SSSS.GRIDMAN うたかたのそらゆめ【完結】 作:カサノリ
空が高い日は気分が良くなる。暑くもなくて、寒くもなくて、涼しい風も加わればもう最高。放課後にサッカーをしたり、朝にランニングをしたり。何をするにもテンションが上向きなので、春は一番好ましい季節だ。
こんな日は、アカネさんと買い物にでも行きたい。いつもしているじゃないかと言うことなかれ、何度出かけても楽しいし、忘れられない思い出となってくれるのだから。
スーパーで買い物をしてもいいし、二人の日用品を揃えるのもいいかな。それに新しいウルトラシリーズグッズを探しに出かけるのも面白そうだ。タロウの息子が主人公とか、三人ウルトラマンとか、夏からの新番組情報も出てきたから、本屋で雑誌を必ず買わないといけない。
なんて、楽しみな春の計画を思い浮かべながら、日課の通り、俺はアカネさんの家へと駆け足で向かっていた。
けれど、心の全てが、春の陽気そのままなお気楽ではなくて……。
アカネさんの見上げるほどな豪邸に着き、いつも通りにインターホンを鳴らすと、少し離れた門からも、家の中で鳴り響く音が聞こえた。朝に弱いアカネさんが、夏頃から音量を大きく設定していた通りに。
いつもなら、制服に着替えたアカネさんがほにゃりと表情を崩しながら、ドアを開けて出てくる場面。
けれど、今日に限っては数分経っても返事がない。何度か繰り返してみたけれど、それでも。ドアの前まで走ったがカギはかかっているので、緊急事態というわけではないだろう。その理由には、実は心当たりもあったりした。
(やっぱり)
俺は一息を吐いて、キーケースからカギを取り出しててガチャリと。すっかりこの家にも馴染んでしまって、開けたり入ったりするのにも緊張はなかった。
そこからは階段を上がって、アカネさんの怪獣ルームの手前へ。部屋の前で息を整え、ドアをノックする。
トントントンと三拍子。
「……ぅぅ」
すると、ドアの向こうからこもった様な声が聞こえてくる。いつもの鈴を転がすような声とはちょっと違うけれど、そこも可愛いと思ったり。もう少し聞いていたかったが、アカネさんには起きてもらわないと困るから。
「入るよ、アカネさん」
俺は断りだけをいれて、ドアを開けた。
他の女子の寝室を見たことはないし、今後も見る機会はないだろうけど、アカネさんの寝室は小さくまとまっている印象がある。趣味の物は、あの大部屋にまとまっているからだろう。男子のガサツな部屋と違って、可愛らしく、綺麗な女子の部屋。
そこに置かれたベッドの上では、膨らんだ毛布が存在を主張していた。隠れているのは当然、この城の主で、寝坊助のお姫様。俺が軽く手を当てゆすると、柔らかい感触が伝ってきた。
「ほら、起きて。もう学校行かないと」
けれど、帰ってきた返事は、
「……起きたくない」
なんて、むっすりと不機嫌なものだった。
「……そっか」
俺もそれを聞いて、軽くため息をつく。アカネさんが朝に弱いのは知っている。それはもうよーく知っている。休日の朝とかは全然起きてこない。
けれど、これはそういう体質とかではなくて、別の理由によるのだろう。ここ一週間ほど、アカネさんはテンションが低くて、悩みがちだったから。新作怪獣ソフビも買いに行かないほどに。
そんな彼女の、背中に当たる部分を軽く叩いて、ベッドの隅に腰を下ろすと、毛布からノロノロと細い手が伸びてくる。手を添えると、力が込められて、アカネさんの温かさが染みわたってきた。
重なった手がくいくいと引かれる。
「ねぇ、リュウタ君もきて……。きっと気持ちいいよ……。好きな人と一緒に、こんなに暖かいから寝ちゃっても良いし、おしゃべりしてもいいし……。他にも、いろいろ、ね?」
蕩けた、甘く悪戯な声。布団から覗く赤い眼は、ぼんやりと誘惑するように。
頭を痺れさせながら想像する。春の日差しに緩んだ部屋の中で、柔らかいベッドの上に二人で横になって。それでお互いの温かさとか、気持ちを交換しながらのんびりと過ごせたら。きっと、とても幸せで、抜け出せないほどに甘い時間になるって。
