SSSS.GRIDMAN うたかたのそらゆめ【完結】   作:カサノリ

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前回の死亡フラグ
・不意打ちしていたら、怒りのデバダダン軍団に殺されていた



今回、ちょっと長めですが、ここまでは一足に進めたかったので。


宿・敵

 雨の日は嫌いだった気がする。

 

 暑さも相まって、肌にこびりつく湿気。地面から立ち上ってくる何ともすえた匂い。誰か死んだ残り香が、追ってきているような。

 

 目の前でしとしとと流れていく雨を見ながら、そして土の臭いに鼻腔を刺激されながら。その嫌いだったという感覚が頭の中で蘇っていく。もしかしたら、記憶をなくす直前に、何かが起こったのかもしれない、なんて。

 

「なんで、こんなに雨が嫌いなんだろう?」

 

『雨はただの水のはずだが……。君には何か別のものを感じるのか?』

 

 小さく漏らした独り言。なのに、シグマは細かい質問をしてきた。俺は少し唇を細めながら、返事をする。こうして頭の中で語り掛けられるのにも慣れてきたが、頻繁にこんな質問をしてくるのだ。

 

 俺の体に同居している変なヒーローは人間に疎いらしい。異世界の住人というのだから、当たり前だが。

 

 とはいえ、もう数日を共にした同居人。俺はため息を吐きつつ、シグマに答える。

 

「……濡れるのも嫌だし、湿気もじめじめして嫌だし。それに、低気圧とか、土の匂いとか……。そういうのが嫌いなのかもしれない」

 

『どれも科学的な事象だが、それが負の感情につながるというのも不思議な話だな。やはり、人間が抱く感情は複雑だ。私は君と体を共有しているが、細かい五感までは感じることができない。元々、そういった感覚は私には無縁だったのかもしれないが……』

 

「記憶喪失だから、それもわからない?」

 

『ああ。しかし……、同じ境遇であるはずの君は、自分の世界を認識し、感傷を抱いている。その感覚の豊かさは人間の素晴らしい力なのだろう』

 

 素直に感心したと言うカッコいい声。それはどこまでもお人好しで、怪しいけれども彼はヒーローのような存在なのだと信じてしまう。

 

 ああ、俺とはまるで違う。彼みたいに素直で優しく、歩み寄れるほど人を気にかけられたなら良いのに。

 

 俺は自分の境遇に文句をつけてばかりだ。雨と同じでジメジメとしている。こんなことなら、記憶をなくす前もいまいち踏ん切りが付けられない性格だったに違いない。三つ子の魂なんとやら、だ。

 

 勝手に鬱々と。それを表に出したくはなくて、シグマにはぶっきらぼうな言葉を返してしまう。

 

「シグマには戦う力があるんだし、俺の記憶も戻して欲しいんだけど」

 

『……それはできないんだ。すまない。私も、どうにかしたいとは思っているのだが』

 

「……分かってるよ」

 

 律儀に謝る、ウルトラマンに似た巨人。怪獣を倒すことができるし、俺が変身する体の元の持ち主。そんな超常の存在と平凡どころか文句ばかりを言う俺。何にも似ていないし、アンバランス。けれど、俺たち二人をつなぐ共通項が一つだけ。

 

(二人そろって記憶喪失とか)

 

 シグマも自分の名前と、

 

『この世界を守る』

 

 という漠然とした使命を残して、記憶を失っていた。誰が命じたのか、元はどんな世界から来たのか。どうして俺と一体化しているのか。特に最後のものは俺が記憶を失ったことと関係するだろうし、他人事ではない。

 

「にしても、記憶喪失が多すぎだろ」

 

 便利な設定とはいえ、多様しすぎだ。これがテレビ番組なら、脚本にツッコミの一つくらい入れてやる。

 

 シグマに加えて、あの変な集団、それに俺。世界の記録なんて知らないけど、記憶喪失者が五人も集まっているなんて、ギネス級に違いない。

 

 傘で顔を隠し、そんな小さく愚痴をこぼしながら、俺達は雨の降る中をあてもなく歩く。相も変わらず記憶を探しながら。彼らと出会って数日が経っても、俺の状況に変化はない。

 

 俺は、なんでこの世界にいるのだろう。ヒーローと一体化しても、記憶を失っても、変な集団と接触しようとも。俺は理由を見つけられずにいた。

 

 

 

「君の名前はリュウタ。そして、一体化している者はシグマ。そうだな?」

 

「……たぶん、そうだと思……います」

 

 一週間前、街で暴れまわる怪獣を倒した後。俺は見るからに不審者の集団に取っ捕まった。三人組の黒スーツ。これでサングラスでもかけていたら、まるきり悪の組織のスパイか何か。それにしては彼らはあまりに個性が強すぎて、到底スパイには向きそうにないが。

