剣鬼と黒猫   作:工場船

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第四十話:グレモリー対シトリー《その3》

「――来ましたか、リアス」

 

 ソーナ・シトリーは、霧の結界に何者かが侵入してきたのを感知した。

 元来、この霧は暮修太郎との模擬戦で彼を打倒するべく編み出したものだ。

 時間をかけて大量の魔力を込め作り上げた結界は、もはや彼女の一部に等しい。見るのも聞くのも自由、とまでは流石にいかないが、誰がどこにいるか程度の情報は把握できる。

 既にデパート内の8割強を霧の中に沈めた今、ゲームフィールドはソーナに掌握されたと言っても良かった。

 

「各員、通達。グレモリーが攻めてきます。備えなさい」

 

『了解!』

 

 通信機器の向こうから、眷族たちの声が返ってくる。

 ここまではいい出だしだ。『王』は獲れずとも敵の回復要員を潰すことに成功し、地の利はこちらにある。総合戦力的にもそこまでの差は無い。訓練期間前までは2割あるかどうかといった勝率は、数倍に跳ね上がっていた。観戦者たちにとっては大番狂わせもいいところだろう。

 これもあの血反吐を吐いて止まらない狂気の訓練の成果……と考えるとまことに遺憾ではあるが、ともあれ暮修太郎とロスヴァイセに感謝したい。

 このゲームは勝てる。だが――。

 

『第一ライン、対象接触。トラップの発動を確認……突破されました』

 

『第二ライン、対象接触。迎撃開始します』

 

『先頭は木場祐斗、並びに兵藤一誠。事前に仕掛けたトラップは大半回避・破壊されました。……会長』

 

「ええ、どうやら周囲が見えているようですね」

 

 木場やゼノヴィアのような達人であれば、視界が潰されようとあるいは敵意に反応して防御することができるだろう。

 そのために意思を持たない攻撃――店内の資材を用いて作ったブービートラップを彼らの進路上に仕掛けたのだが、しかしそれすら看破するとなれば、リアスか朱乃が霧の視覚妨害を破ったと予測できる。しかし。

 

(――いえ)

 

 違う、とソーナは判断する。

 いくらリアスでも短期間でこの霧を完全に破ることは難しい。単純な透視術で突破できるような甘い構成ではないのだ。できてせいぜい視認距離を伸ばす程度だろう。

 思考するソーナに、『僧侶』草下憐耶から報告の通信が入った。

 

『敵の周辺を蝙蝠が飛んでいます。おそらくは……』

 

「なるほど、ギャスパーくんですね」

 

 封印されていた『僧侶』ギャスパー・ヴラディ。

 彼のポテンシャルならば、それも可能である。

 たとえば、蝙蝠(こうもり)の超音波を用いてソナーのように周囲を把握することもできるだろう。それだけでは精密な探知は望めないが、魔力によって増幅強化すればその限りではない。吸血鬼の多様な能力を考えれば、それだけではないかもしれないが。

 

『撃ち落とします』

 

「許可します」

 

 草下の申し出を承認する。

 普通の敵ならば、まだ少し対応に時間がかかるはずのところだ。やはりグレモリー眷族のポテンシャルは侮れない。

 しかし、それでも。

 

「勝つのは私です」

 

 自らの意志を示す第一歩たるこの試合、たとえ親友の評価を地に落とそうとも必ず獲る。

 霧の魔力構成を強めながら、ソーナはそう呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

 濃霧の中、ギャスパー・ヴラディは周囲を探る。

 彼の知覚は、辺りの地形をはっきりと把握していた。

 

 吸血鬼は弱点の多い種族であるが、その代わりに様々な能力を備えている。

 例えば無数の蝙蝠に化ける力、動物に変身する力、影を操り物理的な干渉力を働かせる力、視線を合わせるだけで相手を惑わし、風や雷などの自然現象すら操れる者もいる。それら強力な異能の数々は、彼らを『怪物』の代名詞として認知させるに足るものだ。

 ギャスパーが今使っている能力もそんな内の一つ。

 すなわち、霧や蒸気に姿を変える能力である。ソーナの霧に紛れる形で知覚範囲を広げたギャスパーは、ショッピングモールを駆ける眷族たちを包み覆いながら周囲の様子を伝えていた。

 

 蝙蝠の音響探知(ソナー)を併用しての索敵探知が、塞がれた視界を補って余りあるほどの情報を運んでくる。

 複数の能力を同時に使うなど、以前の自分であれば絶対に出来ない真似だ。しかし今のギャスパーならば、十分可能なことだった。

 

『――蝙蝠が狙われてる』

 

 自分の中から声がする。

 直後、霧を突き破って圧縮魔力の塊が飛来した。

 だが、事前の声に従い回避行動をとっていた蝙蝠には当たらない。

 

 こうして時折、語りかけてくる何かをギャスパーは感じていた。

 漠然と、しかし確実に、自分とは別の視点が存在している。

 それに気付いたのは黒歌たちとの修行中。きっかけは、会談での一件――魔人と接触したことが原因だろう。

 正体不明の声に対し、不思議と恐ろしさは無かった。むしろそれ(・・)があることこそ自然だと、根拠のない確信があった。

 その影響だろうか、ギャスパーは自身に備わる吸血鬼の異能を十全に扱えている。黒歌たちと行った修行は順調すぎる程に彼の力を高め、即席の戦術すら成立させるまでに至らせていた。

 

