SSSS.GRIDMAN うたかたのそらゆめ【完結】   作:カサノリ

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正・体

「……次はいつだ?」

 

「……」

 

 新条アカネは小さく舌打ちを鳴らし、どうでもいいものを見る様な目で、自分の作った怪獣を見下ろす。

 

 相も変わらず、霧がかかった街。それでも、朝は涼しく、気持ちよさを感じる時間。なのに、家を出たとたんに待っていたのは薄汚く、浮浪者じみた匂いがした怪獣少年だった。

 

 気分が悪い。

 

 気持ちよさという、アカネが何よりも優先するものを邪魔され、彼女の機嫌は急転直下。とはいえ、仮にも自分が作った怪獣で、数少ないストレスを直接ぶつけても壊れないオモチャ。無下に殺すわけにもいかない。

 

 アカネは大きく肩を落とし、怪獣アンチへと尋ねた。

 

「なんのこと?」

 

「決まっているだろう」

 

「だーかーらー、なんのことか分かんないんだけど!」

 

 不機嫌な神様へ、さらに逆鱗に触れる発言をしながらも、アンチは微動だにしなかった。ただ、そうあるのが当然のように、アカネへと赤い瞳をまっすぐに向ける。

 

「俺はいつ、グリッドマンと戦えるんだ!!」

 

 怪獣は切望するように、主の機嫌など構う暇等ないように声を荒げた。アンチにとっての存在理由。戦いと打倒。それしか持たない怪獣なのに、もう、何日もチャンスすら与えられていない。

 

 だからこその嘆願に、返ってきたのは、怪獣にとってあまりにも酷な反応だった。

 

「あ、そんなこと」

 

「……そんな、こと、だと?」

 

 アカネは途端に興味を失ったように、アンチの横をすり抜け、無造作に手にしたバッグを振り回す。それがアンチの頭をしたたかに打ち付けるのも気にしない。

 

 ついさっきは、朝早くからアンチがやってきたので、何を言い出すのかと興味はあった。けれども、二言目に発したのは、いつもと同じ。子供じみた催促なのだから、もう興味はない。

 

 同じセリフは、耳にタコができるほど聞かされている。いい加減、真面目に付き合うのも馬鹿らしかった。

 

 そのまま、いつも通りに学校へ向かおうとする残酷な神様へ、アンチは無謀にも声を投げる。例え、神様に逆らうことになろうとも、アンチ自身のために止めることはできなかった。

 

「俺は、グリッドマンと戦うために生まれた!! 俺にはそれだけが全てで、お前は俺にそれを望んだ!! なら、俺に戦う機会をくれ!!」

 

 子供が泣きじゃくるような、しかし、敵意に塗れた叫び。

 

 それは近所迷惑の前に、神様迷惑。

 

 アカネは踵を返すと、アンチへと大股で近寄り、

 

「ぐっ!?」

 

「うっさい」

 

 アンチの銀髪を掴み上げ、耳元へと口を近づけた。造物主の命令がなくては、戦うこともままならない被造物。怪獣と呼ぶにはあまりに小さい少年は、激痛に耐えながら、主の嘲りを聞く。

 

「偉そうに言うけどさ、グリッドマンと戦えもしなかったのは、アンチでしょ?」

 

「っ……!」

 

 痛みとは違う理由で、アンチが顔を歪ませる。

 

 思い出されるのは、屈辱の記憶だ。ゴングリー改を倒すため、グリッドマンが現れた時のこと。リベンジのチャンスだと勝手に怪獣態へ変身したアンチは、目の前のグリッドマンに相手にすらされなかった。

 

 よりにもよって、彼の望みを阻んだのは、あのニセモノ。

 

「見てて面白かったよ? アンチ、ヒーロー君にころころ転がされて。グリッドマンもどきが強くなってたの意外だったけど、あれくらいなら、ショーみたいで全然許せるよね」

 

