SSSS.GRIDMAN うたかたのそらゆめ【完結】   作:カサノリ

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グリッドマンと合流できたので、死亡フラグも一応、落ち着きました。……一応。


感・覚

 人生っていうのは何が起こるか分からない。

 

 記憶喪失になるだけでも一般人には縁遠いだろうし、その上に、巨人になって怪獣と戦ったり、売れないバンドみたいな不審者たちに面倒をかけたり、運よくオタク仲間と巡り合えたり。

 

 自分で言うのもなんだが、これだけ短期間で色々と発生する人間はそうはいない気がする。巨人になれるのは俺と響だけだし。

 

 なので、内心、これだけ色々あったのだから、この後に驚くことも、そう多くはないと思っていた。ここ数日は、マックスたちに追い回されたり、ドタバタしてはいたが、心の中は穏やかだったから。

 

 それが、こんな、緊張で全身が震えるような出来事が降ってわくなんて。今も、目の前で起こっている出来事が理解できていない。突然にすぎて、頭の回転も追いついてくれなかった。

 

 なにせ、

 

「ん? どーしたの、ぼーっとして。美味しくなかった? トマトジュース」

 

「い、いや。そんなことは。……すごく美味しい」

 

「そっか、よかったー! 味も良いんだけど、飲み心地もお気に入りなんだよね。昔の血糊みたいにドロッとした赤色なの、ポイント高いんだ」

 

「う、うん?」

 

 それはポイント高いのだろうか。むしろ、それを飲んでいる身からすれば、少し食欲が落ちるというか。でも、そんな感情は口には出さず、美味しいと言った通りにトマトジュースを飲み干す。そうでもしないと、頭が緊張で破裂しそうだった。

 

 バレバレというか、自分から見てもあからさまな仕草。けれど、横に並ぶ『彼女』はそんな様子を見て、楽しそうに目を細めて、笑うのだ。

 

「もう飲んじゃったんだ。そんなに好きなら、おかわりあげよっか?」

 

「もし、あるなら……」

 

 炎天下を歩いてきたから、喉は乾いているし。

 

「じゃあ、はい。飲んでいいよ」

 

「……え!?」

 

 その手に持ったジュースパックは。いや、ジュースパックだということは分かる。分かるけど、そこに既にストローが刺さっていて、先っぽには使用済みだと言わんばかりに、微かに噛み跡がついているのは。

 

 それを差し出して、あまつさえ『飲んでいいよ』って。

 

「……あの、その」

 

 俺は何と答えていいのか分からなくなる。出会って数日。しゃべったのは一時間前が最初。なのに、こんな……。

 

 顔を真っ赤にして、ジュースと彼女の顔を何度も何度も見ていたのは、当然、彼女にも伝わって。

 

 突然、彼女は両手で口元を押さえると、体をくの字にして震わせた。

 

「ふっ、ふふふ。うっそー! もー、そんなに顔真っ赤にして、かっわいいなー。ヒーロー君なんだから、もっとカッコつけないと、ダメだよ?」

 

 目の前から引っ込められたジュース、代わりに突き付けられる、柔らかな満面の笑顔。

 

 新条アカネさんが、俺の前にいて、笑ってくれている。

 

 それだけで嬉しくて、気恥ずかしく、どこか悲しくて。手が震えるほどに感情が暴れまわるけれど、俺からは何もすることができなくて。

 

 ただ、この唐突に始まった時間を噛みしめながら、俺は事の始まりを思い出していた。

 

 

 

『新条アカネが合コンする』

 

 数日前、内海から情報を聞かされた瞬間、全身の力が抜けて、冷や汗が噴き出すのを感じた。

 

 もちろん、新条さんと俺との関係は未だにわからず、まともに会話の一つもしたことがない。そんな俺が彼女の行動に、何も感じる資格がないのは分かっている。分かっているけれど、彼女は好きな人で、今の俺にとってただ一人守りたい人。

 

