『ロストレガシー』   作:宇宮 祐樹

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朽ちた双月

 

 空間の内部の大半は、既に瓦礫で埋め尽くされていた。

 何体ものモンスターを模した像が空間へと姿を表しながら、その姿を崩していく。

 その中にはルークスの知っているものもあれば、全く知らない形をしたものもあった。

 けれど全てに共通しているのは、心臓を潰すたびに、そのモンスターが崩れていくこと。

 それは、命が芽吹き、また死んでいくようにも見えた。

 

「……ブラキディオスに、アグナコトル。それに、ナルガクルガか」

 

 散らばる破片を見下ろしながら、それが作っていた形を口にする。

 その精巧さは限りなく高く、こうした経緯がなければ、ルークスはその像へと斬りかかっていただろう。

 それはとても、現代の技術では造り出すことのできないもので。

 

「……何の為に、これを」

 

 やがて、声が聞こえてくる。

 

「使用可能な全ての不死の心臓の回収が、終わりました」

 

 血まみれの裸体でそう告げてくるレヴィに、ルークスは何度目かわからない溜め息を吐いた。

 

「恰好、どうにかならないのか」

「質問の意図を掴みかねます」

「なにか着るものはないのか。それに、血を拭わなければ」

「不要です。付着した血液についても、現状の障害にはならないと判断しました」

 

 何かルークスが返そうとする前に、レヴィが足を踏み出す。

 ぺたり、ぺたりと血の足跡をつけながら向かう先は、大きく空いた穴のほうだった。

 

「これからどうするんだ」

「武装の回収は終了しました。よってこれより、周囲の被害状況の確認、それによる『スルト』の現在位置の特定を開始します」

「……つまり、その『スルト』が通った跡を追ってく、ってことか?」

「はい」

 

 首肯と共に、レヴィが裸足のままその大きな崩壊痕へと足を踏み入れていく。

 中はゆるやかな傾斜になっていて、下へと果てしなく続いていた。

 天井からはしきりに小さな石がぱらぱらと降り落ちてきて、ルークスはいつ崩れ落ちるか分からない危機感からか、しきりに周囲を見回している

 それとは正反対に進むレヴィの足元が、ぽちゃりと静かな水音を立てた。

 

「……海水の温度の上昇を確認」

「浸水しているのか?」

「はい」

 

 それだけ返して、水の中へとレヴィが無造作に体を浸していく。

 何かを言いかけようとして、ルークスは溜め息を吐きながら、彼女の後を追っていった。

 水中用に改造された、フルフェイスの兜から、泡が産まれてゆく。

 薄暗い水の中では、彼女の瞳の灯りだけが頼りだった。

 

 やがて長い道を抜けると、拓けた空間へと辿り着いた。

 遠くに見える海面からは太陽の光が差し込んできて、見わたす限りの景色を明るく照らす。

 そこは、縦に長い円柱状の洞窟であった。おそらく天然のものなのだろう、しかしながら外壁には中心を取り囲むように、固定弩砲や巨大な槍が姿を見せている。

 そしてそれは、ルークスにとって見慣れたものでもあった。

 

「(海底遺跡……あそこから、繋がっていたのか)」

 

 水中に体を漂わせながら、ルークスがその周囲を見渡す。

 しかしながらその外見はルークスの知っているものとは少し違っていて、やはりと所々が損害を受けているようだった。

 おそらくこれも、『スルト』――グラン・ミラオスによるものなのだろう。

 ルークスがそう結論付けるのを待つこともなく、レヴィはどんどん先へと進んでいった。

 

「(……本来なら、ここはナバルデウスの縄張りのはずだが……)」

 

 浮かぶ疑問の問いかけは、すぐそこにあった。

 進む視界が急に薄暗くなり、それは太陽の光が何かによって隔たれていることをルークスへと示す。

 思わず真上へと視線をむけると、そこには何か大きなものが横たわっていて。

 片方だけが巨大化した、その歪な角を見た時、ルークスは思わず目を見開いた。

 

「(あれは……)」

 

 深海に棲まう光輝の巨人。母なる海に浮かぶ、白亜の月。

 荒ぶる神をも超える者。大いなる海に沈む、黄金の太陽。

 

「(二体、だと……!?)」

 

