【1】
「大丈夫?……」
ほっと胸を撫でおろして女魔術師は、死んで蘇生したみたいに顔を青ざめさせながら咳き込む新米戦士と、それを介抱する見習い聖女に目を向けた。
「え、ええ、大丈夫そう……」
声帯を殴られてしばらく声が出せそうにない彼に代わって、見習い聖女が応えた。
「私たちの連れがごめんなさいね、ああいう娘なの。もっと早く止めるべきなんだけど、私たちとしてもあれを止めるのは怖くもあるし……。こっちが手を出して何だけど、あの娘をあまり怒らせないでもらえるかしら、こっちとしても大変だから」
それに――、と間を挟んで、
「あの娘も、私たち二人も、それにそこの神官の娘にとっても、あの人はゴブリンから救ってくれた恩人だから、正直余計なお世話なの」
冷然と歯に衣着せず告げた。気を遣う口調ではない。それまで申し訳なさそうに潜めていた眉も、今では厳しく顰められていた。
これを受けて新米戦士と見習い聖女はショックを受けて固まって、それから悄然と項垂れた。
「ま、まあまあ、そこまで怒らなくても、ね?」
羽帽子を担いで席に運び終えた女武闘家が、慌ててフォロウに入った。
「あなたたちだって、何も悪気があったわけじゃないんでしょ。ただ私たちが嫌な目に遭ってるかもしれないからってだけで。ね、神官さん、あなたもそう思うわよね」
と女武闘家は女神官へパスをする。
「あ、はい、私もそう思います」
それを女神官は咄嗟に見事繋げた。
「ま、そういうことだから、お気遣いありがとうね。あ、そうだ、今度一緒にゴブリン退治に行きましょ。同じ白磁等級だし、今の内に仲良くなれば今後良いことがあるかも」
このように女武闘家は一気に捲し立てたことで、その場は治まった。差し当たってこの場で重大な禍根は残さずに済んだのであった。
獣の狩人が、また例によって全身に血を纏いながらギルドへ入ってきたのは、その二、三分程経った折であった。
「おかえりなさい、狩人さん。あなたが来る前に、面白い事がありましたよ、本当に傑作でした。あとちょっと早く帰ってくれば見られたかもしれないのに」
受付にやって来た彼を、監督官が鼻を摘まんで鼻声になりながら迎える。
「それと、あなたのお弟子さんがまた仕出かしましたよ。どうにかなりませんか」
「そうか、それはすまない、後で言っておくよ」
「後で言っておくとか、どうせ注意するだけなんでしょう。ちゃんと叱ってくれなきゃ。あなたの昇級にだって響くんですからね、そうしたらいつまで経っても翠玉に行けませんよ?」
「言うだけのことは言っている、そこからは力で強制するものじゃない。俺を昇級させるかどうかは勝手に決めればいい。それより――」
話を換え獣の狩人は懐から書類を取り出した。
「例のトゥメル遺跡の調査結果だ。綴りや文法が間違っていないかはそっちで確認してくれ」
はあ、と諦観めいた嘆息をして監督官はそれを受け取った。
「さらっと見た限りだと取り立ててミスはありませんね。ところで、ミコラーシュという人物の目的は一体何なのか分かりましたか」
書類の内容を眺めながら彼女は質問する。
「まだ分からない。だが奴は危険だ。自らが上位者になるためなら、町一つを滅ぼすことさえ厭わない」
「何故そうまでして、人を超越しようとしているのですか」
「進まなきゃならないからだ、人は。その場に留まるためにでさえ、人は全力で走り続けねばならない」
これは、ルイス・キャロル著『鏡の国のアリス』、赤の女王の言葉。
あたかも、預言者より言葉を賜わってきた福音記者の如く、至極当たり前のことを言う体で彼は答えを呈した。
