郎の記憶によれば術式を作り上げたのは土御門の者だったはず。

 

「であろうな。まさか怨敵である者の名をそのまま使う道理もあるまい。そうでなくとも、奴は慕われるような人間ではなかった。優秀ではあったのじゃがな……」

 

 つまりは手柄の横取りか。

 しかし口ぶりを見る限りどうやら彼女は人間時代の高円雅崇と面識があり、そしてそれなりの親交があったように思える。

 各々の事情を考えれば不自然ではないが、意外な話だった。

 

 納得した様子の修太郎へと八坂は語りかける。

 

「御道――いや、暮修太郎。死ぬために生きるのは止めておけ。あの娘を大事に思うならば、奴に関わる必要はない。短い余生を無駄に縮める必要もあるまい」

 

「しかし……」

 

「それでも戦うと言うならば、何を優先するか選ぶのじゃ暮修太郎。生半可な決意では無駄死にするだけよ。愚直に臨むだけで勝てるほど、今のお主は強くない。そうであろう? 人間」

 

「…………」

 

 沈む夕日とは真逆の空より夜の闇が忍び寄る。黄昏の境界線が二人の頭上を通り過ぎようとしていた。

 しばし黙った修太郎が再び口を開こうとしたその時だった。

 

「ッ!」

 

 突如として横合いから飛来した何かを掴む。

 握った手の平を開けば、それは一枚の呪符だった。

 そして、それより間を置かず、彼方から何かが迫るのを認識する。

 

「は、ははう゛えぇぇぇーーーーーーっ!!!」

 

 八坂の方へ突っ込みながら泣き叫ぶ小さな人影。

 声に反応してそれを受け止めた八坂は、飛んで来た人影の正体を見て目を丸くする。

 

「九重!? なぜおまえがここに……? 鞍馬の爺様にあずけておったはず……」

 

「う、うぇぇ……は、母上が御道修太郎と会うと聞き、心配で抜け出してきたのです……」

 

「うぬぅ……あの爺め、そのことまで漏らしおったか……肝心な時に役立たぬ……」

 

 涙と鼻水をぼろぼろこぼして抱き着く九重をあやしつつ、八坂はぼやく。

 

「母上、御身体は何事もありませぬか? お怪我は? あの男に何か乱暴なことはされておりませんでしょうか?」

 

「わらわなら大丈夫じゃ、九重。ちぃとばかし一緒に遊んでおっただけじゃからのう。何も悪いことはない」

 

 優しく微笑みながら八坂は九重を抱きかかえ、頭を撫でる。

 どうやら九重はこの場に修太郎がいることに気付いていないようだ。その大きな瞳は、ただ母親だけを見ていた。

 

「うぅ……ぐすっ、では母上は御道修太郎をお慕いしているのですか? あの男が新しい父上になるなど、私は嫌ですぞ。たとえいなくとも、父上は父上がいいのじゃ」

 

「ふふふっ、何を馬鹿言っておるか九重、わらわはそのようなつもりなど微塵も無い。九重の父はわらわの愛する夫じゃ」

 

「本当ですか、母上……?」

 

「本当じゃ。まったく、九重は泣き虫じゃのう」

 

 そうしてしばらく時が過ぎれば、安心からか九重は八坂の腕の中で眠ってしまった。

 日は完全に沈み、空には星々が浮かぶ。街が放つ建物の光が京都の夜を照らし始めた。

 

「すまぬのう、話が中断されてしもうた」

 

「お気になさらず」

 

 九重を抱きかかえながら、すまなそうに微笑む八坂は、一人の母親として修太郎の目に映った。

 そんな彼女に近づいた修太郎は、自身が掴んだものを差し出す。

 

「それよりも八坂殿、これを……」

 

「む? なんじゃそれは、呪符か……?」

 

「おそらく式神です。九重姫を案内してきたのかと」

 

「この五芒星は……!」

 

 修太郎が見せた呪符には無限龍(ウロボロス)に囲まれた五芒星が描かれていた。

 高円雅崇の呪符である。

 それを認めた瞬間、八坂は顔をしかめて素早い挙動で彼方に振り向く。

 

「くっ、やられたわ。今京都から出たようじゃ。丁寧に結界の綻んだ部分まで指摘しおって……相変わらず嫌味な奴じゃ……!」

 

