『ロストレガシー』   作:宇宮 祐樹

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蒼い星は追い風とともに

 

 はらり、と一枚の布が揺れる。

 

「……衣類の構築、完了しました」

 

 炎のような赤い装飾の施された、黒色のローブであった。

 通す袖は彼女の体には少しばかり大きく、けれど下の方は未だに白い両足を出したまま。

 頭にかかったフードを鬱陶しそうに払い除けると、赤みのかかった黒髪がさらりと揺れる。

 手の甲へとかかる袖を少し直し、確認するようにくるり回ったあと、それを見せつけるように、ルークスへと両手を広げてみせた。

 しばらくの硬直のあとに、思い出したように問いかける。

 

「下は?」

「不必要であると考えます」

 

「……」

 

 思いつく言葉はいくつかあったが、それが伝わるとは思えなかった。

 ちらちらと見える細い腿を、全く別の意味で訝しげに見つめながら、しかしながらルークスが思考を振り払い、ベッドから立ち上がる。

 

「まあ、いい。とりあえず今は船の捜索だ」

「了解しました」

 

 しっかりと閉じて置いたテントの布を開き、揺れる木の上へと足を踏み出した。

 流れてくるのは、潮の香り。海からくる風は強くなって、背中まで届く黒髪をなびかせる。

 そうして、風の吹くほうへと振り向くと、レヴィはそこにかつて見たことのない景色を見た。

 

「……これは」

 

 岩肌に沿って並ぶ街並みに、その向こうに広がるのは、大小さまざまな船舶たち。忙しなく出航と帰港とを繰り返すそれはみな、水平線を目指して帆を大きく広げている。

 それを見届けるのは大岩を削り出して形作られた灯台で、頂きに灯った炎は、海より来る彼らのことを、いつまでも照らし続けていた。

 タンジアの港。母なる海を駆け巡る、船乗りたちの集う場所である。

 

「見るのは、初めてか?」

「……いい、え」

 

 物珍しそうに船舶を見つめるレヴィは、けれど視線を動かさずにそう答えた。

 

「……ここは知ってる、ってことか?」

「知っているだけです。それ以外に、何も語ることはありません」

 

 少しだけ名残惜しそうにしながら、レヴィが視線を外してひとりでに歩き出す。

 憂うようなその表情に、ルークスが不思議に思いながらも、彼女の隣へと歩み寄った。

 かつかつ、と鎧の足音を立てながら、語り出す。

 

「おそらく、仮定の話になる」

「はい」

「その『スルト』――グラン・ミラオスが向かっているのは、新大陸というところだ」

 

 語る自分でも無茶苦茶だと考えたが、ルークスはそれを押し殺して話を続けて行く。

 目の前の少女を見れば、そんな不安など些細なことに見えた。

 

「新大陸については、知らないよな」

「はい。情報にもありません」

「簡単に言えば、ここよりもずっと遠くにある大陸のことだ。古龍渡り、というものは?」

「それもありません」

「まあ、古龍の習性だと思えばいい。この大陸――現大陸から、あらゆる古龍が移動することを言う。昔までは百年に一度だったらしいが、近年では十年に一度の頻度で行われているらしくてな。その原因があるとされているのが、新大陸だ」

 

 自分でも驚くほどに饒舌になりながら、ルークスが続けて行く。

 

「そして、グラン・ミラオスは古龍に分類されている、と言ったよな」

「はい。私も『スルト』も同じ古龍の地を含有しています」

「つまりはそういうことだ。レヴィ、お前が導かれていると思っているものは、おそらく古龍渡りによるもの――そして、同じグラン・ミラオスも、古龍渡りのために、新大陸へ向かっているのだと、俺は考えている」

 

 語るルークスの瞳の光は、確かなものであった。

 ゾラ・マグダラオスをはじめとした、新大陸への古龍渡り。

 近年ではナナ・テスカトリやゴア・マガラといった種類にもそれが確認されており、そんな状況では今回のグラン・ミラオスも仮説だとは言い難い。

 そうして話を続けているうちに、だんだんと人の賑わう音が聞こえてきた。

 居住区から少し歩いた、港町。そこにたどり着いた瞬間、急に隣をあるくレヴィの姿が、消えたのが見えた。

 