 

 一人はボラー。俺を拾って、ぞんざいにでも介抱してくれたチビガキ。

 

 その他の二人は初対面だが、片方は早々忘れられる顔じゃない。頭一つどころか、見上げるくらいの大男。その厳めしい顔の半分は金属のマスクで覆われている。彼はマックスというのだとか。

 

 あと、残されたもう一人のヴィットはよく分からない。さっきからスマホを弄って顔も上げない。

 

 問題なのは、彼らが揃いも揃って、ただのコスプレ人間では無さそうなこと。これもシグマの影響なのか、彼らが人間とどこか違う存在だと分かってしまう。肌感覚というか、空気感というか。上手く言葉にはできないが、なんかぼんやりとした光に包まれているように見える。

 

 それは怖い感覚ではなかったけれど、怪しいことには変わりない。

 

(ほんとなら、逃げるべきだったんだろうけどな)

 

 疲れ果てた俺は逃げ出すことも出来なかった。結局、どこぞの宇宙人のように抱えられ、連れて行かれたのは平凡なファミレス。あの怪獣騒ぎがあったというのに、店員は顔色も買えずに接客にいそしんでいる。やたらとタフな店だな、なんて馬鹿な感想が頭をよぎりながら、そっと座らされて。

 

「今日は奢ろう。好きなものを頼めばいい」

 

 奇怪な風貌と裏腹な丁寧なマックスの言葉。最初は断ろうとしたけれど、この顔で圧をかけられるとそれもしづらく、俺は恐る恐るとスパゲッティを頼んでしまった。

 

 せめてとシンプルなペペロンチーノ。

 

 一番安くて、味もそれほどではなさそうな一品。けれど、ファミレスらしく時間をおかずに運ばれてきた皿を見た瞬間、豊かな香りに胃が刺激されてしまった。夢中になり、涙まで滲ませながら数分で皿を空にしてしまう。考えてみると、記憶を失って以来、これが初めてのまともな食事。こんなに食事って美味かったのかと、感動すら覚えた。

 

「む、どうしたんだ? 随分と感動しているようだが……、遠慮せずにおかわりもいいぞ?」

 

「あ、その、それは大丈夫です。けど、朝のアレと比べると豪華すぎて……」

 

 疲れていて、多幸感に包まれていて、頭が素直に返した感想。すると、当然、文句を言いたくなるのは朝食を用意した張本人。不機嫌そうに細い足を組んでいたボラーが、青筋を立てながら俺に食って掛かってきた。

 

「アァ゛!? 俺の用意した食事に文句があんのか!?」

 

 いや、恩知らずな発言だと思うが、

 

「牛乳無しのプレーンシリアルは、ちょっと」

 

「それはボラ―が悪いね」

 

「病人相手には酷な食事だな」

 

「元気になってんだから良いだろ、別に!!」

 

 頭に角でも立てたように怒り狂うちびっこ。だが、その仲間であるはずの残る二人は、俺の味方をしてくれた。とびきり不審者の見た目をしているマックスが、紳士的でまともで驚かされる。彼は大きな体を少し傾けて、素直な謝罪の言葉までくれる。

 

「ボラーの態度は謝罪しよう。しかし、我々には君に聞かなければいけないことがある」

 

「……俺の正体が何なのか。とか、そういうことですか?」

 

「そうだ。先ほども告げたが、我らは『新世紀中学生』。私がマックス。ボラーとヴィット、別行動をしているキャリバーの四人。そして、もう一人と共にこの世界を守るためにやってきた」

 

 真面目な態度なのに、ジョークとしか思えない組織名である。ZATとかGUTSとか、もっとシンプルにかっこいい名前はなかったのか。黒づくめのスーツなんだから、AIBなんて似合うだろうに。ウルトラシリーズの知識だけは残っているから、スーパーマシンとか、制服なんてものは直ぐに思い浮かぶ。

 

 いくら考えても、新世紀中学生は、ない。

 

 ただ、それを言うつもりはなかった。不思議な安心感を抱ける相手ではあったが、信頼するには早すぎる。失礼な感想は心の中で秘めるに留めたはずだったのに……。

 

『売れない街角バンド、というのは個性的な感想だな』

 

「ば、ばか!? なんでそれを!?」

 

 突然の声に、右手首を押さえつけた。謎のブレスレットの宝石がピカピカと光って、シグマの声がレストランに響く。都合悪いことに、脳内だけでなくて、現実にも通じる声。ということは、目の前の売れないバンド三人組にも聞こえるわけで。

 

 それに、こいつ、やっぱり俺の心も読んでる!