 おそらく先ほどの攻撃を放ったのは、シトリーの『僧侶』草下憐耶。索敵中、ギャスパーの行動を妨害してきた人物だ。

 彼女が放ったガーリックパウダーの爆弾は非常に効いた。もしも猫又姉妹の執拗なニンニク押しを乗り越えていなければ、あれで落ちていた可能性が高い。

 思い出して、思わず草下がいるだろう方向に意識を向けるギャスパーだったが――自身の知覚に脅威が触れる。

 同時に無数の魔力弾が後方を走るリアスたちに降り注いだ。敵の攻撃だ。

 

 偏差をつけて放たれた光弾の雨は、恐るべき速度と正確性でリアスたちを狙う。

 その猛威を前に、しかしこちらとて黙ってはいない。

 

「――やらせません」

 

 白髪の小柄な体躯が躍り出る。小猫だ。

 手に握る車輪が高速で回転し、燐火撒き散らす炎の盾となって迫る猛撃を防ぐ。

 

「ふっ!」

 

 殿(しんがり)を走るゼノヴィアがデュランダルを薙ぎ、迸る波動をうまい具合に調整しつつ撃ち漏らしを処理していく。

 

 相手の攻撃はまだ終わらない。今この状況において、狩人はあちらなのだ。再び草下の圧縮魔力弾が放たれる。

 距離が近づき精度が増したからか、ギャスパーの蝙蝠は回避が間に合わずに数体ほど塵と消える。それを確認した直後、ギャスパーがいる周辺の空間が大きく弾けた。

 

『うあっ!?』

 

『――バレたね』

 

 霧になっているギャスパーに対し、圧縮魔力弾のような単発攻撃は効きにくい。しかし広範囲に威力を撒き散らすものならば話は別だ。

 影でダミーを作って走らせているためもう少しぐらいは誤魔化せると思っていたのだが、敵も甘くないと言うことだろう。炸裂弾を織り交ぜてこちらを潰しに来ていた。

 高速で飛来しては宙で弾ける魔力の衝撃に、たまらず姿を戻すギャスパー。

 着地したところを狙撃されるが、木場の聖魔剣が攻撃を弾き飛ばした。

 

「大丈夫かい?」

 

「はいぃ、な、なんとか……」

 

 その時、赤い光が眩く目に飛び込んできた。一誠の籠手が禁手化(バランス・ブレイク)のカウントを終えたのだ。彼の服がところどころ焦げているのは、今まで敵の攻撃をかわしていたからだろう。

 一誠はそのまま籠手を前方に突き出す。

 同時にギャスパーは再び霧と化し、リアスたちの傍に退避する。

 

「待たせたな! 輝け、ブーステッド・ギアァァッ!!」

 

Welsh(ウェルシュ) Dragon(ドラゴン)Balance(バランス) Breaker(ブレイカー)!!!!!!』

 

 赤光が解き放たれるとともに、迸る龍の波動が周囲の霧を大きく吹き飛ばす。

 嵐のような奔流は、まさしく力の権化。紅蓮のオーラが一誠の身体を覆うと、一瞬にして鎧を形成していく。

 

 禁手(バランス・ブレイカー)赤龍帝の鎧(ブーステッド・ギア・スケイルメイル)』。

 

 制限時間はMAX45分。

 城塞の如き堅牢な外殻が、龍帝の名を冠するが通り威風堂々と莫大なパワーを発散していた。

 一歩踏み出すだけで床を砕きそうな圧倒的オーラ質量だ。並の悪魔であれば、目にするだけで戦意を失うほどの力強さが秘められている。

 

「うおおおおぉッ!!」

 

 背部の噴出口から魔力を噴き出せば、生まれた推進力が凄まじい加速を生む。

 真っ赤なオーラで霧のベールを引き裂きながら、一誠は疾走した。

 

「今よ! ――朱乃!」

 

「ええ!」

 

 その衝撃で生まれた空白地帯を、朱乃の補助を受けたリアスが魔力の膜で覆っていく。

 今の今まで練り込まれていた力が見事にソーナの霧を押しとどめ、紅の不可侵領域を作り上げた。前方に大きく突き出たその領域は、リアスの魔力制御に従って形を変え、半径20メートルほどの半球形となる。

 

「ひとまずの視界と、戦う場所の確保完了……ってところね。でも――」

 

 問題はここからだ。

 霧を排除したからと言って、安全地帯を得たことにはならない。

 

「くっ、なんて正確な射撃……」

 

 結界形成の補助から離れ、防御に加わった朱乃が声を漏らす。

 

 リアスを基点に展開された紅の結界には、防御能力が付与されていなかった。

 敵の射撃は正確無比、移動しているのか何か他の仕掛けがあるのか、射線から場所が特定できない。すくなくとも、ギャスパーの索敵範囲外にいるのは確実だろう。

 つまり、進むしかない状況だ。

 元より身の安全を優先して閉じこもることに意味は無い。グレモリーの得意分野は攻めにある。そのために防御能力を排除して移動式の結界を構築したのだ。

 

「さあ、行くわよ!」

 

 『王』の声に従い、眷族たちは駆け出した。

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

 濃霧を引き裂きながら走る影が二つ。

 赤龍帝の鎧を纏った一誠と、聖魔剣を携える木場である。

 二人はショッピングモール中央を目指していた。

 

 彼らの主な役目はリアスたちが通る道の開拓と敵戦力の誘引、そして可能であるならばソーナの撃破を行うことにある。

 禁手となり絶大なパワーを発揮する一誠と、彼の足りない部分を補える木場のコンビは相手にとって非常に大きな脅威だ。普通であれば無視などできない。普通であれば、だが。

 