けれど、今の時間に限っては間違っているし、もうアカネさんと付き合って一年近く経つ。誘惑には易々と負けてはあげない。
「だめ。もう起きるの」
「きゃっ!? ……もー」
非難を覚悟で毛布を引っぺがすると、アカネさんもそれで観念したのか、渋々と体を起こした。
そんな頬を膨らませて可愛い顔してもダメです。ピンクの寝間着と合わさって、ほんとに可愛いけどダメです。起きないと遅刻してしまうし、一人暮らしの中で実証済みだが、自堕落に任せたら、どこまでも落ちていってしまうのだから。
「わかった! わーかーりーまーしーたー! 起きるから! じゃあ、その代わりに。んっ!」
「んっ……。おはよう、アカネさん」
「……おはよ、リュウタ君。もう、いやになるくらい良い天気だね。あ、朝ごはんとか、準備するの忘れちゃってるかも……」
「それは俺が用意しておくから、アカネさんは着替えたり、準備してて。冷蔵庫の中、まだトースト残ってたから、それでいいよね?」
「うん、ありがと」
そう言うと、アカネさんは俺にかまいなく、寝間着のボタンを外し始める。今さらドギマギするのも何だけど、無防備なアカネさんをじっと見ているのも、それはそれで変だ。
なので俺が部屋を出ようとすると、その後ろから、消えそうな声で。
「……とうとう来ちゃったね、新学期」
ぼんやりと。それは眠さから来たものじゃない。声だけで、今、彼女がどんな顔をしているのかは分かる。
「……そうだね」
彼女の言葉通り、今日から新学期が始まる。夏や冬の長期休暇と違うのは、俺たちが二年生へと進級すること。それは普通のことで、常識で、喜ぶことのはずだ。時間が止まらない以上、必ず訪れてしまう変化でもある。
けれど、アカネさんは変化が苦手だった。加えて、進級にはクラス替えまでついてくる。
「ほんと憂鬱なんですけど。……リュウタ君と六花たちと別々になったらどうしよう」
「それは……。俺も嫌だよ、もちろん」
なんだかんだと仲良く、文化祭やら体育祭やら、合唱コンクールやらを共に過ごしてきたクラスメート、友達。何より、アカネさんと離れ離れになる可能性は考えるだけでも辛い。
ツツジ台はソコソコの学生数を誇るから、仲いい友達だけでも同じクラスになるのは難しい。まして、俺たちの関係を考えると、確率以前の話がある。
「うぅ……。リュウタ君、ほんとかな? 付き合ってたら、別のクラスにされるって」
「……周りとか、サッカー部の先輩はそう言ってたね」
カップルは別クラスに。それがまことしやかな噂。
公序良俗やら、授業中に集中しないやら、あるいは教員のイジワルやら。どの理由が正しいのかは分からないが、カップルになったら最後。次のクラス替えでは必ず引きはがされると、周りから聞かされていた。
そして、俺たち二人が同じクラスで問題ないと、胸を張って言えるほどに先生の覚えがめでたいわけではなかった。この間だって、
『ねえねえ! 新作怪獣のアイデア、思いついたんだ!!』
『新条、今は授業中……』
『……すごい。やっぱりアカネさん、天才だよ!!』
『馬場、お前まで……』
『でしょー! 放課後、家で一緒に作ろうね♪』
『……もういいから、好きにやっててくれ』
(……むしろ、たまには授業邪魔してたよな)
テストの成績等は全く問題なく、むしろ優秀な方の俺たち。だが、授業では、自分達の世界に没頭しがちだった気もする。
アカネさんと別のクラスになる。その想像が、現実味を増してくる。考えるほどに、待ち受ける運命には気が滅入ってしまうが、それで引きこもったり、ふて寝をするわけにもいかない。それに、
くぅぅ……。なんて、そんな可愛い音が不意に聞こえてくる。
「あ」
「……っ!? ……わ、わすれて」
早くに起きて、ずっと落ち込んでいたのだろう。空腹なアカネさんのために、朝食を用意する方が俺には大事だった。
