新調した服を着て、カラスで東京の街をツーリングする。
最近になって、どうも普段着がダークスーツだけだと味気なくなって、新しいものを買うことにしたんだ。
それで明るめの色調のものを買ったのだけど、なんだか落ち着かない。もう少し地味な色にすればよかった気がする。黒と紫のツートンカラーのカラスと合わない。
「まぁ、いいや。気分転換になれば……」
久しぶりにふらわーに行こうかと、商店街の方にオートバイを走らせた時だった。
目の前に深緑の髪の女の人が飛び出してきたんだ。
「危ないっ!」
慌ててブレーキをかけながらハンドルの向きを変え、道の横の粗大ゴミ置き場にカラスを突っ込ませた。
その後、オートバイを道の横に押して、倒れている女の人のところに駆け寄った。轢く前に向きを変えたから大丈夫だとは思うが、場合によっては救急車を呼ぶなり、警察を呼ぶなりしなければいけないから。万が一の時は、免許に悪い影響が出るかもしれないが、こういう行動は欠かすわけにはいかない。
「大丈夫……ではなさそう」
抱え起こすと気絶していた。しかも口から血を垂らしている事からして何処かを怪我している。だが飛び出してきた位置と倒れている位置は同じだから、カラスに跳ねられた線はない。
「おや……」
白衣の左腕やセーターの腹部に丸い穴が開いている。服を捲ると焦げ跡のある丸い穴が出来ていた。銃創だ。
だとすると相当危ない奴から逃げてきたに違いない。追手は近くにいるだろうから、悠長な事はしていられない。
カラスのサイドカーに彼女を乗せて、本部に向かうことにした。お好み焼きはまた今度か。これも人命救助の為だ。仕方ない。
海に面した峠道を走って、港への道を急ぐ。
ちらと右に目をやると女の人はまだ気絶していた。応急手当はしたが、あんなものは焼け石に水にしかならない。
「それにしても……、どこから逃げ出してきたのやら……」
ずっと寝ているままだから聞きようがない。いや、出来なくはないけど、その余裕がない。
「まぁ……、背後から追ってきている奴らの所に居たのは確かだ……」
私の後ろにさっきから黒いワゴン車が付いてきている。しかもバックミラー越しに助手席と後部座席に乗っている奴が、MP28を取り出して撃ってきた。
「ここはスペインじゃない!」
レミントンM870をホルスターから引き抜いて、運転手目掛けて発砲する。
そいつがばったりと倒れて、ワゴン車が蛇行し始めた。慌てて助手席の奴がハンドルを握ったが、もう遅い。
「一丁あがり」
私の言葉が終わらないうちに、車はガードレールを突き破って、海に落っこちていった。生け捕りにしたかったけど、この非常時だ。そんな事してられない。
M870をホルスターにしまって、左手に再びハンドルを握らせて、カラスを走らせているとサイドカーの女の人が目を覚ました。さっきの音で目を覚ましたのだろうか。
「ここは……」
「気がつきましたか。さっき道のど真ん中で倒れていたものでね。安全な所にお連れしますから、安心してください」
「いや、そういう訳にもいかないの……。私、追われているから……」
「マシンガンを持った連中にですか?」
「そう……」
「なら大丈夫です。さっき追い払いました。もう少しで目的地に着くので休んでいてください」
「そうするしかなさそうね……」
警戒されてはいるが、付いてきてくれるらしい。下手に逃げられでもしたら厄介な事になるからありがたい。
「完全聖遺物カーバンクルねぇ……。こんなチンチクリンが……」
リスと猫を足して2で割ったようなヘンテコな動物が、あの女の人、貴瀬翠が追われている原因だった。
なんでもお姉さんの瑠璃と一緒に父親の代からカーバンクルを研究していたらしいのだけど、その方針で揉めるようになったのだとか。翠さん自身はこのチンチクリンな状態のカーバンクルを維持する事で満足していたらしいんだけど、お姉さんの方はそれに飽き足らず、本来の姿にまで進化させようとしていたのだとか。
でも資金が尽きて困っていたところに、まだ金のあった頃のパヴァリア光明結社から援助の話が転がり込んできたらしい。
ただあまりにも胡散臭い連中だからこの人は話を断ろうとしていたんだ。兵器に転用しようという魂胆が見え見えだったから。しかし瑠璃さんは、これに乗っちゃったんだ。