 ソーナが二人を無視して、リアスのみを狙う可能性は十分あり得る。

 それでもリアスが彼らを突撃させたのは、戦場の流れを少しでも自分たちに傾けさせるためだった。

 グレモリー眷族は攻めに特化した構成のチームだ。その関係上、どちらかと言うと防衛戦は苦手としている。

 しかし攻め手としての資格を取られた今、後手に回っていてはあちらの思うツボに嵌まり、消耗戦を強いられるかもしれない。そうなれば、地の利を奪われたリアスたちは圧倒的に不利だ。

 

 そもそも、敵眷族を何人撃退しようと『王』であるソーナを獲れなければ意味が無い。長期戦は明らかに不利となるこの状況を打開するには、イチかバチかの賭けだったとしても攻めに回る人材を捻出するしかないのだ。

 ここが正念場である。

 

「くっそー、全然前が見えねえ。敵なんてどこにいるんだ?」

 

 走りながらぼやく一誠。

 迸るパワーを出来る限り抑えながらの行軍は、その類の訓練を積んでいない彼にとって一苦労だった。

 そのわずか後ろを並走する木場が口を開く。

 

「前よりも霧が濃くなってる……いや、多分だけど視界攪乱の効果も盛り込んだんだろうね。僕らが突入した時はあれでもまだ薄かったみたいだ」

 

 事前にリアスたちから霧の中を見通せるようになる魔力をかけられ、この突撃に臨んでいる彼らだったが、ソーナの霧はその程度で破れる代物ではないらしい。

 最低限の視界は確保できるようになったものの、完全には程遠い。流石はシトリー家時期当主、と言ったところだろう。

 

「うおっ!」

 

 何かが身体に引っかかる感触を感じた一誠は、直後に鎧を叩く衝撃に身をのけぞらせた。

 立ち止まった木場が、足元に転がった何かを拾う。

 

「トラップだ。これは……魔力で強化された釘だね。そこまで大きな威力は無いけど、僕みたいなタイプが直撃を喰らえばダメージは免れない」

 

「さっきから思ってたけど、どこの軍隊だよ……。鎧があって良かったぜ」

 

 ほっと一息吐く一誠だったが――。

 

「危ないイッセーくんッ!!」

 

 神速の聖魔剣が閃くと、白い背景に火花が散る。

 一誠の首筋目掛けて走った鋼は、寸でのところで木場の刃に受け止められていた。

 緩やかに反った片刃の白刃――日本刀の輝きが、一誠の目に映る。

 それを握るは華奢な人影、『騎士』巡巴柄。

 

「――ッ!!」

 

 振り向きと同時に裏拳を放つ一誠だったが、あっけなく避けられてしまう。

 飛び退る巡に、追撃をかける木場。両者の姿は瞬く間に霧の中へと消えていく。

 剣戟の音がこだまする。その向こうから木場の声が飛んだ。

 

「イッセーくん、先に行ってくれ! 彼女の相手は僕がする!」

 

「……ああ、わかった! やられるんじゃないぞ!」

 

 その言葉に返ってくる声は無かったが、依然として止まない鋼の音を背に一誠は駆け出した。

 しばらく進み、そして――。

 

 一面の白い景色を突き破り、黒腕の連撃が唸りをあげて迫る。

 横合いから突如として現れたそれらを、一誠はとっさに腕を交差させることで防いだ。しかし、人型では不可能なしなり(・・・)を入れて放たれた敵の攻撃は、勢い以上の重さを以って鎧もろとも身体を吹き飛ばす。

 素早く体勢を立て直して攻撃が来た方向を見れば、見知った男子生徒の姿があった。

 

「悪いな、ここは通さねえぜ」

 

「やっぱお前が出てくるかよ、匙!」

 

 霧の向こうから歩いてくるのはシトリーの『兵士』、匙元士郎。

 右腕を覆う『黒い龍脈』から伸びた無数のラインが、都合六つの腕を形作っている。

 

 匙の身体が横に揺れ、白い霧に姿が消えた。直後、側頭部に衝撃が襲い掛かる。

 

「――ッ!?」

 

 霧の向こうから大きく迂回した黒い腕が一誠を殴りつけていた。

 ダメージは然程もないが、思いがけない方向からの攻撃に気を取られた刹那――。

 

「隙ありだぜ、兵藤ッ!!」

 

 匙の急接近を許してしまう。

 神器に覆われた右拳が、鎧の腹部を剛打する。深く腰の入った一撃は、一誠の身体を大きく後退させ、そして次の瞬間再び引き寄せた。

 

「なっ!?」

 

 打撃を受けた一誠の腹部には、『黒い龍脈』のラインが接続されていた。その伸縮によって、一誠の後退を妨げたのだ。

 

「おりゃあっ!!」

 

 しなる黒腕のアッパーが、一誠を空中へ打ち上げる。

 そうして気合と共に繰り出される黒腕の連打、連打、連打。

 ラインで編まれた腕のリーチは人間のそれを遥か超えている。宙を舞う一誠に反撃は許されなかった。

 赤龍帝の力を吸収することで、匙の拳は刻一刻と威力を増す。鎧の上から伝わる衝撃が一撃ごとに激しくなっていくのを感じていた。

 

(くそっ、このままじゃまずい!)