そうして、簡単に朝食を済ませて、アカネさんも服を着替えて。爽やかな風の中、まだ顔を曇らせている彼女と手をつなぎながら家を出発する。
バス停までの道にも、桜の木がちらほらと植えられていて、そのどれもが花盛り。春と新しい一年の始まりにはぴったりの光景。けれど、アカネさんはその景色にも目が移ることもなく、うつむいたままだった。俺が手を引くと、ゆっくりとついてきてくれるけれど、やっぱり気乗りがしない様子。
アカネさんが心細げにつぶやく。
「……やっぱり、行かないとダメ?」
「それは……」
ダメと言うのは簡単だ。一般常識だし、これからの将来の為にも、アカネさんとの未来のためにも必要なこと。けれど、彼女が求めているのは、そんなリアリストの答えじゃない。じゃあ、何を言えば、アカネさんが安心してくれるのか。考えても、すぐには答えが出なかった。
俺が言いよどむのを見て、アカネさんは自嘲するように微かに笑う。
「あはは……。ごめんね、めんどくさくて」
「そんなことないよ」
「……もう。そういうこと、すぐ言ってくれるの嬉しいなぁ。でもね、思っちゃうの。このままみんな変わらないで、ずっと一緒にいられたら幸せだよねって。
……もしも神様だったら、そんな世界も作れたのに」
神様。
アカネさんがよく使う、不思議な言葉。そう言う時の彼女は、どこか不思議で、透明で、手の熱はこんなに伝わってくるのにふと消えちゃいそうなくらいに儚くて。
不安に駆られ、握る手に力を籠めると、アカネさんは驚いたように顔をあげて、そっと頭を俺の腕へと近づけてくる。きっと、続けて欲しいって意味。
アカネさんが言葉を続ける。
「夢みたいな話、だよ。……きっと、今はそんな神様になるよりも幸せ。
けどね、同じくらいに恐くなるんだ。みんな、変わっていっちゃう。リュウタ君、ちょっと前までもっと背が低かったのに、おっきくなっちゃったし。六花達とも、みんなでずっと一緒なんて、きっと無理。十年後、私がここにいられるかもわからない」
寂しそうな声は、泣いているようだった。
アカネさんの言う通り、まだまだ成長期なのか、右手の痛みが無くなった頃から俺の背は少し伸びた。体の変化に合わせて、サッカーもかなり上手くなったと思う。今年はレギュラーに定着できるし、その先も狙えるほど。
そんな俺だけ見ても、変化は色々なところで起きている。同じように、止まらないものなんて無いし。変わらないものもない。ウルトラシリーズもそうだが、色々な物語で言われる通りに。
「なんで、みんな、変わっていっちゃうのかな?」
それは、世界がそうできているから。
彼女にとっては酷い仕組み。毎日が幸福だと感じている俺も、それを恐れるアカネさんの気持ちは分かってしまう。
アカネさんが遠い場所に行ってしまったら。この気持ちが離れてしまったら。そんな想像するのさえ怖い。きっと、そうなれば自分は空っぽになって、どうやって生きていけばいいのかも分からなくなる。
けれど、二人一緒にいられるなら、俺は変化にも少しは肯定的だった。昔の自分のことが大嫌いで、アカネさんと一緒にいる自分は少しは好きになれたから。
だから、
「でも俺は、けっこう好きだよ。背が伸びたり、もっと運動できるようになったこと。何かあった時に、アカネさんのことを守れるし」
「けど、私は背伸びしないと、届かなくなっちゃった」
「それなら、こうやって俺から近づくよ。絶対に、離したりしないから」
君が不安に思うなら、それでも、ずっと傍にいると示したくて。俺は彼女を抱き寄せて、顔を近づけていく。ここが何処だろうが関係ない。何が変わっても、変えたくない気持ちがある。
「……うん」
アカネさんも、少し安心したように目を細めて。だんだんと互いの距離が無くなって。
けれど、俺たちは構わなくても場所は普通の往来。当然、通行人もちらほらいた。
なので、こんな声が飛んでくるのも当たり前だったのだろう。
「あのさ、家の近くでそういうの、止めて欲しいんですけど」
ちょっと固い、恥ずかしげな声。俺とアカネさんが慌てて振り向くと、居心地悪そうな宝多さんがいた。ついでに、その後ろで苦笑いをしている響も。