それでも翠さんは、アダムが死んだ頃に一度錬金術師達との付き合いを切ろうとしたのよ。いよいよ連中に後がなくなったから、兵器としてカーバンクルを利用されかねないって。
しかしそれも失敗に終わり、その段階にまで進化させられる事になった日の前日、つまりは4日前に堪りかねてカーバンクルを持ち出して研究所を飛び出したんだって。けれども追手に襲われて、怪我をしていたところを私に拾われたということらしい。
「お前もよくよく不幸の星の元に生まれたものだ……。身体の都合で厄介な連中に目をつけられるなんてさ」
何も知らない顔で、私の目の前に座っているカーバンクル。まぁ、聖遺物に危険もへったくれもないか。そもそもそんなことが分かるはずない。
おつむに指を乗せると大人しく撫でられている。こうしていると人間慣れした動物に見えなくもないが、全くそんな性格ではない。
本部に着いた途端にこの姿になったんだけど、私と翠さん以外には威嚇してばかりで、手の付けようがないから自分の部屋に連れてきたんだ。
「私なんかよりももっと良い子がいたんじゃないの?」
「キュー」
発泡スチロールを擦り合わせたような鳴き声をあげて、カーバンクルは私の膝の上に乗って丸くなった。どうやら寝ているらしい。
「久しぶりだ……。こんなに生き物に懐かれるの……」
生き物と言って良いのか怪しいけど、悪い気分じゃない。
ソファーで寝転がっていると変な音がした。ふとカーバンクルを置いた机を見やると、私のジタンを齧ろうとしていた。
「わぁーッ! 待った待った! それを齧っちゃ駄目!」
そんなことがあるかわからないけど、ニコチン中毒にでもなられたら厄介だから、慌てて取り上げた。
「キュー! キュー!」
前足で私の体にしがみついて、不満げに鳴いている。ひょっとしたらチンチクリンな見た目とは裏腹に愛煙家なのかもしれないが、吸わせでもしたら後で何を言われるか分かったものじゃない。
「これは駄目! こっちにしなさい!」
ポケットに入れていたココアシガレットを渡すとカリカリと齧り出した。
それで食べ終わったら、もっとくれとばかりに箱に頭を伸ばしてきた。
別に害があるわけでもないからあげると大人しく食べていた。やれやれ。
「当分、ジタンは金庫にでも仕舞っておかないと……」
買い溜めしてるのを含めて隠さないと知らない内に全部齧られてしまうかもしれない。漏れがないようにしよう。
「さてと……、メンテナンスしないと……」
日課のワルサーP38とワルサーPPKのメンテナンスに取り掛かる。
「まずは工具箱をと……」
「キュ」
カーバンクルが前足でその工具箱を押してきた。言ってもないのに、よく分かったね。どうやら頭の中身は、人間のそれよりもずっと作りがいいらしい。
「気が効くね。偉いよ、カーバンクル」
「キュー!」
銃のメンテナンスを終えてからは、遊び相手になった。気質の似ているピーシェの相手をした時と同じ要領でやればいいから、どうすればいいか分かりやすい。ただカーバンクルは、ピーシェよりも芸達者で面白い物を見せてくれる。例えば……。
「凄い」
「キュッ!」
ダーツ。部屋にあったダーツセットを見ていたので遊ばせてみたら、全ての矢が的の真ん中かその少し横に刺さった。私よりも精度が高い。元々、翠さんの所で遊んでいたのだろうか。だとしたら相当仕込まれたに違いない。
「プロを目指せるよ、カーバンクル……」
人間として生まれていたら、きっと世界大会に出場していた事だろう。
「パラグアイの首都アスンシオンからお送りします。本日のアスンシオンの天気は……」
夜中の1時に、ラジオから流れてくるスペイン語を聴いて、カーバンクルがベッドの中でモゾモゾと動き出した。
「どうしたの」
「キュー」
音量を下げたラジオを近くに持ってきてやると、顔を突き出して聞き入っている。
「パラグアイがどうしたって……、そうか」
この子のお里は、確かそこだって聞いた。里心がついたのかもしれない。
「故郷の風景でも思い出した?」
いつか連れて行ってあげたいと思うけど、この体ではそれも難しい。
それを悔やんでいると警報が鳴った。アルカ・ノイズと錬金術師がこの近くで暴れているらしい。
「性懲りもなく……!」