 そんな新条さんが、合コンに出ると聞いて、焦りを抱く心は止められなかった。

 

 しかも、相手が……。

 

 『Arcadia』とかいう、数人の大学生集団らしい。界隈では有名だとかで、彼らの動画を見せてもらったが、何とも考えなしそうで、今どきというか、高校生を合コンに誘う大学生とか。モラルはしっかりしてんのか、この連中は、というか。ほんと、あの顔見ているだけで……。

 

「……やべっ」

 

 頬を叩いて、湧き上がってくるマイナスエネルギーを封じ込める。

 

 まあ、気に食わないのは確かだ。間違いなく、嫌いだ。昔の俺はああいう動画を見ていたかもしれないけれど、今は大嫌いだ。

 

(だけど、止めろとか言う権利もないし。そんなことしたら迷惑だろうし)

 

 そうして変身できるだけで、何もできない俺が何をしているかと言えば、新条さんとあのむかつく連中が入っているだろうカラオケボックスを見上げるだけだった。

 

 内海からの電話は、端的に言えば尾行の誘いだ。新条さんと宝多さん、あとは知らない彼らのクラスメートが合コンするから、あとをつけて様子を見ようと。

 

 内海がそうする理由は、よくわからなかった。いや、もしかしたら、あいつも彼女に何か気持ちがあるのかもしれないけど。一方で、響は前に感じた通りに宝多さんが好きなのだろう。そして、俺も来ないか、とあいつらは誘ってきた。

 

(……内海には話してないんだけどな)

 

 新条さんとの関係のこと。

 

 ああいう話題を響が勝手に話すとは思わないけど……。態度でバレたのだろうか。

 

 ただ、今、この場所に内海達はいない。

 

 俺はため息を吐きながら、手に持った携帯電話を見つめる。時代遅れの古い携帯。これが俺と内海達をつなぐ唯一の連絡手段。けれど、メールでカラオケ屋の住所だけ知らされて、その後の音沙汰が全くなかった。

 

「ふつー、待ち合わせ時間くらい教えろよ。もしくは部屋番号」

 

 日陰で待ちながら、連絡を繰り返しても、やはり返信はない。

 

 それはそうだ。尾行に行くか、なんて動機に、気合が入るはずもなく、出発するまで迷いに迷って、最後は宝多さんのママさんに店を追い出されてきた身。結果として、かなり到着は遅くなっていた。そんなものだから、きっと二人は尾行を始めてしまったのだろう。

 

 尾行中なら、携帯も切ってるに違いなく、これは無視されているとかではない。そして、彼らが何処にいるかも分からない俺は、カラオケ店の入り口をウロチョロとするしかなかった。

 

(さて、どうするかな……)

 

 内海、いや、そもそもの新条さんが本当にここにいるかも分からない。早々に場所を変えているかもしれない。彼女と会ったときに何と言えばいいのかも分からない。初対面がストーカー行為なんて悪印象はごめん被る。

 

 ……万が一、彼女が例のArcadiaと仲睦まじくしている様子なんて見たら。あのチャラい連中と笑顔で肩でも組んでいたら……。

 

「……かえろ」

 

 ああ、何たるヘタレ具合。

 

 シグマも、今は何も言わないでくれよ。

 

『……人間の感情とは、複雑だな』

 

 だから、何も言うなって。

 

 俺はゆっくりと未練を残しながら、カラオケ店へと背を向けて歩き出す。空は晴れてるのに、どこか霧がかる。さらには、空気はじんわり夏の湿気。そんな天気と同じように、今日は最悪の一日だと思いながら、ビル影の境界を乗り越えようとしたその時、

 

「うおっ!?」

 

 とんっ、と背後から、柔らかくも勢いのある衝撃が伝って、俺は大きく体をつんのめらせてしまった。

 

 

 

 数分遡って。

 

 ガチガチガチガチ。

 

