剣鬼と黒猫   作:工場船

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第七話:北欧旅行記~その4~

 立ち昇る飛沫と共に海魔の巨体が沈んでいく。

 逆巻く波がぶつかり合い、うねりとうねりが絡み合って互いを喰い合えば、後に残るのは穏やかな海の姿だ。

 そこには先刻繰り広げられた激戦の名残など欠片も無く、ただ空の青を映す海面が揺れている。

 

「ほっ、こりゃあ驚いたわい! なんじゃあれ、本当に人間が放つ技かいのう?」

 

「…………」

 

「うーむ、よければ解説とかしてほしいんじゃが?」

 

 困った様子で尋ねた声に、かけられた方は無言。

 黒い猫耳はぴくぴくと、苛立ちを募らせるように揺れる。伸びる二股の尾は何かの衝動を抑えるかのごとく震えていた。

 はぐれ悪魔の仙猫・黒歌。手足に魔法陣の枷を嵌められて、檻のような光の結界に閉じ込められている。その身を鋼の縛鎖に縛られて、身動き一つとれないでいた。

 

「いいかげん機嫌を直さんかい。閉じ込めるのはかわいそうと思わんでもないがのう、ぶっちゃけお主が悪いんじゃぞ? 悪魔が神界で暴れて即殺されんだけでもマシと思うんじゃ」

 

 黒猫をたしなめるのは眼帯を付けた長い髭の老人。アースガルズを治める北欧神話が主神・オーディンだ。傍らには黒い鎧を着たヴァルキリーが秘書のように佇んでいる。

 

「…………そう言うなら、この縛り方を何とかしてほしいわね」

 

 殺気の籠った眼光で返答した黒歌の身体は魔法の鎖で封じられている。問題はその縛り方。彼女は何故か亀甲縛りに拘束されていた。

 

「それはロキに言えい。巨人王に"また"出し抜かれた鬱憤を晴らすために、お主をそんなふうにしたのはあやつじゃ。……いや、確かにわしとしても眼福じゃが」

 

 船にいた時の洋服から一転、いつもの黒い着物を着た黒歌は縦横に走る鎖によって縛り付けられ、その豊満な肉体のラインをいやらしく演出していた。

 着崩された着物から見える肩からうなじにかけての線、白く美しい玉の肌に食い込む鉄鎖の鈍色は背徳的なコントラストを生み出している。縛りにより作られた交差がただでさえ豊かなバストを前面に押して、衣の下に秘める桜色が想像できるほど誇張させていた。

 股の間を通る鎖によってはだけた足元は滑らかな脚線美を曝け出し、それにより現れるヒップラインはまさしくエロス。未だ目覚めぬ赤龍帝はおろか、現白龍皇も思わず目をやるに違いない母性だ。

 もしもこの場に修太郎がいれば、彼でさえこう言うだろう。「GJ(グッジョブ)」と。

 

「死ね」

 

 主神の目線が嫌らしく走ったのを見逃さず、黒歌は一層強めた殺気で抗議する。

 

「オーディンさま」

 

 傍らにいた黒い鎧のヴァルキリーが非難の視線を向けた。

 

「……ごほん。しかし、お主のような力ある悪魔が何をそんなに入れ込んでいるかと思ったら、相当な使い手じゃのう、あの剣士」

 

 ほっほっほっ、と愉快気に笑うオーディン。露骨な話題逸らしである。

 

 銀の宮殿ヴァーラスキャールヴ。

 偉大なる主神の住処で、彼らは眼前に展開された魔法のヴィジョンを見ていた。

 アースガルズの娯楽ネットワークに突如割り込んだリアルタイム映像は、悪辣なる巨人王ウートガルザ・ロキの仕業。題名を『突発!! 男女共同無人島生活!~堅物ヴァルキリーは勇者様(エインフェリア)の心を射止めることができるか~』として、現在進行形でアースガルズ全土で放送されている番組――もとい、盗撮映像である。

 

 出した話題に沈黙で返す黒猫に、主神は一つ溜息をついた後ひとりごちる。

 