 前回とは違う。アンチの攻撃をシグマは凌いだ。取るに足らない、自分との力の差が歴然だった小石が、今度は邪魔者として立ちはだかるまでになった。

 

「違う! 俺の方が奴より強い!!」

 

 アカネが自分をニセモノ以下だと見下している。そう考えて、アンチが叫ぶ。だが、アカネは馬鹿にするように、さらに髪を掴む手に力を込めて、アンチの首を揺らした。

 

「その! 弱い! ヒーロー君に! アンチは良いようにやられたじゃん」

 

 最終的には、グリッドマンの予期せぬトラブルで二対一の形になり、シグマがボロボロにやられている。だが、ゴングリー改が乱入しなければ、シグマの攻撃によってアンチがやられていた可能性だって僅かにあった。

 

 そんなアンチが、果たしてグリッドマンと戦ってもどうなったか。

 

 結果はそうは変わらず、マックスグリッドマンによってゴングリー共々、吹っ飛ばされていたに違いない。アカネから見ても、グリッドマンはズルで、卑怯なチート野郎だから。それぐらいは当然のごとくしてみせるだろう。

 

 散々に振り回して、気晴らしをしたのか、アンチの頭をアカネが離す。アンチは怪獣どころか、近所の小学生のような仕草で地面へとへたり込む。怒りと、恥と、何もかもないまぜとなった顔で、アンチは目を白黒とさせながら。

 

「別に、許可とかなくても、勝手に戦っていいよ? でも、もうアンチには期待しないし、グリッドマンを倒せる怪獣はまたつくるから、その邪魔だけはしないで。

 ……あ! そうだ! いっそのこと、毎回ヒーロー君と怪獣ショーをやったら? けっこー、面白かったから、二人のギャグみたいな戦い♪」

 

 今度こそ、言いたいことだけ言ってすっきりしたアカネが立ち去っていく。アンチは追いかけることもせず、立ち上がることもせず、ただじっと、こぶしを握り締めていた。

 

 脳裏を過る、宿敵の姿。それはいつの間にか、赤い巨人だけではなくなっている。

 

「俺は、グリッドマンと戦うために生まれた……」

 

 青い巨人。光る剣をもって、自分を切り裂き、瓦礫の中へと放り込んだもう一人のグリッドマン。

 

「グリッドマンと戦うためだけに生まれた……」

 

 その姿へと、アンチの憎悪が煮えたぎる。

 

「オマエと戦うためじゃ、ない……!!!」

 

 

 

 ここしばらく、怪獣が現れていない。いや、そんなに頻繁に現れていたら、この街の人口が減りまくって、大変なことになるだろうし、グリッドマンと響の負担が増えてしまうので、出てこないことは良いことだ。

 

 ただ、正直に言えば、不気味さを感じる沈黙であった。正体も知らない敵の黒幕を探るためにも、少しでも情報が欲しいのは俺たちも同じ。それが戦いという形でしか得られないので、歓迎しづらいが、全く材料が与えられないことにもじれったさを感じてしまう。

 

 平穏は好むところだけれど、それが仮初だと分かってしまえば、漫然と過ごすわけにもいかない。

 

 かといって、俺たちに出来ることは、敵に狙われている可能性がある新条さんを見守ったり、自分を鍛えたり、記憶を戻す材料がないかと、内海とウルトラシリーズを漁りまくったりすることだけだった。

 

 相変わらず、記憶は戻ってくれない。

 

『そもそも、取り戻す記憶がなかったり?』 

 

 とは、デリカシーのない内海の妄言であり、さすがにキレて、特訓時の囮にしてやった。しかし、その考えも一理あると思うくらいに、記憶が戻る気配もなかった。

 

(まあ、記憶も戻さないといけないけれど……。先に、どうにかしないとなのは……)

 

 俺たちが敵のターゲットだと想定している新条さんのこと。

 

 彼女が敵の狙いだという根拠はない。けれど、状況証拠は多すぎるくらいだと思う。事件は全て彼女の周りで起こっているし、黒い怪獣は明らかに彼女へと向かっていたのだから。