 エレベーターの中、小柄な少女が一人。見るからに淀んだ空気を纏って、顔はうつむき、無表情に目が剥かれ、ほそりとした指は、何度も何度も、1階へのスイッチを押して押して押しまくる。

 

 そこに、いつもの可憐な美少女の面影はなかった。

 

 一刻でも早く、この汚らわしい場所から離れて、忌まわしい記憶を根こそぎ消し去りたい。新条アカネは、そんな地獄を煮込んだような感情だけに突き動かされている。

 

 最悪、なんて言葉では言い表せない。

 

 あの軽薄な男たち。

 

 汚らしく髪を染め上げて、脂と似合わないコロンの匂いを纏わせて、それでいて、女は俺たちのこと好きなんだろ、みたいな薄っぺらい自信を貼り付けて迫ってきた男たち。

 

 喧しく、品がなく、無神経にアカネに触れて、さらには怪獣を馬鹿にしたゴミども。あれ以上、同じ空間にいることなんて考えられず、言い訳もなしに部屋を飛び出してしまった。

 

 それを思い返しながら、少女の殺意は更に膨れ上がる。

 

 頭の中では、何度となく、彼等の肢体を引き裂いて、怪獣の餌にして。いや、エサにするなんてご褒美はいらない。それよりも生きたままドロドロに溶かして、誰にも知られないまま、塵にしてやりたいとまで。

 

(私の世界に、あんなのいらない……!!)

 

 だが、あくまで、それは少女にとっての主観ではあった。

 

 男たちにとっては付き合ってもらっている以上、ゲストには楽しんでもらいたいという気遣いがあったかもしれない。あるいは、アカネの言う通りに、年の差離れた女子高生とあわよくば、なんて下種な発想をしていたのかもしれない。それは、彼等にしか分からない。

 

 だが、この世界にとっては、アカネの感情が全てであり、神の意志そのもの。

 

 アカネにとって、彼等は汚らわしく、彼女の大切なものを踏みにじって、無作法に触れてきた邪魔者でしかなかった。

 

(最悪……! 最悪……! ほんとキモチワルイ。あんなのに触れてほしくなかったのに! 私に触っていいのは、『あんな』奴らじゃないのに……!!)

 

 わがままな神様らしく、端から端へと揺れ動く感情は止まらない。合コンなんかに誘ってきたはっすとなみこ。わざわざ付き合ってやったのに、響裕太に関する情報を一つもくれなかった『親友』の六花も。たとえ、六花がお気に入りであっても、少しは憂さを晴らしてやらないと気が済まないほどに。

 

 少女は設計図を練る。

 

 描くのは怪獣。それも飛び切りに醜悪で、恐怖をあおる怪獣。六花の処遇はともかく、Arcadiaの連中だけはすぐにでも恐怖を浴びせて殺してやらないと。

 

 エレベーターが一階につくなり、アカネは不器用に走り出す。目指すは悪魔のいる自宅。けれど、外はアカネの暗い気持ちと比べると、眩しいほどの陽ざしだった。

 

 目がくらんで、頭の中は殺意でいっぱい。アカネは目の前の人影に気づかないまま、

 

「……っ!?」

 

「うおっ!?」

 

 固い背中にぶつかってしまう。

 

 それは、あの連中と同じ、男の子の体だった。

 

 同じくらい、キモチワルイとしか思えない『はず』の存在。瞬間的に殺意が湧いて、こんな時に邪魔してくる奴なんて、殺してやりたいと思う『はず』だったのに――。

 

(……あれ?)