「一寸あなたが心配になってきます。まるであなたは、ミコラーシュという男と同じ志を持ってらしているみたいですね」
監督官は受付机の引き出しの中に書類をしまいながら紡いだ。その面持ちは心配しているというより、見果てぬ夢を熱心に語る子供、兄弟、幼馴染、もしくは夫を前にしたものと似たものである。昵懇でありながら、間に何かが揺曳している関係。冒険者とギルドスタッフとは、かくあることが妥当なのかもしれない。
また一人、ギルドに足を踏み入れる者が居た。
その男は、入って真っ直ぐ、受付へ進んでいく。
「あ、ようこそ」
気付いて監督官が挨拶をした。依頼客ではないことは、装いや足取り、それと首元で一瞬煌めいた認識票を見れば判った。
「久方ぶりだな、狩人よ」
男は良く通る声で、受付の前に立っていた狩人へ向かって声を掛けた。やおら狩人は振り向いて、その男を見た。灰色の三角帽子と装束。背中に負った、籠手型の複雑で奇怪な武器パイルハンマー、腰背面に回している獣狩りの散弾銃。頭頂部まで剥げ上がった白髪交じりの髪の毛を後ろに流し、弛み皺が刻まれた顔の、右目を布を巻いて覆った男だ。
「旧市街で会った時以来か」
低い声で男は結んだ。
ギルドの冒険者らはまたしても獣の狩人と、彼を訪ねて来た男を注視した。悪い意味でこのギルドの名物でもある獣の狩人を訪ね、加えて面識があったともなれば当然か。
「デュラ」
獣の狩人が男の名前を呼んだ途端、デュラと呼ばれた男は左手で腰背面の散弾銃を抜き、目の前の狩人へ向ける。が、狩人もそれを見越していたらしい動きで、デュラと全く同じ瞬間に、腰に下げた短銃――エヴェリンを向けた。
俄かにギルド内が緊張に包まれた。
互いに相手の頭へ銃口を向け合っている二人の様子を見て、周りの者たちは、狩人とデュラの間にはかつてどんな因縁があったのかとも考えた。
女魔術師と女武闘家もこれをヒヤヒヤとした心情で見ている。現在テーブルに突っ伏して伸びている羽帽子と、あの銃を向け合う二人へ視線を行ったり来たりさせている。
「フフ、ハハハハハ!」
須臾にして、デュラの笑いが沈黙と緊張を破った。
「貴公、銃を下ろしたまえよ。今のは軽い戯事というやつだ」
デュラは銃を仕舞うと、両手を左右に広げてみせた。
「あの時のことは事故だった、分かっているともさ。盟友が死んだことも、あれは貴公の自衛のためだ。我々が殊更に傷つけ合うことはない」
狩人はゆっくりと銃を下げた。ただしその銃を腰に戻しはしないが。
無事何事も起こらず和解を見せた彼らに、女魔術師と女武闘家はほっと胸を撫で下ろして、涎を垂らしながら依然気絶している羽帽子の背中に手を乗せたり、頭を撫でてやったりした。
そこで、
「あ、この前の」
ちょうど、ゴブリンスレイヤーとの話が纏まって出てきた
「む、たしか貴公は……吟遊詩人と話していた時の」
デュラのほうも以前の邂逅を覚えていたようだ。
「知り合いか、森人殿」
と蜥蜴僧侶。
「オルクボルグのことについて聞き回ってた時に。直接話はしてないけど」
森人は何から話そうかと思案している。
「そんなことより」
そこをゴブリンスレイヤーが話を切り、
「単刀直入に言う。今回の依頼、獣の専門家に同行を頼みたい」
獣の狩人を指名して言った。
「構わない」
狩人は二つ返事で了承した。
「ただ、彼も一緒でいいか。腕は保証する」
顔を動かしてデュラを示した。
「彼は?」
ゴブリンスレイヤーが問うと、
「私は元狩人、そして今は冒険者をやっている、灰狼ことデュラと言う者だ。以後お見知りおきを」
灰狼のデュラは前に出て、名乗り上げた。
【2】
どうして冒険者になったのか。
