剣鬼と黒猫   作:工場船

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第四十六話:紅炎と雷霆

 魔人・高円雅崇の奥の手たる式神の中でも、第六天将・通称『土蜘蛛』は毛色が違う。

 第一から第五まではそれぞれ陰陽五行を司り、主に攻撃の切り札として使用される。その破壊力は一つの例外も無く桁違いで、学園で放たれた『流星』を見れば一目瞭然だ。

 しかし五行に含まれぬ第六の鬼神――空行鬼『土蜘蛛』は攻撃力を一切有していない。だがその分、極めて厄介な力を持っていた。

 

 その能力とは『地脈と空間の支配』。

 任意に空間を切り取り繋ぎ合わせ、広大な異空間を作り上げるのは序の口。条件さえ整えば土地の管理者からその権限を奪うことすら可能とする、恐るべき鬼神である。

 

 ロスヴァイセの観測結果から今回の事件が魔人絡みのものだと判断した修太郎たちは、さっそくそのことをマグレガーに報せ、対処することとなった。

 強力な機能を有する代償かどうかは定かではないが、土蜘蛛の作り出した異界は必ずどこかに入口がある。内側から出ることは難しくとも、中に入るのは比較的容易だ。

 

 基点が屋敷跡にあることはロスヴァイセからの情報でわかっている。

 寝ていた黒歌を起こし、調査に協力させればそれはすぐに見つかった。

 壁の残骸に張られていた小さな蜘蛛の巣である。

 マグレガーの魔法で異界への入口を開き、生存者または襲撃者を捜索すべく修太郎たちが中に侵入。それぞれ気配がする方へ手分けして向かい、そして今に至る。

 

『御道、修太郎ォォォォォォォッ!!』

 

 背後から途轍もない熱気と怨念が迫るのを感じ、修太郎はさらに速度を上げた。

 目線だけで振り向けば、灼炎の翼に三本の脚、紅蓮に燃える三眼の巨大鴉が猛スピードで追いかけてくる。

 翼を羽ばたかせるごとに、眼下の森が燃え上がる。今も煌々と放たれる眩いばかりの光熱は、小型の恒星と言っても何ら差支えない。

 熱波に耐えるべく、霊的器官(チャクラ)の第二を解放。闘気に水属性の性質を与え、同時に斬龍刀のオーラを身に纏わせる。

 

「第二天将、火行鬼……『紅炎』か」

 

 陰陽五行が火を司る、通称『紅炎』。

 陰の気に属する鬼神でありながら、陽の気の極致たる太陽の炎を宿す矛盾した存在である。

 炎熱と共に莫大な光力を撒き散らす鬼神は、まさしく悪魔や妖怪にとっての天敵。鎧を纏うヴァーリですらその身に触れればただでは済まず、黒歌などは最初から戦うべきでない相手だ。

 相性としては光力を弱点としない修太郎かデュリオ、ロスヴァイセ、妖怪でも精霊に近い起源を持つ美猴が適任だろう。それでも尋常ではない高熱の身体はこちらにとって致命的である。

 

 しかしまさか、鬼神そのものが単独で行動しているとは予想外だった。

 鬼神はどれも破格のスペックを有しているが、その分術者にかかる負担も莫大で、維持するだけでも並の術師数十人分の力が必要となる。

 この場にいるのは空行鬼『土蜘蛛』、火行鬼『紅炎』、そして木行鬼『雷霆』の計三体。

 いったいどうやってこれだけの鬼神を長時間実体化させているのだろうか? 見た限り力も底上げされ、固有の人格すら有している様子。以前はあれほど明確な自我など持っていなかったはずだ。

 

『喰らえッ!!』

 

 が、今は考える時間では無い。

 鴉の身体から炎の針が撃ち出される。岩石を一瞬にして溶かしつくすそれに当たれば、今の修太郎ではひとたまりもない。複雑な三次元軌道を描きつつ、弾幕の間を抜けて回避していく。

 

「ひゃ、あああああぁぁぁーーーっ!?」

 

 超高速の恐怖と肉体にかかる負荷()を受けて、女魔法使いが叫び声を上げるが無視する。

 空中で行われる精妙な体重移動が跳躍速度に緩急を生みだし、敵の狙いを悉く外させる。時には刃で相手の攻撃を弾き、その反動すら利用して空中を跳ね回った。

 そうしてしばらく逃げ回るが……。

 

「……埒が明かんな」

 

「ちょっ、あなた何を……うひいいいいいいいいいっ!?」

 

 魔法で宙を蹴り、地表へ向かって急降下。火炎の針を一気に振り切る。

 神速の跳躍に落下速度と自重をプラスした一刀が、その破壊力を余すところなく大地に刻む。葉脈の如き傷が走った直後、解放された衝撃に地面が大爆散、まくれ上がる岩盤と木々が鴉の視界を塞いだ。

 

『こんなものッ!』

 

 翼の一振りが炎の嵐を巻き起こす。炭化どころか消滅していくほどの熱量が、全ての瓦礫を消し飛ばした。

 しかし。

 

「こちらだ」

 

 修太郎の姿は鴉の上空、背中の真上にあった。あの一瞬で飛び交う瓦礫を足場にここまで跳び上がったのだ。

 鴉が気付くと同時、超速の銀閃が四縦五横に走る。

 そうして発生した格子状の斬風が、鴉の背を切り裂いた。

 

『ギィィィィッ!? 貴様ッ!!』

 

