SSSS.GRIDMAN うたかたのそらゆめ【完結】 作:カサノリ
どうか最後までお楽しみください。
「……あのさ」
「……ああ」
「……どうするの?」
「どうするって……」
こそこそと、囁く声が片隅から聞こえてくる。
皿を洗いながら、声のする方向を伺うと、宝多さんと内海が俺を見ているが、視線が合ったとたんに顔が逸らされてしまった。そして残る響、というかグリッドマンは二人の後ろでどうしたらいいかと困惑した様子だった。
あんまりにも露骨すぎて、なにも言えなくなってしまう。
ついでに、こういう状況で首を突っ込んできそうな新世紀中学生は、ジャンクいじりに熱中していて会話に入ってくることはなかった。
複雑というか、奇妙な話なのだが……。今、この街には二人のグリッドマンがいる。響の中とジャンクの中。同じグリッドマンが分裂して存在している。
新世紀中学生も、本来ならグリッドマンの中で力の一部として共存していたそうな。あのグリッドマンの中で愉快な連中がたむろしているのを想像すると、ハイパーエージェントが摩訶不思議生物としか思えないが、異世界人だしそんなこともあるのだろう。
いつぞや会議した通り、アレクシス打倒のためにはグリッドマンの真の力を開放することが必要。分裂している彼等が本当の意味で一心同体になるため、グリッドマン本体の依り代になっているジャンクをパワーアップさせようと、なけなしの身銭をはたいてパーツをかき集めてきたらしい。
そんな訳で、昨日の今日で起きた出来事は彼等からは根掘り葉掘りとは訊かれなかった。内海達がこうも腫物のように扱ってくるところへ、変人たちまで加わられては敵わないので、俺にとっては大助かりでもある。
(けど……)
今のうちにと、俺は皿を置いて内海へと手招きをする。こんな雰囲気でこれからも過ごすのはまっぴらごめんだった。
「内海」
「……おう」
「言いたいことあるなら、さっさと言え」
そう伝えると、内海は嫌な役割になってしまったとばかりにゆっくり近づいてきて、ぼそぼそと言う。
「いや、さすがに気にしてると思ってよ……」
「何を?」
「そりゃ、新条のことだよ。……新条、お前のことを思い出したのにひでえこと言ってきたんだろ?」
昨日のことを考える。昨日っていう割には、夢の世界で半年以上も記憶上映会をしていたから、時間間隔は狂っているのだが。
結論を言えば、内海の言う通りだ。
アカネさんは俺との記憶を取り戻した。それで……結構キツイことを言われた。
一日も早くアカネさんの記憶が戻ることを心待ちにしていた俺を、内海達は近くで見ていたし、その結果がアレなら、さぞかし落ち込んでいるだろうと思っている。
ただ、当の俺はと言えばそこまで深刻に悩んでいるわけではなかった。それよりも、
「俺のことよりも、さ。アカネさん、学校休んだんだろ? 何か聞いてるか? 風邪とか。なんにも理由なくて、行方不明とかなら心配なんだけど」
「……知らねえ。俺だって、流石にあいつが来たら一言でも、二言でも、言ってやろうと思ってたんだぞ? それなのに、サボるわ、連絡も付かないわ。……っていうか、なんでお前は新条のこと心配してんだよ」
内海は少し剣呑な様子で声を低くする。それが何だかおかしくて吹き出してしまった。その後もこらえきれずに肩を震わせると、内海は呆れたように息を吐き、宝多さんと顔を見合わせた。
「やっべえよ、六花。とうとうリュウタのやつ、おかしくなっちまった」
「私に言われても病院くらいしか紹介できないんだけど……」
「裕太を連れてったとこだろ? あんまり信用できないけど、そこしかねえか」
「いやいや、二人とも。俺はおかしくなってねえし、普通だし」
そう伝えても、内海は疑わし気な様子で言うのだ。
「じゃあ、なんでそんな平気な顔してんだよ? 新条、お前のこと思い出したってのに、完全に敵になっちまったじゃねえか」
