剣鬼と黒猫   作:工場船

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第五十話:緋色の記憶

 修太郎は刀の切っ先を相手に向け、構えた。

 到着と同時に鋼糸の結界は全て両断している。拘束されていた者たちは全員解放されたはず。後ろを気にする必要はない。

 張り巡らされていた結界技を修太郎は知らない。これはおそらくイリナの技だろう。どうやら順調に実力をつけているようだった。

 

 そのイリナだが、先ほどから動かない。虚ろな瞳でこちらを見つめたままだ。

 

「師匠、なぜここに……?」

 

「アザゼル殿から連絡があった。間一髪だったな」

 

 ゼノヴィアの問いに振り返らず答える。

 斬龍刀によって弾かれた緋色の刃は、既に少女の手の中へと納まっている。修太郎は表情を変えず、しかし憐れむような瞳で己が愛刀だったものを見た。

 煌めく刃は美しく、帯びるオーラは極めて鋭い。修太郎が感じるのはそれだけだが、おそらく異形の者から見れば凶悪なまでの殺意を迸らせていることだろう。

 刃から滲み出る圧倒的密度の退魔力は、かつて修太郎が纏っていた力――月緒流『降魔剣』の技によるものだ。

 

 生命の根源たる闘気を伝達媒体として、使い手の念を刀剣へと込めるこの技は、月緒の退魔剣士が修める奥義である。

 念とは想い。強い望みが生む、意志の力のことだ。セイクリッド・ギアを稼働・進化させる力と言えばわかりやすいだろう。

 月緒の退魔剣士は常軌を逸した鍛錬の末、これに攻撃的な指向性を与えることで、あらゆる人ならざる者に有効な力――降魔念を体得している。

 

 太刀に宿る力の正体とはそれだった。

 当時の修太郎にとって、立ちはだかる異形は何であれ全て敵でしかなかった。だから刃に込めたのだ。『滅びろ』あるいは『死ね』と。

 歴代最強の月緒たる修太郎の降魔剣は、また歴代最強。正真正銘の神魔両断を成す、人外殺しの呪毒である。生半可な器では到底耐え切れる質量ではない。実際、今までに百近い数の霊刀を使い潰している。

 

 しかし、緋緋色金の太刀だけは別だった。

 あの太刀に使われている神鉄・緋緋色金は無垢なる鋼だ。

 金剛石よりも遥かに硬くありながら強靭で、長い時を経ても決して劣化せず、極めて高い霊的伝導性を誇っている。神々の武具や祭器にも用いられるこの超金属は、その性質を如何なく発揮して修太郎の莫大な念を余さず受け止めていた。

 その結果がこの騒ぎを引き起こしたのだとすれば、あれはまさしく。

 

(……過去の俺だ)

 

 かつて万を超える人外を斬り裂いて来た御道修太郎の形。それが目の前にあった。

 ならば自分が止めなければなるまい。

 修太郎は一歩踏み込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 見つけた。

 その男の存在を感じた瞬間、太刀の思考によぎったのはそんな言葉だった。

 

 ――日本には『付喪神』と呼ばれる観念がある。

 これは森羅万象に神々が宿るという考え方であり、生物非生物問わず永い時を経てなお存在するものに霊性・神性を見出す信仰だ。

 その対象はまさしくこの世の全てに及び、山河などの地形や長く使われた器物、古い大木、猫や狐などの動植物まで千差万別。土地を司る神霊――土地神の他、猫又や九尾の狐といった妖怪も、元は付喪神としてこの世に生まれたものであると考えられている。

 発生の原因として、動植物の場合は長命による霊気・妖気の獲得が挙げられ、器物の場合は蓄積した想念による霊魂の発生がある。

 

 緋緋色金の太刀は、とある計画にて生み出された聖剣の失敗作である。生まれてからの長い時を宝殿の中で過ごしてきたため、修太郎に与えられるまで一度も使われたことが無かった。

 故に太刀に込められた想念は、全てが彼――御道修太郎のものだった。

 注がれた念はあらゆる人外に対する冷徹な排除の意志。すなわち、殺意。

 祭器でもなく芸術品でもなく、ただの人斬り包丁としてでもない。其はあらゆる人外を斬り裂く刃であると、彼がそう望んだ。だから己はそうなったのだと、太刀は考えていた。

 

 この身に焼き付いた念は彼のもの。記憶されたあらゆる技は彼のもの。

 ならば、この身は彼のもの。

 

 ドワーフの工房にて大量の魔法力を浴び、意識を覚醒させた太刀はそう思った。

 彼がいなければ己は完成しない。彼は己の半身であり、己は彼の半身である。故に、彼の存在を求めた。

 本能に準じて魔を斬りながら、世界を巡り彷徨うこと幾月、そして遂に再会した。

 

 悪魔に止めを刺そうとしたその時、目前に現れた一人の男。

 長身痩躯に鋭い瞳、何よりも自分と同じオーラを持つ存在を間違えることなどありえなかった。

 

 何故彼が悪魔を背にして己の前に立ちはだかるのか?

