これはきっとメンシス学派が白痴のロマを使って俺の論文を隠匿しているに違いない!
【1】
辺境の街のギルドで監督官を務めるこの女性は、その立場もあって苦労も多い。面倒な仕事を押し付けられることもしばしばだが、一番多いのは面倒な手合いの相手を押し付けられることである。
冒険者の信用という観念を理解しようとしない朴念仁、自信過剰で身の程知らずなヌケサク。そういった輩に対しても、ギルドの職員は義務として、彼らが問題を起こしていない内は強く言うことは許されず、諄々と懇切丁寧に道理というものを説かねばならない。
で、そういった面倒なのをいちいち職員たちは相手にしていられないし、新人に押し付け続けるのも忍びないので、監督官という少し責任のある立場であり、聖職者でもある彼女がやるのだ。監督官の彼女が、獣の狩人とよく話すのも、こういった背景があるからだ。
獣の狩人は、身も蓋もなく言えばこのギルドの問題児である。
一応、冒険者として腕は立つし、今までで問題を起こしたことはない。が、問題を起こしそうになったことはあり、またその苛烈な戦闘スタイルから、依頼を完了して帰ってくる度に返り血に塗れて物凄く生臭い。依頼の場所が下水だった時なんかは一際。
当然、そんな彼に応対したいという物好きは誰一人としていない。だから、獣の狩人が血塗れで帰ってきた時には、不在でない限りは彼女が出るようにしているのである。このギルドのもう一人の変わり者ゴブリンスレイヤーを応対している受付嬢に通じるものがある。
その一方で、監督官も獣の狩人に興味がないわけではない。それは彼がこの冒険者ギルドに初めて来た時からである。
当時彼を応対したのは彼女だった。
登録に当たって、文字が書けるかという彼女の問いに、狩人は首肯した。ところが、彼の書いた文字(チェコ語)は監督官には読めなかった。他にも彼は、別の言語で書いてみたが、いずれも彼女には読めず、結局彼女が代筆することになったのである。
彼が書いたあの言語は、おそらく本物の言語だろうと彼女は考えている。少なくとも、
だから興味深いのだ。
つい最近までは、機会が無いために彼女と彼は事務的な会話しかしてこなかったのだが、狩人とゴブリンスレイヤーとが初めて組んだことや、彼が新人の冒険者に期限切れかけの水薬や解毒薬を譲ったりといったことを足掛かりに話すようになり、世間話がいくつか出来るようになった。
で、その彼の口から語られる話が、彼女にはおもしろかった。中でも、チャールズ・ダーウィンなる人物らによって提唱された『進化論(自然選択説)』というものが、実に刺激的に感じられた。
遍く生物は、げに合理的で巧妙に仕上がっている。それこそ彼らを設計したのは全知全能の神なのではないかと思うくらい。教会の権威が強い時世では特にそうだ。だからこそ、昨今の学者たちは、その神の偉大さを証明するために生物を研究している。
これを否定するもの、それが進化論。古来より一部の人間らによって考えられていた理論。
そんな、教会に背く、ひいては神に背を向けるような理論。生物は初めから完璧に造られてはおらず、環境に適応する形で完璧になっていくという理論。
聖職者としては容認しがたいものであった。けれども、証拠こそ提示されてないが、理路整然と彼の口から語られる理論に彼女は引き込まれ、自身の内の世界が広げられ、凄く新鮮な気持ちにさせられるのであった。
嘘を見抜く彼女に、嘘のような本当の話を語る彼。きっと相性が良いのだろう。
さて、監督官と相性の良いかもしれないその獣の狩人が、今日も受付にやって来て、そうして監督官が対応する。
「ゴブリンの依頼が欲しい」
獣の狩人がそう口にすると、
「あっ、ゴブリンですか!」
と、ゴブリンスレイヤーの事実上の担当官である受付嬢が出し抜けに横から口を出してきた。彼女は嬉々として何枚かの書類を取り出してきて、
「どのようなご依頼が宜しいですか!」
狩人に見やすいようにその書類を広げて見せた。それらは彼女が独自に纏めたものらしい。どれもこれもよく纏められていた。何故かは不明だが、おめかししたゴブリンのイラストがある。ゴブリンにお見合いでもさせるのか。
「何これ、ゴブリンのお見合いの書類?」
渋い顔で監督官は小首を傾げて誰にともなく呟いた。
そんな彼女に構わず二人は話を進める。
「俺が面倒を見ているあの羽帽子たちに、ゴブリンの依頼をやらせてみようと思ってな」