 混じり合う陰陽のように、白亜の龍と、黄金の龍が、ルークスの瞳へと映る。

 そこに在ったのは、大海龍ナバルデウスと――皇海龍、ナバルデウス亜種の姿だった。

 

「(――ッ!)」

 

 深海を見通す四つの瞳が、全てこちらへと向けられる。

 海中を漂っていた二頭の海龍は、その巨躯を人魚の様に翻すと、その口元を大きく開けた。

 

「レヴィ――」

 

 そう叫ぼうとする瞬間に、レヴィの体がルークスの体を押しのける。

 瞬間、先程まで彼が居た場所を、溢れんばかりの水圧が薙いだ。

 吹きすさぶ二対の吐息が辺りのいわばを崩し、瓦礫を宙へと持ち上げる。漂う岩々を縫うようにしてレヴィがルークスの体を引きながら進み、その陰で留まった。

 

「――!? ――――! ――! ――!?」

 

 突然のことに慌てる彼を無視して、レヴィが手のひらに瓦礫を集積させる。

 一種の首飾りのようになったそれを、無理矢理ルークスの首元へと通すと、レヴィは確かめるように、水の中で口を開いた。

 

『聞こえますか』

「……?」

 

 突如として頭の中に響いた声に、ルークスが首を傾げる。

 

『私の声帯パーツに干渉できるように調整したものです。そちらからも声帯による意思の疎通が可能になります。ご確認を』

『…………普通に喋ればいいのか?』

『音声を確認しました。以後はこれで意思の疎通を図ります』

 

 それだけ告げた後、身を隠している瓦礫へとレヴィが手をついて、向こうへと顔を覗かせる。

 同じようにしてルークスが眼をこらすと、二体の海龍はこちらの姿を見失っているらしく、再び混じり合うようにその巨躯を回遊させていた。

 

『どういうことだ』

『「セレネ」と「アルテ」が回遊しています』

『……どっちがどっちだ』

『「セレネ」がナバルデウス、「アルテ」がナバルデウスの固体です』

『……まあ、聞きたかったのはそれじゃないが』

 

 泡となった溜め息を吐きながら、ルークスが続けて質す。

 

『どうしてあの二体がここにいる?』

『我々の存在を秘匿するために利用していました。あの空間の注目を避けるため、そして今回のような非常事態に備えるために、我々はあの空間を、「セレネ」と「アルテ」の領域に作成しました。ですが……』

 

 そう言い切って、もう一度レヴィが岩の向こうへと目を向ける。

 ゆらゆらと神秘的な雰囲気を漂わせながら回遊する二体は、けれどその皮膚に、まるで焼かれたような傷を負っているのが、ルークスの眼にも見えた。

 

『おそらく、突破されたようです』

『「スルト」に?』

『はい』

『……あの二体を相手にして、か』

『おそらくは』

 

 頷くレヴィだが、けれどその表情は曇ったまま。

 

『ですが、通常の「スルト」の機能ならば、突破するのは極めて困難です。考えられるに、おそらく「スルト」は何らかの支配下に置かれている、もしくは暴走状態にある、と考えられます』

『それは、また――』

 

 言葉を繋ごうとした瞬間に、空間が揺さぶられた。

 レヴィとルークスが同時に瓦礫を蹴って後ろへ飛ぶと、それを横に薙ぐような水流が打ち砕く。ばらばらになった岩の破片から覗くナバルデウス亜種は、その大きな口を開きながら、大きく水を吸い始めた。

 背中の太刀――狼牙刀【悪獄】――へと手をかけて、ルークスが問いかける。

 

『とにかく、あいつらはどうするんだ』

『……望ましいのは、放置することです』

『なに?』

 

 ぽつりと、今までよりも幾分小さな声で伝えられた言葉に、ルークスが眉を顰めた。

 

『どうしてだ』

『彼らに罪はありません。我々は利用したとはいえ、彼らの命まで支配したつもりはありません。そのため、狩猟するのは望ましいことではありません』

『けど、あいつらを退けなければ先に進めないぞ』

『……では、あなたは彼らを殺せるのですか』

 

 訝しむような、憐れむような問いかけに、ルークスが間も無く首肯で返す。

 

『やはり、人間は理解できません』

『そうか?』

『はい。言葉も、心も、全て……私には、ないものですから』

 

