「はっ!!」
大上段に構え、木刀を振り下ろす。
脱力から瞬時に緊張、彼に教えてもらった斬撃の挙動は未だ完璧とは言えないが、それでも何とか形になってきた。
9月も半ば、早朝の空気は冷気を帯びて、少女――ゼノヴィアの火照った肌を冷やしてくれる。
場所は公園奥の森に面した広場。朝の人通りは少なく、集中するにはもってこいの場所だった。
ジョギングを経て恒例の素振りはもう千回を優に超えている。それでもまだまだ、と思う気持ちは消えない。この程度では彼に届かない。
「やあっ!!」
脳裏に描くのはいつか彼――修太郎が自分に見せた『大剣の使い方』。ゼノヴィアが目指し、そして超えるべき剣術の型だ。
呼吸を整え、動きをなぞる。
鋭く、速く、力強く、彼の大きな体格で振るわれる剣を、自身の体格に落とし込み最適化させる。
「ふっ!!」
集中に集中を重ね、斬撃に没頭していく。
結局、教えられた座禅はゼノヴィアに向かないことがわかった。そう彼に伝えると、じっとしていることが出来ないのなら逆に動き続けろと言われたので、そうしている今がある。
斬りおろし、斬り上げ、薙ぎ、突く。
空気を斬り裂く剛剣の技は、以前に増して鋭くなっていた。
彼の動きを真似るにあたって実感できたことがある。それは力を追求するにも技が必要であるということ。
腕力に物を言わせるだけでは駄目なのだ。重心の移動、踏み込みのタイミング、筋肉の連動などなど、改善する点はいくらでもあった。
見様見真似だけでこれなのだから、やはり彼は凄い。自分の目に狂いは無かったとゼノヴィアは思う。あまり相手にされないのが辛いところだけれど。
踏み込み、下がり、また前に出る。
もっと、もっと速く、もっと強く。
身体を巡る熱に身を任せる中、逆に思考は冷えていく。
感覚のままどうすれば鋭い剣が放てるか、だんだんとわかってくる。集中している実感があった。それが心地良い。
もはや何度素振りをしたかなどわからない。しかしそれの何処に問題があるのだろうか? こんなにも楽しいのに。
冷たい思考のままテンションだけ上昇していく感覚が、ゼノヴィアの剣閃をどんどん鋭いものにしていく。もう少しで空さえ斬り裂けそうだと振りかぶったその時、けたたましい音が鳴り響く。
携帯電話のアラームだ。
その音を聞いてやっと、ゼノヴィアの動きが止まった。
後5分……。
そう言いたい衝動を押さえつつ、アラームを止める。
以前集中し過ぎて学校に遅刻したので、前もって設定していたのだが、何と言うか水を差された気分だった。
だが仕方がない。時間ならば支度をせねばならない。
ゼノヴィアは汗でぐっしょり濡れていた。それほどまでに集中していたのだろうが、スポーツウェアが肌に張り付いて若干気持ちが悪い。
部屋に帰ったらシャワーを浴びなければ。流石のゼノヴィアも汗臭いまま学校に行くのは避けたかった。
とりあえず肌を伝う雫をタオルでふき取り、ジョギングついでに走りながらマンションへと戻る。
マンションにたどり着いたゼノヴィアは、郵便入れに手紙が投函されていることに気付く。宛名を見ると、見知った人物だった。
「イリナからか」
手紙は京都の紫藤イリナからだ。
修太郎の紹介で京都陰陽師に預けられた彼女は、そこで陰陽隠密の修練を受けているのだと言う。
陰陽隠密とは、つまり陰陽師のNINJA。ゼノヴィアはそう理解した。
NINJAとはSHINOBI、イリナは女なのでKUNOICHIと呼ぶのだっただろうか。彼らは日本一強い戦士集団だと聞いている。となるとおそらく、修太郎も同様の修練を積んだに違いない。彼の家はSAMURAIらしいから、多分NINJAでSAMURAIのハイブリットなのだろう。だからあんなに強いのだ。何にせよ、イリナの待遇は実に羨ましい。
イリナはどうも山に籠ることが多いらしく、手紙が来るのは不定期だった。
彼女からの報告はとても楽しげで、元気にやっているのがはっきり伝わってくる。主に修行内容や人間関係を書いているイリナに対し、ゼノヴィアは悪魔生活や学園でのことを書いて返信していた。この文通にはアーシアも参加しており、今頃彼女の所にもイリナの手紙が届いているはずだ。
今度はどんな話があったのだろうか。毎回だが、とても気になった。
部屋に戻ってシャワーを浴び制服に着替えたゼノヴィアは、朝食の惣菜パンを食べつつさっそく手紙を読むことにした。
まだアーシアたちが迎えに来ないので、それを待つ意味も含めてだ。
手紙によると、この町に帰って来ることになったらしい。
追い出されたのかと思えばそうではなく、流石にこれ以上世話になるわけにもいかないので、自分から出て行くことにしたのだと書いてあった。そもそも、元々の滞在予定期間は一か月だったのだと言う。
いつ戻るかと言えば、なんと今日。部活動が終わった後、迎えに行かなければ。
久しぶりに彼女と会えることは、ゼノヴィアにとって朗報だ。アーシアもきっと喜んでいるだろう。
イリナが元気なのは間違いない。それよりもどれほど強くなったかが気になった。NINJAの技を修めたというなら、相当腕を上げたのだろう。今から再開するのが楽しみだ。
楽しみ、と言えば学園も体育祭が近い。
公開授業に続き、学園で行う特別なイベントとなればテンションは嫌が応にも高まる。
運動が好きなゼノヴィアとしては、活躍するのに絶好の場となるだろう。公開授業の時はあまりうまくいかなかったが、もしもここで一位を取ることができれば、修太郎も褒めてくれるかもしれない。
シトリー眷族を鍛えた関係からか、最近は彼の対応も柔らかくなってきた気がする。
模擬戦後の指摘が積極的になり、動きの解説も時々だがしてくれるようになった。それでもやはり、もうちょっとだけ深い指導をしてほしいと思うのだ。
ゼノヴィアにとって、暮修太郎とは憧れであり、目標である。
聖剣も使わず、魔剣に選ばれたわけでもなく、自身の実力のみでそれらを超える剣を生み出す人の究極、神域の剣士。初めて戦う姿を見たその時から、目に焼き付いた刃の軌跡がゼノヴィアを魅了していた。
「この世に断てぬものは無い」とでも言わんばかりの鋭さは、今までゼノヴィアが見た中でも間違いなく最高峰に位置している。だからこそ自らもその領域に立ちたいと思った。
