剣鬼と黒猫   作:工場船

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第四十五話:炎と紫電

 9月も前半、日本では残暑に悩まされる季節でも、ここイギリスは違う。爽やかに肌を撫でる涼しい風が心地良い。

 駅から降りて歩いて行けば、なだらかな丘の坂道に煉瓦造りの家々が立ち並ぶ。近くの山に見える木々は深く、その中から伸びる小川が午後の太陽を受けて輝いていた。

 どこかに牧場でもあるのだろう、時折家畜の鳴き声が聞こえる。車の通りも少なく、都会特有の喧騒も無い。なるほど確かに、デュリオが言ったように田舎町だった。

 石畳の道を抜けて、緩やかな勾配の山道を行く。山道と言っても、車か何かが頻繁に通っているからか、段差などはほとんど無いに等しい。

 魔的な気配も、その他の異常も全く見られない。時折木々の隙間から小鳥の鳴き声が聞こえてくるだけだ。

 

「……なんつーか、のどかだねぃ」

 

 緊張感を欠いた美猴の言葉に、一同は同意していた。

 食事時を過ぎた昼の柔らかな日差しが眠気を誘う。

 

「絶好の昼寝日和だねぇ……寝ちゃダメかな?」

 

 リーダーの戯言は無視である。

 美猴は若干気だるそうに、ヴァーリは黙々と歩いている。

 ロスヴァイセを見ると、欠伸を噛み殺している彼女と目が合った。自身の失態を見られてしまったロスヴァイセは、恥ずかしげに顔を伏せ、歩調を落として修太郎の後ろへと下がる。この様子からして、徹夜でもしたのだろうか?

 

「ねーねー、シュウ」

 

 横を見れば、眠たげに目元をこする黒歌がこちらを見上げていた。修太郎が意識を向けると彼女は素早く猫の姿に化け、肩の上に乗ってくる。そうして身体を丸め、寝息を立て始めた。懐かしの定位置だった。

 

「ずるいなぁ、猫さん」

 

 リーダーの文句が聞こえた気がしたが、無視である。

 しばらく山道を歩くと、柔らかい膜を通過したような感触を受ける。直後、急に視界が開けた。

 おそらくは人払いと認識阻害の結界を抜けたのだろう。目の前には破壊され尽くした屋敷の残骸があった。

 柱は燃え尽き、土台は砕け、そこかしこに大きく抉られた地面が見える。燻る破壊痕から立ち上る匂いには血も混じっており、濃厚な死の香りが鼻腔を刺激した。のどかに見えたのは見かけだけ。間違いなく、この場では激しい戦闘が繰り広げられていたのだ。

 現場を検分しているのは主に悪魔と魔法使いたちだった。堕天使が数名いるのは、襲撃者の正体に関して意見を聞くためだろう。

 

 一同が様子を窺っていると、紅色のローブを着た魔法使いが近づいてくる。

 金髪に黒髪が混ざった長い髪、切れ長の目をした痩躯の男性だった。抑えているのだろうが、身体の奥底から感じるオーラは静かで深く、強者の気配を感じさせる。

 ローブの男は微笑みを浮かべながら一礼して、口を開く。

 

「皆さまがた、お待ちしておりました。私はルシファー眷族の『僧侶(ビショップ)』、マグレガー・メイザースと申します」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 マグレガー・メイザースはサーゼクス・ルシファーの命を受け、この事件に関して補佐をしにやってきたと言う。

 

「いやぁ、調査・追跡って言っても俺らにはノウハウが無いから、協力ありがたいスわー」

 

「協力、と言ってもこの案件には私も興味がありますからね。お役にたてれば幸いです」

 

 軽い口調で話すデュリオ。

 ともすれば失礼なふるまいだが、マグレガーの態度はあくまでも穏やかだ。

 

 マグレガー・メイザースと言えば、近代魔術師たちの間では知らぬ者などいないほどのビッグネームである。

 魔術結社『黄金の夜明け団(ゴールデン・ドーン)』を創設した一人であり、多くの系統に精通した稀代の魔術師。以前ベオウルフに聞いたところによると、禁術研究の第一人者でもあるらしい。現魔王ルシファーの『僧侶』駒二つを消費して転生したのだから、その実力は推して知るべしと言ったところだ。

