【0】
「ヨセフカ?」
獣狩りの夜が始まって少しして、俺はヤーナムのある診療所へ足を運んだ。ヨセフカというのは、そこの診療所の女医のことだ。
この街の住人は、余所者に冷たい。俺と同じく外から来た者ギルバートは、この街の者は陰気だと言っていた。そんな陰気な人間たちの中で、ヨセフカは比較的親切な人間で、俺に輸血液を、それも効果が高くなるよう調整された物を提供してくれた。
「ああ、あなた、無事だったのね。良かった……」
安堵して緊張がほぐれたように、ヨセフカは応答した。
「でも……、何度来てもらっても、変わらないわ。扉は開けられない。でも、私に出来ることは――」
「いや、そうじゃない、今回はお礼を言いに来たんだ」
悲痛そうなヨセフカの謝罪を遮って、このように俺は、感謝の念を込めて、努めて優しく聞こえるように告げた。
「お礼?」
「そうだ。君がくれた輸血液は本当に効いた。お陰で、危うく死ぬところを、命拾いしたんだ。本当にありがとう……」
「私はただ罪悪感だけで、別にそんな感謝されるようなことは……。……でもありがとう。あなた、優しいのね」
面映ゆそうに、ヨセフカは逆にお礼を返してきた。今までの怯えと緊張がやわらいだように、少しだけ和やかになった。
「お互い様さ。この街は余所者には不親切だ。どこもかしこも、俺が扉と叩けば、余所者だとかどっか行けだとか言ってくる。君は、俺がこの街に来て初めて優しくしてくれた人だ、友好的になるのは当然だろ」
俺も宛然と、気丈な口吻で返した。
「何だか、あなたと話していると、一寸だけ安心するわね……。出来るのなら、あなたとは是非一度、顔を合わせてお喋りしたいものね。今はそれが出来ないのが残念だけれど、きっとじきに……。今度の夜は長い、でも明けない夜も無いはずよ。ましてやあなたのような方が頑張っているのだから。そして狩りの夜が終われば、こんな風に扉越しに話すこともない。もしかして、あなたの顔も見られるのかしら。不謹慎だけど、フフッ、何だか楽しみね」
「……ああ、俺もそう思うよ」
照れ臭くなって、俺は一瞬返事が遅れた。
そうして少しして、扉の窓のガラスの欠けた部分から、おもむろに彼女の輸血液が差し出された。
「受け取って。役立つのなら嬉しいわ」
何だか申し訳ない気持ちになって、しばし逡巡した。
「……有難く頂く」
のちに俺はそれを受け取ろうと手を伸べた。そうして輸血液に俺の手が触れた時、不意に彼女がそっと俺の手を握ってきた。
「どうか、ご無事でいてくださいね……」
ヨセフカは親指で俺の手を撫でてから、俺に輸血液を握らせて、名残惜しげに手を引っ込めた。
「君もな」
そう言い残して、俺は彼女の輸血液を手にその場を後にした。
【1】
早朝、獣の狩人はギルドの椅子に座り、膝に小さなオルゴールを乗せ、ゼンマイを巻いて音を奏でさせていた。
ゆったりとしたリズムの、子守唄が歌えそうな曲だ。甲高い音と低い音が合わさった音によるメロディ。しかし、低音が高音の足を引っ張って、全体的に曲のテンションが低く、聴いているとそぞろに不安になってくるような音だった。
獣の狩人は暇さえあれば、いつもこの曲を聴いている。それは既にギルドでは日常風景の一部と化している。
最初では、誰もが耳をそばだて、その珍しい物品に興味を持ったものであった。けれど、一部例外を除いて、やはりこのギルドで獣の狩人に興味本位で話し掛けられるような物好きはおらず、ギルドの者や冒険者らも次第にオルゴールへの関心も薄れてゆき、気にも留めなくなった。ついぞ、誰もそのオルゴールについて訊くことはなかったのである。
