剣鬼と黒猫   作:工場船

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第四十二話:グレモリー対シトリー《その終》

「おいおい……こりゃあまずいぞ」

 

 アザゼルの呟きは、周囲の者が発する騒々しさの中に消える。

 序盤から大きな番狂わせを見せたグレモリー家対シトリー家のレーティングゲームは、リアスたちの奮戦により勝敗がわからなくなるところまで持ち直した。

 白熱する『騎士』対『騎士』、『兵士』対『兵士』の戦いにおいては観客の反応もかなりの盛り上がりを見せ、ゲームもいよいよ終盤(エンディング)――というところでこれだ。

 

 ソーナ・シトリーの大規模魔力技法『霜の都』。

 デパート内全域の濃霧を全て冷気に変換させるこの技を単純な移動手段で回避することはまず不可能。霧は呼吸を通じて肉体内部にまで侵入しているため、一度でも中に踏み入ったならばダメージを逃れる術はほぼ無いと言っていいだろう。

 加えてこの技、今回のゲームルールに対し絶妙な親和性がある。まったくもって恐ろしい戦法だった。

 

「きゃーーっ☆ すごい! ソーナちゃんすごい! 見てあの氷の魔力、さすが私の妹ね!」

 

「…………」

 

 諸手を挙げつつテンションMAXではしゃぐセラフォルーに対し、隣のサーゼクスは真剣な表情でモニターを見つめている。

 内心は妹が心配で仕方がないのだろうが、そこは魔王。傍から見てわかるような取り乱し方は見せなかった。

 ゲームフィールドを映すモニターは、ソーナがいる屋上のもの以外全て真っ白な冷気に覆われて様子を窺うことができない。濃霧に包まれた直後と同じように、今ごろ撮影担当の悪魔が必死に調整しているはずだ。

 

 間もなくして店内の様子が映し出される。

 広がっていたのは一面の銀世界。

 槍衾の如く霜が床を覆いつくし、壁は薄氷によって余すところなくコーティングされている。ゆっくりと宙を舞うダイヤモンドダストは、まるで昼に輝く星のようだった。

 

 激変したデパート内の様相に反して、店内の被害は最小限に止められており、卓越した魔力操作の冴えが見て取れる。ルール上の逸脱は無かった。

 その光景を見れば、観客たちも流石に驚嘆せざるを得ない。

 この場の上級悪魔の中に、初見であれに対応できる者がどれだけいるだろう?

 今回のゲームはグレモリー家が不甲斐無いと言うよりも、シトリー家が予想を超えて成長したのだと評価しなければならない。

 

「ほっほっほっ、良いのぉ、やはり戦いはこうでなくてはつまらんわい」

 

 驚きざわめく周囲とは対照的に、オーディンは満足げな顔でモニターを見ている。

 

「そのためにわざわざヴァルキリーまで派遣しておいて良く言うぜ。いいのかよ、俺らの戦力を強化するようなことして。他の神が黙ってないんじゃないか?」

 

「ほほっ、半月で教えられることなど高が知れておる。問題無いわい」

 

「その半月でアレなんだがな……まあ、そっちがそれでいいならこっちとしても問題は無いけどよ」

 

 アザゼルは話題を打ち切り、モニターに目を戻す。

 ソーナの大技は間違いなくリアスに届いたはずだ。その結果は――。

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

『リアス・グレモリーさまの「戦車」、「騎士」、「僧侶」ならびにソーナ・シトリーさまの「戦車」、「僧侶」、「兵士」、リタイヤ』

 

 響き渡るアナウンスの中、背後から撃ちこまれたそれにソーナが反応できたのは、やはり訓練の成果だったのだろう。

 すなわち残心。横に跳躍することで襲撃を回避したソーナは、攻撃の方向に振り向いた。

 

「予想していなかったとは言いませんが、実際に直面すると驚かざるを得ませんね。――リアス、まさかあれを凌ぐとは」

 

 視線の先には翼を広げ空を飛ぶ紅髪の少女、リアス・グレモリー。

 周囲に消滅魔力の球体を旋回させる彼女は、まっすぐにソーナを見つめている。

 

「――キャスリングよ、ソーナ。小猫と、ゼノヴィアが頑張ってくれたわ」

 

 そう言って、背後に一瞬目を移した。

 そこには割れたガラスの屋根がある。先ほど一誠が魔力弾を撃ち込んだショッピングモールの天井部分だった。

 状況とリアスの言葉を統合し、ソーナは一瞬でその理由を把握した。

 

 おそらく、真っ先に異変に気付いた小猫を、ゼノヴィアがそのパワーで砕けた天井部分に飛ばし、冷気を回避した時点でキャスリング――『戦車』が持つ『王』との入れ替え転移能力を使うことでリアスを逃がしたのだろう。

 小猫には燃え盛る火車と、黒歌直伝の闘気がある。この場において鎧を纏った一誠に次ぐ耐久力を持つ彼女だからこそ、それが実行できた。天井に空いた穴から霧が漏れ、その周辺の凍気変換が遅れてしまっていたことも一因として挙げられる。

 ゼノヴィアにしても予想外の頑丈さだ。もしかすると聖剣のオーラがある程度ソーナの魔力を散らしていたのかもしれない。

 

「……なるほど。ですが、今のあなたで私に勝てますか?」

 

「勝つ、わ。そうでないと、倒れていったあの子たちに申し訳が立たない」

 

 力強くソーナを睨むリアス。

 凍り砕けた衣服のせいで見かけはボロボロであるが、傷に関しては先ほど『フェニックスの涙』で癒すことができた。炎と風を司る悪魔由来の品であるからか、もしくは単純に懐に入れていたからか、悪魔界至高の霊薬はあの低温下でも凍りつくことは無かったのだ。

 

投了(リザイン)はしませんか……。それもやむを得ないでしょう。しかし、この期に及んで私が手を抜くなどとは思わないことです」

 

 ソーナが手で合図を送ると、屋上に備え付けられている給水塔の陰より人物が現れた。

 『僧侶』草下憐耶だ。

 

「……!」

 

 リアスの顔が驚きを表すかのようにわずかな引き攣りを見せる。

 彼女は先ほどまでショッピングモールにいたはず。それがなぜここにいるのか。

 