 ――九字護身法。

 道教を源流に陰陽道を経て作り上げられた日本の退魔呪術である。

 民間にも広がるほどポピュラーなこの術法は、その効果を発揮させるのに複雑な計算や制御を必要としない。ただ念と法力を込めながら動作をなぞるだけで完成する。簡易な術法であるため本来であればそこまでの威力は期待できないのだが、人間として極まった霊的素養を持つ修太郎が放てば、並の悪霊程度なら容易く消し飛ばせる。

 

 こうして試すのは初めてだったが、鬼神にも存外効果が見込めるようだ。敵に有効な手札を増やすべく、術方面で色々と考えていたのは無駄ではなかったらしい。これは修太郎向きの術だ。

 だがしかし、流石にこのクラスが相手となると決め手には欠ける。斬風では威力も安定せず、効率も悪い。とはいえ高熱故に直接刃を叩き込むことができないのだから、今はこれで凌ぐしかない。

 

 背を切り裂かれた鴉は傷口から黒い煙を吐き出しながら、怒りに燃える三眼で修太郎を睨む。

 

『あるじさまからは手を出すなと言われていたけれど、一度ならず二度までも私の獲物を横取りするなら……いいわ、殺してあげる!』

 

 異形の口から発せられる少女の怒声は、ひどく不気味で悍ましい。

 鴉が翼を羽ばたかせると、抜け落ちた羽根が炎の杭となって撃ち放たれる。

 それに対し修太郎は先ほどと同じく高速の三次元軌道で回避するが、彼方へ飛び去ったはずの杭は鋭くターンし、修太郎を追尾しはじめた。凄まじい速度だ。

 修太郎はそれを振り切るために、一層速度を上げる。空中の跳躍と大地の疾走を併用しつつ、つぎはぎの景色を風より速く縦横無尽に駆け抜けた。

 

「いやあああぁぁぁん! 降ろして、降ろしてええぇぇぇぇん!!」

 

「不可能だ」

 

 抱えられるまま、縦へ横へと超速で揺らされる女魔法使いはたまったものではない。

 しかし、その喚き声が修太郎に受け入れられることはなかった。これでも彼女の身を気遣って、加速度を最小限に落としているのだ。今以上の乗り心地は望めない。

 

 さて、こちらにも相手を削る手段があるとはいえ、敵の力は極めて強大、且つ修太郎の得意分野が通用しにくい。

 一人では何日間戦う羽目になるかわからないところだが、しかし今回の修太郎は一人ではない。

 

『ロスヴァイセ、デュリオ、そちらはどうなっている?』

 

 耳元に手を当てて念じれば、そこに装着された機器を通じて念話が飛ぶ。

 悪魔のレーティングゲームなどで使われるものを堕天使が改良した通信機だ。即時にクリアな応答を行うことができ、非常に重宝していた。

 

『ヴァーリどんが敵と交戦中みたいだよ。木で出来た化け物だね。犬……狼……いや、狐かな? わかんないけど、とんでもなく速い。いやー、ヴァーリどん楽しそうだ。でもさっきから通信に出てくれないのはねぇ……』

 

 返答はすぐさま、デュリオの飄々とした声が頭の中に響く。

 デュリオ、ロスヴァイセは戦闘管制、黒歌とマグレガーは共同で『土蜘蛛』の異界を解放する(すべ)を探している。

 

『おそらく『雷霆』だ。生存者は?』

 

『報告はありません。多分、いなかったのかと』

 

『把握した。こちらは一名発見、女性の魔法使いだ。美猴を一人寄越してくれ。受け渡したい』

 

『りょーかい。お猿さん、行ける?』

 

『……行けるけどよ、なんで俺っちが後詰めなんだ? どっちも強敵ってんなら、俺っちも直接出た方がいいんじゃねえか?』

 

 分身の操作に集中するべく後方に下げられたからか、美猴の声は不満げだ。

 彼もまたヴァーリに負けず劣らずの戦闘狂であるため、戦いたくてうずうずしているのだろう。

 

『美猴さんの分身術は非常に強力で、少ない人員を補うのに最適です。敵が「一撃必殺」持ちの強敵である場合は、それでサポートに回っていただいた方がリスクが少なくて助かるんです』

 

『……「一撃必殺」かい。ま、どっちも死んでもらっちゃ困るしな。わーったよ、これも修行だと思うかねぃ。じゃ、いっちょやってやんぜぃ!』

 

『と言う訳で、お猿さんが何人かそっちに行くんでよろしく~。こっちはこっちで準備してるからさ、それまで何とか踏ん張ってよ』

 

『了解した』

 

 そう言って、通信が切れそうになったところで――。

 

『ねえねえ、シュウ』

 

『何だ、クロ。解析はいいのか』

 

 黒歌が通信に割って入ってきた。

 

『私が担当した部分はもう終わったにゃん。その女魔法使いってどんな感じ? 美人? 可愛い? フラグ立った?』

 

『……よくわからないが、泥と埃に汚れて容姿はあまり判別できない。ただ、ぐったりして顔が青いな。あと、泣いて叫んでいる』

 

『…………ああ、うん……把握したにゃん……優しく運んでやるのよ?』

 

『善処しよう』

 

 通信を切る。

 最後に若干呆れられた感じがしたが、今はいいだろう。

 

「さて……」

 

 身体を反らして炎の針を回避する。迫る熱風を斬風で斬り裂く。空中を高速で跳躍し、敵を翻弄する。

 

『この、ちょこまかと……!』

 

