からん、がらがら……
「……」
部屋に響く音で、恵は目を覚ます。
見慣れない部屋を一瞥し、宮永家で酒を飲んでいたことを思い出す。
「お、目が覚めたか」
空き缶を入れた袋を部屋の外に出していた界がそれに気がつく。
もう一人いたはずの、男子高校生の姿は見当たらない。
「首とか痛めそうな寝方してたけど大丈夫か?」
からかうような界の台詞に大丈夫だと答えながら、恵は腕時計を見る。
針が指しているのは長短どちらも10の数字の近く。
どうやら大分寝ていたらしい。
「水いるか」
「ああ」
界が流し台へと向かう。
その背に、恵が問いかける。
「須賀、といったか。あの子は」
「もう帰った。よろしく、だとよ」
「そうか」
「昔の事を話したら、えらく感心してたぞ」
「お前はまた……いや、何を言っても無駄か」
「だな」
諦めた様な呟きに、短く明快な相槌。
水の入ったコップを恵の前に置いて、自分は缶に口をつけ一息。
「気がつけばあれからもう20年以上か、早えーな」
感慨深げに、界が言う。
「……」
「お前はあの後から勉強に打ち込んで、高校を出たらさっさと東京に行っちまったけどよ。
見送りの時の、会話の細部は忘れたが、原村の台詞は妙に覚えてるわ。
こんな田舎の人間関係がなんの役に立つ、ってのとか」
界は笑う。
恵は水を飲みつつそれに返す。
「実際、役に立たなかっただろう」
「まーな。役に立とうとも思ったことはねーしな」
聞けば多くの人は怒りそうなことを恵が言う。
それに少々皮肉げに、しかし何ら暗さを含む様子もなく界が返す。
「しかしそんなお前から結婚式の招待状が来た時には驚いたな。呼ばれないもんだと思ってた」
「あれはお前が大学在学中、うちに来るたびそうしたことには呼べと言っていたからだ」
忘れたのか、と言う恵にそうだったか、と笑う界。
「いっつも酔ってた覚えしかねーな」
「毎回毎回ふざけた量の酒を持ってくるからだ。お前はうちを居酒屋か何かと勘違いしていただろう」
「原村のうんざりした顔を見るために行ってたようなもんだからな」
「……何を言っても無駄だったな」
「だな」
「そろそろ御暇しよう」
「泊まってきゃ良いのに。誰も居ないんだろ?」
「明日の準備がある」
上着を羽織り、退席する恵の後ろを界が付いていく。
「見送りはいい」
「コンビニに寄るついでだ」
恵は革靴を履き、界はつっかけを引っ掛ける。
空は晴れていて、十日夜の月が雲に隠れつつ浮かんでいる。
「娘達も見てんのかね」
「……」
空を見上げて、界が言う。返答は無い。
「しかし、よくもまあ頑固なお前が居座ることを許したな。
麻雀をしたいっていうことにもよ」
「許したわけではない。そもそも、許す許さないではないだろう」
「まーな。だが、『そんなことは無駄だ』くらい言いそうなもんだが」
「既に言ってある」
「だろ?」
したり顔で続きを待つ様子の界に、ちらりと目をやって、恵は無表情のまま続ける。
「娘が、珍しく主張した。友達がいるから離れたくないと。
私には分からない感情だが、私の言葉に流されなかったのだから確固たる意志だったのだろう」
春から夏に変わる頃の、心地いい夜風が二人を撫でる。
「麻雀はどうなんだ?」
界が空を見ながら聞く。
軽く揶揄するような口調。
「麻雀は運で決まるくだらない競技だ──"生まれながらの才能を持っているか"という、どうしようもない運の、な」
恵は間断なく断言する。
そして何かを思ったのか思い出していたのか、数拍の間。
「……だがあれは、証明すると言った。
麻雀が、運の競技ではないということを」
それきり、恵は黙る。
果たしてこれが答えになっているのだろうかは分からないが、界にとってはそれで十分だったらしい。
「そうか。
似てるんだな、父娘ともども」
不器用な所まで、と笑う。
笑って、空を見上げ、歩く。
会話らしい会話はない。
その空気は、どこか穏やかだ。
二人は歩く。
あの頃と風景は少し変わったものの、あの頃と同じ道程を。
二人の視界の先で、空に一筋、星が流れる。
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二人は 覚えていない
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『お、流れ星。願い事でもしてみるか?』
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25年ほど前に
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『そういうタイプでもないだろう』
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違う制服を着た男子高校生が二人
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『まーな』
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同じように この道を歩いていたことを──
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「おっ、流れ星。何か願い事でもしてみるか?」
空を見上げながら、界が楽しそうに言う。
「そういうタイプでもないだろう」
恵は無表情のまま、同じように空を見ていた。
「まーな」
界は笑う。
二人の見上げる先でまた、星が流れた。
了