剣鬼と黒猫   作:工場船

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第四十七話:休息の湯

「はああ~っ、生き返るぜぃ」

 

 夜空の下、気の抜けた声が響く。

 濛々と立ち込める湯気の中、透き通った湯船に浸かる人影がある。

 人影の正体は石猿の妖怪、美猴だ。

 

「うーん、いいねぇ。ご飯も美味しかったし、こうして温泉にも入れて大満足だ」

 

 同調するようにこぼすのはデュリオ。

 肩まで湯船に浸かり、身体の底から疲れを絞り出すように息を吐く。

 

「……確かに悪くない」

 

 ヴァーリが言う。

 驚くことに常日頃浮かべた仏頂面はわずかに崩れ、見るからに力を抜いている様子が窺える。

 

「イギリスに来て露天温泉があるとは思わなかった。中々良い趣味をしている」

 

 静かに瞑目しながら修太郎が口を開く。

 さしもの剣鬼も仕事後の熱い湯は骨身に沁みるということなのだろう、その表情は普段よりも柔らかかった。

 

 そんな彼らがいる場所は、ルシファー眷族が人間界に所有する共用の別荘、そこに造られた露天風呂である。

 『魔女の夜』拠点跡での一戦を終えた彼らは、仕事後の休息と今後に関する話し合いも兼ねてマグレガーよりこの場に招待されていた。悪魔界きっての魔術師と言えどもやはり元人間、故郷の空気は落ち着くのだろう。彼も含めて眷族一同休暇をここで過ごしているからか、別荘の中には快適な空間が広がっており、露天風呂もそういった設備の一つだった。

 およそ一週間、連日働き詰めだったデュリオたちにとって、この充実っぷりはありがたい。あるいはサーゼクスがマグレガーを派遣したのも、自分たちを休ませる意図があったのかもしれない。

 

 元々眷族全員+αが宿泊できるように建てられているからか、別荘は豪邸と見まがうほどの大きさであり、その分だけ露天浴場の面積も広大だった。

 まるで有名旅館のような趣で、貸し切り状態となれば解放感もひとしお。立ち昇る白い湯気の中、大きな月と満天の星空を望むこの光景は何とも風流である。

 

「いやあ、それにしても今回の敵は強かったねぇ」

 

「おいおいジョーカー、あんたは直接やりあってねぇだろ。まあ俺っちもだけどよ。あーあ、もったいねぇなぁ」

 

「そうは言うが美猴、お前の分身は『雷霆』の雷を回避できなかったようだぞ? それで大丈夫なのか?」

 

「うっせー! 本体なら躱せるっての!」

 

 ヴァーリの指摘に声を荒げる美猴。汗をかいている様子を見るに、結構微妙なところなのかもしれない。

 

「ちっ……そういや暮修はあいつらを一度ぶっ倒してんだろ? どうやったんだよあんな初見殺し」

 

「昔はあれほど強大ではなかったし、俺も俺で対抗手段はあった。後方からの援護で無効化することもできた」

 

「無効化って……あれを? どうやって?」

 

 デュリオの頭に疑問符が浮かぶ。

 今の鬼神は一撃のパワーだけなら上位神格に匹敵する。たとえ昔は今より威力が低かったとしても、ただの人間が無効化できたとは思えない。

 

「『式返し』という術がある。放たれた式神を相手の下に送り返す術だ。これは陰陽師にとって基本的な技能であるが、対鬼神用に特別な改良型が作られた。内容としては、膨大な法力と引き換えに実体化した鬼神を強制的に霊体へと戻し、保持していたエネルギーの全てを術者へ返すという術になる」

 

 鬼神が持つ桁違いの攻撃力を、当の魔人へぶつけるために生み出されたカウンター術式である。当時活躍していた陰陽師たちが、その知識の粋を集めて編み上げた必勝の法だった。

 

「何だよ、そんな便利なもんがあるなら使えばいいじゃねえか。京都の陰陽師たちからその術式も提供されてんだろ?」

 

「いや、されてないはずだ」

 

「はぁ?」

 

 理解不能な声を上げる美猴。

 かつて日本全土で猛威を振るったと言う魔人が復活したのだから、当然提供されていると思っていたのだ。

 

「鬼神対策に作られた『式返し』は秘法中の秘法だ。たとえ高円雅崇が復活したとしても、他の勢力に渡すなどありえない。なぜなら、その術式は全ての式神に対し有効であるからだ」

 

「ああ、そんなもの提供したら陰陽師たちが簡単に無力化されちゃうからか」

 

 デュリオの言葉に修太郎は首肯する。

 通常の式返しは対象となる式神の真名を必要とする。しかし、魔人の鬼神たちに付けられただろうそれは当の魔人以外誰も知らない。その情報に近づいた者たちは、悉く殺されている。

 故に『式神』という術の根本を突く術式を生み出さなければならなかった。その存在がたとえ未来に陰陽師全員を脅かすことになろうとも、魔人が誇る六天将はそれほどの猛威を振るっていたのだ。

 

「それに『式返し』を使ったとしても、使った術者は確実に死ぬことになる」

 

「何でさ? 鬼神の攻撃をカウンターするんだから、痛い目見るのは魔人の方でしょ」

 

「確かに一度はそれで倒したらしい。しかし……」

 

「それも返されたのか」

 

 言葉を発したのはヴァーリだ。湯船から突き出た岩を背に腕を組み、確信に満ちた目で修太郎を見る。

 

「ああ、二度目以降は返されたエネルギーをさらに返す術を身に着けたようだ。結果として、『式返し』は一人の命を犠牲に鬼神一発分を無効化できるだけの術になった」

 

 必勝だったのは一回まで。その時仕留められなかったことで、陰陽道が新たな秘法は生贄の術に堕とされた。

 

「うわぁー……じゃあ、もしも俺らに提供されてたら……」

 

「膨大な法力、ってこたぁ扱える奴は限られるんだろ? 一発止めるのにそれはいくら何でも割に合わねぇぜぃ」

 

 日本の退魔組織が人手不足になるはずである。実力者が一撃ごとに死亡確定となれば、たまったものではなかっただろう。

 彼らが表立ってこちらに人員提供しないのには、そういった事情もあったのだ。

 それに術式がこちらに引き渡されていたとしても、実用できたかどうかは微妙な線だ。人間と違って聖書の三大勢力は寿命が長い分若手の育成サイクルが非常に緩やかで、実力者の入れ替わりが遅々としている。転生悪魔などの要素を加味しても雲泥の差だろう。上位の実力者はそれだけ貴重な存在であり、若手ならなおさら使い捨てるような事態は避けることになるはずだ。

 

「だが、あれほどの威力を一人の命で無力化できるなら一考の余地はある」

 

 が、ヴァーリは否定する。

 

「直に見てわかった。『雷霆』の雷は確実に雷神と同等のそれだ。アルビオンもそう評価している。本来どうしようもないものを確実に止められる手があるなら、命の一つや二つ使い捨てるのが戦略というものだと思うが」