 答えは草下が覚えた魔法にある。

 それは『短距離転移(ショートジャンプ)』。

 有効距離はおよそ5メートル程度だが、ショッピングモールの屋根へ退避するには十分。一度使うとある程度時間を空けなければならないため連続使用はできず、燃費もあまり良いとは言えないものの、緊急回避、奇襲を行うにあたって実に有用な能力だった。ギャスパーが彼女の射線を掴み切れなかったのもこれによる。

 

 ソーナは眷族を犠牲にしてリアスたちを術中に誘い大技を決めたが、決して無暗に使い捨てたわけではない。

 何しろあちらには予測不可能なポテンシャルを持つ赤龍帝がいる。もしも相手が耐えきった時に備え、戦力の確保は行ってあった。そして、それは草下だけではない。

 

「椿姫……!」

 

 『女王』真羅椿姫も未だ健在。

 木場との戦いで破れた制服は破棄したのか、纏う衣服を変えた彼女は手に持った一枚の用紙をリアスに見せる。

 そこに描かれていたのはシトリー家の紋章――悪魔召喚用の転移魔法陣だった。

 

「状況を待つ間に作成しておきました。一人分しか作れませんでしたが、せっかく材料があるのですから有効に使わなければもったいありません」

 

 雑貨品・文房具の店はこちらにありましたから、とソーナ。

 その声が、リアスの耳に遠く聞こえた。

 端的に言って、この状況は詰みだ。

 ソーナと草下は全くの無傷。椿姫は木場より負わされた傷が癒えていないようだが、その事実がこちらに味方をすることは無い。なぜならそれは、あちらにまだ『フェニックスの涙』が残っていることを意味しているからだ。

 

 衝撃を受けるリアスに対し、草下が抜き打ちの圧縮魔力弾を放つ。

 

「しまっ……!」

 

 とっさに反応するも、もはや遅い。躱せないタイミングだ。

 凶弾が吸い込まれるようにリアスの眉間へ迫り――しかし横合いから飛来した雷によって落とされた。

 

「なに……呆けているの……リアス……」

 

「――朱乃……! あなた、休んでいるように言ったでしょう!」

 

「休んでなど……いられるものですか……」

 

 雷の主は『女王』姫島朱乃。

 凍ってしまった悪魔の翼の代わりに堕天使の黒翼を広げて宙に佇む。

 傍目に見て痛々しいほどひどい傷を負った彼女は、呆れたように自らの『王』を見つめていた。

 

「アナウンスで呼ばれなかったのでもしやと思っていましたが、やはりあなたも残っていましたか」

 

「おかげ……さまで、ボロボロ……です、けれど。まったく……厄介な攻撃を、してくれますわ、ソーナ」

 

 息も絶え絶えに答える朱乃は、今にも倒れそうだ。空を飛んでいることすらやっとと言った様子だった。

 

「その火傷……自分自身を雷光で焼いて防いだのですね。中々無茶をする」

 

「そちらも……人のことは、言えないでしょう……?」

 

 冷静に言葉を紡ぐソーナに対し、朱乃は不敵な笑みを見せた。

 ソーナの凍結空間は、とっさに練った魔力の炎では到底太刀打ちできないほど強力なものだった。しかし、ゼノヴィアの周り――正確に言えばデュランダルの周辺だけ凍結速度が遅いことに気付いた朱乃は、凍気の魔力変換を光力によって妨害できると推測、自分自身に雷光を纏わせ、何とか脱出することに成功したのだ。

 とはいえ負った傷は深い。

 氷漬けになることは防いだものの、身体に浸透する冷気は体力・精神力ともに大きく削っている。また、扱いに習熟しているとは言えない雷光を無理矢理纏ったことで、火傷だけでなく光によるダメージも受けてしまっていた。

 

「朱乃……」

 

「リアス……心配してくれるのは、嬉しいですけれど……落ち着きなさい……。まったく……あなたがそんなことでは……私だって、怒りに身を任せることもできない」

 

 朱乃の周囲に無数の魔法陣が展開される。

 滑らかな魔力の発動は訓練の成果だ。朱乃は雷光の制御以外にも、リアスと同様の基礎鍛錬を行っていた。

 空中に生み出された砲口より、大小さまざまな雷撃が放たれる。

 このゲームが始まってから朱乃は自身の持ち味である広域高火力が発揮できないでいた。しかしこの開けた屋上であれば話は全く違う。

 床と水平に走る攻撃は、正確無比に建物だけを避けてソーナたちに襲い掛かった。

 

「っ……!」

 

 リアスは今、自分でも予想外なほど動揺していた。

 失策の結果、自身を庇って脱落したアーシア。木場に続いてチームの精神的主柱たる一誠の喪失。陥った窮地を打開するための作戦も、全てソーナの手の平の上だった。

 おそらく、このゲームにおけるリアスの評価は散々だろう。禁手に至った赤龍帝まで擁してこれなのだから、『王』としての器を疑われるに違いない。

 何よりも脳裏によぎるのはかつてライザー・フェニックスに敗北した時のこと。

 あの時とは何もかも違うはずなのに――自分たちは強くなったはずなのに、それでも負けてしまうかもしれないのだ。優秀な眷族を活かしきれない、自分のせいで。

 悔しくて、不甲斐無くて、挽回しなくてはならないのに、今もこうして傷だらけの朱乃を前に立たせる結果となっている。

 

(何をしてるの、リアス・グレモリー……!)

 

 心中で己を叱咤する。

 ソーナが強敵であることは知っていた。たとえ眷族の潜在能力がこちらと比べて見劣りするものであろうと、対抗してくることなどわかっていたはずだ。

 下馬評に惑わされ、意識しないうちに彼女のことを格下だとでも思っていたのだろうか?