 敵は強いが、隙が大きい。おそらくそれほど戦い慣れしていない。

 思考能力がある分『蛇』の巨大異形と比べて油断は出来ないが、無理さえしなければ時間を稼ぐ分には問題ない。

 

「ひぃぃぃぃぃ! うっ、吐き気が……」

 

「気張れ。もう少しだ」

 

 注意すべき点は修太郎に抱えられた彼女の体調――ではなく、敵に真の力を発揮させないことだ。

 あれらが魔人の『切り札』たる所以を使われないためにも、慎重に戦う必要がある。

 

 気がかりなのはヴァーリのこと。

 

(白熱し過ぎて下手に追い詰めなければいいが……)

 

 懸命に自分の体調と戦う女魔法使いをよそに、修太郎は心中で呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

 木々を抜け、山を駆け、青空を飛ぶ。

 音すら置き去りにせんとばかりに、白光となって空を駆けるヴァーリ・ルシファーの目の前には、それすらも上回る速度で走る一体の獣がいた。

 絡み合った樹木が作り出すしなやかな肢体は肉食獣のそれ。鋭く前に突き出た鋭角の頭部はイヌ科の生物に似るが、目も無ければ鼻も無く、耳のような流線型の突起と凶悪に裂けた口らしき分割線が見えるだけだ。

 体長はおよそ15メートルほど。しかしながらその半分は、無数の棘を備える巨大な一本の尾で占められている。尾から生える槍状の棘はどれも鋭く、不気味な色合いの紫電を発していた。

 

 陰陽五行が木を司る鬼神。木行鬼――通称『雷霆』。

 ヴァーリが遭遇した時、この獣は堕天使の姿をしていた。金髪を二つ括りにした小柄な少女だ。

 少女は自身が喰らっただろう獲物の残骸で白骨の山を作り、その上に退屈な様子で座していた。おそらくは、修太郎が向かった方の敵が用件を終えるのを待っていたのだろう。

 可愛らしげな仕草で人の骨をしゃぶる少女の姿は、ヴァーリの目から見ても狂った光景としか思えなかったが、同時にあれこそが『怪物』と呼ばれるモノの在るべき姿なのだろうとも感じた。

 この様子だと、生存者は期待できない。

 

 少女はこちらに気付くと、一度きょとんと呆けた後に、にんまりと無邪気な笑みを浮かべた。

 真に恐ろしいのは、文字通り邪気など欠片も感じなかった点。ヴァーリが鎧を纏うのと、敵が攻撃を放つのは同時だった。

 素早く飛び退ったヴァーリの足元には、ちょうどヴァーリと同じ大きさの木で出来た槍が突き刺さっていた。見ると、少女の背から生えた翼は刺々しげな樹木のそれに変わっている。

 地面から突き出た槍は、翼から発せられた紫電に導かれるが如く引き抜かれると、そのまま乱立する棘の中に戻っていく。

 

 ああ、こいつは強い。

 

 確信は早く、故に返す攻勢は閃光の如く。

 手加減なしで放たれたヴァーリの魔力弾幕を、翼から放たれる紫電で悉く落としながら、敵も高速で飛翔する。

 この強さ、感じる力の質、翼の形と攻撃方法から、ヴァーリはすぐさま敵の正体を魔人の式神だと看破した。

 京都陰陽師と修太郎からもたらされた鬼神の情報は、サーゼクスやアザゼルらだけではなく『禍の団』対策に関わる人物のほとんどが受け取っている。当然としてヴァーリも目を通しており、頭に叩き込んでいたのだ。

 少女の姿をしているのは予想外だが、どうでもいい。どちらにしても敵なのだ。戦えば正体もはっきりするだろう。

 

 少女とヴァーリの戦いは、ヴァーリが優勢だった。

 流動するオーラの防御と天龍の鎧による二重の鉄壁は、少女の雷撃を完全に弾くことに成功していた。

 どうやら格闘戦は苦手なようで、修太郎との戦闘経験と美猴から受けた体術指導によって格段にレベルを上げたヴァーリは、敵を圧倒することができた。

 

 ドラゴンの強大なパワーによるインパクトと、莫大な魔力の爆発を受け吹き飛ぶ少女。

 あっけない決着に疑問を抱くヴァーリだったが、ここからが本番だった。

 瓦礫から煙を突き破って樹木の怪物が現れる。禍々しく凶悪な獣の姿こそ、鬼神としての本性なのだ。

 

 獣となった鬼神は飛行能力を失った代わりに、巨体でありながらヴァーリすら上回る速さを獲得していた。

 姿通りに反応速度も桁違いで、またその視界は全方向に及ぶのか、死角を突いてもまるで意味を成さない。

 耐久面はヴァーリからすればそれほどでもないが、並の手合いでは傷一つ付けられないだろう。ダメージを与えても、自己再生能力を持っているのか生半可な傷ではすぐに修復されてしまう。倒すならば高威力の攻撃で必殺を狙う必要があった。

 

 また、なぜかはわからないが、この敵に対しては半減化の通りが悪く、敵の実力に比してごくわずかしか力を吸収できない。その力も良くないものを多く含んでいるからか、処理に余計なリソースを割かれてしまうため、やらないほうがマシだった。

 

 しかし、それより何より特筆すべきは相手の攻撃力。

 

『キャハハハハッ!』

 

 獣の尾からヴァーリへと無数の細い紫電が飛ぶ。

 ヴァーリはそれを躱そうとしない。魔力を集中させ解呪の術式を編み上げると、障壁として展開し紫電を迎え撃った。

 悉く霧散する電撃。しかし、防御を行った隙に彼我の距離はさらに開く。

 

