誰も居ない病室のベッドの上、心電図モニタに繋がれ、無機質な音の響く部屋の中。
老いて起き上がる事の叶わない身体でなんとか窓の外の景色を見れば、そこから見えるのはかつての学び舎で、そこでの思い出を想い、私はつい溜息をつく。
私が自分と同じ名前の読みをする少女に出会ったのは、中学二年の頃だった。
当時の私にとって、学校というものは酷く退屈なものだった。一度見れば大抵の事はすぐ出来る私にとって、もう覚えている事を繰り返す亀の歩みの様な毎日は、とてもとても退屈で、さらに言うと、当時唯一の楽しみであった姉との関係も少しギクシャクし始めていた頃だったので、学校というものに余計に嫌気がさしていた頃の事だった。
──何をしてもつまらない。これくらいの事、なんで皆出来ないんだろう。
そうした退屈の中で、新しいクラスとなり、それぞれが自己紹介する最中、希望に輝く瞳ばかりのクラスメイトの中で、ただ一人暗い瞳で自己紹介をしたのが彼女だった。
その子は、光の無い真っ暗な瞳で直ぐに自己紹介を終えた。その彼女へ私が抱いた第一印象は、唯の暗そうな人でそこまで印象に残る程ではなかった。しかし、少ししてから自己紹介が私の番となり、私の名前を聞いた彼女がほんの少し顔を上げ、私を見た途端にその瞳に彩りが現れたのが何故だか凄く面白くて、そんな彼女をもっと知りたいと思ったのが彼女との出会いだった。
どうしてそんな瞳をしているのか、なんで私を見て暗い瞳に彩りが現れたのか。その彩りは何なのか。長い退屈の最中に与えられた、探求欲をそそられるそれを知りたくて、休み時間になって直ぐに私は彼女の元へ向い、話しかけた。
「ねぇ、君はどうしてあたしを見てそんなに目をキラキラーってしてるの? ねぇなんで?」
今にして思えば、酷い言い方だっただろうと思う。けれど、当時の私にはそうした聞き方しか分からなかったのだ。良い言い方をすれば、真っ直ぐで天真爛漫。悪く言えば、空気を読めず、自分勝手。姉からよく注意されたが、それも言葉では理解しても本質としては理解できなかった。そんな私の聞き方にも、彼女は真っ直ぐに私の目を見て話してくれた。
「あっ……えっと……。確か、氷川さん……だよね? その……目がキラキラ? はちょっと分からないけど、私と同じ読みをする名前の人なのにこんなに綺麗なんて、ちょっと羨ましいなって……。私もそうなれたなぁって思ったの」
「なんで? どうして「そうなれない」なんて決めつけるの?
そもそも、あたしと君は同じ名前だけど違う人だから、君が羨ましいって思う理由がよく分からないんだよねー。
……それに、あたしは君もすっごく綺麗だと思うけどなー。特にその黒髪とか、るん! って感じするもん」
「うん……確かに違う人っていうのは分かってるんだけどね、やっぱり何処かで比べちゃうの。綺麗って言ってくれたのは嬉しいけど、どんなに他人が綺麗って言ってくれても、最後は自分の中で完結しちゃうものだから、氷川さんを羨ましいって思うんだと思うよ」
そう言う彼女の目は悲しみと諦めと思しき色に塗れていて、先程までの会話の会話の中で見られた瞳の彩りも無くなってしまっていた。その事が何故か嫌だと思い、つい私は彼女にこんな事を言っていた。
「ふーん、そう言うものなのかなぁ……。あっ、そうだ! 私は君のことをもっと知りたいし、君はあたしの事を綺麗だって、そうなりたいって思う。なら、友達になって一緒にいればその両方が出来ると思うんだけど、どうかな?」
私の差し出した手を握る時に浮かべた、彼女の少し困ったような笑顔は、今でも思い出せる程に私の心に焼き付いて、離れる事など無い程印象的だった。
そうして始まった彼女との日々は、かけがえのない時間だった。初めて彼女を自宅に招いた時に偶然居合わせた姉に「同じヒナでも貴女より落ち着きがあるし、少し見習ったらどう?」なんて言われて、拗ねる私を宥めてくれた事、そこから姉を交えた三人でよく遊ぶようになった。
あまり着る物に関心のない彼女を姉妹二人で着飾ってみたり、彼女の好きな本をプレゼントする為に姉と彷徨った事。二人を誘って天体観測をしたり、いつしか姉が始めたギターを二人で聞いて、私もギターを始めてからは彼女が歌い出して、私達が演奏する三人だけのライブをよくやった。テストの期間に勉強時間が圧倒的に少ない癖に、点数の良い私に二人から恨みの篭った目で見られた事もあった。そうして同じ時を過ごしているうちに、姉とも色々話す機会があり、いつの間にか関係がズレ始めていた姉との仲も少しづつ良くなってきて、彼女には本当に沢山のものを貰った。
