「不味いぜ……。水道光熱費どころか家賃の支払いすらも下手するとままならねぇ」
ブルックリン地区のアパートの一室で、家計簿を前にウチは頭を抱えていた。
「貯金はもうねえし、培養器は逃亡中に壊れちまった。働こうにも血が無いから、ヴァネッサもエルザも重労働はできねえ。ウチに至っては……、体にガタが来て、部屋の中を移動するのがやっと……」
ウチも出来ることからしていこうと内職をしてはいるが、そんな物では幾らにもならない。
「くそぉ、これじゃ今年の冬を越す前に、全員揃って日干しになっちまう……」
どうすりゃいいんだ。金の成る木でもあれば良いが、んな物はありゃしねえ。借金しようにも、貸してくれる奴なんかいやしねえ。
「八方塞がりだぜ……」
金策を練ろうにも考えが纏まらず、キッチンへミネラルウォーターを取りに行こうとした時だった。
ブーと滅多に鳴らないインターフォンが鳴ったんだ。
「誰だ。こんな時に……」
壁に手を突きながらフラフラと歩き、玄関のドアに手を掛ける。
「どちらさまで……」
「お久しぶり。探したよ」
目の前に立っていたのは、薬の売人や宗教の勧誘ではなく、ましてや郵便屋でもない、前にウチらに血液の培養器を渡したシンフォギア装者だった。
信用していいのか分からないが、人目につくのが嫌だから中に入れて用件を聞いた。
「探したってどういう訳だ?」
「培養器。あれの修理をしに来た。貴女たちを捕まえる権限は、今の私には無いから安心していいよ」
そらと工具箱を差し出された。中を検めると確かにドライバーとかネジとかそれらしいものしか入ってない。本当に修理しに来たみたいだ。
「そろそろメンテナンスをした方がいいと思ってね。貴女たち、あちこち逃げ回ってるからボロボロになってそうだし」
「そいつはありがとよ……。ただ……」
修理してもらえるのは有難いが、ひもじい生活をしているからか、直ぐに金の心配をしてしまう。
言い澱んでいると、向こうもウチの言わんとしていることが分かったらしい。機械の前に腰を下ろしてからこう言ってきた。
「お金は1セントも要らないから気にしないで。見たところ、かなり生活に困っているようだし。前にしっかり食べたのはいつ?」
「思い出せねぇ……」
最後にフツーの食事をしたのは、いつだったか……。
「リュックサックの中に、デリカテッセンで買ったサンドイッチが有るから食べなよ。飲み物もコカコーラで良ければあげるから」
「いや、ヴァネッサやエルザに申し訳ないからいらねえ……」
「フラフラの体で我慢は禁物。2人の分も後で買って来るから」
そういって機械の前から立ち上がり、リュックサックを漁って、サンドイッチの入ったケースとコーラの缶をウチに押し付けた。
「すまねえな……」
「気にしなさんな。逃亡生活やスラム暮らしの辛さは、私もよく知ってるから」
機械を直して、ウチへの輸血を済ませてから、黒目は出て行った。コインロッカーに預けていた物と3人分の食事を仕入れて来るとかで。
「そろそろ身の振り方を考えなさいな。もう限界でしょうに」
出て行く際に彼奴が言っていた言葉が、頭の中でグルグルと渦を巻く。
確かにウチらの生活は、限界に近い。でもよ、別に入りたくて入ったわけじゃないとはいえ、ウチはパヴァリアの残党として追われる身だ。それにこんな訳ありの体じゃ、迂闊に投降することもできねぇ。
「もう逃げ場らしい逃げ場がねぇんだよ……」
思わず泣き言が口に出てしまう。
「行く所も……、もうあの世しか思いつかねえし」
だが死ぬのは無理だった。前にピストル自殺を試みたことがあったが、結果は失敗。ただ痛いだけだった。
「ホント……、どうにもならねぇな……」
20分もしないうちに、彼奴は戻ってきた。紙袋とギターケースを持って、硝煙の匂いを漂わせながら。
「何かあったのか?」
「そこで暴漢に襲われたんだ。でも簡単に返り討ちにしてやったよ。サタデーナイトスペシャルで傷が付くかっての」
そう言ってテーブルに紙袋を置いて、背負っていたギターケースを床に下ろした。
「高いケースにして良かったよ。お陰で威力の弱い弾なら傷一つつかない」
「中身は何だ」
「ギターだよ」
「まさか機関銃入りじゃねえだろうな」
前に機関銃をギターに仕込んでた奴に襲われたことがあるから、どうも警戒しちまう。彼奴もこの黒目の関係者だったから、同じ物を持っていてもおかしくはない。
「疑うのなら開けて中身を確かめてみなさいな」
「ああ」
ベッドに腰掛けて、膝の上に置いたケースを開けると、中に入っていたのはエレキギターだった。それも赤いランダムスター。まだ人間だった頃に持っていた機種だ。
「ローゼンシュトックが、レオーベンの小さな質屋から買い取ってきた品だよ。これを貴女に渡して欲しいって頼まれたから持ってきた」
あのやたらと力のある薔薇みたいな奴が?