さて、獣の狩人はいつもオルゴールを聴いているが、彼自身この曲を好いてはいない。むしろ忌まわしく思ってさえいる。曲が薄気味悪いということも彼は感じているが、それが主たる要因ではない。もっと別の、彼の苦々しい過去の出来事に因るものである。
その時、獣の狩人の隣に座る者が居た。
「ガスコインのかい」
聞き覚えのある名前を聞いて、さっと狩人は顔を上げて、隣に座った者を見た。居たのは女だった。白いスラックスと黒いブーツに紺色の外套を着た、年配の女だ。年齢は大体四、五十くらいだろうか。顔の肌はもう妙齢とは言い難く、目元口元、頬には皺が刻まれている。髪の毛にも白髪が目立つ。とは言え、それでもその相好には若い頃の名残がまだ見られ、顔付きにはまだまだ覇気が見られた。
「誰だ……」
「おや、声を聞いても分からないのかい」
と女は言って、懐から取り出した、中世のペスト医者が被っていた鳥の頭のようなマスクを自らの顔に被せた。そのマスクを被った姿を見て、獣の狩人はピンと来た。
「お前、烏羽の……」
彼女の名前はアイリーン、通称『烏羽の狩人』、または『狩人狩り』。かつて獣の狩人がヤーナムで出会った女狩人であった。
「ククク、久しぶりだね。最後に会ったのはたしか……、あの大聖堂の前以来だったかね」
と、さも烏羽は、楽しい思い出を語るみたいに笑ってはいるが、あれは笑い事ではなかった。
あの時、大聖堂前にて満身創痍で倒れていた彼女に代わって、獣狩りの狩人が大聖堂内に居た敵――彼女と同じ狩装束を纏った謎の狩人を打倒したのであった。
「笑い事じゃないだろ、お互いに死にかけた。お前だってな。俺はてっきり死んだものかと思ったくらいだ」
その狩人がまた恐ろしく強敵であった。異邦の彎曲した刀を手に、こちらの攻撃をことごとく読んでは反撃をし、強烈な一撃に多くの輸血液が消費された。何度か返り討ちにされては狩人の夢に送り返されてしまったこともあった。
「ククッ……、夢に住んでいたあんたなら死にゃしないだろうさ。事実あんたは、何度かあいつに殺られたんだろう」
「一体奴は何だったんだ」
「知りたいのかい」
「言いたくないなら別にいいが……」
「なら、あんたの想像に任せるよ、フフフ、フフ……」
そうはぐらかして、烏羽は悪戯っぽく笑った。
で、少し間を空けて、
「ところでそのオルゴール、改めて訊くけど、ガスイコインのだろう」
と、烏羽は、既に鳴り終わったオルゴールをコツコツと指で叩いて尋ねた。
「ああ、彼の娘から預かった物だ。結局返せなかったがな……」
淡々と語る獣の狩人だが、言葉尻をでの声はいささか暗く沈んでいた。
「ガスコインは何か言ってたのかい」
委細構わず烏羽は問う。
「『どうか娘を』と……。その後、『すまない、ヴィオラ』と言って息を引き取った」
ガスコインを倒した時、その死ぬ間際に刹那の間だけ、彼は人であることを許された。
まず発せられたのが、自らに引導を渡した獣の狩人への感謝だった。次いで自身の娘の安否を聞き、獣の狩人にその娘を託したのち、助けられなかった自分の妻へ涙ながらの謝罪をしながらその肉体を霧散させた。
「だが娘は守れなかった。俺は、娘に事実を告げようか迷って、先延ばしにした。その末にむざむざ彼女を死なせてしまった」
もし、あの時、娘にヴィオラの真っ赤なブローチを渡していたら。もしオドン教会を教えていなかったら。もし、せめて一緒に居てやれたら。
狩人の頭に、もしも――、もしも――、と詮無きことが次々に浮かぶ。
「彼女の姉だってそうだ。彼女は妹の――」
「ん? ちょっと、ちょっと待っとくれ」
訝しげに眉を顰めて烏羽は話を引き留めた。
「今、姉って言ったね」
「言ったが、それがどうした」
