【0】
「ああ、勇敢なる狩人様、ご無事で何よりです」
勇敢なる狩人様とは……。彼女に話し掛ける度にこれなものだから、正直なところ面映ゆい。
彼女はアデーラ。ヤーナムで『血の医療』なるものを実施している組織『医療教会』の尼僧であり、そこの『血の聖女』である。
最初に彼女と会ったのは、隠し街ヤハグルでだった。大分狩りに慣れてきた折、俺は頭陀袋を担いだ大男にいきなり襲われ、その街へ拉致された。その際に出会ったのが彼女であった。最初は彼女も錯乱していて、ひたすら怯えるだけでこっちの話を聞いてもらえなかったが、医療協会の名を口にしていたので、試みに、たまたま持っていた教会の服を着て話し掛けてみたところ、それで安心してもらえた。
彼女も同じく、聖堂街で例の大男に襲われてヤハグルに連れてこられ、他の者も一緒に居たのだが皆別の所へ連れていかれ孤立していたらしい。そこへ来たのが俺であったらしい。で、仲間とも引き離され、よすがを失ってしまい困っていたとのことで、俺がオドン教会を教え、今に至る。
「街は酷い有様ですが、ここにはまだ人が居ます。私はここで、彼らと共に医療教会の救助を待ちます」
アデーラは教会内に顔を向けながら言った。
「それがいい。ここは安全だ、少なくとも他の場所よりは」
医療協会の助けは、おそらく期待出来ないだろう。何せ狩長はもう死んだ。俺が狩ったからだ。ヤーナム市街の、聖堂街へ続くあの橋で巨大な獣と成り果てていたのを。
「本当に、感謝の言葉もございません。私に出来ることとと言えば、せいぜい、やはり、血の施し……くらいのものでしょうか」
言いづらそうにアデーラは言葉尻を濁した。
血の施しとは、ヤーナムの血の医療から来るものだろう。文字通り、アデーラのように血の医療によって血液を調整された血の聖女が、血を提供するというものである。
勿論、血の聖女と呼ばれているだけあって、彼女らの血には特別な効果がある。アデーラの場合、通常の輸血液にある治癒効果の他に、少しの間だけ自然治癒能力が現れるというものがある。こちらを執拗に攻撃してくる手合いの猛攻を掻い潜りながら回復したい時に有効だ。
「あなたが、更なる俗体を望むのであれば、ですが……」
と彼女は俯きがちに、上目で俺を窺う。
「ああ、受けることにするよ」
彼女に気を遣ってのことではない。確かに彼女は、俗体など狩人様にふさわしくない、などと卑屈なことを言うが、彼女の血は役立つ。こっちとしては活用出来るものは積極的に活用していきたいものなのだ。
彼女は俺が了承すると、嬉しそうに莞爾として微笑し、
「解りました。では、こちらへ……、血の施しを……」
そうして彼女から血を受けた。
その別れ際、彼女が、
「ご武運を、狩人様……、またご無事でお戻りください。お待ちしております、ウフフフッ……」
彼女は俺の胸に手と自らの額を当て、そう言って笑った。
――その後。
「随分とお熱いことじゃあないか……、嘘吐きの、余所者の、狩人様よ……」
ある男の前を通り過ぎる時に、その男が嫌味を言ってきた。
彼もまた、このオドン教会に俺が避難させた人間の一人だ。聖堂街に住んでいて、俺のことをやたらと嘘吐き呼ばわりしてくる、かなり猜疑心の強い人間である。
あまりにも天邪鬼なものだから、避難場所とやらを教えてみろと言われた際、俺はオドン教会とヨセフカの診療所の二つの避難場所を列挙してから、敢えてヨセフカの診療所のほうを勧めてみたら、予想通り俺が言ったほうとは逆であるオドン教会のほうに向かったのであった。
「男ってのはそんなもんだろうよ、馬鹿なもんだ。そんで女ってのも、そんな男どもをよく知っていやがる。あの聖女様だって同じようなもんだ。強そうな男に媚びとけば、そいつが自分を守ってくれるって知っている。俺には分かるぞ、何たって俺には特別な知恵があるからな」
男はせせら笑った。
否定出来ないことだから、何も反論しなかった。