彼ら一行、ゴブリンスレヤー、女神官、
「気ままに冒険して、美味いもんを食うためじゃ」
鉱人道士はそう語った。
「外の世界ってのを見たかったのよ、狭い森の中でずっと過ごすのも退屈でしょ」
と森人弓手。
「拙僧は、異端を狩ることで竜へと上り詰めるため」
蜥蜴僧侶。
ゴブリンスレイヤー、女神官はそれぞれ、
「ゴブリンを駆逐するため」
「神殿の中で仕えるか、外で仕えるかで後者を選んで、そのために冒険者に」
と抽象的に語った。
「私は、学院で修めた魔術を使って自分を世間に示したかった。冒険者稼業はその足掛かり」
苦々しげに女魔術師は、自らの目的を過去形で語った。
「私も彼女と似たようなものかな。父さんが教えてくれた武術で、人々を守りたかった」
女武闘家も同様。
「私は平穏な暮らしをしたかったのだが、……生憎と先立つものが無く、仕方なしに冒険者をして稼ごうとした。狩人よ、貴公はどうだ。」
続いて語り終えた灰狼は、次いで獣の狩人へ話を振った。狩人は焚き火をぼうっと見つめ続けたのち、顔を上げて一同を一瞥してから、おもむろに口を切る。
「『青ざめた月』を探している」
その一言のみだった。
「何よそれ、『青ざめた月』って」
森人が聞き返した。
「『青ざめた月』は『青ざめた月』だ。とにかくそれを求めて、冒険者を始めた」
「あなた自身もよく分かってないんじゃない。ま、漠然とした目的ってのはあるわよね、世界最強を目指すなんてのも居るし。さて……、あとまだ聞いてないのは……、そこの羽帽子のあなたね。あなた、どうなの」
「あっ、いよいよ私の番が来ちゃいましたか」
自分を指差しながら羽帽子が応えた。やけに乗り気な様子だ。鉱人から貰った火酒の入った器に顔を赤らめ、いつもより若干陽気度が増している。そのせいもあるだろう。
――ちょっと話が長くなるんですけど。
という前置き。
女魔術師、女神官、女武闘家の三人は嫌な予感を覚え、これに伴って、羽帽子が以前新米戦士と見習い聖女に喰って掛かった時に、ゴブリンスレイヤーを恩人と呼んでいたことを各自思い出した。嫌な予感がしたことの根拠だ。
「私の村って以前ゴブリンに襲われたんですよ、それで私もゴブリンに攫われちゃって。まあゴブリンを二、三匹程産まされたんですけど、そこをこのゴブリンスレイヤーさんと狩人の先生が助けてくださったんですよ!」
両手をゴブリンスレイヤーと狩人に向けつつ、羽帽子は得意顔で言った。銀等級の三人は一様に顔を凍り付かせ、特に直接話を回した森人は息を詰まらせた。それでも羽帽子は委細構わず続ける。
「でも、村を襲ったのはそれだけじゃなかったんです。そう、近頃流行りの獣化現象まで来ちゃったんですよ。皆さん分かりますよね、獣化現象。今度の依頼は、
物語の佳境を語る調子の羽帽子に対して、一同は――三人を除き――揃って絶句し何も口を挟めないでいた。
「野獣と化した父は、母と、まだ無力だった私に迫り来ました。それに先生が飛び掛かって、彼は自分が致命傷を負うことを厭わず、すったもんだの末にそれを倒しちゃったんです」
さて、と彼女は手のひらをパンと叩き、一時話を置いて転換させた。
「私がどうして狩人になったかなんですけど、単刀直入に言えば、母に殺されかけたからなんです。無理心中ってやつです、無理心中。今言った通り、私の村は若い女たちの多くがゴブリンに手籠めにされた挙句、男たちまで獣化して、先生とスレイヤーさんに狩られちゃったものだから、もう気息奄々になっちゃって。私ら母娘も、このご時世で男を失ったことで寄る辺を失ったわけです。そうなるともう女は娼婦なり何なりにでもなるしかない。大方母は、母娘揃ってそうなることを憂いた、だから私を殺そうとしたのでしょうね」