俺との思い出も関係ないと告げて、笑って、去ってしまったアカネさん。言葉を捉えたら、フラれた、あるいは嫌われたと思うべきだけど。
「アカネさんは、あんなこと言ってたけどさ……」
「ん?」
俺は言葉を置いて考える。
アカネさんとの思い出を振り返るたびに、あの言葉が、言葉通りの意味だとは思えなかった。きっとそれは、
「大丈夫だよ。……アカネさんが笑う時って」
そう言って、呑気な希望を口にしようとした時。
『――――』
耳をくすぐったのは、かすかな歌声だった。
「……?」
動こうとしていた口が止まる。同時に、閉めたはずのドアを通り越してゆっくりと風が流れてきて、俺達の髪を揺らしていく。
そして、
「っ」
不思議な圧力が一瞬で通り抜けた。
それを感じたのは、俺だけじゃない。目の前に座った内海も、ジャンクを見つめていた響も、そして、宝多さんでさえも顔を強張らせて、ゆっくりと外へ視線を動かしていく。
何より、強く反応したのは異世界人たち。
「おい……」
ボラーが手に持っていた部品を置いて、低く唸る。同じように、新世紀中学生は全員、警戒感を露わにして扉の向こう側を凝視していた。俺の内側にいるシグマからも、息を呑んだ様子が感じられる。
だが、不思議なことに、轟きも、破壊の音も、振動もない。平穏無事な、毎日と変わらない。怪獣が現れた時のような物騒な様子は、微塵も存在しない。
(けど、なにか……)
扉の向こうに、なにかが存在している。
「……ちょっと待て」
ひりつく空気を感じながら、俺はエプロンを置くと、内海の横を通り抜けて扉へと手をかけた。何でもない、扉を開く動作が、ひどく恐ろしかった。汗が零れて、けれど、気持ちとは裏腹に簡単に扉は開いてしまう。
その開けた外の景色には、
「……え?」
口から呆けた声が漏れた。
見える景色は、普段とさほど違いはない。いつもと同じ、霧に包まれた街。
けれど、ただ一つ。ただ、一つだけ。
違和感がそこにあった。
街の上空に浮かぶ、それは。
「ビー、だま?」
漏れるのはばかみたいな感想。だけれど、そうとしか言い表せない。
それは破壊と混乱で、平穏を塗りつぶすような怪獣じゃなかった。
丸く、透明で。光を浴びているためか、不思議な彩を閉じ込めた球体が街の空へと浮かんでいた。奇妙だとまでは断言できるが、子どもが部屋に仕掛けた、ちょっとした悪戯のような存在。
俺に続いて店から出てきた内海達も、首を傾げながら口々に感想を言い出す。
「あれって」
「怪獣、なの?」
「円盤生物か……?」
「それは言うなよ……」
最後の内海の発言通りなら全滅フラグだろ。俺が視線で非難すると、内海も『しまった』とばかりに口を手で覆った。
アカネさんなら円盤生物型の怪獣を作り出してもおかしくはない。そこはあり得る選択肢。けれど円盤生物のようなグロテスクで奇怪なフォルムには感じない。むしろ空想特撮に出すとしては、あまりにも普通に綺麗であっさりしたデザインだ。
一方、あれほどに巨大なビー玉が自然発生するなんてこともあり得ない。この世界の成り立ちはともあれ、アレクシスが怪獣を実体化させない限り、非日常は存在しなかったのだから。
俺たちが頭の中でああでもない、こうでもないと考え続ける中、ビー玉が回り始める。
ゆっくりと、くるくるくるくる。
「何するつもりだよ……?」
それは何かを探すように。
透明な糸で宙に釣られたように、一か所へと留まったまま、回転だけをしばらく続ける。
そして、不意にそれが止まり。
『見つけた』
声が、聞こえた気がした。
「……っ!?」
背筋が、身体が、芯から痺れる。
さっきまでの呑気な気持ちは消え去り、最大の警戒感が全身を駆け巡る。まずい、と。あれをそのままにしてはいけないと。
「シグマ……! っ!?」
慌てて変身を試みたが、もう手遅れだった。