 そのようなことなど些細な問題だ。彼にこちらと争う理由など無いはず。

 さあ自分を使え。柄を握り、思うがままに振るってほしい。そうすれば、この刃はありとあらゆる障害を斬り伏せることができるだろう。

 

 再会の歓喜を思念の波に乗せて発するも、目の前の彼は白銀の刃を構えて微動だにしない。

 太刀の予想に反してとられた完璧なまでの臨戦態勢は、敵に向けるそれだった。

 

 刹那、虚空を銀の閃光が走る。

 突然の急襲。辛うじてそれを捌くと、透き通る鈴鳴りが響きわたった。そのまま剣舞に移行する。

 同じ動きと太刀筋ながら、より洗練された動作は一挙一動が霞むほど速く、それでいて正確無比。絶え間なく変化する刃の軌跡はまさしく千変、その超速も相まって、斬撃が無数に枝分かれしているようにも見えた。

 互いの刃を受け流す擦過音は、わずかな火花の美しい輝きと共に鋼の歌声を奏でる。それはとても幻想的な刃の交わりだった。

 

 何故だ。

 太刀は困惑する。

 こちらに交戦の意志は無い。己こそあなたが振るうべき刃なのだ。

 そんな程度の低い剣など捨てて、我が刃を以ってこの場の悪魔を滅ぼし尽くそう。

 これまでもそうしてきただろう?

 これからもそうするのだろう?

 

 思念波を送るが、拒絶される。

 こと彼にだけは太刀の精神干渉が全く通用しなかった。何せこの能力の成否基準は『御道修太郎』の精神強度。当の本人を前にしたとなれば、直接柄に触れたとしても効果は望めないだろう。

 ましてや今の太刀は力を削られていた。

 強大な退魔力を持つ太刀だったが、その力は当然無限ではない。

 聖剣にしろ魔剣にしろ、器物である以上担い手の意志がなければ全力を発揮できない。担い手そのものを操る太刀は、時間経過以外で自らの力を回復する術を持たなかった。だからこそ、消滅魔力でこちらの力を削ってくるリアスを優先して狙おうとしたのだ

 

 実のところゼノヴィアによって弾き飛ばされた時点で、太刀は未だかつてない窮地に陥っていた。デュランダルの莫大な威力は、太刀から相応のオーラを消耗させていたからだ。このミスは今まで短時間の戦闘ばかり繰り返してきた影響だった。

 紫藤イリナを操る精度も落ちてきている。敵に囲まれた状況でこのまま戦い続ければ、活動続行すら危うい。しかし、真の担い手足りえる男は己を握ってくれないどころか、こちらの力を確実に削ってくる。

 

 距離を空けなければならない。しかし、そのような隙は微塵も無かった。

 こう動けば数手後に斬られる。こう斬りかかれば数手後に詰む。彼我の動きから導き出せる戦闘結果のシミュレーションは、全てがこちらの敗北を知らせるものだ。

 技量、経験、身体能力――あらゆる要素において目の前の彼は上を往く。傍目には互角に見える応酬も、全てが彼主導の催しに過ぎない。当たり前だろう、太刀の戦闘力は所詮彼のデッドコピーでしかないのだから。

 空間を錯綜する攻撃の意志が、まるで檻のように紫藤イリナと太刀を閉じ込める。こちらの処理能力ギリギリで放たれる斬撃は、確実に太刀から力を奪っていく。

 ここまでくれば間違いない。彼は太刀の活動停止を狙っているのだ。

 

 何故だ。

 自分はあなたの敵ではないのに。

 何故、何故、何故――。

 

 彼の警戒を解かなければ。今現在、周囲の悪魔どもは様子見に徹しているようだ。やるなら今だろう。

 どうすればいいのか紫藤イリナの記憶からアイディアを探し出す。時間が無いので簡潔に、そしてストレートにこちらの意向を伝えられるものがいい。

 時間にして数秒、太刀はその方法を見つける。

 あとはそれを実行に移すだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

 微睡みの靄の中、誰かに運ばれている。

 霞む意識で紫藤イリナはそれを認識した。

 