 

「……えっと、その」

 

 次に待っているのは三人からの叱責か、あるいは怒りか。けれど、伺うように顔を上げた時、三人は怒った様子はなく、むしろ意外という顔で俺の右手を見ていた。スマホばかりを弄っていたヴィットも、ようやくと整った顔を見せてブレスレットを凝視している。

 

「驚いたな……。確かに、それはアクセプターだ」

 

 マックスが小さく呟いた。

 

 聞き覚えのない言葉。だが、彼は確信を持って言っている。マックスの目は、どこか不思議そうな色しているが、言葉は好意的に聞こえた。少し安心し、小さくマックスへと尋ねてみる。

 

「アクセプターって、この変身アイテムが?」

 

「変身アイテムという呼称が正しいかは分からないが。それは確かに、私達の仲間が身に着けている物に酷似している」

 

 彼の物言いに、ピンとくるもの。さっき、一緒に怪獣と戦った赤いヒーロー。グリッドマンと名乗った彼の左手首にあったのは、この右手のアクセプターと似た物ではなかったか。

 

『私の目にも、グリッドマンのものと、このアクセプターは似通って見えたな。姿といい、私と彼も同類なのかもしれない』

 

「だから、また勝手に!? ……もう、いいや。好きにしゃべってくれよ」

 

 またも勝手に話し始めるシグマのことは、諦める。もう、こちらだって疲れているし、限界。訳が分からない存在同士の方が、会話も通じるだろう。

 

 だが、俺が手を離した瞬間、シグマが話すのは、

 

『私はハイパーエージェント、シグマ。今はこのリュウタの体を借りている』

 

 まったく許可はしていない。

 

『先ほども、自ら戦いを決意してくれた勇敢な少年だ』

 

 そんな決意をした覚えはない。

 

『貴方たちにも快く協力してくれるだろう』

 

「そんなこと言ってないし! 勝手に代弁すんなよ!?」

 

『しかし、勝手に話せと君が……』

 

「俺が悪いのか!!?」

 

 ああ、もう! 話していいとは言ったが、なんでもかんでも話せとは言っていないのに。なんでこんなに話が通じないんだろうか。宇宙人か何かか。……確かに、人間じゃなかったよな!

 

 仕方なしに、手首を押さえながら、俺は彼等に改めて説明することにする。シグマに任せたら、いつの間にか地球防衛軍にでも入れられてそうだ。

 

「その、俺は何となく巻き込まれた、たぶん一般人です。それに、ボラーには言ったけれど、記憶もないし。

 ……逆に、あなた達は俺のこと、何か知っていませんか? あのグリッドマンの知り合いなら、このシグマのことも」

 

 だが、望んだ答えは帰ってこない。マックスが神妙な顔で話すのは、予想だにしないこと。

 

「君も記憶喪失か。……実に言いにくいが、我々もそうなんだ」

 

「……は?」

 

「我々三人も、この世界にやってきた記憶が朧げだ」

 

 俺は眼を見開いて三人の顔を見る。ヴィットは相変わらずスマホを弄りながら、会話に興味もなさそうだった。マックスは真摯に俺の目を見つめている。ボラーは、俺を疑う様に見ていて。彼も記憶失っていたなら、あの偉そうな態度はなんだったんだ。

 

 ……なんて、文句をつける気持ちにはなれない。

 

(じゃあ、なんで?)

 

 似た境遇なのに。彼らは全員、シグマも含めて俺とは違う。記憶を失っているのに、自分が何者かの確信も、持てていないはずなのに。

 

 なんで、そんなに堂々としていられるのか。なんで、迷わないのか。そんな苦しい質問の答えを、マックスは堂々と言うのだ。

 

「私たちは自分の使命を覚えているからだ。『この世界を救う』。そのために、我々は此処にいる」

 

 彼らは皆、羨ましいほどに真剣な目をしていた。

 

 

 

 俺はそんな出来事を思い返しながら、雨の中へと手を伸ばした。手のひらに細かい粒がぽつぽつと。小さな感覚を俺にくれるけれど、やっぱり、自分の実感とは程遠い。相も変わらず、現実は現実でない。

 

 あの三人組とは、そんなやり取りのすぐ後に分かれることになった。グリッドマンの仲間だという彼等だが、この世界にやってきたときに散り散りとなって、探している途中なのだという。同行は主にボラーによって拒否されてしまったが、今も、あの怪しい姿のまま訪ね歩いているのだろう。

 

 ただ、繋がりが切れたというわけでなく、別れ際にマックスは古い携帯電話とそこそこの生活費を渡してくれた。なぜか、随分とためらい、冷や汗を流しながら。異世界人は生活苦なのかもしれない。

 

 一方の俺はと言えば、近くのネットカフェを拠点にして、ふらふらと自分探しをするだけ。弁明を言うと、努力はしたつもりだ。記憶を取り戻すため、警察にも、病院にも行ったが、結局は身元の一つもわからない。毎日のように街を歩き回っていてもそれは同じ。

 

 それじゃあと知識が鮮烈に残っているウルトラシリーズを片っ端から見てみた。結果、やっぱりウルトラシリーズは最高で、涙を流しては無粋なシグマに質問をされるだけ。

 

 思いつく限り色々と試しても、記憶は戻らない。日に日に焦る気持ちの中、新たな怪獣が現れなかったのは良いことだと思う。

 

(というか、本当に怪獣、で良いんだよな?)