 

 鎧が砕かれるその前に、噴出口から魔力を噴かす。

 発生した大推力によって飛翔する一誠だったが、ラインで繋がる匙もそれに追随して飛び上がった。

 急激な加速が匙の連撃を止める。その隙に腹部のラインを掴み、引き千切ろうとする一誠。しかし、複数が寄り合わさって構成されたそれは、中々千切れない。

 

「それなら……!」

 

Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)!!!!!』

 

 倍化の音声が響くと同時、増大したオーラの波動が匙の身体を叩く。

 

「これで、どうだッ!」

 

Transfer(トランスファー)!!』

 

 力を譲渡するのは、一誠が掴む黒いライン。

 序盤戦で匙が店の電球を破壊した時のように、過剰な力の供給で相手の神器を機能停止(ショート)させる作戦だ。

 しかし――。

 

「甘いぜ兵藤ッ!」

 

 凄まじいまでの力が匙の右腕に伝達された瞬間、腕の装甲がその継ぎ目を大きく開かせた。

 同時にそこから赤い粒子――余剰分の力が吐き出されていく。それによって、一誠が期待した神器のショートは起こらなかった。

 

『馬鹿な……!? それはアルビオンの……!』

 

 ドライグが驚きの声を上げる。

 匙の『黒い龍脈』が行った働きは、本来であれば神滅具『白龍皇の光翼(ディバイン・ディバインディング)』が持つ機能の一部だったからだ。

 

「返すぞ兵藤……喰らえッ!!」

 

 ラインで編み上げられた六つの黒腕が一つとなり、一際巨大な拳を形成する。

 濃霧の向こうから見えるシルエットはまさしく巨人のそれ。その威容から発せられるプレッシャーに、一誠の目が見開かれた。

 鎌首もたげるかのように拳を引き絞り、そうして溜めこんだ力が開放されれば、大きく唸りをあげて黒い鉄槌が落ちてくる。

 

 匙の一撃は、他ならぬ赤龍帝の力で限界まで強化されている。直撃を受ければ如何な天龍の鎧と言えどもただでは済まない。それを悟った一誠は、心中の動揺を気合いで吹き飛ばし敵の攻撃を迎え撃つ。屋内戦ということで抑えていた力を解放し、左腕を引き絞って全力の拳撃を放った。

 

「うおおおおおっ!!」

 

「はあああああっ!!」

 

 ぶつかり合う力と力。

 真っ赤な風が周囲の霧をごっそりと吹き飛ばし、発生した衝撃が両者の距離を開かせた。

 はたして勝者となったは、赤龍帝の拳だった。

 匙の黒腕は大部分が吹き飛ばされ、千切れたラインの線維を晒している。匙本人にダメージは全く無いようだが、先ほどの一撃が相手の全力であれば、これは大きな隙だ。

 

「匙ィィィッ!!」

 

 チャンスとばかりに噴出口から魔力を噴かす。

 一誠の籠手も少なくない傷を負い修復中だ。故に損傷した左拳ではなく、右拳による追撃が風切り音と共に放たれた。

 

「だから……甘いって言ってんだろッ! 兵藤ッッ!!」

 

 空中にある匙の身体が急に跳ね上がり、一誠の拳は空を切った。

 見れば、一本のラインが天井に伸びている。巨腕を振り上げた際に接続していたのだ。

 回避と共に匙の踵が一誠の後頭部を蹴りぬいた。それによって大きく進行方向へとつんのめった一誠は、体勢を崩してしまう。急いで振り返った時には既に遅く、匙は再び立ち込めた霧に姿を暗ませていた。

 着地して周囲を窺うも、敵を視認することができない。

 

(強い……!)

 

 鎧のおかげで大したダメージは受けていない。パワーでも大きく勝っている。禁手に至り、そして発動させた今、基本的な能力において一誠は匙を圧倒しているはずだった。

 苦戦しているのは霧のせいもあるだろう。リアスたちの処置によりある程度は視界を確保できているものの、未だ死角は多い状態だ。

 だがそれも、先ほどの接近戦には全く関係が無い。

 あの一戦、先手を取られ続けたのは一誠の方だ。もしも鎧を展開していない状態だったなら、最初のラッシュでやられていた。

 相手の行動には一切の躊躇いが無い。まるで獲物を狙う猛獣のように、隙あらば喰いつかれるという確信がある。

 一誠の背筋に寒いものが走った。

 

 禁手だから有利だの、基本能力で圧倒しているから勝てるだの、そんな理屈はまるで信用できない。

 匙元士郎は、間違いなく強敵だ。

 

 ならば――。

 

(今までと同じじゃねえか)

 

 悪魔に転生してからの数か月、戦いにおいて一誠が相手より優位に立っていたことなどほとんど無い。

 今までがそうなら、今回もそうだと言うだけのこと。何を臆することがある。

 強くなった実感が湧かないのは嫌になるが、無力を嘆く暇など才無き一誠には許されていない。自身の取り柄が諦めの悪さと根性だけであるならば、最後までそれを貫き勝利をもぎ取るしかないのだ。

 

(何となくだけど、わかるぜ匙。お前がどれだけの想いをこの戦いに懸けてるか……)

 

 あれほどの戦闘力をわずか半月で獲得するのに、彼らがいったいどのような手段をつかったのか。それは一誠の知るところではない。しかし、極めて辛く厳しいものであったことは嫌でもわかる。匙に限らずともシトリー眷族全員が、相当な決意と覚悟を秘めて戦いに臨んでいるはずだった。