『受け取りましたか?』

 

 かかった声は、知らない女性のもの。

 

『ああ。少し堅苦しかったけど、ちゃんと受け取ってきた。作法も問題なかったと思う』

 

 頭上より降りてくる声は若い男のものだ。

 両方とも知らない声だった。いや、男の方はわずかに聞き覚えがあるような気がする。しかし顔は思い浮かばない。

 突然、視界が開ける。光がイリナの視覚に届くと、スーツを着た黒髪の女性が見えた。

 

(……誰?)

 

 全く覚えのない人物だ。長身に鋭い目つき、長く伸びた髪の毛は結われ、一つに纏められている。

 整った容貌で睨むようにこちらを見つめ、口を開く。

 

『確かに純正緋緋色金の太刀、これならばあなたの剣も存分に振るえることでしょう。くれぐれもぞんざいに扱わぬよう気をつけなさい、御道修太郎』

 

『了解した。出来る限り頑張ってみよう』

 

 イリナの視点に若い男――御道修太郎と呼ばれた少年の姿が映る。

 

(……………誰?)

 

 それはイリナの知る彼ではなかった。

 黒髪黒目、その目つきはやはり鋭く、しかしどこか眠そうだ。ぼんやりとした無表情は緊迫感の欠片も発しておらず、かつて感じた刃の気迫と一致しない。それでも『暮修太郎』の面影が確かにあった。

 イリナが知らないのも当たり前の話、目の前の彼は若いころの姿なのだ。

 はたしてやる気があるのか無いのか、何とも判然としない修太郎の返答を聞いて、女性の眉間にしわがよる。

 

『……宗家がそれの使用を許すのは、あなたが刀を壊し過ぎるせいで資金が無駄になるからです 。そのことを良く自覚なさい。……行きますよ』

 

 冷静な、しかし険のある口調でそう言うと、踵を返して遠くに見える大きな門へ歩み去っていく。

 

『すまない、まってくれ』

 

 修太郎は慌てて少女を追いかけようとする。

 しかしその前に少年はイリナを見つめた。

 そこで初めて気付く。

 イリナは、緋緋色金の太刀だった。

 

『これからよろしく。長い付き合いになればいいな』

 

 その顔がわずかに、しかし自然な動作で微笑んだ。

 

 

 ――暗転する。

 

 

『お前が御道か? 何だ、案外若いな。まあ、子供にはとても見えんが。俺は久藤ってんだ。よろしくな』

 

 大きな屋敷の前で大柄な剣士が快活に笑う。

 修太郎は彼と京都に潜む狂い鬼の討伐を行った。

 

『――とても大きな魂……あなたが御道修太郎さま? (わたくし)、土御門水守と申します。あの、道中よろしくお願いしますね』

 

 場所は変わって山の入り口。小柄な白髪の少女巫女が、修太郎を見上げて一礼する。その瞳は盲目だった。

 修太郎は霊山にて儀式を行う彼女の護衛を務めた。

 

 さらに場面は変わる。

 京都の街に退魔師が集まる。魔人討伐部隊の結成である。

 真羅、姫島、童門、櫛橋、そして百鬼。五大宗家の強力な術者が揃い踏み、土御門の陰陽師が音頭を取る。陰陽隠密の頭である雲居老人もそこにいた。

 修太郎も月緒の退魔剣士として黒髪の女性と共にその場に立つ。女性はどうやら月緒一族より派遣された随伴の術師であるらしかった。会話を聞く限り、まだ退魔師として知識の浅い修太郎に対する教師役でもあったのだろう。

 年相応に疑問を尋ねる彼は、イリナの目に新鮮に映った。

 

 戦うたびに修太郎は強くなった。それにつれて纏う雰囲気は鋭く研ぎ澄まされ、顔立ちも精悍なものとなっていく。

 退魔剣士として皆の前に立ち敵を圧倒するさまは、まさしく英雄と呼ぶにふさわしい。

 この時、修太郎はまだ15歳。誕生日を龍退治に費やした、中学三年生である。

 

(………?)