「……ちっ」

 

 あの紫電は攻撃ではない。呪術を利用したロックオン・マーカーだ。

 あれに当たると尾の槍と着弾点が紫電の線で繋がれる。その後、一拍置いて槍が射出され、紫電の導きの下に超加速し対象を打ち砕く。

 放たれた槍の威力たるや絶大、虚空を飛ぶ衝撃波だけで尋常の生物は物言わぬ肉塊と化すだろう。直撃を受ければ言わずもがな、天使だろうと悪魔だろうと問答無用で粉微塵になる。

 一度繋がれるとどれほど距離を置いても紫電が途切れることはなく、槍が破壊されない限り攻撃は必ず相手に届く。情報によれば、むしろ距離が開けば開くほど加速度が増し、最終的には雷速に達するのだと言う。冗談のような話だ。

 

『こいつはどーよ? そりゃっ!!』

 

 獣の尾から破壊力を持った電撃が放たれる。少女形態の時は無効化できたが、真の姿を現して格段に威力が増したそれは、如何なヴァーリであろうと無視できない。

 閃光の軌跡を描きながら回避していくと、追加でマシンガンの如く槍が射出される。直撃するものだけを選んで魔力を込めた腕で弾き逸らすが、着弾部位が痺れるほどの衝撃が走った。

 ロックオンを伴わない通常直射ですらこの威力。式神と言うよりも、殺戮兵器と呼ぶ方がふさわしい性能である。

 

「……なるほど、攻撃の切り札とはよく言ったものだ」

 

 強敵との邂逅に笑みを浮かべるヴァーリだが、鎧に包まれた腹部は隙間から赤い液体を流している。

 敵が真の姿を現して直後、ヴァーリは槍の攻撃を一撃受けてしまっていた。

 加速度の少ない近距離ですらなお、オーラと鎧の二重鉄壁を破られ、わき腹を大きく抉られた。それ自体は支給されていたフェニックスの涙で治したのだが、今は別の要因がヴァーリの身体を蝕んでいる。

 

『ヴァーリ、まずはこの呪いを解くことが先決だ。このままでは全身に広がるぞ』

 

「問題ない、アルビオン。魔力を巡らせて相殺させている。――あの敵は逃がさない」

 

 ヴァーリの返答に、相棒たる白龍は呆れた空気をにじませた。

 獣が放つ電撃は直撃すると噛み砕くようにまとわりつき、全てのエネルギーを消失するか、対象が砕け散るまで破壊し続ける。いわば雷の性質を持つ呪いだった。

 獣は常にその紫電を纏っており、それは尾の槍も例外ではない。

 

 オーラで受けたなら散らせただろう。鎧で受けたなら切り離して破棄出来ただろう。しかし生身に受ければ全身を蝕む猛毒も同然。魔力で抑えてはいるものの、ヴァーリの脇腹は今も傷口を広げている。

 槍という必殺があるにもかかわらず、それでもまだ殺しにかかるなど、製作者の性根が見えるような凶悪さだ。世界を滅ぼすと言う願いは伊達ではなかったらしい。

 

『逃がさないと言うが、どう追いつく。信じられないことに、あれはこちらよりもわずかに速い。このままでは離される一方だぞ』

 

「訓練中のアレを使う。実戦では初めてだが……」

 

『確かにアレならば追いつけるだろうが、一つ制御を誤れば死ぬのはこちらだ。やれるのか?』

 

「やるさ。ぶっつけ本番と言うのも悪くない」

 

 久しぶりの強敵。久しぶりの苦戦。今、自分は昂ぶっている。

 日々の鍛練は怠っていない。強くなるために思いつくあらゆることを実践しているつもりだ。目的のために、夢のために、ヴァーリ・ルシファーは止まることなどできない。

 

『制御の補助は担当しよう。だが、重要な部分はお前任せになる。……しくじるなよ』

 

「わかっている」

 

 新たな挑戦、それが必要となる敵との邂逅、緊張感が集中力を高める。

 全身の宝玉が輝き、修太郎との戦いを経て新たに開発した力を発動させた。

 

Half(ハーフ) Distance(ディスタンス) Driver(ドライバー)!!!!!』

 

 鎧の外観には変化は無い。しかし、ヴァーリの見る景色には円状のポインタが表示されている。

 思考操作でポインタを動かし、走る獣のはるか前方に合わせる。

 そして、実行。

 

Divide(ディバイド)!!』

 

 質量でも空間でもない、彼我の距離という事象の半減化。

 静止状態ではなく高速戦闘下、且つ長距離を対象とした実行は、鋭敏な感覚だけでなく高度な空間把握と正確無比な距離計算が必要になる。もしも失敗すれば身体が引き千切れ四散するか、もしくは障害物などと一体化して命を失うだろう。しかしヴァーリはアルビオンのサポートの下、それら全てを完璧にこなしてみせた。

 結果として起きるのは、一切のタイムラグを生じさせない瞬間移動。

 一秒の間も置かず、ヴァーリは獣を追い抜いていた。

 

『――ふあっ!? いったいどっから!?』

 

「さあな」

 

 慌てふためく獣をよそにヴァーリは閃光となって接近する。接触の刹那、懐に抉り込む角度で全力の拳を放った。

 

『―――――ガッ!?』

 