「はい! でしたらこれは如何でしょう。被害状況から、そこまで数は多くないようですよ。それと――」
と言った具合に、狩人が言い終えるや否や受付嬢は、出してきた書類の中から素早くいくつかのゴブリン依頼を出してきて、滔々と説明を始めた。堂に入った説明をする様は、日頃から余るゴブリンの依頼に対する彼女の苦労が如実に現れている。
それから受付嬢は、何かを察知したように、急に説明の口を止めた。この直後に、ギルドの扉を開く音と一緒に来訪者を知らせるベルが鳴った。彼女は顔を上げて、入ってきたその人物を見て、そして俄かに顔を綻ばせたのであった。
「ちょうどよかった」
そんな受付嬢の様子を見ながら、獣の狩人がそう言った。
受付嬢はいそいそと元の受付まで戻り、近づいてくる来訪者ゴブリンスレイヤーを笑顔で迎える。
「ゴブリン」
彼女からの挨拶も聞かず、開口一番にこれである。いつもの調子だ。
「ゴブリン」
とゴブリンスレイヤーに声を掛けたのは狩人。
「ゴブリン?」
首を傾けながらゴブリンスレイヤーは聞き返した。
「ゴブリン」
狩人は首肯した。
それに頷き返したゴブリンスレイヤーは、受付嬢に向き直り、
「ゴブリン」
と狩人を親指で差して言った。
「はいゴブリン!」
と元気良く返事をして受付嬢は、狩人から差し出された一枚のゴブリンの依頼書を受け取った。
これら一連の流れを、監督官と、ゴブリンスレイヤーに付いていた女神官の二人は、怪訝そうな眼で見ていた。
「ゴ、ゴブリン?……」
ポツリと監督官が呟きを漏らすと……、
「ゴブリン」
「ゴブリン」
「ゴブリン!」
三人が一斉に彼女の方へ顔を向けて、またそう言うものだから、気圧されて彼女は顔を逸らした。
これ以降は、流石に彼女も関わるのが面倒くさかったのか、この変人三人衆のやり取りについては一切口を出さなくなった。
依頼の受付はとんとん拍子に進んでいった。ほとんどゴブリンしか言っていないが。
やがてそれも終わり、果たして二人は、再び手を組みゴブリン退治に赴くことになったのであった。
「行くぞ」
歩き出しながらゴブリンスレイヤーは、そばに居た女神官に声を掛けた。
「はい!」
当の女神官は、ごく自然に声を掛けられたこと、即ち仲間に数えられたことに気を良くしたのか、嬉しそうに返事をして、速足な彼の後をトテトテと小走りで追い掛けていく。
獣の狩人も、近くの席に座っていた羽帽子と女魔術師の二人に目配せをしてから歩き出す。見ていた羽帽子は、ニッと笑んで立ち上がる。心底嫌そうな顔で頬杖を突いていた女魔術師も、羽帽子に腕を掴まれて立ち上がらされ、しぶしぶと羽帽子と一緒に獣の狩人に続く。
彼ら一行は、ギルドに居た者たちの関心を著しく引いた。
ゴブリンスレイヤーと獣の狩人。口数が少なく、不愛想で、偏屈で、ほとんど他人と組まずに一人で依頼に行き、血生臭い異臭を漂わせながら帰ってくる。実は兄弟なんじゃないかというくらい共通点の多い二人は、類は友を呼ぶという言葉通りに、素っ気ないが仲は良いように見受けられた。しかし反面、二人が組んで依頼を受けることは、これまででただの一度しかなかった。仲の良い相手とさえも組まない、それが彼らという人物なのである。
その二人が最近、非常に珍しいことに一緒に組んだ。それだけでも寝耳に水だというのに、そのすぐ後に、二人とも時期を同じくして弟子やら相方やらを、それも見目麗しい乙女を同行させだしたのだ。
「おい、見たか。ゴブリンスレイヤーと狩人がまた一緒に、それも女連れで依頼に行くみたいだぞ。やっこさんらも、いよいよ身を固める気になったのかねえ。んで、この調子で臭いのほうもどうにかしてくれっといいが」
「いや、ないない。逆にあいつら、女にも血の臭いを染み付けるかもしれないな」
「あいつらだって男だ、たまには女ってもんが恋しくなるのだろうよ。慰安目的だったりしてな……、ククク……」
そして今度は、そのお互いの弟子・相方を連れ立って、再び共同で依頼を受けたのであるから、話題にならないはずがない。ギルドの鼻つまみ者を話題にするということもあって、英雄の活躍を引き合いに出す時よりも、内容は下世話である。
その時である。
彼ら一党の話をしていた者たちの中で、一段と汚い話をしていた者たちのテーブルを、鞭のような斬撃が襲った。上に置かれていた物は、その一撃によって割られたり、煽りを食ってテーブルの外に飛んでいったりした。野郎どもは仰天し、椅子ごと地面に転げた。