 現場の第一発見者は『黄金の夜明け団』の魔術師たちである。マグレガーは彼らと交渉するにあたってこれ以上ない人物だ。

 

「まさかあのマグレガー・メイザース殿とこんなところで会えるとは……一度魔法について語り合ってみたいものです」

 

 ロスヴァイセが呟く。

 彼女がこんなにも興味津々な様子になるのは、百均ショップ以外の場所では珍しい。

 おそらく修太郎が沖田総司に対して戦り合ってみたいと思うのと同じだろう。そう考えると少し親近感が湧く。

 

「なんだか失礼なことを考えられてる気が……」

 

 ともあれ、情報を受け取ることが先決だ。

 しかしながら、全員が雁首揃えて立ち会う必要は無い。

 いつのまにやら美猴は木にもたれかかって寝ており、ヴァーリは勝手に現場の様子を見に向かってしまった。マグレガーが名乗った時はどちらも興味深く相手の実力を探っていたようだが、勝手なことだ。

 まったくもって纏まりの無いチームだが、ロスヴァイセを除き規律や統制には縁遠い人物ばかりだ。むしろ、これぐらいが良い塩梅なのかもしれなかった。

 

「デュリオ、ここは任せる」

 

「シュータロくん?」

 

「時間の経ち具合にもよるが、気配の残り香を感じることができれば、もしどこかで敵と出会った場合にわかるかもしれない。少し見回ってくる」

 

「へえ……うん、いいよオッケー。じゃあロスちゃんはこっちで俺の手伝いを……」

 

「私も少し試してみたい術式がありますので、ここはデュリオさんにお任せします」

 

「ええ! それじゃこっちどうすんのさ?」

 

「頑張れリーダー」

 

「そんなぁ……」

 

「ふふふっ、では案内の者を呼びましょう。まだ検証が済んでいない部分もありますので。少しお待ちを」

 

 案内の者がやってくるまでの間、邪魔にならない位置に移動する。

 改めて現場の全景を眺めると、残骸を見ただけで相当大きな屋敷だったのだとわかる。

 砕けた煉瓦の一つ一つから魔術の残滓が感じ取れることを考えれば、本来は要塞レベルの防護を誇っていたはずだ。

 

「デュリオを放っておいてもいいのか?」

 

 屋敷跡を見ながら、ロスヴァイセに尋ねる。

 

「このままだと私任せになりかねませんし、たまにはいいでしょう。私はあくまでもヘルプ。リーダー業は全部デュリオさんにやってもらいます」

 

「……そうか」

 

 言葉の裏に、もう管理職は御免だというような強い意思を感じる。

 まあ、デュリオにはそれくらいで接するのがちょうどいいだろう。あれはやるべき時はやるが、極力やらない方向にもっていきたがる性質だ。

 そう思っていると、ロスヴァイセが。

 

「ふわぁ~。……す、すいません」

 

 一つ小さく欠伸をした。噛み殺そうとして出来なかったのだろう。

 しかし、何故修太郎に謝るのか。眠いのならば仕方がない反応であるし、そういった仕草も可愛らしくて良いと思うのだが。

 

「眠そうだな」

 

「ええ、今後のことも考えて新しい術を考えていまして……つい熱中してしまいました」

 

「ならば欠伸程度、遠慮する必要はない。もっと力を抜いても問題にはならないぞ」

 

「そうなのでしょうが、癖なんです。一応、プライベートではリラックスしてますよ? それに、欠伸した顔を見せるのはやっぱり恥ずかしいです」

 

「クロはしょっちゅうだが」

 

「そこは性格の違いと言うことで……と言うか、修太郎さんに言われたくはありません。あなたももっと力を抜くべきでは?」

 

「む……癖なんだ。仕方がない」

 

「私も同じですよ。ありがとうございます、少し目が覚めました」

 

 ふふっ、と笑う彼女は、魔法の光を飛ばして何かの観測を行っているようだった。

 元来火力重視の傾向が目立ったロスヴァイセだが、修太郎たちと付き合い始めてからはサポート系の術も多く習得している。攻撃・結界・空間操作などの術は大出力と天性の感覚を持つ黒歌に軍配が上がるだろうが、観測や索敵などといった演算速度や高速精密性が物を言う分野では圧倒的にロスヴァイセが上のはずだ。