 だとしたらなんという無様。

 何よりもそれは、自らの親友であるソーナを侮辱する行為に他ならない。彼女はこんなにも強く、そして真剣だというのに。

 ならば、この結果は自業自得と言うものだ。

 

 悔やむのは後からでもできる。今はこの状況を切り抜け、勝利を掴むことこそが先決だ。

 呆けている暇など無い。ここにリアスが立っていることこそ、不甲斐無い自身のために眷族たちが努力した成果であるならば、それを無駄にすることがどれほど愚かなことか。

 『王』たるリアスは未だ健在。戦う力は残っている。まだ負けてなどいない。諦める理由など何処にもないのだ。

 

 リアスの瞳に再び力の火が灯る。

 

「ありがとう、朱乃。私、どうかしていたみたい。もう、大丈夫よ」

 

「ふふっ、本当に……世話の焼ける、ご主人さまですわね。ひとつ貸し、ですわよ?」

 

 朱乃の雷撃乱舞にリアスの消滅魔力が混ざる。

 障壁を展開しながら回避行動をとることで攻撃を凌いでいたソーナたちだったが、リアスの加勢によってとうとうその均衡が崩れた。

 

「――くっ!」

 

 草下に雷撃が集中する。

 手数と制御を重視したため本来の威力に達していないとはいえ、朱乃のそれは依然として強力だ。そこにリアスの魔力波動を撃ち込まれてしまえば、ひとたまりもなかった。

 転移する暇も無く障壁が砕かれ、強烈な一撃が草下を撃ち抜いた。そしてそのまま光に包まれて消える。

 

『ソーナ・シトリーさまの「僧侶」一名、リタイヤ』

 

 続いてソーナに火力が集まる。一際巨大な雷撃が、空中を駆け抜けた。

 その前に立ちはだかるのは真羅椿姫。手を前にかざせば、巨大な鏡が盾の如く出現する。

 神器『追憶の鏡(ミラー・アリス)』。

 その能力は破壊された際に衝撃を倍化して相手に返すというものだ。

 加えてカウンターという性質上、どれほど破壊力の高い攻撃であっても鏡と同等の規模であるならば一度だけ必ず防ぐことができる。

 

 鏡が砕け散るとともに、雷撃の威力が凄まじいまでの衝撃波となって朱乃へと迫る。その速度は易々と回避できる域には無く、満身創痍であるならなおさら、朱乃の撃墜は決まったようなものだ。

 しかし神器による反撃はリアスの魔力波動によって受け止められた。練りに練られた消滅の力が衝撃波を相殺する。

 それによってエネルギーが大きく弾け、暴風が椿姫たちの視界を塞ぎ――直後、眩い閃光が姿を現す。

 

 黄金色に輝くオーラの塊は雷光の力。

 先ほどの巨大な雷は椿姫に神器を使わせるための囮。本命はこちらだった。

 椿姫の神器はその強力さ故に連続使用が出来ないという欠点を抱えている。これから先の成長次第ではわからないが、木場から聞かされた情報により現状それは確実と言えた。

 

「沈みなさい……!!」

 

 巨大な雷光の柱が放たれる。

 威力・速度・規模共に今の限界まで練り上げられた渾身の一撃だ。前に立ちふさがる椿姫ごとソーナを吹き飛ばすには十分。

 だがしかし。

 

「沈むのはそちらです。『追憶の鏡』よ――」

 

 呟く椿姫がかざした手の平を上に返せば、砕けた鏡の破片が宙へ浮かび上がる。

 確かに椿姫の神器は連続使用が出来ない。しかしそれはあくまで完全な状態(・・・・・)での話。

 匙の『黒い龍脈』が異例の進化を遂げたように、椿姫もまた神器をもう一段階成長させている。それがこの破片の再利用であった。

 

 そもそも、暮修太郎と戦うのに一度のカウンターではまるで手数が足りない。至近距離からのカウンターでさえ易々と躱す相手なのだから、これぐらいできなくては話にならないのだ。

 反射威力は等倍以下と性能は格段に落ち、また破片の全てを使えるわけではないため防御範囲も小さくなるが、それでもカウンター能力は十分に機能する。代わりに再使用までの時間が余計に増えてしまうものの、緊急手段として考えれば許容範囲内だろう。

 

 空中に集う破片が雷光の大部分を受け止め、隙間から漏れ出た分をソーナの障壁が防ぐ。朱乃渾身の攻撃は見事に凌がれてしまった。

 同時に神器によって返された衝撃波が、無数の流星となって朱乃に殺到する。

 それに朱乃が反応することはない。なぜなら、既に彼女は戦う力を持っていないからだ。

 傷だらけの身体を押して力を行使した彼女はついに限界を迎え、光に包まれフィールドから去ろうとしていた。

 殺到する衝撃波は、薄れゆく朱乃の身体に当たることなくすり抜けていく。

 

「朱乃……」

 

 朱乃は最後に一度リアスに微笑み、激励する。

 リアスも覚悟を秘めた笑み返し、そうして光が消えた後、力強い瞳で敵を見据えた。

 

『リアス・グレモリーさまの「女王」、リタイヤ』

 

 アナウンスが響いた直後、帯電する空気を切り裂いて椿姫が飛ぶ。

 『女王』の特性を引き出している椿姫は、『騎士』と同等の速さを誇る。いくら高いフィジカルを持つとはいえ、接近戦を専門としていないリアスでは対応できないはず。

 しかしなんとリアスは、迫る薙刀の刃に対し自ら飛び込んだ。

 

「――!?」

 

 予想外のことに驚く椿姫だったが、最も驚愕したのは次の挙動だ。

 リアスの手に魔法陣が生まれ、そこから何かが飛び出したのを見る。

 それは、剣の柄だった。

 

 素早く抜き放たれたものは、紅の刀身を持つ魔剣だ。

 リアスはそれを使って薙刀を受け止める。強い衝撃を身体に受けて表情を歪めながら、背後に滞空させていた魔力球体を椿姫目掛けて放った。

 咄嗟の反応で障壁を張る椿姫だったが、ライフル弾の如き形態をとって貫通力を高めた魔力は瞬く間に防御を砕く。これは草下が使っていた攻撃と同じものだ。

 それに対し椿姫は、薙刀を振り切って身体を捻ることで回避。その技巧は達人級と言って何ら差支えないものであったが、続く追撃を躱すことはできなかった。

 回避直後の無防備な身体に、黒く輝く魔力の鉄槌が叩き込まれる。

 

『ソーナ・シトリーさまの「女王」、リタイヤ』

 

 虚空に響く審判役の声。

 椿姫が残した光の粒子を切り裂き、地に降り立ったリアスはソーナと対峙した。

 しかし戦況をイーブンに持ち込まれたと言うのに、リアスが見る限りソーナの顔に焦りの色は無いようだった。

 

「……それは、木場くんの魔剣ですか」

 

「ええ、合流したあと護身用に持たされたの。十全に扱えるとは言えないけれど……盾代わりくらいには使えるわ」

 