 寂しそうに、けれどどこか冷たく、レヴィがルークスへと視線を向ける。

 縋るようなその様子は、どうしてかとても、人間らしくも思えた。

 そんな彼女に、ルークスが少しだけ思考を巡らすと、その細い手を強く握る。

 

『少し、こちらへ』

『はい』

 

 多少強引に引かれるその手を、けれどレヴィは拒むことはなかった。

 瓦礫の隙間から二人が顔を出すと、そこには二体の海龍が、ゆらゆらと海へ身を任せている。

 

『見てみろ』

『?』

『傷が深い。いずれ、近いうちには死んでしまうだろう』

 

 その言葉をレヴィは確かめるため、瞳を強く凝らした。

 淡く漂う、白銀の巨躯。しかしながらその体には、無数の灼けた痕のようなものが映っている。心なしか動きはぎこちなく、よく見れば、黄金の体にも同じようなものが刻まれていた。

 けれど、なおも大海龍は生き続け、大海の中を泳いでいる。

 気が付けばレヴィには、それが命が事切れる寸前の、行く先のない彷徨のようにも見えた。

 

『お前の……いや、お前たちの使命は理解できた。命を守りたいということも、殺す事をしたくないということも、充分に理解できる』

『それでは』

『だが、永遠に苦しむよりも、その命を絶つことで――救われる命も、この世界にはある』

 

 それは、ルークス自身へと言い聞かせるようにも見えた。

 抜いた太刀を両手で持ち直し、背後のレヴィを守るようにして、前方へと刀身を構える。

 

『人に造られたのなら、仕方のないことだと思う。共感しろ、と押し付けるつもりはない。俺の事をいくら非難してもいい。何だったら、俺を殺してくれたってかまわない』

 

 ごぅ、と深海に、絶音が響き渡る。

 向かってくる荒々しい咆哮を前に、ルークスは少しだけこちらを振り向きながら、ひとつ。

 

『けれど、それを理解だけしてくれれば――俺は嬉しく思う』

 

 母なる海の奔流が、全てを呑み込んだ。

 吐き出された皇海龍の吐息(ブレス)が海底を抉り、砂埃を巻き起こす。

 同時に砕かれた岩の破片が浮かび上がるが、しかしそこに侵入者の姿はない。

 凝らされた大海龍の眼には、砂埃から海底を滑るようにして現れる、ひとつの影が映った。

 

『(遠いな……)』

 

 距離は海竜が手の平へ収まるほど。その間に遮蔽物はなく、二体の視線が集まるのを感じる。

 それを確認したルークスは急激に体を翻し、近くを漂う瓦礫へと手を伸ばす。

 直後、二対の水流がルークスの眼前へと放たれて、視界を砂埃で埋め尽くした。

 再び隠れてしまう影は、けれど直後、こちらへと向かって現れる。

 対流を受け止める足場にした瓦礫を蹴って、ルークスは大海龍の方へとその切っ先を向けた。

 海底全てが振動するほどの咆哮と共に、ナバルデウスがその巨躯を走らせる。

 

『――――っ』

 

 一瞬の邂逅であった。

 向かってくる白磁へと身をひるがえしながら、その角へと剣閃を走らせる。

 逆手に持った太刀をすらりと撫でると、ぱん、と何かの割れる音がした。

 そのままの刃を体へと走らせると、がりがりと甲皮を削る感覚が、柄を通して伝わってくる。

 漂う血の煙の中に見えたのは、三日月を象るような、荒々しい豪角であった。

 

『……やはり、鈍いな』

 

 視界を隔てる血煙を太刀で振り払いながら、過ぎ去った大海龍へと視線を向ける。

 もがくように吠えたナバルデウスは、もう一度こちらへとその体を進めると、途中で体を翻し、その巨大な尾を真上から叩きつけるようにルークスへと向けた。

 それに憶することもなく、体を逆さまへ回転させて、太刀の切っ先を天へと向ける。

 降りぬかれた尻尾が激流を巻き起こし、それによる衝撃波が海底へと叩きつけられた。

 しかしながら、そこに影はなく、

 

『こちらだ』

 

 尾に突き刺さった太刀を抜きながら、ルークスがナバルデウスの背を駆け始めた。

 それに気が付いたのか、大海龍が体を回転させ、背中へと映った敵影を引き剥がす。

 跳躍によってそれを回避したルークスは、こちらへと向けられたナバルデウスの腹部へと切っ先を向ける。

 