 フルバースト魔法の多数同時照準などは見事の一言。いつみても惚れ惚れする美しい精度だと感じている。

 故に彼女の新しい術、と言うのは気になるが、作業を始めたのなら邪魔をするのも悪い。

 

 呼吸を整え目を閉じる。現場に残留した気から襲撃者の気配を把握するべく、集中。

 自身の肉体を自然と一体化させていくイメージで、深く、深く――――。

 が、しかし。

 

「…………駄目か」

 

 多くの人が戦い、そして死んだ場所だ。濃厚な魔術の痕跡に怨念や邪気の類まで混じっており、敵と思しき気配がわからない。

 場所を変えれば違うかもしれないが、少なくともこの場所では不可能だ。

 

「ロスヴァイセ、そちらはどうだ?」

 

 己の未熟を反省しつつ、ロスヴァイセの様子を窺う。

 彼女はまだ手元で術式を操作しているようだった。

 

「まだ観測中なので何とも。しかし、色々な場所がとんでもない高温で溶解しているようです。敵は炎使いでしょうか?」

 

「……この具合だと、苦しむ間もなく死ねるな」

 

 見える範囲だけでも土がガラス化している。魔術で防御したとしても、人間の術師ではひとたまりもない高熱だ。見た限りそれが何発も放たれている。

 もしも建物が頑丈でなければ、町にまで被害が及んでいたかもしれない。攻撃としては完全にオーバーキルな威力だ。卓越した使い手ならもう少し調整できそうなものだが、襲撃者は余程大雑把と見える。

 

「あのー、すいませーん!」

 

 横合いから声がかかる。

 そちらに目を向けると、屋敷跡の方向から一人の魔法使いが走ってくるのが見えた。

 とんがり帽子に大きなマントを身に着けた少女だ。小柄な体躯を包むのは学校の制服か何かだろうか、修太郎にとってはとても見覚えがある姿だった。

 

「キミは……」

 

 巻き気味の金髪が、立ち止まる動作に揺らされふわりとなびく。大きな碧い瞳で一度こちらを見上げて、少女は可愛らしくおじぎをした。

 

「案内役を申し付けられました、ルフェイ・ペンドラゴンです。よろしくおねがいします。それと、お久しぶりですシュウお兄さん」

 

 そうして少女――ルフェイ・ペンドラゴンは、にっこりと微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ルフェイに案内されながら、ロスヴァイセと共に屋敷跡周辺を歩く。肩の上の黒歌は未だに規則正しい寝息をたてていた。

 突然現れた闖入者に作業中の魔法使いたちがこちらに一瞥送り、先導するルフェイを見ては視線を戻す。

 

 話を聞くと、最初に『魔女の夜(ヘクセン・ナハト)』からの救援要請を受け取ったのはルフェイだったらしい。

 その日は友人が席を立った間だけ、代わりに電話番のような仕事を引き受けていたとのことで、突然舞い込んできたメッセージにとても驚いたようだ。

 

「ほんの10分程度の予定だったんですけど、まさかこんな大変なことになるなんて……」

 

 『黄金の夜明け団』側としても当初は悪戯か何かと思っていたそうだ。しかし、他の魔術結社にも同様の連絡があったこと、連絡主の様子があまりにも必死だったこと、そして襲撃者に関する情報が昨今の失踪事件で有力視されているものと一致していたことから、彼らは腰を上げることにした。

 もしもその話が本当だったなら、次に襲われるのはこちらかもしれないからだ。

 

「私がここに派遣されたのは、生存者の行方を探し出すためです。お兄さまを探してた時の術式を研究結果として発表したら、何だか評価されてしまいまして……」

 

「ああ、クロと一緒に調整していたあれか」

 

 そう言えば、駒王町にやってくる少し前にルフェイから黒歌へ手紙がやってきた覚えがある。

 詳しい内容は読んでいないので知らなかったが、研究を提出するうえで連名の許可をもらいたいという話だったようだ。しかし、当時お尋ね者だった黒歌である。連名などできようはずも無く、結局ルフェイ単独での発表となったらしい。

 そのことに関して恐縮するルフェイだったが、黒歌はそのようなことを気にする人物ではないだろう。修太郎はあまり気にしないよう伝えた。

 

「それでルフェイ、生存者の探索はどうなった?」 

 

「それがうまくいかなくて……。私の術式は、対象者の持ち物から行方を追跡する使い魔のようなものを作り出すんですけど……」

 

