【1】
襲い来るゴブリンの群れをどうにか退けたゴブリンスレイヤーの一行の消耗は著しかった。日に二回しか放てない魔術を使い切った女魔術師と、ゴブリンへのトラウマに因り疲弊した女武闘家は、奮闘の末に一部のゴブリン撃破に貢献するも、やがて撤退することとなった。それに当たって、戦いを継続が出来ない二人の護衛として羽帽子も一時離脱。残るはゴブリンスレイヤー、獣の狩人、それと女神官の三人。日に三度だけ地母神の奇跡を行使出来る女神官が行使出来る奇跡は、あと一度のみである。
彼らは円形の空間に辿り着いた。ひどく寂れた場所だ。地面に敷き詰められている石畳の隙間からは何かの植物が伸びていて、また至る所の石レンガや石畳は砕けたり剥げたりして、土が露出している。そこら中に人骨や、錆びた武器が散らばっており、ここで激しい戦闘があったのも想像に難くない。
辿り着いた彼らに、眩い流星のような光弾の雨が差し向けられた。しかし、それらは先陣を切っていた獣の狩人が持つ『湖の盾』により防がれた。
「ふむ……、流石にもう『彼方への呼びかけ』も『エーブリエタースの先触れ』も通じないか……、その盾があるのなら尚更ね……」
まあいい、と悪夢の主は結んだ。それから両手を左右に広げて、
「おめでとう――と言うべきなのかな。何はともあれ、ここのゴブリンはもう狩り尽くされたよ、私が保証する。勿論、逃げたのは居ない、何故なら僕が逃がしていないからね。元々ここのカムフラージュのために住まわせておいたんだけど、むやみに数を増やしてくれたお陰で思ったより早くここが見つかってしまったし、始末に困っていたんだ、感謝するよ」
と語った。
「まあ、でも、見つかったからと言っても悪いことばかりじゃあない、何故ならまたこうして君と巡り合えたのだからね。私も、そして君も、目指す所は同じ……、なればこうして道が交わるのも運命……。けれど、けれどね、高尚な存在へと昇華されるのはいずれか一人のみ。他方は、もう片方を上位者へと押し上げる、案内人に過ぎないのさ……」
斯様に悪夢の主は、囁くように訥々と紡いだ。これを境に、両者の間には幾許かの沈黙が流れ、その後おもむろに狩人が、
「この野生の地から抜け出したいなら、おまえは別の道を旅する必要がある。なぜなら、おまえがどんなに叫んだとて、この獣は他の者が自分の道を通るのを決して許しはない、それどころか、散々邪魔だてした挙句、最後は殺してしまうからだ」
と、まるで詩でも朗読する口吻で淀みなく語り出した。
「……何だいそれは」
「生まれつき、かくも邪悪で、罪深い性のため、飽くなきその貪欲が満たされることは決してない。食べた後の方が、食べる前よりも腹が減るという奴だ」
ダンテ『神曲』地獄篇 第一歌より。
悪夢の主は笑った。それまでのような、命運の尽きた道化師みたいな高笑いとはまた違う笑いだった。起き抜けの人間が、重要な報せを受けた時の笑いと似ていた。
ヤーナムの医療教会にてメンシス学派の代表として上位の探求に腐心していた悪夢の主は、当然狩人の言っていたことが『神曲』の一節であることは知らない。が、趣は違えど同じく神が関わっているからか、或いは、同じ場所を目指す者同士で通じ合ったからなのか、そこはかとなく悪夢の主は理解したようでもある。
「……おもしろい。そこまで言うのなら、是非見せてもらおうではないか……、君の道というものを」
そう言って、パチリと指を鳴らした。その直後、彼のそばの宙から黒い煙が噴き出し、その中から巨人が現れた。常人の三倍はあろうか。全身の肌が緑に変色し、泥のようにふやけ、あちこちがくしゃくしゃにたるんでいて、所々に縫合で繋ぎ合わされた跡や、皮が破けた箇所が散見された。両手は手の代わりに巨大な鎌が取り付けられている。その歪で醜い姿は、獣の狩人の元居た世界で在った『フランケンシュタイン』という小説に登場する、フランケンシュタイン博士が死体を繋ぎ合わせて作り上げた怪物もかくやというものであった。
「では、健闘を祈るとしよう……」
と残して悪夢の主は背を向け、