「………………」

「レヴィ?」

 

 自らの体の影へ隠れるよう、ぴったりと身を寄せているレヴィにルークスが問いかける。

 思わず見下ろしたその表情には、明らかな不安の色が見て取れた。

 

「どうした」

「……少し、人間は苦手です」

「俺も人間だが」

「助けることに応えてくれたルークス様は、信用に値すると考えています」

 

 こちらを見上げながら語る彼女の瞳には、少しだけ悲しそうで。

 

「人間はよく分かりません。言葉も、その考えも、全てにおいて理解が不能です。しかしながらルークス様は、私のことを理解し、受け入れてくれて、そして手を貸してくれる決断をしてくれました。よって、それは信頼に値することだと考えられます」

「……よく、分からないな」

 

 けれど、ルークスには確かに、レヴィが怯えていることだけは理解できた。

 

「早めに抜けてしまおう」

「おねがいします」

 

 船乗りやその妻たちが談話しているのを横目に、レヴィの肩へと手を回しながら、足早に街並みを抜けていく。そこで聞こえてくる雑音が、レヴィの耳へ不快感を与えていることに、ルークスは傍目に見ながら気づいていた。

 人混みをかき分けながらそこを抜けると、いくつもの船が間近に見える、港の付近へとたどり着く。

 

「もう大丈夫だ」

「……ありがとうございました」

 

 そこでようやく彼女が手を離し、疲れ切ったように息をつく。

 しばらくしてから、レヴィが落ち着いたのを見計らって、ルークスは再び口を開いた。

 

「それで、新大陸へと向かう手段だが」

「船ですか?」

「ああ。最近、新大陸への貿易船が停泊していると聞いた」

 

 ずらりと並ぶ数々の船舶を目で流しながら、ルークスがそう答えた。

 新大陸への渡航は困難を極めるが、しかしながら貿易がなされていないという訳でもない。

 あちらの素材だけでは武器や防具を作ろうにも限界があるし、となればこちらの地陸から、技術や素材を流してゆく必要がある。

 そのために熟練の船乗りが新大陸へ旅立つ船に乗っていることを、ルークスは確かに知っていた。

 

「では、その船は」

「それが問題だ」

 

 視界を覆うほどに連なっている数多もの船を見渡しながら、ルークスはため息混じりにそう答えた。

 ただでさえ、タンジアの港は船乗りのオアシスなどとも呼ばれる巨大な港である。故にその中からある一つの船を見つけ出すなど、決して容易なことではない。

 さてどうするか、と腕を組んだルークスの耳に、ふと声が入り込んでくる。

 

「ねえ」

 

 それは、少女であった。

 純白の衣を身にまとった、十五か六ほどの背丈の女性。しかしながら背中には白と黒とで形作られた銃槍を装備していて、それが彼女が歴戦のハンターだということを示してくれた。

 唐突にかけられたその言葉に、しかしながらルークスが落ちついて向き直る。

 隣にいるレヴィはまた、彼の影に隠れるように寄りかかった。

 

「どうした?」

「あなた、この港のハンター?」

「そうだが」

 

 身にまとうラギアクルス亜種の鎧をみやりながら、少女がまた問いかけてくる。

 

「じゃあ、この港の加工屋はどこ?」

「加工?」

「そう。ここで、モンスターを狩ったから、それの装備を作りたい」

 

 そう言われてはじめて、ルークスは彼女が両手に大きな袋を四つ、五つ吊り下げていることに気がついた。

 

「……俺たちが来た道を戻って、突き当たりを右に曲がればいい」

「わかった」

 

 それだけ告げてすれ違う彼女に、ふとルークスが思い出して声をかける。

 

「答えた代わりに、俺たちの質問も聞いてもらえないか」

「……なに?」

「分からなければいい。聴くだけで」

「いいよ」

 

 ゆく道を阻まれた少女は、けれど嫌がろうともせずに、首だけをこちらへ向けた。

 

「新大陸への貿易船が、近くに停泊していると聞いたんだが」

「……何の用?」

「とある理由で、可能ならばそれに同乗したい」

「新大陸へ行きたい、ってこと?」

 