いつしか私はずっと彼女の事を目で追っていた。彼女がよく浮かべる少し困った様な笑顔が好きで、一緒に居ると凄く幸せで、大好きな姉と彼女が一緒に居るだけで嬉しいけどイライラする事もあった。それを姉に言うと、頭を撫でられ「それはいつか日菜が自分で分かる日が来るわ」と言われて、自分なりに彼女の事を考えていくうちに、私は彼女が自分から「なにかをしたい」と言うのを聞いた事が無かったのに気付いた。
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「えっ? 私のやりたい事……?」
放課後の誰もいない教室、私の質問を聞き返した彼女に、アタシは語りかける。
「うん! 確か最初に会った時に、アタシみたいになりたいって言ってたよね。でもさー、最近あんまりそう言う事を言わないし、アタシやおねーちゃんと一緒に色々な事をしたり、色々なモノを貰ったけど、そっちから何かをやりたい。なんて聞いた事が無かったから、もしかして無理させちゃったりしたのかなーって」
「ううん、そんな事ないよ。日菜や紗夜といるのはすっごく楽しいし、こんな日々がずっと続けば良いのにっていつも思ってるから、気にしなくていいよ。……でも、やりたい事かぁ、強いて言うなら一つだけあるかな」
「えっ、なになに? 聞かせて聞かせてー?」
「えー、笑わない?」
「笑わない笑わない。だから教えてよー」
そう言いつつ抱きつく私を、いつもみたいに困った様な笑顔を見せて受け入てから彼女は、私が唯一聞く事の出来た彼女自身の夢を語る。
「もう……本当だよね? ……私ね、アイドルになりたかったんだ。こうして女として生まれたんだもの、一度でもいいから、あんなキラキラした場所に立てたらいいなぁってずっと思ってたんだ」
それは少し意外で、けれど納得のいく夢だった。私が見た彼女は、本が好きで物静かな自分とは逆の存在で、ああいった存在に憧れを抱く少女だった。だけど、彼女のアイドルらしい服を着た姿を思い浮かべてみると何故かしっくりきた記憶がある。
「えー! いいじゃん、アイドル! うん、絶対いいよ! 今からでも目指してみたら? アタシ、絶対おねーちゃんと応援するよ!」
「あはは……。もう諦めのついた夢だしいいよ。でも、ありがとうね、日菜」
私を抱き返し窓の外を見つめ、そう語る夕暮れに染まる彼女の笑顔は、どこか寂しそうで、私はどうしてか悲しくなった。
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「ねぇー、いきなりこんな所に呼び出してどうしたの?」
私達が中三となり、受験も近づいてきた秋の放課後の校舎裏に、私は彼女に呼び出された。その頃の私達はクラスも違っていて、私はともかく、彼女は受験に集中するという事で少し距離が開いてしまい、何故かイライラしてしまい、少しだけ強い口調になってしまった。
「あっ……。ごめんね、日菜。少しだけ、ほんの少しだけ話したい事があったから呼んじゃったけど、もしかして迷惑だった…?」
「別に迷惑じゃないけどさー、そっちは大丈夫なの? 顔色悪いよ? 早めに帰って休んだ方がいいんじゃない?」
その時の彼女は始めて会った時以上に暗い瞳をして、顔が真っ青で、身体も少し震えており、誰が見ても大丈夫なんて言えないような状態で、それでも「大丈夫」と何度も呟く彼女に、もう一度声をかけようとして───唐突に彼女に唇を奪われた。
その事を認識すると、どんどん顔が赤くなり、身体が熱くなり、思考がまとまらない。そんな中、唇を離した目の前の彼女は青い顔のまま話し始めた。
「ごめんね、日菜。もうこうするしかないって思ったの。──ねぇ知ってる? 日菜。私ね、会った時からずっと貴女の事が好きだったの。友達としてよりも愛する人として貴女の事を大好きだったの。……軽蔑するよね、友達にこんな感情を持つなんてさ。でも、もう我慢していられないの。──ねぇ日菜、私の手を取って。そうしたら、貴女がくれた私の大切なものの分私が貴女にイイコトをしてあげるから……」