「ふぅむ、巨人王の幻術結界か……またぞろ厄介な代物が出てきたもんじゃのう」

 

 左目の隻眼が瞬く。水晶のようなそれは奥底に魔術文字を浮かび上がらせ、ミーミルの泉より授けられた魔道の知識と照らし合わせていく。

 

「幻と言うよりは虚言……認識の強制変更……? いや、概念そのものの置換も混じっておるのか? 方角が方角として機能しておらん。なんじゃこれ、作り込みの度合いがおかしいのう。作業状況はどんな感じじゃ?」

 

「解析は現在9%まで完了していますが、そこからは遅々として進まないそうです」

 

 職人芸の領域に達している巨人王の結界術式に思わず唸る。ヴァルキリーからの報告も予想通りのものだった。

 自分があの結界を再現しようと思ったらどれほどの時間がかかる事か。あの悪神ロキですら数年単位で構築しなければ不可能であるだろう代物だ。

 しかもおそらく、用意している術式がこれだけと言うことはないだろう。相変わらずと言うほどの面識はないが、騙し欺きに命を懸けたかのような男だ。

 術式構築に詳しい神々やヴァルキリーたち、それに加えこうして自分も解析に参加していると言うのに一向に解ける気配がない。はたしてどうしたものか、と思案する。

 

「……っ!」

 

「ふむ?」

 

「中々大胆な殿方ですね」

 

 不意に反応を見せた黒猫の様子に、ヴィジョンへ目を戻すと男がロスヴァイセを横抱きにして――所謂ところのお姫様抱っこで――駆けている。

 顔を真っ赤に俯けて縮こまる銀の乙女に対し、男の顔は平常そのものの無表情だが、乙女の可憐な容姿と煌びやかな鎧姿も相まって、まるで英雄譚の一場面のようでもあった。

 真面目で堅物だったお付きのヴァルキリーが見せる初心な様子は、男のことを意識している証拠だ。

 

 巨人王よりどのような幻を見せられたかは発覚した時の反応を見ればおおよそ知れる。娘が一人の女に近づいているような、親心に近いなんとも生暖かい感情がオーディンの中に生まれた。

 余談だがこの主神、ロスヴァイセの怒りのフルバースト花火を見た時一欠けらの容赦も無く大爆笑していた。親心とはなんなのだろう。

 

「ぐぬぬ……」

 

 その光景を睨みつける黒歌は、もはや目の端に涙すら浮かべている。悲しげに怒るその姿は嫉妬する女そのものだった。

 

「……ふむ。お主、名は黒歌と言ったかのう? 一ついい取引があるんじゃが」

 

 尋ねるオーディンの声に、やはり無言の黒歌だったが、ピクリと震えた猫耳には今までにない反応がある。

 悪くない感触にオーディンは言葉を続けた。

 

「お主がアースガルズに侵入してきた時、神界を覆う結界の一部に切り取られたような跡があった。わしの知らぬ、見たことも無い術式の形跡もな。もしかしたらの話じゃが、お主の力とわしらの知識を合わせればあの結界を打ち破れるかもしれん」

 

 オーディンの言葉が発せられるたびにピクピクと反応を示す猫の耳。

 

「これはアースガルズの治安を守る事にもつながる。達成されれば、お主が犯した神界侵攻の罪もお咎めなしにしてもよい。何より想い人を救うことにもなるのじゃから、悪い話ではないと思うが、どうじゃ?」

 

 チラチラとこちらを窺う黒歌。

 もうひと押しだ。

 

「情けないことに、現状のわしらではあの巨人王が展開した結界を破るまでかなり時間がかかりそうでのう……。今のところ概算で3・4週間ほどと言ったところか? お主、その間あの光景を見せられて我慢できるかのう?」

 

 黒猫はオーディンをまっすぐに見つめ返した。そして言う。

 

「……罪の帳消しだけじゃ足りないわ。一撃よ。一撃であの結界をぶち壊してあげる。だからメリットを寄越しなさい」

 

「……それはなんとも、大きく出たのう」

 