 

「雷神ねぇ……帝釈天や北欧のトール辺りか? まあ、それだとしょうがねえかもしれねぇな」

 

 同意する美猴。

 彼が暮らしていた所には、闘仙勝仏を始め多くの神仙が住んでいた。流石に体感したことはあまりないが、神格が持つ力の大きさは承知している。

 

「それでもダメだ」

 

 反論するのはデュリオ。

 常ならば眠たげにすら見える瞳が真剣にヴァーリたちを見据える。

 

「選択肢としちゃそういうのもあるかもしんないけどさ、少なくとも俺は認められない。戦う前から犠牲だなんて考えちゃいけないよ。そんなのを作らないために俺らは自分を鍛えるのさ。誰かが死んで悲しくなるよりも、戦って生き残って、今みたいにご飯食べて風呂入って笑う方が何倍もいいだろう?」

 

「……甘いな、ジョーカー」

 

「かもね、よく言われるよ。でも俺らは神滅具保持者だ。神すら超えるかもしれない力があるのに、この程度でビビっちゃだめでしょヴァーリどん」

 

 真剣な表情から一転、不敵に笑ってデュリオは答えた。

 言葉を投げかけられたヴァーリは一瞬むっ、と眉を動かす。

 

「ビビる? 俺が? 冗談、むしろ燃えているところだ。使い魔風情に舐められたままでは終われない」

 

「ははは、その意気だ。世界最強目指すんなら、それくらいじゃないとね」

 

 楽しげに笑い飛ばすデュリオとは対照的に、ばつが悪くなったのかヴァーリは小さく舌打ちをした。この男に乗せられたとわかったのだ。

 一瞬口論でも始まるのかと思ったが、デュリオ・ジェズアルド、これで中々リーダーらしいことをする。

 普段は微妙に頼りないが、事務仕事も落としている様子などは見られないあたり、能力的には素質のようなものがあるのだろう。目の前の光景を眺めながら、修太郎はそう思った。

 

「あ、そういや温泉まんじゅうには温泉水が使われてるって聞いたんだけど、そこんとこどうなの、シュータロくん?」

 

 また随分急な話題転換である。

 確かに重苦しい話よりも世間話の方が温泉にはふさわしい。休息と言うならば、今は戦いを忘れる時なのだ。

 

「確かにそういった製法のものもあるが、あまり数は多くない。今はもっぱら温泉地で売られているもの全てが温泉まんじゅうと呼ばれている。つまり大体は普通のまんじゅうだ」

 

「へえ、そうなんだ。俺、ほとんど日本に行ったことないからさぁ」

 

「そう大した知識でもないが、昔は妖怪討伐で全国を回っていたからな。山奥の霊泉にも入ったぞ。あれはいいものだ」

 

 山などで暴れる妖魔を滅した際に、時折土地神から霊泉の利用を許可されることがあった。

 あまり回数は多くないが、毎日を戦いの中で過ごしていた修太郎にとってたまに入る温泉は癒しの場だったのだ。

 

「霊泉っつーと、地脈の力を含んで湧き出た温泉だろ? あれ管理が厳しくて中々入れねぇんだよな」

 

「暮修太郎、それは他の温泉と何か違いがあるのか?」

 

「違い、か。基本的には入った生物の霊性を引き上げ、安定させるのが主だ。霊力が高まる、病や傷が癒える、呪いが解ける、場所によっては寿命が延びるなどもある。そういった効能は継続的に入らなければあまり意味は無いが、それより湯そのものがとても心地良い。魂が洗われる気分になる」

 

「へえ~いいなぁ、それ。シュータロくんのコネで俺らも入れないかな?」

 

「……どうだろう。実際に交渉しないことにはわからない。神にも色々いるのだ。実際、人とそう変わらん」

 

 気難しい者、怒りっぽい者、寛容な者、用心深い者……日本で様々な土地神と接し、世界に出て他神話の神にも触れ、尚更そのように思う。

 修太郎が神に対し信仰心を持たないのは、そういった面を知っているからでもある。

 神とて泣き、怒り、笑う。悪魔も天使も妖怪も、魔獣も精霊も同じだ。違いは力の大きさと、寿命の長さだけ。大体、何だろうと斬れば死ぬ(・・・・・)のだから特別視などできない。

 

「暮修って誰が相手でも物怖じしねぇよな。初対面の時とかよ、普通は神格と知ってあのクッソ強いジジイに斬りかかったりしねえっつーの」

 

「闘仙勝仏殿か。ああ、あれは強かった。色々調整不足だったとはいえ、あそこまで手が出ないのは初めてだった。またいつかやりたいな」

 

「……実際、お前もヴァーリとそう変わんねえよな。相手がクソジジイじゃなきゃ俺っちも同意するんだが……」

 

 どうにも美猴は闘仙勝仏に苦手意識があるようだ。先祖でもあり、師匠でもあるのだから、幼いころから何かとあったのだろう。

 それをよそに、デュリオが意外とでも言う風に口を開く。

 

「へえ、シュータロくん初代孫悟空殿に負けたんだ。ぶっちゃけ俺、シュータロくんが負けるところなんてあんまりイメージできないんだよねぇ」

 

「俺とて負けることもある。九十九尾殿と戦った際も初戦は敗走することになったし、世界に出てからは闘仙勝仏殿、テュポーン、スカアハ殿、クロウ・クルワッハ……まったく世の中は広い。自惚れる暇も無い」

 

「あ、テュポーン数えるんだ……ん? えーっと、クロウ……なんだって?」

 

 何気なく聞こえた気になりすぎる名詞に尋ねなおす。

 

「クロウ・クルワッハだ。最強の邪龍、『三日月の暗黒龍(クレッセント・サークル・ドラゴン)』。知らないのか?」

 

「いや、知ってるけどさ。あれって確か、もう滅びたんじゃなかったっけ?」

 

「それは間違いだ。奴は今も生きている。本人曰く、一度も滅びたことは無いのだそうだ」

 

 困惑するデュリオに対し、修太郎は淡々と答える。

 修太郎と黒歌の二人が邪龍クロウ・クルワッハと出会ったのは古代ペルシャ――現イランに行った時のこと。

 ゾロアスターの神々に接触するべく、現地の魔術師・祈祷師の研究活動に便乗すること数週間。苦労の末、とうとう軍神ウルスラグナと邂逅するに至った。

 ウルスラグナは英雄神、特に戦の勝利を司る。修太郎は彼の権能に特別の関心があるわけではなかった。ただ相手は仮にも軍神、武芸には長けるだろうと手合せを挑むつもりだったのだ。

 

「神相手かぁ……うーん、何って言うか、シュータロくんらしいね」

 

「羨ましいことをしているな。そうか、手順を踏めば神に挑んでもよかったのか……」

 