 

 流れるように繰り広げられる光景はおそらく、刀の記憶なのだろう。

 なぜこのようなものを眺めているのか、イリナにはまるでわからなかった。

 意識は微睡の中ではっきりとせず、流れに身を任せるしかない。

 

 

 ――暗転する。

 

 

 次に目にしたのは、蒼い炎と赤い霧。

 緋色の鋼が閃けば、血潮が弾けて蒼く燃える。疾風迅雷。真紅の霞を突き抜けて、斬る、斬る、斬る。

 絶叫し逃げ惑う妖魔の群れ、その間を縦横無尽に駆け抜けた。

 

(え?)

 

 その光景を見て、イリナは愕然とした。

 修太郎の手の中で光のように過ぎ去る風景は、激しい戦火に包まれている。しかしながら、異形の屍は一つたりとて存在しない。降魔の刃が魔の存在を完全に消滅させているからだ。

 そこに死体があるとすれば、それは全て人間だった。見るも無残なその眺めは、伝え聞く地獄を想像させるほど凄惨だ。

 魔人との直接交戦、その初回。たくさんの人が死んだ。圧倒的な敵の実力に、土御門の陰陽師たちも五大宗家の術師も対抗することは叶わなかった。

 

 イリナ――緋緋色金の太刀が振るわれるたびに、刀身に彼の想いが満ちる。

 ひたすら真っ直ぐ、ひたすら純粋に、斬滅の念が注がれる。

 総身の蒼炎がその勢いを増すと共に、少年の速度は物理法則を置き去りにした。

 

 そうして何もかもを超えた先――屍の山、その上に一人の男が立っている。

 暗影の外套と、闇色の軍装。黄金の邪眼光を宿すは、陰陽魔人大邪仙。

 狂笑する魔人の剣が、黒髪の女性を貫いていた。

 

 絶望は慟哭に、次の瞬間憤怒となり、憎悪を超え、純粋な殺意が迸る。

 魔人、死すべし。

 負の感情は刹那の間に降魔の念へと昇華され、目前の敵目掛けて奔った。

 

 戦場が燃え上がる。太陽の業火が降臨する。

 閃光が眩く視界を塞ぎ――。

 

 

 ――暗転する。

 

 

 深夜。山奥の儀式場に大勢の者が集まっていた。狂気に目を染め、一心不乱に何かへ祈りを奉げている。

 外道の儀式は最高潮、祈る者たちの魂が天へと上り、直後に地へ堕ちる。

 

 大地が激しく振動し、山が割れた。

 月夜を背にして浮かぶシルエットはひたすらに巨大。両面の大鬼神、飛騨の宿儺鬼だ。

 直後、場を幾重にも光の檻が囲み、大鬼神を封じ込める。数百人からなる特別部隊が結界を張ったのだ。

 大鬼神の頭上に浮かぶ魔人が言葉を紡げば、両面宿儺が動き出す。

 

 それを迎え撃つのは修太郎だ。全身に退魔の闘気を纏い、両面宿儺に突貫した。

 両者の死闘は五日間続いた。天をも衝こうかという巨体と、2メートルに届かない人間が演じる互角の応酬は、まるで現実味が無い。少年の手の中で、イリナはただただ驚くばかりだ。

 

 死闘を制した修太郎は、もはや死に体だった。

 それでも彼は、また一つ強くなった。

 

 

 ――暗転する。

 

 

 ――暗転する。

 

 

 ――暗転する。

 

 

 場面が変わるたびに、犠牲を乗り越えるたびに、修太郎は強くなる。

 血を流せば技が研ぎ澄まされ、骨を砕かれれば意識は先鋭化していく。常人ならとっくの昔に壊れてもおかしくない環境を、しかし修太郎は耐えてしまった。隔絶した才能と精神力が、それを許したのだ。結果、彼の強さは人でありながら人外を超える。

 かつて太刀に微笑んだ少年の姿はもはや無く、ここにいるのは完成された月緒の剣士。

 

 そして、最後の戦い。

 

 

 

 ――暗転する。

 

 

 

 そこでイリナは目を覚ました。唐突な覚醒に意識が驚き、目の前の光景にまた驚く。

 イリナは戦いの真っ只中にいたのだ。

 相手は暮修太郎。迫る白銀の猛攻を、緋色の剣閃が捌き凌ぐ。

 

「――え!? ……えぇっ!?」

 

 驚愕の声を上げるも、身体は止まらず勝手に動き出す。

 これは太刀の記憶ではない。質感も空気も完全に現実世界のものだった。イリナはここで初めて、自身の肉体が乗っ取られていることを知った。

 

「イリナ……?」

 

 少女が意識を取り戻したことに気づき、修太郎が眉をひそめる。

 剣戟の檻が緩んだ、その刹那。イリナの身体がひとりでに前進する。

 

「わ……きゃぁっ!?」

 

 太刀がイリナの意識を戻したのは、修太郎に隙を作るためだった。

 殺気の線を超えて近づくイリナに、しかし修太郎は剣を放てない。敵ならまだしも、まさか悪意の無い少女を問答無用で斬り捨てるわけにはいかないからだ。

 だがその身体は依然として太刀の支配下にある。

 そうしてイリナの身体は修太郎の刃圏を突破し――彼に抱き着いた。

 そのまま首に手をかけ、顔を近づける。

 

(は――?)