分からない、分からない。天才なんて言われてた私でも、この感情が分からない。一体なんなんだろう、彼女の言葉を聞くだけで脳が甘い感情で満たされて、身体が火照り、本能のままにその手を取ってしまいそうになる。きっとその手を取れば、二人でシアワセになれるだろう、だけど苦しみの表情で語るそれは彼女の本当に望む未来じゃない。だから私は──彼女の手を弾いた。
差し出したその手を弾かれた彼女の顔は、泣きそうだけど晴れやかな笑顔で、私に「ごめんね」とだけ言い走り去ってしまった。私はその場にへたり込んでしまう。身体の力が抜け、動く事の出来なかった身体では本気で走ればいつもなら追いつけるはずの彼女の距離も、いくら手を伸ばしても届かなかった。
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その翌日に彼女は自宅のベランダから首を吊って死んでいるのが発見された。家で殴られて倒れていた彼女の父によると、家において彼女は実の父親を慰むモノとして扱われていた。妻を喪った男は歪んでしまった愛を実の娘に向け、それを吐き出していたのだ。そして彼女は以前の母と父の優しい記憶を胸にその愛を受け入れて来た。けれど、彼女は私やその周りに触れて、温かい場所に触れられた。
──そこから彼女の父との時間は地獄に変化してしまった。父の歪んだ愛は温かい場所を失う事への恐怖の時間となった。そして、娘の愛の受け入れ方が気に食わなかなったのか、歪んだ愛は飢えを覚え、より行為はエスカレートしていき、そして彼女の温かい場所への侵略を行おうとした。その父を彼女は自らの命をもって咎めたのだ。そんな父親の最期は対して覚えていない。愚かな男が愚かなまま死んだ、それだけである。
そこまで思い返して、私は鈍った身体を使い近くにある手紙を手に取ろうとするが、老いた身体では、まるであの日の再来の様に手が届かない。幾度となく涙に濡れてしまい紙は古く、文字も擦り切れてしまい読む事の叶わないノート一枚を雑に切ったボロボロの手紙。手に取る事は叶わないけれど、その内容は一語一句違わず覚えている。──これは彼女からの最期の言葉なのだから。
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日菜へ
この手紙を読んでいる時にもう私はいないでしょう。ベタな始まりになってしまうけれど、ごめんね。
こうして手紙を書いたのは、改めて謝りたかったから。私ね、実は最初に会った時に日菜の事が嫌いだったの。いつも輝いてる日菜を見てると「どうして同じ名前の私はこんな目に遭わなきゃいけないの?」って凄い苦しかった。でもね、日菜や紗夜と一緒にいるうちに温かい場所を知れた。だから、どんな辛い事でも耐える事が出来た。
日菜は私から色々なモノをくれたって言ってくれたけど、本当に色々なモノを貰ったのは私なんだよ。昔は優しいあの人に好き勝手にされて、しょうがないって諦めていた私に、日菜は恋をくれた。あの人からの歪んだ愛以外の愛を知れた。アイドルに成りたいなんて、とっくに忘れてた夢も思い出させてくれた。呪うばかりの毎日を温かい毎日に変えてくれた。それは全部私の人生で最高の宝物なんだよ。
最後の告白はね、本気だったんだよ。あの人に日菜を家に連れて来いって脅されて、日菜に家に来させない為に思いついた方法がこれしか無かった。だから、あの時私の手を弾いてくれてありがとう。だって、あの人の愛が日菜達を犯すのはどうしても耐えれなかった。
あの人に反抗したけど、殴られて、犯されて、無能な売女だと罵られて、そんなのはもう耐えられない。だってあの人は日菜も自分のものにすると言った。殺そうと思ったけど、殺しきれなかった。だから、私は死ぬ事にしたの。日菜達と共に生きる事が出来ないのが最期の心残りだけど、それだからこそ日菜達には悔いなく生きて欲しい。それが自分勝手に死ぬ愚かな私の最期のお願い。
さようなら、私の大好きな人。そして、ごめんなさい。
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──そうだ、この手紙を読んでようやく、今まで抱いていた彼女への想いは恋だったと知ったのだ。何が天才だ、大切な初恋の彼女のへの気持ちすら理解する事が出来ないなど、全く愚かにも程がある。──今更気づいた所で彼女はもう居ないというのに。