 

 ふ、と。少女の心によぎったものは、決して嫌な感情じゃなかった。それどころか、あんなに憎かった気持ちを一瞬でも忘れて、安心感すら抱くくらいに。

 

 その事実に呆然と。そして、気を抜いた瞬間に、手に握りしめていたスマホまで落としてしまう。それは、目の前でよろける男の子の元へと、軽く弾んで、音まで妙にリズミカルに転がっていった。

 

 アカネの視界の中、どこにでもいそうな、平凡な少年が手を伸ばす。男の子がそれを自然と拾い上げるまで、止める声すらつくれない。

 

 そして、

 

 

 

「……これ、ヅウォーカァ将軍?」

 

 

 

 小さく、困惑気味に告げられるキャラクター。それは、アカネのスマホ画面に燦然と輝くマイナーな星人の名前だった。よりにもよって『にわか』がバルタン星人なんかと勘違いした悪役を、目の前の男の子は当てるなんて。

 

 

 

「あは」

 

 

 

 思わず、少女の口から笑い声が零れる。

 

 ああ、なんてことだろう。

 

 どマイナーも、どマイナー。特撮でも禁じ手に近い、夢落ちギャグなんてやらかした回の、存在さえしない悪役。それを言い当てたのが、

 

「久しぶりだね、ヒーロー君♪」

 

 グリッドマンの偽物だなんて。

 

 

 

(ほんと、どうしてこうなったのだろう)

 

 蒸し暑さの中、額ににじんだ汗を拭きとりながら、俺は息を長く吐く。

 

 緊張して、指先まで震えてしようがない。

 

 ついさっきまで、気持ちは最悪だった。よりにもよって好きになった子が合コンしてて、俺は何もできずに負け犬根性丸出しで立ち去ろうとしていたのに、

 

「ねえ、ヒーロー君はゴルザとメルバだとどっち好き?」

 

「えっと、メルバ」

 

「うわっ、そっち選ぶなんてマイナー!」

 

 新条アカネさんが目を丸くして、俺は冷や汗が伝う。

 

 しまった、ゴルザの方が正解だっただろうか。けど、デザインの美しさで言えば、俺はメルバの方が好きだった。ティガの初回以来、めったに出番はないし、平成のゴモラ扱いされている相棒と比べると、マイナーのそしりは免れない。

 

 それでもファンの視線を離さない、細身でスタイリッシュな姿。あの美しい翼たるや、改めてティガを見始めた瞬間に、好きだという感情が蘇るほど。何が何でも、メルバは美しいし、お気に入りの怪獣だ。

 

 そう思っていると、新条さんは一転、にっこりと微笑みを向けてくれる。

 

「私も好きだよ、メルバ」

 

「っ、そうなんだ!」

 

「うん。ゴルザの方が大暴れしたから好きなんだけど、最近は不憫な方も応援したくなってね。メルバの方が、街もぼろぼろにできそうだし! 怪獣が空飛ぶと、ビルとか人が舞い上がるの、良いよね!」

 

「そ、そうだね……」

 

 可愛らしい口調で、ちょっとばかりの物騒な言葉。

 

 内心、全面的な同意はできなかったけれど、笑顔を浮かべるアカネさんはとても可愛らしく、何より、自分が好きなものを、彼女も好きだと言ってくれることが嬉しかった。

 

 そんなひと時の始まりは、十分ほど前。背中に突然ぶつかってきた新条さんが落としたスマホ、そこにあった意外なアイコンに驚いた後、不思議な笑顔を浮かべた彼女は顔を寄せてきた。

 

『ちょっと付き合って♪』

 

 なんて小悪魔のような一言と共に。

 

 その後は、訳が分からないまま、俺は彼女と並んで街中を歩いている。話しているのは、ずっと怪獣の話。怪獣に始まり、怪獣が続き、怪獣に溢れている。

 

 平成三部作も、昭和のウルトラ兄弟も、ニュージェネ組まで。

 

 新条アカネさんは無類の怪獣好きだった。俺がオタク心をむき出しにして、マイナーな話題を振っても、平気で付いて来れるくらいに。そして、

 

(……もしかして、記憶失う前も、こういう風に話したことがあったのかな)

 

 話しているうちにそう思い、心のどこかで同意が帰ってくる。きっと、そうだと。そして、そうなのだとしたら、

 

「……うれしいな」

 