ゼノヴィアは、彼の見る景色が知りたかった。
それならばもっと彼のことを理解する必要がある。
思えば、ゼノヴィアは彼の来歴をあまりよく知らない。
日本最新の英雄で、数多の妖魔を討滅し、恐ろしき魔人を倒した人物。欧州最強の剣士でもあり、現白龍皇と真っ向から戦って勝てるほどの実力者。とにかく強い。知っていることと言えばそれくらいだ。あとは黒歌をとても大事にしていて、懇ろな仲であるということぐらいか。
彼は激戦の中で何を思い、どうやって強くなったのだろう。
知りたい。けれど、踏み入った話を聞くのに今のゼノヴィアでは親密さが足りない。
もっと親しくならなければ。そんな結論を出したゼノヴィアだが、肝心の方法がわからない。
悩んだ末、ゼノヴィアは他人に相談することにした。その結果として心強い味方になったのは、クラスメイトの桐生藍華という少女だ。
『無表情で、無愛想で、人でも殺してそうな恐ろしい目つきの、つれない男性と親しくなるためには?』
そう聞いたところ、的確(?)な返事が返ってきたのが彼女だけだったのだ。
アドバイスに従い下着姿で訪問してみたり(しばらくシカトされた)、故意に胸を押し付けてみたり(何度もやったら投げられた)、イリナを参考に甘えた声を出したり(可哀想な子を見る目をされた)、わざと汗で透けるような服を着て修行に臨んだり(無言で自分の上着を着せてくれた)したが、現状あまりうまくいっていない。
と言うか、女としてのプライドがズタズタに斬り裂かれただけだったりする。
だが相談する相手がいるのといないのとでは安心感が違う。アーシア繋がりで知り合った桐生だが、今ではゼノヴィアにとってもかけがえのない友人となっていた。
最近の彼はとても忙しいようだ。体育祭に誘ったとしても来てくれるだろうか。
一誠の両親は来るだろう。リアスの家族もやって来るかもしれない。黒歌が小猫を見に来るなら、修太郎が来たっておかしくはない。
彼が帰ってきたら、少し聞いてみよう。
それに次のレーティングゲームも近い。何かといけ好かない相手のようだが、今度こそ活躍して見せる。
意気込み新たに拳を握るゼノヴィア。
その時、インターホンが鳴る音が聞こえた。おそらく、アーシアたちが迎えに来たのだろう。
本日も、楽しい学園生活の始まりだった。
―○●○―
授業を終えた放課後、兵藤一誠らグレモリー眷族は旧校舎の部室に集まっていた。今後開催される若手対抗のレーティングゲームについて話し合うためだ。
グレモリー家とシトリー家以外にも、若手悪魔たちはゲームを行っている。
映像記録の観賞はアザゼルの解説も交えて進められた。
まずはバアル家対グラシャラボラス家。
若手最強と名高いサイラオーグ・バアルの圧倒的戦闘力は、一誠たちに衝撃をもたらした。闘気の鎧によって相手の攻撃を一切受け付けず、正面から殴り飛ばしていくさまはいっそ清々しくさえある。はたして今の一誠が敵う相手だろうか?
それでいて、彼は悪魔としての才能に恵まれなかった者であると言う。尋常ではない鍛錬に裏打ちされた自信が、サイラオーグにはあるのだ。故にこそ、あそこまでまっすぐに突き進むことができるのだろう。
「……この人なら、闘気を使わなくても勝てたはずですが」
口に出したのは小猫だ。
仙術かどうかの違いはあれど、同じ闘気の使い手として疑問に思ったのだろう。ここで手の内を晒すのは悪手ではないか、と。
アザゼルは答える。
「本人の性格が性格だから何とも言えんが……そうだな、原因を挙げるなら暮を意識してるんだろう」
「暮さんを?」
「言っちゃあなんだが、あいつとヴァーリの映像記録は上級悪魔の貴族の間でそれなりに出回っていてな」
何せ接触禁忌指定の人間と、ルシファーの子孫である白龍皇の激突だ。資料としての価値は十分以上。今現在、若手対抗戦に参加している家の者たちは、まず確認しているはずだった。
修太郎はサイラオーグと同じ闘気を使い、且つ彼よりも卓越した技量を持っている。己の肉体を重視した戦闘法も共通していることから、意識するのも無理からぬことだろう。
大王バアルの次期当主は人に名高き月緒の最強にも劣らない、そう言いたいのかもしれない。
次はアガレス家対アスタロト家。
ゲーム開始当初はアスタロト側の攻勢が目立ったものの、徐々にアガレスが圧倒し始めた。
アガレス家次期当主、シーグヴァイラ・アガレスはソーナと同じく作戦を練って事に当たるタイプだ。つまりアスタロトは策に嵌まってしまったのだろう。巧みな試合運びに追い詰められ、一人、また一人と
元々が人数で劣るアスタロトは、最終的に『王』一人を残して全滅、ほどなくしてアガレス家が勝利を収めた。
「……順当ね」
リアスの呟きに皆が同意した。特に意外な展開も無く、下馬評通りの結末だ。
アスタロト側も弱かったわけではないのだが、地力も人数も劣っていたうえで策に嵌まってしまえば勝ち目は無くなる。
「ディオドラ・アスタロト……」
一誠が考えるのは、アスタロト家次期当主ディオドラ・アスタロトについて。
シトリー眷族とのゲームを終えて数日、ディオドラは一誠の家を訪れ、アーシアにこう告げた。
『キミを迎えに来た。アーシア・アルジェント、僕の妻になってほしい。――キミを愛しているんだ』
あまりにも唐突な告白に驚いた一誠は、ディオドラがアーシアの手に口づけることを許してしまった。
何でもディオドラはかつてアーシアの神器によって命を救われた悪魔だったらしい。治療の際アーシアに好意を抱いたとのことだが、つまりは彼女が教会から追放される原因となった存在だということ。
彼が現れなければアーシアは今も教会で聖女として働くことができたはず。しかしそうなると彼女はこの町にやって来ることはなく、一誠と出会うことも無かっただろう。いけ好かない気持ちは強いものの、心中は複雑な思いで一杯だった。
そうして連日届くディオドラからの贈り物。
そのどれもが一誠などでは手も出ない高価な品物で、相手の財力を思い知らされた。おまけに本人も甘いマスクの美男子であり、気品も上級悪魔の貴族としてふさわしいものがある。ディオドラは、世の女の子ならば誰もが憧れる王子様のような青年なのだ。
