【0】
「な、なあ、あんた、狩人さん、フヒヒ……」
挙動不審に俺へ声を掛ける、ワインレッドの衣を被った男。
「ん、お前か、どうした」
「いやあ、あの、ほら、無事なようで良かったって、フヘヘヘ……。それでね、あんたがここを教えた人が、また来てくれたんだよ」
そうボソボソと男は、教会の正面入り口の脇にある柱の陰に座る尼僧アデーラを示した。
「そうみたいだな」
この男とは、俺がガスコイン神父を倒して辿り着いたこのオドン教会で会った。そこで彼は俺に、生存者を見掛けたらオドン教会に避難してくるよう呼び掛けてほしいと頼んできたのである。
正直なところ胡散臭かった。
枯れ木のようにガリガリに痩せこけ節くれ立った体に、皺の寄った顔、白く濁った瞳。風貌がまるで老人のそれであるが、声の調子からしてそこまで年は言っていないかもしれない。喋り方はボソボソとしどろもどろで、薄気味悪い。
こんなのを信用しようとは、当初はあまり思えなかった。他に避難出来る所と言えば、ヨセフカの診療所くらいのものであったが、しかしながらそちらのほうも大して変わらないように思えていた。
ヨセフカのことを信用していないわけではない、むしろ彼女は親切で信頼出来る人物だ。けれど何かがおかしいと思った。オドン教会に辿り着いた後で診療所に行ったら、生存者を診療所に避難させてほしいという要請をされ、そこで違和感を覚えた。急な翻意への戸惑いなのか、はたまた態度がというか、雰囲気というか、とにかく何かが引っ掛かったのだ。
それで俺は、怪我人は診療所に、壮健な者はオドン教会に送ろうという結論を出した。
どの道それしかなかった。住人らが各々家に閉じこもっていても、やがて獣除けの香が切れて彼奴らの餌食になるのが関の山だ。だから皆が一ヵ所に集まって、残り少ない香を共有しておくのが最善となる。
で、そうして生存者たちをこのオドン教会に集めたわけだが、今のところは何ら異常は見当たらない。差し当たって、オドン教会に彼らを避難させたのは成功と言えた。
「この場所は、みんなの避難所になった、あんたのお陰さ」
「気にするな」
「それに、嬉しいんだ。こんな俺みたいなののお願いを聞いてくれて……、ありがとう」
相変わらずボソボソとしているが、男は心底嬉しそうな風に感謝の旨を述べた。
「もう、この街にはまともな生き残りなんて居ないのかもしれないけどさ。でも、あんたが出来るだけのことをしたから、ここに居る人たちは救われたんだ。凄い事だよ、狩人だからってんじゃない、あんたが凄いのさ……」
このように結んで、男はまたもぐぐもった気味の悪い笑いを出した。こいつが気の良い奴なのは分かったが、やっぱりその不審者じみた笑い方は頂けない。
「俺、変われるかな……」
唐突に男がそう切った。
「どうしたんだ、急に」
「いや、あの……、最近さ、この夜が終われば、俺もちょっとは変われるかなぁって……。そう思うと、じっと我慢も苦じゃないんだって……」
男は目を伏せて、何かに思いを馳せるように訥々と語った。
「なら良い傾向だな」
燻り停滞しているものへ投じた一石が波紋を広げ、事態を動かすことだってある。それが吉と出るか凶と出るかは分からない、もしかしたら悪い方へ向かうことになるかもしれないが、それでも、自分の意志での業であるのなら、悪い事ではない。
「……本当に、あんたのおかげだよ、ありがとう」
この男は卑屈だが、物事を打開するために行動を起こせる勇気ある男だと、俺は思った。
「力になれて何よりだよ」
俺がそう言うと、男は面映ゆそうに笑った。相変わらず笑い方は気持ち悪いが。
「な、なあ、狩人さん……」
ひとしきり笑って、おずおずと男は、上目がちに――そもそも盲目なのだろうが――こちらへ視線を寄越して切り出した。
「ん?」
「獣狩りの夜が終わったら、その、あんたと友達になれるかな?……」
「俺と、友達にか?……」
「いや、そんな資格は無いのは分かってるんだけど、だけど……、だけど……、その、もしお願い出来ればって……、ヒヒッ……」
気まずさを誤魔化すように男は小さく笑った。
「不敬なんだって、それはそうなんだけど、でも……、そんなことをちょっとでも考えておいておくれよ……、フフッ、フフフッ……」
尻すぼみに捲し立てて、男は恥ずかし気に、自分の衣に隠れるように身を縮こまらせたのであった。
「ああ、そうだな」
こう言い残して俺はその場を後にした。
そしてその後、あの男と交誼を結んだらということを、考えてみた。
俺にも、これまでで数々の友人が居た。中には少々変わった奴だって居た。もう会うことはないかも分からんが。