 

(だけど、宝多さんは新条さんのこと『普通の女子』だって言ってたし。狙われる理由ってのも分からないからな……)

 

 とりあえず、宝多さんには新条さんの傍にいてもらっている。響と内海がいきなり近寄ったら、なみこさんとはっすさんから盛大に揶揄われたとかで。元から友人同士の宝多さんが、そういう意味でも仲間でいてくれたのは助かった。

 

 あとは、俺も。

 

『あ、ヒーロー君だ! また会ったねー』

 

 実は、数回、会うことができている。記憶を探してフラフラとして街を歩いていた時、商店街だったり、学校の近くだったりでばったりと。そのたびに、彼女が上機嫌に声をかけてくれて、そのまま喫茶店で怪獣話をした。

 

 『ダランビアの方がネオより個性ある』とか、『ゼットン二代目のよれよれスーツはあり』とか、それでも、『ウルトラマン倒せずにやられたのは、ゼットンの名折れだ』とか。色気も何もない会話だけれど、彼女の好きなものを知れて、一緒に笑いあえることは、そんな些末事を気にしないほどに楽しかった。

 

 とはいえ、俺に出来ることは少ない。身分も不確かで、学校に行くことはおろか、店長のような親切な人がいないと自分の生活もままならない記憶喪失のまま。なので、

 

「ちょ! このっ! いったあ!?」

 

「……遅い、な」

 

「キャリバーが早いんだよ!!」

 

 俺は、呻きながら、頭を押さえてうずくまっていた。

 

 目の前には、木刀を力なくぶら下げた猫背のキャリバー。ほんと、この外見不審者筆頭は猫背でジト目で、ガリガリなのに、なぜこんなに強いのだろう。異世界人は理不尽しかないのか。

 

 俺は持っていた木刀を遠くへと放り投げられて、強烈な面を喰らったばかりだった。林の中で追い回されるのも慣れたとは言い難いが、なんとか躱すことはできる昨今。しかし、逃げるのではなく、まともに戦う訓練になったら、ぼろぼろにされるのに変わりはなかった。

 

『私とリュウタにとって、あのキックと剣は大きな武器だ。次の戦いまでに練度を上げれば、必ず黒い怪獣へと届くだろう』

 

「シグマの言う通りだけど、さ」

 

 たんこぶできるどころか、割れて血でも出ていないかと思いながら、立ち上がり、木刀を手にする。思うままに動いてくれる足と違って、俺は剣の取り扱いは、ずぶの素人。だからこその、キャリバーによる剣の指南だが、結果は思わしくない。

 

 キャリバーの動きはあまりにトリッキーで、目で追うのも大変。それに、加えて、

 

「腕は、もっと、こう、動かす」

 

「こうって何!? どうしたらその動きするんだ!?」

 

 木刀を縦横無尽に動かしているキャリバーが、疑問の声に首を傾げる。どう見ても関節が外れているような動きで、軌道がラクラクと背後までカバーしている。変態的な動きで、言葉は少なめ。まともな先生役とは思えなかった。

 

 キャリバーはキャリバーなりに教えようとしてくれて、悪い人ではないのだけれど。

 

「……よし、じゃあ、もう一回、手合わせお願いします」

 

「わかった……」

 

「って、だから早い!?」

 

 あぁ、内海達がこの場にいれば、巻き込んでやるのに。一人でこういうことをしてると、気持ちが折れそうになってしまうから、一緒に走り回ってくれる奴がいるのは大きいと最近は思っていた。その内海達も、今日は遠くへ行ってしまっている。

 

 今日はクラスの校外学習とか。

 

 都会から離れて、自然あふれた森の中、川遊びに。ラフティングって何だっけか、と思って調べたら、ゴムボートで行う渓流下りらしい。クラス担任たっての希望とのことだが、随分とマニアックなチョイス。

 

(いいよなー、ジメジメ暑い街中じゃなくて、涼しい川の中で遊べるなんて)