そんな彼らを冷たく見下す、羽の付いた三角帽子の女。左肩の貝殻骨の辺りからマントが垂れた黒い外套を羽織り、その首元からは翠玉色のブローチがあしらわれた白いスカーフ覗いている。狩人の弟子であると言われたら、十人が十人、納得するであろう出で立ちの女である。
その手に握っているのは杖の柄。しかしグリップと首の部分から先が無く、代わりにそこからワイヤが伸びていた。そのワイヤには、等間隔にひし形の鋭い刃が連なっており、それらは木製のテーブルに突き刺さっていた。
ワイヤは、まるで杖の柄の中に吸い込まれようとするかのように張っていた。そこで羽帽子は、杖を一瞬強く引っ張る。テーブルに突き刺さっていた刃たちは抜け、杖の柄に巻き取られるワイヤに従って、柄の下にノコギリのような形を取って棒状に連なった。
「今、誰か私たちに対して汚いこと言いませんでしたかね」
怒りを内包させた静かな言問いであった。
ギルド内が水を打ったように静まり返った。それまで好奇心のままにゴブリンスレイヤーの一党について話していた者たちは、皆一様に顔を青ざめさせて、羽帽子に目を合わせないよう顔を伏せた。
ギルドの職員も、止めるべきだとは思えど、羽帽子の剣幕に近付くことさえままならなかった。
「やめなさい!」
「あ痛っ!」
ただ一人、女魔術師だけは、羽帽子の頭をはたいて止めに入ることが出来た。
彼女は、なかなか出てこない羽帽子に痺れを切らして戻ってきたら、そこで羽帽子がよりにもよってギルドの中で騒ぎを起こしているのを発見したのである。だから慌てて止めに入った次第であった。不本意とは言え、女魔術師は羽帽子と組んでいるという状態にあるのだから、自分の評価に傷を付けないためには当然であろう。
女魔術師に首根っこを掴まれて引き摺られる羽帽子は、チッと舌打ちをして不承不承ながら女魔術師に従い、矛を収めて歩き出した。そうしながら手に持ったその杖の先を、突くように地面に叩き付ける。ばらけていた刃たちは火花を散らしながら噛み合い、そうして、刃の付けられた一本の杖へと戻っていった。
その後、何事も無かったかのように、一党は目的地へ赴いた。その途上にも、特段問題は無かった。強いて言うなら、
「ねえ、ねえ、どうして邪魔したんですかー。だってあいつら許せないじゃないですか! 女の敵ですよ、女の敵!」
未だギルドでのことを根に持つ羽帽子がぐちぐちと言い立てたり、
「何でゴブリンの依頼なんて行かないといけないのよ、嫌って言ったでしょ」
ゴブリンの依頼を受けるのが不服な女魔術師が渋ったりする程度であった。
【2】
件のゴブリンの依頼を出した村は、それなりの規模であった。自給自足のみの小さな集落とは違い、外部との交易による収入源を持ち、比較的豊かな生活のようである。
けれども住人の顔は浮かない。常に何かに脅かされてるようにピリピリとした面持ちで日常を過ごしている。
「張り詰めてますね……」
女神官が呟いた。
「規模の大きいゴブリンの群れに付け狙われているんだ、これが普通だ」
とゴブリンスレイヤーが答えた。
「ちょっと、勘弁してよ、ただでさえゴブリンは嫌だっていうのに、その上大規模な群れだなんて……」
こうぼやきながら女魔術師は、狩人に抗議の眼差しを向けた。
「ゴブリンは最弱だが、数は多く、そして狡い。だからこそ冒険者としての心得を学べる。それと、お前はゴブリンに慣れておけ、奴らは割とどこででも遭うからな」
それに対し狩人は淡泊に切り返した。ゴブリンにかれこれ三回殺されたことのある彼が言うのだから間違いない。
女魔術師は観念するように溜息を吐いた。
「あのう、もしや、ゴブリン退治に来た冒険者ですか」
と、おっかなびっくりな調子で、男性が一人、近づいてきた。所々に白髪の混じった薄茶色の髪の毛の、およそ四十代くらいの壮年の男であった。
「そうだ。そっちは代表者か」
応えるゴブリンスレイヤーに、男はたじろいだ。血の跡を付着させたままな鎧姿の人間が出てくれば、誰でもそうなる。
「え、ええ、そうです、ギルドに依頼を出しに行ったのも私です。まあ、ここで立ち話でも何ですから、まず私の家にでも――」
「歩きながらでもいい、いくつか情報が欲しい」
「そ、そうですか、解りました。では、みちみち話でもしましょう」
男は一瞬戸惑ってから、ゴブリンスレイヤーの言葉に了解し、歩き出した。それに従って、一党も歩き出す。
