「あーもう! だからまどかって大好き、愛してるよー!」
そう言って、美樹さやかはまどかに抱きついた。何の躊躇いも無かった。
「えへへ、うん、わたしもさやかちゃんの事が大好きだよ!」
「ええー? 愛してるって言って欲しいんだけど……」
抱きしめられながらも、まどかは心からの物だと分かる笑顔を浮かべている。あんなに楽しそうな顔をした姿を見ていると、何やら心は軽くなり、私まで優しい気持ちになるものだ。 しかし、ただ、美樹さやかとまどか、二人が並んで抱き合い笑い合う姿を対面の席で眺めるだけの状況に、ほんのりとした寂しさはあった。邪魔になっている気がする程度には二人はとてもお似合いで、ぴったりと噛み合っていたからだ。
「愛してるっていうのは、ちょっと……なんだかこう、恥ずかしいっていうか」
「なるほどね。まどかに言う分には、あたしは平気かな」
ウインクをする姿に、まどかは「えへへ」と声を漏らした。
美樹さやかの腕の中で、甘える様に寄りかかっている。私には決して向けられない、彼女の中の幼さにも似た部分が顔を出している。
そんな態度を美樹さやかは当然といった風に受け入れて、まどかの頭をさわさわと撫でていた。子供でもあやす様な慈しみのある手つきで、まどかはくすぐったそうであっても決して抵抗はしない。
普段よりも、まどかの顔には朱が混じっている。
「相変わらずまどかは抱きしめると、なんていうの? ふかふかしてるんだよね。で、気持ちいい。うーん、やっぱりやめらんないわ」
「ふかふか……ひょっとして、太っちゃった?」
「いやいや、まどか。あんたは全然変わってないよ。会った時からかわいいままだし」
「えへへ。そうかな……そうだったら嬉しいな」
美樹さやかの手がまどかのお腹に触れた。さすさすと撫で回した後で、今度は感触を確かめながら押し始めている。
まどかは嫌がらない。「もう、さやかちゃん」と口にするだけだ。確かな信頼関係があるからこそ、無防備にできるのだろう。
「うん、ほどよく柔らかで良い感じ。太ってないよ」
「そ、そっか……」
「もしぽっちゃりしちゃったら、その時は言ってあげる」
「お願いね、さやかちゃん」
「任せとけー。あ、でもあたし的にはまどかのお腹周りをぷにぷにってするのも中々」
まどかが大きく首を振った。あまりに大げさな仕草に、美樹さやかが微笑んだ。
「やだ。絶対に嫌だもん」
「はいはい、その時は一緒にダイエットしよ? 協力するからさ」
「む、むぅー、ひどいよ。将来絶対に太るみたいに聞こえる」
「あっははは。拗ねない拗ねない。まどかはよく食べるからねー」
「うー……そんなに食べないってばあ……」
いじけた様な困った声をあげながら、まどかの顔がこちらに向けられた。
必死だ。
「そ、そんな事無いよね。ね、ほむらちゃん」
「……ええ。でも油断は禁物よ」
「う、うん」
「心配する必要は無いわ。ただ、ちゃんと体には気をつけないと。太りすぎても、痩せようとして無理をするのも健康に悪いから」
「そーそー。無理なダイエットなんてやっちゃ駄目なんだからね」
「え、ええ? 流石に無茶な事はしないよ……」
「まどか。健康は大事なものよ。本当に、無茶はしてはいけないわ」
「あんたが言うと説得力が違うねえ」
まさか、私に話が来ると思っていなかった。動揺が声に出てしまったかと不安になる。
だけど返答はシンプルで、まどかがまどかで有る限り、私にとっては最愛の人である事に変わりは無い。彼女はいつだって内面から魅力が溢れている。外見だってもちろん愛するべき物だけど、それ以上に心が愛おしい。
美樹さやかの言う通りで、まどかが少し太ってしまっても可愛らしく見えるだろう。体つきがが好きだからまどかと一緒に居るわけじゃない。だけど、本人は気にしている。だから優しく釘を刺した。
まどかの望みで、私にとって許容できる事ならなんでもしてあげたいし、したいのだ。まどかが余分な脂肪を気にしているのなら、可能なら貰っても構わない。
「ちなみに、まどかから見てあたしはどうかな? いや、まあ、変わってないと良いんだけど……」
「さやかちゃんの?」
美樹さやかが割り込んで声をかけた。彼女にしては声が小さい。
彼女の身体は、やはり特に太っている印象は無かった。全体的にまどかより快活で、動き回っている姿がよく似合う。
健康そのもの、という風な体型を羨みはしないけど、本人の気質も含んだ明るい雰囲気は私にはないものだ。ほんのり焼けた血色の良い肌からは、まるで全くひ弱さが感じられない
まどかが彼女に助けて貰ったと言うのも間違いない事実で、端から見れば普段の彼女はとても頼りになる方に見えた。魔法少女としては不器用な生き方しかできない人だけれど、人間としては私などよりも余程信じられる。
まどかも同じ様に感じたらしく、懐かしそうに目を細めた。
「うん、大丈夫だと思うよ。さやかちゃんは昔からキュッとしてたしね」
「まあね。うんうん、まどかにそう言って貰えるなら、あたしもまだまだ大丈夫そうか」
「さやかちゃんはいつも格好いいよ。わたしじゃ、さやかちゃんみたいな風になるのは無理だと思う」