「なるほど。兵藤くんといい、彼らはあなたに多くのものを残したようですね」

 

「イッセー……そうね。だから、負けられない。いくわよ、ソーナ」

 

「望むところです。私にも負けられない理由がある」

 

 両者とも空中に無数の攻性魔力を生み出しながら、歩を進める。

 互いに屋上の中央へ、一歩足を踏み出すごとに、少女たちが生み出す力の量は増えていく。

 圧縮を重ねることで一つ一つの力を追求するリアスに対し、ソーナはひたすらに多彩、水の刃と氷の槍とを乱立させている。二人が展開した力の質量は同じく膨大だが、その趣は対照的だった。

 

 激突の合図は両者同時。

 消滅波動と氷結水流がぶつかり合い、弾けて消えてを繰り返す。

 殺到する蒼を旋回する黒が削り、反撃の黒を巻き上がる蒼が散らす。魔力に関する力量は両者互角に見えた。

 このままいけば千日手。いや、『涙』を残すソーナが圧倒的に有利だろう。

 ならば――。

 

 握る刃を構えてリアスが駆ける。

 己が身を守る事だけに魔力を集中させ、波濤のようなソーナの攻撃を潜り抜けていく。

 立ちはだかる水のカーテンに目の前を塞がれながらも、魔力の傘でそれを突き破り、剣を振りぬいたその時。

 

「――!」

 

 舞い散る飛沫の中、待ち受けるソーナの手には一振りの細剣。

 それによってリアスの刃は防がれる。

 そしてそのまま接近戦に移行した。

 

 至近距離で放たれる魔力の応酬と共に、互いの剣が交わる。

 リアスとソーナの剣技は、木場や巡と比べると(つたな)いものだ。

 両者とも名門上級悪魔の教養としてフェッシング、あるいは剣道などといったものを修めてはいるが、しかしそのどれもがスポーツの域を出ていない。

 差が生まれるとすれば、それは経験の差だった。

 

 リアスの剣は魔力をぶつけ合う中でもまっすぐにソーナへと走る。

 しかしソーナは余裕を持ってそれを受け流していく。

 高いフィジカルから放たれるリアスの剣は魔剣の鋭さも相まって侮れるものではないが、訓練期間中ソーナを狙ってきた剣鬼の鋭剣と比べれば凌ぐのは容易い。

 剣術合戦において、ソーナはリアスに勝っている。

 だがしかし、それでもソーナは攻めきれない。

 

「流石……!」

 

 理由は魔力特性の差。

 距離が離れていた時は物量で圧し潰せた消滅の力だったが、剣の間合いの中においては迎撃のための材料(みず)を確保しきれない。

 何よりも特筆すべきはリアスの底力だ。至近距離での魔力操作は自分すら消し飛ばしかねないにもかかわらず、恐れも迷いも無く剣を振るっている。

 長年の付き合いだ。彼女の諦めの悪さは知っている。

 過去のライザー・フェニックス戦においても、兵藤一誠が極限まで痛めつけられなければ投了(リザイン)しなかったことはソーナでなくともわかっただろう。あるいはこれも兵藤一誠の影響だろうか? 根性、あるいは火事場の馬鹿力と呼ばれるものを、リアスは発揮している。

 

 その兵藤一誠が崩された時、ソーナはリアスに大きな精神的動揺を与えられると踏んでいた。彼女は自分よりも眷族を大事にするという『王』らしからぬ欠点を抱えているからだ。

 しかしそれは『女王』たる朱乃によって正された。そして今、互いに一対一で刃を交えるに至っている。

 

 ソーナにとってリアスは幼馴染であり、親友であり、最大のライバルだ。

 幼い頃から互いに何かを競い合い、時には喧嘩もしながら今まで生きてきた。彼女の美点も欠点もソーナは知っているし、それはリアスも同じだろう。

 ソーナに無いものをリアスは持ち、ソーナもリアスに無いものを持っていると自負している。

 その中でソーナがリアスのことを羨ましいと思うことがあるとすれば、それは彼女の持つ『出会いの才能』だ。

 

 姫島朱乃との邂逅に始まり、塔城小猫を保護し、木場祐斗を蘇生させ、ギャスパー・ヴラディを拾い、そして赤龍帝・兵藤一誠と出会った。

 その後もアーシア・アルジェント、ならびにゼノヴィアを自らの眷族に加えたことで、グレモリー眷族の潜在能力は凄まじいものとなっている。

 

 通常、これらの強力な人物を仲間とするならば、相応の問題が発生するものだ。タイミングもあるとはいえ、ここまで綺麗に収まることは極めて珍しい。驚くべきはそれらの出会いをリアスが意図して行っているわけではないという点である。これはもはや尋常ではない。彼女は、確実にそういった『縁』を持っているのだ。

 

 無論、自身の眷族もリアスのそれに劣るものではないと思っている。だからこそ、その才能も含めてソーナは彼女と対等で在らねばならないと考えるのだ。

 ソーナにとってこのゲームは自身の夢を叶えるための第一歩であるとともに、先んじるリアスと並び立つための場でもあった。

 精神の高揚を感じる。

 この戦いは、負けられない。

 負けるわけにはいかないのだ。

 ソーナ・シトリーは研ぎ澄まされていた。

 

「うっ……!」

 

 ソーナの剣が一層その鋭さを増す。

 剣術というものは、ある一定のレベルに達するまで攻め手よりも受け手の方に高い技量が要求される。剣士でもない両者が互角の腕前である以上、受けに回った方が圧されるのは自明であった。

 だがリアスは退かない。ここで退けば押し切られるのがわかっているからだ。

 

 自分は眷族を率いる『王』として、ソーナに劣っている。それは認めるしかない。

 思えば昔からソーナはリアスでは思いもつかない策を考え出すことに優れていた。感情的な自分に対し、理性的な彼女がそれを補う場面は多々あり、そのたびにリアスはソーナの能力を羨ましく思ったものだ。

 このゲームを見ても、ソーナの指揮能力は卓越したものだと良くわかる。厳しく統制されたシトリー眷族の動きは自身の眷族では真似できない。

 一言、すごい、と尊敬する。

 そして同時に感謝した。今まで格上か圧倒的格下ばかりと戦っていた自分たちが、初めて戦った同格の相手。それがソーナとその眷族であることに。

 