いや、タイミング悪すぎるだろ。
とはいえ、その程度の妨害で止めることはしない。けれど、軽く触れるだけに留めて。そうしてから、俺は宝多さんへと挨拶をした。
「おはよう、宝多さん」
「おはよ、リュウタ君。……結局止めないとか、ほんと。アカネも、二人で朝から何やってんの」
「六花と響君がためらってることですよー。もうっ、お邪魔虫」
珍しく言われる側のアカネさんは、不貞腐れた声で反撃。俺は特に気にしていないが、二人の時間を邪魔されてご立腹の様子だった。
「べ、別に。ためらうとか、そんな仲じゃないし」
「またまたー。響君の家、こっちの道じゃないじゃん。一緒に登校したくて、待ち合わせてたんでしょ?」
「いや、俺は六花の家に忘れ物したから、たまたま……」
「ひ、響君!!」
あらら。
「え!? ほんとにそこまで進んだの!? 六花さーん。いきなりどうしたの? 私たちにも内緒とか、やるじゃん」
「ああ! もうっ、誤解だって! 何でもないです。アカネが面白がることは何にもないです! ほら、響君もなんとか言って!」
「そ、そうだよ! 俺も六花も、変なことは何も!」
「変なことってなんのことかなー?」
「だから! そっちがしてるからって、私たちも、とか考えないの!」
「でもでも。響君、六花の家に行ったってことでしょ? ママさんにも紹介済みなんてさー。家でなにやってたのか気になるんですけど」
もはやアカネさんの独壇場である。真っ赤になった二人へ、調子を戻したアカネさんがからかいの手を伸ばしていく。
宝多さんと響の尊い犠牲に感謝しなければ。アカネさんが元気になってくれるなら、それが一番。当然、俺はアカネさんを止めずに眺めていた。
そうして、ことの真相が分かったころには、宝多さんと響は肩で息をするほどに疲れていた。とはいっても響と宝多さんが良い仲になっていることには変わりないのだけど。
「なんだ、宝多さんの所でバイト始めたんだ」
「ちゃんとしたバイトっていうか、手伝い。ママさんに『まあまあ、ちょっと働いていきなさいよ若いの』なんて誘われたんだ。ママさん、商品の引き取りでいないことも多くて、喫茶店の番とか、力仕事とかやってくれないかって」
「ふーん。『手伝い』、ね」
いやいや、響よ。それは単に都合のいい理由を貰っただけな気もするぞ。あのママさん、絶対にニヤニヤしてただろ。きっと夕飯まで誘われて、なんやかんやと泊まらせられるのではないだろうか。
「でも、それってお泊りとかより、仲いいってことだよねー。良かったね、六花。親公認で」
「朝から晩まで毎日一緒のアカネには言われたくないんですけど」
「いやー、それほどでもあるよ? 私たちの真似、してみる?」
「はいはい。羨ましいって言えばいいんでしょ?」
「ぞんざい! リュウタ君、慰めて!」
飛び込んできたアカネさんの温かさを受け止め、響と宝多さんの呆れたような視線を受けながら、皆で肩を並べてバス停へと向かう。
にしても、響がバイトか。ママさんの思惑はともかく、あのゆったりとした時間が流れるリサイクルショップで、宝多さんと並んでいるのは似合うだろう。内海とアカネさんを連れて、遊びに行くのは絶対に面白い。
そんな想像をしていると、響が俺の方へと話を振ってきた。
「そういえば、リュウタもバイトするって言ってたけど。どうするか決めた?」
前に相談したことを覚えていたようだ。というか、話を逸らしたな。けど、さすがに響も疲れただろうし、乗ってやるとするか。
「まだ。色々探してるんだけどなー。居酒屋とかは年齢的に厳しいっていうし、コンビニ辺りを考えているけど」
バイト先を探し始めたのは、一月ほど前から。俺の生活費は、兄貴からの支援もあるし、親父の遺産も十分に残っている。けれど、兄貴とはほぼ絶縁状態で、いつ本当に縁を切られるか分かったものじゃない。個人で自由に動かせる資金が必要だとは、前々から考えていた。