 安心して、温かくて、浮き立つようで。霧に包まれた街のすべてが、今、彼女との思い出を刻んでいく大切な場所になっていく。

 

 最初は、彼女と俺との間にどんな繋がりがあるのか、想像もできなかった。俺に残っているのは、名前を呼んでくれたことと、記憶の中で泣いている、切ない思い出だけ。

 

 あんなに可愛い子と、どんな話をしていたのかも分からなくて、あの思い出もともすれば俺の勝手な思い込みなんて可能性もありえて。自分の不確かさが怖くて、仕方なかった。けれど、怪獣の話題で、こんなに楽しくなれるなら。

 

「あのさ、俺たちって前にも会ったことなかった?」

 

 問いかける口を止めることはできなかった。

 

 彼女は、きょとんと眼を丸くする。緊張に顔を固める俺をじっと見て、そして、からかうように口元を弧にすると、半歩、距離を寄せて、顔を下からのぞかせるように彼女は答えた。

 

「えー、今の台詞、ナンパみたいだったけどー。もしかして、口説いてるんですか?」

 

「い、いや! そんな、ナンパとかじゃ!? ……でも、じゃあ、どうしていきなり誘ってくれたのかなって」

 

「だって、私たち、前にも会ってるでしょ? 覚えてないなんてヒドイなー」

 

「……っ」

 

 息が止まりそうになる。

 

 もしかしたら、俺の正体が分かるかもしれない。俺のことを覚えている人が、いてくれるかもしれない。そして、何より、この子と一緒にいれる理由があるかもしれない。

 

 そんな期待だけが膨らみ、

 

「この間の雨の日。道路で倒れてた時に、助けてあげたじゃん」

 

「そ、そっちか……」

 

 途端に夏の暑さが重く感じられて、俺は肩を落とした。

 

 確かに、一度会っている。

 

「私も気になってたから、ちょっと安心してるんだ。助けたって言っても、ちょっと道の真ん中から、脇に引っ張っただけだけど。それでも、気になるでしょ? 怪我とか、もう大丈夫?」

 

「あ、それは。もう、大丈夫。……それ以外で会ったこと、とかは」

 

「ないと思うよ?」

 

「……そっか」

 

 最後にもう一度ため息。

 

 いや、我ながら虫のいい話だとは思う。ありがちな恋愛小説みたいに、彼女だけが俺のことを覚えていてくれるかも、なんて。他の人が誰一人そうでないのなら、きっと、彼女だって例外じゃないのに。

 

「あ、でも、すれ違ったとかならあるかも。私、ずっとこの街だし。ね、ヒーロー君はどこから来たの? ここ出身? それとも、遠くの国から来たり?」

 

「……それが、ちょっと複雑な事情があって」

 

「うん?」

 

「……俺、記憶喪失なんだ」

 

 そう言うと、新条さんはまたも興味深そうな眼差しで、どこか探るように尋ねてきた。今度はからかう調子はなかった。

 

「……記憶喪失、か。ねえ、うちのクラスメートにも、記憶喪失の子がいるんだけど。知ってる? 響、裕太君って子」 

 

「あ、うん。この間知り合って、友達」

 

「へえー」

 

 小声で、『不思議だねー』なんて。感慨もなさそうに呟く彼女の横顔は、言葉と裏腹に、複雑な気持ちが隠れているように感じられた。その中にある物を知りたいと、思って、けれど、彼女はそれを遮るように、がらりと話題を変えてしまう。

 

「まあ、こんなつまらない話はナシナシ!! せっかくだから怪獣の話しよ! ヒーロー君は、どんな怪獣が好き?」

 

「そういえば、そのヒーロー君っていうのは……?」

 

「細かいこと気にしないの! 