この街に来て、新たに人生を始めるに当たって、その最初の友達があの薄気味悪い男というのは一風変わった趣向だ。けど、ああいった色物の友達を持つのも、存外悪くはない。
俺はマスクの下で小さく笑った。
そのために、まずはこの忌々しい夜を越えなければ。
【1】
「どうだ」
腕を組みながら獣の狩人は、ゴブリンスレイヤーに尋ねた。
「どうとは」
「ゴブリンの仕業なのかどうかだ。村の女は、本当にゴブリンにかどわかされたと思うか」
「俺の所見ではそうだ。この村に残された痕跡や状況からして、彼女らはゴブリンに連れ去られたとしか思えない。が、いくつか疑問な点がある。この村をマークしたゴブリンは、何故こうも頻繁に女を攫いに来たのか。村の男衆の不可解な失踪や、彼らの家や村に残された血や毛……。ゴブリンでない可能性も浮かぶが、だが手掛かりを再確認すれば、やはりゴブリンの疑いが強まる。――お前はどうなんだ」
ひと通り陳述したのち、ゴブリンスレイヤーは問い返した。
「俺も同じような考えだ。あれらの手掛かりからゴブリンどもの仕業だろうという推測に、取り立てて異論は無い。しかして、姿を消した男たちのことや、血痕や毛が残されていることに関してはゴブリンは直接には関係していない」
と獣の狩人は肯定した。
滅多に他冒険者と――否ほとんど無いと言ってもよい――組むことのない二人が、今こうして事の調査をしているのは、件のゴブリンの依頼――獣が噛んでいると見られる依頼を共に受けたからである。
この二人は、ある意味では仲が良いとは言える。会えば挨拶をする。狩人がゴブリンの依頼を受けた時には、ゴブリンについて二人で語らい合うことだってある。(ギルドの隅のほうで陰気な男二人が語らい合っているのは異様な絵面である)
しかし二人は組んで依頼を受けたことは全く無い。偶さか獣の狩人はゴブリンの依頼を受けることもあるが、それにゴブリンスレイヤーが同行することもない。さもあれば、危険度が高まった依頼を受けるゴブリンスレイヤーに獣の狩人が助力することもない。二人は互いの仕事に不干渉なのである。
一方で、両者とも相手の仕事には全くの無関心とは限らない。互いの仕事に干渉しないのは、端的に言えば、両者とも相手を尊重し、その未見の手腕を信頼している証左と言える。
「あれらの血や毛に何か心当たりがあるのか」
と、遠慮無しにゴブリンスレイヤーは、獣狩りの狩人からの意見を請うた。
「十中八九、俺の知る『獣』だろう。争った形跡が見られないことから、そこらの野獣によるものではない。それに農具や松明も一緒に無くなっていたのだから、彼らはそれらを持って自分から村を出たとするのが妥当だ。失踪した夜の月のこと考慮すれば、少なくとも村人が人狼に変異して身を隠したというわけでもあるまい」
「なるほど。そう言えば、彼らの失踪が増えたのは、女たちが連れ去られた後だったな。ならば、女たちが連れ去られた事と、男たちが消えた事は、それぞれ違う要因というわけか」
「それなりに纏まったな。なら、その線で調査してみよう」
と狩人が結んで二人は議論を一旦切り上げ、それから出発に向けて装備を整える。
ゴブリンスレイヤーはまず、腰に差した短い段平と小さな丸盾、投擲ナイフなどの武装の調子を見た。それから雑嚢やポーチの中の
片や獣の狩人は、夢の使者たちから必要な物を受け取り、不必要でかさばる物は使者へ預け、所持品を整理した。当然、武器も変更した。
それはかつて獣の狩人がヤーナムでの長い一晩のさなかで迷い込んだ、古狩人たちの思念が彷徨う悪夢にて拾った旧式の仕掛け武器、その名も獣狩りの曲刀である。彼がよく使うノコギリ鉈によく似た形状の武器だが、こちらは刀身が鎌のように湾曲しており、ノコギリ鉈にあるようなギザギザした刃は無い。
で、いよいよ出発するというところの二人に、
「すみません、冒険者さん……」
一人の女が声を掛けてきた。
ひどくやつれた女であった。黒い髪の毛には白髪がいくらか混じり、蜘蛛の巣でも絡まったかのよう。顔からは生気が薄れ、よく眠れていないようでもあり、目の下には隈が染み、肌はくたびれてしまっている。
「私の……私の家族を……、娘を……、夫を……、どうかお助けください……」
と、急に女は、狩人の脚に倒れ込むように縋り付いて、そんな懇願をしてきた。それに対して彼はさほど反応を示さず、そのまま何もせずに女を静かに見下ろし続けた。やがて彼女は、他の村人によって狩人から引き剥がされた。彼女は弱い抵抗をしてから、掴んでいた狩人の衣服から手を落として、その場に膝を突いたまま項垂れ、さめざめと泣き出した。
「お願いします……、どうか……」