「いや、普通は手順踏んでもダメだからなヴァーリ」

 

「で、戦ったの?」

 

「いや……」

 

 手合せを申し出たはいいものの、当の軍神からは笑い飛ばされることになった。

 当たり前だろう。修太郎は人間で、ウルスラグナは神なのだから。悪魔と神でさえ隔絶しているのに、人が神に挑むなど本来ならば御伽話の領域だ。

 ウルスラグナは善の神。人を虐めて愉しむ趣味は無いとして、修太郎と剣を合わせることを断った。

 しかしてその程度で退く修太郎ではない。力を示せば戦えるのかと問えば、決意の程を知ったのだろう、ウルスラグナはそれに応えた。

 

 『山を三つ超えた場所に邪な魔物が住みつき、周辺住民が困っている。もしもそれを一人で退治できたならば、手合せに応じる』

 

 人が神に挑む、と言うのも実のところ前例が無いわけではない。ふさわしい実力があるならばそれもいいだろう、とウルスラグナは言った。

 その条件に一も二も無く頷いて、修太郎は一人目的の場所へ向かうことにした。

 ちなみにこの時最も苦労したのは、目的地への道のりよりも黒歌におとなしく待つよう説得することだった。

 

 さて、目的の場所にやってきた修太郎を待っていたのは、異形の怪物ではなく一人の男。

 金と黒の入り混じる頭髪、双眸は金と黒の虹彩異色。背は高く、全身を黒ずくめの衣服で覆っている。限界まで抑えられ、しかし濃密に過ぎる龍のオーラは邪な波動を帯びて、修太郎の鋭敏な感覚野を刺激した。

 

「出会った瞬間、斬らねば、と思った。ウルスラグナはこいつを殺せと言ったのだ。少なくとも、その時はそう確信していた」

 

 修太郎とて歴戦を積み重ねた戦士、敵の力量を見誤るほど愚かではない。相手が本気を出したなら、今の己ではまず勝てないだろうことぐらい容易に把握できた。

 しかし退魔剣士(じぶん)邪龍(やつ)が出会ったならば殺しあわねばなるまい。故に、戦いを挑むことに躊躇いは無かった。

 

「クロウ・クルワッハは常軌を逸した強さだった。パワー、スピード、テクニック……そのどれもが凄まじく、刹那の油断が命取りになる、そんな戦いだ。奴は人間界と冥界を巡る中で研鑽を積み、強くなったと言っていた」

 

 激闘は一晩中続いた。

 力と技の粋を尽くし、命を懸けて敵の鱗を一枚一枚剥がしていく。修太郎にとってはそんな気の遠くなる戦いだったが、相手は一撃全力を以って叩くだけでこちらを倒すことができる。

 極まった武威を前に、勝機は1%あるかどうか。敗色は濃厚――。

 

 そこまで話したところで、修太郎は押し黙った。

 視線を伏せ、考え込んだ様子になる。

 

「どうしたのさ、シュータロくん」

 

 そんな彼に、訝しげな表情でデュリオが問いかけた。

 

「……まあ、やはり駄目だった。強い一撃を喰らわせて、後は必死に逃げた。その時にいいのを貰ってな、おかげで散財する羽目にもなった。フェニックスの涙と言うのは、人間界では高価(たか)いのだ」

 

 それで終わりだ、と話を打ち切る修太郎。

 珍しく歯切れの悪い彼に怪訝な思いを抱くが、思えば負けた時のことを話すなど恥もいいところだろう。もしかしなくても悪いことを聞いてしまったかもしれない。

 気にはなったが、デュリオは追求するのも野暮だと判断した。

 それにしても。

 

「……ん~、いや、うん、どうしよう。クロウ・クルワッハが生きてるなんて予想外だったからさ、これ上に報告した方がいいかな? 結構重要な事実だと思うんだけど」

 

「どっちでもいいんじゃね?」

 

「右に同じだ」

 

「うっわ、キミら薄情。って言うか、ヴァーリどんもお猿さんも驚いてないっぽいね。もしかして、知ってた?」

 

 デュリオの疑問に、二人は揃って首肯した。

 

「サジの訓練に付き合う報酬がその情報だったからな。だから早く『禍の団』には壊滅してもらわなければならない。クロウ・クルワッハには興味がある」

 

「俺っちもヴァーリのついでに聞いてたぜぃ」

 

「そんじゃあ俺だけ仲間外れだったってこと? 酷いなあ」

 

「言う機会が無かっただけだ。今話しただろう」

 

「はぁ……ま、いいか。それで負けたのはわかったけど、ウルスラグナの件はどうなったのさ。って言うか、倒すはずだったのってクロウ・クルワッハじゃないでしょ。絶対別に魔物がいたと思うんだけど」

 

 一つ溜息を吐いたデュリオは、会話を続行する。

 まさかウルスラグナがクロウ・クルワッハの存在を知っていて修太郎を差し向けたとは考えられない。そんなのは悪神のすることだろう。

 

「おそらくはそうだろうが……クロウ・クルワッハと戦い始めたせいで、もはや確認するどころではなかったからな。残念なことだ」

 

 フェニックスの涙を得るべくすぐに欧州へ帰ったため、修太郎はウルスラグナと再会できていない。手合せの件も無かったことになっているはずだ。

 結局、あの探索は黒歌がゾロアスターの術式を手に入れるだけで終わってしまった。

 

「いやー、シュータロくん冒険してるなぁ。楽しそうだよね、そういうの。好奇心がくすぐられるよ」

 

「……そうだな」

 

 デュリオは笑みを浮かべて瞑目し、しきりに頷いている。

 それに同意したのはヴァーリ。空を見上げて何やら考え込んでいる様子だ。修太郎の話に思うところがあったのだろう。

 そんな中、唐突に美猴が口を開く。

 

「そう言えばよ、黒歌たちはどうしてんだ? 風呂入るっつってたけど、ここ女湯ねえよな」

 

 非常に今更な疑問だった。

 ルシファー眷族は『女王』グレイフィアを除き全てが男性で構成されている。そして、グレイフィアがこの別荘にやって来ることは極めて稀だ。つまり、この館には基本的に『女湯』などというものは存在しない。完全に混浴仕様なのだ。

 夕食後、男性陣はしばらくマグレガーとの会話に付き合っていた。しかし黒歌とロスヴァイセ、あとついでに何故か同席していたルフェイは早々に風呂へ行くと言って退室している。こうして一同は温泉を満喫しているわけだが、彼女らの行方は知れない。いったいどこにいるのだろう?