 

 二度三度とキャリバーに木刀でぶっ叩かれている俺と比べると、なんて天国だろう。俺が冷たさを感じるのは、こぶを冷やす氷くらいだ。

 

「ってか、ぶつくさ文句言うなら、付いていけばよかっただろ」

 

「うむ。件の君の想い人も同行しているという。護衛役として行っても構わなかったぞ」

 

「うっ!? それは、そうなんだけど」

 

 木刀による物理でなく、心理的に痛いところを突かれて、気まずく黙る。

 

 いやいや、残ると決めたのは、何かあった時にジャンクを持って、駆け付けるためだ。響とグリッドマンはジャンクがないと変身できないし、出先で怪獣が現れた時、俺一人だと倒せるか不安が残る。シグマになって、ウルトラマンみたいに飛び立ち、ジャンクを持って行けば、この間のように二人で戦えるという算段だ。せっかくだからと、空飛ぶ練習はかなりしているので自信あり。留守番役にはちょうどいいだろう? な?

 

 ただ、なんとでも理由をつければ、こっそりついていくこともできたのも事実。怪獣の活動が小康状態の今は、そこまで気を張る必要もないかもしれなかった。

 

 なので、残ると決めたのはちょっとした私情もある。

 

「……って、ヴィット、なんだよ?」

 

「ん? いや、青春だなーって」

 

「また、それか……」

 

 意外とゴシップネタは好きなんだな、この現代型異世界人。俺はジト目をヴィットへ向ける。マックスたちの言葉に口ごもっていたところへ、さわやかスマイルと意味深な視線を向けてくる。ヴィットはどことなく苦手だ。めったに口を開かない上に、色々と見透かされている気持ちになる。

 

 ただ、今日はいつもと違って黙ることなく、

 

「行けばいいのに。全員、水着だってね」

 

「ちょっ!?」

 

「あー、そういうことか、こいつ」

 

「……純情だな」

 

「純情、か?」

 

「あー!! うっさい!! ちょっと黙って!!!?」

 

 分かんだろ!? 木陰から女子高生の水着見てるやつがいたら、どう見ても不審者だろ!? そりゃ見たいけどさ!! 好きな人の水着だから!! だからって、新条さんに不審者扱いされたら、俺は死ぬしかないぞ!!? 

 

「わかったって。わーかったって。俺らはちゃんとわかってるからな、少年」

 

「言わなくていいから! 察してるなら口閉じてくれよ!!」

 

 さっきの前言撤回。内海がこの場に居なくてよかった。絶対、あいつ爆笑するから。

 

 気を取り直すために、立ち上がり、肩を回す。もう、頭の打撲とかはどうでもよくなった。打たれていない部分が熱くてしょうがない。けれど、周りの連中はからかいたそうにニヤニヤしたり、分かっているぞって頷いているし、そう簡単に切り替えてはくれそうになかった。

 

(でも……)

 

 記憶はないという不安はあっても、こうして馬鹿なことを考えられるようになったのは、良いことなのかもしれない。今は借り物とはいえ、帰る場所があって、働く場所があって、構ってくれる人たちがいる。怪獣と戦う非日常ではあるけれど、それ以外の日常は穏やかで、決して辛くはない。

 

 包帯ぐるぐる巻きで呻いていた出発点と比べれば、なんて恵まれているのだろう。

 

 後は、記憶をちゃんと取り戻して、新条さんとの関係とか怪獣の問題を解決できれば大団円。そのゴールまでは遠い道のりかもしれないが、少しずつできることが増えている中で、遠くない未来だと期待してもいた。

 

 水着も、みんなとの楽しい時間も、それが終わった後なら、いくらでも作れる思い出に違いない。

 

「ほらっ、笑ってないで、次頼むよ」

 

「お! なんかやる気出したぞ純情少年が」

 

「ボラーはほんとうっさい!!」

 

 その時へ向けて早く強くなろうと、木刀を構えた俺の気合を、

 