『まずは――』

 

 ざく、と髭を貫通させながら、その体の奥底へと黒の刃を突き刺して。

 紅く光る体を何度も蹴りながら、握りしめた太刀を、勢いよく振りぬいた。

 

『――――ひとつ』

 

 吹きすさぶ血煙に紛れながら、再び体を隠していく。

 その直後、吐き出された水流が、血煙を晴らしていった。

 

『……やはり、簡単にはいかないか』

 

 切り捨てたナバルデウスの死体へと身を隠し、その先の黄金へと目を向ける。

 荒々しい双角を高くかかげながら、ナバルデウス亜種は、その体を紅く光らせた。

 しかしながら吐き出された吐息は、天井へと向けられたもので。

 

『……?』

 

 不思議になって見上げたルークスの眼には、降り注ぐ瓦礫の嵐が映った。

 

『……まずいな』

 

 そばにあった死体を蹴り飛ばすと、巨大な岩がその死体を海底へと縫い付ける。

 その光景を目の当たりにするのもつかの間、次々と落ちてくる瓦礫を縫うように避けながら、ルークスが太刀を握り直し、皇海龍の位置を確かめる。

 そして、ふと振り向いたそこには――激流が、迫っているのが見えた。

 

『――――っ!』

 

 びりびりと体を痺れさせるその感覚に、ルークスの体が強張る。

 そして次に見えたのは、ひょこりと飛び出した、ちいさな影であった。

 

『展開します』

 

 ぽつりと呟かれた言葉と同時に、少女の右腕へと周囲の瓦礫が集積していく。

 そうして形作られたそれは、ラギアクルスの背電殻にも見えた。

 ルークスがその判断を下すことも無く、奔流と盾が激突する。

 けれど少女の体が、微動だにすることはなかった。

 

『レヴィ』

『理解するように、努めます。あなたの意志というものを』

『……そうか』

 

 それだけの会話を交わし、二手へと影が分かれてゆく。

 構えた背電殻を再び変形させると、今度はそれが背中へと集積し、三対の爪に分かれたような翼へと変貌した。

 それは、銀色の凶星を思わせて、

 

『目標を視認』

 

 右腕へと岩石が集い、それが槍の形を成す。

 両手で構えたそれをナバルデウス亜種へと向けると、レヴィの背中にある翼から、勢いよく炎が吐き出された。

 向かってくるブレスを翻すことで回避しながら、少女の小さな体が皇海龍へと突撃してゆく。

 

『行きます』

 

 そうして、大きく開かれたその口へ、レヴィが槍を突き立てた。

 噴き出す赤い血飛沫と共に、背中に造られた天彗の翼が崩れ落ちて、その破片が握る槍へと集ってゆく。もがく皇海龍を押さえつけるように、レヴィは両腕へと力を込めて、その瞳を光の失われた、黒い双眸へと向けた。

 幼い彼女の顔には、何か憐みのような、昏い表情が浮かんでいて。

 

『これで――――』

 

 昏き深海へ、一筋の閃光が放たれる。

 マグマのようなそれは皇海龍の体を引き裂いて、その背面を突き破りながら岩肌を穿つ。

 やがて紅い光は消えてゆき、黄金の巨躯も海中を漂い始める。

 突き刺した槍を元の瓦礫へと崩壊させると、浮かぶ彼女を受け止めるように、ルークスがその側へと寄り添った。

 

『……対象の沈黙を、確認しました』

『そうか』

 

 水底へと沈む死体を見つめながら、レヴィがそうぽつりと漏らす。

 果たして太陽と月は深淵へと沈んでゆき、少女の元に光が降り注いだ。

 

『行きましょう』

『ああ』

 

 くるりと体を翻して、海面へと向かう彼女の後を追う。

 光が、強くなった。

 

 

「……完璧な想定外です」

 

 どこかの岩場、素肌へとまとわりつく水滴を拭うこともなく、レヴィはそう呟いた。

 それに後方で鎧の中の水を抜いているルークスが、訝しそうに振り向く。

 

「というと」

「『セレネ』と『アルテ』があれほどの損傷を受けているとは思いませんでした。傷跡の深さを見る限り、『スルト』は完全な暴走状態にあると考えられます」

 

 どこか憂うような表情を浮かべながら、レヴィが続けた。

 