 

 ――先生になりたい、そう匙は言っていた。

 

 素晴らしいと思う。一人の友人として、素直に祝福し応援してやりたい。

 だがしかし、それが自分たちの前に立ち塞がると言うのなら、一誠は友人の夢を打ち砕く覚悟を持たなければならない。

 たとえ自分の意志が彼らの夢に劣るものだとしても、勝ちを譲る理由にはならないが故に。

 

「来いよ、匙。お前の全てを受け止めて、俺はお前を超えていく」

 

 赤いオーラを漲らせ、一誠は拳を構えた。

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

 巡巴柄が御道修太郎と出会ったのは、彼女がまだ10歳になったばかりの頃だ。

 当時の退魔師業界は、100年の封印から目覚めた魔人・高円雅崇についての話題で持ちきりだった。

 

 曰く、最強最悪の陰陽師。

 曰く、不死の邪仙。

 曰く、国家転覆を狙う外道。

 

 超絶の鬼神を従え、呪術においては並ぶ者おらず、単独で一国家の全退魔組織と互角以上の応酬を繰り広げたと言う規格外。その復活に、全国の退魔師たちは対応の検討を余儀なくされる。

 それは巡家も例外ではなく、周辺地域の退魔師たちと集まり会合を開くこととなった。

 巡の家は代々悪霊退治を生業とする退魔剣士の家系である。月緒一族ほどの格も実力も持ち合わせていないが、仕事においては堅実な手腕で高い評価を得ていた。

 とはいえ、魔人相手に通用するほどの力は無い。

 出来ることと言えばせいぜい敵が従える雑魚の掃討や、物資の保管・運搬などの後方支援ぐらいのもの。事実、巡家は何度かそれをこなしている。

 

 その日は、定期的に行われる報告会があった。

 季節は夏真っ盛り。開催場所の地域ではちょうど祭りが開かれており、ついでということで巴柄は家族と共にその場所を訪れていた。

 魔人が目覚めてはや1年、邪気に狂った妖魔が増加していたこともあり、地方の祭りと言ってもそこを管理する退魔師たちは警戒を怠っていない。つい最近東北の九尾が狂い、討滅された一件も彼らの警戒心を強めていた。

 それでも、その事件を止めることはできなかった。

 

 祭りの会場を襲ったのは他ならぬ土地神とその眷族だったのだ。

 下手人はとある邪教の一味。のちに大鬼神・両面宿儺を蘇らせる原因となる集団だった。

 荒御霊に姿を変えて発狂した神は祭りの会場を粉砕し、同じく狂った眷族と共に周辺の生物を次々と手にかけていく。

 理由(わけ)も分からず逃げ惑う人々と慌てふためく土地の退魔師たち、そして飛び散る鮮血。その狂乱の中で、巴柄は親とはぐれてしまった。

 

 立ち並ぶ屋台の香ばしい匂いは生臭い血の香りに。

 楽しげに歩く人々は赤黒い肉と臓物の塊に。

 先ほどまで賑やかしく楽しげだった光景が、一転して絶望に沈む。

 その急変に頭の処理が追いつかず、泣き叫ぶことすら忘れて呆然と彷徨う幼い巴柄はついに見つかってしまった。

 目の前に迫る巨大な異形。元は蛙か何かだったのだろう怪物は、長い舌で巴柄の身体を絡め取り、鋭い牙が生えそろった口を開けて喰らおうとする。

 真っ赤に染まった口腔の闇には、苦悶の表情で死んだ誰かの顔があった。それと目が合って初めて、巴柄は恐怖の悲鳴を上げる。今までの短い人生が走馬灯のように駆け巡る中、自らの死を確信したその時。怪物の巨体が真っ二つに分かれた。

 

 気付くと巴柄の身体は青年の腕の中にあった。

 

 その青年こそが御道修太郎。

 邪教の一団を追って現れた彼は、救出した巴柄を抱えつつ凄まじい速さで怪物たちを駆逐していく。

 

 緋色の太刀が閃くたびに、必ず一つの命が消える。

 修太郎から発せられる超高密度の蒼い闘気は、攻撃を一切通さないだけでなく文字通り触れるだけで敵を切り裂く刃だった。

 それに守られた巴柄は、死に瀕して加速した思考のまま一部始終を見届けることとなる。

 

 風より疾く。

 雷より激しく。

 炎よりも容赦なく。

 

 彼の刀と身体を覆う闘気に、常軌を逸したレベルの念――異形に対する絶対的な殺意が込められていることを、巴柄は直感で理解した。

 

 悪意は無い。

 憎悪も持たない。

 ただ、殺す。

 

 純粋な排除の意志は、存在そのものの拒絶に等しい。

 まるで機械のように、彼は斬撃という現象を振りまいていく。

 巴柄には、自分を守りながら戦うこの男が刀そのものに見えた。

 実家の道場で父が扱っていた業物の日本刀――それよりもなお鋭く、禍々しい輝きを秘めた妖刀。

 戦場で最も安全な彼の腕の中は、巴柄にとって最も恐ろしい場所に思えてならなかった。

 

 何時しか逃げ惑うのは異形の方となっていた。

 当初の数から実に8割以上を減らされた怪物たちは土地神が鎮座する山へと帰っていく。

 それを見届けてようやく、巴柄は親の元へ送り届けられることとなる。両親に引き渡された直後、緊張の糸が途切れたからか彼女は意識を失った。

 その後、土地神は修太郎によって討伐されたらしいが、あまりよく知らされていない。ともあれこの一件はソーナと出会い眷族悪魔となるまで、巴柄の心を苛むトラウマとなった。