「ウチに?」
「後ろを見てみな」
ランダムスターをひっくり返すと、ボディの裏側に金文字で " M. K."というイニシャルが書いてあった。あれ、確かウチが昔持ってたのにも同じイニシャルを入れていたような。
「シュトックから聞いたのだけど、質屋の女の子が言うには、知り合いの遺品ってことで預かってたものらしいけど」
「そいつの名前は分かるか?」
「アーデルハイト・アラーベルガーって名前らしいよ」
「ウチの親友だ……」
ということは、これはウチのランダムスターで間違いない。傷みは無いし、弦も新品になっている。ハイディの奴、大事に保管しておいてくれたのか。
「なぁ、ハイディにウチが生きているって伝えたか?」
「ないってさ」
「そうか……。出来ればでいいが、死んだって伝えておいてくれないか? この身体じゃ、もうあの子の前に出たかねぇから」
「分かった」
「恩に着るぜ」
「そろそろお暇するよ。ウィーン行きの最終便に、乗らなきゃいけないから」
腕時計を見た黒目が、リュックサックを背負ってスッと立ち上がった。
「工具箱とマニュアルは置いて行くから。あと少ないけど、これ」
そう言って財布から800ドルを取り出して、私に手渡した。
「焼け石に水にしかならないだろうけど」
「すまねえな」
「それともう限界だって時には、ここに連絡して」
黒目がポケットから紙を取り出した。受け取って見てみると、そこには電話番号が書いてあった。
「何処あての番号だ?」
「S.O.N.G.の改造人間の保護をしている部署に繋がる。心配しなくても身柄の拘束とかはしないから」
「本当か?」
「もうテロなんて起こす気力も理由もないでしょ。それに人道上、このまま貴女たちを放っておく方が宜しくないし。じゃあ、バーイ」
そう言い残して、黒目は外に出ていった。
「あの子達の様子ですか? 暮らしぶりは厳しいようですよ」
JFK空港に向かうタクシーの中で、私は弦十郎さんにノーブルレッドの様子について報告していた。
最近、食い詰めたパヴァリア残党が、強盗を働く事件が世界各地で起きていたんだ。残党の中には改造人間もいるから、潜伏中の危険性のないグループとの接触及びテロに走りかねないグループの掃討の任務を私が受け持つことになった。
その第一陣がノーブルレッドだったのだけど、あそこまで困窮していたとは思わなかった。今日出会ったミラアルクの生気のなさ、部屋の家具の少なさや荒れ具合から、かなりギリギリの経済状態で生活していたことが分かる。
「この分だと、場所によってはもっと酷いことになってるかもしれませんよ……。はい。あの子達にあれは渡したので、時が来たらお願いします」
電話を切り、座席に深々と座る。
「スラム暮らしって大変だからなぁ……」
私もオセアニアや逃亡生活はスラム街で生活していたから、その大変さが如何様な物なのかは、よくわかっている。だからこそ、仕事とはいえ手を差し伸べるなんて柄にもないことをした。
「糸が伸びているうちに、それを手繰ってほしいよ」
改造人間にも、人並みの暮らしは出来て当然のことだから。