「そして……私は、それを殺してしまいました」

「お前がやらなくても、俺がやった」

「そういう意味ではありません。『スルト』を含めた我々が、また何の罪もない命を奪ったのです」

 

 また、という言葉に、ルークスが眉をひそめる。

 けれど、顔を伏せながら呟く彼女に何か言葉をかけることは、できなかった。

 

「これ以上、『スルト』を野放しにすることはできません」

 

 自分に言い聞かせるよう、レヴィがはっきりと口にする。

 

「行かなくては……そうでなければ、また、誰かの命を奪ってしまうかもしれませんから」

 

 首を振って濡れた髪を揺らすと、そこから発せられた熱が、体についた水滴を蒸発させる。突如として現れたその熱波にルークスが思わず顔を背けて、もう一度彼女のほうを見ると、岩場の先へと進んでいく姿が映った。

 まるで見当違いな方向へと足を進める彼女に、ルークスが問いかける。

 

「どこへ行くんだ」

「現在位置の確認を行う必要があります」

「それなら、反対側へ行ったほうがいい。海底遺跡用のキャンプがある」

 

 もう一度兜を頭へと被せると、狭まった視界に、こちらを見つめるレヴィの姿が見える。

 ぽかんとしたその表情に、ルークスはまるで子供へ言い聞かせるような、優しい口調で語りかけた。

 

「なんでも一人で解決しようとするな。さっき、一人では難しいといったはずだ」

「ですが」

「第一、そんな調子だったら俺がいる必要がないだろ」

 

 すれ違うように、肩へと手を置いて。

 

「もう、一人ではない」

 

 何気なく、ルークスはそう言い放った。

 

 海底遺跡のキャンプは、しばらく歩けばあっけなく到着した。

 赤と青、それぞれのボックスとテントの張られたベッドは、ルークスの眼にはいつものように映っている。

 乱雑に整えられたそのベッドへと腰を下ろすと、レヴィは周囲の景色が珍しいのか、きょろきょろとしきりに当たりを見回していた。

 

「どうした?」

「……経過年数の既定値の超過による、認識の誤差を修正しています」

「経過……ってことは、お前はもっと前に造られたものなのか?」

「はい。ですが、具体的な数値の算出は、経過年数の既定値の超過により不可能です」

「……ますます、よく分からなくなってきたな」

 

 何気なく発せられる未知の単語に、ルークスが思わず息を漏らした。

 そうしているうちに彼女の方も用事を終わらせたのか、ぺたぺたと足音を立てながら、彼の元へと戻っていく。

 とす、と小さな腰が、ルークスの隣へと落ち着いた。

 

「確認の報告ですが――」

「その前に、少し」

 

 首を傾げるレヴィの型に、手ごろな毛布がかけられる。 

 柔らかな肢体をすっぽりと包み隠すそれに、ルークスは何度か頷いた。

 

「……?」

「体調が悪くなると、考えた。それはお前の望むことでもないだろう」

「私には自己管理機能が搭載されていますので、お気遣いは不要です」

「俺自身への気遣いでもある」

「……承諾しました」

 

 ぎゅ、と毛布の端を握りながら、レヴィがそう答える。

 しかしながら、その顔には疑問の色が浮かぶばかりだった。

 

「それで、どうだったんだ」

「……既存の地形情報とは、かなりの相違が確認されました」

「ということは、ここのあたりの探索から……手がかりを集める必要があるな」

「いいえ、それは問題ありません。すでに『スルト』の進行方向は算出できました」

「……早いな」

 

 それに答えるように、レヴィは細い腕を、ある方向へと向ける。

 伸びた指先が示していたのは、遠くに見える水平線であった。

 

「……海を渡るのか?」

「はい。水中の温度上昇の記録から、おそらく『スルト』はこの大陸ではなく、どこか遠くの大陸を到達目標としています」

「……ふむ」

「なので、まずは海を渡る事を目標とします」

 

 毛布をばさりと脱ぎ捨てて、レヴィが海の方へと足を踏み出す。

 突然の行動に呆気にとられたルークスは、ギリギリのところで彼女の腕を掴むことに成功した。

 

「何考えてる」

「海を渡ります。現在の動力供給であれば、可能だと考えます」

「お前はできるとしても俺ができない、と言っている」

「では私が運びましょう」

 