それに加えて、ちょっとだけしたいこともあったり。計画自体は一年前からあったので、あの夏のごたごたがなければ、もう少し早く動いていただろう。
「でも、サッカー部とか大丈夫なの? リュウタ君、けっこう期待されてるって、なみこ達が噂してたけど」
「そうそう。なんか、選抜に選ばれるとか」
「ただの噂。まあ、がっつり稼ぐわけじゃないし、練習と被らないように調整するよ。アカネさんとの予定優先しながらね」
それらを解決する方法として、実はスポーツ奨学金にも応募してはいる。決まれば大学への進学とかにも有利になるが、そこまでは難しいだろう。万が一に期待だ。
すると、アカネさんが小声で言う。
「お金とか、リュウタ君ならいくらでも助けてあげるんだけどね」
「そこはちゃんと働いて、暮らしていきたいんだ。……その、将来のこととか、考えて」
両親が随分と放任主義らしく、自由に家の金を使えるというアカネさん。彼女は言葉通りに心配してくれるけど、猶更甘えるわけにはいかない。彼女がお金持ちだというのなら、寄り掛かるんじゃなくて支えていけるようになりたいのだ。
ちょっとした意地だけれど、男の子だから張らせてほしい。
「えへへ……」
「アカネ、ほんと人のこと言えないから。あー、あっついあっつい」
「嬉しいから良いんですー」
横からこつんと響が肘をついてくる。こほんと咳払いなんてわざとらしいことをするんじゃない。羨ましいなら、お前だって宝多さんとすればいい。もうそろそろ、この付き合ってるんだか、付き合ってないんだか、わからないのをはっきりさせても良いだろうに。
そう言うと、響は図星を突かれたことで苦笑い。
「いや、そこはもうちょっとゆっくりの予定で。……でも、将来のこと、か。俺、まだ何にも考えてないな」
「内海とかもそうだろ」
あいつ、ようやく訪れた春に浮かれまくっているし。昨日の配信とか、割と放送事故だった。
「それでもさ、リュウタは自分にできること、ちゃんと考えてる気がするし。……俺も、そういうの見つかったらいいんだけど」
「そうかな?」
俺から見ると、響の方がしっかりしている。なんでもそつなくこなすし、人当たりも良い。十人が会って、十人が好感触を持つだろう。いざという時には度胸もある。内海と俺と響を並べたら、将来が一番安泰なのは響だって確信があった。
「進路調査は二年の夏だっていうし、それまでに宝多さんと相談すればいいんじゃないか」
「うん。そうだね。……って、六花と!?」
前言撤回。ちょっとぼんやりして、墓穴を掘るところは心配だ。そして、話題を振るタイミングも悪い。
『将来』なんていうから、アカネさんがまた黙ってしまったじゃないか。
話を回していたアカネさんが黙ってしまったことで生じた微妙な雰囲気は、バス停に着いたことで中断された。
その後は五分ほど黙って待って。二週間ぶりに、いつもと同じ音を鳴らしてきたバスに乗り、俺はアカネさんと席に座った。さすがに通勤、通学時間。人が多めのバスの中、響と宝多さんとはちょっとだけ離れた位置になってしまった。
離れ離れ。憂鬱で、嫌な言葉。
黙ったままの俺たちを乗せて、バスは勝手に動き出す。
ゆっくりから、段々と速度を上げて。学校まで一直線に向かう中、見慣れた景色が早巻きに。去年一年間、そしてそれ以前もずっと眺めてきた、変わらない俺達の街。けれど、それが変わらないと思うのは、俺たちの思い込みで。いくつもの変化が今の瞬間にも起こっているだろう。
アカネさんが口を開く。ぼんやりと、そんな外の世界を眺めながら。
「分かってるよ。夢は夢なんだよね……」
「アカネさん?」
「大好きな人たちと、みんな一緒で、ずっと変わらない。綺麗で、やさしくて、素敵な世界。都合が良くて、子供が見るような夢……。
でも、それが夢だって分かっていても、そうなってほしいって思うのは悪いこと?」
「ううん。絶対に、悪い事じゃない」
それだけは断言する。
だって、夢も何もかもを捨てて、単に現実だけを想像してみたら、どうなると思う?