 

 疑問に思うのは、あの怪獣を倒した後のこと。普通の怪獣なら、破片が残っていたり、街を片付けたりと大騒ぎになる。自衛隊だって出動しなきゃいけないし、もしかしたら秘密組織が姿を現すかもしれないのに。そんなことはすべてなし。

 

 倒した怪獣の痕跡は、翌日には消えていた。

 

 あれだけ破壊された街、家、おそらく殺された人。俺だって、巨体のままに暴れまわったのだから、気にも留めない間に人間を潰していたかもしれない。それが、何もかもが夢のように。

 

 作り物に見える街は、怪獣を忘れながら、変わらぬ日常を刻んでいく。その中で、それを覚えている俺はどこまでも異物に感じられて、馴染むこともできなかった。

 

 そんな気持ちを察したのだろう、シグマが慰めるように言う。

 

『この時間は貴重だと思うべきだ。私たちは自身が何かを探ることができる。そして、次の戦いへの準備も。こうして、君が自分を探し求めていることは決して無駄じゃない』

 

「シグマは、また怪獣が現れるって?」

 

『確証ではない。だが、私には未だ、戦いは終わっていないと感じられるんだ』

 

 ウルトラマンの超感覚のようなものだろうか。確かに、霧の向こうの怪獣も残っているのだから、その可能性は高いだろう。問題は、

 

「……でも、俺は戦えないよ」

 

 俺に、戦う気持ちなんて、残っていないこと。

 

『リュウタ……』

 

 気遣うような声が向けられるが、俺は足元の小石を脇に蹴り除けながら、情けない声を出してしまう。

 

「俺は……。俺は、自分が死にたくなかったから。だから、必死になれただけ。シグマとか、あのナントカ中学生と違って使命なんてピンとこないし」

 

 生きるという目的を考えたら、戦うなんて全くの逆だ。今でも、あの怪獣にぶつかられ、焼かれた感触は覚えている。一生忘れられそうにもない。思い返すたびに、その更に向こうの、記憶の中に残っている苦しみまでつながってしまう。

 

 言い訳はいくらでも出てきた。

 

「それにさ、シグマも見ただろ? 俺はまともに戦えない。ウルトラマンじゃないし、何か訓練を受けたわけじゃない。あの戦いだって、あんなにビルを壊して……。なんか、街が元通りになってたから、うやむやだけどさ。何人も人を潰してたかもしれない」

 

『人々は避難していた。私には、犠牲者の存在は伝わっていないが……。それでも、君の怖れは伝わってくる』

 

 ほんと、どこぞの隊員に怒鳴られそうな戦いぶりだった。周りに気を配る余裕なんてまるでないし、今度同じ出来事があっても、変わらないだろう。

 

「だからさ」

 

 こんな平々凡々の、自分自身もわからない記憶喪失野郎よりも。

 

「もっと、適任の人がいるよ。警察官とか、自衛官とか。人助けが好きな若者とかさ。そういう人と同化した方が、シグマにとってもいいと思う」

 

 彼の目的がこの世界の平和だというのなら、それが一番の方法だ。ウルトラシリーズの変身者だって、選ばれた理由は勇気と優しさを示した人々なんだから。ウルトラシリーズを改めて観たり、この間の戦いを思い返すたびにその思いが強まっていた。

 

 だけれど、シグマはそれを否定する。

 

『君は自分を卑下しすぎだ、リュウタ。確かに私には記憶がない。それでも、君を選んだ理由は朧げでも分かっている。君が強い勇気を示したことを。だから、君と共に戦おうと決意したと。そして、君自身にも』

 

 シグマがいつも言っている言葉。

 

『どうしても叶えたい、大切な願いを持っていると。私には、それが分かるんだ』

 

 なんでそれが分かるのかとか、ツッコミを入れたいところはある。けれど、シグマの真剣な声に軽薄な文句をつける気にはなれなかった。

 

 願い。

 

 願い事。

 

 確かに、その言葉を聞くたびに、胸の奥で何かがうずくのを感じる。形がない焦燥感と、どうしようもなく走り出したい熱望。正体不明の感情が暴れまわる。

 