 問いかける少女の言葉に、ルークスが首肯する。

 

「無謀だろうか」

「私は、そうは思わない。その理由があるのなら」

 

 返ってくる彼女の言葉は、ルークスの想像とはかけ離れたものであった。

 

「……君、は」

「新大陸への貿易船は、向こう」

 

 言葉を遮るようにして、少女が顎だけで自らが来た方向を示す。

 並んで浮かぶ船舶たちの一番奥には、確かにひときわ大きな貿易船が、波に揺られていた。

 

「ありがとう、助かった」

「聞かれたから答えただけ。それに、礼を言うのはこっちも」

 

 くるり、と彼女が踵を返すと、ケープの下の純白の髪が揺れるのが、見えた。

 

「またね」

 

 それだけを残して、少女が人混みの中へと消えていく。

 そうしてしばらくした後に、ルークスは腰あたりへ抱きついているレヴィの頭を、優しく叩いた。

 

「…………行ったぞ」

「本当ですか?」

「嘘を吐く理由がないだろう」

 

 集団が駄目だと思ったが、どうやら彼女は人間そのものが苦手というらしい。となるとルークスは自身がどうして平気なのかと疑問に思ったが、今はそれを口にすることはなかった。

 

 しばらく歩けば、貿易船には何の障害もなくたどり着いた。

 新大陸と現大陸とを何度も渡り歩いた船は、ところどころにその傷跡を残しながら、けれどしっかりと海の上へと佇んでいる。青空に貼られた帆には、蒼い星の文様が刻まれており、それはルークスが何度も目にしたものでもあった。

 

「……導きの蒼い星、か」

「?」

 

 うわごとのようなそんな呟きに、レヴィが首だけを傾げてみせる。

 荷物を抱えた青年が、船から降りてくるのが見えたのは、それと同時だった。

 

「……港のハンターか?」

 

 この地域では見慣れない、青色の鎧。その腰には、使い込まれた片手剣が釣られている。

 おそらく新大陸のものなのだろう、装備をつけたままの青年は、抱えた荷物を同じようなものが集まっている場所へと置くと、ずかずかと大きな足取りでこちらへと歩み寄って来た。

 三度隠れるレヴィの頭へ手を優しく乗せながら、ルークスが答える。

 

「これは新大陸への貿易船だと聞いたが」

「ああ、間違いない。明日には新大陸へ向けて出航する予定だ。それで?」

「単刀直入に言えば、その船に乗りたい。新大陸へ用がある」

 

 言葉のあとに続いたのは、しばらくの沈黙であった。

 やがて、呆れたように眉間のあたりを鎧の上から押さえている彼が、再び口を開く。

 

「……本気で言ってるのか?」

「今の俺に、嘘を吐く必要はない」

 

 聞き間違いでないことを確かめた青年は、思い切り息を吐いた。

 

「……そこの彼女と、二人でか?」

「ああ」

「ギルドマスターからの許可は? それが降りてりゃ話は別だが」

「事情が事情だから、まだ通してはいない」

「……つまるところ、密航しようってわけか?」

「そう、なのだろうな」

 

 包み隠すこともなく、ルークスがそう答える。

 隣にいるレヴィが驚いた顔をしているのも気づかずに語るその姿に、青年はやりきれなくなって、肩をすくめた。

 

「……言っておくけどな、辛いぞ?」

「だろうな」

「道中の安全が保障できるわけでもない。危険な船旅になる」

「それも承知の上だ」

「……こちらに、二度と帰ってこられないかもしれない」

「覚悟はしている」

 

 鎧の奥の瞳に、確かな光を宿らせて。

 

「それは、俺の全てを賭してでも為さねばならない事なのだと、思う」

 

 助けを求める彼女のことを、見捨てることはできなかった。

 たとえそれが人間でなくとも、造られた存在であろうと。

 それが見たこともない、知ることもない命であり、助けたところで感謝などされなくても。

 ただ、彼女は助けを求めて来た。

 ならば、それに応えることが、ルークスという人間にできる、唯一のことだった。

 

「……無茶苦茶だな」

「そう、だろうか」

 

 それは、ルークスにとって純粋な疑問であった。

 