俺だって分かっているんだ。この先、アカネさんとだって喧嘩することだってある。嫌いになって、口もきかないことだってあるかもしれない。ずっと仲良くして、好き合っていたいと思っていても。
もしかしたら――。いや、そんなことは想像もしたくないけれど。そんな未来だって起こりうる。だって、俺の家族はそうはならなかったんだから。
この世界はヒーローの物語じゃない。先に待っているのは、グッドエンドかバッドエンドか。それがわからないから、不安で、迷子になったりも、弱気になったりもする。たった一人で歩いていくにはこの道は険しくて、二人一緒だと信じ切れるほどに優しくもない。
「それでも……」
俺はアカネさんの肩を抱き寄せた。
アカネさんの秘密を知ることができた。
アカネさんと同盟を作ることができた。
アカネさんを好きになれた。
告白ができた。
最後まで、走ることができた。
あの夏の悪夢を乗り越え、ここまで連れてきてくれた大切な思い出。そのどれもに真逆の選択肢があった。それでも、弱虫だった俺がこんな幸せな未来へたどり着けたのは、アカネさんが傍にいてくれて、彼女との幸せな未来を夢見たおかげ。
走る勇気をくれたのは、道しるべをくれたのは、彼女が抱くような甘くて幸せな夢だった。
「だから、俺はずっとアカネさんに支えてもらってるんだ。アカネさんがいるから、毎日が楽しいって思えるし、好きなことを好きだって言える。友達だって、昔より増えた。
アカネさんと一緒にいると、どんな未来でも大丈夫だって信じてる」
「……私も同じ。でも、それでも怖いよ。私はどこまでも一人で、リュウタ君とは違う。ずっと一緒だなんて、誰にも、私にもわからない」
それは正しくて、でも、ちょっと間違っている。誰にもわからないなんて、それは違うよ。
「俺は分かってるよ。ずっと、一緒にいるって。だって、俺はずっと一緒にいたいから。アカネさんが将来どんな仕事について、どんな場所で生きていても。君が君でいてくれるなら、俺はずっと傍で大切にしたい」
世界が分からないって叫んでも、俺だけは分かってる。子供みたいに叫んでやる。叫べる。夢が見れる。
(ほんと、変われたよ)
形ばかりの家族がバラバラになった時。俺はただ、その時が来たのだと諦めて、独りの日常にうずくまっていた。
それと比べると、今の自分はなんて頼もしいんだろう。アカネさんといる未来をちゃんと望めるし、そんな自分の気持ちを信じることができるんだから。だから、俺はアカネさんの目を見つめながら、未来を確信しながら言えるんだ。
「クラスが違っちゃったら、休み時間のたびに会いに行くよ。昼休みはパンを食べながら、怪獣の話をしよう。放課後は変わらない。一緒にいて、夕ご飯を食べて、ウルトラシリーズ見て。君が不安に思うなら、寝る時も傍にいる」
「なんか、今と変わらないね」
思わず笑う。そうだね、変わらないよ。
「大学生になったらどうするかな。別々の大学って嫌だし、俺はしたいことあまりないから、アカネさんの行くところに合わせるよ。美術造形とかは……、ちょっと苦手だけど、一つくらいは、俺にもできる学部もあるだろうし」
「……私の方こそ、リュウタ君がサッカー選手とかになったら、どこでもついて行っちゃう。デザインとか好きなことは、どこでもできるから」
アカネさんの声が、少し明るくなる。
「じゃあ、もっとサッカーも頑張ってみるよ。それに、良い年になったら一緒に住んじゃえばいい」
「アパートとか、借りなくてもいいよね。うち、すごい広いから、リュウタ君の部屋も用意してあげる」
弾んでいく。
「今でも、俺の物がだいぶ増えてるもんね。考えたら、今とそんなに変わらないかもしれない」
「じゃあ、その最後は?」
「それは……、その……。結婚、とか?」
「ふふ、そこはまだ内緒にしよっか」