もしかするとアーシアは一誠の手を離れて彼の下に行ってしまうかもしれない。アーシアは大事な女の子だが、恋人でもない一誠が彼女の自由を束縛する権利など持てるはずもない。悩みに悩んで、その光景を悪夢にさえ見るほどだ。
が、その問題は当のアーシア本人から否定された。
曰く、お嫁に行くつもりなど無い、とのこと。
そもそも、主であるリアスを含めて眷族一同がディオドラにあまり良い感情を抱いていない。実のところプレゼントの山も迷惑なだけであるし、そのたびに恐縮するアーシアを見てしまえば良い印象など持てるはずも無かった。
ともかくひとまず安心と息を吐く一誠だったが、そのディオドラが次回行なわれるゲームの対戦相手であるらしい。
現魔王ベルゼブブの血族であるディオドラ。先ほどの映像を見る限り、油断はできないが勝てない相手ではない。サイラオーグ・バアルと比べれば付け入る隙は多いように見えた。
何にせよ、どのような相手であろうと負けるわけにはいかない。今度こそ勝ち星を飾るのだ。
「さて、そのディオドラがお前らの次戦う相手になるが……」
「ええ、わかっているわ。相手眷族の情報は集めてある」
そう言って、リアスが書類の束を机の上に置いた。
「ほう、仕事が速いな」
「勝率が高いとはいえ、最大限できることはしておかないとね。何より、今回こそは負けられない」
リアスの言葉には気合いが溢れていた。全力で叩き潰すと言わんばかりにオーラすら立ち昇らせている。
広げた書類にはアスタロト眷族メンバーの顔写真を始め、プロフィールがわかる限り記載されていた。
「流石に全て事細かく、というわけにはいきませんわね」
一枚手に取り、内容を見て朱乃が呟く。
「私の伝手ではこれが限界よ。出来る限り分析してみましょう」
リアスの言葉に従い、一同が書類に目を向けようとした――その時だった。
部室の片隅が突如輝く。転移魔法陣だ。
一誠にとっては見覚えの無い紋様だがしかし、リアスや朱乃はそれを見て驚きの表情を浮かべる。
なぜならば、その紋様こそ彼女らが近い将来戦うべき相手を示すものであったからだ。
転移の閃光が治まると、笑顔を浮かべる美青年の姿。
「ごきげんよう、ディオドラ・アスタロトです。会いに来たよ、アーシア」
―○●○―
ひどい。
ひどい気配だ。
どこを向いても感じる力の残滓は、この世の存在が発するものではない。
人には感じ取れない領域に魔的な乱流が渦巻いている。それらは町全体を取り巻き、魔都としての因果を形成しつつあった。これは明らかに尋常ではない。
名も知らぬ男の身体を借りて、緋色の太刀は状況を分析した。
雑多に混じりあう人外の気。その中枢を探るべく、歩みを進める。
しばらくすると、人の気配が集まる建物に着いた。
知っている。ここは学校という施設だ。
太刀がまだ意思を持たなかった頃、主が通っていた場所でもある。無論、このような魔境ではなかったが。
悪魔、天使、堕天使、妖怪、そして……これは、龍。
どれも強い気を発しているが、特に堕天使と思しき者は格が違う。明らかにこの場に居ていい存在ではない。
排除せねば。
斬らねばならない。
それこそが自身の存在意義なのだから。
学校に足を踏み入れ、目的の場所に向かう。
周囲の人間――おそらくは学校の生徒――から奇異の視線が注がれた。
確かに、今操っている男はこの場に似つかわしい恰好ではない。所謂ヤクザ者と呼ばれる素性の人間だ。一般人にしては優れた肉体を持っているため選んだのだが、今回に限りそれが裏目になってしまったようだ。袋に入れて隠しているとはいえ、長物を持っているのも怪しまれる要素になっているのだろう。
故に、立ちはだかる者が現れるのは必然だった。
「そこの方、すみませんが何の用があってここに――」
駆けてくるのは一人の少年。その後に数名の少女が続く。
悪魔だ。少年の方には龍も混じっている。
目的地はすぐそこ。不思議と人の気配は少ない。人払いでもかけているのか、あるいは元々人の立ち寄らない区画なのかもしれない。
何にせよ、彼らは邪魔だ。
様々な問いかけをする少年だが、生憎と太刀に会話する機能は無い。そも、会話する気など微塵も無かった。
故に。
「――匙、危ない!」
抜刀。緋色の閃光が音も無く宙を走る。
少女の一人が発した声を聞き、とっさに後ろへ跳んで躱す少年。良い反応だが、しかし。
「ぐっ……これはッ……!」
束ねられた剣圧は斬風となり、刃の間合いを倍以上に伸長させる。
少年は胸を真一文字に斬り裂かれ、血を吐きながら倒れ伏した。
「元ちゃん!?」
「元士郎先輩!!」
慌て駆け寄る少女たち。
それに対し、返す刃でもう一度斬撃の風を放とうと手首を返すが――。
「――やらせない」
一振りの刀がそれを阻む。
見れば、先ほど少年へ忠告を発した少女が行く手を塞いでいた。
身のこなしといい、斬撃を見切った目の良さといい、かなりの手練れだと判断する。少なくとも、今まで斬ってきたはぐれ悪魔などよりは格段に
始まる剣戟合戦は、刃を数十重ねるまで続く。
少女は紛れもなく強者であった。掠める鋼の冷たい温度が、弾ける火花の熱が、男の身体を通して太刀に伝わってくる。
思った通り、相手は非常に目が良い。いや、
しかし、それでは中途半端。
見るがいい、かつての主が振るった秘剣を。
大きく地を蹴り突進する。
踏み込みの脚を地に着けるより速く、背後に引き絞った腕を一文字に振りぬく。
刃に乗る力は腕の振りぬきと最初の蹴り脚から伝わるもののみ。突き技ならばともかく、横薙ぎでは大した威力にならない。速度はあったとしても悪手であることに疑いようは無く、常識外の見切りを持つ少女であれば、それは一目瞭然だっただろう。
故に、斬撃は当たり前のように防がれる。
だがそれこそが、こちらの狙いだった。
その瞬間、最小の動きで引き戻された刃は動きを反転させ、虚空を貫く一矢となる。
踏み込みの脚は地面に着かず、突進は未だ続いたまま。薙ぎから突きへの転換は完璧に行われた。相手から見ると、受けた剣が急に消えて見えただろう。そして現れる鋭い突き。はたしてこの一撃を躱せるか?