 相対速度を活かして放たれた超威力の拳撃だ。発勁よろしく撃ち込んだ魔力の炸裂も追加され、肉体の半分を爆散させながら獣の身体が宙を舞う。

 攻撃はこれで終わらない。両掌を上空の敵に突き出し、魔力を集中させる。

 敵は木行鬼。となれば、当然弱点ははっきりしている。

 生み出されるのは炎の魔力。凝縮に凝縮を重ね、超高温となった炎の種火は眩いばかりの白銀色だ。

 

「――受けろ、白龍の息吹を」

 

 圧縮された種火が術式によって指向性を持って解き放たれる。

 強烈な閃光と共に、白銀の波動が劫火の帯となって天を埋め尽くした。

 

『ギィィィイイイィィヤアアアアァァァァアァッ!!?』

 

 燃える天空に悍ましい少女の断末魔が響く。

 宙に煌めく火の粉を突き破って、燃え盛る木塊が森の一角に落下していった。轟音に大地が揺れ、燃え移った炎が森を赤く染めていく。

 ドラゴンのオーラ、それも天龍のものを練り込んだ炎だ。おそらく鬼神の命脈に届いたことだろう。

 

「おーおー、派手にやったなヴァーリ」

 

 かかった声に振り向けば、美猴がいた。身外身の術による分身だ。

 おそらくはサポートにやってきたのだろう。

 

「遅かったな美猴。悪いがこちらは既に終わった」

 

「知ってるぜぃ。いや、敵さん式神っつーレベルを超えてんな。ありゃ本来使い魔とか、強くて護衛レベルの存在だろうよ。こいつら普通に大ボスレベルじゃねえか。生半可な実力じゃ無駄死にするだけだぜぃ」

 

 美猴は周囲の被害を見ながらそうコメントする。

 ヴァーリに治療が必要なほどのダメージを与えるなど、最低でも龍王クラス以上の強敵だ。これ一体で都市ひとつはおろか、小国ひとつ滅亡にまで追い込むことができる。明らかに使い魔の領分を超える存在だった。

 

「戦ってみたかったか」

 

「そりゃあな。まあ終わっちまったんじゃ仕方ねえ。じゃ、俺っちは暮修のとこにいくぜぃ。あっちの方は悪魔じゃ分が悪いから、お前は無理せず傷の手当てでもしとけよ。あと山火事消してけ」

 

 そう言って、踵を返す美猴。

 雲を呼び寄せ、それに乗り移ろうとしたその時だった。

 

『……すでに終わった? 何言ってんの?』

 

 燃え盛る木々の間から響くのは少女の声。

 周囲の大地が枯れていく。植物は朽ち、空気は死に、地は干からびる。自然に宿るエネルギーが急激に吸い取られていた。

 

「――――ヴァーリッ!」

 

「わかっている!」

 

 二人が飛び退ると同時、立っていた地面が大きく爆ぜる。

 そこには紫電を纏う木の槍が深々と突き刺さっていた。

 

「自己再生、か……」

 

「あの火力で死なねえのか……本当に木かよ?」

 

 命を失った森の木々が粉々に砕け散り、炎は火の粉となって風と消える。

 立ち昇る煙を切り裂いて、紫電纏う尾が姿を見せれば――。

 

『ウチが死ぬとか、そんなこと! ぜってー! あるわけ! ないじゃん!』

 

 樹木の獣が雷鳴の咆哮を上げる。

 身体から根を伸ばし、周辺環境の気を吸い取ることで自己回復を果たしたのだ。まるで新品同様に、焦げ跡一つ残っていない。

 しかしまさか、あの炎を正面から受けてまだ動けるとは。

 

「――面白い、そうこなくてはな」

 

「じゃ、俺っちも役目を果たしますかね。援護するぜぃ、ヴァーリ」

 

 驚くべき事態に、しかし二人は一切臆した様子を見せない。むしろ喜々として闘志をみなぎらせ、臨戦態勢をとっていた。

 

『キャハハハハハッ!! 何さそのよゆー面? 悪魔や妖怪程度が、ウチに敵う訳ないっつーの!!』

 

 獣の頭部から細長い器官が伸びる。無数に枝分かれしたそれは、まさしく樹木の枝。紫電の瞬きを葉に、電撃球を実として結ぶ、雷霆の木だ。

 その枝に、凄まじいまでの雷電が満ちていく。

 木気は天より雷を呼ぶと言うが、金切り声のような集束音と共に周辺空間の静電気が吸い込まれるさまは、まるでブラックホールのようだ。

 

「おいおい、こりゃあヤバいんじゃねえか……?」

 

「来るぞ、油断するな――――」

 

『死んじゃえ』

 

 雷霆一閃。

 光が走り、わずかに遅れて轟音が空間を震わせる。

 閃光が治まった後、そこには巨大な裂け目だけがあった。地から天へと伸びる紫電はまばらに、帯電する空気が鳴き声を上げる。

 極大の破壊雷撃は大地を完全に消滅させていた。

 

 しかし獣は別方向の上空を見上げる。

 

『……ちぇっ、またその意味わかんないやつ? ウッザ……』

 

 はたしてヴァーリは無事だった。距離半減による瞬間移動で射線から逃れていたのだ。

 しかしながら、美猴の分身は回避に間に合わず消えてしまった。

 

「凄まじいな……なるほど、これが『雷霆』……」

 

『明らかに上位神格クラスの一撃だ。速度は雷光、範囲は広大、防御は叶わず、受ければ死ぬ。どうするヴァーリ、どうやら私たちは藪をつついてしまったようだぞ』

 

 アルビオンの声には驚きの色がある。

 学園に落ちた金行鬼『流星』と同じ類のどうしようもない威力――つまりはこれが『雷霆』の呼び名を持つ鬼神の真骨頂。

 