「妙だね……、あの子に姉なんて居るはずが……」
「どういうことだ」
「だから……、居ないんだよ、あの娘に姉なんて」
「そんなはずはない、実際にあの家に……」
「大方騙されたんだろうさ。そう言えば、あの子の友達に、いつもあの子のリボンを物欲しげに見ていた女の子が居たねぇ……」
はたと狩人は、あの家を離れようとした時に、姉が何やら笑っている声が聞こえたことを思い出した。それに、聞き間違いでなければ、綺麗なリボン……、とも言っていたように聞こえた。その時は、慨嘆が一周回って笑い声に変わったと思って、また狩人自身の居た堪れない心境もあって、取り立てて気にしなかった。
「思い返してみれば確かにおかしい……。俺がガスコインの娘にオドン教会を教えた時、たしか……『お父さんとお母さんとおじいちゃんの次に好き』と言っていて、姉のことには言及していなかった。だが、もしそうなら、たかがリボンのためにどうして……」
「たかがリボンってだけじゃないんじゃないかね」
やおら烏羽はそう口を切った。
「どんな意味があると言うんだ」
「あんた、ガスコインの娘の顔は直接見たのかい」
「いや」
狩人は首を振った。
「あの子は、それは大層可愛らしい娘でね、天使みたいな女の子だったよ。その友達は、そんなあの子が羨ましかったんだろうさ。憧れていたのだろうさ。自分もあの子みたいになりたいと、そう思ったに違いないのさ……」
「その友達の彼女にとって、あの白いリボンは美しさの象徴だった、と……。あのリボンを付けて、自分がその美しい少女になろうとしたのか。……あまり理解しがたいな」
「少女とはそういうもんさね。女というのは、美しくありたい、そして愛されたいと思うもんだよ、さながら男が強い男でありたいと思うみたいにね。だからこそ、無意味と分かっていても、少しでもそれに近づけるならと思ってしまうのさ」
と烏羽は結んだ。これに狩人は得心した。
自らを高めるために、高みに居る人物を真似てみるというのはある。しばしば人は、自らの欲求を満たすために、不合理で不毛なことをする。それはひどく単純で、直情的で、ある意味で獣らしい振る舞い。
「ところで――」
狩人は切り出した。
「お前はどうしてここに」
「さあね、気が付いたら、久方ぶりにあの夢の中に居たのさ。それで外に出てみたら、この世界に居たってわけだよ。生活するための金銭がほとんど無かったから、手っ取り早く稼げる冒険者をやっていて、その中であんたの噂を聞いたものだから、はるばるこの町のギルドに足を運んだのさ」
「挨拶をしにか」
「いや、あんたに伝えたい情報がある」
烏羽は、それまで気楽だった様子とは打って変わって真面目な顔つきをし、
「この世界にも、“あの獣”が居るかもしれない……」
そう告げた。
「方々で妙な獣の目撃があったらしい。夜中、猿のような獣がどこかへ走っていって、それと同時に、見掛けられた獣の数だけの村人が忽然と姿を消すのだと、ね。どういうわけか、消えた後には妙な毛や体液が残されているにも拘わらず、争った形跡は見当たらなかった……」
俄かに狩人の身体が緊張する。
ヤーナムに居た獣だと判断するには薄い根拠だった。しかし、何故だか狩人の中にはそこはかとない確信があった。あの晩を体験した者としてなのか、或いは狩人としてか、とにかく自分の中の勘が、それについてさもありなんと囁いていた。
「今のところはそれらしい依頼は来てないみたいだけどね、私はこれから依頼を注意深く見ることにするよ。あんたも、張り出された依頼や、他の冒険者の話に聞き耳を立てとくことを勧めるよ」
狩人の肩に手を置いて、鴉羽は立ち上がって出口の方へ歩き出した。
「ああ、そうそう」