制服に着替えて、予め武器庫から持ってきておいたMP5と予備の弾倉を持って、司令室に急行する。勿論、カーバンクルを連れて。弦十郎さんに預かってもらった方が安全だろうから。
司令室に入ると弦十郎さんから開口一番、艦内警備に回ってくれと指示が出た。S作戦絡みではないから、対応は他の装者に任せるとのことだ。船とカーバンクルのお守りに専念してくれと言われた。
それで銃を担いで、艦内の見回りをしている。ただ困ったことが一つ。
「あのね。狙われてる身なんだから少しは警戒しなさいな」
「キュー」
頭の上に乗っかったカーバンクルが降りてくれないんだ。無理に下ろそうとすると、気が立っているのか引っ掻いてくる。もしかして戦闘狂なのか。いや、そんな話は聞いてない。そもそもそんな性格なら、追手を始末した時に目を覚ましている。
「宝石の化身だから私みたいに硬いのかもしれないけど、万が一鉛玉が飛んできたら面倒な事になるよ」
ここの人達に限って、乗り込まれるようなヘマをしでかす事はないと思うが、もしもの時があるからね。
「宝石みたいに硬いアルカ・ノイズ?」
帰ってきたクリスから妙な話を聞いた。カチンコチンに硬いアルカ・ノイズが出てきて、大分苦戦していたらしい。ただクリスだけは似たような性質のギアになったらしく、そこまで骨は折れなかったそうだ。
「お前よりも硬くて、他のみんなは手が疲れちまってさ……。あの人が言うには、カーバンクルのデータを応用したものらしいんだが……」
「そんなのが出たんだ……」
これは面倒な事になった。相手にするとしたら、対戦車ライフルでも持ち出さないと倒すのが大変そうだ。カーバンクルがいる以上、近づけさせたくはないし。
「シモノフをななみから借りないと」
次の日、ななみが京都から荷物を背負って横須賀港までやって来た。甲板に危険物のステッカーが貼られた箱が下され、Kar98kを肩に掛けたななみがその横で一息ついていた。
「ご注文のPTRS1941です。あと徹甲弾350発分も一緒に渡しておきますね」
「ご苦労様。なんでも私達よりも硬い相手らしくてさ。流石に普通のライフルだと不安だったんだ」
「なるほど……。でもそれなら……」
腰溜めにしたライフルで、さっきからコンテナ越しにこちらの様子を伺っていた錬金術師をななみが銃撃した。
「錬金術師を先に片付ければ、事は済むのでは?」
双眼鏡で様子を見ると、奴は右腕の肘の上を撃ち抜かれて倒れていた。流石、姉妹一のスナイパー。スコープ無しでも良く当たるものだ。
「問題は多分ないと思うけどね。でも響達がそんなことできると思う?」
「無理でしょうね。私達みたいに忌避感が麻痺しているわけではないですから」
「でしょう?」
そんなことを話しながら、S.O.N.G.の職員に錬金術師が取り押さえられるところを2人で見ていた。
「ところで件のカーバンクルは今どうしてるんです?」
「クリスと遊んでるよ。私と研究者の人以外に懐くのは、あの子くらいなんだ」
「へぇ……」
銃を台車に載せて自分の部屋まで運んでいると、疲れた顔のクリスが向こうから来た。
「随分とデカい荷物だな」
「運ぶの手伝ってくれない?」
「勘弁してくれ……。カーバンクルの相手でクタクタなんだ……」
「あの子はどうしたの?」
「研究室で検査中だ……」
部屋に着くと疲れていたにも関わらず、荷下ろしをクリスは手伝ってくれた。
「結構重いが、中身は何だ……?」
「ソ連製の対戦車ライフル。70年前の代物だけどまだまだ使えるよ」
箱から部品を取り出して、銃を組み上げる。
「そんなもん、アームドギアの代わりに使えるのか?」
組み上がったシモノフを見たクリスの反応は、いまいち芳しくなかった。確かに古過ぎるし、そもそもアルカ・ノイズに通用するかが問題だものね。
「張子の虎よりはマシさ。尤も使わないで済めば一番だけど」
「そうさせるつもりだから安心しろ」
「頼りにしてるよ、クリス」
ココアシガレットを売店で買って、研究室に行こうとすると警報が鳴った。例のお客様らしい。
部屋に引き返し、シモノフを持ってから研究室に駆け込んだ。
「エルフナインちゃん、カーバンクルは!」
「何とも無いですよ。少し興奮しているようですが……」
確かに落ち着かない様子でジタバタしている。あれ?