 けれど、シグマが言う俺の勇気。その源が忘れてしまった願いや記憶にあるのなら、今の俺には『勇気』なんて残っていない。

 

 一瞬、戦う気になったからなんだというんだろう。

 

 それ以外の時は、ぐずぐずといつまでも。迷って、悩んで、困って、苦しんで。落ち込んで、戦う決意も出来なくて、何も取り戻せていないというのに。

 

 怪獣の雄たけびが俺たちを襲ったのは、その直後だった。

 

 

 

 神様なんてものは、人の気持ちなんて気にせず、トラブルを引き起こしてくれるのだと、この数日、よく学ばされていた。

 

 それは、黒い龍のような怪獣だった。人型の龍みたいな怪獣が、静かに住宅街を歩いていく。それはまるで、誰かを待ちわびているようで、火を噴いたり、ビルを構わず壊すような行動はしていない。この間の怪獣とは姿も、行動もまるで違う。

 

(けど、あれは……)

 

 俺は一筋、冷や汗をかく。

 

 何もしていないからと言って、あの怪獣が善玉だなんて思えなかった。曇天に向かって上がる怪獣の声。その声に、その全身に、どす黒いタールのような感情がにじみ出ているのが分かる。

 

 マックス達を見た時には、なぜか薄く温かい光が取り巻いていたが、あの怪獣はそれとは真逆だ。

 

『?! リュウタ、アクセスフラッシュだ!! ……っ、リュウタ?』

 

「……無理だよ」

 

 見ただけで、手足が震えてしょうがなかった。あの怪獣の全てが怖い。怪獣から迸る感情の正体がなんであるか、俺にだって伝わってくる。

 

 憎しみ。

 

 それだけをもって育てられた怪物。

 

 向かう先が誰かなんて知らない。けれど、この間のような無機質さとはまるで違う殺意と憎悪を手に、怪獣は敵を待っていた。

 

 敵は誰だ? グリッドマンか? 俺か?

 

 あんなのと戦えっていうのか?

 

 無理だよ。そんな強い感情なんて、俺にはない。

 

 怖い。

 

 怖い。

 

 このまま立ち向かったら殺される

 

 この間のような奇跡のまぐれ勝ちなんて、あり得ない。こんな言い訳ばかりをしているままで、戦いなんてできない。死にたくないのに、わざわざ向かっていくなんて。

 

「……っ!!」

 

 じりっ、と一歩を下がったのが引き金だった。

 

 逃げる。

 

 逃げるしかない。

 

 傍から見たら、さぞ惨めな格好だっただろう。顔を引きつらせて、冷や汗を掻いて、ふらつくように怪獣に背を向けて走り去る。曲がりなりにも戦う力は持っているのに。それが俺が考え付いた唯一の方法だった。

 

『リュウタ! 立ち止まってくれ!』

 

「うるさい!!」

 

 本当は悪いと思ってる。

 

 自分で自分が情けなくなってくる。

 

 シグマが言う通り、記憶をなくす前なら戦う理由があったかもしれない。それなら、すぐにでも記憶を戻してくれよ。俺だってこんな情けない自分は嫌なんだ。

 

 主人公になれないとしても、ここまで何も持てないなんて。

 

 歴代の主人公たちのように元から戦士であったなら。防衛隊員だったなら、勇敢な一般人であったなら。それでも、一つくらいの使命があったなら……。

 

 守りたい人の名前も分からないのに。出会いたい人がいるのに、命を費やしてまで戦えない……!!

 

 自分への嫌悪が最高潮に達した時、背中の方から、一際大きな爆発が起こる。

 

 振り向くと、またグリッドマンが現れていた。カッコよくポーズを決めて、大剣まで手にして、怪獣と一進一退の攻防を繰り広げていくヒーロー。

 

(やっぱり、逃げて正解じゃないか)

 

 俺は、立ち止まり、呆然と戦いを眺める。

 

 シグマになって、あの戦いに飛び込んだとして、きっとなすすべもない。いっそ、諦めがつくほどに、彼等は番組じみたヒーローと怪獣だった。

 

 それでも、

 

『おかしい。グリッドマンの様子が……!』

 

 シグマが呻くように言う。確かに、俺の目からも、グリッドマンの動きはぎこちなく見えた。攻撃をあてられるタイミングなのに、寸前で力を緩めてしまうような、ためらいを感じる戦い方。

 

 当然、戦いは怪獣が一歩先をいく。忍者みたいな、なんて形容が正しいかは分からないが、高速移動を繰り返しながらグリッドマンを翻弄し、鋭い爪で何度も切り裂いて。

 

(このままじゃ……)

 