ビー玉を中心として、金色の光が広がり、目もくらむような光の帯が俺たちの真上を通り過ぎる。コピー機が書類を読み込む時のように、街全体を一瞬で金色の帯が通り過ぎて――。
「あ、れ」
俺は自分の体を見た。
異変はなかった。
大仰に光を発したにもかかわらず、俺たちの身に起きたことは目がくらんだくらい。体が消滅したり、怪我をした様子もない。街も壊れた様子は何一つない。
隣に立つ内海も同じ。俺たちは互いの体を見合い、目を白黒させながら無事を確認しあう。そのまた隣の宝多さんも同じく、無事。
だが、
「おい、こりゃ、なんだ……?」
困惑の声は後ろから聞こえた。
振り向くと、そこにはいつもの四人組が立っている。愉快で頼もしい、新世紀中学生。
けれど、
「ボラー……?」
漏れた声は平坦。俺には自分の見ているものが信じられなかった。
ボラーの少女のような小さい姿はそのままに。足先から、手先から、身体が鈍い光沢を纏っていく。石よりも固そうに、金属より鈍い色で。そうだ。あれは、ああいう姿を俺たちはトラウマとして知っていた。
頭が痺れる。
「マックスさん!? ……っ、おい、リュウタ! これって!?」
「ヴィットさんも、キャリバーさんも! なに!? いったい、どうしたの!?」
内海がたまらず悲鳴じみた声を上げる。宝多さんが手で口を抑えて、恐怖を飲み込む。この中では俺と内海だけが知っている恐怖を、宝多さんも今、刻み込まれていく。
恐怖の正体は幼いころの記憶だ。
ウルトラマンは正義の巨人。悪と怪獣を打ち砕くヒーロー。
だが、そんなヒーローでも敗れることが幾度もあった。光を奪われて、石へと変化したり。変身能力を失ったり。氷漬けにされたり、酷い時にはバラバラにされたり。
子ども心に残されるトラウマ。
その一つが、
「ブロンズ……!?」
かつてウルトラマンが、セブンが、ジャックが、ゾフィーが、ヒッポリト星人によってタールを浴びせられ、不気味なオブジェへ変えられたようにボラーたちの体が物言わぬブロンズ像へと変わっていく。
そして、新世紀中学生だけじゃない。
ようやく事態を飲み込んだ俺は、内海の隣にいるヒーローへと声を張り上げる。
「響!! あれを止めないと――」
けれど、返事は、なかった。
「……響?」
斜め後ろにいた響裕太は物言わず。その左手、グリッドマンのアクセプターは中央の宝石が点滅し――。
光を消した。
「……すまない」
最後に残したのはグリッドマンとしての言葉だったのだろうか。アクセプターが新世紀中学生と同様にブロンズ化し、途端に響の体も力を失ったように前のめりに倒れ込む。
「裕太!?」
「響君!?」
慌てて止めようとするも、間に合わない。響の身体はアスファルトへと向かい、ぶつかり、鈍く跳ねた。頭からジワリと赤い液体が焼けた地面に広がっていく。
そして、アクセプターはひび割れ、砕けた。
カシャン
なんて、氷細工が割れたような、あっさりとした音で。
「ひび、き……。っ、グリッドマン!? ……じゃあ、ジャンクは!?」
店内へと駆けこむも、
「……ぁ」
俺は入り口で足を止めてしまう。
既にジャンクも、ブロンズの銅像へと変わってしまっていた。俺たちを見守ってくれていたグリッドマンは、その姿を映すディスプレイすら失ってしまった。
「そん、な」
訳が分からない。
これは夢だと、現実逃避することもできない。外に戻っても、ビー玉は変わらず空に浮かび、ボラー達のブロンズ化も頭だけを残して全身に広がってしまっている。俺はなにもできずに呆然とするだけだ。
「うそだろ……」
どんな急展開だと、頭が混乱する。
脚本がやけくそになって書きなぐったみたいな、オイルショックも何も起こってないのに、味方が全滅って、雑な展開すぎるだろ。それにも増して、困惑させられるのは、
『リュウタ、私たちは大丈夫だ! すぐにあの怪獣を止めなければ!!』
なぜか俺たちだけは無事なこと。ブロンズに侵されることもなく、シグマの声も健在。すぐにでも戦うことはできる。