「そういえば前の襲撃の時にもそんなことが……」
「どうかしたんですか?」
「いやね。この子、この前の戦闘でも興奮してたの。今よりはマシだったけど」
「そういうことは、もっと早く教えてください。しかし戦闘の度に興奮しているとは……、その中に原因があるのかも……」
戦闘の中にある物か……。今の所、修羅場にいるのは、シンフォギア装者とアルカ・ノイズ、そして錬金術師。プレイヤー3者のいずれか又は全員に原因があるってことになる。
でも原因を特定できる材料が無い。カーバンクルは分からない事が多いらしいから。
「そういえば翠さんの話では、カーバンクルには本来の姿があるとのことでしたね」
「確かにそんなこと言っていたね」
「もしかしたらカーバンクルは、完全に起動している訳では無いのではないでしょうか。エネルギーが足りていなくて、あの小動物のような姿になっているだけとか……」
「要するに、このチンチクリンな姿は仮初の物で、本来の姿になる為に、何処かからエネルギーをかき集めているってこと?」
「そういうことです。そしてあの中で、聖遺物を起動させるのに必要なエネルギーを生み出せるのは……」
「そのエネルギーたるフォニックゲインを使っている装者だけ……、なんてこった……」
エルフナインちゃんの仮説が正しければ、原子炉で起動させている私以外、誰も出撃できなくなる。頭が痛くなる話だ。
エルフナインちゃんの仮説に基づき、装者の皆んなと弦十郎さんに派手な訓練をしてもらい、その近くにカーバンクルを連れて行ってみた。
するとカーバンクルが、またもや暴れ出した。計測してみると体の中にあるエネルギーの量が増えている。どうやらエルフナインちゃんの仮説は、当たっているようだ。このまま装者を戦わせたら、カーバンクルが放っておいても完全体になると。敵さんも考えたな。
「ところでカーバンクルの完全体がどういう物なのか、調べはついていますか?」
「父の研究結果によると、巨大な竜のような姿になるらしいわ。それで後はもう制御できないって」
翠さんの話を聞いて、頭痛が酷くなった。つまりあの子をあのままにしておけば、とんでもない事態に発展することになる。今のうちに引導を渡すより他、手立てはない。
「本当に他に手段はないのですか?」
「ええ、姉さんもそれは発見していなかった筈よ……」
「つまり此方の動きを利用して、カーバンクルを成長させていたと」
報告を受けた弦十郎さんの顔は、渋い物だった。
「そうなると、こちらとしてもカーバンクルをそのままにしておく訳にはいかないな」
「こうなったら……、致し方ありません。今のうちに、私があの子を破壊します……」
「出来るのか?」
「もう10年近く、そんな事してました。平気ですよ。一々、私情を挟んでは、取り返しのつかないことになります」
「翠さんからの了承は?」
「得てます」
「なら良し……。明朝6時30分にカーバンクルを破壊するんだ。命令書は追って出す」
「ありがとうございます」
カーバンクルの破壊が、私の意見から正式な命令に切り替わったところで、司令室を出た。
「それではカーバンクルとの最後の夜を過ごしてきますよ」
「こんな言い方をしていいのか分からないが、楽しんでな……」
「カーバンクル、星空は綺麗?」
「キュー」
甲板に登って、カーバンクルと星空を眺める。
「南十字星はここでは見えないね。お前の故郷の反対側にあるから」
「キュイ」
「最後の空だ。よーく見ておいて」
ポケットからココアシガレットを取り出して、カーバンクルの口に持っていく。
カリカリと音がして、食べているのが聞こえる。
「もっとあるから」
「キュー」