女は誰にともなく、神頼みするみたいに言った。
狩人が顔を上げて周囲を見回してみれば、この光景を遠巻きに見る村人たちが目に入る。今狩人に縋り付いていた彼女に対して憐憫の眼を向ける者も居れば、まるで自分自身を見るかのように眺める者、目を背け努めて見るを拒む者。様々であった。
この村に来てからというもの、こんなことは珍しくもなかった。入った時から村内には暗い空気が漂っており、二人が依頼を受けて来た冒険者だと知ると、たちまち何人かの村人が二人に駆け寄って、今しがたの女と同じように、娘を助けてほしい、妻を助けてほしい、父を、兄を、祖父を、といった具合に頼み込んできたのだ。
ちらちらと村人らから注がれる視線に背を向け、二人は歩き出した。
それから随分と長い間、それこそ村が見えなくなっても、二人は一言も言葉を発さなかった。あたかも、自分たちがあの村から監視を受けているみたいに。
どれくらい時間が経ち、歩いたか。
「ところでだが、ゴブリンどもが他の一群と対立して、争いを起こすのはあるのか」
ゆっくりと獣の狩人が口を切った。未だあの村で味わった緊張が抜けないからか、喋り方は単調で、ぎこちない。
「それが実現したということは聞いたことがないな、無論俺自身も見たことはない。だが、それが起こりそうだった事例ならいくらかある。例えば、ゴブリンの集団と集団の仲がすこぶる悪く、それに因って競争意識が増長し、被害が多くなったということがある。以前にも話したことがあるだろうが、ゴブリンは協調性も仲間意識も持ってはいない、従ってゴブリン同士が対立することはあり得る」
「ゴブリン以外を相手に、というのはあるか」
「それだと著しく可能性が下がるだろう。奴らは攻撃的だが、反面、臆病で卑屈だ」
「攻撃性は高いのに臆病で卑屈とはな。なるほど」
「人間相手であれば上手く出し抜けば、後は取り押さえて袋叩きにすればいい。しかし人間以上の膂力を持つ相手だとそうは行かない。そういった要因もあって、人間以外の敵と抗争を起こすことは難しい、まず避けるからな。それだけに、今回の彼奴等の挙動は妙だ。例えばあれを――」
そう言ってゴブリンスレイヤーは、前方に見えた、何かの死体を指差した。人型の死体に見えるが、人間でないことは分かる。まず肌が緑色だ。大きさは子供程度で、栄養失調になっているみたいにガリガリで腹が膨れている。
「ゴブリンの死骸だ。大分損壊が激しい」
「これは冒険者の仕業じゃないな、素人のやり方だ、それも理性ある人間とはかけ離れている」
言いながら狩人は、合点が行ったように二、三度程小さく頷いた。
死骸は甚だしく損壊されていた。鍬などの農具か何かで、数人がかりで何度も何度も、そのゴブリンが絶命した後にも甚振ったと見える。そのお陰で、先ほど発見した時では、いくら日が傾いていたにしても、まだ辺りは十分に明るかったのに、狩人には一瞬何の死体か分からなかった。
ゴブリンスレイヤーは、ゴブリンの死骸から、ある物を摘まみ上げた。それはひと摘まみの毛だった。
「動物の毛だな。それに、このゴブリンの体表には、こいつのではない体液、おそらく唾液が付いている。獣に襲われたように見えるが、不思議にもこいつの身体には唯の一つも歯型や爪痕も見られない。毛や唾液が付着しているにも拘らず、だ」
ゴブリンの死骸を調べ終えて再び移動を開始した後にも、二人は何匹かのゴブリンの死骸を発見したが、いずれも同様の状態であった。
それから二人は、そのゴブリンの死体や血痕を辿るように移動していった。そうしていき、やがて辿り着いたのが、ゴブリンが住むには打ってつけの洞窟であった。
すぐには攻めない、しばらくは待機である、少なくとも夕方までは。ゴブリンは夜行性だからである。そんな彼奴らにとって、夕方とは人間で言うところの明け方に当たるのである。まさに、判断力が極端に下がる時を狙っているということだ。
で、そのうち日が傾き、空が橙と青のグラデーションに塗られ出したところで、洞窟から程近い所に腰を下ろしていた二人は、武器を手にのっそりと立ち上がった。
洞窟の入り口に近づいてゆき、入り口の左右に立つ。しばらくそうしていると、洞窟の奥から、これから見張りとして立つゴブリンたちの気だるげな鳴き声が響いてくる。奴らは二人に気付きもしない。その馬鹿な見張りのゴブリンたちは、洞窟から出た瞬間に、二人によって頭を割られ、外に引きずり出されたのであった。
「一つ」
「二つ」
口々に呟き、二人は狩る者としての足取りで洞窟に入っていった。
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