「ああ、そうだ、君の使っていた『獣の咆哮』と『小さなトニトルス』だけどね、見事な使いぶりだったよ……。獣、更に言うなら黒獣を研究していた我々にとっては過程の一つに過ぎなかったけれど、あそこまで有効に使ってもらえたのはかなり嬉しい。メンシス学派、並びにアーチボルドは君に感謝の意を示すことだろう……」
振り返ってこのように言うと、今度こそ狩人たちの前から姿を消した。
「逃げられたか……、まあいい、いつか必ずとっちめてやる。今は目の前のこいつに専念しよう」
狩人は一人で納得し、気を切り替えると、持っていた武器、それと懐から取り出したキラキラと輝く青白い紙ヤスリをゴブリンスレイヤーに差し出し、
「これを使え」
ゴブリンスレイヤーは狩人の言う通りにこれらを受け取った。
武器のほうはともかく、紙ヤスリのほうは何なのか。さしものゴブリンスレイヤーも迷ったのか、狩人を見やった。手放した武器の代わりに、狩人はもう一つの武器を取り出していた。
それは
狩人はトニトルスの頭を自身のコートに強く擦り付けた。すると、薄く纏う程度だったその雷光は、より一層強い雷光がバチバチと立った。
これにピンと来たゴブリンスレイヤーは、狩人の動作に倣うように、自分が受け取った武器に例の紙ヤスリを擦り付けると、その武器の刃には同じような雷光が走り出す。彼はこれを見て合点が行ったように、少しの間武器を眺めたのち、構えて、
「奴を部屋の隅まで追い詰めたら、
彼は、後方に控えていた女神官に向かって、意図を告げずにそう指示を出した。
「えっ、……あ、はい!」
一瞬困惑するも、彼の唐突さにはいい加減慣れてきた彼女は、すぐさま了解の返事をして聖壁の詠唱の準備に入る。
「いと慈悲深き地母神よ、か弱き我らを、どうか大地の御力でお守りください……」
奇跡行使のための地母神への礼賛の口上を唱え、後は任意のタイミングで発動するだけとなって、彼女は狩人とゴブリンスレイヤーの行動を見据えていく。万が一にも敵が彼女の方へ向かった折には、避けるために動けば詠唱はキャンセルされる、いや、そもそも彼女の身体能力で避けられるかも分からない。
だから彼女は、彼ら二人の立ち回りを信じるしかない。
二人は左右から死体の巨人へ接近する。巨人はそれに対し、身体を回転させて両手の鎌を振るった。これに対し二人は、狩人は飛んで回避し、ゴブリンスレイヤーは手前で踏みとどまってやり過ごす。大振りな攻撃により、巨人には隙が出来て、これを逃さず二人は巨人の脚にそれぞれ一太刀と一打浴びせた。
巨人の脚は細く、腐敗が進んでいるぶん強度が弱い上、手に付けられた武器が重荷となっている。故に上半身に比べて下半身が貧弱過ぎる……。流石に一、二撃では倒れないが、深く効いているのが分かる。加えて、二人の武器に付加された雷光が、死体の巨人を稼働させている微弱な電気信号を阻害し、動きを鈍らせるのだ。
言うに及ばず死体の巨人には合理的な知能は無い。すぐ目の前に、戦闘能力が見込めない女神官が居るのにも拘わらず、自らに甚大なダメージを与えて背後に回った二人に目を向けている。
巨人は、部屋の入口正面にある、先ヘ進む道へ繋がるアーチに固まる二人へ向かって突っ込んでいく。両手を広げ、二人を挟みこもうとするように鎌を振った。これを二人は、巨人に突貫するように回避し、再びすれ違う。
その瞬間。
「
女神官が高らかに叫び、二人を振り返った死体の巨人の目と鼻の先に神々しい光の壁が出現した。それもあろうことか、アーチの中にその巨体を突っ込ませた状態でである。
当然巨人は、鎌を振るどころか、動かすことすら出来ない。完全に拘束されている状態だ。
すかさず獣の狩人とゴブリンスレイヤーは、女神官が発動させた聖壁越しに、巨人の脚に向かって同時に、お互いの武器が引っ掛からないように攻撃を与えた。その二つの攻撃はいずれも巨人の膝へ当たり、片方の膝は砕け、もう片方は関節を分断された。
聖壁が消え、解放された死体の巨人は、壊れた脚で立つことは出来ずに両肘を突いてくずおれた。
随行する夢の使者たちに武器を預け獣の狩人は、巨人の正面に移動し、大きく腕を引いた。
力が籠り、震える腕。獲物を引き裂かんとする獣の鉤爪。
溜めた力を一気に放つように腕を突き出す。それは死体の巨人の首筋の肉を突き破り、内部へ。そして強靭な握力で内臓などを大きく引っ掴むと、勢いよく引きずり出した。