 肝心の持ち物が原型をとどめていないことが多く、術式が効果を示さないらしかった。使えるものが見つかっても、既に持ち主が死んでいるのか反応が無い。

 確かにこれだけ破壊し尽くされていればそういうこともあるだろう。この場にいるのは、もしも襲撃者の遺留品が見つかった際に追跡できるかを試すためだが、今のところそのようなものが見つかる気配は無かった。

 

「キミも色々とやることがあるだろうに、大変だな」

 

「私は組織でも若手ですし、仕方がありません。でもおかげでシュウお兄さんや黒歌さんと再会できましたから。お二人とも、お元気そうで良かったです」

 

「クロは寝ているが……」

 

 それでもいいです、とにっこり笑うルフェイ。

 良くできた娘である。つくづく、このような可愛らしい妹を置いて放浪していたアーサーの気が知れない。

 

「そう言えば、アーサーはどうしている。今は家の仕事を手伝っていると聞いたが」

 

 ルフェイとアーサーの生家であるペンドラゴン家は、家宝にしてイギリスの国宝でもある聖王剣コールブランドの担い手たる一族だ。

 修太郎も詳しいことは把握していないが、日本で言う退魔師に近い役割を持つ家系のようで、国の要請に従い魔物関連の事件を解決に導く仕事を行っているらしい。つまり、アーサーはイギリスの退魔剣士なのだ。

 

「お兄さまは……時々敵を追って国外まで行ってしまうこともあるようですが、真面目にやっています。最低でも月に一度は家に帰ってきてますし……」

 

「それは真面目、なのでしょうか……?」

 

 ロスヴァイセが呆れた声を出す。

 

「家出をするよりはマシだな。だが確か、コールブランドは持っていないんだろう? 得物はどうしている」

 

 当たり前だが、アーサーは一度家に帰還した際にコールブランドを取り上げられている。

 そのまま厳重な封印が施され、当主の許可が無ければ誰にも持ち出せないようになったと聞いていた。聖剣を用いずともアーサーの剣腕ならば大抵の輩に対処できるだろうが、どうしているのだろうか。

 

「家に保管してあった無銘の聖剣を持っています。お兄さまは不満のようですけど……」

 

 その不満は修太郎にもわかる。

 地上最強の聖剣と比べれば、無銘のそれなど比べるまでもないだろう。修太郎も緋緋色金の太刀を手にするまでに、100を超える数の霊刀を使い潰している。

 

「だがそれも、剣術を鍛えるには悪くない」

 

 聖剣使い・魔剣使いは、得物自体に強い力が備わっている関係から、戦い方が「攻撃を当てる」方向に寄りがちだ。当たれば大抵勝てるのだから合理的ではあるのだが、いかんせん修太郎から見て彼らの「斬り方」は拙く見える。

 

 自身の経験と感覚から言わせれば、森羅万象全てには最適な斬り方というものが存在している。それを見つけるのは極めて難しく、修太郎とてモノによっては百回以上斬りつけてもわからないことがある。しかしもしも見つけることができたなら、たとえ木で作られた刃であろうと鋼鉄を斬る事すら可能であるし、龍を屠ることもできる。

 

 こう言うと誰もが困惑の表情を浮かべるのだが、同硬度の鉄刀で斬鉄を成す者もいるのだからきっと間違っていないはずである。他はともかく修太郎は出来るのだし。 

 剣を操るだけが剣士ではない。剣の性能を限界以上に引き出してこその剣士なのだ。

 

 聖剣使いは聖剣を使いこなしてこその存在だが、少なくとも修太郎の目から見てアーサーはひとまず出来ているように見える。ならば弱い武器を持って一度自分の剣技を見直してみるのも良いのではないかと考える。得物に頼るところから脱却すれば、彼はもっと強くなるはずだ。

 

 と、ルフェイが疑問の表情を浮かべていたので話してみると。

 

「…………? ともかく、お兄さまは強くなれるのですね!」

 

「……木刀で……ドラゴンを、斬る……? すみません、私は剣士でないので何を言ってるのかよくわかりませんが、頑張ってください」

 

 案の定これである。

 別にいいのだが、誰か同意してくれる人物はいないのだろうか。スカアハにさえ「理屈はわかるが理解はできない」と一蹴されてしまっている。

 

(これが語り合いたいということか……?)