 集中力は最大、力も技も出し切っている。

 この場に仲間の眷族はいないが、しかし不安は無い。

 アーシアが守り、ギャスパーが導き、木場が残し、一誠が切り拓き、小猫とゼノヴィアに生かされ、そして朱乃から力をもらった自分。

 一人ではない。ここにみんなの力が集まっている。

 心が激しく奮い立つ。

 この戦いは、負けられない。

 負けるわけにはいかないのだ。

 リアス・グレモリーは前に進む。

 

 少女たちは舞う。

 激しく、鋭く、美しく、時には無様に。

 打倒の意志を曇らせず、互いの剣が砕けようとも。

 二人の頭に降参の意思は無い。それは互いを侮辱するも同然であるからだ。

 言葉は交わさず、しかし彼女たちはわかりあっていた。

 

 全力と全力、その限界を超えて競い合った結末は――。

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

 リアスが目を覚ますと、そこは医療施設の一室だった。

 ぼんやりと曖昧な景色をしばらく眺め、そして唐突に覚醒。布団を押しのけ、勢いよく起き上がる。

 

 どうやらゲームで負った傷はほとんど治療されているようだ。痛みも無ければ動くのに支障も無い。つい先ほどまで激痛を訴えていたものが消え去るという、何とも言えない不思議な感覚をリアスは味わった。

 

 ゲームの結果はどうなったのだろうか?

 渾身の一撃を直撃させ、ソーナがフェニックスの涙を取り出したところまでは覚えている。その後も戦闘を続行した記憶はあるがしかし、決着がどうなったかはさっぱりだった。

 ベッドに座ったまま考えるリアスに、一人の人物が近づく。

 アーシア・アルジェントだ。起き上がっているリアスの姿を認めた彼女は微笑みながら口を開く。

 

「おかげんはいかがですか、部長さん」

 

「アーシア……」

 

 元気な様子のアーシアを見たリアスは、一度目を伏せ、再び彼女を見上げた。

 

「ありがとう、アーシア。あなたのおかげでソーナと戦えた。感謝してもしきれないわ」

 

「そ、そんな大したことは……! あの時は身体が勝手に動いたというか……結局、ゲームではあまりお役に立てませんでしたし……」

 

「いいえ、大したことよ。アーシアがいなければ、私は序盤戦で撃破されていたのだから。役に立っていないなんてことは無い。むしろ私の方が不甲斐無かったわ」

 

「部長さん……」

 

 その後の会話によると、既に眷族の仲間は傷を完治させているらしい。

 今はシトリー眷族の面々と交流を深めあっているとのことだった。アーシアはリアスの様子を見に来たのだと言う。

 

「それで、ゲームの結果はどうなったの?」

 

「それは……」

 

 最も気になることを聞いたその時、部屋の扉が開く。

 姿を見せたのはソーナだった。

 

「先ほど振りですね、リアス。調子はどうですか?」

 

「……ソーナ。ええ、大丈夫。このとおり元気よ」

 

 リアスの言葉に微笑みを向けるソーナ。

 そして、静かに問いかける。

 

「ゲームの結果はもう聞きましたか?」

 

「いえ、まだだけれど……何しろ、さきほど起きたばかりだから」

 

「そうですか……では私から伝えましょう。ゲームの結果は、引き分け(ドロー)です」

 

「え……?」

 

 その言葉にリアスは驚く。

 別に負けることを承知で戦っていたわけではなかったが、思い返せばあの状況でリアスが勝てた可能性はかなり低い。フェニックスの涙を使われた時点で敗北の色は濃厚だった。

 それが引き分けとは、どういうことなのだろう。

 考えていると、思考を察したソーナが答える。

 

「覚えていないのでしたら教えましょう。実のところを言うと、あの時私が取り出したのはフェニックスの涙ではないのです」

 

「……? じゃあ、あれは何だったの?」

 

「あれは偽物……ただの水です。雑貨屋に似たようなデザインの小瓶がありましたから、水を入れてメンバー全員に持たせていたのです。戦況によってはそれを使うそぶりを見せ、あなたたちに使用を阻止させるつもりでした。もうこちらに回復手段が無いと知れば、あなたたちは安心するでしょう。その思考の隙を叩く予定だったのです」

 

 確かにそんな展開にならないとは言えない。戦場においてわずかな隙が命取りとなることは、序盤のリアスを見れば明らかだろう。

 ぞっとしない話を聞いてリアスの表情が引きつった。

 

「それは……恐ろしいわね。じゃあ、涙は誰が持っていたの?」

 

「草下です。本来、あの子は後方からの補助支援を得意としていますから。思えば、早い段階で姿を晒させたのは失敗でした。まさか朱乃があそこまで戦えるとは……私もまだまだですね」

 

 そう言って、思案気な顔になるソーナ。反省でもしているのかもしれない。

 数秒後、再び口を開く。

 

「まあいいでしょう。ともかく私はあの戦闘中、涙の偽物を見せ、そして投げつけることであなたの意識を逸らそうとしました。唯一の回復手段を敵に投げつけるなど予想外もいいところですからね。ですが……」

 

 失敗したらしい。

 何故かと問えば、リアスは小瓶を全く無視してソーナへ攻撃を続行したのだと言う。結果として戦況は互角のまま、相討ちになってしまった。

 そこまで話を聞いて、だんだんとリアスも思い出してくる。

 

「確かにあの極限下において、小細工などさして意味を持たない。きっと私は戦闘者として純粋ではなかったのでしょう。その点あなたは流石です、リアス」

 

「…………」

 

「リアス?」

 

「え! ああ、うん。……そうね」

 

 ソーナの言葉に慌てて応じるリアス。その笑みはひきつり、額からは一筋の汗が流れている。

 実のところを言うとあの時リアスはきっちり小瓶に反応しており、それに向かって攻撃を放とうとしたのだ。しかしながら、集中が途切れてしまったのか狙いが狂って外れてしまっていた。

 つまりソーナの称賛は勘違いである。ばつが悪いどころの話ではない。

 

 そんなリアスの態度をソーナが見逃すはずもなく、リアスもこのままでは不義理であるとして、勘違いはすぐさま解消される。

 恥ずかしげに顔を赤らめるリアスにソーナは苦笑した。

 