 見ると、獣は枝のような角の他に全身からも槍を生やしている。纏う紫電も勢いを増し、力を漲らせていた。

 

「つまりはこれが正真正銘本番と言うことか……行くぞアルビオン、このようなところで負けるわけにはいかない」

 

『まったく物好きな宿主だ……』

 

 獣の角は紫電の輝きを弱めている。流石に先ほどの雷撃は連射できるものではないらしい。

 何はともあれ、相手が神格に匹敵する力を使ったならば、こちらも同等の力を以って対処するのみ。

 

「往くぞ『雷霆』、我目覚めるは――――」

 

『待ってくださいヴァーリさん』

 

「――ッ」

 

 力を解放しようとしたその矢先、頭の中にロスヴァイセの声が響く。

 通信機を介したものではなく、術式によるダイレクトなものだ。いつまでもヴァーリが応じないので、強硬手段に出たのだろう。

 

『……戦乙女か。何だ?』

 

『今の雷撃で異界全体が歪み始めました。そのうえ『覇龍(ジャガーノート・ドライブ)』まで使っては、異界そのものが崩壊する恐れがあります。ここは私たちに任せてください』

 

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

「うっわ、今の凄い雷だなぁ。アレ、俺でもちょっと無理だわ」

 

 変容した景色を見て、デュリオが呟く。

 大地を縦に薙いだ極大雷撃は、異界を切り裂く巨大な亀裂を刻んでいた。

 

 空を見れば、空間を支える蜘蛛の脚が二本ほど剥がれ落ちていた。『雷霆』が放った雷撃の影響だ。

 よく見ると、大地がわずかに傾いている。大空の景色にもブレが見られ、わずかながら地響きも発生していた。

 

「ヴァーリさんは覇龍の発動を思いとどまってくれました。ただ、戦いをやめる様子はありません」

 

「ま、予想はしてたけどね。どっちにしても時間稼ぎがいるし、むしろそっちの方がいい。シュータロくんの方は?」

 

「生存者は美猴に引き渡したし、いい具合に時間を稼げてるにゃん。ただちょっと相手がキレかかってるかにゃ?」

 

 修太郎とヴァーリが戦っている地点のちょうど中間、宙に浮かぶ魔法陣の上で三人が会話する。

 ロスヴァイセは修太郎と『紅炎』がいる方向を、黒歌はヴァーリと『雷霆』がいる方向を向き、術式を編み上げていた。

 

「『紅炎』、要は熱量を全解放する自爆技だっけ? ただでさえここまで熱が届くほどなのに、そんなことされちゃ全員死んじゃうよ」

 

「だから撃たせるわけにはいきません。いきますよデュリオさん、あなたが(かなめ)です」

 

「こういうサポート、俺あんま経験ないんだけどなぁ……まあ、頑張りますよっと」

 

 純白の八翼を広げたデュリオは、背を預けて立つ美女たちの肩に手を乗せ、魂に宿る神器へと意識を向ける。

 神滅具『煌天雷獄(ゼニス・テンペスト)』は自然界の全属性を支配し、操る。

 ならば――。

 

「そんじゃ、やるにゃん。――倶利伽羅剣よ!!」

 

 黒歌の持つ倶利伽羅剣が、漆黒の炎を燃え盛らせる。

 三毒制す浄化の炎は、あらゆる邪悪を灰燼と帰す。魔力を核に数多の体系が入り混じる術式の帯が刃に宿れば、その勢いを極大まで膨れ上がらせた。

 そして、一閃。

 黒炎は意思を持つように天へ伸び、とぐろを巻いて前方を睨む。その姿は、はたして巨大な龍だった。

 

「いきます。狙撃形態移行――術式装填」

 

 精密精緻に構成された術式が解放されると、絢爛たる大魔法陣が現れる。

 それを皮切りに、澄んだ青と純白で描かれた法陣が次々と重ね合わさり、術式の砲門を作り上げた。最初に展開された魔法陣の中央に、術式の帯が取り巻く銃弾のような氷塊が浮かぶ。

 

「――完了。照準固定、属性強化、チャージ、3、2、1――いきますよ、デュリオさん」

 

「いつでもどーぞ」

 

 軽い口調ながら、デュリオが纏うオーラは最大まで高まっている。

 やる時はやる、という皆の評価は誤りではない。天使としても既に上級を超えた彼の力を疑う者など、誰一人としていないだろう。

 

 それを確かめた二人は、待機させていた術を発動する。

 

「燃やし尽くせ――『倶利伽羅の黒龍』」

 

「『霧国の氷柱(ニヴルヘイム・ピラー)』……射出(シュート)!」

 

 掛け声とともに力が解放された瞬間、両者の術は威力を膨れ上がらせる。

 炎の黒龍は熱量を増し、空間すら焼き尽くす業火となる。

 巨大化した氷界の柱は、如何なる炎も凍りつかせる絶対零度と化した。

 

 通常『煌天雷獄』は、生み出した雷や炎などで相手を攻撃する属性系神器だ。しかし今回のデュリオはその力を強化に転用した。他者の使う属性術式に干渉して神器のパワーを加える、いわば『属性強化装置(エレメンタル・ブースター)』だ。

 序列二位の神滅具の力が上乗せされた術式は、その威力を桁違いに上昇させる。

 

 他の対象に夢中になっている二体の鬼神は、音を超えて飛来する強大な力に気付く。

 両者ともがその速力を以って回避しようとするが――。

 

「悪いが、やらせねぇぜぃ」

 