「ちょっと馬場君? 電話ー!!」 

 

 店長の呑気な声が妨げた。

 

 

 

 内海将は、燃え盛る森を見ながら、友人の到着を待っていた。

 

 走りすぎてガクガクになった足を押さえ、森から立ち上ってくる熱で汗をだらだらと垂らしながら。インドア派の彼からすれば、今日一日で一年分以上の運動量だ。

 

 当初の予定は川遊びにちょっと疲れて、電車で寝て帰るくらいの穏やかな一日で終わる予定だった。女子に少し構われてドキドキしたり、想い人のアカネの水着姿に赤面したりと、それくらいのハプニングな一日だったのに。

 

 最後の最後に怪獣に襲われるなんて、最悪だ。

 

 疲れ果てた内海の視線の向こうで、怪獣が再び動き出す。四つ足歩行の、岩山みたいな怪獣だ。大きさはいつもの怪獣と同じくらい。それでも、いつもとはデザインの方向性が違う。怪獣の親玉のセンスだけは、リュウタと同意見で褒めてもいいと思える。

 

 けれど、その怪獣が、火を噴くなら話は別だ。今も、背中についた、火山みたいな突起から火球が飛び出して、森一面を火の海へ変えていく。まだ距離があり、怪獣の動きは鈍重。だが、火の玉がいつ飛んで来てもおかしくない。

 

 ウルトラシリーズ見ながら毎日妄想してないと、すぐに逃げ出していた。

 

 そんな恐怖心と、好奇心と、興奮が混じった中で生まれたのは呑気な考え。

 

(ここまで怪獣に近づいたの、初めてだな)

 

 いつも、ジャンクのモニター越しに戦いを眺めるだけだった。安全だけれど、その分、臨場感もテレビ番組くらい。命の危険を感じたこともない。画面の奥では友人たちが必死で戦っているのに、自分は視聴者のように応援の声を出すだけ。

 

 変身もできない、戦闘機の操縦とか、防衛隊らしいこともできない。そんな自分を情けなく思っていた。

 

 でも、友人を見捨てるなんて情けない奴にもなりたくない。せめてグリッドマン同盟として、脱落することだけはしたくはない。

 

 内海を動かすのは、そんな子供みたいな意地だった。

 

 その意地に動かされて、もう何分走っただろう。まだまだ合流地点の駅は遠い。

 

「はぁ、はぁ、シグマ、まだかな?」

 

「ひぃ、ひぃ、初代マンの飛行速度がマッハ5だから……。あー、計算できねえけど、数分だろ?」

 

「また、ウルトラマン……」

 

「他に比較材料がねえんだから!」

 

 息が上がるが、終わりももうすぐだという予感もあった。シグマが来たら、自分たちも拾い上げてもらって、後はグリッドマンとシグマでいつも通り、敵を倒すだけ。そして、その予感も正しい。

 

「っと! ……へっ、早いじゃねえか!!」

 

 ちょっと格好をつけて、内海は腕をふる。見据えた先にある駅。そこへ青い光が下りてきた。光が収まると、アグルのように蹲ったシグマが現れる。元気そうだが、少しだけ奇妙な仕草で。

 

「……なんか、馬場君、ふらついてない?」

 

 頭はこっくりこっくりと、うつらうつら。

 

「寝てた、のか? あ、起きた」

 

「シグマも寝るんだ……」

 

 居眠り飛行なんて、あの割と堅物でシリアス担当なリュウタらしくないと思いながら、一行は足を止め、シグマへ向かって手を振る。人間の視界ならば、内海達は米粒くらいにしか見えないだろうが、規格外な巨人の能力ならば、こちらのことも丸わかりのはずだから。

 

「おい! こっちだこっち!!」

 

 そして、内海の大げさなジェスチャーに、シグマが立ち上がり、視線を向けた。あとは、こちらへ飛んできて、駅まで運んでくれれば、問題は解決。シグマは飛び立つようにジャンプして。

 