「……名前は」

「ルークス。こちらは、レヴィ」

「ったく、また寝床が狭くなるな……」

 

 面倒くさそうに溜め息を吐く彼の声色は、しかしながら明るいものであった。

 そうして男が兜を取り外すと、後ろで縛った長い髪が、はらりと揺れる。

 切れたその目をにっ、と細めながら、

 

「俺の名前はカザミ。新大陸で編纂者って役職に就いてる。よろしくな」

 

 差し出されたその手を、ルークスはしっかりと握った。

 

「ほら、嬢ちゃんも」

「……否定します」

「なんだそりゃ。ま、いいさ。子供に懐かれないのは慣れてるからな」

 

 にかりと笑みを浮かべるカザミに、レヴィはすぐにルークスの陰へと身を隠した。

 

「しかし、新大陸に密航するほどの用とはなあ?」

「それだけの理由だと、考えている」

「……教えてはくれないのか? 別に、ギルドに報告しようってワケはない」

「ふむ」

 

 考えるそぶりを見せながら、ルークスがレヴィの方へと視線を向ける。

 

「……話した方が、よいだろうか」

「彼を信頼することはまだ不可能です。ですが、協力者が増えるのは好ましいことです」

「そうか」

「内緒話か? というより、二人はどういう関係なんだ?」

 

 きょとんとした顔で問いかけてくるカザミに、ルークスが一つ間を置きながら、答える。

 

「簡潔に言えば、新たな古龍渡りが行われようとしている」

「……聞こう」

「俺達はそれを止めなくてはならない。でなければ、新大陸が滅んでしまう」

「ならなおさら、ギルドに連絡できなかったのか?」

「彼女がそれを伝えたとして、ギルドはそれを信じるだろうか」

「…………なるほどな」

 

 まだ子供と言えるような、未だに一言しか言葉を交わしていないレヴィへと笑みを向けながら、カザミがそう答えた。

 

「それで、その渡る古龍は? 古龍渡りがあると知ってるなら、そこまでは知ってるだろ」

「グラン・ミラオス」

「……なに?」

 

 今までの軽い様子が消え去り、向けられる視線が真剣なものになっていく。

 だんだんと、立場がハンターと歴戦の編纂者へ変わっている事が、感じられた。

 

「グラン・ミラオスっていうと、あの伝承の……」

「ああ。それが今、新大陸へと向かっているのが分かった」

「それをその嬢ちゃんが教えてくれたのか?」

「正しくは人間ではない。彼女も、グラン・ミラオスも、正確には古代人に造られた兵器だ」

「…………………………お前、よくそれ信じられたな」

「目の前で見せられては、信じるほかないだろう」

 

 妙に説得力のある言葉に、カザミは頷くことしかできなかった。

 

「とにかくグラン・ミラオスが新大陸へ上陸してしまえば、その大陸が滅びかねない。それを阻止するために、俺は行かなくてはならないと考えた末に、こうしてここにいる」

「なるほどな。だが、阻止するにしてもグラン・ミラオスほどの古龍を、新大陸の資源だけで迎撃できるかどうか……」

「それについては、彼女で何とかする……筈だ」

「うん? それはつまり……?」

 

「おい、大変だ! カザミはいるか!?」

 

 会話を断ち切るようにそんな怒号が鳴り響き、それに反応したカザミがすぐさまそちらへと駆けていく。思わずルークスも振り向いて、その傍へと向かうと、そこに居たのは壮年の男性であった。

 

「どうしたんですか、船長?」

「おお、カザミ……そっちは?」

「港のハンターです。船に載せてほしい、と」

「ああ!? なんだそりゃ……まあいい、それは後で話す! とにかく、港のハンターがならお前も付き合え!」

「……分かった」

 

 断る余地は、既に無い様に見えた。

 

「それで船長、一体何があったんですか?」

「ああ、本来なら考えられない事態になっててな……とにかくこれを解決しないと、船が出せなくなっちまう! 何とかしないと!」

「早く教えてくれ。こちらは少し急いでいるんだ」

「言われなくても分かってる!」

 

 

「ラギアクルス亜種だ! 付近の海域に、ラギアクルスの亜種が出現しやがった!」

 

 

 


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