最後の晩餐だ。好きなだけ食べさせてあげる。
「夜明けまでは、まだ時間がある。のんびりしようか」
しかしそう言ってはいられなかった。また来やがったんだ。
黙ってギアを装着して、バイザーを最大望遠にする。敵の数は錬金術師5人と例の硬いアルカ・ノイズ20体。
「こいつで大穴を開けてやる」
シモノフのコッキングレバーを引いてそう呟く。戦車相手の銃なら一撃で大きな風穴ができるだろう。
「キュー」
カーバンクルが背中に乗っかった。前よりも少し重くなっている。
「最後の日が血生臭くなってごめんよ。カーバンクル」
私はカーバンクルを背中から下ろす事なく、ライフルを抱えて空に浮かび上がった。
ちょうど奴らの上を取り、錬金術師のうちの1人に狙いを付けて引き金を引く。
反動で吹き飛びつつも、そいつの頭が吹き飛んだのを確認して、連中が混乱している隙を突いて狙撃し、全滅させる。
「錬金術師どもは片付いた。後は……」
装弾してコッキングレバーを引き、地上近くまで降下してアルカ・ノイズ目掛けて発砲する。
流石にアルカ・ノイズだけあって、1発では倒れなかったが、5発ほど同じ箇所に命中させれば、赤い砂になって崩れていった。
「全弾打ち尽くす程の硬さはなさそうだ」
それに幸いにも陸戦型だけらしい。これなら無駄玉も少なくて済む。
「よし……、こいつで一旦は片付いた……」
「キュウ」
「疲れたか。カーバンクル」
カーバンクルを背負い直して、ビルの屋上のフェンスにもたれかかる。
「本当なら、遊園地なりなんなり何処にでも連れて行ってあげたかったのだけど……」
ペット連れ込みができるかどうかはともかく、色々遊ばせてはあげたかった。ずっと船暮らしだから。
「他にどうにもしてやれないの。ごめんなさい、カーバンクル」
「キュー」
毛並みを整えながらゆっくり撫でると、気にするなというように鳴き声をあげた。どうやら自分の行く末について、薄々感づいていたようだ。
「お前の頭の良さが、今だけは憎らしいや……」
「キュウ」
私の胸に頭を押し付けて甘えるカーバンクル。数時間後には、この子に手を掛けねばならない。何とか助けてやれるならそうしたいが、この先、あの人の姉が何かしら仕掛けてくるのは、目に見えている。それにシンフォギアがある限り、この子が怪物になるのは避けられない。
「若を奈何せん……」
垓下で追い詰められた項羽のように、本当にどうにもしてやれない。
「朝日が見えてきた……」
海の向こうから日の出が見えた。嫌味なほどに綺麗だった。こんな時に限って。
堪らず一箱だけ金庫から持ち出していたジタン・カポラルを取り出して口に咥え、ダンヒルのオイルライターで点火する。
「キュウ」
「吸いたいの?」
こくんと頷くカーバンクルに、取り出した一本を咥えさせ、火をつけた。最期くらい吸わせてもいいだろう。
「最後の煙草だ。よく味わっておきなさいな」
頭の後ろで手を組み、ゆっくりと煙を吐く。
カーバンクルの方も器用に前足の先にタバコを挟んで、口から煙を吐いていた。
「美味しいか?」
「キュー」
「そうかい……」
「そろそろ時間か」
腕時計が6時を指した。ここを出る時が来た。
「おいで、カーバンクル」
「キュ」
カーバンクルを肩に乗せて、ビルから出ようとした時だった。
屋上に誰かがやってくる音がした。気配からして警備員ではない。全然違う碌でもない奴の気配だ。
ドアから距離を取り、腰のヒップホルスターからワルサーP38を引き抜く。ここで図体のでかいシモノフは使えないから。
「さあ、何が出てくる……?」
確実に発射できるように、安全装置を解除して待機する。
「今更だけど、耳当てが無いのを許してちょうだい」