「それともう一つ、良いことを教えてやろう。聖女様に構うのなら、あの娼婦には注意することだな。あの売女め、聖女様を妬み嫉んでいやがるんだ。自分が、疎まれる卑しい存在だってことを分かっているんだ」
向こうのほうで椅子に座っているアリアンナという娼婦の女を、男は顎でしゃくり示した。俺はその通りに彼女へ目を向ける。
「ああして何でもない風を装っているんだろうが、きっとさっきからお前と聖女様の会話に聞き耳を立てているんだ。女の嫉妬ってのは怖いからな。恐ろしいもんだね。自分が出ていけばいいのに、股開きめ……」
この男のように、何もかもを手放しに疑って掛かるのは、必ずしも合理的であるとは言えない。だが、今こいつが言ったことを切って捨てるのも危険だ。
もう少し、彼女について気にする必要がありそうだ。
【1】
午前、獣の狩人はギルドの席に座っていつも通り小さなオルゴールを動かし、ラガービールを飲みながら、テーブルに置いた二本の小瓶を眺めている。
治癒の
だから、これらの飲み薬を今すぐ飲むなり処分するなりして消費し、新しいのに買い替える必要がある。
基本的には彼はいつも、飲んで処理している。水薬は滋養強壮に良く、解毒薬は体内の老廃物・毒素除去の効果があるので、贅沢な健康ドリンクの感覚で飲める。
とは言え今は飲まない。ビールを飲んでいるからだ。解毒薬を飲んでしまっては、アルコールが体内を巡っている気分が消えてしまう。朝から酒なんか飲んでいるのもどうかと思われるが。
ふと彼は視線を感じて顔を上げる。見ると、新米と思しき三人の、いや四人の年若い――大体十代半ばくらい――男女が、狩人を……というよりテーブルに置いてあるオルゴールを物珍しげに見ている。
オルゴールに意識が向いていたために、彼らは狩人に視線を返されたことに一瞬気付かなかった。彼らは遅れて気付いて、慌てて顔を逸らした。それから、何事もない体で、互いに会話をし出したのであった。
どうやら、青年一人(剣士)と女二人(魔術師と武闘家)の駆け出しの一党が、同様に冒険者登録を行ったばかりの女(神官)に誘いを掛けたようである。
ゴブリンの依頼を受けるそうだ。何でも、以前からたびたびゴブリンによって畑を荒らされたり家畜を奪われたりしていた村が、いよいよ腹に据えかねて討伐に向かったところ見事に出し抜かれ、残った物も奪われ、おまけに妙齢の女たちも攫われたのだと。
息巻いて語るマジェスティックな青年剣士。頭に鉢巻をし、背中に長剣を背負っている。立ち振る舞いからして農村だとかの出身だろう。まだ身体の成長は未熟だが、農作業を手伝っていたからか、はたまた剣士に憧れて我流で剣を振っていたからか、存外に佇まいはしっかりとしている。ポテンシャルは十分にあると見える。
しかし、駆け出し故か、持ち物が心許ない。ゴブリン退治に必須な解毒薬も治癒水薬も確保出来ていないと発言していて、その水薬が買えないのを、自身らが今勧誘している女神官で補おうとしている。
はたと狩人は思い立ち、
「なあ。なあ、そこの新米たち」
と呼び掛けた。
ビクリと彼らは身を強張らせた。
構わず狩人は、テーブルの上の小瓶二本を片手で持ち上げて、
「この水薬と解毒薬、期限が今日までで早く処分したいんだが、使うか」
「えっ、いいんすか!」
知らない人が唐突に物を渡そうとしてくることに疑問を持たずに浮かれる青年。そんな彼の後ろ頭を、武闘家の女がはたいた。
「あんたねえ、知らない人から物貰っちゃいけないってお父さんとお母さんに言われたでしょ!」
「けどよう、俺たち新米で金も無いんだぜ、貰えるもんは貰っといたほうが良いって。んで、あわよくば冒険のイロハを教えてもらったり……」
遠慮のない青年である。そんな彼を見て、女魔術師が溜息を吐き、
「授業料と称して、どっかに売り飛ばされたり、タダ働きさせられたらどうするの。大体、あの水薬にしたって、後でお金取られるかもしれないし、ひょっとしたら新人潰しの手合いかも分からないのに」
このようにお利口な言葉で諭した。