 周囲のいわばががらがらと崩れ始め、彼女の背中へと収束していく。

 一つの翼を造り出したレヴィに、しかしルークスは強く問いかけた。

 

「今のお前の力で、あいつは止められるのか?」

「判断を下すことはできませんが、やらなければ始まりません」

「けど、もしそうしたとしても、向こうまで渡れるのか?」

「…………不可能です」

「だから、何でも一人でやろうとするな」

 

 しばらくの沈黙をしてから、背負った翼がぼろぼろと崩れ始める。

 しょんぼり、といったように顔を俯かせるレヴィを再びベッドへと座らせて、ルークスは再び毛布を被せた。

 

「急ぐのも分かるが、だからといって準備をしないわけにもいかないだろう」

「……了解しました」

「それに、少し気になる事も有る」

「?」

 

 首を傾げるレヴィに、ルークスが少し不安になりながら問いかける。

 

「……その、『スルト』――グラン・ミラオスってやつはいま、大陸を襲おうとしてるんだよな?」

「はい」

「なら、どうしてここじゃないんだ? 海を渡るもなにも、ここを襲えばいいじゃないか」

 

 無論、ルークスもそんなことを望んでいるわけでもない。

 けれど、その『スルト』が海を渡ったという事実に違和感を覚えたのも、事実であった。

 

「……考えられる要因は、二つあります」

「ふむ」

「一つは、『スルト』は暴走ではなく、やはり何者かの影響下にあること。崩壊の痕跡も、ナバルデウスへの攻撃も全て暴走に偽装したもので、『スルト』を操作した本来の目的は、ある特定の大陸を破壊するため。それであれば、この大陸を破壊しない理由として充分です」

「……もう一つは?」

 

 問いかけに、レヴィはどうしてか、少しだけぼやけたような瞳で、海の向こうを見つめた。

 

「もう一つは、何かに導かれている、ということです」

「導かれている?」

「はい」

 

 曖昧なその答えに、ルークスが眉を顰める。

 

「『スルト』は黒龍を模倣した生態デバイスであり、それによりほかの生態デバイスよりも生命的な特徴が顕著にみられます。故に内部構造も独自のものを所持しており、そこにはある特定の血液も流れています」

「特定の血……?」

「ある一定の龍種しか保持しない、特別な血液です。我々を造った彼らは、それを古龍の血と呼んでいました」

「つまり、そのグラン・ミラオスは古龍に分類する、ってことか」

「そうなります。そして、その古龍を導く何かが、この先にある大陸に存在する」

 

 説明を続けるレヴィの眼は、やはり水平線を見つめたままで。

 ぼんやりとした彼女の様子に、ルークスは呆れたように頭を掻いた。

 

「……お前は、どちらだと思う?」

「後者だと考えます」

 

 即答する彼女に、ルークスが少し眉を傾ける。

 

「確証がない。古龍を導く何か、ってそんな曖昧なものが、本当に存在するのか?」

「しかしながら、『スルト』が私だけしか起動できないのも事実です」

「だが……」

「それに、確証ならここに」

 

 細い手のひらが、小さな胸元へと当てられて。

 

「……まさか」

「はい。私の内部にも、古龍の血が含まれています。そして」

 

 

「私はなぜか、あの向こうへと行きたいと、そう()()()います」

 

 

 潮騒の音が、とても遠くで聞こえていた。

 

「……それは、確かなのか」

「間違いありません。あの向こうには、古龍の血を保有する生物を引き寄せる何かがあると考えられます。おそらく『スルト』の単独での行動の原因にも、それの可能性があります」

「正確な方向は?」

「……あちらです」

 

 海の向こうを指し示すレヴィに、ルークスは慌てるように腰のポーチへと手を伸ばした。

 急かされるように方位磁針を取り出して、懐中時計のようになったその蓋へと手をかける。

 その小さな指と、手元で揺れる磁石へ交互に視線を送りながら、ルークスはぽつりと呟いた。

 

「……まさかな」

「?」

「いや……考えすぎか。そうでもなければ、こんなことは……」

 

 動揺する様子を見せるルークスの顔を、レヴィが不思議そうに覗き込む。

 

「何か、手段はあるのですか?」

「アテがないわけじゃない」

 

 ぱたり、と軽く音を立てて、方位磁針が閉じられる。

 古ぼけたその蓋には、蒼く光り輝く、一つの星の紋章が刻まれていた。

 

 


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