 この悪魔は、神々さえ惑わし解除も困難なあの結界術式を一撃で破壊するのだと言う。

 自身に溢れた言は、本当にそれを成せる根拠があるからなのだろうが、まさか強大な力を持つ神相手――それも主神に向かって褒美を寄越せとは。

 予想外の言葉にオーディンは思案する。

 一応協力してくれる意思はあるらしい。そもそも、この悪魔が失敗してもこちらにデメリットは一切無いのだ。なんにせよ面白いものが見れるならそれもいいだろう。知識を得ることこそこの主神が好むところであるならば、受け入れることは吝かではない。

 

 結論は出た。

 

「ふむ、よろしい。やって見せるが良かろう。じゃが、監視は付けさせてもらうぞい?」

 

「契約成立ね」

 

 まさか神たる己が悪魔と契約を交わすなど思いもよらなかったことだが、それはそれで悪くない。

 他の神々はうるさいかもしれないが、どんなに些細なことでも新しいものと言うのは心躍る何かがあるのだ。探究を重ねずして精進は有り得ない。

 そろそろ時代が変わるかもしれん、と内心でつぶやき、オーディンは黒猫を封じる魔法を解除した。

 

 

 

 

 

                   ―○●○―

 

 

 

 

 

 クラーケンの撃破によって津波は急速に退き、孤島は元の領土を取り戻した。

 魔法力の酷使による精神的疲労が濃いロスヴァイセを抱きかかえ、自身らの拠点に戻った修太郎たちだったが、かつての我が家は見事に荒れていた。

 

「まあ、当然の結果ですね」

 

 修太郎がはぎ取った魔物の毛皮やら流されてきた木材やら土砂やらなにやらが混在し、しかも海水でびしょ濡れなため非常に見てくれが悪くなっている。洞窟そのものにかけられた補強用の魔法術式に損傷はないようだが、むせ返るような潮の匂いに湿気が酷く、このままでは身体を悪くしてしまいそうだ。

 

「空気が良くないな」

 

「クラーケンの呼び寄せた波の影響でしょうか? あのクラーケンは相当に年を経た強力なものだったみたいですし、何か土地の環境に対して副次的な効果があるのかもしれません」

 

 ならばこの潮臭さは当分とれないと言うことだろう。

 湿気も考慮すれば、この潮の香りはあまり身体に良くない。出来れば、この場で生活するのは遠慮したいところだ。

 

「拠点を移すべきか」

 

「ええ、そうした方がいいでしょう。しかし、次の当てはあるのですか?」

 

「島の中央より向こうが高台になっていた。様子を見て、可能であればそこに移ろう」

 

 かくして移動することとなった。

 未だにふらつく様子のロスヴァイセを再び抱きかかえ、修太郎は海水に濡れた森の中を駆ける。

 波の衝撃で木々は引き抜かれ、または倒れ、地面には海にいただろう魚の姿も散見される。短時間にも拘らず地面に染みついた海の匂いは、クラーケンの津波に付加された呪いか何かだろうか?

 ともかく、孤島の環境が完全に復帰するにはそれなりの時間が必要であるらしい。

 

 さて、周囲を窺う修太郎に対して、横抱きにされたロスヴァイセは当の男について考えていた。

 暮修太郎。あの巨大クラーケンを一刀のもとに下した、凄腕の評価すら生ぬるい化け物剣士。

 断ったはずなのに彼女を抱えて移動しているのは、現地に着いた時に再び拠点を構築するための魔法力を回復させるためだと言う。まあ、妥当だ。適材適所を心得ていると言ってもいい。

 だから、このなんとも持て余す感情は自分に原因があるのだろうと戦乙女は思った。

 

 幻術を極めた巨人王ウートガルザ・ロキの見せた幻は、ロスヴァイセが抱く願望通りの人生を体験させた。

 すなわち、恋に落ち、清い交際をし、プロポーズされ、結婚し、エッチなことをして、子供を作り、安定した収入の下、多少の波乱万丈はあれど、最後は二人老後を穏やかに暮らすと言うものだ。