色々な意味で狩人は感心した。朝っぱらからビール飲んでる黒ずくめの男に対する警戒をするお利口さもさることながら、その人物の目の前でこんなにも歯に衣着せぬ意見を述べられるのはなかなかの太さである。親の顔が見てみたいものだ。
「あ、あの、それじゃあお言葉に甘えて、それを頂きます」
こわごわと女神官がテーブルに近寄ってきた。
「ちょっと、話聞いてた? そんなの――」
女魔術師が難渋するが、
「はい、大丈夫です! いざとなったら、私が責任を持ちますから!」
こう言って女神官は、それはそれは晴れやかで輝かしい笑顔を彼女らに向けた。
その笑顔を見た女武闘家が、眩しげに目を細め、こすり出し、
「あれ? 何で天使様がこんな所にご降臨なされているのかしら……」
と呟いた。
そんなこんなで、獣の狩人は件の駆け出し一党に期限切れ掛けの水薬と解毒薬を譲渡し、その門出を見送ったのであった。彼があの一党にしてやったことが、果たして彼らを生かすか殺すか、それは分からない。しかし狩人には関係ない。冒険は自己責任なのだ。
「これは珍しいこともあったものねえ……」
不意に後ろで、獣の狩人に聞こえるように誰かが言った。それは女性の声だった。彼が振り返ればそこには、このギルドの監督官の女性が、手を顎に当て感慨深そうな顔で佇んでいた。
「まさか獣の狩人さんが、後輩の冒険者に餞だなんて」
彼女との縁は、このギルドに於いてはゴブリンスレイヤーの次に深い。依頼受付の応対や、冒険に関する報告など、事務的なことが多いが、会話率は高い。
「悪かったか?」
「いいえ、むしろ良いことだと思いますよ。何か心境の変化でもあったのなら、尚更。もしかして、先日ゴブリンスレイヤーさんと一緒に依頼を受けたことが関係していたり?」
やけに砕けた調子で彼女は訊く。いつもとはいくらか違った様子である。接する頻度が高いために彼に慣れたということもあるだろうが、今度の場合はおそらく彼に歩み寄ろうとしているからなのだろう。
「それは分からない。ただ、あれはどちらかというと心境の変化によるものではない。依然として、冒険者は自己責任だとの考えに揺らぎはない。少なくともあれは処分という目的があった。あの行いが良いもので、かつ俺に損失が無いのなら、やっても構わないだろうと思ったんだ」
「そういうものなのですか?」
「そういうものだ。世の中には、自分の面倒すら見られないくせに、闇雲に人に情けを掛ける輩が居る。はっきり言って資本の無駄だ。自前の『瞳』で見えるだけのモノを浚ったところで世界は変わらない。それだったら、さっさと身を立てて、余裕を持って慈善活動をするほうがよほど良い。クリスマスキャロルのスクルージを見習え」
これは彼がヤーナムを訪れる以前の生活で学んだことの一端である。
監督官は興味深そうに目を丸くした。その時彼から何か人間的なものを感じ取ったからだ。
いつも淡々と依頼、もとい狩りを遂行し、他のものにあまり興味を示すことのない彼から、この短い会話の中でその人生に触れたような気がしたのだ。
と、彼女が沈思している間に、狩人はさっさと席を立って、ギルドを出ようとしていた。
「あっ、獣狩りさん」
気付いた彼女は慌てて彼を引き留めた。
「まだ何かあるのか」
彼は身体を半分彼女に向けるように振り返った。
「いえ、大したことではないんですけれど。先日の依頼で出現していた『獣』について教えていただきたいのですが」
「……俺が教えられる部分だけなら、後日纏めて提出しておく」
そう告げて再び背を向けた。思わず監督官は引き止めようと口を開きかけたが、そうしたところで何を話すのかと歯止めが掛かり、口を噤んだ。
知りたいことがあるはずなのに、具体的に何を聞くかは思い付かない。そのような不思議な感覚に、彼女は難しい顔をしながら腕を組んで首を傾げた。
狩人はそれを知ることなく、ギルドを出て、そして狩人の夢に入った。
ゲールマン無き後もここは変わらない。石段の上に立つ小さな建物。その背後に広がる青ざめた夜空に大きく浮かぶ亜麻色の月。そして石段の下にある植え込みに腰掛けている女形の動き話す人形。