「キュー」
ドアが開き、中から青髪のいかにも話の通じなさそうな顔付きの女が出てきた。あの人に似た顔のつくりからして、恐らく貴瀬瑠璃だ。
しかし人違いの可能性もある。一応、名前は聞くことにした。
「誰だ?」
「貴瀬瑠璃。カーバンクルの研究者よ」
「ほぉう……。とすると、今回の騒ぎの元凶はお前か?」
「その通り。全てはその子を自由にする為に起こしたことよ」
「自由ねぇ……。具体的にどうするつもりだった?」
聖遺物の研究やってる人間は、大抵の場合、訳の分からない事を考えている。色ボケだったり、誇大妄想だったりと、とても付き合いきれないような考えをする人が殆ど。何を言い出してもおかしくない。
「カーバンクルを真の姿にするつもりだった。たったそれだけ」
「それだけ……。そうなるとどうなる?」
「大暴れするだけ。後のことなんか知らないわ」
無責任な話だ。こんな奴の為に、他の子たちがわざわざ出撃する羽目になっていたとはね。何とも馬鹿馬鹿しい話だ。
「なあんだ。つまり今回の件は、お前1人の身勝手の所為で引き起こされたのか。開いた口が塞がらんよ……」
「キュウ……」
「お前もそう思う?」
「キュー」
研究対象の筈のカーバンクルまで呆れてる。そりゃそうだよ。はっきり言って余計なお世話だもの。別にこの子自身は、そんなことしてくれと頼んだ覚えはないし、しかも奴さんが騒ぎを起こしたおかげで、死ななきゃならない身だ。これでは、カーバンクルはただただとばっちりを食う羽目になっただけとしか言えない。
これ以上、話を聞くのもアホらしくなり、緊急通報用のボタンを押して本部に通報した。
「もう後は、取調室で聞くから結構です。カーバンクル、帰ろうか。お前、とことんツキがないよ。こんな下らないことで死ぬ羽目になるなんて……」
「キュウ……」
「待ちなさい。死ぬってどういうこと?」
「言葉通りですよ。このままいくと、あんたの思惑通り、カーバンクルが成長して厄介な事になるようなんでね。その前に破壊するんです」
どうやらこれは想定外だったようで、みるみるうちに顔色が変わった。
「カーバンクルを渡しなさい」
「何で無差別テロを起こすあんたに引き渡さないといけないんです?」
「その子を殺そうとするあんたに持たせるよりはマシよ」
「真の姿にしたところで、同じ結果を招くだけだ。第一、危険物を使って、わざと公僕に見つかるような事をしていたんだ。こうなる事くらい簡単に想像できただろう」
返事はない。それはそうだ。この女、絶対に何にも考えていなかった。リスクなんかまるで考慮していなかったに違いない。カーバンクルを真の姿にする以外、考えていなかったようだし。
答えは分かりきっていたが、私は構わず畳み掛けた。
「まさか何にも考えていなかったのか……、ええ……? どうなんだ……、どうなんだ!!」
案の定、答えは返ってこなかった。代わりに54式手槍を白衣の内ポケットから取り出してきた。
すかさずP38を撃って、54式を弾き飛ばす。それを拾おうとするのを更に弾き飛ばして阻止し、ついでに左手と左足にも1発ずつお見舞いした。
「悪足掻きはよせ。もうどうにもならん」
「終わりましたよ」
作業を済ませて、射爆場を出る。
「首尾はどうだ?」
「カーバンクルは、塵一つ残さず消え去りました。もう二度とあの子が起こされる事はありません」
「ご苦労さん。後の処理は俺たちで済ませておくから君はもう下がっていい。ゆっくり休んでくれ」
「ありがとうございます」
「それと……、このような仕事を回してしまい申し訳ない……」
「いやいや。こういう仕事は、慣れている人がするものですから……」