 怪獣も、ゴモラみたいなオーソドックスな恐竜型とか、プリズ魔みたいな変なのとか、色々あるけど、好きなのどれ?」

 

「えっと、怪獣ならだいたい好きだけど、合体怪獣は特に」

 

 ファイブキングとか、タイラントとか。ベリアル融合獣とか。一番のお気に入りなTDGシリーズには少ないけれど、怪獣の造形としては素直にかっこよくて好きだ。

 

 新条さんはそれを聞くと、上機嫌にスキップをしながらトマトジュースを口に運ぶ。

 

「男の子って感じ! でもいいよね、合体怪獣。ああいうのって、デザイナーの力量でるんだよ? パーツぶつ切りだと、バランス良くないし。だからって形にはめようとしたら、せっかくの合体怪獣の意味ないし」

 

「カッコよくまとまっていると、すごいワクワクするんだよね。新条さんは? 好きな怪獣?」

 

「あれ、名前、教えたっけ?」

 

「あ、その……」

 

「ふふ、理由は聞かないであげる。これ、貸しにしちゃうから。

 わたしは……。強い怪獣が好きだよ。ウルトラマン倒しちゃうくらいの」

 

 ウルトラマン倒すレベルって言うと。

 

「キングジョーとか?」

 

「元祖ラスボスのゼットンも」

 

「平成は強敵多いよね。ガタノゾーアは?」

 

「好き! あとは、ゾグの第一形態に、イフに、グリーザに……」

 

 あと、強いといえば、

 

「ベリアルとか、どう?」

 

「だめ! 視聴者に媚びたウルトラマンもどきじゃん! あいつら、怪獣の出番も奪っちゃうんだから最悪だよ。あ、でもベリアル系怪獣はそこそこ好きかなー。なんで、あれだけ怪獣型なんだろ。元はウルトラマンなのに」

 

 あんまりな物言いに、思わず笑ってしまう。ここまで怪獣好きが極まっていると、気持ちいいくらい。最初に感じていた緊張もいつの間にか、どこかへ飛んでいってしまって、記憶喪失だとか、そんな事情まで、どうでもよくなってしまう。

 

 街角を歩きながら、時々アイスを買ったり。

 

「マグニアとかのグロい系のって、ちょっと抵抗あるんだ」

 

「私は平気だけど……。ああいうのって、見掛け倒しで戦うと残念なの多いよね」

 

「基本、からめ手だしね。本体が弱いのって多いよ」

 

 新条さんが興味を持った店を覗いてみたり。

 

「マガジャッパみたいな、ヘンテコなのが意外と強かったりするのもいいよね」

 

「あー、分かる。こんなのに苦戦するのかよ!? とか」

 

 ちょっとした特撮系のショップを見つけて入ってみたり。

 

「最強怪獣議論とかしない?」

 

「……絶対にこじれるから、止めておきたいなぁ。イフとか出てきたら、決着つかないし」

 

「……確かに、止めとこっか」

 

 怪獣の話をして、笑って、楽しんで、なんでもなく街を歩いていく。

 

 その間、あのカチリという奇妙な感覚が頭の奥で何度も鳴って。それでも、今はその刺激さえ優しく、失った記憶の向こうから、かつての自分が優しく微笑んで、『そうだ』と、これが俺の求めていた時間だと教えてくれるよう。

 

 それは、友達になれた内海とは少し違う。同じ話をしていても、身体の奥から安心感が体を包んでくれるみたいで、密やかに抱いている彼女への好意が深まって、確かなものになっていく。

 

 こうしている時間の全ては、俺にとって。

 

「なんか、奇跡みたいだ……」

 

 どこともなく歩き回った末に、夕暮れ色が広がる空の下、新条さんとベンチに座りながら呟く。零れた言葉は、自分でも奇妙な物言いだったけれど、そうとしか言いようがなかった。

 

 言われた新条さんは、不思議な表情を浮かべて。そして、息をのむと、ゆっくりと時間をかけて首を傾げた。

 

「奇跡って、大げさ。……それより、変だとは思わないの? 女の子で怪獣好きなんて」

 