 

 ロスヴァイセがマグレガーに対して抱く感情はこれなのだろう。

 なんだか親近感が湧いてくる。

 

「声を大にして『違う』と言いたい衝動が……」

 

 ともかくアーサーは息災らしい。

 さて、いいかげん世間話はこれまでにして本題に戻らなければならない。修太郎たちは、ここへ遊びに来たわけではないのだ。

 

「…………やはり、わからないか」

 

 歩きながら気の痕跡を探っていたのだが、最初の地点と同じく雑多な力の気配が混じり過ぎて判別ができない。

 

「キミの方は、どうだ?」

 

 ロスヴァイセに問いかける。

 彼女の手元には透明のウィンドウが開かれていた。観測結果が出たのだろう。

 ロスヴァイセはそれを見て、難しい表情で答える。

 

「転移を妨害している空間歪曲をどうにかした方がいいと思って調べていたのですが、思ったよりも範囲が相当……いえ、見てもらった方が早いですね」

 

 言葉に従い、ルフェイと共に覗いてみる。

 ウィンドウには屋敷跡とその周辺図が映し出されていた。

 

「白抜きが歪曲部分です。屋敷の中央にあるこの小さな点を中心に、ここから――」

 

 縮尺が調整され、図がより広範囲を映しだす。

 遥か天空から見下ろしたその図は、列車の線路と舗装された道路が細々と見える他は、大部分が森林と山々に覆われている。それが、所々多角形の白抜きで虫食いを作っていた。

 図の範囲はさらにぐんぐん広がっていく。そうして、都市部の端が見えるところで止まった。

 

「――ここまで。見ていただくとわかるように、非常に広範囲且つ多くの箇所に歪曲が発生しています。これらを基点に、その間の空間座標が乱れて転移系統の術式が作動しにくくなっているようです」

 

「これは……いくらなんでも広すぎます。いったい何のために……?」

 

「……わかりません。しかし、ただ転移を封じるだけなら無駄にもほどがある規模です」

 

「…………」

 

「シュウお兄さん、どうかしましたか?」

 

 ルフェイは修太郎の雰囲気が険しくなっていることに気づいた。

 修太郎はしばらく考えた後、ロスヴァイセの方に顔を向ける。

 

「……ロスヴァイセ、この空白地帯を組み合わせることはできるか?」

 

「組み合わせる……ですか。パズルのように?」

 

「ああ、頼む」

 

 言葉の理由はわからないが、雰囲気に押されロスヴァイセは術式を操作していく。

 地図の中から多角形の空白を切り取り、試しにいくつか組み合わせると不自然なまでに合う(・・)。そのまま言葉の通りパズルの如く作業を続けて行けば――。

 

「すごく綺麗な円形になりましたね」

 

「まさか、偶然……と言うことは……」

 

「ありえない」

 

 二人の視線が修太郎へと移る。

 彼の表情は見てわかるほど険しいものとなっていた。

 

「これは、奴の式神――第六天将『土蜘蛛』の仕業だ。今回の件、おそらく高円雅崇が関わっている」

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ……はぁ……」

 

 木々の間を抜ければ岩地が広がり、川に入ったかと思えば草原を走っている。それらを抜ければまた森の中。植生も地面の色も、少し移動すれば180度様変わりする。

 つぎはぎで出来た歪な空間の中、逃げ続ける女は息も絶え絶えだった。

 

「なん、で……わたくしが、こんな、目にっ……!」

 

 悪態を吐く女だが、その顔はひどく青白く苦悶の表情に彩られていた。

 トレードマークたる紫色のゴシックロリータドレスは炎に焼けて襤褸切れ同然、逃亡の最中傷ついた体は血を流している。自慢の魔法力は底を尽き、体力も限界を突破していた。それでも、彼女は走るのを止めない。

 

 女の名は、ヴァルブルガという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『魔女の夜』が持つ拠点の一つに、奴らが現れたのはつい先日のこと。

 それは二人組の女堕天使の姿をしていた。

 堕ちたとはいえ神の手により創造された彼らは、人の水準を遥かに超えた美貌を誇る。その女二人組も、趣はそれぞれ違えど美女と呼ぶにふさわしい容姿だった。

 男たちが彼女たちを見て下世話な話をする中、ヴァルブルガは二人組の様子から嫌な予感がしたのを覚えている。

 