 

「もう入った後なんじゃない? 向こうの床濡れてるし」

 

 デュリオが答える。

 別荘は本館・西館・東館が組み合わさり『コ』の字を描く建物で、露天浴場はその中央の空いたスペースに位置している。

 男性陣は東館側の脱衣所から入った。女性陣は西館側から入ったのだろう。その証拠に西側の洗面台を見ると使用された形跡があった。

 

「ちょうど入れ違いってわけか。いや、一瞬まさか隠れてこっち覗いてるんじゃねえだろうな、とか思ったんだけどよ。流石にねえよな。いくらあのバカ猫が普段からあんな姿でも、そりゃどんな痴女だってんだよ」

 

 美猴はそう言って笑い飛ばすのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんな彼らを遠巻きに見つめる視線が三つ。

 

(…………クッソ猿ぅ……!)

 

(…………完膚なきまでに申し開きのしようがない……)

 

(あぅあぅ……)

 

 黒歌、ロスヴァイセ、ルフェイの三人である。

 彼女たちは浴場の隅にて男性陣の様子を眺めていた。

 

 なぜこんなことになっているのか。

 状況は単純、女性陣の入浴中に男性陣が入ってきた。ただそれだけである。

 

 本来ならば彼らが近づいてくる前に黒歌が気付くはずだった。しかし、仕事後の温泉が気持ち良すぎて完全に油断していた。

 気付いた時には既に遅し、結果として黒歌たちが選択したのは「この場に残り、男性陣の様子を観察する」ことだ。

 早い話が出歯亀、れっきとした覗きである。

 理由は好奇心と新しい術を試すためだ。

 修太郎すら察知できないだろう、対スカアハ用に構築された気配・存在隠蔽の結界。それを展開して、黒歌と(半ば引きずられるように)他二人は隠れることになった。

 

(ちょっと見た目がいいからって調子乗ってんじゃないわよこのアホ猿! お前なんかお呼びじゃないにゃん、私はシュウを見たいのよ!)

 

 まるでエロガキそのものである。

 ダメだこの猫、早く何とかしないと――。

 そう思うロスヴァイセだったが、彼女も彼らから視線を外すことができない。

 

(え、エッチだ、破廉恥だぁ……で、でんも、これは後学のため……そう、これは後学のため、これは後学のためだから……)

 

 今まで男性経験はおろか男の裸姿ともほぼ無縁だった彼女だが、ウートガルザ・ロキの一件で修太郎と混浴したことがある。裸を見られ、裸を見た――と言ってもあの時は立ち込める湯気のせいで大事なところまでは見えなかったが。

 そう、見えなかった。見えなかったのである。

 故にこれは確認するチャンスなのだ。日本には「百聞は一見にしかず」と言う慣用句だってある。女の子だってエッチなことに興味を持ったっていいはず。と言うか、今まで持たなかったから彼氏の一人もできなかったわけで。覗きは軽犯罪に当たる行為だが、こちらの入浴中に入ってきたのはあちらだし、これは正当な理由となる……かもしれない。だいたい、悪いのは自分たちを引きとめた黒歌なのだから、これは不可抗力なのだ。おのれ悪魔め……。

 

 湯だった頭で展開した理論武装はボロッボロの穴だらけ。このヴァルキリーも色々とダメになっていた。

 

(あぅあぅ……)

 

 ルフェイについては完全にとばっちりである。

 未だ汚れを知らない無垢な少女は、突然男たちの裸姿を突き出されたことで思考能力が完全に吹き飛んでいた。兄アーサーや父親のものならば小さい頃に見たことあるが、血の繋がっていない他人の、それも大人の裸など初めてだったのだ。

 食べごろの林檎よりも顔を真っ赤にし、手で顔を覆って――しかし指の隙間を少し開けつつ――硬直している。

 

 確かに目の前の光景は少々刺激が強い。しかしながら、見る人が見ればこれほど目を引く空間も無いだろう。

 何せ、4人の男は誰もが鍛え上げられた素晴らしい肉体を持っているのだ。

 

 まずは美猴。

 常日頃品性に欠けたふるまいをする彼だが、改めてみると容姿だけは整っている。所謂スポーツ系のイケメンという奴だろう。にじみ出る俗っぽさと頭の残念さで評価を落とすが、黙って爽やかに笑っていれば相当モテるはずだ。いまさら惹かれはしないものの、黒歌たちもそこのところは認めている。

 普段の中華鎧姿はどちらかと言うと軽装で、男性陣では最も露出が高い。その関係から鍛え上げられているのはわかっていたが、何も着ていない状態だとまた違う印象になる。良く引き締まった筋肉は動物的で、野性味あふれると言えばいいだろうか、わずかな動作で肉体の持つ躍動感が伝わってくる。ワイルドで洗練された、男の身体だ。

 風呂場で上機嫌な姿には若干イラつくが、それはこちらが彼を知っているからだ。全体的なビジュアルのみを見れば極上の部類に入るだろう。

 

 次はデュリオ。

 金髪に透き通ったグリーンの瞳が印象的な、端正な顔。町を歩けば大半の女性が振り向く美しい容姿だ。これは転生天使になったから、というわけでもないだろう。やや垂れた目つきのベイビーフェイスを見るに、幼いころはさぞ可愛らしかったに違いない。それも今や水に濡れていて、美形と相まって耽美な雰囲気を漂わせている。

 色白で細身なため華奢なイメージのある彼だが、体つきは思いのほか逞しかった。もしかすると、接近戦も結構やるのかもしれない。神滅具という絶大な武器を持っていても、それだけで終わるようでは『最強のエクソシスト』などとは呼ばれないと言うことなのだろう。彼もまた、まぎれも無く戦士なのだ。

 

 続いてヴァーリ。

 悪魔の血をひくにもかかわらず天使にも例えられそうな美貌は、普段通りの仏頂面で愛想の欠片も無い。しかしながらやはり多少の脱力はしているようで、わずかに柔らかくなった表情は心なし物憂げにも見えた。メンバー随一の容姿も相まって、デュリオ以上の妖美な空気を纏っている。

 普段は元より夏でも長袖長ズボン、一貫して暑苦しい黒のビジュアル系ファッションに身を包んでいる彼であるが、やはり『世界最強』を目指している通り日々の鍛錬は怠っていないのだろう。鍛えられた身体は末端まで良く引き締まっており、さながら一級芸術品のようだった。

 その滑らかな白い肌には、肩からわき腹にかけて大きな傷跡が刻まれている。初対面の戦闘で修太郎が付けたものだ。神がかった美しい容姿とは対照的な、凄惨とも言えるその傷跡が、彼の纏う妖しく危険な雰囲気を加速させている。見ているこちらの方が溜息をこぼしそうだ。

 

 そして最後に修太郎。

 濡れた黒髪でわずかに目元を隠した様子は、水面に伏せられた視線と相まって普段とはまた違う印象がある。元々彼は鋭すぎる目つきさえどうにかすれば、水準以上に整った容姿をしている。心なし表情が柔らかくなっているからか、今はそれが前面に押し出されていた。

 しかし、それよりなにより見るべきは彼の肉体だ。

 服を着た彼は痩躯と言っていい印象があるものの、脱げば一味どころではない変化がある。すなわち、全身これ筋肉の塊。身体を構成する肉の隆起は、その一つ一つが縄のように引き絞られた筋線維だ。他の者を引き締まっているとするならば、こちらはひたすらに凝縮されている。「戦う」という、ただそれだけのために鍛え上げられた身体は、日本刀のように鋭くありながら芸術的ですらあった。全身にうっすらと残った歴戦の傷跡が、その印象をさらに煽り立てる。

 

 全員が全員(人格に多少の難を抱えているものの)男性的魅力にあふれていることは言うまでもない。

 趣の違う美しい身体を惜しげも無く晒したこの光景。金を払ってでも見たいと言う婦女子はごまんといるに違いなかった。

 故に、総評して。

 

(エロい……!)