「霊地に異常は?」

 

「今のところ無い。とはいえあやつのやることじゃ、まったくもって油断はできん。ふぅ、三日間は徹夜確定じゃな……む?」

 

 大きくため息を吐いて八坂は項垂れる。

 そうして何かに気付いたのか呪符の裏面を見て、眉間に大きな皺を寄せると一気にそれを引き裂いた。

 

「なーにが『九重姫には何もしていないので心配は不要』じゃ! 逆に怪しさ満点じゃわ、アホ雅崇め!!」

 

 呪符の裏面はそのようなメッセージがあったようだ。

 修太郎が見た時は無かったので、魔人が京都から離れた瞬間に浮き出るようにもなってたのかもしれない。無駄に芸の細かいことだった。

 

「む~、せっかく楽しい時間であったのにのう、あやつのせいで若くなった気分が台無しじゃ」

 

「八坂殿は十分お若いかと。とても美しいと、そう思います」

 

 本心である。

 少女のようにぷりぷり怒るさまは、若かりし彼女がどのような者であったかを予想させる。

 昔日の稚気と今日の母性、相反するだろう要素を兼ね合わせた彼女はとても尊いものに映った。

 修太郎の言葉が嘘ではないとわかったのだろう。八坂はふふん、と悪戯気な笑みを浮かべる。

 

「何じゃ? 夫がおらぬからと口説こうとしても無駄じゃぞ。こう見えてわらわの操は固いからの。せめてもう少しいい男になってから、百年後に出直すことじゃ。その時ならば考えぬでもない」

 

「別にそのようなつもりはないのですが……。しかし気の長い話だ、嫌味ですか」

 

「まあ、それぐらい頑張らなければわらわはなびかぬと言うことじゃよ」

 

 彼女はまた一度笑い、そしてこちらを見つめた。

 

「暮修太郎よ、雅崇は強い。何故なら、あれは自分のために何もかもを切り捨てることができるからじゃ。『死んでも構わない』などと思っていては、まず勝てぬ。あの娘のために生きるのであろう?」

 

 その言葉を聞いた瞬間、初めて修太郎の瞳が揺らいだ。

 そうして眉間をわずかに歪め、夜空へと目を逸らす。

 

「…………」

 

「どうした、また怒ったかの?」

 

「いえ、そのようなことは」

 

 どこか歯切れの悪い修太郎の返答を、八坂は面白げに聞いていた。

 

「くくっ、狐の幻惑は効くであろう? 存分に悩むがよい若人よ。今まで悩んでこなかったツケじゃ」

 

 その言葉に、思わず修太郎は無表情を崩して苦笑する。

 なるほど確かに、流石は名高き九尾の狐か。

 

 これだから、狐と会うのは嫌なのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

 京都府近海。

 宵闇の空に浮かぶ影がある。

 黒衣の男、魔人・高円雅崇である。その腕に黒いゴシックロリータドレスの少女を抱え、叢雲に隠れる月を眺めていた。

 

「京都観光はどうだったかな? オーフィス」

 

 魔人が少女に語りかける。

 少女――無限の龍神オーフィスは、無表情で答えた。

 

「ん、悪くない」

 

「そうか、それは重畳」

 

 オーフィスの返答に目を細めた魔人は、手を前へ差し出す。すると空間を分割線が走り、格子状に区切られる。

 自身が本拠地と定めた場所へ転移しようとしたその瞬間、魔人の膨大な感覚野に何かの兆しが触れた。

 

「マサタカ?」

 

「すまぬオーフィス、あとで追いつく」

 

「ん」

 

 素早くオーフィスを押し出せば、瞬く間に少女の姿が失せる。

 次の瞬間、眩く輝く紫電の柱が魔人のいた場所を貫いた。

 膨大なエネルギーの奔流が海に大穴を開け、蒸発した海水が濛々と星空の明かりを曖昧にする。

 

 はたして魔人は健在であった。

 三式障壁の加護と念動力による超加速が極大の電撃波動――荷電粒子の砲撃から彼を逃がしたのだ。

 夜空に浮かぶ魔人は、その黄金邪眼によって周囲を見渡す。ほどなくして、襲撃者の行方を掴みとった。

 