「はぁー!?」

 

 何かに慌てたように、急に方向を変えて、明後日の方向へと向かってしまった。しかも、燃える森の真上で変身を解いて、おそらく人間の姿に戻っている。

 

 内海からしたら、訳が分からなかった。

 

「おいおいおいおい!? どうしたんだ、リュウタ!?」

 

「……俺たち、どうすれば?」

 

「走って戻るしかないんじゃないの?」

 

 内海の受難はまだまだ続く。

 

 

 

 

「何やってんだよ!?」

 

 炎を目にした瞬間、吐き気がした。頭痛もする。目の前は揺らめいて、おかしくなりそうだった。既視感。あの目覚める前の夢のように、炎に包まれているという事実が、俺を圧迫する。だから、本当なら言いたくもない悪態を吐いてしまった。

 

 燃え盛る炎の中で、俺の腕の中には大切な人がいる。

 

 こんな大災害の中で、正気とは思えない水着にパーカーを羽織って、足は素足のまま。その中で、この綺麗な髪も、絹みたいな肌にも傷一つないのは、どんな奇跡だろう。

 

 変身して強化された視界の中、森の中をさまよう新条さんを見つけてからは、正気じゃいられず、躊躇いもせずに抱きしめてしまった。

 

「ちょっと……。いたいんですけど」

 

「っ! あ、その、ごめん。じゃなくて!!」

 

 腕の中での身じろぎに、意識を戻されて、俺は新条さんを離す。

 

 不思議なことに、こんな非常事態の中で、彼女は平然と振る舞っていた。どこか気まずそうに髪を弄って、白い頬をほんのりと赤く染めて。

 

 デートの最中だったら、甘酸っぱいシチュエーションだとかなんとか言われるかもしれないが、この現状で行う行動じゃないだろう。

 

 だから、多少強引でも、俺は彼女の手をとって、斜面を下りだした。既に、周り全ては煙で包まれている。火の手も遠くはないだろう。今は奇跡的に無傷だけど、一瞬先はどうかも分からない。すぐにでも彼女を連れて、この場を離れるしかなかった。

 

「ねえ! ヒーロー君! 待ってよ!」

 

「周りを見て!? 怪獣がいて、燃えてる!! 急いで避難しないと!!」

 

 けれど、新条さんは一緒に逃げるどころか、何か目的があるとでも言うように、足を踏ん張って避難を拒絶する。

 

 慌てた俺の剣幕にも、驚くように目を開くだけで、焦る様子はなかった。どころか、俺に向けて不思議そうな表情で首を傾げるのだ。

 

「……もしかして、心配してるの? 私のこと?」

 

「当たり前だろ!!」

 

 何を言っているんだ。心配するに決まってるじゃないか。

 

 そりゃ、新条さんからすれば、俺なんて何人もいる友達の一人で、好意も何もかも、俺の勝手な気持ちかもしれない。それでも、大切な人が危険な場所に居て、平静を保ってられるわけがない。

 

 あらん限りの意思を込めて新条さんを見つめると、彼女はバツが悪そうに顔を俯けて、ようやくと引く手に従って歩き出してくれた。

 

 出るとすれば、川が良いだろうか。森の中で火事なんて経験したことがない。それとも、高いところに行けばいいのか? でも、煙は高いところに行くものだし、高いところ云々は遭難した時だった気がする……。

 

 いっそのこと、シグマに……。あれ?

 

「ねえ」

 

 さっき、俺は。

 

 

 

「さっきの変身、なに?」

 

 

 

 熱気に包まれた中、頭に冷水がぶちまけられたようだった。後ろを慌てて振り向くと、新条さんは視線を俺に向けたまま、少しも逸らす気配すらない。

 

 そして、俺は自分が何をしでかしたのかを理解する。

 

 ジャンクを駅に放り出して、そのまま森へと向かって新条さんの真上で変身を解いて、彼女の目の前に降り立った。つまり、

 

(……見られた?)