 

(……ごくり……)

 

(あぅあぅ……)

 

 思わず生唾を飲み込んでしまう。

 そして同時に、男が女湯を覗きたがる心理を理解してしまった。

 隠れて見る無防備な濡れ姿。なるほどこれはいいものだ。たとえ気の無い相手だとしても見目が良ければ目の保養となるし、気のある相手がいるならなおさら、普段一緒にいる時には見れない姿と雰囲気が心を揺さぶってくる。

 

(はぁはぁ……シュウ……食べちゃいたいにゃあ……)

 

(お、落ち着いて!)

 

 ダメだこの猫、マジで早く何とかしないと――。

 そうは思いつつ、ロスヴァイセも今更やめられない。

 が、しかし。

 

「クロたちならそこにいるぞ」

 

((――――!?))

 

 彼女らにとっての衝撃発言、その主は修太郎だ。

 揺れる水面を眺めながら指先だけでこちらを指し示し、何食わぬ顔で言い放った。

 

(ど、どういうことですか黒歌さん! めっちゃバレてるじゃないですか!?)

 

(そんな……私の結界は完璧なはず……!)

 

 魔力を核に数多の系統で構築された黒歌の術式は、真っ当な手段での解析・解除が極めて難しい。修太郎は自分に対する幻覚・幻惑の類を無効化する加護を受けているものの、今黒歌が展開しているものは仙術の特性を混ぜた自然環境に作用するタイプの結界だ。穴は無いはずだった。

 

「んなまさか……何もいる様子はないぜぃ」

 

「俺も何も見えないなぁ……シュータロくんの勘違いじゃ?」

 

 その証拠に、仙術を会得している美猴ですら黒歌たちを認識することができていない。気配隠蔽は完璧なのだ。

 それに対する修太郎の答えは。

 

「そうだろうな。しかし俺はクロと『言語翻訳』の契約を交わしている。そのつながりを辿ればわかる。あれはここにいる」

 

 修太郎は外国語が喋れない。何せ最終学歴中卒である。英語はおろか、インド語もフランス語もイタリア語もほとんど習得していなかった。

 欧州で活動していた頃は、黒歌の悪魔としての能力を契約を通して借り受けることでコミュニケーションをとっていたのである。そしてそれは今も有効だ。

 契約のライン。彼はそれを辿って黒歌の居場所を把握しているのだと言う。

 

(……あ)

 

(黒歌さん!)

 

(う、うぅ~シュウのバカ! だからってなんでバラすにゃん! もうちょっと空気読みなさいよ!!)

 

 喚く黒歌だがもう遅い。

 と言うか、魔術の類を使わずにそれができる修太郎の感覚が意味不明だった。

 何だか特別なつながりっぽいので黒歌としては別に構わないのだが、この場では完全に裏目となってしまっている。

 

「暮修がそう言うんならそうなんだろうよ。……おい、バカ猫ォ! 覗きなんてしてないで出てきやがれ!」

 

 美猴が声を張り上げる。

 しかし黒歌たちはそれを無視した。

 当たり前だ。こちらの存在を確信しているのは修太郎だけ。誰がのこのこ出て行くだろうか。

 このままやり過ごすか、短距離転移でバックれて、何食わぬ顔で部屋に戻れば勘違いで済む話。当然疑惑は持たれるだろうが、それもしらを切ればいずれ有耶無耶になる。

 

「ちっ……出てこねえか。仕方ねえ……」

 

 何も反応が無いことを確認した美猴は、大きく息を吸う。そうしておもむろに湯船から立ち上がり、大声を出す体勢を見せた。

 その様子に黒歌はとてつもなく嫌な予感に襲われる。

 そしてそれは現実のものとなった。

 

「おいバカ猫、俺ぁ知ってるぜぃ! お前、普段は手馴れてそうに振舞ってっけど、まだ処女だってなぁ!! エロくてなんぼの猫又の癖に、耳年増の変態痴女ってのは笑えねえぜぃ!! かっかっかっ!!」

 

「え」

 

(え)

 

(な、なななななな――――――!?)

 

 実に愉快と呵呵大笑する美猴。

 ぽかんとするのはデュリオとロスヴァイセ。

 修太郎は表情を変えずいつも通り。ヴァーリは心底どうでもよさそうだ。

 

(え、黒歌さん、その、しょ、処女……だったんですか? 修太郎さんとは……?)

 

 隣のロスヴァイセが期待の目でこちらを見つめてくる。心なし口元も緩んでいるようだ。

 ――もしかして、仲間?

 そのような喜びにも似た感情が伝わってくる。

 

(ぐ、ぐぬぬ……)

 

 美猴の発言は不本意ながら事実だ。事実だがしかし、なぜわかった。

 自分はバラしていないし、修太郎もそういった事情を自分から明かしたりはしない。まさか心を読む力など持っているはずもないだろう。いったいなぜ。

 理由は本人から告げられた。

 

「クソジジイの仙術修行を途中で抜け出たのが仇になったなぁ! 今の俺っちは気の流れでそういうのがわかんだよ。こりゃ傑作だぜぃ!」

 

 上達の仕方が違うので一概には言えないが、確かに仙術一本に絞れば黒歌よりも美猴の方が上手な部分が結構ある。

 歯ぎしりする黒歌を知ってか知らずか、得意満面に笑い続ける美猴。非常に鬱陶しく、腹立たしい。もう我慢の限界だった。

 

「あれ、シュータロくん、猫さんとヤッてないの? 俺てっきり毎日ハッスルしてるものかと……」

 

「意外に俗っぽい表現を使うな、デュリオ。……色々と込み入った事情があるのだ」

 

「どうでもいいが、そろそろ風呂から上がる時間じゃないか?」

 

 他男性陣の会話は耳に入らない。

 今はそれよりも目の前の猿を処理しなければならなかった。

 

(く、黒歌さん……?)