 問題はその相手だ。悪辣な巨人王がロスヴァイセの恋人役に設定したのが何を隠そうこの修太郎だったのだから、実はさっきから彼の顔をまともに見ることができない。

 

 幻は所詮幻。

 かかっている最中はリアルと信じた光景も、今は醒めた夢のように現実感を失っている。だからこそ、こうしてある程度冷静に会話だけはできているのだが……。

 第一、修太郎という男から窺えるパーソナリティはロスヴァイセが望む恋人としての条件を満たしているか疑問である。

 

 顔はまあ多少目つきが悪すぎる感があるものの、整っている。身長はロスヴァイセより頭一つ以上高く、脱げば逞しさを表す体格は申し分ないだろう。

 現在進行形で上半身裸の男に抱えられていることを思い出し、戦乙女は顔に熱が集まったのを自覚する。

 ともかくルックスは十分に合格レベルだ。

 

 しかし、問題は彼の収入面にある。

 魔物狩りと言う、アンダーグラウンド且つ命がけの仕事には、福利厚生といった制度は当然導入されていない。加えてフリーランスと言うこともあって収入は安定せず、潰しもきかない。

 確か、幻術の中では彼をアースガルズの戦士としてオーディンに紹介した覚えがある。

 

 幻の中ではそれで解決できたとしても、次に立ちはだかるのは現実の彼自身にある性質だ。

 自身の命を顧みない超効率的な戦闘姿勢は伴侶として失格だろう。戦闘狂、と言ってもいいかもしれない。そんないつ死ぬかもわからない恋人なんて、安定志向の彼女からすれば絶対に嫌だった。

 そのはず、なのだが――。

 

「体調はどうだ、ロスヴァイセ」

 

「え、あ、はい。だいぶ良くなってきました。もう大丈夫ですから、降ろしてもらっても……」

 

「いや、そのまま休んでくれた方がいい。魔法で飛んでまたダウンするようなことになったら良くないし、それなら俺がこのまま抱えて走ったほうが速いだろう。キミは万能だが、俺にはこれぐらいしかできないからな」

 

 彼からすれば当然の対応なのだろう。きっと、ロスヴァイセの性別が違ってもこの男は同じことをしたはずだという確信がある。

 それでも顔を真っ赤にするほど恥ずかしいのに、この状況に若干の嬉しさを感じるのは、ひそかに憧れていたお姫様抱っこの最中にあるからだろうか?

 

(……混乱してますね)

 

 ならば結論を急ぐべきではない。このままなし崩しに考えていけば、きっと不幸なことになる。

 それでも結局男の腕の中で悶々とする羽目になるのだが、まあそれはそれで予定調和なのだろう。

 

 

 

 

 

 

(それで何故こんなことに)

 

 もうもうと漂う湯気に頬を桜色に染めつつ、ロスヴァイセは内心でひとりごちる。

 満天の星輝く夜空の下、孤島の山岳地帯の奥の奥、温泉湧き出る泉にて戦乙女は養生していた。

 

「……ほぅ……」

 

 白く濁る湯に肩まで浸かりながら、身を包む熱さに脱力して息を吐く。

 

 あの後、高台に着いた修太郎たちを待っていたのは、津波から避難した森の魔物たちの大軍だった。

 一瞬襲われるかと思って身構えたロスヴァイセだったが、そこは剣鬼。一度下した魔物のボスたちを見つけると、彼らに話(?)を通して素通りすることに成功。

 適当な位置にひとまずの拠点を構えて整えていれば、食料を探しに外へ出ていた修太郎が帰ってきて一言。

 

『温泉を見つけたから入ってくるといい』

 

 どうやらこの島には火山があったらしい。

 熱い湯は戦闘によって長らく緊張していた体をほぐし、疲れを芯から抜き取っていくかのような心地よさだ。

 しかし。

 

「ぐるるるるるる……」

 

「シャアアア……」

 

「ゴルルルル……」

 