 ぼんやりと最悪の想像がよぎった途端、怪獣が光線をまき散らした。憎しみに染まった悪魔のように、手加減もなく、殺意だけを込めた光線がグリッドマンを襲って……。

 

 

 

 グリッドマンが消え去った。

 

 

 

 ティガやダイナのように、石になることもなく。人間に戻ったような光の収束もなく。元から誰もいなかったように跡形もなく、ヒーローが消滅してしまった。

 

 一瞬の呆然と、頭の中で小さく呟かれる声。

 

『まさか』

 

 俺は言葉も何も出せない。

 

 ウルトラシリーズなら、敗北は復活と逆転フラグ。それは都合のいい物語の話。その復活までの間に、あの怪獣が街で暴れたらどうなる? 都合よく撤退してくれるなんて保証はない。今すぐには、ヒーローは戻ってこないのだから。

 

 一秒先の地獄を想像して、冷や汗がとめどなく流れる。

 

 グリッドマンを見殺しにしたのは、俺か?

 

 この後の結果は、俺のせいか?

 

 嫌な感情がせりあがってくる。

 

 もし変身していたら。不格好でも一緒に肩を並べていたら。結果は変わったかもしれない。怪獣を倒せたかもしれない。もしかしたら、怪獣が更なる奥の手を見せて、結果は変わらなかったかもしれない。

 

 答えが出ないまま、頭の中が馬鹿になったみたい。俺はぼんやりと、怪獣の行進を眺めていく。わき目も降らず、光線を振りまくこともなく、雨霧の中を怪獣はゆっくりと歩いて……。

 

 たどり着いたのは、どこか見慣れた白い建物だった。他のマンションやビルとは違う、広く、校庭があって、懐かしくも暖かい印象の、学び舎。

 

「……ツツジ台高校」

 

 カチリとまた一つ、何かがはまって感傷が戻る。

 

 あの学校を、名前を知っている。もしかしたら、俺が通っていた学校かもしれない。記憶を失うまで、友達が待っていた学校かもしれない。

 

 けれど、そんな感傷に浸る時間もなかった。

 

 怪獣が校舎へ向かって手を伸ばす。何の目的があるのかも知らないが、不思議と丁寧な動き。その先に誰かがいるのが分かった。

 

 ここからはコメ粒ほどにしか見えない。小さな人影。凝らしても見えない距離。離れていて、こんな場所からでは、誰が立っているかなんてわからない場所。

 

 けれど、俺は、そこから目を離せなくなる。

 

 魔法がかかったように、遠くの教室が、一ミリだって分かるほどにはっきりと。

 

 

 

 確かに、俺はその少女を見た。

 

 

 

 やっとわかった。

 

 

 

 怪獣使いの少女は歓喜の中にいた。

 

 だって、彼女の作り上げた怪獣が、ヒーローを倒したのだから。彼女が望んだ夢の景色だったのだから。怪獣好きの少女が何度夢見ても、実現されなかった姿だったのだから。

 

 怪獣はどこまで行っても脇役だ。いつもいつでも、怪獣はヒーローに倒される。奇跡やご都合主義を味方にしたヒーローが、怪獣を粉みじんに爆発させて番組は終了する。少女が怪獣をどう思っていても、世界にとって怪獣なんて除け者でしかない。

 

 それでも、怪獣が好きだからウルトラシリーズを見なければいけなかった。

 

 けれども、怪獣が好きだからヒーローを好きにはなれなかった。

 

 だから、せめて自分が作り上げた怪獣くらいは、ヒーローを倒せる存在にしたい。まして、この世界に他所からやってきたヒーローは、ウルトラマンみたいにいきなりパワーアップしたり、助っ人がやってきたり、やりたい放題だったから恨み骨髄だ。

 

 必ず倒してやる。そう誓い、丹精を込めて少女は最高の怪獣を作り上げる。ヒーローへの憎しみを込めて、ヒーローの能力をコピーする――

 

『アンチ』

 

 反ヒーローの意思を込めて、ヒーローにとって嫌らしい力を持たせた彼が、今、少女の望み通りにグリッドマンを破壊した。光線を受けて、爆発四散しただろうグリッドマンは、塵すら残さずに消滅している。

 

 ヒーローが消え去ったクレータを遠くに眺め、声が漏れる。

 

「あはっ」

 

 地響きを立てて、自身が立つ、くだらない教室へと歩いてくるアンチ。滅多にない本当の笑顔を浮かべながら、喜びを全身にみなぎらせながら、少女は彼の到来を待ち望んだ。

 

 さて、どうやって遊ぼうか。

 

 一先ずは彼の頭にでも乗って、怪獣の大きさを感じながら箱庭を眺めてみよう。

 