これは月緒の剣ではない。かつて主が対峙し、打ち倒した剣士の技。
名を『影射抜』。
暗殺剣法の奥義、一度限りの必殺剣である。
しかし少女もさる者。
とっさに身体を捻ったことで、心の臓を狙った突きは肩を貫くにとどまる。
やはり、この身体では速度が足りない。
「ぐっ……あ……ッ」
それでも太刀が持つ退魔の念が少女を死に近づける。
霊体を穿つ斬傷と魂の奥底にまで響く激痛は、それだけで戦闘不能に追い込むだけの効果があったのだ。
倒れた少女に、もはや立ち上がるだけの力は無かった。
「巡!!」
「巡先輩、今助けます!!」
降り注ぐ魔力光弾の雨。それを縫うように少女が駆ける。
連携の手並みは素晴らしい。だが無意味だ。せっかくの光弾雨も、仲間の通るルートを確保していてはこちらに利用されるだけ。
魔力弾の間を潜り、向かってくる少女に接近。少女が放った蹴りが最高速に達する前に、足首を掴む。
そのまま勢いを殺さず、振り回すように光弾雨へ向かって薙いだ。か細い身体が魔力の炸裂に襤褸と化す。
「あああああっ!?」
「仁村ッ!?」
自身の攻撃に仲間を巻き込んだことで、残った少女の動きが止まる。
その隙を逃す太刀ではない。
弾幕の直撃を受けて気絶した少女を投げつける。その陰に隠れるように、疾風の歩法で加速して急接近。宙を舞う少女ごと貫こうとするが――。
力が抜ける。
身体が倒れる。
常人に太刀の剣技を使わせるには、脳を含めた肉体のリミッターを外さなければならない。その反動が今やってきたのだ。
見積もりではもう少し持つはずだったが、こうなったのは先ほどの少女剣士が予想外に強かったせいだろう。何にせよ、もはやどうしようもなかった。
「きゃああっ!!」
投げられた少女――仁村を受け止めた花戒は、次に襲ってくるだろう攻撃を覚悟した。
こうなったら刺し違えてでも。
魔力を手の平に込め、凝縮させることで爆弾を作る。自分たち諸共吹き飛ばすつもりだった。
しかし――。
「……あれ?」
何もやってこない。
見ると、男は地面に倒れ伏して動かなくなっている。
いったいどうなっている。
突如として現れた侵入者。手に持つ刃はまさしく妖刀と呼べるもので、今も恐ろしいオーラを発している。はたして何を目的として学園に侵入し、そして何故急に倒れたのか。
疑問が頭を埋め尽くすが、周囲に倒れる仲間を見て思考を切り替える。
「皆を助けないと……そうだ、アーシアさん!」
理由は不明だが、敵が倒れているのならちょうどいい。
それよりも、仲間を癒さなければ。おそらくあの妖刀は何らかの特殊能力を持っている。でなければ匙や巡が
幸いアーシアがいる旧校舎はここから近い場所にある。ソーナへの連絡は魔力通信で済ませるとして、リアスにも報告しなければならないだろう。
倒れる男を魔力で拘束すると、花戒はアーシアを呼ぶために旧校舎へ走って行った。
残された太刀は悪魔が去ったことを確認すると、男の手を動かして刃鳴りの音を響かせた。
この学校……いや、この町は霊力の強い者が多い。ほどなくして誰かやってくるだろう。
太刀には悪意など一切無かった。何故なら太刀は器物であるからだ。
ただ、自身の存在意義を確立するだけ。それだけだ。
数分と経たず、人影が太刀の上に差す。
その人物は太刀を握り、鞘に納めると目的地に向かって歩き出した。
向かうは旧校舎。
目的は、密集する魔の討滅。
―○●○―
突然やってきたディオドラは、リアスとの話し合いを要求した。
内容は眷族のトレードについて。ずばり『僧侶』――アーシアとの交換だ。
無論、リアスは断った。
アーシアはもはや単なる下僕の一人ではない。家族――妹のような存在としてかけがえのないものになっている。それをぽっと出の、ましてや本当にアーシアを愛しているかすら定かではない輩に渡すなど、許容できるはずもないだろう。大体、トレードなどという手段で手に入れようという心構えが気に入らない。
言葉には出さないが、一誠を含む眷族全員が同じ気持ちだ。
完全なアウェーの中、ディオドラは笑みを絶やさない。それが不気味だった。
以前家に来た時には見られなかった自信のようなものが、今の彼から感じられる。
おかしい。彼はもっと焦っていいはずだ。アガレスに負け、グレモリーに対しても勝率は低く、後のバアルやシトリー、グラシャラボラスに勝てるとも限らない。
なぜならリアスの調べによると、彼は1年ほど前に多くの眷族を失っているからだ。原因まではわからなかったが、その数7人。フルメンバー15名の内、実に半分近い人数である。アガレスにあっさり負けたのも、人数で劣っていたのが大きい。
通常『悪魔の駒』の眷族が滅びた場合、希望すれば駒の再発行にて補填される。なるべく死亡要因を省いたレーティングゲームであっても、戦いである以上不慮の死は訪れるものであるし、それ以外の場面――たとえばエクソシストに討滅されるなどしていなくなることもあるからだ。
しかしそれには相応の手続きが必要で、時間もかかる。現役プレイヤーならともかく、ディオドラはまだ成人に達していないため優先度が低く、まだ発行されていないか、発行されたとしてもつい最近であるはずだった。どう考えてもゲームには間に合わない。
ディオドラは現魔王ベルゼブブの血族である。周囲からのプレッシャーも相当なものだろう。
にもかかわらずこの余裕。
どうにも解せない。彼に何があった?