死体を繋ぎ合わせただけの身体は、構造そのものを壊され、瞬く間に崩壊する。そうしてその身体を地面に横たえると同時に、白い霧となって消えた。
【2】
ゴブリン総勢五十三体。討伐完了として村へ戻る途上。
「あの檻のような物を被った人、ミコラーシュと言ってましたけど、一体何が目的だったのでしょう……」
釈然としない様子で女神官が狩人に尋ねた。
「詳しい目的は分からない。奴の現実世界の肉体はとっくに死んでいる、だから奴が行動するには夢の世界が必要だ。あの洞窟の内部が遺跡に変えられていたのも、多分潜伏するためだろう。ゴブリンをカムフラージュに使っていたのは、ひとまず本当だとしておく。ゴブリン討伐は人気が無いからな。ただ、あの群が五十体以上にまで膨れ上がるのを放置して、間引きもせずに流用したり、ゴブリンスレイヤーという冒険者の存在を把握していなかったのは杜撰だったがな」
それは説明するというより、自身の考えを纏めている塩梅の語りであった。
そして漸う村に着いた。
「先生ー! スレイヤーさーん!」
イの一番に駆けてきて出迎えたのは羽帽子であった。物凄い走り方であった。力強く地面を蹴り、腕をしっかりと振るそのフォームは、つい最近まで一村娘に過ぎなかった女とは思えないものである。で、その後ろからは女魔術師が追いかけてきていた。こちらは羽帽子と違って普通の女の子らしい走り方だった。
「いやいやいや、三人ともお疲れでしょう。あなたらが帰ってきてすぐに一休み出来るよう準備をしておきましたので、代表さんに報告がてらに一服どうぞ、どうぞ。あ、私たちのことはご遠慮なく。待っている間にゆっくりと休んでいたので、はい」
「はぁ……、はぁ……、私はあなたのせいで疲れたけどね。ふぅ……」
羽帽子の後ろで、追い付いてきた女魔術師が息を切らせながらぼやいた。
「あら、あなたたちだったのね、おかえりなさい。てっきりこの羽帽子がまた何か突っ走ったと思った。安心したというか、くたびれ儲けなのか……、どっちなのかしらね……」
皮肉げに笑う女魔術師。
「苦労されているんですね……」
女神官は苦笑いしか返せなかった。
その後一行は、付近のゴブリンを殲滅したことを村の代表に告げた。その話は、立ち聞きしていた他の村人から村じゅうに伝播し、住人は皆緊張がすっかりと取れたように態度が柔らかくなった。
「帰るぞ」
それらとは対照的にゴブリンスレイヤーは、達成の余韻にも浸ることもなく、ひと仕事終えた仕事人よろしく帰還の旨を一向に告げた。
反対の意を示す者は居ない。せいぜい、女魔術師が鼻で溜息吐く程度で、当たり前のように受け入れている。
村人らの見送りに、女性陣は社交辞令程度に返礼して、そうしながら一行は帰り道を歩いていく。
しばらく歩いたところで、前方に人影があった。女性の人影だ。それも大分若い。
近づいていくと、それは女武闘家のものであるのが分かった。手頃な荷物を足元に置き、両手を後ろで組みながら街道の脇に立って、一行を横目で見ているようだった。
「えっと……、あ、ああ! 奇遇だね!」
一行が近づくと、何と声を掛けたら分からないという感じに少しの間逡巡して、そう言った。
「ゴブリンか」
「いや違うでしょ」
ゴブリンスレイヤーの言葉に女魔術師が突っ込んだ。彼は冗談でそれを言ったのか、それとも素で言ったのかは判らない。
「まあ……、ゴブリンって言えば、ゴブリンかな。でも、ゴブリン以外にも冒険をやったりはするかもしれないけど……。単刀直入に言うと、また冒険者をやろうって思って、ついては私も一緒に連れていってくれないかしらって。一度ゴブリンにやられたから、他に受け入れてくれそうな
早口気味で長々と喋る彼女。
「大丈夫なんですかね」
彼女の様子に鼻白んだ様子で羽帽子が、ゴブリンスレイヤーと獣の狩人を交互に見やって尋ねた。
「好きにすればいい」
とゴブリンスレイヤー。
「ちょうどいい、彼女を仲間に加えたらどうだ」
獣の狩人は羽帽子の肩に手を置いて言った。
「先生がそう言うなら、私は従いますけどね。そういうことだから、これからよろしく」
「あ、うん、よろしくお願いします!」
女武闘家はパッと嬉しそうに相好を崩し、それから武闘家らしく整然としたお辞儀をした。