 ロスヴァイセと同様に温泉で脱力する魔物のボスたちがそこにいた。

 この場所は彼らが修太郎へ教えた秘湯だったようなのだ。

 まあそれはそれでいい。いや、よくは無いのだが、今更驚くようなことではない。

 問題は。

 

「湯の加減はどうだ?」

 

「なんであなたがいるんですかぁっ!?」

 

 当の男が一緒に入浴していることだった。

 

「おかしなことを言う。そこに温泉があるのなら、入らなければ嘘だろう?」

 

「そう言うことではなくてですねっ、なんで男女が一緒なのかと……!」

 

「仕切りがあるじゃないか」

 

 確かにロスヴァイセと修太郎の間には迷彩色の魔物が鎮座しているため互いの姿は見えない。

 

「それでもなんというか、もう少しためらいというものを……! ……はぁ…………もういいです。絶対にこっちは覗かないでくださいねっ」

 

「了解した。こちらのことが気になるのなら無視してくれて構わないから、ゆっくりしていけばいい。今日は疲れただろう」

 

「それを言うならあなたもでしょう。手当てだってまだ十分じゃないんですから。まったく、心配したんですよ」

 

「すまない。だが、性分なんだ」

 

「それは今までのことを見れば十分にわかります」

 

 どうやら修太郎は本当に覗く気は無いようで、獣一匹隔てた先の気配は動かない。

 もっとも、彼が本気を出せばロスヴァイセが気づかないうちに背後へ忍び寄ることも簡単にできるだろうが、そのような卑劣は行わないだろうというある種の信頼が生まれていたことを戦乙女は理解していなかった。

 

「でも、そうですね……謝罪という意味も含め、あなたの生い立ちについて聞きたいです」

 

 ふと、自分ひとりばかりが動揺していることに気付いたロスヴァイセは、そんなことを言ってみる。

 この男がどういう人生を送ってきたかを知れば、もしかしたらそこに彼の面白い反応を引き出せる話もあるかもしれないと考えた。

 ロスヴァイセの言葉に、しばし考えた様子の修太郎だったが、返答の声はいつもと同じく平坦なまま。

 

「生い立ち……と言ってもそう大したものではないのだが。まあ、隠すことでもなし、知りたいと言うなら話してみよう」

 

 そうして男は語り出す。ロスヴァイセがそれを聞いたことを後悔するのにそれほど時間はかからなかった。

 

 暮修太郎。旧姓・御道修太郎。

 古くは鬼殺しの英雄・源頼光を祖先に持つと言う、護国退魔剣士一族の分家の分家に生まれた三男坊。現在の"暮"という姓は母方の祖母のものだ。

 英雄の血をひく一族に組み込まれているとはいえ、分家のさらに分家ということで、その役目は本家や力ある分家のサポート――後方支援であり、そもそも剣術を修める必要などなかった家系だ。本来であれば、修太郎も父と同じくサラリーマンよろしく事務仕事に携わる予定だった。

 

 それが変わったのは、やはり剣に触れたことが最も大きかったろう。

 原因は父の教育方針。かつて不良だった過去を持つ父が更生したきっかけが剣の道にあったため、修太郎たち兄弟もそれを行うこととなったのだ。

 この時、修太郎9歳。試しに刀を手にした時、かっちりと自分の中で何かが噛み合ったのが分かったと言う。

 

 始めてひと月で父を破り、半年で師範を倒し、1年で分家には負けなくなった。

 2年目に本家の秀才たちを破った後、3年目に一族総出の会合の場にて本家の跡取りを叩きのめす。

 そして4年目、13歳。

 本家歴代最強とまで言われていた当主と一騎打ちを果たし、見事これを圧倒。精神的な意味で再起不能にまで追い込み、名実ともに一族最強の剣士が誕生する。

 

 そうしてそのまま修太郎は退魔剣士となった。

 言われるがまま鬼を斬り妖魔怪物を斬り邪法の輩を斬る。

 中学校を卒業し、身体が成人に近づくにつれ、修太郎の強さは飛躍的に増した。そしてそれに合わせて敵も強大になっていく。

 