訝しげな視線を向けるリアスに、しかしディオドラは笑顔のまま。
気持ちが悪い。
直感的にそう思った。
部屋を満たす拒絶の空気を感じ取ったのか、ディオドラは席を立つ。
「わかりました。今日はこれで失礼しましょう。ですが、僕は――」
「すみません! アーシアさんはいますか!?」
ディオドラの言葉を遮るように、大きな音を立てて部室の扉が開く。現れたのはシトリー眷族『僧侶』花戒桃だ。
血相を変えて部室に飛び込み、アーシアを見つけるとすぐさま駆け寄る。
「誰だい、キミは? 話の途中に入ってくるとは――」
「花戒さん、何かあったの?」
ディオドラの発言は無視して、リアスは花戒に問いかける。明らかに尋常な様子ではない。何かが起きたのだ。
「侵入者です。説明は良ければ道中で。とりあえず下手人は捕縛しましたが、怪我人が出たのでアーシアさんの力をお貸し頂こうかと……」
「わかったわ、行きましょう。アーシアと、一応祐斗も着いて来て頂戴。朱乃はこの場をお願い」
「は、はい!」
「わかりました」
「了解しましたわ」
判断は迅速に指示を飛ばす。本当に侵入者がやってきたと言うならば、ディオドラに構っている場合ではないだろう。
「待てリアス、俺も行く。この町はお前らの縄張りだが、一応俺は『先生』だからな。放っておくわけにもいかん」
今まで状況を静観していたアザゼルも席を立つ。
それを確認したリアスは、ディオドラに視線を向けた。
「悪いけれど話はここまでよ。次はゲームで会いましょう」
先導する花戒と共に、リアスとアザゼルたちは部室から去って行った。
「…………」
後に残されたディオドラは無言のまま。
溜息を一つ吐いた次の瞬間も、その顔には笑顔が張り付いている。だが心なし苛立っているように見えるのは、目当てのアーシアがいなくなったからだろうか?
「ではディオドラさま。お帰りになるならあちらへ」
扉ではなく部屋の隅を指しながら、朱乃がディオドラへ告げる。
いっそ無礼とも言える応対だが、最初にそこから訪れたのは彼だ。文句を言う筋合いなど無い。
わざわざ扉を通して帰すような客でもない、と言う意味もある。
「……そうだね、この場は退散しよう。どうも僕は事を急いていたようだ。確かに、キミたちに勝ってからでも遅くはなかった」
答えるディオドラの目つきに侮蔑と苛立ちの色が混ざるのを一誠は見逃さなかった。彼は完全にこちらを見下している。
今わかった。ディオドラは誰かを愛するような人物ではない。
「……お前なんかに誰が負けるかよ」
「へえ……」
そんな言葉が思わず口から出た。
睨み合う両者。
窓を背にした逆光の中で、ディオドラの笑みは冷たい空気を孕み、こちらを嘲笑しているかのようだ。
「ふふふ、赤龍帝、確か兵藤一誠……だったかな? 僕は――」
一誠の視線を受けたディオドラが言葉を続けようとした、その時。
輪唱する鈴の音が、鋭く、美しく、不吉に鳴り響く。
音が満ちると同時に、真紅の花が撒き散らされた。
一拍遅れ、ぶちまけられた赤い液体の上にばらばらと肉の塊が落ちる。
「――――え?」
呆けた声の主はディオドラ。赤い水の源泉は彼の左腕……だった場所。
血の海に沈んだ肉塊の正体は、かつてそこに付いていたものだ。
『――!?』
一同がそれを認識した、その直後。外に面する部室の壁が、細切れに弾け飛ぶ。
塵も埃もたてることなく、飛び交う残骸より人影が現れる。手には一振りの刃――黄昏時、夕暮れの色を想わせる緋色の太刀だ。
人影は音も無くディオドラに近づくと、その背後から鋭い突きを見舞った。未だ呆けたままの彼はそれに気付きすらしない。吸い込まれるように突き立てられた刃は、胸まで貫通した。
「ぐ、ぎぃぃいいぃい……あ、あ゛あ゛ああぁぁあああッ!!?」
唖然とした表情から一転、青ざめた顔は苦悶一色になる。
刃を引き抜かれたディオドラは胸から血を吹き出しながら倒れると、しばらく痙攣しそのまま動かなくなった。
何だ。何が起こった。
皆が唖然する。
「みんな逃げてください!! 今すぐに!!」
異常事態にいち早く反応したのは小猫。
襲撃者の気から強烈な死のイメージを感じとったのだ。
仲間に逃げるよう促しつつ、自身は猫耳と二股の尾を出して闘気を纏う。『猫又モード・バージョン2』だ。
そのまま火車の術具を起動させ、渾身の膂力を込めて人影に殴りつける。燃える車輪が直撃するその瞬間、一筋の閃光が虚空を裂くと火車は二つに割断された。
「――くっ!」
黒歌が作った火車の術具は、妖力を込めれば聖魔剣すら受けることが可能なほど頑強だ。それが、こんなにも容易く。
小猫自身は相手の攻撃を背後に跳んで躱したが、直撃を許していたならば同じ運命をたどっていただろう。寒気がするほどの切れ味だ。
回避行動から宙に浮かぶ小猫に、襲撃者は刃を構える。
速い。いや、動きが滑らかすぎるのだ。
飛び交う殺気は攻撃の軌道予測。そのどれもが小猫の急所を通って幾重に斬り裂く軌跡を描いた。
駄目だ。これは死ぬ。
「小猫ちゃん!」
叫び声と同時、小猫の前に霧風が壁となって立ち塞がる。
ギャスパーだ。肉体の一部を霧と変え襲撃者の視界を塞ぐとともに、おそらくは影の拘束も展開したのだろう。恐るべき斬撃が小猫を襲うことはなかった。
「小猫ちゃん、大丈――――」
無事着地した小猫に声をかけるギャスパー。その瞬間、霧が微塵に弾け飛ぶ。
姿を見せた襲撃者は、駒王学園の女生徒だった。表情は虚ろで感情が抜け落ちているようだが、その手に握る緋色の刃は桁違いの殺気を迸らせている。
「うあ、ああっ……」
「ギャーくん!?」
「どうしたギャスパー!!」
力無く倒れるギャスパー。
一誠が慌てて駆け寄り様子を見ると、彼の片腕はズタズタに切り刻まれていた。
いったい、いつの間に?