無事に契約成立ということで、ゴブリンスレイヤーは再び歩き出して、一行は先へ進み出す。女武闘家も、地面に置いていた荷物を持って、それに随行する。
歩き出してからしばらくして、
「あの……」
女神官が、気遣わしげに女武闘家に声を掛けた。
「どうしたの」
「冒険者に復帰するにしても、やはりお辛いことも多いかと思われます。だからと言ってあなたの意思を尊重しないというわけでもありません。けれど……、もしまた辛くなった時には、その時は遠慮なくおっしゃってください、私に出来ることならお力になりましょう」
「え、ええ、ありがとう」
少し困ったように女武闘家は微笑んだ。女神官のその言葉は、女武闘家からすれば罪滅ぼしのためのものに聞こえたのだ。逃げろと女武闘家が言ったにせよ、女神官は女武闘家を見捨てて行き、それでゴブリンに酷い目に遭わされたのだから、罪悪感を感じるなというほうが無理がある。
「まあでも、いつかは出ないといけなかったしね。父さんが死んじゃって、母さんも女だけでこのさき生きていくのは難しいしね。だから、あの人と再婚して幸せになってほしいって思うの。そのためには、私みたいなお邪魔虫は消えなくちゃいけない。今私が持ってるこの荷物も、そのために以前から用意しといたんだ。私が冒険者やめて村に帰ってきてからずっとそのままだった荷物に、必要な物を詰め直してね……」
そこまで語って女武闘家は、しまったと慌てて口を閉じた。女神官をフォロウしようと思ったのに、ついつい夢中になって、後ろ向きな心情と捉えられかねないことを喋ってしまったのである。
横目で女神官を見るが、目下彼女が何を考えているのか、女武闘家の混乱した頭では分からない。
こうして二人の間に、気まずい沈黙が流れた。何か言葉を探す女武闘家だったが、
「それと――」
と少しして女神官が、自分の懐を探りながら口を切った。
「これをあなたに」
それで懐から取り出し差し出してきた物は、一つの折り畳まれた帯であった。頭や首元に巻く短い帯だ。
「えっ、これ……」
女武闘家は目を丸くしてそれを受け取った。
「これ、父さんのだ……」
「あなたのお母さんから預かった物です、機を見てあなたに渡してほしいと。村を出る前にあなたに渡そうと思ったのですが、でもどうしても見つからなくって。それで、もしかしたらと思ったら、予想通りあなたはここに来てくれた……」
慈愛を籠めた、女神官のその優しい語り口、それと微笑みに、女武闘家は心が溶かされたように顔を綻ばせた。
その微笑を浮かべたまま、手の中の折り畳まれた帯を愛おしそうに見つめ、
「私の父さん、母さんにプロポーズする時に、これを渡したんだって。これからは一人だけの武闘家としてではなく、あなたを守る人間になりたい、だからそれを預かっていてくれないかって……」
言いながら、女武闘家は畳まれていた帯を開いて、
「えっ……」
そして顔いっぱいに驚愕を現して立ち止まった。
これに伴って、一行は自然と足を止める。各々女武闘家に、静かに目を向ける。
彼女の帯には何らかの刺繍が施されているらしかった。しかしそれは、日が傾きかけ少しだけ暗くなった中では、横から覗いて見ることは出来ない。
突如女武闘家は眼から涙を零した。それを皮切りに涙は激しく溢れだし、いよいよ人目を憚らず顔をクシャクシャにして嗚咽を漏らして泣き出した。
一行はこれに反応を示すことはなく、ひたすら見守るだけだった。ただ一人、女神官だけは、腰を落として咽び泣く女武闘家のそばに屈みこみ、彼女の顔を自身の胸に導き、優しく抱き締めた。
こうしている間にも日は西に向かってどんどん移動していく。しかし一行は彼女を急かすことなく、黙って待ち続ける。
あの帯には何が書かれているのかは誰も知らない。知ろうとも思わない。何故ならそれは無粋なことだから。
死体の巨人、瞬殺。戦闘描写はダレるから仕方がない。まあ充分にレベルがあれば初見でも倒せますからね。
〈本文での『神曲』の引用元〉
ダンテ『神曲』地獄篇対訳(上) 藤谷道夫 (https://appsv.main.teikyo-u.ac.jp/tosho/mfujitani16.pdf)(最終アクセス2019年1月12日)