 二人組の堕天使は、傍目にはにこやかな笑顔を浮かべながら「中に入れてくれ」と言う。自身はグリゴリからの使いだ、とも。

 

 疑問なのはグリゴリの用件よりも、何故彼女たちがこの隠された屋敷の所在を知ることができたのかという点。

 ヴァルブルガがいたのは下っ端が詰める手狭な建物ではない。『魔女の夜』に所属する魔法使いの研究成果が保管された、幹部クラス直轄の魔術要塞とも言える屋敷だ。

 無法者の集まりである『魔女の夜』は敵も多い。故に重要拠点の存在はある程度上の構成員にしか知らされておらず、よほどのことが無い限り情報が漏れることは無い。

 

 グリゴリの堕天使が接触するなら、まずは下っ端たちが最初のはず。そうして順次こちらに報告が上がってくる手筈となっている。だが、そのような報せなど一切無かった。

 あるいは堕天使の良くわからない技術で以って把握できるのかもしれないが、昨今巷を騒がせている失踪事件のこともある。幹部の命令で皆が警戒態勢に入った。

 

 しかし、たかだか二枚羽の堕天使が二人程度、神滅具を持つヴァルブルガと手練れの魔法使い数十名にかかれば大した戦力ではない。

 襲撃者かもしれない相手を前に、場の雰囲気は楽観的だった。

 その時までは。

 

 裏で迎撃の準備を進めながら、相手に用件の断りを告げる。

 「用があるならもっと上の奴が直接来い」と。

 直後、屋敷が爆ぜた。

 

 衝撃にしりもちをついたヴァルブルガが目を開けると、燃え盛る景色が広がっていた。途方もない高熱による攻撃が建物に施された防壁を悉く貫通して、ヴァルブルガのちょうど真横を貫いたのだ。

 隣を見れば、そこにいたはずの仲間たちは影も形も無い。灰すら残さず昇華していた。

 ヴァルブルガが助かったのは、既に展開していた多重魔法障壁の存在もあるだろうが、彼女が宿す炎の神滅具『紫炎祭主による磔台(インシネレート・アンセム)』の加護によるところが大きかっただろう。そうでなければ人間が耐えられる熱量ではなかった。

 

 生き残りの魔法使いたちが恐慌の声を上げる中、さらなる激震が屋敷を襲う。

 天井を見上げると、不気味な光を放つ紫電が建物の屋根を噛み砕いている光景が見えた。要塞級の魔術防護はまるで紙か何かのように破られ、ほどなくして屋根全体が食い尽くされる。

 

 ぽっかりと空いた天井から覗く天空に、下手人の姿が見えた。

 輝く紅蓮の翼を持つ堕天使と、紫電迸らせる翼を持つ堕天使。どちらも嘲笑うようにこちらを見下している。

 そこから先はひたすらに蹂躙だった。

 

 まるで隠れたネズミをあぶり出すが如く、降り注ぐ爆撃の雨。

 こちらの魔法は相手の翼に叩き落され届かない。必滅の意思を込めて放ったヴァルブルガの紫炎も、炎の堕天使にはまるで通用しなかった。

 これはダメだ。勝てない。

 

 その判断は早く、すぐさま転移魔法を発動させ――。

 気付くと、森の中にいた。

 ヴァルブルガは『魔女の夜』が保有する別の拠点に逃げ込もうとしたはず。これはおかしいと魔法で上空から景色を眺めれば、そこに広がっていたのはつぎはぎの世界。パッチワークのように様々な地形が組み合わさり、一つの異空間を作り上げている。

 

 背筋を嫌な汗が伝うとともに、直感に従って背後に振り向くと、そこには炎の翼を持つ堕天使が酷薄な笑みを浮かべて佇んでいた。

 この時、ヴァルブルガは確信した。こいつらは、堕天使などではない。もっとおぞましい何かだ。

 

 思った時にはもう遅い。

 この異界は狩場。

 狩人は堕天使の姿をした化け物で、獲物はヴァルブルガたち魔法使い。

 

 決死の逃避行が始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁーーっ……はあーーっ……」

 

 岩陰に隠れたヴァルブルガは、乱れた息を整える。

 せき込みそうな衝動を押さえ、こみ上げる吐き気を我慢するべく身体を丸めた。寒気が止まらず震えてしまうのは血が足りないからか、それとも過去味わったことの無い恐怖故か。