その原因は一つしかない。
「これはまさか、霧化したギャーくんを……」
「斬ったってのか、あいつは……!」
部室に残ったメンバーの中で、一誠とゼノヴィアは下手人を知っていた。
今時古風な三つ編みに眼鏡、クラスメイトにして友人の桐生藍華だ。彼女に異能の類を操る力はなかったはず。
霧となった吸血鬼に対して、通常の物理攻撃は一切通用しない。広範囲に衝撃を与えればダメージは与えられるが、それだけだ。ここまではっきりと傷を刻むなど不可能である。
とくれば、これはあの恐ろしげな刃が持つ能力と考えるが妥当だろう。
「桐生、お前……」
いったいどういうつもりだ、と一誠が続けようとしたその時。
「イッセー、危ない!」
ゼノヴィアの言葉が届くが早いか、一誠の目前に桐生が迫っていた。
眉間を狙う切っ先を、とっさに展開した籠手で防ぐ。毎晩欠かさず行っている神器内での模擬戦は、劇的でこそないが着実に成果をもたらしていた。
赤龍の籠手が走る刃を受け止める。
「よしッ……!」
安心も束の間、刃は止まらない。
龍の宝玉を貫き、手の平を穿ち、鮮血を舞い散らせた。
「なっ――――がっ、あ゛あ゛あ゛あぁぁあああぁああッ!!」
襲い来る激痛は、まるでむき出しの神経に焼き鏝を当てられたかのようだった。
この芯に響く強烈なダメージを一誠は知っている。
(ゲームの時、匙から受けた……あの拳と同じだッ……)
それを何十倍、何百倍、いや何千、何万倍に増幅させたような力が全身を駆け巡った。
道理でディオドラが動けなくなるはずだ。これは耐えられない。
『いかん、相棒! 早く引き抜け、死ぬぞッ!! それにこれは……』
ドライグの忠告もむなしく、一誠の身体は動く様子を見せない。
わずか一刺し。それだけで彼に内在する力は消し飛ばされてしまった。意識は急激に遠のき、あと数秒もすれば消滅すらあり得る危機的状況。
だが、そうはならない。他ならぬ彼の仲間がそれを許さないからだ。
「おおおおおっ!!」
吼えるゼノヴィア。
抜き放たれたデュランダルは空間すら震わせるオーラを纏っている。重さと速さを両立させた剣閃は鋭く、狙い過たず相手を目指した。
しかし桐生は迫る刃を潜るようにして横跳びに回避、如何なる体術かまるで蜘蛛のように壁へと張り付いた。
「あまりおイタをしていては……いけませんわよ!」
それを狙うのは雷の一撃。
狭い空間を拡散する雷撃網に、躱す余地など一切無い。
決まった。
そう確信した直後のことだった。
風を断つ斬撃八連。
剣閃の格子が迫る雷撃を切り刻む。
「な……!?」
驚く朱乃。
それもそのはず、いくら手加減して放ったとはいえ、まさか無傷で凌がれるとは思っていなかったのだ。
驚愕の事実はそれだけにとどまらない。斬撃の余波が無数の鋭い風となって、朱乃の身体に傷を刻んだ。小さな傷だ。しかし襲い来る痛みは深さに反して大きすぎ、そのせいで追撃の魔力は霧散してしまう。
緋剣を構えた桐生が、朱乃に迫る。
「やらせないッ!!」
それを聖剣が迎え撃つ。
狙うは桐生本人ではなく異様なオーラを放つ刀。弾き飛ばして無力化させるつもりだった。
無論のこと、敵が黙って受けるはずなどない。回避しようと動き出すが――。
「……逃がしま、せん」
それを阻んだのはギャスパーだ。激痛に霞む意識を振り絞って力を行使する。
影から伸びる手が、桐生の動きを封じていた。
それらはすぐさま切り刻まれるが、もはや回避する時間は無い。
緋剣と聖剣が交差すると、オーラの炸裂が桐生の華奢な身体を弾き飛ばした。切り取られた壁から外に吹き飛んでいく。
「……やったか?」
それなりに力を込めた一撃だ。しかし手ごたえはあまりなかった。
部室から外を覗きこむが、旧校舎傍の林に落ちたのだろう、姿を窺うことができない。
「どうですか? 小猫ちゃん」
朱乃が小猫に尋ねる。
小猫は気絶した一誠とディオドラを小脇に抱えていた。仲間である一誠は当然として、立場的にディオドラも見捨てることはできない。
それよりも、この状況でディオドラに息があるということ自体が不思議だった。何にせよこのまま放置すれば出血多量で死ぬ可能性が高く、可能な限り手早くこの場を切り抜けなければならないだろう。
敵を感知するべく猫耳を動かした小猫は、すぐさま険しい表情になる。
「どうやら無事なようです」
言葉の直後、林から少女が姿を現す。
はたして桐生は小猫の言うとおり未だ健在。制服の端は擦り切れているものの、身体自体は全くの無傷だった。
「……自信を無くしそうだよ」
自身の剣を凌がれ、思わずゼノヴィアは呟いた。先ほどから嫌な予感が止まらないのだ。
桐生が持つ刀には見覚えがあった。あの美しい緋色の刀身は、初対面時の修太郎が使っていたものではないだろうか? とても印象的な刃だったので覚えている。
「私が相手を押さえよう。確かめたいこともある。二人はイッセーたちを診ていてくれ」
「気を付けてください。あの剣は尋常ではありません」
「掠めただけでも危ないですわ」
小猫たちの忠告を背に二階から飛び降り、桐生と対峙する。
ゼノヴィアが知る限り、桐生はごく普通の少女だ。剣術を習得しているどころか、運動を得意としているわけでもない、完全な一般人である。
しかし、先ほどまでに見せた剣捌きは常軌を逸していた。一誠に急接近した俊足といい、明らかに一般人が扱える技ではない。それをあの刀がもたらしていると言うならば、もしや――。
緋剣を構える彼女を見ると、既視感が強まった。予感が確信に使づく。
「いくぞ、桐生」
全力の踏み込みが大地を砕く。『騎士』の特性を引き出し加速したゼノヴィアは、一息で桐生の背後をとっていた。友人である彼女を殺すわけにはいかない。しかし自身の予想が正しければ、全力でかかる必要があるかもしれない。
振るわれる鋭い斬撃が、桐生の背中を目指すが――。