 

 時が経ち心の傷が癒えた今でも、修太郎とだけは絶対に会いたくなかった。むしろ今だからこそ、会ってはならないと思った。

 なぜなら彼は魔を殺す。人であった時でさえ恐ろしく感じたあの念を、今の巴柄は浴びたくない。

 こちらから近づかなければ大丈夫であるはず。月緒は異形への転生を許さない一族だが、積極的に他勢力へと喧嘩を売るような家ではないからだ。

 

 故に学園で修太郎と再会したことは青天の霹靂だった。

 ましてや自分たちの強化指導に加わるなど、欠片足りとて想像しない。

 椿姫の場合と違って、修太郎は巴柄のことを覚えていないらしい。それはある意味好都合だったが、だからと言って状況が変わるわけではない。

 

 彼を見るとあの祭りの出来事を思い出す。

 恐怖に手が震え、足がすくみ、生きた心地がしなくなる。

 御道修太郎は巡巴柄にとって『死』の象徴であったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

 交わる鋼が火花を散らす。

 白霧を割って二つの刃が縦横無尽に走り、互いの皮を、肉を、骨を引き裂こうと襲い掛かる。

 

「――はっ!」

 

 気合いの声と共に黒白の剣が神速で振るわれる。

 しかし迎え撃つ少女――巡巴柄は、刀身をわずかに傾げるだけでそれを受け流し、振りぬきそのまま返しの刃を放った。

 素早く上体を引き躱す少年――木場祐斗は、最小限の動きで行われたカウンターに内心驚愕しつつ、師より学んだ歩法を駆使して仕切り直しを図った。それが功を奏したのか、続けざまに放たれた巡の脚払いを回避することに成功する。

 

 その速さで先手を取り続けようとする木場と、凄まじい反応速度でそれを返し続ける巡。

 傍目には互角に見える応酬の中で、しかし木場は次第に追い詰められていくのを感じていた。

 

 つかず離れず、両者ともに剣の間合いで行われる戦闘においては、濃霧の有無はあまり関係が無い。霧に紛れようとする巡を追いかける形でこの状況に持ち込んだ木場だったが、相手の技量を前に攻めあぐねていた。

 未だ無傷の巡に対し、木場は全身に傷を作っている。一つ一つは小さいながらも、それは相手の優位を示していた。

 

 呼吸を整え、踏み込む。

 低い体勢から放たれた下段からの切り上げが、相手の胸元に迫る。巡はそれに刃を合わせようとし――電撃を発する聖魔剣を見て、素早く後方へ跳躍した。

 すかさず追いすがる木場。

 電撃纏う刃を紙一重のタイミングで避けていく巡だが、日本刀を魔力で覆って対応し始めた。そうして数合剣を合わせた後、電撃の隙間を突いて聖魔剣の鍔部分を絡め取り、木場の手から弾き飛ばす。

 

「くっ!」

 

 無防備となった身体目掛けて白刃の切っ先が走る。木場は胸元に聖魔の短剣を生み出し盾にして受け止めるが、衝撃で後退することになってしまう。

 息が詰まるのをこらえてすぐさま短剣を巡の方向へと投擲するも、既に彼女の姿は霧の向こうに消えていた。

 

(単純な速さなら僕の方が上だ。でも、相手は返し技の技量が凄まじい。迂闊に攻め込むと首を獲られかねない……!)

 

 深く息を吐き、心を落ち着ける。

 見てから対応するという反応速度もそうだが、動作の精密性が半端ではない。木場が勝っているとはいえ、速力も侮れない。一誠やゼノヴィアでは手に余る相手だろう。アーシアが撃破された時の様子を聞けば、リアスたちウィザード陣とは相性が最悪だ。

 やはり自分が戦って正解だと思う。しかし、その木場をしても翻弄されている現状がある。

 間違いなく、巡巴柄は敵の中でも屈指の強敵だ。たとえこの身を犠牲にしても、彼女はここで倒さなければならない。

 

(それなら――)

 

 己が神器に精神を傾け、集中力を極限まで高めていく。

 木場の神器『魔剣創造(ソード・バース)』が禁手『双覇の聖魔剣(ソード・オブ・ビトレイヤー)』。

 地・水・火・風・光・闇・雷・氷……あらゆる属性を持つ様々な形状の剣を瞬時に生み出す能力は、使いこなすことができれば所有者に無比の力を与えてくれるだろう。

 その精度と強度は、どれだけイメージを明瞭に、そして確固たるものとして描けるかにかかっている。

 アザゼルから指導を受け、神器運用能力を高める修行に取り組んだ木場は、一振りの特別な聖魔剣を創っていた。

 

「『双覇の聖魔剣(ソード・オブ・ビトレイヤー)』よ……!」

 

 淡い輝きと共に聖魔剣が創造される。

 従来の両手持ち長剣とは違う細身の片刃は浅く反り、黒白を分かつ線から翠色の輝きを放っている。

 その趣は、どこか日本刀に似ていた。

 

 直後、霧を裂いて背後から巡が現れる。

 速度の乗った突きが敵手の胸を穿たんと迫った。それに気づいた木場だったが、完全に回避不可能なタイミングだ。撃破は必至かと思われた。

 しかし。

 

「!?」

 