でも、
「でも、みんなを……!!」
今、目の前でグリッドマン達がやられようとしている。
俺が知っているブロンズ化は、仮死状態のようなものだが、この現象が同じとも限らない。もしかしたら、このままみんなの命が失われるかもしれない。何かの方法でグリッドマン達を助けることはできないかと、思考がぐるぐると駆け巡って。
「ばかやろうっ!! さっさと怪獣を止めてこい!!」
ボラーの檄が、俺の顔を上げさせた。
マックス達も同じだった。全身が金属に変わろうとしている異常の中、顔を青ざめさせた俺達を前にしながら、彼等は焦っていない。
マックスが諭すように言う。
「リュウタ。おそらく、あの怪獣を倒さない限り、この現象は止まらない。これだけ強力な力だ。私たちを治すために力を使っては、倒せるものも倒せない」
「力は使い時が大事ってこと。ま、俺たちは、一時退場ってところだね」
「まか、せた、ぞ」
キャリバーまで、そんな、笑いながら言うことじゃないだろ。
「ちょっと待ってくださいよ!?」
「そんな軽い……」
内海と宝多さんも言い募る。
二人と同じだ。言われたことが正しくても、このまま見捨てるなんて嫌だった。
口ではなんだかんだ言ってきた。不審者やら、売れないバンドやら、理不尽鬼コーチとか。それでも、ずっと四人は俺たちを見守って、助言をくれた。グリッドマンの代わりに、励まして、寄り添って、先生のように守ってくれた。
それを、こんな理不尽で奪われたくはない。
けれど、ボラーは平気な顔で満面の笑顔さえ浮かべるのだ。
「おいおい、得意のウルトラ理論はどうしたんだよ? こういうヒーローのピンチのお約束は逆転大勝利だろ? 心配するくらいなら、さっさと怪獣倒して、俺たち助けて、それで堂々と自慢しやがれ」
「……っ」
「行って来い、グリッドマンシグマ」
ああ、ほんとっ……!!
ここまで言われたら、行くしかない。
「……絶対に、助けるから」
俺にできること。俺にしかできないこと。
それは怪獣と戦って、みんなを助けること。
俺はボラー達に背を向けて、あのビー玉へと叫ぶ。
「アクセス、フラッシュ!!」
そうして、光の巨人になった俺はビー玉のような怪獣の前へと降り立つ。
だが、当のビー玉からリアクションはなかった。光線を放ってくることもなく、俺がいることにも気づいていないような、そんな様子。
奇妙だという感覚が積み重なっていく。だって、グリッドマンをああして封じられるなら、俺達だって同じことのはず。
なのに、何もしないまま、こいつはぐるぐると回るだけ。
『リュウタ』
「っ!! 何もしないなら、こっちから!!」
意を決して駆け出し、拳を振りかぶる。
今までとあまりに毛色が違うが、怪獣の製作者はアカネさんだろう。そして、ウルトラマンの敗北パターンをビー玉怪獣が踏襲しているのなら。
頭の中で思い浮かぶトラウマラッシュ。ゼットンに、ガタノゾーアに、エンペラ星人に、グリーザに。そんな連中へと初手から必殺技を撃とうものなら、まごうことなき敗北フラグ。
だからこその肉弾戦という選択は……通用しなかった。
「っ!? 当たらない!?」
視覚からは実体として球体が捉えられているのに、俺の体と拳はビー玉をすり抜け、勢いを殺しきれずにつんのめって、ビルを壊してしまう。
「っ、なら!!」
ボールみたいな体してるなら、と。
今度は足に電光を纏って、蹴り上げるが、それにも感触は返ってこない。
それからは万事がその調子。
シグマスラッシュで斬ろうとしても、掴みかかっても、無駄。それではこれが本体じゃないのかと、上空や大地を探るも何もない。
ビー玉はその間、俺の存在すら無視するように、ただ佇んでいる。
『この怪獣に、物理攻撃は効かないぞ!』
「……ほんとに、やりたくないんだけどなぁ!!!」
けれど、他に手はない。
ジャンプし距離をとると、腹を決めて腕に力を集める。