瞬間、弾ける火花。聖剣の刃が緋色の刀身を滑り、空を切る。
返す敵の刃は常識外の軌道を描き、受け流しの横薙ぎから兜割に移行した。
本来であれば予測の難しいそれに、ゼノヴィアは反応できた。身体を半身にし、直上からの攻撃を回避する。鋭い斬風が通過して、なびく青髪の先端が落ちた。もしも後ろに避けていれば死んでいただろう。
今度はこちらの反撃。
聖剣の刃に踏み込みの力を乗せ、広範囲を巻き込む大斬撃とする。
パワーでは勝っているのだ。このまま相手を宙に飛ばし、衝撃力を高めた波動で気絶を狙うつもりだった。
だが通用しない。相手が行った受け流しは、まるで滑走路のようにデュランダルを上空に逸らした。急激なバランスの変化に対応できず、ゼノヴィアは体勢を崩してしまう。
当然その隙を逃す敵ではない。緋色の刃が首を狙って走った。
致死の一撃を前にゼノヴィアはしかし、体勢を立て直そうとはしなかった。逆に思いっきり剣を振るうことで、崩れた体を後方に移動させたのだ。
断頭の緋剣が虚空を裂く。反らした顔の上を再び斬撃の風が通り過ぎる。
刃を躱された桐生は隙を作った。今度は再びこちらの番だ。
振るう剣にさらなる力を込め、速度を上乗せさせる。身体を捻り一回転、直後に踏み込み、前進と共に切り上げに移行。大地を抉りながら天へと昇る刃は、まさしく暴君と呼ぶにふさわしい力を炸裂させた。
それにすら相手は反応する。緋剣が聖剣の猛威を受け止めた。
目論見通りだ。
踏み込みの力を強め、刀ごと相手を空に弾き飛ばす。
「――?」
軽すぎる。そう感じた。
その違和感は的中していた。宙を舞う桐生は想定より大きく飛んでいる。いや、自分から飛んだのか。
彼女の身体は旧校舎二階、部室の真上にあった。
緋剣より放たれた斬風が、校舎の屋根を切り刻む。
嵌められた。敵はゼノヴィアより部室にいるメンバーの排除を優先したのだ。
緋剣のオーラが密度を増した。次の瞬間、幾重にも放たれた斬風が嵐となって部室に落ちる。
見るだけで怖気が走るほどの退魔力だ。悪魔にとってはもはや聖剣の一撃と何ら変わりないだろう。つまり、直撃は死を意味する。
まだ間に合う。デュランダルのオーラを強め、斬撃波動を放とうとするが――。
「ぐっ……!?」
灼けるような激痛に身体が止まる。
何時の間に受けたのか、太腿が浅く切り裂かれていた。
抜ける力を精神力で留めるも、この一瞬は致命的。退魔の嵐刃を阻むものは無い。
「二人とも――――」
躱せ、と声をかけるももはや遅い。
その時だった。
「――見つけましたよ」
駆け抜ける疾風は輝く鋼と共に。
斬撃一閃、聖剣の一撃が刃の嵐を引き裂いた。
沈みだす太陽を背に、緋剣の前に立ちふさがるのは金髪の剣士。
「……木場?」
否、直後に違うと判断する。
剣士は確かに若い男性だった。しかし容姿は別物だ。眼鏡をかけ、高級そうな背広を纏い、薄い笑みを浮かべながら桐生を――いや、緋剣を見ていた。
青年は屋根の上に降り立った桐生と対峙し、己が聖なる刃を構える。
直後、消失。
ぶつかり合う緋剣と聖剣。刹那の間に幾十もの応酬。放たれる斬風が、聖刃が、周囲を切り刻んでいく。
横薙ぎ、受け流し、突き、振り下ろす。上下左右四方八方、互い重なる刃圏に生まれた火花は綺羅星の如く、夕刻の闇を否定する。
まばたきする暇も無いほど激しい剣戟合戦は、極まった者同士の激突だ。
ゼノヴィアの予感は確信に変わっていた。桐生の使う剣術は暮修太郎のものだ。おそらくあの緋剣がもたらしている力なのだろう。常日頃彼に叩きのめされていたゼノヴィアだからこそ、それがわかった。
青年はその桐生を圧倒していた。
二人が互角に渡り合っていたのは、ほんの数瞬の間だけ。
驚くことに、青年は彼女が放つ剣を見切っているようだった。斬りおろしを受け止め、突きを躱し、斬風を打ち消す。青年の返す刃を少女の身体は受け止めきれない。
徐々に傷を増やしていく桐生の片腕は、あらぬ方向に折れ曲がっている。剣を振るうたびに関節から血をしたたらせていた。原因は一つ、緋剣の力を受けて彼女のか細い肉体が自壊しているのだ。
それでも彼女は斬撃をやめない。まるで憑りつかれたように、鋭い剣閃を放ち続けている。
血に塗れる少女を前に、青年が容赦をする様子は見られない。薄い笑みは冷たさすら湛え、余裕を持って剣を振るう。
――遊んでいる。
ゼノヴィアにはそう見えた。
彼は全力を出し切っていない。その気になれば桐生を助けることなど造作もないはずなのに、あえて放置している。空恐ろしい領域の話だが、人命よりも剣技の観察を優先しているのだ。
どちらにせよ、このままだと桐生は――ゼノヴィアの友人は死んでしまう。
――そんなこと、させるものか。
担い手の意志に呼応するかの如く、デュランダルが輝きを増す。
極限にまで高まるオーラは絶大な力の発露、延長線上を斬り裂き砕く光の刃だ。
ゼノヴィアはそれを振り落とした。莫大な光波が月牙の形をとって放たれる。狙うは桐生ではなく、眼鏡の青年。
あれほどの手練れならば当然躱すだろう。そう思ったが、しかし。
青年が剣の切っ先を光波に向けた途端、輝く月牙の像がほどけていく。拡散し、無数の帯に変わった光波は旧校舎を穴だらけに破壊した。
青年は場を一歩も動いていない。いったい何をしたと言うのだ。
疑問を抱くも束の間、崩壊していく旧校舎。激しい剣戟の余波とゼノヴィアの波動攻撃によって、建物に限界が訪れたのだ。
青年は素早く飛び退り、安全地帯へ移動する。しかし桐生はもはや身体が動かないのか、脱出することができないようだった。
「桐生!!」
『騎士』の特性で加速したゼノヴィアは、瓦礫の間を駆け抜けて落ちる桐生を受け止めた。
彼女はぐったりと目を閉じていた。三つ編みはほどけ、眼鏡を失い、全身くまなく裂傷が走り血に濡れている。
最悪の結果を思い浮べながら様子を窺えば、華奢な身体は弱々しいながら呼吸に胸を動かしていた。良かった、生きている。