「巣の所在と、規模は判るか」
「まだ見つかっていません、どこから来るのかも分かりません、何せうちの村は周囲を森に囲まれていますから。探しに行った者も居ましたが、見つけることは出来ず、帰ってこない者さえもいます。数については、大勢……としか」
「
「ホブ?」
「常人より大柄なゴブリンだ」
「そう言えば、作物を盗んでいったゴブリンを追い掛けた者が、大きなゴブリンが居たと言っておりましたが……」
「骨で作られたトーテムは」
「さあ、どうでしょう……。捜索した者たちは、誰もそんな物のことは……」
「では、攫われた女は居るか」
「幸いにして、まだその被害はありません。……おそらく、あの娘のお陰でしょう」
何故か男はそこで言い淀んだ。
「あの娘とは」
男の様子などは気にせずゴブリンスレイヤーは質問を重ねた。
「あの家の娘です」
男は一瞬だけ、その家を指した。
その家から、ちょうど人が出てくるところだった。それは二十代後半くらいの男だ。
「ああ、彼はあの家の者ではないんです。あの家には母と娘が二人で暮らしていて、父親は既に逝去しております」
「へえ、ではあの人は誰なんです」
羽帽子が無遠慮な口吻で尋ねて、女魔術師に肘で小突かれた。
「母親の幼馴染と言ったところでしょうか。年は少し離れていて、子供の時分には姉弟のように仲が良くて。で、父親のほうが亡くなって以来、ああやって母娘の世話をしたりしてね」
「それで、その娘とは」
「……あまり人に話すのは憚られますが、あの子はちょっと前に冒険者になってたんです、一日だけですけどね。うちの倅が冒険者になるって言って家を出て、それについて行って登録したんです。ですが、二人とも、最初に受けたゴブリンの依頼で失敗して、私の倅は死に、あの娘はゴブリンどもに……」
そう語る男の表情と声は、徐々に沈痛そうに暗くなっていった。
彼だけにとどまらず、女神官と女魔術師の二人も顔をこわばらせていた。
どこかで聞き覚えのある話――ではなく、まさしく自身らに降り掛かっていた事と酷似していたのだ。自らが犯した罪に怯える咎人が懲罰者を前にした時みたいに、二人の心臓はバクバクと打ち鳴らされ、視界や音の感覚が狭窄していった。
「塞翁が馬とはよく言ったものです。あの娘がゴブリンどもに辱められた経験から出た助言のお陰で、今この村の娘は皆無事で、下手にゴブリン討伐に行こうとする血気盛んな馬鹿どもの被害が減らされているんです。私の主観ですが、でもそんな気がしてならない……」
情動を迸らせながら彼はそう語った。
「ゴブリン相手に用心するに越したことはない。仮令それに効果が無くとも、しないよりはマシだ」
淡々と、ゴブリンスレイヤーは無感動に返した。彼の性質上、これはフォロウと言うよりは解説しているに近い。
「ありがとうございます、そう言っていただけると気が軽くなります。――あ、ほら、娘のほうが戻ってきましたよ。あの、足を引き摺っている娘です」
そう言って男が示したのは、例の家に向かって歩いていく、黒い髪を頭の後ろで括っている女であった。年の頃は十代半ば、ちょうど女神官と同じくらいで、成人したばかりのまだあどけない顔立ちを残している。男の言った通り、右足が悪いのか、重心を左足に偏らせながら右足を引き摺って歩いている。
「あっ!」
と、女神官と女魔術師が同時に声を上げた。つい反射的に出た声だったためにこれは大きく響いた。それがその娘の方にまで届いたのか、彼女はは一党の方を向いた。
初め彼女は、目立つ風貌でかつ一党の先頭に佇んでいたゴブリンスレイヤーと狩人に目が行き、怪訝な顔をするのみだった。が、声の主が女であることから、次に後ろに居た女性陣のほうに目線を流し、
「え……」
女神官と女魔術師の二人と目が合うと、呆気に取られた声を漏らし、その場で立ち竦んだ。
しばしの間、両者は黙って見つめ合い続ける。片や女神官と女魔術師は驚愕のあまり、それと気まずさに何と声を掛けたらよいのか分からず閉黙する。そして方や娘――かつてその二人と一度だけゴブリン退治で組んだ女武闘家は、悪夢でも前にしたみたいに震えて、声も出せないでいた。
進化論について言及するためにネット検索して確認してみたら、進化論が否定されてた件。ジーザス。
でも、進化論が提唱されるような生物の体系がどうやって出来上がったのか気になりますねえ。今後調べてみたいな。「サピエンス全史」を読めば何か分かるかな(ステマ)