彼女は植え込みに腰掛けたまま、何やら歌を歌っている。狩人は歌詞をよく聞き取れなかったが、それはガスコインのオルゴールや、メルゴーの乳母が鳴り響かせていた曲のメロディであった。
「何をしているんだ」
狩人が声を掛けると、人形ははっとして、
「ああ、申し訳ありません。狩人様、おかえりなさい」
人形だから表情は変わらない。けれど、出迎える彼女は嬉しそうだった。
「狩人様のお好きな曲に、歌詞が無いのも寂しいと思いまして、僭越ながら曲に合わせて詩を作っておりました。……お聴きになりますか」
そのように謙遜したようなことを言っているが、しかし彼女は食い気味に狩人へ顔を寄せていて、如何にも聴いてほしそうな眼で彼を見ていた。
「……じゃあ聴きたい」
とりあえず聴いておく。
ところが人形はいつまで経っても歌い出そうとしないばかりか、しばらくボーッと黙ったのち唐突に、あらあら、と首を傾げて、
「即興で作っていたもので、歌詞を忘れてしまったようですね。すみません狩人様、どんな歌詞だったでしょうか……」
「さてな。ところで血の遺志の変換を頼みたい」
「承知しました。その後はどうされますか」
「寝る」
「解りました。では私がメルゴーの子守唄を歌いながら添い寝を……」
「歌詞を忘れたんじゃなかったのか」
「即興で歌えば、思い付くでしょう」
と言って彼女は、例の子守唄のメロディに乗せて本当に、即興とは思えないほどに淀みなく歌ってみせた。朗々と詩を紡ぎ上げるその声は、母のように柔らかく、優しく、そしてこの上なく綺麗だった。
月の淡い光の下で、この人形のような美しい女が歌うからなのか、それとも、彼女の歌唱が美しいからそう映えるのか。
十分に歌い上げた彼女は、どうでしょうとばかりに――心なしか微笑が見える――小さく首を傾げて、
「ほら、赤ちゃんの笑い声が聞こえますよ」
人形はうっとりとした声音で、目を閉じ、耳に手をやって耳をそばだてて言う。彼女の言った通り、耳を澄ませてみれば、本当にどこからか赤子の鳴き声か聞こえてくる。どこからかは分からない。すぐそばで泣いているように思えるし、或いはどこか彼方から聞こえてくる気もする。そんなものである。その正体は不明。
「ほら、ほら、聞こえますよね」
人形は、身体と顔を狩人に、密着するほどにまで迫った。狩人はたじろいだ。
何か嫌なモノが迫りくる予感がしたのだ。名状し難い、理解不能な、言い知れぬ不安を纏った、それでいて興味深く甘美な何かが。
次いで狩人は、“あの夜”の終わりの間際で現れた、あの赤い月の魔物を思い出した。
あの時と似ている。赤い月から舞い降りたあの魔物に、狩人は怖気を感じつつも、その一方で、暗くどこまでも続く深い穴を覗き込んだ時にも似た高揚感を感じ、それに囁かれ、惹き寄せられていった。
そうしてあの魔物は、その細長い手で彼の身体を包み、抱きすくめた。
はっと狩人は我に返って、人形を押し退けて後ずさった。
人形は彼からの仕打ちに対して、気を悪くした様子など一抹も見せずに、ただ淡々と彼を見やるのみ。
先ほどまでのことが嘘のように、何事も無さそうに。
「やっぱりまだ寝ない……」
それだけ告げて狩人は再び現実世界に戻っていった。
「いってらっしゃい、狩人様……」
淡々と人形は彼を見送った。
次に目を開けたのは、ギルドの前でであった。
狩人はギルドに入った。入ってすぐに、正面奥にある受付が目に入る。その前には、簡素で汚れて血生臭い鎧を纏った男が立っていた。
「ゴブリンか?」
挨拶代わりに狩人はその男に尋ねた。声を掛けられた男は背を向けたまま、
「ゴブリンだ」
と返答した。
「そうか」
狩人は納得したように頷き、それから近くのテーブルに座って、懐から取り出したオルゴールのゼンマイを巻きながら、
「ラガーを一杯くれ」
近くの女給にそう注文して、またオルゴールの音に耳を傾けるのであった。
監督官さんがヒロインになるようです。まあビジネスライクな感じにする予定ですが。