 怪獣やウルトラマンは男の子のもの。女の子が好きになるものじゃない。

 

 なんて、世間一般では言われているのだろう。記憶を失っていても、それくらいは分かる。小さいころに男の子は戦うヒーローに憧れて、女の子はヒロインに憧れる。その中で、爬虫類みたいな、決して可愛らしいとは言えない怪獣たちを好きになる女の子がどれだけいるのだろうかといわれれば、少ないに違いない。

 

 でも、

 

「女の子だから、怪獣を好きになっちゃいけないなんて」

 

 それは違うと思う。

 

 俺は記憶喪失だったり、変身できたり、怪獣好きだったり、人と大きく違うことばかり。でも、周りの連中だって、はたから見たら変人だ。でも、彼らはそれ以上にいい友達で、仲間で。彼らと過ごした時間から、人間一人一人、事情も個性も違うんだと、知ることができた。

 

 それなら、好きなものも、自由でいい。

 

 自由でいいはずだ。

 

(それに……)

 

 俺は新条さんの顔を見る。今は怪訝な表情で、じっと俺を見つめているけれど、街を歩いている間、怪獣の話をしていた彼女の顔は、

 

「そんな新条さんが、すごく、綺麗だったから……」

 

 無邪気で、楽しげで、心の底から好きだという感情が溢れ出ていて。何度でも見惚れてしまうくらい、ともすれば、勢い余って抱きしめたくなるくらいに。そして、俺にとって、彼女がそんな笑顔になれることが、何よりも大切なことに思えた。

 

「……その、会ったばかりで何言ってんだと思うだろうけど。本音で」

 

「ほんと、口説いてるみたいだね」

 

 透明な声。

 

 気恥ずかしさからうつむき気味だった顔を上げると、新条さんは軽く伸びをしながらベンチから立ち上がり、夕日を背にして俺へと振り向いた。さわさわと風に揺れる前髪から、赤い瞳が微かにだけ。そんな、美しい景色に見惚れたままの俺と、何かを言いたげな彼女との無言の時間が流れていく。

 

 そして、

 

「ねえ、ヒーロー君は……」

 

 小さな、小さな声が耳に届いて。けれど、

 

「ううん、なんでもないや。……じゃあ、またね」

 

 新条さんが夕日の中に溶けていくように、走り去っていく。楽しい時間の終わり。連絡先も知らない彼女との別れ。それでも、心の中には不安なんてなかった。

 

「……うん、また」

 

 『またね』なんて、奇跡みたいな言葉。こんな言葉を交わせることが、とても嬉しくて、疑おうなんて気持ちはみじんも起こらなかった。

 

 

 

「……ただいまー」

 

 少女は無感情の声を上げて、自分の城へと帰ってくる。怪獣と、ごみ袋と、悪意の残骸だけを詰め込んだ世界の中心へ。それは、彼女にとってのルーティーンで、出迎え役も変わることはない。

 

『やあ! お帰り、アカネ君。今日は楽しかったかい?』

 

 部屋の隅のパソコンに置かれたPCから、紳士な問いかけをしてくる悪魔だけ。見た目は極限まで怪しく、それでいて親しい友人に対するようにアカネへと話しかけるアレクシスへと、アカネはブスリとした声を上げた。

 

「前半はサイアク! あの連中! ほんと気持ち悪いし、うるさいし、鬱陶しいし!! なんであんなのいるのか分かんないくらい!!」

 

 吹き出す癇癪と、不平不満。アカネは妙に綺麗なフォームでごみ袋を蹴り上げて、バスリバスリと音を響かせる。

 

『おやおや、それは災難だったねえ』

 

「ほんとだよ! 六花もグリッドマンのこと教えてくんないし! なみことはっすも!! あんなの連れてくるなんて許せないし!!」

 

『君の言うことを聞かないなんて、本当にダメなクラスメイトだねえ。けれど、それにしては……』

 

「なに?」

 

『フム……、私には、君が嬉しそうに見えるのだが』

 