と烏羽は立ち止まり、首だけを狩人の方へ向けて、
「何か分かったことがあったら、使者を通してメッセージを残しておいておくれ、私もそうするよ。私とあんたの夢は共有されていないみたいだけど、メッセージを送ることは出来るだろうさ」
言い残して、今度こそ彼女はギルドを後にした。
狩人は、烏羽の言っていたことを反芻する。何度考えても、やはり憶測の域を出ないことだが、それでも気掛かりだった。
「ひとまず……」
と独り呟き、これから依頼書が貼り出される掲示板に目を向けた。
然り而して、その時間がやって来た。
「皆さーん! 朝の依頼貼り出しのお時間ですよ!」
ギルドの受付嬢の一人が高らかに言い、ギルドに集まっていた冒険者ら、待ってましたとばかりに浮き立つ。そうして依頼書の張り出された掲示板の前に群がり、あれやこれやと、独り言を言ったり、仲間と相談したりしていた。その中で獣の狩人は、素早く依頼書から依頼書へ視線をハシゴさせ、何か変わったことが掛かれたものはないかと探した。
見つからなかった。否、あるにはあったのだが、しかしそれは到底獣と結び付くようなものではなかった。少しでも怪しいものをと見ていくと、全ての依頼が怪しく見える。
狩人は諦めかけ、その上でもう一度、何気なく依頼書の群を見やったところで、隅のほうに、他の依頼書が被って隠れてしまっていた依頼書に気付いた。
しかし群衆が邪魔で取れない。そこで狩人は、
「そこの少年、それとその連れの少女! そう、お前らだ、その隅の隠れた依頼書を取って見せてはもらえないか」
と狩人が声を掛けたのは、真新しい安物の武具を身に付けた、新米と思しき戦士と聖女の少年少女であった。
「え、これ? これでいいのか?」
気付いた新米戦士は、獣の狩人が言った通りの依頼書を取った。それで狩人に見せる間際、ふと新米戦士は依頼書を見て、
「なあ、あんた一人か? 一人でゴブリンはキツイんじゃないのか。あんたも俺たちと同じ初心者だってんなら、俺たちと――」
「ちょ、ちょっと、何してんの、やめなさい!」
何やら持ち掛けようとする新米戦士を、連れの見習聖女が彼の襟首を掴んで引き止め、狩人の首元を指差した。新米戦士は、狩人の首元に下げられた“青く輝く認識票”を目にすると、あっと声を上げ、
「こ、これは失礼……」
バツが悪そうに件の依頼書を狩人に渡して、そそくさと掲示板に目を戻した。
新米戦士の言った通り、これはゴブリン関連の依頼である。
書面に簡易的に書かれた詳細に、獣の狩人は改めて目を通す。
「やはりこれは、もしかして……」
狩人はこの依頼について受付に尋ねようと思い目を向けたが、冒険者らによる依頼受付の波が続いていたため、当面は待つことにした。
およそ三十分後、ようよう受付の人だかりは薄まったので、狩人は受付に赴いた。
「この依頼についてなんだが……」
狩人が訪ねた相手は、このギルドで最もゴブリンの依頼に精通した受付嬢である。
彼女が、狩人の出した依頼書に目を落とそうとした時、ちょうどギルドへの来訪者を知らせるベルが鳴った。その音に反応した彼女は、いそいそと狩人の陰から顔を出して入り口を見やった。そして直後に、やや疲れが混じっていた顔に生気を湛え、相好を崩した。
彼女の表情から、誰が来たかを悟った獣の狩人は、後ろを振り向かずに横へ半歩身体をずらした。来訪者は、獣の狩人が立つ受付の所まで歩み寄り、
「ゴブリンか?」
「ゴブリンだ」
ちなみに冒頭のヨセフカ(本物)のデレはゲーム中に実際にあります。ガスコイン神父を撃破してオドン教会に行くまでに、都合三回輸血液を貰いに行くと聞けます。ご存じなかった方は是非お試しあれ。