 巡の目前から敵の姿が消失する。

 次の瞬間、背後を取られていたのは巡だった。

 刹那の間に十を超える斬撃が飛ぶ。翠色の軌跡を残して放たれた刃の雨を、巡は凄まじい反応を見せて迎撃した。

 刃を鍔を柄を柄頭を、得物の全てを使って、次々と攻撃を逸らし躱す。その芸当は驚嘆すべきものだったが、木場の剣速はそれら全てを上回る。加えて、斬撃からは鋭い鎌鼬が放たれていた。

 

 それすらも魔力を込めた日本刀で防御する。

 手傷を最小限に減らしながら、しかし木場の隙を窺う目にはわずかな驚きの感情があった。だがその表情に焦りは無い。

 木場が放った神速の振り落としに刃を合わせ、膝をたわめ丹田で反撃の力を練り、絡め取るように相手の剣を撃ち落とす。芸術的な迎撃術から、続く滑らかな動作で高速突きを放った。

 だがそれは、木場に直撃する直前で不可解な圧力を受けて横に逸らされる。相手の動きも相まって完璧に回避されたことで、巡に致命的な隙が生まれてしまう。

 

「はあああっ!!」

 

 わき腹に迫る聖魔剣は、このまま何も出来なければ致命の一撃となるだろう。

 しかし間一髪、腰から抜き放った刀の鞘で受け止めることに成功した。鋭利な刃に鞘が砕ける一瞬を突き、巡は素早く後方へ跳躍する。

 そうして木場の姿を見つめ、日本刀を構えなおした。

 

「風……?」

 

「――聖魔剣・閃空刀(フラッシュ・ウィンド)。僕の新たな力だ」

 

 呟く巡に木場が答える。

 聖魔剣を構え佇む彼は、それとわかるほど高密度な風を纏っていた。剣そのものも旋風に覆われ、周囲の霧を吹き飛ばしている。

 

 ――閃空刀(フラッシュ・ウィンド)

 

 その能力は風の操作による自身の強化。

 鎌鼬により攻撃力を高め、風の鎧により防御力を補い、そして大気の壁を受け流すことで速力の爆発的な増大を可能としている。

 これを創ったのは、暮修太郎の戦いを見たことが切っ掛けだ。

 彼の剣圧・闘気・瞬発力を参考に神器の力で再現した結果、この聖魔剣が生まれた。

 これを使うことで、木場の戦闘スペックは凄まじく跳ね上がる。今ならば魔人となったフリード・セルゼンとも互角に渡り合えるだろう。

 

(……とはいえ、この剣の扱いはかなり難しい。現状の制御力じゃ体力を割いて維持するしかない)

 

 単一属性とはいえ攻・防・速の強化を高レベルで行うため、使うことはおろか維持するだけでも大変な労力がかかってしまう。今の今まで使わなかったのはこの制限のためだった。つまるところ、未完成なのである。

 早めに畳み掛けなければ、力を使い果たして動けなくなるだろう。

 決着は急がなければならない。

 

「――いくよ」

 

 木場の姿が消失したかと思うと、疾風もかくやと言うほどのスピードで巡の背後に現れた。

 閃空刀を振るえば、同時に放たれた鎌鼬が左右から襲い掛かる。

 通常ではありえない一刀三撃。たった一振りの刃しか持たない巡では対応できないと思われた。

 しかし。

 

「――」

 

 まるでそう来ると知っていたかのように、巡は体勢を低くする。

 頭上を鎌鼬が通り過ぎると刀を大きく上へ振りかぶり、刃を背後に切っ先を床の方へ向ける、そうして閃空刀の一撃を柄頭で受け止めた。

 驚きながらも木場が斬り返そうとすれば、下半身を捻り足払いをかけ、彼の体勢を崩す。その動作に合わせて上体を戻すと、押さえつけられたバネが開放されるかの如く真一文字に刃が走った。

 

「くっ!」

 

 崩れた体勢のせいで後退の足運びはわずか、しかし風を制御して加速することで木場はその一撃を回避する。だが完全とはいかず、わき腹を浅く切り裂かれた。

 

(これにも……対応するのか……!?)

 

 この反応、もはや尋常ではない。

 彼女たちの修業期間は木場たちと同じ半月程度のはず。にもかかわらずこれほどの能力を見せるとなれば、何らかの異能か、神器によるものとしか思えない。

 あるいは暮修太郎の施した指導の成果か。黒歌の話では彼はそういった能力に乏しいとのことだが、シトリー眷族の強化具合を見れば何かあったと考える方が妥当だろう。

 気になるがしかし、今はそんなことを考えている場合ではないのも事実。

 

 再度の加速、そして攻撃。

 正面からの最大速力で押し切るつもりだった。

 鎌鼬を織り交ぜた超速の連続斬撃に、しかし巡は冷静な表情を崩さず対応する。

 激しくぶつかり合う鋼と鋼。巻き起こる衝撃に霧風が舞う。

 戦況は基礎能力で勝る木場が圧倒的優位にあり、巡は防戦一方。しかし、攻めきれない。

 後ろに引くことでわずかにでも相対速度を落とし、迎撃の剣に体捌きを織り交ぜて致命傷を回避していく。全身切り傷に塗れつつ、だがその瞳は敗北を認めていない。

 木場は、それが不気味だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――巡巴柄は、暮修太郎との訓練を経てある技能を獲得している。

 