 囲むように突き込まれた如意棒が行く手を阻む。

 待機していた美猴の分身体たちが、敵の致命的な隙を作った。

 

『――――くっ、こんな……!?』

 

 『紅炎』は柱に貫かれた直後、解き放たれた冷気とともに巨大な氷柱と化す。

 

『こいつッ!? ギィ……ヤァァァァアアァアアァアアッ!!!』

 

 『雷霆』は黒龍に巻きつかれ、再びの断末魔を上げて火達磨となった。

 

 規格外の強化を施されていながらも、範囲は最小限に、威力は最大に、卓越した制御能力は術者の実力だ。

 ほどなくして戦闘音が止む。

 

「んー、終わったかな?」

 

「そのようですが……」 

 

「どうなの、シュウ?」

 

 立ち込める冷気と熱気で、ここからでは敵の生死をすぐに窺うことができない。

 黒歌の声に対する返答はすぐだった。

 

『……逃げられた。他の天将だ。おそらくは『砂塵』。ヴァーリの方はどうだ?』

 

『こちらも同様だ。女が来て炎を消し、敵を連れて行った。そちらが土の鬼神なら、こちらは水の鬼神か』

 

 修太郎もヴァーリも苦々しげな雰囲気を漂わせている。

 報告を聞いたデュリオたちも同じ気持ちだ。あの強さ、あの破壊力、何よりもあの危険性。出来るならここで潰しておくべきだった。

 

「ま、生存者はいたんだ。任務は失敗ってわけじゃない。ボーナスを逃がしたのは痛いけど、敵の正体は知れたんだから結果は万々歳だと思っておこうよ」

 

「……そうですね。それじゃあ……ッ!」

 

「にゃっ! 空間が戻るにゃん!」

 

 鬼神が去ったと言うことは、『土蜘蛛』もここにいる意味は無いということ。

 空間を支える蜘蛛はもういない。つぎはぎの世界は崩れ、元の座標を取り戻そうとしていた。

 急いで戻らなければ、空間の崩壊に巻き込まれてどこに飛ばされるかわからない。しかし、それに対する不安を一同は持っていなかった。

 

「出番スよ、マグレガーさーん!」

 

『はい、お任せを。皆さん尋常ではない強敵を相手に見事でした。ここから先は私の担当、全員安全にこちらへ戻して見せましょう』

 

 よく通る男性の声が脳裏に響くと、生存者を含むチーム全員は異界からその姿を消した。

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

 そこは薄暗い場所だった。

 石畳の広間には陰鬱とした空気が充満し、光源は石の壁に点在する小さな松明のみ。弱々しい火種は闇を駆逐するには足りず、今にも消えてしまいそうだ。

 その小さな炎が、風も無いのに強く揺れた。

 

 薄い闇に漆黒が開く。大口を開けた空間の裂け目から一陣の風が吹くと、四人の男女が佇んでいた。

 

「まったく、世話をかけてくれる。お前たちのせいで、こちらはとんだとばっちりだ」

 

 コートを纏った長身の男が口を開く。

 憮然とした表情で帽子の位置を整え、背後に目を向けた。

 

「だってさー、あるじさま『自由にやっていい』って言ってたじゃん! 絶対ウチら悪くないし!」

 

 拗ねるように文句を言うのは金髪を二つ括りにした少女。

 ヴァーリと交戦した鬼神『雷霆』である。

 

「そうだとしても、もう少し後のことを考えねば本末転倒だ。私たちの正体が知れれば、相手も対策を講じてくるだろう。当然、伝説の武具や神器を回収しにくくなる。魂の確保もだ。力を増すために、我らはそれを手に入れなければならない。命令を忘れたか?」

 

「ぐぅ……忘れてなんか……」

 

「貴様たちが派手に動いたおかげで、私は『永遠の氷姫(アブソリュート・ディマイズ)』を逃がした。『刃狗(スラッシュドッグ)』に阻まれてな」

 

 横から言葉を発したのは、紫紺の髪の妖艶な美女。

 切れ長の目で少女を睨む。金髪の少女は、慌てながらもう一人の少女の陰に隠れた。

 

金烏(ジンウー)、何か申し開きはあるか」

 

 男はもう一人に尋ねる。

 金烏(ジンウー)と呼ばれたのは黒髪の少女。ヴァルブルガを襲った炎の鬼神『紅炎』だ。

 可憐な容姿を忌々しげに歪める少女は、言葉にわずかな怒気を込めて答えた。

 

「その名で呼ばないで。呼ぶなら『レイナーレ』か『天野夕麻』にしなさい、ドーナシーク(・・・・・・)

 

 瞳に苛立ちの炎を宿らせる少女に対し、男は呆れたようにため息を吐く。

 

「それは元となった人格の呼び名だろう、我らの名ではない。第一、そんな名で呼んでどうする。そのようなことをしても、我らは解放されんぞ」

 

「そんなこと……っ!」

 

 彼らは主たる魔人より、滅びた堕天使の人格と姿を与えられている。

 男はドーナシークと呼ばれていたものを、紫紺の美女はカラワーナと呼ばれていたものを、金髪の少女はミッテルトと呼ばれていたものを、そして黒髪の少女はレイナーレと呼ばれていたものを、それぞれ有していた。

 主が何を思ってそれを寄越したかは知らない。深い計略あってのことかもしれないし、あるいはただの思い付きかもしれない。どだい彼ら式神には、主の考えを計ることなどできないのだ。

 