 彼女はあれから丸一日中逃げ続けている。限界はとっくの昔に超えており、それでも身体を動かせるのはそれほどまでに生への執着が強いからだろう。

 

 転移魔法は相変わらず発動しない。座標そのものが計測できないのだから当たり前だ。

 ヴァルブルガと同じように異界に取り込まれた魔法使いは、ほとんど堕天使の姿をした何かに喰われてしまった。

 奴らの正体は人の魂を喰らう化け物だ。美貌の下に悪意に満ちた怪物の顔を持っている。

 彼女が今こうして生きていられるのは、他の者を囮にしたことが大きい。そうでなければこの長時間逃げ続けることなど不可能だった。

 

「はぁ、はぁ、悪く……思わないでよねん……」

 

 柄にもなくそう漏らしてしまう。精神が弱っている証拠だ。

 紫電の堕天使はともかく、炎の堕天使にヴァルブルガの攻撃は通用しない。

 あれは途轍もなく強大な炎の塊そのものだ。大きな炎が小さな炎を飲み込んで火勢を増すように、ヴァルブルガの紫炎は相手にとって良質の燃料にしかならない。あるいはそれが、相手の目的なのかもしれなかった。

 

 敵の打倒は早い段階で諦めている。ヴァルブルガが求めるのはここから逃げ出す方法だ。

 この異界を形成する力は極めて強力であり、たとえ体調が万全だとしても、自身の力量では突破することは不可能。ならば基点を見つけ出し、破壊するのが最良だが、それもできない。

 

「…………」

 

 空を見上げる。

 広がるのは、やはりつぎはぎされた青空。てんでばらばらに動く白雲がとても不愉快に映る。その向こうに、極大の違和感が存在していた。

 恨めしいまでに澄み渡る天空にうっすら見えるのは、八方に展開される細長い骨組み。その頂点にこじんまりとした影が一つ。

 それは蜘蛛の姿に見えた。

 

 あれこそが基点。

 この異界の外からあの蜘蛛が空間を支えているため、異界内部の者が基点を攻撃することはできないようになっていた。

 

「……手詰まりですわ…………ッ!」

 

 途方に暮れるヴァルブルガは、背後から迫る音を感じて前方へ飛び込んだ。

 直後、爆裂。

 灼熱の閃光が巻き起こした爆風によって、彼女の身体は木の葉のように吹き飛ぶ。身体を襲う衝撃に耐えながら、なんとか意識を繋ぎとめた彼女が見たものは、件の堕天使の姿だった。

 

「……最っ、悪……」

 

 風になびく長い黒髪、整った容姿は可愛らしい美少女のそれ。しかし、その表情はこちらを完全に見下し、嘲笑うさまを隠そうともしない。

 一対の黒翼を紅蓮の炎と変えて、佇んでいるだけで地面が焦げ付くほどの熱気を迸らせている。

 堕天使は浮かべた笑みを一転させ退屈そうな表情を作ると、うんざりとした口調で言葉を放つ。

 

「逃げるのはもう終わり? 粘るのはいいけれど、こっちも暇じゃないのよね。手加減してやってるんだから、いいかげん禁手(バランス・ブレイカー)とやらになりなさい」

 

 涼やかな声音には悪意が満ちている。

 どうやらあちらはヴァルブルガの禁手(バランス・ブレイカー)をご所望であるらしい。そのために今までこちらを生かしておいたのだ、と言いたいのだろう。

 

「ぷっ、くくく……あはははは……!」

 

 それを聞いたヴァルブルガは、何だかひどく笑えてきた。

 なぜなら。

 

禁手化(バランス・ブレイク)……? 散々わたくしの炎を喰らっておいて、いまさらそんな無駄なことすると思っていますのん? あなた、少しお馬鹿さんなんじゃないかしらん?」

 

 何故この敵はこちらが禁手化すると思っているのだろう? どうせ使っても効かないものを使うはずなどないのに。

 そもそも、禁手を展開・維持する体力はおろか、通常の紫炎を放つほどの余力すら今のヴァルブルガは有していない。

 全てあちらが作った状況だ。相手は禁手の神滅具が目当てだったようだが、どうしてもヴァルブルガに使わせたかったなら、自身の特性を見せるべきではなかった。

 それが可笑しくてたまらない。この敵は確かに極めて強力な力を有しているかもしれないが、とんでもなく馬鹿だ。

 