 

 立ち上がった黒歌は、結界から出て姿を現す。

 世の男を魅了してやまないだろう豊満な肉体を惜しげも無く晒し、鋭い黄金瞳で美猴を睨んだ。

 羞恥心? 今はそのようなことを気にしている時ではない。

 今は、そう――戦いの時だ。

 

「かっかっかっかっか!! お、ようやく姿を見せたな痴女猫。この落とし前……」

 

「っさい……」

 

「あん? 何だって?」

 

 湧き上がる暗い感情――人、それを殺意と言う。

 

「うっさいってんのよーーーーッ!! このクソ猿ッ!!!」

 

 結界解除、術式展開。

 水天(ヴァルナ)のマントラにより湯船が一瞬にして黒歌の支配下に置かれる。そうして巻き起こった水流はその圧力を桁違いに増大させ、うねる水の大蛇となって美猴を丸ごと呑み込んだ。

 

「ぐぼぉおおおおおおッ!?」

 

 仙術を駆使して脱出を図る美猴。しかし、神々の真言によって力の格を向上させた黒歌の水牢は、その抵抗さえ一握の下にねじ伏せる。そのまま圧倒的強度で美猴を粉砕――もとい気絶させた。

 それと同時に爆散する湯の塊。温かな雨が降り注ぎ、白い湯気が一面を覆いつくす。

 

「――悪は去った」

 

「去った……じゃありません!!」

 

「うにゃん!」

 

 黒猫の頭をはたき、ツッコミを入れるロスヴァイセ。

 結界を解除したことで黒歌だけでなく自分たちの存在も露見してしまった。

 そもそも今、彼女たちは完全に裸なのである。湯船にタオルを浸けてはいけないというマナーを守ったが故に、身を覆うものは一切持っていなかった。おまけに先ほどの術で湯の大半が吹き飛んでいるため、湯船に身を沈めることもできない。

 湯気が晴れれば、男性陣に自らの裸体を晒すことになる。覗きを働いておいて何だが、女の心情的にやっぱりそれは嫌だった。

 

「ふふふ、心配いらないにゃん」

 

「は?」

 

 疑問符を浮かべるロスヴァイセ。理由を聞こうとするが、突然湯気が晴れた。

 鬱陶しいとばかりにヴァーリが魔力で風を起こしたのだ。

 

「きゃっ! み、見ないでくださ――あ、あれ?」

 

 白い裸体を手で覆い隠すロスヴァイセだったが、違和感に声を上げる。

 見ると、身体の重要な部分――胸の先端付近や、下腹部辺りが湯気のような白い靄で覆われていた。

 

「……なんですか、これ?」

 

「私特製の局所隠蔽術、『絶対規制光』にゃん。これがあれば、着けてなくても穿いてなくても安心よ」

 

 そう言って、指をブイ字にピースする黒歌。

 見れば彼女の大事な部分も不自然なまでに輝く光の帯によって隠されている。それでも揺れるダイナマイトボディがわかるのは彼女ならではだ。

 

「本当だ真っ黒い影で何も見えない。いやー、危ないなぁ、天使に異性の裸は天敵なんだよねぇ」

 

「何だこのマークは……翼の生えた、D? 幻か何かか?」

 

 デュリオもヴァーリも同じような状況らしい。

 各人で見えているもの、隠しているものは違うようだが、どうやらこの術は全員にかかっているようだった。ロスヴァイセからも彼らの大事な所は見えない。

 ひとまず安心と一息吐くロスヴァイセ。

 しかし。

 

「俺は見えてるが」

 

「え?」

 

 発言の主は修太郎だ。

 まさか、と黒歌に振り向く。

 

「ま、まあこれ幻術だし」

 

 そう言って、目線を逸らされた。

 ぎぎぎ、と修太郎を見る。

 

「修太郎さん、も、もしかして、私のも……?」

 

「ああ。美しい身体だ。節制しているのだな。たいへん素晴らしい」

 

 返答はサムズアップ。 

 流石は半神ヴァルキリー。長身のすらりとした肢体は、痩せていると言うよりも引き締まっていると評価する方が正しく、しかしそれでいて女性的なラインは十分以上に豊かで、乳房もヒップも常人のそれとは一線を画す美しさだ。

 そんな彼女を眺める修太郎はGJ(グッジョブ)とでも言わんばかりだったが、まったく無表情なのがとても腹立たしい。

 

「まさかキミまでいたとは予想外だが……それよりも――」

 

「ははは、破廉恥ですっ! い、一度までならず二度までもっ! せ、責任! 責任とってください!」

 

 今度こそ身体を隠すロスヴァイセ。

 この場合責任を取るべきは色々ミスした黒歌の方だったりするのだが、混乱する彼女にとってはどっちでも同じだった。

 

「いや、それよりもだなロスヴァイセ」

 

「それよりもとは何ですか! 乙女の恥を甘く見てるんですか! まったく、あなたはいつも――」

 

「それよりも、だ。後ろでルフェイが倒れているぞ。大丈夫なのか?」

 

「へ?」

 

「あ、本当にゃん。のぼせちゃったのね」

 

 水深を大きく下げた湯船に、目を回した少女がぐったりと浮かんでいる。

 どうやら、未だ成長途上の少女にとって、今宵のハプニングは刺激が強すぎたようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

「――ん、ううん……」

 

 光を感じて目を開ける。

 ぼんやりとする頭は急な覚醒にやはりうまく働いてくれない。

 はて、自分は何をしてこんなことになっているのだろうか……少女・ルフェイは現状を確認すべく、周囲を窺おうとして――思い出した。

 

「…………あぅあぅ……」

 

 自分の顔に体温が集まってくるのを感じる。

 思い浮かぶのは男たちの肌色と、逞しく盛り上がった肉の線。手で顔を覆って光を遮断しても目蓋の裏から消えてくれない。

 頭の中で現在考案中の術式理論を並べ立て、整理することで精神の安定化を図る。

 数分ほどして、ようやく頭が冷えてはっきりしてきた。改めて目を覚ます。

 その直後だった。

 

「目が覚めたようだな」

 

「うひゃう!?」

 

 横合いからかかった声に、飛び起きる。

 首を振り向かせると、鋭い目つきの無表情があった。

 

「シュウお兄さん……」

 

 修太郎は一つ頷くと、水差しからグラスに水を注いで渡してくる。

 そういえば、とても喉が渇いている。ありがたくそれを受け取り、口を付けた。冷たく冷えた液体が、喉だけでなく身体全体を潤していくのが感じ取れる。思わずほっ、と息を吐く。

 ルフェイたちがいる部屋は、どうやら和室のようだった。一面の畳張り、壁には掛け軸が飾られ、真贋は定かではないが日本刀まで置かれている。別荘は洋館だったはずだが……露天温泉があるのだから、今更な疑問だった。

 ルフェイは畳に敷かれたマット――布団に寝かされていたようだ。いつのまにやら着替えも済まされたようで、確かジャパニーズ浴衣……だったろうか。全体的にすーすーして着慣れない感じが微妙に落ち着かない。

 

「キミは風呂でのぼせたのだ。すまないな、クロが無茶をした」

 

「い、いえ。その……」

 