 その後、少しは褒めてあげてもいいかもしれない。お気に入りのバイキングにでも連れて行って、一緒にご飯を食べてもいい。なんだか、彼の声は聞いてて安心するから。一緒にご飯を食べてくれる怪獣は貴重だ。

 

 楽し気な想像を巡らせる少女の前へと、アンチがあと数歩の距離まで迫る。そして、自分にだけ優しい、壊れ物を扱うような指先が伸ばされて……。

 

 

 

「……え?」

 

 

 

 けれど、その手に少女が乗ることはなかった。

 

 赤い瞳を大きく開いて、少女はその景色を見る。

 

 光の粒が、頬の傍を過ぎていった。滅多に見かけなくなった雪のように、ふわふわと金色に輝く光が。粒が一つ二つ、それだけじゃなくて、粉雪のように。蛍のダンスのように少しづつ、彼女の体に当たっては吸い込まれていく光。

 

 その先に、少女はヒーローを見た。

 

 あのグリッドマンもどき。

 

 青く情けないヒーロー。

 

 追加戦士のセオリーから外れて、ぼろぼろになった挙句、結局は怪獣を破壊してくれた憎い英雄。今日も、二人でかかってきたら、アンチにまとめて倒してもらえるように、それだけのスペックは持たせておいたはずなのに出てこなかった卑怯者。

 

 そんな、弱いはずのヒーローが、少女の目の前で腹を抉られていた。

 

 背中から通されたアンチのカギ爪が胸から飛び出ている。切っ先は上に反れて、少女の数歩前から教室の天井に突き刺さっていた。ヒーローの出現に、アンチが咄嗟に攻撃したのだろう。怪獣としては正解だが。もしかしたら自分にも刺さっていたかもしれないじゃないか、なんて、不躾な怪獣へと怒りがこみあげてくるところ。

 

 けれど、少女は声を出すこともできなかった。

 

 ヒーローが微かなうめき声を上げて、身もだえしている。だが、苦しみながらも、ゆっくりとアンチを後ろへと下がらせようとしている。

 

 なにをやっているのだろう?

 

 アンチが自分を襲おうとしていると、勘違いしたのだろうか? だから、とっさに庇おうとした? だとしたら、見当違いもいいところ。少女の方が怪獣の親玉で、彼等にとっては倒すべき敵なのだから。

 

『まあ、ヒーローは女の子を助けるのが常識だし。

 でも、残念。ヒーローらしい行動だけど、それで死んじゃってたら意味ないよ。これで二人ともおしまい。アンチはもっと褒めてあげなくちゃ。デザートも付けてあげようかな』

 

 などと言って、怪獣使いらしく、嬉しくて満面の笑顔になればいいのに。

 

「……なんで?」

 

 少女は、何故だか泣きそうになる。

 

 苦悶に顔を歪めながら、それでもヒーローは、嬉しそうに。本当に幸せそうに、少女を見つめていたから。

 

 その顔を笑うなんて、できなかった。

 

 

 

 見つけた。

 

「ははっ……」

 

 見つけた。

 

「……けた」

 

 見つけた。

 

「っ、見つけた……!」

 

 君だったんだ。やっとわかった。

 

 名前もわからない、声も知らない、巨人になった俺を見上げている小さな女の子。それでも俺はこの子を知っている。何度も泣き顔を見た子だ。この子が失われた記憶の中で唯一の人だと、頭なんかじゃなく、心なんかじゃなく、俺の全身が伝えてくる。

 

 たった一つ。俺にとって大切な人。

 

 それを想えば、この胸に刺さった爪なんて、痛くはない。気にも留めない。

 

 もう、さっきまでの屑のような気持ちは一瞬で吹き飛んでいた。俺のすべてが激情に塗りつぶされている。不思議だとは思ったけれど、迷いもしない。コントロールなんて出来ない激情の正体なんて知らないし、知る必要なんてない。

 

 雑念は全部邪魔だ。

 

 今、やるべきことは、一つだけ。

 

「お前っ……!!!!」

 

 後ろで怨嗟の声を上げている醜い怪物。

 

 脚に渾身をこめて、思い切り後ろへと仰け反る。この間とは全く違い、手も足も、身体のすべてが力強く動いた。

 

 そうして怪獣と巴に転がり、勢いで爪が腹から抜け、激痛が体中を走るが、関係ない。立ち上がり、怪獣を睨み、構える。戦おうとする。戦わなくちゃいけない。

 

 こいつが邪魔だ。

 

 こいつが敵だ。

 

 こいつはいちゃいけない。

 

 だって、こいつは何をしようとしていた?