 怨霊を斬った。

 怒れる鬼神を斬った。

 零落した荒御霊を斬った。

 龍だって、斬ったのは二度三度ではなかった。

 

 それだけしかできなかったし、それだけしか許されなかった。

 死闘を繰り返す中で、いつしか苦も楽も忘れ、敵を両断したその瞬間にわずかだけ生まれる達成感に酔う日々。

 

「なんですか、それは!」

 

 そう言うより他は無い。

 まさしく熾烈、これぞ修羅道。おおよそ人としての生き方ではない。

 

「あなたは、なぜそれで平気なんです!?」

 

 思わず声を荒げる。

 

「平気などではなかった」

 

「なら!」

 

「しかし選んだのは俺なのだ。大いなる力には大いなる責任が伴うのだと、兄から聞いたことがある。俺は、彼らのためにも逃げないと決めた」

 

 修太郎と本家の関係の狭間で、何よりも影響を受けたのは修太郎の家族だった。人質、と言うのだろうか。

 それに、と男は続けて。

 

「しがらみを理由にしても、結局は俺の我儘。その結果など自業自得でしかない。だからそこに後悔は無い」

 

 言い切った修太郎の声には本当に後悔の欠片も感じられない。

 修太郎の力なら抗おうと思えばいつだってそれができた。つまりはそういうことだろう。彼は望んでそれを行っていたと言っているのだ。

 

「――――」

 

 ロスヴァイセは絶句するしかない。

 そんな信念、当時にしてたかだか十数年程度しか生きていない少年が持っていいものではないだろう。

 だが、しかしそれなら。

 

「……あなたは、なぜここにいるんです?」

 

 家族のことが理由で従事していたならば、なぜこの男はここに。

 

「それは――――」

 

 返答は遮られた。

 突如発生した大きな気配に修太郎は空を見る。

 この場ではおそらく修太郎しか気付けない、大気中に在る気の動き。まるで大穴に吸い寄せられるかのようなそれは、この場に彼女が来るだろうことを示した。

 

「クロ――。しかし、これは梵天偽装だと……? 状況を打破するには最適かもしれんが、力押しが過ぎるぞ、大馬鹿者め」

 

 だとしたら、じっとしている訳にはいかない。

 

「ロスヴァイセ! ここから離れるぞ、支度をしろ! でかいのが来る」

 

「え、何を……? ってきゃああああああっ!! 見ないって言ったじゃないですかっ!! お嫁に行けなくなっちゃいますっ!」

 

 

 

 

 

                   ―○●○―

 

 

 

 

 

 月光に照らされた紺碧の海の上で夜空を眺めながら、仙猫・黒歌は周辺大気に存在する気を集約する。

 傍らには頬に紅葉の赤い跡を残した優男が一人。結界を破壊する約束を交わした黒歌が逃げないよう、オーディンからその役目を仰せつかった北欧の悪神・ロキその人だ。

 

 悪魔の監視など本来であれば受ける道理は無いのだが、この黒猫は一撃であの忌々しい巨人王の結界を破壊すると言う。

 それが本当であればなるほど面白い。仮にできなかったとしても、その時にこそこの悪魔を殺せば幾らか溜飲も下がるだろう、と思って承諾した。

 可能かどうかは正直疑わしいものだったが、しかし実際こうしてその準備を見れば、なるほどこの悪魔尋常ではない。

 

 その身に闘気を纏った黒歌は空中に曼荼羅の如く大量の魔法陣を浮かべつつ、自然の気を闘気に合一させ、その存在密度を破格の領域にまで引き上げている。

 悪魔の魔力、猫又の妖術、闘仙勝仏より教わった仙術、インド式の見慣れぬ術式に、なんと原初のルーンまで混ざっている。それらが悉く互いの調和を保って共存しあっているというのだから、凄まじいまでの術式制御能力だ。

 