「何にせよ、素晴らしい戦いでした。あなたが最初の対戦相手で良かった」

 

 そう言って、ソーナはリアスへと握手を求めるように手を差し出す。

 

「私こそ。今回のゲームで私に欠けている多くのことを学ばせてもらったわ。……勝てなかったのは残念だけれどね」

 

 リアスは微笑みながら差しのべられた手を取った。

 

「それは私も同じです。ですが、いずれまたゲームで勝負を競う機会もあるでしょう。その時こそ、白黒決着をつけましょう」

 

「ええ、いずれ。今度は私が勝つわ」

 

「ふふ、そっくりそのまま同じ言葉を返しましょう」

 

 互いに顔を見合った後、二人の笑い声が響く。

 そんな良きライバルたちの姿を見て、アーシアは静かに微笑むのだった。

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

 

 月の輝く星空の下、シトリー本邸中庭にて賑わいの席が設けられていた。

 指導者陣への感謝も含めたレーティングゲームの打ち上げである。

 

 中庭には多数の長テーブルが出され、そこに様々な料理が置かれていた。所謂バイキング形式だ。

 豪華絢爛、と言うほどではないが、ホテル顔負けの献立は見るからに食欲をそそる外観だ。

 

 その間を駆け抜ける黒い影が一つ。

 次々と料理を手持ちの受け皿に乗せ、手に持ったフォークで口に運んでいく。

 咀嚼するごとにピクピクと反応を示す猫耳と、二又の尾の持ち主は黒歌。

 実に幸せそうな笑みを浮かべて食べ物を味わっている。

 

「なんであの人がここにいるんだ……?」

 

 疑問符を浮かべるのは匙元士郎。

 黒歌はグレモリー側の指導者であり、シトリー眷族とはまったく関わりがない。

 本来であればここにるはずのない彼女が何故ここにいるかと問えば――。

 

「そりゃあ、暮さんに付いて来たからじゃないですか?」

 

 仁村留流子が答える。

 視線の先には修太郎の姿。彼はロスヴァイセ、椿姫二人と何やら会話しているようだった。

 

「まあ、それしかないよな……」

 

「ねえねえ、それよりも元士郎先輩!」

 

「うん? 何だよ仁村」

 

「暮さんのことなんですけど、ちょっと見返したくありません?」

 

「はあ?」

 

 そう言って、仁村が懐から何かを取り出した。

 それは液体の入った小瓶だった。

 

「……嫌な予感しかしないが、一応聞いておく。それは何だ?」

 

「あ、毒薬とかじゃないですよ。というか致死性の猛毒も効かなそうな人ですし」

 

「お前、あの人を何だと思ってるんだ……流石にそんなわけ……無いよな?」

 

 致死性の猛毒を無効化する人間なんているわけないだろうと反論したかった匙だが、否定しきれないところが何ともアレだった。

 なにはともあれ小瓶の中身である。

 仁村は続ける。

 

「これはですね、アルコールです」

 

「アルコール、って……そんなもんで何をする気なんだよ」

 

「正確には、アルコール度数を爆発的に増大させる魔法薬です。この薬を、こう……カクテルに混ぜてですね、暮さんを酔っぱらわせちゃおうと思いまして。ほら、そんな暮さん、見たくありませんか?」

 

 持ってきたカクテルのグラスに液体を垂らし、にやりと笑う仁村。

 

「まあ、見たくないと言えば嘘になると言えなくもないけどよ……やめとけよ。俺にはその試みが無謀に思えてならない」

 

 大きく成長を遂げた匙の奇襲すら掠りもせず凌ぐ男だ。眷族の総力を挙げてさえ、巡が何とか一撃与える(と言っても斬撃ではなくただの蹴り。ダメージはほとんど無し)のが精いっぱいなのである。

 冗談のようなシックスセンスを持つ彼に一服盛るだなんて不可能としか思えなかった。

 

「心配ご無用、この薬が効果を発揮するのは人肌に温まってから……つまりお酒が胃の中に入ってからです。だから飲む前にバレる恐れは多分ありません!」

 

「でもな仁村、あの人は一応俺たちを鍛えてくれた恩人だし、そういうことをするのはだな」

 

「元ちゃんたち、何やってるの?」

 

 そこに現れたのは花戒桃である。こそこそ話す二人を見て気になったらしい。

 

「ああ、花戒。お前もこいつを止めてくれよ。仁村のやつ、暮さんに一服盛ろうと……」

 

「ふふふ、嫁入り前の身体を先輩の前で剥かれて十日とちょっと……この仕返しをいつやろうかと考えつつ、今日! 普段お酒を飲まない暮さんだけど、今この時ならきっと嵌まってくれるッ! 行きます、元士郎先輩!!」

 

「ああっ、仁村!?」

 

 匙の制止もむなしく、修太郎の下へ走り去っていく仁村。

 ハラハラしながら眺めていると、驚くことに何事も無くカクテルを引き渡して戻ってきた。

 

「成功……しちゃいました……」

 

 匙の下に走ってきた彼女の顔は真っ青で、冷や汗だらだらだ。まるで先ほど死地から舞い戻ってきたかのようだった。仁村にとっては事実そうだったのだが。

 勢い任せにやって後悔するならやめればよかったのに、と言うのももう遅いだろう。匙もなんだか無性に緊張してきた。

 そして。

 

(あれ、これバレたら止めなかった俺も同罪じゃねえ?)