もっと一緒に居たかった。私が手を引き、姉が咎め、その姉を彼女が宥める。そんな優しく温かい毎日が楽しくて、大好きで、ずっと続くものだと信じていた。そして、漸く知ったこの感情を伝えたかった。それなのに、何もかもが呆気なく終わってしまった。
その事に涙し、部屋に閉じ篭もっていた私に、部屋に押し入って来た姉はビンタと共に語りかける。
「いい加減にしなさい、日菜。貴女がいつまでも塞ぎ込んでいてどうするのよ!……あの子が亡くなって悲しいのは分かるわ、私だってそうだもの。……けど、私達がいつまでもそうしていたら、あの子は浮かばないじゃない! それでもどうしたらいいか分からない?……はぁ、──そうね、だったらあの子が生きた証を作ってみたらどうかしら?」
その姉の言葉にどれだけ生きる気力を貰っただろう。彼女が生きた証を作る。その言葉と彼女の最期の手紙が私をここまで生かす原動力となった。せめて私の最期くらいはあの手紙を手に取りたかったが、仕方ない。きっと、あの日彼女の手を弾いた報いだろう。
──あぁ、そこから長い時が経ったのだと老いた身体を思い、実感する。そこからの人生は本当に沢山の事があった。高校生になり、ふとした事で、彼女の憧れていたアイドルになった。私の事情を知り、それでも共に進もうとしてくれた『Pastel*Palettes』の個性豊かな四人や、様々な縁で出会った人達と過ごした時間は、彼女と過ごした時間にも負けない程に充実していた。海外の大学に進むにあたり、『Pastel*Palettes』を抜けざるを得なかった私を、皆は最後まで応援してくれた。
そこからはあっという間の時間だった。大学で宇宙を学び、それを職にした。そこでの生活は、性別や生まれなどで様々な困難もあったが、あの言葉と手紙がある限り、決して心が折れる事はなかった。そうしているうちに、いつの間にか私も随分と歳を取っていた。「宇宙開発の母」なんて大層な呼び名を得た頃に、私は彼女と過ごしたこの街に帰ってきた。
そうして帰ってきたこの街で、かつて共に過ごした友と過ごした第二の時間は、少し前に終わってしまった。皆、先に行ってしまった。
──キラキラと空に煌めく五つの星は、輝きを失えど、皆の心を照らし続けた。
──世界を笑顔にする事を願ったパレードは、長い時を経てその想いに応え始めた世界に後を託した。
──黄昏に自分達を歌った幼馴染達は、自分達の意思で自らの道を歩み切った。
──頂点に咲き誇る青い薔薇。それは枯れて散っても、今も皆の心に咲き続けている。
──そして、一色抜け、散り散りになったパレットでも、その色彩は決して曇る事なく最後まで人々の心を彩った。
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そうして私も、もうそろそろ彼方へと行くのだろう。……少し、視界がぼやけて、どんどん眠たくなって来た。
此方に残した悔いなどはない。もう彼女が生きた証を刻めたのだ。宇宙の中にある、人類にとっての新たなる故郷となり得る遠き星のフロンティア。その名も「ヒナボシ」。今では誰も由来を知らない、もう手の届かない彼女の名前を模した、手の届かない星に手を伸ばしたもの。その完成まで生きれたのだ、もう思い残す事はない。
あぁ、もう病室に響く無機質な音も聞こえない。看護師と思しき人の気配もするが、その姿を見る事も叶わない。もうすぐ彼女のいる場所に行けるのだろう。
もしも彼女に会えたら、まずは一発殴って、勝手に先に行った事を謝らせて、それを許そう。そしたら今までの土産話を飽きるまでしてやろう。姉や先に行った友達と話をするのもいいかも知れない。───それはきっとるんっとくるものに違いない。
そんな事を考え、薄れ行く意識に身を任せて目を閉じる。願わくば彼女と再び会える事を信じて。
──そうして消えた意識の先、あの頃のように困った笑顔を浮かべる、大好きな彼女が差し出した手を握る。今度こそしっかりと手を伸ばし、掴む事が出来た。
──やっと、会えたね。言いたい事は沢山あるけど、今度は絶対その手を離さないよ。……私の大好きな人。