 厳密に言えば、技と言うよりもある種の『境地』に近しいものであり、それによって彼女はグレモリーの『騎士』二人よりも武芸者として一つ上の次元に立っていた。

 すなわち『思考加速』。

 極限の集中で以って脳に定められたリミッターを外し、通常の数十倍以上に達する反応速度を引き出す能力だった。

 

 巡がこの力に目覚めた原因は、幼い頃の出来事にある。

 彼女は怪物に食われる直前に一度思考の加速を経験し、修太郎が親元へ返すまでそれを維持していた。

 トラウマの象徴であり、恐怖の対象である修太郎との過度な接触。特訓の中でそれを乗り越えた巡は、結果として思考加速能力に目覚めたのだ。

 

 意識的な思考加速は無想と並ぶ武の極致。

 それは同一時間軸において他者を圧倒する観察力をもたらし、至高の見切りを可能とさせる。

 相手の視線を把握し、筋肉が見せる動きの予兆を感じれば、ただ速いだけの攻撃など見切るのは容易い。

 木場の猛攻を受けながら、今なお戦えているのはそのおかげだった。

 それでなくとも木場の閃空刀による速力強化は彼自身のスペックを超えている。剣筋はその速さ故に直線的過ぎ、本人の反応速度が追い付いていないせいか、動きそのものも単調だ。

 

 しかしながら、完全に見切っているとは言っても、その全て躱しきれるほどの能力を巡は持っていない。

 直撃こそ避けているが、全身は掠める斬撃と鎌鼬の余波でボロボロの血塗れ。服などは襤褸切れ同然にまとわりつくだけの有り様。聖なる波動のダメージが身体を蝕み、気力を振り絞らなければ倒れてしまいそうだった。

 

 この状況が長く続くようであれば敗北は必至。

 だがそれは考えにくいことだった。

 木場の力が未完成であるのは動きを見れば一目瞭然。馬鹿正直に苛烈な攻撃を浴びせているのは時間制限があるからだろう。丁寧に戦術を組み立て、実行する暇がないのだ。

 故に巡巴柄はその時を待つ。相手が最大の隙を作る、その時を。

 

 そしてそれは訪れた。

 木場の構えは平青眼。地面と水平に刃を外側へ向け、鋭い切っ先が巡の体を指し示す。

 突きの体勢だ。

 細身ながら引き締まった筋肉が力を溜め、臨界点に達したその瞬間に解放された。

 突進と疾風の加速を受けたそれはまさしく神速の体現。巡の目を以ってしても、見切れないほどの突きだった。

 

 だが閃空刀の切っ先が身体に触れる刹那、巡の身体が急激に横へとずれた。

 見れば巡の足元に血の擦れた跡ができている。本来の体勢であれば躱せなかっただろう一撃を、足元に広がる自らの血液を滑って避けたのだ。

 彼女の肩を深く切り裂きながら、木場の必殺は外された。

 転ぶように体勢を崩しつつも、手に持つ刃を相手の脇腹へと走らせる。

 

 勝利を確信した、その時だった。

 

「――がふっ」

 

 巡の口腔から血が迸る。

 同時に胸に広がる激痛。

 

 はたして木場の必殺は一撃であったのか。

 答えは否。

 彼が放った突きは二発。一撃目は、それこそ巡が全く認識できないほどの速度で放たれていた。

 一撃目は胸。二撃目は喉。

 躱したのは喉への一撃だけだったのだ。

 

 木場の師、沖田総司が誇る絶技・三段突きが模倣――無明剣二段突き。

 

 巡は己が目に頼りすぎたが故、気付かぬうちに敵の必殺を受けてしまっていた。

 つまるところ、彼女は負けたのだ。

 閃空刀の性能を全開にして放った代償か、木場の腕は血を噴き出している。明らかに疲弊した様子を見れば、もはや彼に戦闘能力は残されていない。

 ならばよし、とするか?

 

「…………」

 

 ――否。断じて否。

 

 この程度の傷が何だと言う。

 眷族の無様は王の無様。眷族の敗北はすなわち王の敗北につながる。

 ここで敵を生かしておいては、いつどこでソーナに危害が及ぶかわからない。

 諦めるな、戦える。まだ自分は死んでいないではないか(・・・・・・・・・・・・・・・・)

 

「あ゛、あ゛あ゛ああああっ!!」

 

 激痛に意識は消えない。

 腕に込められた力は衰えない。

 吐き出される血は無理矢理呑み込み、崩れる身体で一歩踏みしめ斬撃続行。

 

「――なっ!?」

 

 驚く相手の身体に白刃が吸い込まれる。

 飛び散る鮮血は、あの時のように生臭かった。

 

 




お待たせしました更新です。
集団戦を書こうとしたら、まとまらなさすぎて読めたものではなくなってしまったので、結局一対一を書く形に。うまくいきませんね。

木場の強化はこんな感じです。
魔剣創造では特殊能力持ち属性剣いっぱい持ってたのに、禁手になると途端に出てこなくなったのが気になったので。実は描写してないだけで使ってたりするんだろうか。
しかし創造系神器はどこまでやっていいのかわかりにくいですね。
原作を見る限り、魔剣or聖剣創造ではそこまで無茶はできない仕様のようですが……。

たとえば幼女を救ったとして、そのあとすぐさま他の生物を虐殺する様子を見せつけた場合、フラグなんぞ立つわけがありません。むしろトラウマになってしかるべき。
そんな巡さんの思考加速はあれですね、某神速と同じようなものと思えば分かり易いです。こっちは身体能力まで上がりませんけど。

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