 

 少女の心が呆けた声を漏らす。

 鋭い目つきの黒い瞳が、イリナに近づく。唇と唇を重ね合わせる軌道は、まさしく。

 

(ええええええええっ!?)

 

 太刀が修太郎の警戒を解くために選び出したその方法とは――抱擁(ハグ)からの接吻(キス)

 幼いイリナが父や母に向かって度々とっていた行動である。もっとも、その時は頬にするだけだったが。

 意識はそのまま、しかし身体は動かせない。

 視界の端に、呆気にとられたゼノヴィアの姿が見えた。

 

(見ないでーーっ!!)

 

 顔に血が集まっていくのを感じる。驚き慌てふためくも、太刀の支配力は微動だにしない。

 修太郎には大変世話になった。感謝しているし、それなりに好意もある。だがしかし、それは年上の先達に対する尊敬のようなものだ。恋愛感情は微塵も無い。

 ファーストキスは幼い頃既に経験済みだ。確か相手は幼馴染の兵藤一誠。幼少時までカウントに含めるならば、これはセカンドキスになるのだろうか?

 太刀の力によって加速した思考で、イリナはそんなことを考える。

 

 互いの吐息が重なり合う。イリナの目には、もはや修太郎の顔しか見えない。

 目を合わせれば、黒い瞳は意志に満ちている。その奥底で幽かに煌めく光は、彼の身体を満たす気のエネルギーなのだろう。まるで夜空に輝く星のようだとイリナは思った。

 もはやどうしようもない距離。唇と唇が触れ合う、その瞬間。

 

 暗転――いや、風景が回転する。

 気付くとイリナは大地に寝かせられていた。

 修太郎に投げられ、強い力で取り押さえられたのだ。

 流石は神域の武を修める者。近づかれて何もできなくなるほど甘くはなかった。

 

「っ……痛たたたたっ!?」

 

 極められた関節が激しい痛みを訴える。身体を数センチ動かすだけで骨が砕けそうだ。

 イリナの手の中で緋色の刃は沈黙している。いつの間にか太刀の支配力は消え去っていた。

 

 痛みに悶える彼女に向かって、修太郎は普段通りの口調で声をかける。

 

「大丈夫か、イリナ」

 

「……おかげさまで」

 

 こうしてイリナの唇は守られた。

 しかし、身体が痛い。関節どころか全身が悲鳴を上げている。何よりも、太刀がとらせた突飛な行動が恥ずかしくてたまらない。

 何食わぬ顔でこちらを見つめる男に対し、何だか不公平ではないだろうかと目で抗議する少女だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふ――ふふ……」

 

 暗闇に笑い声が響く。

 

「――いや、油断したつもりはなかったのですが。手加減するとなると中々うまく調整できませんね」

 

 その声に振り向けば、ゆらりと闇夜に人影が浮かび上がる。

 金髪碧眼の青年――アーサー・ペンドラゴンだ。

 眼鏡を失い、着ているスーツは燃えて、上半身などは襤褸布のようになっている。曝け出された肌は火傷に燻り、顔面の半分は固まった血に覆われて、痛々しげな様子を見せていた。

 

「アーサー、か……?」

 

 修太郎が確認するかのように尋ねる。

 その声を聞いた青年は笑みを作り、答えた。

 

「ええ、お久しぶりです御道修太郎。健在で何より。さて――」

 

 鋭い閃光が二つ、闇夜を走る。

 一つは修太郎が撃ち落とす。だがもう一つは――。

 

「――え?」

 

 イリナの腕が、緋緋色金の太刀が宙を舞う。

 空中で手から離れた太刀は、アーサーの手に納まった。

 

「イリナっ!? アーサー・ペンドラゴン、お前はッ……!!」

 