本当にやりたくはなかった。けれど、撃たざるをえないというのならやるしかない。
「グリッドォ、ビーム!!」
撃てるようになった、必殺光線。
それは周囲を青く光らせながらビー玉へと殺到する。渾身の、これで決めると決めた必殺光線はビー玉をすり抜けなかった。
だが、
『グリッドビームをはじいている、だと……!?』
シグマが驚愕する。球体に当たった瞬間にグリッドビームがはじけていた。
すり抜けなかっただけ、マシな反応なのか。岩に叩きつけられる水のように、ビー玉の後方へと光線は放射状に散らばり、建造物や地面を焦がしていく。
「オオオオオオッ!!」
それでも、攻撃を止めるわけにはいかない。
皆が俺に託して送り出してくれたのに、何もできないまま負けるなんて、認められない。一秒、十秒、一分。全身の感覚が無くなるまで、力を尽くした必殺技は、
「……なんで」
何のダメージを与えることもできなかった。
ビー玉は何もなかったみたいに、光って回っている。
『いったいなんなんだ、この怪獣は?』
困惑の声は同じだ。俺だってわけがわからない。
この間の夢を見せた怪獣は絡め手を使いつつも、本体はあくまで怪獣として対処できた。けれど、このビー玉は違う。チートにもほどがある。
今までアカネさんは怪獣という存在へと、あれほどこだわっていたのに。
記憶を取り戻したことが、この変心と関わっているのだろうか。俺の楽観が勘違いで、俺達を本気で排除しようと決めたのだろうか。
(だったら、なんで俺とシグマだけブロンズ化しない!?)
「……もう、一度!!」
『今は無理だ!!』
「それでも!!」
怪獣を放置して、仲間の危機を見捨てて撤退できるわけがない。
無理に立ち上がり、手を構えた時だった。
ビー玉がゆったりと、回転を止めた。
「今度は何を……!?」
目の前でビー玉の周りへと光が集まりだす。球体を中心に、光は徐々に強くなり、次第に明確な輪郭を帯び、実態すら伴ったヒトガタへと。
「――っ」
完成した姿は、怪獣とも違っていた。巨人とも違っていた。
女性的な、穏やかな曲線。背中から延びる翼。顔は静かに眠るように。そんな分かりやすい救世主がビー玉を静かに抱き、目の前に降臨する。
その名前を、俺は自然と口にする。
「……神様?」
あの破滅天使と同じような。けれど、ゾグよりも人間的な、穏やかで全能感のある女神。あまりの美しさに言葉も出ない。これが怪獣だとも思えない。
でも、戦わないわけにはいかない。
『リュウタ! 呑まれるな!!』
「っ! ああ! もしかしたら、今なら……!!」
シグマに叱咤され、我を取り戻す。
そうだ。この変化がどういうつもりか分からないが、こいつに実態が生まれた。状況が変わればグリーザのように攻撃が通用する可能性はある。
残された時間も絞り出せる力も限られているが、俺はもう一度、敵へと向かおうとした。
狙いは至近距離でのグリッドビーム。あの攻撃だけは、なぜか透過せずに弾いている。効果があるのなら、今度は至近距離からぶつけてやる、と。
しかし、そんな俺の思惑は、叶わなかった。
大股であと十歩。そんな眼前に迫った時に、女神の口が、開かれる。
『Aa――――♪』
女神が歌い、俺は空を吹っ飛んでいた。
思えば、怪獣と戦って以来、吹っ飛ばされてばかりだ。サッカーなんてやっているから、転び方とか、いざという時に逆らわないで怪我をしないような癖があるのかもしれない。
けれど、今日ほど、自分がどこにいるのかすら分からなくなったことも無かった。
女神が何をしたかと言えば歌っただけ。衝撃波やビームを撃たれたわけでもないのに、俺は気が付くと遠く遠くへと飛ばされ、訳が分からないまま青空を見上げている。
気が付き、瓦礫の山から頭を起こした時、女神と俺との間には崩れたビルが並んでいた。痛いとも、怖いとも思えない。そんな感傷を抱くのも烏滸がましいほどに、彼我の力の差は明らかだった。