「……あっそ。じゃあもういいわ」

 

 冷たさを増した声とは逆に、周辺温度が爆発的に高まっていく。堕天使の周囲にある地面はそれだけで溶け出し、マグマのように赤く輝く。

 充満する熱気に呼吸すら困難になる。破れた服から露出する肌が焼けていくのを感じた。

 堕天使の顔が歪に膨らみ、異形の姿へと変貌を遂げる。

 大きな嘴に、左右と額、計三つの真っ赤な目。鳥――いや、鴉だ。それが大きく口を開けて首を伸ばし、ヴァルブルガを飲み込まんと迫る。

 

 せめて最後は意趣返しに目の前の馬鹿な敵を嘲笑ってやろう。そう思って口を開こうとするが、焼けつく熱気に喉が痛みそれもままならない。

 

(……ちぇっ、意外とあっけないのねん)

 

 自分の人生はここで終わる。善行とは無縁の生き方をしてきたから、死ねばきっと地獄に堕ちるだろう。

 いや、目の前の怪物は魂を喰らう。そうなれば跡形も残らない。ヴァルブルガと言う存在は、何の痕跡も残さずこの世界から消滅するのだ。

 

(それは結構、嫌ね)

 

 だがもはやどうにもならない。

 諦めと共に目を閉じ――――。

 

 瞬間、一陣の風が駆け抜けた。

 

「…………?」

 

 熱気が急速に遠のき、焼けついた全身を冷ますかのように風が吹き付ける。押し付けられる慣性と、自身を抱く腕の感触に目を開ければ、まったく知らない青年の顔が見えた。

 黒髪、黒目、猛禽類の如き鋭い目つき。白銀の刃を右手に、左手でヴァルブルガを抱いている。

 背後に見える堕天使の姿が急速に遠ざかって行く。

 ヴァルブルガは、窮地を脱していた。

 

(ななななな――――)

 

 助けを期待していなかったと言えば嘘になるが、絶望的だと思っていた。まさか、本当に来るとは。

 しかも、なんだか――。

 

(こんな、お姫さまみたいな……)

 

 ヴァルブルガも女だ。見てわかるように服装も小物も可愛いものが好きで、所謂ところの少女趣味と評価されるだろう。しかしながら、彼女はリアリストでもある。現実的に考えて、このような状況などありえないと思っていた。

 ギリギリのギリギリ、命の窮地に助けが現れるだなんて、まるで御伽話か何かのようだ。

 恋愛など自分には関係ないことだと思っていたが、これは。

 

 そんなことを考えていると、青年の顔がこちらを向く。

 鋭い目がヴァルブルガの瞳を射抜けば、胸の鼓動が一つ高鳴った。

 

「あの、あなたは――」

 

「よし、生きているな。では、少しばかり我慢してもらう」

 

「へ?」

 

 低く平坦な青年の声音に、心地良い声だなと感じた直後。青年は横抱きの体勢をやめ、ヴァルブルガを小脇に抱えなおす。

 困惑する彼女をよそに、足元にルーン文字を輝かせ――凄まじい速さで空中を跳躍した。

 

「ひ、ひいいいいいいいぃぃいぃぃぃぃぃぃっ!?」

 

 その速度たるや彼女が今まで経験したことのない超高速。

 なけなしの魔法力を使って身体保護を発動できたのは幸運としか言いようがない。

 

 いったい自分はどうなってしまうのだろうか?

 かすかに感じたときめきは何処(いずこ)へ。確かに窮地から脱したはずなのに、ヴァルブルガの胸中に居座る不安が離れることはなかった。

 

 

 




大変お待たせしました、更新です。

ヴァルブルガの神器による火炎耐性云々は、独自解釈による設定になります。
神器持ちが偉業を成すということは、相応の影響を肉体に反映させているということ。デュリオが気に掛ける孤児たちのように力に耐えられなくて早死にする人もいれば、良い方向に転ぶ者も出ているはずです。
炎を使う神滅具で、しかも聖遺物ですから、火炎耐性ぐらい持てるでしょう、きっと。

今回は投稿する暇が無かったので書き溜めがあります。と言っても1話分だけですが……。
なので明日も更新あり。

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