「まだ顔が赤いな。『黄金の夜明け団(ゴールデン・ドーン)』にはマグレガー殿から連絡がいっているようだ。今日はゆっくりしていくといい、とのことだぞ。安心するといい」

 

「あ、ありがとうございます。あの、他の方は……」

 

 それは安心だが、今はそんなことよりも浴場での光景を思い出してしまうせいで修太郎の顔が真っ直ぐ見れなかった。おそらく、他の男性メンバーでも同じだろう。もしもここに男が全員やってきた場合、また気絶してしまいそうだ。

 ルフェイの問いに修太郎は澱みなく答え始める。

 

「美猴はまだ気絶している。ヴァーリは練武場だな。デュリオはマグレガー殿と話し合いをしているようだ。クロとロスヴァイセは……二人で酒盛りだ。何やら色々と話している。明日に響かなければいいが、あの様子だとまあ無理だろうな」

 

 だから修太郎が看病していたらしい。

 思わずくすりと笑いが出た。

 修太郎の視線に疑問の気配が混じったのを感じる。

 

「いえ、今日の皆さまを見ていて、仲が良いなと思って……」

 

「そうか? 確かに想定よりはうまくやれているが……」

 

 ヴァーリと美猴辺りはすぐに抜けるものと思っていたからな、と修太郎。

 確かにあの二人は彼らの中でも一等の問題児だろう。その気になればいつでもチームから独立して活動を行うはずだ。しかし、今のところそれが起きていないのも事実。だから面白い。ルフェイはそう思った。

 

「私は良いチームだと思います。面白いです」

 

「……そうだろうか? 割と物騒だと思うが……」

 

 修太郎は合点がいかない様子だ。

 しかしふと何かを思い出したのか、空中に向けた視線をルフェイの方に戻した。

 

「ああ、そうだ。気になったことがあるのだが、聞いてもいいか?」

 

「えーっと、何でしょう?」

 

「随分今更だが……キミは何故ここにいる?」

 

 本当に今更だった。

 ルフェイがここにいる理由は単純、黒歌に連れてこられたからだ。

 修太郎とはそれなりに話したが、黒歌は寝ていたのでほとんど会話できていない。おそらくはその関係だ。そう伝える。

 

「まったく、あいつときたら……悪いな」

 

 嘆息する修太郎だが、怒っているような雰囲気は感じない。単に呆れているのだろう。

 そんな彼を見て、ルフェイはあることを思い出す。

 

「あ、でも私もシュウお兄さんにお聞きしたいことがありました」

 

「なんだ?」

 

 考えるのは兄アーサーのこと。彼が今携わっている仕事について。

 

「1週間以上前に来た手紙の内容なのですが、お兄さまは現在とある魔剣を追っているのだそうです」

 

「魔剣?」

 

「はい。と言うのも、その魔剣は人を操り魔を狩るのだそうで、地方を管理する上級悪魔すら大怪我を負う代物なのだとか」

 

「上級悪魔を倒し得る魔剣か……それで?」

 

 修太郎が話の続きを促す。

 ルフェイの予想によれば、その魔剣は修太郎にとっても決して無関係ではない。なぜなら――。

 

「魔剣の正体は一振りの日本刀です。確認されただけでも100近い魔物を屠っていて、ついた仇名は『黄昏の牙』。その由来は夕暮れのような緋色の刃(・・・・)にあります。シュウお兄さん、心当たりは?」

 

 ルフェイの言葉を聞き、修太郎の纏う雰囲気が様変わりする。

 研ぎ澄まされた、真剣の気配。冷たさすら感じる空気に、思わず背筋を震わせてしまう。

 それはそうだろう。先ほどの話は、彼にとって心当たりがあるなんてものではないからだ。

 

「ルフェイ、アーサーは今どこにいる?」

 

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

 茜色の空に夕日が差す。

 立ち並ぶ建物が西日を受けて影を作り、路地裏の薄暗闇はその濃さを一層増していく。

 散乱するごみと、室外機から排出される生暖かい風によって澱んだ空気の中、男は一人走っていた。

 

「はあっ、はあっ、はあっ……!」

 

 吐く息も荒く必死な顔には、恐怖の感情が貼り付いている。高級感を感じさせる意匠のコートとスーツはその端々を無残に切り裂かれ、鮮血をにじませていた。

 恥も外聞もなく、時に転びながら逃げ回る男の正体は、人間ではなかった。上級悪魔に才能を見出され、人から転生した悪魔である。

 彼はある日、主より駒を受け取り、類まれなる膂力と頑強さを手に入れた。その力たるや人だった頃と比べるべくもなく、かつてであれば泣いて命乞いをした化け物どもも、腕力のみでねじ伏せることが出来た。

 

 だがそれがいけなかった。突然手に入った力に男は増長し、背後から主の不意を討って逃げ出してしまったのだ。

 主の上級悪魔は契約を重んじ規律に厳しい人物だったが、男にとってはそれが窮屈に思えてならなかった。だから逃げた。己は強くなったのだから、わざわざいけ好かない相手の下に付く必要も無い。

 そうして男は人間界で好きに生きることにした。当然『はぐれ』として扱われたが、それがどうしたというのだろう。

 この世は弱肉強食。強き者こそが多くを得、弱き者はただ奪われるのみ。かつては男も後者であったが、今は違う。

 気の向くままに奪い、貪り、暴力を振るった。誰も己を止めることはできない。頻繁にあった冥界からの追撃もテロの影響で少なくなり、男の人生は絶頂期にあった。

 昨日までは。

 

 今、男は逃げている。胸に恐怖を抱きつつ、無様に。今の彼は紛れもなく弱者であり、強者に喰われる哀れな獲物に過ぎなかった。

 こんなはずではなかった。

 胸中を駆け巡る戸惑いと絶望に呼吸が落ち着かず、身体が思うように動かない。久方ぶりに味わう感情に、男の精神は追いついていなかった。

 曲がり角の壁を伝う配管に足が引っ掛かり、勢いよく転ぶ。これで何度目になるだろう。

 

 逃亡が妨げられたことに、憤るよりも焦りが募る。

 後ろから追いかけてくる。『あれ』が追いかけてくるのだ。

 『あれ』には勝てない。ゆえに、逃げなくてはならない。

 背後から、路地を踏みしめる音がする。

 

「ひっ!?」

 

 耳の奥に警報の大音響を聞きながら、男はゆっくりと振り向く。とうとう追いつかれてしまった。

 薄暗闇の中、美しき鋼が姿を現す。

 それは一振りの太刀だった。

 おぼろげに浮かび上がるオーラは無垢そのもの。禍々しさなどという負の要素は一切排除され、だからこそどこまでも純粋にその用途を示していた。

 

 すなわち、斬り、そして断つ。

 

 刃金が備えるべき真のかたちがそこにあった。

 太刀の持ち主は、年端も行かない少女だ。

 薄っすらと輝く緋色の刀身に、炎の刃紋が妖しく揺らめく。燃える黄昏、日暮れ時の色だ。その色合いには、吸い込まれそうな絶対の殺意が込められていた。

 絶句する。

 と、同時、緋色の刃が目の前にあった。

 