「こ、の……」
それでも、止まるなんて許されない。
もう、力は残っていない。立ち上がるのも、のろのろと両腕を地面に押し付けないといけないほど。けれど、みんなのために倒れるわけにはいかない。
ヒーローになると決めたのだから、アカネさんを助けると決めたのだから。
そんな俺の頭上に、一つの光が生まれる。
優しい光は、泣く子をあやすように輪を描き、
「っ!?」
まばゆい光が降り注がれたことだけを見て、俺は意識を失った。
「すごいじゃないか! 今度の怪獣は!! シグマも一蹴してしまうなんて! やはり、君は天才だ!! 素晴らしい才能だよ、アカネ君!!」
青空の元で、悪魔が褒めそやす声が響く。
街を見渡せるビルの屋上で、怪獣の活躍を目撃したアレクシスは、声だけに興奮の色を付けてアカネへと話しかけていた。
心のうちの半分は、アカネを上機嫌にして情動を呼び起こすために。もう半分は本心で。
悪魔の内心を正直に明かせば、この数日、彼はアカネに対して少しの失望を抱いていた。
合体怪獣が倒され、次に作り出したのは相手に夢を見せるなんて弱気な怪獣。このままではアカネはグリッドマンと戦うことすら諦めて、心を動かさなくなるかもしれない。
(その時は出枯らしの情動を分けてもらう予定だったが……)
今はもう、そんな心配をする必要もない。
悪魔は女神を見ながら呟く。
「フフフフ♪
『中の人』もいないのにねえ。いや、中の人がいないから無茶苦茶ができるのかな?」
アカネが作り上げた怪獣。
『カミサマ』と名付けられた球体。
何の工夫も凝らされていない、人型でもない、恐竜型でもない、ただの粘土の球。見せられた時には手抜きとしか思えなかった。
それがこれほどに強力な怪獣となるとは。これまでに苦労していたグリッドマンを戦う前から完封し、青い巨人にも手出しを許さない。
完全勝利。
これでアカネが派手に喜びはしゃげば、悪魔にとっても極上のディナーとなるのに。
「しかし……。こんな怪獣を造ったのに、アカネ君は喜ばないのかい?」
アレクシスが首を傾げる。
アカネは屋上の手すりに身を預け、カミサマを眺めたまま、ぼんやりとした表情を崩さなかった。
怨敵のグリッドマンを倒したのに、感情を震わせるシグマと少年を倒したのに、喜ぶこともなく、笑いもしない。そよそよと前髪が揺れる隙間から赤い眼は街を眺めるだけだった。
何より、あのカミサマ。
シグマへ止めを刺して、撤退させてから十分も経つ。なのに、街を壊そうともしていない。ただ女神の姿を保ったまま、街の中心に立つだけだ。
アレクシスには、それが不気味に感じ始めた。
そっと、アカネの機嫌を伺うように、怪人は近づいて話しかける。
「ねえ、アカネ君。せっかくの怪獣なのに、なにも壊さないのかい?」
「壊さないよ」
「誰も殺さないのかい?」
「殺さないよ」
「それじゃあ、暴れさせたりは?」
「しない」
「……フム?」
おかしな話だ。
グリッドマン達を倒す。それだけが目的というのだろうか。だが、これまでに観てきたアカネは、次々に自分の気に食わない物を破壊してきた。そうなるようにアレクシスも誘導してきた。
だったら、邪魔者がいない今、これまでに積もりに積もった鬱憤を晴らしてもいい。
いや、あれほど圧倒的な怪獣を出せるのなら、グリッドマンとシグマを正面から相手取って、完膚なきまでに叩きのめしても良かったのだ。
何より不思議なのは、こんな結果を得てもアカネの心が凪いでいること。
「ねえ、アレクシス」
アカネがくるりとアレクシスへと向き直る。仮面の奥で、怪人が困惑しているのが分かったのだろう。ようやく、アカネは表情をわずかに崩して、くすりと笑った。
「言ったでしょ? あれは神様だって。怪獣だけど、神様」
なんでもできて、世界を玩具にする神様。
言い切った瞬間、彼方の女神が動いた。