 そして何よりそれらを一つに纏める依り代として、黒猫が握る一振りの宝剣に目が行く。

 彼の不動明王が持つと言われる三毒断つ破邪の利剣『倶利伽羅の剣』――その贋作。

 闘仙勝仏の下より逃亡する際、彼の宝物庫から借りてきた結界破り用の道具でもあった。

 

 悪魔たる彼女がそれを振るうのは本来であれば不可能。聖剣と似て非なるとはいえ、浄化の力を持つ剣は悪魔にとって毒である。

 それを可能としているのが、彼女が纏う浄化の気。さらに所謂ところの『火車』と呼ばれる猫又の一側面の応用で以って、彼女は破邪の利剣より聖人の類と認められていた。

 この能力をそこまで持っていくのに、闘仙勝仏の下で受けた修行が必須だったことを考えれば皮肉にしかならないが、ともあれ今の彼女は聖なる気の使い手。これにはロキも驚いた。

 

「破邪のオーラを纏う悪魔とは、なんとも矛盾しているな」

 

 悪神の言葉もなんのその、倶利伽羅剣が炎を噴き上げれば、黒歌の眼前に力が集約し一本の槍にも似た矢を形どった。

 周囲に展開された魔法陣の全てがそれに取り込まれ、物理的な強度を持つまでに圧縮される。周囲の空間を曲げて映すそれは、明らかに悪魔が使える力の領域を逸脱していた。

 

「むうっ……! これほどとは……!」

 

 続いて展開される発射用の魔法陣。そして仕上げの術式構築。

 サンスクリット語で紡がれる法陣の帯が、眼前の矢に巻きついていく。

 ロキは確信した。これは神の一撃、その再現だ。しかもその神格は自身を遥かに凌ぐ、彼の梵天。

 

 そして仕上げの真言が紡がれる。

 

om brahma devaya namah(ブラフマー神に帰依いたします)

 

 かつてインドにおいて数多の英雄が使ったとされる最終兵器。梵天の持つ必殺の投擲兵装こそ、その源流。

 ブラフマーストラ。

 それを術式で以ってして編み上げ、神より独立した一つの力に構築したのがこの奥義。準備に多大な時間を要するため戦闘中の使用はほぼ不可能だが、核ミサイルと同等とも賞される神の一撃を再現した破格の攻撃法だった。

 ブラフマーストラであってブラフマーストラでない、ただの偽物(フェイク)に過ぎないとして、どうして侮る事が出来よう。

 

 悪神ロキは戦慄し、どこかで見ているウートガルザ・ロキは驚愕し、遠くから映像越しに窺っていたオーディンは茶を噴いた。

 

「消し飛べ『梵天偽装・虚空穿(フェイク・ブラフマーストラ・アーカーシャ)』」

 

 放たれた暴威は稲妻の如く結界に着弾。

 内に秘めた威力を発揮し、黒い閃光が柱となって広がっていけば、空間ごと何もかもを抉り取っていく。爆風の向こうに見えるのは次元の狭間。

 それ専用の術式を込めただろうとはいえ、圧倒的過ぎる威力は神々と巨人を驚かせて余りある。

 精密精緻に数多の術式を組み込んだだろう巨人王の結界は、一部分から連鎖的にブラフマーストラの威力に巻き込まれて、即座に瓦解。ガラスの割れるような音と共に、無残にも砕け散った。

 

「なっなななな…………!! 一介の悪魔ふぜいがっ!? こんなバカなこと……ッ!!」

 

「おーいおいおいおいおい!! マジかマジかマジですかァ!? 俺の結界がっ、こんなバカみたいな脳筋技でッ!?」

 

『ごっほうっほっほうっ!? ごほっごほっごほぁっ!?』

 

『オーディンさま、驚くならゴリラ語ではなく私にもわかるようお願いします』

 

 三者三様の驚きを見せつつ、閃光が治まれば黒い穴をうがった海。その向こうに今まで認識できなかった島が確認できれば、それは結界が完全に破壊されたことの証明だった。

 

 

 




世界的に見て頭のおかしいスケールのインド神話ですが、はたしてD×D世界ではどんなもんなんでしょうね? 二天龍以下だなんて信じられんぜ。

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