 

 俺がシグマになって、巨人になって、人間に戻るところを見せてしまった。そんな、怪獣を目撃したばかりの新条さんに、同じくらいに巨大な姿に変身できることを見せてしまった。

 

 気づいたとたんに息が詰まる。

 

 いくら新条さんが怪獣を好きだとしても、ついでにウルトラマンは嫌いそうだとしても、特撮とリアルは違う。あんな、周りを火の海にする怪獣を見たばかりで、今度は同じくらいに周りを壊すことができる、そんな巨人になれる俺を見て、どう思うのか。

 

 恐怖か、嫌悪か、それとも――、

 

 けれど、新条さんはゆっくりと目を細めると、零れるように笑う。怪獣に襲われる、戦場の中なのに、童話か物語の一ページのように。

 

「ヒーロー君って、ほんとにヒーローだったんだね」

 

 そこに怖れは何もなかった。ただ、秘密を見つけてしまった無邪気な子供のように。笑う彼女はとても綺麗で、けれど、この世の物とは思えない。

 

 正体がばれると共に、全てのペースは彼女の手にあった。新条さんは、ゆっくりと手を伸ばして、微かに震える俺の頬に添える。そんな仕草だけで、俺は固まって動けなかった。彼女の宝石みたいな赤い目には、もう、周りの炎なんて映っていない。

 

「きみの瞳、不思議……。金色で、みんなと違う色……。宝石みたいなのは、ウルトラマンだから?」

 

 陶酔したように呟きを零しながら、新条さんは笑顔を消して、顔を近づけてくる。

 

「……ほんと、不思議。私が、こんな気持ちになるのも、キミが普通じゃないから? それとも、関係ないのかな?」

 

 彼女の吐息が首元をくすぐって、冷静さを失わせようとする。

 

「困っちゃうんだけど。ウルトラマンとか、いらないって思ってたのに……」

 

 頭がしびれて、互いの額が、それどころか、全てが触れ合いそうな距離に近づいて――、

 

 

 

「何をしている」

 

 

 

 声。

 

 殺気。

 

 咄嗟に、彼女を庇うように動いた。

 

「っ!」

 

 新条さんの柔らかな熱とは違う。焼けつくような痛みが頬を奔る。かすって、斬られて、血が零れた。一瞬、俺の眼が捉えたのは、銀色にきらめくアイスラッガー、ではなく、光輪のようなノコギリの刃。それは、背後の木へと向かい、貫通しながら二、三本をなぎ倒す。

 

 馬鹿みたいな威力。思い当たるのは、キャリバーの剣捌きだが、彼は決して、俺にこんな殺意は向けなかった。

 

「えっ、なに? なに?」

 

 背中から新条さんの困惑した声が聞こえる。俺の方が彼女よりも頭半分くらいは大きいから、彼女の姿をすっぽりと隠せている。

 

 そして、この攻撃を繰り返してきた相手は――、

 

「……おまえ」

 

 歯をむき、睨みつけた先に、小柄な人影があった。

 

 煙の中、こちらへと凶悪な眼を向けている、マフラーで口元を隠した子供。それは、ガワだけなら、小学生みたいな可愛げがあったかもしれないが、問題は中身だ。

 

 俺には、あの子どもの内側で渦巻く、どす黒い光が見えていた。それは連続的に姿を変え、時にある姿を浮き上がらせる。ウルトラシリーズ恒例の怪獣の影絵みたいに。新世紀中学生は温かな光を放っていたが、それとは真逆だ。

 

 その姿は忘れもしない、あの怪獣のもの。

 

「てめえ、あの、物真似野郎かよ」

 

「そういうおまえは、ニセモノだな」

 

 その言葉と共に、怪獣の小さな手に、新たなノコギリが握られる。

 

 敵意とは別に、胸の中には恐怖が生まれた。円形の電ノコ。さっきみたいに刃を飛ばせるのだろうか。新世紀中学生と同じくらいの実力なら、この姿のままでは戦えない。だが、もう一度変身するにしても、新条さんが近くにいる。怪獣態との闘いになれば、足元で踏みつぶしてしまいかねない。