懐に抱えた球体から生じた光は、千切れ、帯となって四方へと伸びていく。街を取り囲む霧を突き抜けて、霧の発生源である怪獣たちへと突き刺さった。
物言わぬ毒煙怪獣は、最期まで舞台装置であり続け、
「だから」
分解されていく。
足元から徐々に塵と化し、霧すらも光の帯を通り、街の中央で待つカミサマへと吸い寄せられていく。
「神様は何でもできなきゃいけないよね」
「ほう……、ベノラ達はもういらないのかい?」
「あとは全部、カミサマがやってくれるよ」
管理怪獣がいなくなった街。
虚飾の剥がれた箱庭。
その外には無機質の世界が広がっているだけ。
だが、神様であるならば天地を作り出して当然。
三度、女神は光を放つ。今度はゆっくりと世界を優しく撫でるように。すると、街の外に『続き』が生まれていく。
どこかの世界を写し取ったように、ビルや家、車に学校、そして何も知らない『人』も。
女神はその名の通り、この世界を広げ、作り変えようとしている。
それを見届けると、アカネは不意に満面の笑顔を浮かべて、アレクシスへと踊るように、一歩、足を進めた。
「アレクシス言ってたでしょ? 私は天才で、この世界の神様だって」
けど、それは半分だけ真実。
「でも、不便な神様だったよねー。なにをするにもアレクシスにやってもらわなきゃだし。怪獣を暴れさせるのも、世界を造るのも、アレクシスがいなきゃでしょ?
……神様って、意外と自由じゃないんだって。ずっと思ってた」
「……フム」
アレクシスは笑顔のアカネを凝視する。
感情を探ろうとしたが、そこに喜びの感情は見当たらない。いや、あの怪獣を具現化してから、アカネの感情を知ることが難しくなっていた。
アカネの考えが、読み取れない。
(ああ、そういうことか)
さらに一歩、近づいたアカネを見て、ふとアレクシスは納得する。
「なるほど! つまり、アカネ君は私も……」
「うん。もう、いらない♪」
気が付いた時には、アレクシスの体は動かなくなっていた。
もう顔を上げられない悪魔には知る由もなかったが、アレクシスの頭上には、光の輪が浮かんでいて、そこから薄い光が注いでいる。アレクシスも何かしらの抵抗を試みたかもしれないが、微塵も体の自由が利かず、表情もないのだから、アカネにも伝わることがない。
アカネの意思は明白だった。
死刑を告げる死神のように、アカネは爽やかな表情で、アレクシスへと囁く。
「アレクシスさー、けっこう勝手な事してたよね? 私の記憶奪ったり、アンチの怪獣を暴れさせたり、勝手にリュウタ君と会ったり。
アレクシスには感謝してるけど、そういうことやられると、むかつくの」
アカネは言う。
「だから、力だけ貰っちゃおって」
「なるほどねえ」
アレクシスは感心したように唸った。
内心は分からずも、アレクシスの声は穏やかだ。そんなアレクシスの仮面を、アカネは楽しそうに撫で上げる。
「安心して? アレクシスは殺さないよ。カミサマの中に住んでもらうだけ。
ちゃんと私の感情は分けてあげるし、不死身のアレクシスにとっては、私が生きる時間なんて、暇つぶしでしょ? のんびり、メトロン星人みたいにお茶でも飲んでていいよ」
どうせ長くても数十年。
悠久の旅人にとっては、瞬きするほどの時間だろう。
アカネが手を離すとアレクシスの身体が宙へと浮く。そのまま、強まっていく光の向こうへと。最後はただ不気味に笑いながら。
『フフフフ、まったく、君って子は……』
アレクシスは言い切らず、光の帯へと姿を消した。
あとには、アカネがただ一人残る。
眺める空は快晴、この日は夏色。穏やかな風は、気持ちいいくらいに。
アカネはビルの縁に立つと、新しい『世界』を呆然と眺めながら、唇を小さく動かした。
「――」
細い声を聞く者は、誰もいなかった。
その日を境に新条アカネは街から姿を消し――、
そして半月が過ぎた。
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