通路を歩いて、喫煙所に2人で入る。それぞれ煙草を取り出して、煙を飲む。
「迷わず向こうに行ってくれたら助かるんですけどね……」
「行かない者も……、現れるな……。君ほどでは無いが、俺も覚えがある」
「奴らを追い払うのは、年単位でかかりますからね……。亡者の群れにカーバンクルが入ってない事を祈りますよ……」
「そうだな」
弦十郎さんと別れて、船内のバーに向かう。
ドアを開けるとそこには既に先客が居た。翠さんだ。
「あら……」
「済みました……」
それだけで何のことかすぐに分かったようだ。顔付きが暗くなった。
「完全に消えた?」
「一欠片の破片も残さず、消えて無くなりました。これでもう誰にもカーバンクルは振り回されずに済みます」
「そう……」
隣の席に座って、ブラッディ・メアリーを頼む。
「そうだ……、これ持っていてください……」
ポケットから吸殻を取り出して、翠さんの目の前に差し出す。
「これは?」
「カーバンクルが吸っていたジタンです。あの子の遺品だとでも思ってください」
「あの子が……」
「器用に前足の指に挟んで吸ってましたよ。真ん中あたりがひしゃげているでしょう」
「本当だ」
しげしげとひしゃげた吸殻を彼女が見ている横で、ジタンを取り出す。
「一本いかが?」
「吸ったことないのだけど、いただくわ……」
翠さんが咥えたのを見て、ライターで点火する。
こちらも一本取り出して点火し、紫煙を燻らせる。
「美味しくないわね……」
「好みがありますからね……。カーバンクルは、見たところ気に入っていたようですが……」
「あの子が煙草吸うなんてね……」
「原産地の南米の出身だから吸ったことがあったんじゃないですか」
「なるほど……」
2人で紫煙を燻らせて、しばし黙る。灰がチェイサーとして置いていた水の中に落ちたのを見て、また口を開いた。
「これからどうするんです?」
「パラグアイに移住しようかと思っているわ。そこでカーバンクルの伝承を調べていくつもりよ」
「そうですか……。良い結果が出る事を祈ってますよ」
「ありがとう。それと姉さんは……」
「銃刀法違反に聖遺物の管理に関する法律の違反、その他諸々でただでは済まない状況です。まぁ、多少長いお勤めで済むだろうと司令は、予想していましたけどね。カーバンクルが本格的に暴れていたら、状況次第で首が無くなるところだったそうですから。尤も実際にはそうならなかったから、この酒の名前のような姿になるのは、どうにか回避できるそうですよ」
そう言って、ブラッディ・メアリーを一気に飲み干す。
「なら良かった……」
「カーバンクルの宝珠も消えた今、もうあの人が騒ぎを起こす心配は無いですからね。ただ研究を台無しにした私を大層恨んでいるようですが……、まぁ良いでしょう。そんなの気にしていたら、こんな仕事していられないです……」
「それは、ごめんなさいね」
「貴女の謝る事では無いですよ。こちらこそカーバンクルを破壊する方法しか取れず、申し訳ありませんでした」
テーブルにお勘定を置いて、席を立つ。
「それでは良きパラグアイでの生活を……」
シモノフを持って甲板に立ち、大至急持ってきてもらった空包を装填して、3発空に向けて発射する。
そしてポケットの中にあるココアシガレットをケースから取り出し、海にばら撒く。
「どうか向こうで食べて……」
最後の一本を落とそうとしたとき、キューという鳴き声が何処からともなく聞こえた気がした。
それを掻き消したくて、もう2発空包を発射した。
「お前はもう休め……。疲れただろう」
銃を抱えて、ゆっくりと中へと続くドアへと歩く。
「あの世でそのうち逢えるさ……。だからそれまで……」
おやすみなさい。