うんうんと彼女は頷く。
「こうして私は母によって胸を刺し貫かれ、当人も同様に自決しちゃったんですが、私自身の命運はそこで尽きなかったんです。実はですね、先生がうちの獣化した父と取っ組み合ってる時に散乱した荷物の中にあった、やけに
悲劇とした言いようのない過去だった。けれど当の本人は、それを悲劇として捉えているようではなく、どちらかというと失敗談ネタでも語っている風であった。
「どう、して……、そんな笑ってられるのよ……」
そう言問う森人は、目を情動でゆらゆらと潤ませ、えずきに言葉をつっかえさせていた。
「さあ、楽しいと思えるからじゃないですか。嫌なことではあるけど、他人事だとでも思えば自然と笑えてきますよ」
談笑はここで途切れた。それ以降は誰も口を開くことは出来なかった。そうしていると、夜も更けていったので、就寝をすることとなった。
その中で現在、獣の狩人は起きていた。外敵の見張りや火の面倒を見たりしている。パチパチと爆ぜる焚火の中に、彼は木を数本投げ入れた。
起きているのは彼一人だけではなかった。それは灰狼だ。二人は焚火を挟んで向かいに座っている。
「彼女はいつもああなのか」
口を切ったのは灰狼だった。
「そうだな」
「荒々しく、性急なところがある。貴公に似ているな」
「そう思うか」
「そうだとも。茫漠たる目標を目指し、闇雲に刃を振るう。狩人としてはあまり褒められたことではないな」
「狩人はそういうものじゃないのか。いずれは獣になる、どんなに取り繕うとも……」
――知ってるかい。人は皆、獣なんだぜ。
そんなことを誰かが言っていた、と、狩人は想起した。
「貴公の言う通り、獣を狩り続けていると、時々自分が獣に寄り掛かっていることに気が付く。だから狩人は、信念を持とうとするのかもしれない……。最初の狩人ゲールマンは、獣狩りを介錯と称した。烏羽の狩人たちは、血に酔った狩人に死に場所を与えるという慈悲を施し、これを代々伝えてきた。聖剣のルドウイークは、月の導きというモノを手繰っていた。これら思想を錨とし、人は人でいられる」
貴公はどう思う、と灰狼は結んだ。
「御忠告をどうも。だが、獣の道を恐れてあまり人にこだわり過ぎると、停滞する。如何に高邁な精神を持とうとも、いずれは獣に堕ちる。」
「そうか……、それが貴公の答えだと言うのなら、私も尊重しよう」
灰狼には落胆の色は見られなかった。自分の考えこそが正しいという驕りがあるわけではないからだ。
――怪物と闘う者は、自らも怪物とならぬように心せよ。深淵を見つめる時、深淵もまたこちらを見つめている。
フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ『善悪の彼岸』より。
「話は変わるが、貴公、グウェントというゲームを知っているか」
唐突に灰狼が獣の狩人に訊く。
「何だそれは」
「以前に組んだことのある男が言っていた戦略カードゲームだ。二振りの長剣を背負い、真っ白い髪の毛を後ろに流して、顔に左目を跨ぐような縦の傷が入った男だ。彼は出し抜けに、グウェントをやらないかと持ち掛けてきたんだ。勿論、私はそんなゲームも存じていないし、持っているわけもなかった。だが彼が言うには、国中で流行っているそうなのだが……」
「知らないな。聞いたこともない。そんな変な奴には付き合うな」
興味なさげに獣の狩人は切って捨てた。
突然グウェントをしようと持ち掛けてくる男……一体何ヴィアのゲラルトさんなんだ?……。