 崩れ落ちるイリナをゼノヴィアが慌てて駆け寄り受け止める。

 イリナは太刀を持っていた腕を肩より先から失っていた。アーサーの剣が波動の刃を飛ばし、目にもとまらぬ速さで斬り落としたのだ。

 大量の血液が溢れだし、暗闇に水たまりを作り出す。この出血はまずい。

 

「申し訳ないゼノヴィアさん、状況が変わりましたので」

 

 非難の声を上げるゼノヴィアに、アーサーは悪びれず答える。

 声からまったく謝罪の意志を感じることができない。機械的な、形式通りの返答だった。

 

「状況が変わった……? お前はいったい何を言って……」

 

 そこまで言ってゼノヴィアは気付く。

 アーサーの身体に刻まれた傷が、急激な速度で消えていく。燻っていると思っていたのは火傷ではなく、急激な治癒の様子だったのだ。

 青年の碧眼に光が宿る。それは彼と初めて出会った際、デュランダルを捉えた時に見せたものと同じだった。

 

 誰だこいつは。

 脳裏によぎったのはそんな言葉だ。

 初対面の頃から得体が知れなかった。虚ろな瞳は人形のようで、見られるだけでも不気味な感覚が走った。今となっては何故このような人物の協力を許したか、まるでわからない。

 

(ああ、これは――)

 

 自分たちは惑わされていたのだ。

 アーサー・ペンドラゴンは味方などでは断じてありえない。今そのまやかしが解け、ゼノヴィアもはっきりとそれを認識することができた。

 彼の瞳に宿る光――それは飢えた獣が獲物を見る目にとても良く似ていた。

 

「……退けゼノヴィア。皆と共に避難しろ」

 

 修太郎がアーサーの前に立ちはだかり、そう告げる。

 口調こそ普段と変わらぬ平坦なものだが、纏う雰囲気は鬼気迫っていた。

 彼はイリナの手から離れた鋼糸を操ると、落ちたイリナの腕を引き寄せ、瞬く間に傷口を縫い合わせて応急処置を施した。

 それを確認したゼノヴィアは、素早くその場から離れようと悪魔の翼を開く。アーサーと修太郎がぶつかり合うのであれば、自身の存在は邪魔にしかならないだろう。

 が、しかし。

 

「逃がすと思いますか?」

 

 アーサーが剣を地面に突き立てると、無数の剣群が地より突き出でる。驚くべきことに、刃はその全てが聖なる力を有していた。剣の群れは凄まじい勢いで射出されると、上空のゼノヴィアへ殺到する。

 

「やらせると思うか」

 

 が、その悉くを斬撃の風が打ち砕く。

 神域の技量が白銀の太刀を暴風の魔剣に変える。鋼が如く鋭利な旋風は、空間を埋め尽くす不可視の剣となってゼノヴィアに迫る脅威を斬り裂いた。

 砕けた聖剣はその役目を果たせず、輝く粒子となって虚空に消えていく。

 

「ふふふ、『魔剣(ブレイドマスター)』とはよく言ったものだ。以前のあなたも大概非常識でしたが、もはや人間業とは呼べませんね」

 

 アーサーは大地より剣を引き抜き、虚ろな笑みを修太郎に向けた。

 もはや正体を隠そうともせず、その総身には禍々しいオーラが渦巻いている。

 修太郎はそのオーラに覚えがあった。

 

「貴様……『流星』だな?」

 

 その問いに、笑みを深くするアーサー。

 修太郎の目から見ても、人物の姿形は確かにアーサー・ペンドラゴンだ。身体も生気の通った人のそれ。しかし虚ろな瞳に宿る凶悪な光は、断じて彼本人のものではない。

 第一、修太郎は『御道』の名をアーサーに語ったことなど一度も無かった。

 

「――如何にも。大陰陽師・高円雅崇が始まりの鬼神、第一天将。それが私です。今まで通り『流星』とでも、もしくは『アーサー・ペンドラゴン』とでも、好きに呼んでいただいて結構。さあ、戦いましょう御道修太郎。私はそのためにここに居る」

 

 アーサーの笑みが凶悪に歪む。

 湧き上がるオーラが漆黒の風となり、青年の身体を包み込んだ。

 第一天将・金行鬼。

 鋼の鬼神が青年の身体を借りて、今再び修太郎の前に現れた。

 




大変お待たせいたしました。ようやく更新です。
前回より実に一か月超、まさかここまで投稿が遅れようとは。

主人公の過去と妖刀沈黙、そしてアーサー敵化。

今回は少々短いですが、次話は推敲済ませて明日にでも。
しばしお待ちください。

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