 

「お前、今、誰に手を出そうとした……!!」

 

 あの子を傷つけるなら、俺の敵だ。

 

『何を、言っている。この、ニセモノッ……!!』

 

 怪獣が爪を構え、叫んだ。

 

 返事を期待したわけではなかったが、聞こえたのは人間の言葉。なんだ、意思があるのか。俺のことを偽物なんて、この間の戦いも知っているような口ぶり。喋るなんて、人間体があったり、人間が怪獣に変身しているのかもしれない。

 

 じゃあ、倒せるな。

 

 息を吐き、敵意を込めて、力を込めて怪獣の腹に足をぶち込む。ためらいはなかった。怪獣は怯んでいたのか、それを受けて、また少し校舎から離れたから、さらに追撃で飛び蹴り。

 

 目的はシンプルだ。一歩でも、二歩でも、この怪獣をあの子から離して、倒す。考えの通りに体が動いて、思った通りに力が使えるのは好都合。

 

 カチリ

 

 カチリ

 

 カチリ

 

 敵意と怒りと。一挙一動ごとに自分を確かにしながら、俺は怪獣へと掴みかかる。

 

 ああ、きっと、俺は変になっている。

 

 後ろにいる女の子のことで、何を知っているかと問われたら、何も知らないのだ。ただ、記憶の中で泣いていること。それを見るたびになんだか切なく、辛く、愛しい気持ちになるということ。

 

 けれど、あの戦いのときも、この子に出会うためだと思ったら、力が驚くほどに出せた。こうして出会えただけで、涙が出るほどに嬉しい。この気持ちは嘘じゃない。戦うことも、この子を守ることも、命を張ることにも迷いはない。

 

 女の子は、校舎から呆然と俺を見つめている。

 

 困惑の表情を浮かべていても、とても可愛らしい女の子。年恰好から見れば、もしかしたら同級生だったのかもしれない。友達か、ただのクラスメートか、それとも、もっと親密な関係だったか。片思いでストーカーみたいなことはしてないよな? そんな奴だったら、自分で自分を許せない。

 

 彼女のことだけを目まぐるしく考えながら、怪獣をもう一度蹴り上げようとする。蹴りのイメージは得意だ。サッカーの知識があるからだろう。腕よりも、力強く、攻撃に使える。だが、流石に何度も単純な攻撃が通用するはずがなかった。芸のない振り上げた足が怪獣に掴まれてしまう。

 

 怪獣が叫ぶ。

 

『調子に乗るな! この、ニセモノ!!!』

 

 怪獣はがっしりとした体形に似て怪力だった。この間よりは動けるようになっても、膂力はまだ怪獣が上。持ち上げられ、そのまま上空へと身体が浮き上がる。

 

 このまま投げられるわけにはいかない。

 

「ならっ!!」

 

 脚が使えなくても、腕で。

 

 何ができるかは、自然と分かった。右手のアクセプターに力を集中させ、頭の中で描いたイメージ通りに放出。モデルはいくらでもある。青いウルトラマンならできて当然の攻撃方法。

 

 手から伸びる、青白い光の剣。

 

 咄嗟に作ったから弱弱しく、それでも、怪獣の肩口には届く長さ。アグルのように軽快な剣捌きなんてできなかったが、それは確かに斬りつけることに成功する。

 

 けれど、

 

『グリッドマンじゃないお前に、やられるか!!!』

 

「……っ!?」

 

 どこか、必死な声。

 

 怪獣の腕には、傷一つもなかった。それでもと、地面に叩きつけられる勢いを利用し、怪獣をあと数歩、後ろに下がらせて。でも、そこまで。

 

『リュウタ!! もう限界だ!!!』

 

「……そんなの!!」

 

 シグマの制止の声を、余計なものだと切り捨て、膝に力を入れる。しかし、立ち上がろうとした俺の邪魔をしたのは、他ならぬ自分自身だった。

 

 気が付くと、胸から光が垂れ流されていた。ドバドバと、血のように。

 

「ぁ……」

 

 意識した瞬間、巨人の体なのに、ふらついて、力が出せなくなる。目の前がぐらついて、吐き気がして、地面に膝をついて、アスファルトをひっくり返した泥のプールへと沈み込む。口があるかもわからない体に、土の味がにじんだ気がした。

 

 立ち上がろうとする。

 

 死んでもいいのに、立ち上がれない。

 

(……なんで?)

 

 何が悪かったのだろう。

 

 記憶を失っていたのが悪いのか。

 

 戦う勇気をギリギリまで持てなかったのが悪いのか。

 

 自分が嫌いだったのが悪いのか。

 

 こんな、ようやく出会えたのに。ようやく、守りたいと思えたのに……。

 

「……くそっ」

 

 意識が落ちていく。せめて、俺は死んでもいいから、あの子だけは。

 

 

 

 そんな俺を、怪獣があざ笑うように見下ろしていた。オマエには何も守れないのだと、そう言いたげに。




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