 

 なら、怪獣を連れて、離れた場所へと飛ぶしか。

 

 駄目だ! このまま、新条さんを置いていくことなんてできない。じゃあ、やっぱり変身をして。

 

 それも難しい。蹲って手に載せようとすれば、その隙に襲われる。忘れんな。敵の狙いは、俺じゃなくて、新条さんだ。やっぱり予想が当たってた。こいつがここに来たからには、ほぼ確実だろう。

 

(どうする、どうする!?)

 

 苛立ち、混乱する俺を見て、しかし、怪獣は何もしてこなかった。ただ不満げに、俺たちを睨みつけるだけ。こちらの出方を伺っているのだろうか。何か行動に移すには、今しかない。

 

 そんな時、微かに袖が引かれた。

 

「……ヒーロー君」

 

 震える声。

 

 ああ、ほんとに俺はこらえ性がない。この子が絡むと、血が上り、馬鹿みたいなことをする。

 

「つかまって!」

 

 選んだのは、離さないことだった。怪獣に背を向けて、彼女を抱きかかえて、逃げ出す。羽のように軽くて、重さは感じない。ならば、と渾身の速度で怪獣から離れるために力を込めて。

 

「え?」

 

 新条さんが呆然と声を零した。

 

 俺も、何が起こったのかすら分からなかった。

 

 だって、俺たちの身体は宙に浮いていたから。巨人の体でもないのに、力強く踏み抜いた脚が、とんでもない力を発揮して、俺を空に駆け上がらせていた。その事実に気付くまで、何秒もかかった。

 

「――っ!?」

 

 何が何だか分からない。

 

 こんなの、あの新世紀中学生みたいだ。これまで、一度もこんな力を出せたことはないのに。

 

 

 

 カチリ

 

 

  

 またあの音。いつもよりもかなり大きい。どこか根本的なところへと何かが嵌めこまれた音。

 

 何もかも分からないけれど、悩んでいる暇はなかった。ゲームみたいな大ジャンプ。それは、空を飛んでいるのとは違うから、重力に従って、身体は降っていく。次第に高度を下げる中、新条さんは怖がるように俺の背に回した腕に、力を込めた。

 

 そんな彼女を傷つけまいと、足元へと近づいた樹の先端へと蹴りを入れる。

 

(蹴り足の方向を調整すれば、もっと!)

 

 真下でなくて、斜め下へと足を伸ばせば、真っ直ぐに横へと移動できるはず。あの怪獣との距離を稼ぐには、そうすべき。思い付き、実行すれば、結果は想像通りに付いてきた。

 

 風を切る感覚と、すれ違っていく景色。それを繰り返して、

 

「っ! はぁ、はぁ……。新条さん、無事!?」

 

「え、あ、うん」

 

 たどり着いたのは、駅の近くの道路。怪獣どころか、煙も炎も追いかけてこない安全圏。そこへと新条さんを下ろし、周囲を確認すると、俺は森へと目を向ける。

 

 黒い光が一つ。

 

 瞬間に現れたのは怪獣になった黒野郎。その横には、四つ足歩行の岩みたいな怪獣もいる。さっきまでは気に留める暇もなかったけれど、なんだ、あの山みたいな背中のこぶ。ひび割れて、何かがはい出てきそうだ。

 

 大きく息を吐く。

 

 いきなり発揮できた大きな力。さっきの新条さんの不思議な雰囲気。分からないことだらけだ。

 

 それでも、彼女が俺をヒーローと呼んで、あの姿を受け入れてくれるなら。せめて、ヒーローらしく彼女を守るのが、今、やるべきこと。

 

 だから、彼女の視線を背に受けながら、俺は右腕を掲げ、叫んだ。

 

「アクセス、フラッシュ!!」

 

 今度こそ、ヒーローになるために。




>NEXT「兆・候」

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