それを確認した直後、彼女の目が開く。
「……あ、れ? ゼノヴィア、っち……?」
「桐生……! ああ、私だ。大丈夫か?」
「ん……なんか、からだ、が……いたい……んだけ、ど……」
言い終わる前に、桐生はがくりと意識を失った。
それに一瞬驚くが、呼吸は続いている。これだけの怪我だ、彼女ではとても耐えられるものではないだろう。早く手当をしなければ。
しかし懸念が一つ。
桐生の手に緋色の太刀は握られていなかった。
それが意味することとはつまり。
「逃がしましたか。あの一瞬で己を投げ飛ばすとは……」
聞こえた声に、ゼノヴィアは屋根の上にいる青年を睨んだ。
助けてもらったことには感謝している。あちらとしても事情があるのだろう。しかし彼が桐生の命を奪おうとしていたのは明白で、それを知ってなお素直に謝辞を述べられるほどゼノヴィアは大人になれなかった。
「……あなたは誰だ?」
感情を押し殺し、何者か問いかける。
そうしてようやく青年は顔をこちらに向けた。
ディオドラのにこやかなものとは違う、涼やかな笑み。しかしその碧い瞳には底知れない空洞が広がっている。桐生を抱いていなければ、思わず後ずさりしてしまいそうな怖さがあった。
虚無のような視線がゼノヴィアを捉え、そしてデュランダルを見る。その時初めて青年の瞳に輝きが灯った。
「初めまして、聖剣デュランダルの使い手。私の名は……アーサー。アーサー・ペンドラゴンと言います。以後、お見知りおきを」
笑みを深くして会釈する青年・アーサー。流れるような動作は大変優雅で様になっていた。
その時、戦場跡に降り立つ影が一つ。
黒白の刃を携える金髪の剣士は、今度こそ木場祐斗だった。アーサーに気付いた木場は、油断なく剣を握りながら彼を鋭く睨む。
「これはあなたの仕業か……?」
「違いますよ、聖魔剣の使い手。ふむ、あなた方の主もお戻りのようだ」
言葉の直後、向こうの空からリアスが飛んでくるのが見えた。アーシアも一緒だ。彼女の神器ならば一誠たちも桐生も治療できる。ゼノヴィアは安堵の息を吐いた。
降り立ったリアスたちを見ながら、アーサー・ペンドラゴンは笑顔で言い放つ。
「どうやら説明をした方がいいみたいですね。このままでは少々やりにくい。出来れば、あなた方にも協力してもらいましょう」
涼しげなその笑顔は、やはりどこか虚ろに見えた。
―○●○―
「……まさか出迎えに誰も来ないなんて」
夕方の住宅街を歩きながら、紫藤イリナは一人呟く。
友人たちには手紙で戻ることを伝えていたのに、駅での出迎えは一切無し。1時間ほど待ってみたが、影も形も姿を現さない。
彼女たちはイリナと違い学生だ。詳しくは良く知らないが、部活などで忙しいのかもしれない。そう考えると悪いのは急に戻ってきたイリナなのだろう。だからこれは仕方がないのだ。決して忘れられていたわけではないはず。きっと、そのはず。
そう思いつつ、少し泣きそうになったのは内緒だ。
イリナはとりあえずゼノヴィアのマンションを目指していた。
ゼノヴィアからの手紙によると修太郎は最近忙しくしているとのことだが、運が良ければ会えるかもしれない。世話になったお礼をしなければならないし、お土産も渡さなければ。あとはゼノヴィアの部屋に泊まることで宿泊費を節約したいのもある。
京都では多くのことを学ぶことができた。
鋼糸術を始め、剣術、体術、退魔法術……時に山深く潜り己を高める陰陽隠密――NINJAの修練はとても厳しかったが、実力は格段に増したと断言できる。今まで聖剣使いとしての技術を向上させてきた彼女は、彼ら隠密の技を学ぶ中で自身の新たな道筋を見出したのだ。
何せNINJA。そう、NINJAなのである。日本の影の歴史を支配したと言う、あのNINJAだ。
おそらくは修太郎もその修練を積んだからこそ、あれほどまでに強いのだろう。確か彼の出身である月緒一族はSAMURAIだったはずなので、彼はNINJAでSAMURAIのハイブリットなのだ。それはもう最強になるしかない。
京都を出る際、隠密修行の師であった雲居老人はイリナにこのまま陰陽師として活動することを勧めたが、それは断った。
イリナの目的は神の教えを広め守ること。異形の悪意から教徒・異教徒の別なく人々を救うことなのだ。一所に留まってはそれを果たせない。
「ああ、主よ……私、頑張ります!」
神は死んだ。しかしそれが信仰をやめる理由にはならない。
日本神話では死んだ神が地下の国で暮らしていると言う。北欧神話などでも神にあの世があるらしい。ならば我らが神もどこかで自分たちを見守っているかもしれない。
異教の技に触れた紫藤イリナの信仰心は、陰るどころか一層輝きを増していた。
「…………?」
ふと、鈴の鳴る音が聞こえた。
辺りを見回すも、人気の少ない住宅地が広がるだけだ。音の発生源になるものは見当たらない。
何故だかひどく気になった。誰かが自分を呼んでいる気がしたのだ。
そう思うと、また音が聞こえてくる。
今度は何処で鳴っているかがわかる。路地裏の向こうだ。細い道を誘われるように歩くと、ほどなくして突きあたりにたどり着いた。
そこにいたのは一匹の犬。口に一振りの太刀を咥え、イリナをまっすぐ見つめている。
「…………」
耳に響く輪唱は止まらない。
無意識に太刀へと手を伸ばす。
手が柄に触れたその瞬間、紫藤イリナの意識は途絶えた。
お待たせしました更新です。
ディオドラ無残、そんな話。
眷属死亡後の補充関連は独自解釈になります。実際原作ではどうなんでしょう? イッセーが一度死んだ時もそこらへんの仕組みは語られてなかった気が。
襲撃者を片瀬か村山か桐生か悩んだ末の桐生。
ヤクザより長持ちしてますが、その分彼女の体はボロボロに。これも全部アーサーって奴の仕業なんだ。
次回、イリナ=サンの華麗なエントリー!