 

 なんてことに今更気づく。

 だが時すでに遅し、既に賽は投げられたのだ。

 

「ねえ元ちゃん、留流子がいったいどうしたの?」

 

 見る間に顔面蒼白となった匙を見て、花戒が再び問う。

 かくかくしかじか、匙はありのままを花戒に伝えた。花戒の顔もみるみる蒼くなる。

 

「留流子、あなたなんてことを! 今ならまだ間に合うわ、飲む前に取り返して謝りなさい!」

 

「でも乙女の尊厳が……いえ、そうですよね! ちょっともう一回逝ってきます!」

 

「仁村、字が! 字が違う!」

 

 再び走り出す仁村だったが、見れば修太郎はカクテルを口に運ぼうとしている。

 やばい、これはやばい。

 一服盛ったのがバレたら修太郎がどんな反応をするのかわからないし、穏便に済んでもソーナからの制裁は避けられない。

 と言うか、もし酔っぱらって彼が暴れ出したら止められる者が(おそらく)黒歌を除いて他にいないというのが何より不味い。

 この敷地内に存在する全戦力を合わせても、修太郎には敵わないのだ。

 何その人間、ちょっと意味不明過ぎるだろう。

 

「待っ――――!」

 

 涙目の仁村が制止の声を叫ぼうとした、その時。

 

「うにゃーん! 助けてシュウ!」

 

 横合いからかかる声に修太郎の動きが止まる。

 そちらを見れば、皿に山盛りの料理を乗せた黒歌がバランスを崩していた。

 修太郎は流れるような動きでカクテルをロスヴァイセに渡すと、疾風もかくやというほどの速度で動き、転びそうな黒歌を支えた。

 

「まったく、調子に乗るからそんなことになる」

 

「にゃはは……ごめんにゃ。シュウも食べる?」

 

 とまあ、そんなこんなでイチャつき始める二人をよそに、仁村と匙と花戒は安堵の息を吐く。

 彼女らに迫る自業自得(ピンチ)は無事回避された――。

 

 かに見えた。

 

「あら、おいしい」

 

「ん……?」

 

 振り向けばロスヴァイセ。

 その手には少しばかり量の減ったカクテルのグラス。

 そういえば、修太郎は先ほど彼女に薬入りのそれを渡していたような……。

 

『――――!?』

 

 理解し、戦慄する。

 まさかのロスヴァイセ。

 匙たちにとっての恩師、訓練期間を乗り越える一助になった女神さま。

 ロスヴァイセ課長改めロスヴァイセ先生である。

 

 酒乱の気があり、しかも悪酔いしやすい彼女はこの席でも酒を控えていた。

 しかしながら、会場の空気的にやはり飲みたくなったのだろう、度数も少ないことであるし、少しならばと修太郎がまだ口を付けていないカクテルを飲んでしまったのだ。

 

 数秒後、変化は訪れる。

 胃の中に入った魔法薬混じりの酒は、体内の温度を受けて急激にアルコールを増大させる。少量の摂取であったため中毒に倒れるほどではないのが幸いだったものの、しかし一気に出来上がるには十分な量だった。

 

「あれぇ……? なんだかきもちよくなっれきましたぁ……」

 

「ロ、ロスヴァイセさん……?」

 

 急に顔を赤らめ、呂律も怪しくなった彼女に椿姫が困惑する。

 ロスヴァイセはそれを無視してグラスの中身を一気に飲み干した。すごく胴に入った飲みっぷりだった。

 

「ぷはーっ、だいたいれすねぇ……むちゃなんれすよ。そりゃわらしはこうれいじゅつもにがてれすし、ゆうしゃさまのたましいらんかよべましぇんよ。おちこぼれのばるきりーでしゅよ! れもだからって、ひとりだけれそとまわりのえいぎょうなんて、ひどいとおもいましぇんか? しんらさん」

 

「え、ええぇ……?」

 

「はにゃしかけてことわられ、ことわられことわられれ……やっとノルマくりあしたとおもってたら、みんにゃしっそうしちゃうし、もうわらしどうすればいいんれす? しゃっきんにゃんかいっしょうかけてもかえしぇましぇんし、かれしはできないし、かれしはできないし、かれしはできないし! ついせんじつにゃんか、またアイドルのまねごとをやれにゃんていわれたんれすよ? まえやったのらってギリギリのギリギリれ、しゅーたろーさんたちがいなかったららいしっぱいだったのに! フレイヤしゃまにだってにらまれちゃうのに! いくらおかねがかせげるからって、もういやなんれすよ、あんにゃの! だいたい『ぶいえるけーふぉーてぃーえいと』ってなんれすか! にほんにきてしりましたけろ、パクリじゃないれすか!」

 

「は、はぁ……」

 

 目が座っている。

 ストレスの塊を吐き出すような愚痴の乱舞に、椿姫はめちゃくちゃ引いていた。

 というか何をやらされてるんだこの人。

 

「それもこれも、みんにゃじぇんぶ、うーとがるじゃ・りょきのしぇいでしゅよ! あのクズきょじんおうのせいでむだにゆうめいになっちゃうし、『ふぁん』なんていうひともでてきちゃうし、で、でもじぇんじぇんまったくもてないし、うぅ……わらし、そんにゃにみりょくにゃいですかねぇ……? う、うえええええぇぇん!!」

 

『!?』

 

 急に表情を崩して泣き始める戦乙女に、場の一同は驚く。

 匙・仁村・花戒は勿論、すぐそばにいた椿姫、ちょっと離れたところで料理を食べている由良と巡、草下、無論のことソーナも、そしてシトリー家に使える悪魔たちもその様子を凝視していた。

 

「ううぅ……ぐすっ、そのてんいいれすよね、がくせいっていうのは。はたらかなくれもいいし、べんきょうらけしてればすてーたすににゃるんですから。ともだちといっしょにあそんだりしてるのれしょう? まいにちまいにちふじゅんいせーこーゆーのなのもとに、いちゃこらいちゃこらしてるのれしょう? ……わたしにはそんながくせいじだいにゃんてなかったですけろ……いいなー、いいなー、がくせいっていいなー」

 

「あ、あの、ロスヴァイセさん……」

 

 椿姫は為されるがままにロスヴァイセに絡まれていた。

 周囲に視線を巡らせて、言外に『助けて!』と訴えるが、誰も手を出せない。と言うより出したくなかった。

 そんな中で動ける人物がいるとすれば、それは――。

 

「いかん、絡みだした。クロ!」

 

「ああ、うん。何となくこうなる気がしてたにゃん」

 

「ああん! なにすりゅんれすか、しゅーたろーしゃん!」

 

 ここに来てやっと事態を察知した修太郎たちがロスヴァイセを椿姫より引きはがす。

 椿姫の目には、半月前まで――最近もだが――あれだけ恐ろしかった剣鬼が、今この瞬間だけは英雄に見えた気がした。

 

「ほら、こっちに座って落ち着け」

 

「いーやーですー! もっろしんらしゃんとはなすんれすー!」

 

「……これはひどいな。宴会末期状態だ。椿姫嬢、ロスヴァイセは何杯飲んだ?」

 

「え、ええと、カクテル一杯だけですが……」

 