くすくすと涙交じりの笑顔を浮かべたアカネさんの言葉に、夢見る音が混じっていく。
想像で、ただの願望。ただの泡沫の空夢で終わるかもしれない未来。それでも、俺が掴み取りたい未来の形で、そのための努力もしていける。
きっと、その気持ちが持てたなら、道はできていると思えるんだ。
「だからね。……新条アカネさん」
いつか、大切な時にもう一度。だけど、何回だって言ってあげたい言葉。
「ずっと一緒にいて欲しい。世界がどんなに変わっても、君を守って、幸せにするから。二人で笑顔になれる未来を、俺は絶対にあきらめないから」
高校生が何を言ってるんだって、きっと、傍から聞けば思うだろう。重苦しいくらいの約束。けど、この大切な人と一緒にいれるなら、それくらい軽いもの。
アカネさんは、ちょっとだけ目を開いて、ふ、と息を吐く。澄み切った笑顔は、いつかの告白の時を思い出す。そして彼女が口にしたのは、
「ほんと、キミはずるいよね」
なんて言葉はそれだけだ。あとは、はにかむ笑顔を見せてくれて、嬉しそうに見つめてくれただけ。そんなアカネさんの手を取って、立ち上がる。バスはとっくにたどり着いていた。
俺たちの過ごす、大切で、変わっていく場所。たくさんの思い出と友人が待っている青く、瑞々しい日々。その第一歩を、俺はアカネさんと一緒に歩き出していく。
離れないように、しっかりと手をつなぎながら。
空を見上げた彼女の瞳には、綺麗な青色が広がっていた。
……
……
……リュウタ、もう目覚める時間だ。
……ああ。
それが『もしも』の物語。
もしも、彼らが間に合っていたら。もしも、アレクシスが倒されていたら。もしも、アカネさんの壊したものが、元に戻ったなら……。
あったかもしれない、泡沫の空夢。
けれど、これが、ただの夢だとも思えなかった。とてもリアルで、現実みたいで。全てが本物だと思えるほどに。
もしかしたら、マルチバース設定みたいに、どこかの平行世界を垣間見たのかもしれない。もし、そうなら、俺は嬉しいし、力が湧いてくる。
少し選択が違うだけで、俺とアカネさんが笑顔で幸せになれる、そんな夢のような日々にたどり着けるって知れたから。
けれど、俺の現実はそうはならなかった。
彼女は罪を重ね続けた。
俺は全てを失った。
それでも、彼女の幸せを、諦めることなんてできなかった。
「「だから」」
夢から覚めた冷たく、悲しい現実で。
雨が降っていた。最後の夜と同じように、夏には似つかわしくない暗い雨。しとしとと、身体にしみわたる水を感じながら、俺は大きく息を吐き、
「……アカネさん」
彼女と対峙する。
チカチカと瞬く街灯の下、彼女の顔は見えないまま。小さく震える、固く握られた手が何を表しているのかも、俺にはわからない。
けれど、俺のすべきことは分かっていた。こんな現実でも、彼女が好きな気持ちだけは変わらない。
だから、唯一つの願い事を噛みしめて、俺は右手を掲げる。
青く輝くアクセプター。
願いと心を束ねる力。
夢見た思いを込めて、唱える言葉は決まっている。
「……アクセス、フラッシュ」
ヒーローになれなかった俺でも、もう一度、君の夢のヒーローになるために。
> ENTER
√SIGMA
これにて夢のようなGoodルートは終幕です。
ご都合主義な世界が本当にあったのか、それとも○○の生み出した幻か。
けれど、マルチバースの一つくらいには、そんな夢の世界もあっていいと思っています。
そして、明後日より、
『SSSS.GRIDMAN うたかたのそらゆめ』完結編
第二部 √SIGMA
の連載を開始いたします。ひとまずは一区切りするまで五話ほど。以前よりお伝えしていた通りに、うたかたのそらゆめを踏まえつつ、原作アニメ時間軸を描いてまいります。
どうか、二人の物語を完結まで見届けてください。
ご意見、ご感想もお待ちしております。