「え……」

 

 と、アカネは驚き、口元を押さえる。ゆっくりと指を動かすと、そこは確かに、笑う様に弧を描いていた。

 

 この部屋に来る時には、我慢しなくていい感情を爆発させて、肯定しか返さない悪魔へと欲望をぶつけていた。ここで笑うなんて、ターゲットを殺した時の、残酷な笑顔くらい。

 

 なのに、今のアカネの笑顔は、とても穏やかだった。それはきっと、

 

「……あの子のせいかな」

 

『あの子?』

 

「うん。グリッドマンもどきに変身する子。ちょっと会って、話をして……」

 

 夢見るように呟きながら、アカネは戸棚の上から一つのソフビを取り出す。ウルトラマンティガのラスボスで、女の子が抱えるには凶悪な見た目をした大怪獣ガタノゾーア。

 

「……変だよね、ヒーロー役なのに怪獣が好きなんだって。普通はさ、あんなのに変身できたら怪獣なんてどうでもいいよ。弱いって言っても、デバダダンは倒せるくらいなのに」

 

 椅子に座ってぎゅっとお気に入りを抱きしめて。そうすると、不思議と彼との時間が頭に浮かんでくる。

 

 たったの数時間だけれど、アカネの心は満たされていた。普段は隠している怪獣趣味も、自然と出せた。毎日の苛立ちと物足りなさを忘れて、楽しく、穏やかで、何だか安心できて泣いてしまいたくなるくらいの心地よさがあった。

 

(最初は、ただの偵察のつもりだったんだけどな……)

 

 怪獣使いの神様と、弱いけれどヒーローなグリッドマンもどき。彼を敵と認めるにはあんまりにも弱すぎて、グリッドマン相手程ムキにはならなくても、敵は敵。

 

 そんな相手との時間を、自分が楽しんだ事実と、

 

(それに……)

 

 アカネは目を閉じ、夕焼けの景色を思い出す。

 

 少年の恥ずかし気な口説き台詞。笑っちゃうくらいにべたべたで、それでも馬鹿みたいに素直な言葉。

 

 あの言葉を、アカネはどこかで聞いた気がする。

 

 それだけじゃない。尋ねられた時、彼には『知らない』なんて告げたけれども、本当は妙な既視感と胸の疼きが続いていた。この世界では全知全能の神様で、いらないものはたくさんあるけれども、気に入ったものくらいは覚えているはずだったのに。

 

「なんか、不思議だね……」

 

 ゆっくりと、椅子へと体を沈めて、ありえない眠りにつくような少女へと、保護者面をした悪魔は試すように尋ねる。

 

『私としては、アカネ君が楽しかったというのなら、それでいいのだけれどねえ……。それじゃあ、その子に免じて、嫌な奴らも許してあげてはどうだい?』

 

 そんな言い方をすれば、少女がどうするかなんて、悪魔にはお見通しだったから。

 

「え? なんで? 逆だよ、アレクシス、ぎゃく!!」

 

 だから、少女はあっけらかんと、当たり前のことを言うように。気を取りなおしたように、眼鏡をかけて、カッターの刃を伸ばし、頭の中の破滅のイメージを具現化しようと粘土を切り刻みはじめた。

 

 『光が強くなると、影もまた』なんて、ヒーローものにはありがちな台詞だけれども。

 

「楽しいことの後って、嫌なことはもっともっと嫌に感じるんだよ。だからー、もっと、あいつら苦しめて殺そうと思うんだ! とびっきりに凶悪な怪獣を用意して!! ね! もちろんアレクシスは協力してくれるでしょ?」

 

『それでこそアカネ君。もちろんだとも! それに……』

 

 

 

『「怪獣好きの男の子」とは……。フフフ、本当に、楽しみだねえ』

 

 

 

 神様と悪魔が嘲笑を交わした夜、『Arcadia』と呼ばれた青年たちが、この世界から消え去った。




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