「我らは主殿より名を賜り、それに縛られる式神にすぎん。その証拠に、お前も自身に名を付けることが出来まい。わずかな記憶を頼りに着ぐるみの名を騙っても、虚しいだけだ」

 

「…………ッ! 黙れッ、私は……!」

 

 黒翼が燃え上がり、火の粉を撒き散らす。

 同時に広間が眩く照らしだされる。

 

 恐ろしく広い空間に、巨大な法陣が描かれている。その法陣を囲んで無数の小さな法陣が連なり、さらに外縁を同じように法陣が囲む。巨大法陣を取り囲むそれらは、一つの例外も無く血の痕に塗れていた。

 

 ここではとある大儀式が行われていた。血と肉と魂を生贄に行われる、禁断の秘術だ。

 その成果は、今もこの広間にある。

 レイナーレ、あるいは天野夕麻を名乗る鬼神は、自身の炎によって照らしだされたそれを見た。

 

 卵だ。人間大の黒い卵が、闇色の術式に取り巻かれて脈動している。

 その上に座る少女が一人、苛立つ火行鬼(レイナーレ)を見ていた。

 

「オーフィス……!」

 

 闇よりも深い漆黒の少女は、白い小さな掌をひらひらと振る。

 相変わらずの無表情。主とはまた別ベクトルで何を考えているかまったくわからない。

 苛立たしさに顔を背けた火行鬼(レイナーレ)は、炎を治めると早足で去って行く。

 

「あっ、待ってってば、お姉さまー!」

 

 それを追って、木行鬼(ミッテルト)も走り去った。

 後に残るのは土行鬼(ドーナシーク)水行鬼(カラワーナ)、そして卵とオーフィスのみ。

 

「オーフィス殿、このようなところで何を?」

 

 土行鬼の言葉に、オーフィスの返答は意外なものだった。

 

「我、卵温める」

 

「……温める、とは?」

 

「我、母親。マサタカの卵(・・・・・・)、温める」

 

「なるほど……」

 

 二体の鬼神は卵を見る。

 主は聖槍使いとの戦いで大きく力を削がれ、積極的な活動ができない状態にある。この中にあるのは新たな身体、肉を持った器だ。

 これの完成を以って魔人・高円雅崇は真の復活を遂げる。

 そうなれば、聖槍使いも御道修太郎も恐れる必要は無くなるだろう。あるいは神々すら下せるかもしれない。

 それにしても。

 

「ふむ、ドラゴンとは卵を温めるものなのか、土公(トゥゴン)?」

 

 水行鬼が土行鬼に尋ねる。

 そのようなことを聞かれてもわからない。『ドーナシーク』の知識には確定的な情報など無かった。

 

「オーフィス殿、ご教授願いたい」

 

 なので、直接聞くしかない。

 しかし――。

 

「知らない」

 

「……何と?」

 

「知らない。我、普通のドラゴンがどうするか、よくわからない。この方法、テレビでペンギンがやってた。だから我もやっている」

 

 平坦な口調で答えるオーフィス。

 龍神たるオーフィスは他のドラゴンと出自が異なる。無限の闇から生まれたとも、混沌の化身であるとも言われ、主たる魔人も彼女は生殖を必要としない完成された存在だと言っていた。

 ならば当然、子育ての知識など持っていないだろう。

 

「この城にテレビがあるのか……今度見てみよう」

 

 水行鬼が呟くが、どうでもいい。

 

 しかし解せない。

 なぜ彼女はここまで主に友好的……かどうかすら定かではないが、積極的に関わろうとするのだろう?

 『ドーナシーク』の知識によると、オーフィスは世間に無関心であったはずだ。

 そういえば、主もどこかおかしい。以前はもっと張りつめた空気を纏い、邪気を振りまいていたように思う。これは、人格が生まれたからこそ生じた疑問だろうか?

 

「……まあいい。私はただ従うだけだ」

 

 式神が考えたところでどうにもなりはしない。

 目下の問題はどうやって神器、ないしは伝説の武具を集めるかということ。金行鬼を筆頭に、彼らが力を大きく高めたのは属性に合ったそれらを取り込んだからだ。

 また、実体を維持するために力ある魂も集めなければならない。主が作り上げた鬼神の力は確かに強力だが、それ相応に莫大なコストがかかる。有象無象の一般人ではすぐに消化されて腹の足しにならないので、獲物は選ぶ必要があった。

 

 立ち去った二人は大量の魔法使いを喰らったようだが、今回の激戦でそれ以上に消耗したことだろう。『刃狗』と交戦した水行鬼のように、土行鬼も『天明旅団』の爆裂筋肉男と戦い、それなりのダメージを受けた。

 これでは先が思いやられる。

 

「さあ、どうするか……」

 

 火行鬼らのせいで大変面倒なことになっている。

 悩むなど、昔はあり得なかったのに。

 こういう時に人格があると不便だな、などと土行鬼は思うのだった。

 

 




超久しぶりの連日更新です。
思えば連載開始からはや1年以上経過……これからも頑張ります。

ヴァーリの新能力は、一誠の籠手が適切な倍化を知らせるようになったのと同じで、能力を発現しやすくなるソフトウェアが開発されたという感じ。
別に使わなくても距離半減はできますが、長距離でそれをやると高確率で全身が四散するか、[*いしのなかにいる*]状態になります。

デュリオの翼はまだ十枚ではありません。
何分天使歴が短いので……それだと八枚でも多いような気も……?

しょっぱなからバトルバトルなので、次回はちょっとした日常回の予定。
愛刀の行方はその後になります。

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