「『魔獣創造(アナイアレイション・メーカー)』――禁手(バランス・ブレイカー)か」

 

 龍神の知覚を有した魔人の視力は古今無双。

 たとえ相手が成層圏の向こうにいようとも(・・・・・・・・・・・・・)、太陽フレアすら観測できる彼の目からは逃れられない。

 

 そして、その知覚が立ち込める蒸気に霧風が混じったのを看破する。

 

「『絶霧(ディメンション・ロスト)』……」

 

 今まで味わったことの無い転移の感覚には、流石の魔人も即応するのは難しい。

 誘われるがまま霧に包まれた魔人が念動力の刃でそれを払うと、目の前に広がるのは広大な自然。極めて高度に構築された異空間の中だった。

 

「ふん……」

 

 地に降り立ち、いつの間にか暗影の軍装に身を包んだ魔人が純白の手を無造作に振えば、膨大な念威が迸る。そうしてこちらへ向け急速に迫る大爆炎を引き裂いた。

 休む暇はない。

 虚空に散る爆炎の影から無数の刀剣が飛来する。素早く腰から引き抜かれた軍刀がその白刃を閃かせ、飛び交う敵の剣――聖剣を悉く弾き落とす。

 弾かれた聖剣群は如何なる力の作用かそのまま地に落ちることなく、勢いを失わずに再び魔人へと襲い掛かった。

 

「下らぬ」

 

 対する魔人はそう吐き捨てて法力を練る。

 そのまま一つ足踏みすれば、周辺の地面が隆起し、全ての飛翔聖剣を圧し潰して破壊した。

 そして、攻撃が止む。

 

「貴公ら、おれに何の用だ」

 

 隆起した大地の上に立つ魔人は、背後に現れた人物に声をかける。

 

「何の用、とはわかりきったことを聞く、高円雅崇。俺たちがあなたのような存在を野放しにするわけないだろう」

 

 声の正体は黒髪の青年だった。

 学生服のような衣装の上に漢服を纏い、鈍色の槍を携えている。その背後には、同じく学生服のような揃いの衣装を自分なりにアレンジして纏う若者たちが魔人を睨んでいた。

 魔人は青年の槍を見てわずかに目を細める。

 

「何とも命知らずな武具を持っているな。道士の修行か? しかしそれでは長生きできんぞ」

 

「最低限の努力という奴だよ。生憎俺は仙術の才能が乏しくてね。矯正具が無ければ話にならない。それに、長生きすることに興味は……ない!」

 

 青年の身体より闘気が溢れる。内なる武の闘気と外なる自然の闘気が合一し、透き通る青の炎となって全身を覆った。

 同時に鈍色の槍が亜空間に消えれば、代わりに神々しい光を湛えた槍が現れる。

 

「試すなどとは言わない。今俺たちの全力で以ってこの場であなたを滅しよう。……我が名は『天明旅団(デイブレイカーズ)』団長、聖槍使いの曹操ッ! 世を乱す魔人、高円雅崇ッ! 此処があなたの死地と知れッ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この日、天界にて過去類を見ないほど強大な神器の反応が確認される。

 その正体は神滅具『魔獣創造』『絶霧』、そして『黄昏の聖槍』と目された。

 天使たちが確認のためその地点――南海の孤島に派遣されたところ、あったはずの島は跡形も無くなって、地下数千メートルまでを深く抉る大穴があるのみだったと言う。

 

 




龍神「イエスロリータ、ノータッチ」

そんな今回。あんたもロリやん。
オーフィスが止めなければ九重はひどいことになってたでしょう。

そして最後にさりげなく曹操たちが登場。ついでに魔人と激突。
何やら独自に集団を作っていますが、いつか言った主人公と同業者というのは嘘ではありません。
つまり彼らもモンハン。一狩り行こうぜ!

そういえば、スラッシュドッグがリメイク刊行されるとか。
D×D新刊でも天叢雲剣の使い手が出るとかどうとか。これを機会に日本の勢力が掘り下げられるのかな?

※5/28 22:15
物語後半、主人公と八坂の会話内容を大幅修正。
主人公のキャラのブレが気になったのと八坂のリアクションが性急過ぎるため。

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