「――ッ!」

 

 間一髪命を拾った男は、鼻先を掠める刃を見送って背後に跳躍。死地からの離脱を図る。

 だがその行動は無駄に終わった。相手は壁に囲まれた路地裏をしなやかな獣がごとく縦横無尽に跳躍し、男に追いすがってくる。

 身に纏う制服と体格を見るならば、相手の年頃は中学生あたりが妥当だろう。しかしながら振るう剣の鋭さは極まった使い手のそれ。

 未だ男が四肢の一本も失っていないのは、単純に刃を握る相手が肉体的に脆弱であるからだ。人外の視点から見れば、少女の挙動はあくびが出るほど遅かった。

 そう、相手の身体能力はこちらよりもはるかに劣っているはずだ。

 それでも湧き上がる恐れを止めることができない。勝てる光景が欠片も思い浮かばなかった。

 

「畜生ッ!!」

 

 身を覆うオーラを固め、拳を繰り出す。

 鋭く速く、重いジャブ。『戦車』の強靭な腕力から放たれるそれは、少女の身体などたやすく粉砕するだろう。

 しかし、結果はまるで逆だった。

 刃が踊るように舞う。緋色の軌跡が中空で幾重もの弧を描き、操り人形がごとく不可思議な動きを見せた。

 月緒流剣術が斬法『弓繰(ゆみくり)』。精妙且つ流麗な指先の操作が慮外の斬撃軌道を生み出す。

 直後、真紅の花が咲く。

 

「ぎゃあああああっ!?」

 

 男の腕は肉を骨から引き剥がされ、鮮血と共に赤々と花開く無残な姿を晒していた。

 オーラの防御も『戦車』の特性も、刃の前にはまったくの無意味。なぜならあれはそういうものだ

 ――退魔の力。

 光とは似て非なる、魔を殺すための猛毒だ。神が聖槍を前にして不死を失うように、あの刃の前では如何なる魔の護りも砕かれるが必然となる。少なくとも、男程度の実力では抗う術など皆無だった。

 自分はここで死ぬのだ。魂の奥底に侵食する激痛が、男の精神を微塵に打ち砕く。

 

「う、うわああああああっ!! 死ねッ! 死ねぇええええッ!!」

 

 遮二無二繰り出す両腕に、自慢の拳はもはや無い。振るった勢いの慣性を受けて、赤く濡れたむき出しの骨があらぬ方向に折れ曲がる。神経のちぎれる痛みすら、恐慌をきたした男は感じ取ることができなかった。

 希望は無く、助けは来ない。男の命運はもはや尽きた。

 振り回される腕の残骸は少女に血の一滴も浴びせることすらできず、無慈悲な緋色が三度閃く。

 

「――――」

 

 泣き別れになる腕と首。

 力なく倒れる死骸は、鮮血が噴出すより前に灰と消える。退魔の力が悪魔の身体に滅びをもたらしたのだ。

 それを見届けた少女は無感情に刃を鞘に納めると、踵を返して路地裏から出ようと歩き出す。

 途端、少女の身体が軋みを上げた。全身から力が抜ける。姿勢を保つことができない。太刀を杖にして座り込むのが精一杯だった。

 

 ――この身体は限界だ。

 そう考えるのは少女ではない。少女が握る緋色の太刀だ。

 

 太刀は思う。

 やはり(・・・)、と。

 やはり普通の人間では自身が持つ剣技を使うことはできないのだ、と。

 他の土地でもそうだった。自身を握った者は誰一人として与えた力に耐えることができない。その中には戦士としての経験を積んだ屈強な者もいたが、数度使えば容易に壊れた。

 

 太刀が担い手に与える力は、如何なる魔をも切り裂く刃と、人の極致に立つ剣だ。真に太刀を操りたいと願うならば、極限を極めた先を歩む剣士でなければならない。

 一般人ではどれだけ鍛えていても一度扱うのが関の山。それでも、太刀には自身を運ぶ身体が必要だった。

 太刀は人間を呼び寄せて、自身を握らせることで旅をしていた。真の担い手を探すためだ。

 

 人の究極、神域の剣士。かつて自身を操り、その莫大な念を己が緋色の刃に焼き付けた者。世界のどこかにいるはずだ。その者こそが、その者だけが、自身を支配し『剣』として使うことができる。

 だから、この身体を捨て次の身体を得なければ。

 

 現在太刀を握る少女は悪魔を殺したいと願っていた。彼女の両親は、はぐれ悪魔に奪われたからだ。

 先ほど滅した男が少女の仇だったかどうかは知らない。だが、少女の心がわずかに軽くなったのを太刀は感じ取った。これで彼女は前に歩き出すことができるだろう。もっとも、その結果は太刀が明確に意図したものではないのだが。

 

 まあ、そのようなことはどうでもよい。

 座り込む少女の腕がわずかに動く。太刀の刃を少し抜き、また納めれば、透き通るような刃鳴りの音が響き渡る。普通の者には聞こえず、ある程度の霊的素養を持つ者だけに聞こえる音だ。

 気付けば誰かがやってくるだろう。少女の身体は適当な人物――できれば女性が望ましいか――に任せればよい。他の土地に比べれば、この土地は格段に治安の良い土地だ。それだけで少女はどうにでもなる。身体を治した後は好きにすればいい。

 

 担い手の気配は近い。

 神州日本。自らが打ち鍛えられた国は、担い手の故郷でもある。

 器物はその用途を果たすことこそが本懐。衣ならば纏われること、履物ならば履かれること、太刀ならば無論『斬ること』だ。彼ならばきっと、自分を存分に振るえるだろう。

 無垢なる刃はただ、夢を見るかのように思いを馳せるのみ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 太刀が目指す場所は人の言葉でこう呼ばれる――『駒王町』。

 三大勢力の和平が締結された記念の場。そして、現在進行形で異形が集う魔境であった。

 太刀はそれを知らない。知るわけもない。

 そして、自身を狙う影が近づいていることも、また知らない。

 

 退魔の権化、その影を宿す緋色の刃は、己が存在意義を果たすべくその時を待つだけだった。

 




主人公「自分AT-X入ってるので」

大変お待たせしました。やっとこさ更新です。
なぜこんな話にこんなに時間を……。

さて、新刊も出て色々と新設定も出ましたが、個人的には教会爺ズの規格外っぷりよりもインシネレート・アンセムが独立具現型だったことに驚きました。っていうか彼女『刃狗』側のキャラかよ!
ちなみにこの話の彼女は保護されて堕天使側の施設に移送されました。鳶雄とは何やら因縁があるようなので、普通なら神滅具抜かれそうですが……どうしましょう。
何にせよ、今回の話は疲れた。

次回は愛刀が暴れます。

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