「一杯? いくらロスヴァイセでもそんな馬鹿な……まあいい。彼女はこちらで引き受ける。キミたちは今まで通り楽しんでくれ」

 

「え、ええ、はい、わかりました」

 

 そうして二人に引きずられていくロスヴァイセ。

 今まで真面目な姿しか見た事の無かったソーナ含むシトリー眷族の面々は、彼女に抱いていたイメージの崩壊にしばし呆然となった。

 

「うぅ……しゅーたろーしゃん、わらしれすね、じつはいまのしごとはずされそうにゃんでしゅ……。いまのじょうせいじゃノルマがれすね、たっせいれきないから、っておーでぃんさまがいってたんれすよぉ……。つぎはなんのしごとをやればいいんれすかね、やっぱりまたアイドルとかやらされちゃうんれしょうか? どうせ、も、もてないのに、よめいりまえで、ひらひら~なろしゅちゅのおおい、はじゅかしいかっこうばっかりさせられちゃんれしょうか?」

 

「大丈夫だロスヴァイセ。きっとそのようなことにはならない。もし駄目だとしても、その時はまた俺たちが助ける。安心しろ」

 

「そうよロスヴァイセ。大体そんな仕事、やりたくないなら突っぱねちゃえばいいにゃん! 私たちはいつでもあなたの味方なんだから、もっと頼ってもいいのよ?」

 

「うぅ……しゅーたろーしゃん、くろかしゃん……ありがとうございましゅ……」

 

 そんな彼らが座る一角だけ、雰囲気が完全に居酒屋だった。

 しかし誰もツッコミはしない。みんな頭を整理するのにそれどころではなかったのだ。

 

 ちなみにこの騒動が治まった後、仁村がやったことは結局ソーナにバレてしまい、下手人の少女とついでに匙はお仕置きを受ける羽目になった。

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

「いや、予想外のことばかりだったが、それだけに良いゲームだったな、サーゼクス」

 

「ああ、リアスの評価としては少々辛いものになっただろうが、当人たちは満足しているようだ。二人とも、きっとこれからますますの成長を期待できることだろう」

 

「ライバルってやつか……青春だな。おっさんとしては眩しすぎて溜息が出てくるぜ。もうそういう歳でもねえしな」

 

「そうは言うが、やはり対等の友人は互いを引き上げるものだぞアザゼル。あなたとミカエルもそういった関係だったのではないかな?」

 

「よせよ、あいつとはただの腐れ縁だ」

 

「ふふふ、数千年の腐れ縁とは、また業が深いな」

 

「ちっ……もうその話はいいだろう。息抜きも済んだし、問題はこれからだ」

 

「……ああ、『禍の団(カオス・ブリゲート)』だな」

 

「それと高円だ。『禍の団』は今のところシャルバ・ベルゼブブによって統率が為されているらしいが……そっちよりも奴の方がヤバい。奴は確実に俺たちの勢力に内通者を作っている」

 

「魔人・高円雅崇――100年の封印から目覚め、現代での活動期間は10年に満たないが、暮修太郎くんに情報を知らされるまで私たちは存在すら把握していなかった。これは異常なことだ」

 

「100年前も、それ以前も、聖書の勢力は日本にいるにはいたが、今と比べれば数はかなり少なかった。その時代ならまだわかる。だが現代である今、悪魔・堕天使・天使の目を抜けつつ話に聞くような破壊活動を行えたとは考えにくい」

 

「ああ、高円雅崇は我々に対し既に何かしている(・・・・・・)。これは確実だ。そしておそらく、上層部にまで手が及んでいるはず。でなければこれほどの情報操作はできない」

 

「その内通者本人にそういった自覚があることすら怪しいのがまた厄介だ。なんせ、憑依、洗脳、寄生虫――なんでもござれな敵だからな」

 

「こちらでも怪しいと思われる人物を目下捜索中だが、結果はあまり芳しくない。おそらく対象は一人二人で収まらないだろう。……頭が痛いことだ」

 

「これで本人の強さに加えて、馬鹿げた力を持つ鬼神もいるってんだから冗談にもならん。京都陰陽師たちに協力を申し出て正解だったな。やっこさんから提供された情報が無ければ苦労は倍どころじゃ済まなかった」

 

「例の障壁に関しては提供された情報を基にアジュカが対抗術式を構築している。おそらくそれで8割は回避能力を削げるはずだ」

 

「敵の仕込み――内通者を判別する装置はこっちで作ってる。完成まではもう少し時間が要るが……」

 

「それまで大きな動きはとれない、か。悩ましいな」

 

「仕方ないとも言えるが、どうもいいように動かされてるようで気に入らねえ。……そういえば、確かリアスたちのゲームを監視していた奴らがいたとか言ってたな」

 

「ああ、警備をしていた私の眷族が次元の狭間にいるのを見つけた。それによると、相手は『堕天使の姿』をしていたとのことだ」

 

「堕天使……しかも次元の狭間か。明らかに普通の奴じゃないな。怪しすぎる。だが、目的は何だ?」

 

「わからない……追跡部隊を送った直後、すぐに姿を暗ましてしまったらしい」

 

「何にせよ、俺たちは動けん。しかし、それはそれで問題だ。そうだな、そんじゃちょいと『遊撃部隊』ってのを作ってみるか」

 

「『遊撃』? 今の我らに人材の余裕は無いはずだが……」

 

「おいおい、ちょうど適任なのがいるだろう? 俺のところにもな。ついでだ、オーディンや帝釈天にも人手を要請してみるか。『強くて暇な若手いないか』ってな」

 

 




お待たせしました更新です。
これにて今章は終了。かなり長くなってしまいました。
ゲームの結果に関してはこのような感じで。決め手は朱乃さんの頑張り。
白黒つかなかったものの、評価的にはシトリー眷属大金星です。
そしてこの経験を基にリアスも王として成長することでしょう。きっと。

それはそうと、web連載されてる刃狗を読んで驚いたのが、真羅家の家格の高さ。
五大宗家って、そんなすごい家の出身だったんですね椿姫さん。
現状あまり修正する箇所はありませんし、物語への影響も無いに等しいですが、これには驚いた。
……巡さんあまり格の高い家じゃないことになってるけど大丈夫だろうか。

この後は番外挟んで次章です。
ようやく愛刀の行方が明らかになります。あとディオドラがひどいことになる(予定)。

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