「ありがと。でも、あたしみたいなまどかは見たくないなぁ。あたしはまどかと違ってさ、可愛い感じは無いし?」
「ええー? そんな事ないよ。すっごく可愛い。格好いいのと可愛いのがいっぱいだって思うの」
「そ、そう? て、照れるね」
腰に手を当て、自分の姿をまどかに見せている。いつも通りの美樹さやかだけれど、こうして見ると私達より少しだけ背が高い。見知った青い髪も普段より艶を感じる。
恐らくは目の錯覚だ。何かがあったという話は聞いた事がない。ただ、まどかに褒められる事で胸を張って自信を示した彼女は、私が知っているあの美樹さやかよりもずっと綺麗で、魅力的だった。
「あたしを褒めちぎって照れさせる悪いまどかにはー……こうだっ!」
「うひッ、ひゃあっ」
頭を半ば乱暴に撫で回されて、まどかは困った様に声をあげた。それは決して嫌な物ではなく、むしろとても嬉しそうですらあった。
気づけば美樹さやかの膝にまどかが乗っている。あまりにも自然過ぎていつから乗っていたのかも分からない。お互いの頭を撫で合い、愉快そうに笑い声をあげる姿は息がぴたりと合っていて、相手の体を支え合っている。
二人の間に入っていけなかった。気づいた時には美樹さやかとまどかばかり話していて、私は会話に相槌を打つだけだ。こういう時、自分が昔とまるで変わらず弱い人間である事を実感する。
「さあ、まどかであたしと来れば、そうなってくるとやっぱり気になるのは」
「ほむらちゃんだよね」
そんな時、二人の目線が私の腰回りに移った。
思わず腰からお腹を両手で隠す。しかし、余計に二人の注目を引いてしまったらしく、視線がより確かな物となった。
それ以上の視線に耐えられず、顔を背けて逃れた。私は褒められる様な体つきではないし、胸を張れる物も持っていない。凡庸で、病み上がりだと示すひ弱さだけが特徴だ。だから、見られるのがあまり好きではなかった。むしろ居心地が悪いほどだ。
きっとこれが誇れる部分のある人ならば、堂々と人に自慢できるだろう。けれど、私には特にない。
「ま……言うまでもないか。腰細いよねー」
「羨ましいなあ……」
「……そんな事はないわ」
思わず自分の足からお腹周りを眺める。確かに、目の前の二人より比較的細いけれど、細いというよりは、やはり薄い。
その隙にまどかの指先が二の腕に絡まっていた。
「腕も細いんだね。いいな、いいな。どうしたらほむらちゃんみたいになれるかな?」
二の腕から爪の先まで、まどかが私に触れている。優しく感じ入る風になぞられて、彼女の温度が一杯に広がった。
鍋の中でまどかに体中を煮込まれている気分だ。このまま茹だって溶けてスープになってもおかしくない。気分が良くて舞い上がってしまう。まるで自分が、美樹さやかの様なまどかの親友として扱われている気がして。
くすぐったさと気恥ずかしさはあって、だけど、嬉しい。まどかは当たり前の仕草で私の腕を掴んだり、自分の腕と比べて声をあげていた。
「私みたいになる必要はないと思うけれど……あまり食べていなければなれるわね」
「あれ、栄養は?」
「魔力でどうとでもなるでしょう……極端な話ならね。でも、そこまで食費に困っている訳ではないわ。単に魔法少女をやっていると激しい運動が多いからかもしれないわね」
「でも、ほむらちゃんって入院していた頃の身体とそこまで変わらないんだよね?」
「……それは、確かにそう。病院食だったからなのかもしれない」
そうだ。あまり気にしていないけれど、昔はそれなりに長く病院にいた。退院してからの人生が濃密過ぎて、今ではもう思い出す事も少ない。
ふと、頭の隅にあの黒いフードを被った子を思い浮かべる。ガラスのマントを羽織った彼女とは連絡を取り合っていた。幾分苦戦しながらも、何とか友達が出来たらしい。私にとってのまどかの様な、そんな素晴らしい人と出会えたのだろうか。
そんな事を僅かに考えながらも、視界には常にまどかが居た。彼女のかわいらしくて柔らかくて温かい腕と、私の腕。どちらが人に魅力を感じさせるのか。考えるまでも無い事だ。
「心配しなくたって貴女はとてもかわいらしいし、私にはない沢山の魅力を持っているわ。私みたいになる必要なんかない。貴女は貴女のままで有ればいいの。貴女の良い所が分からない人の事なんて気にしないで。私も、美樹さやかも、ちゃんと分かってるから」
「う、うん」
「そりゃ、ほむらみたいな体型はちょっと似合わなさそうだよね」
「……そういう話では無いわ」事実ではあるけれど。
「分かってるっつーの」
夢中で話してしまったけれど、よく考えるとここまで真剣になる必要はなかったかもしれない。
途中から本気になって、まどかを戸惑わせてしまった。
「ま……そういうとこも含めて、あたしの愛するまどかなんだからさ。もっと自信持ちなよ? あんたは十分、魅力のある子なんだ。でしょ、ほむら」
「もちろん、その通りよ」
「えへへ……ありがとう、二人とも」
まどかの顔がほんのり赤く染まっていた。私の耳でも分かるほど、声が明るく弾んでいて、そのまま空の彼方まで飛んでいってしまいそうだった。
両頬に手を当てる仕草も相まって、私にもその喜びが波及する。素直に己の気持ちを見せていて、心が真っ直ぐに伝わるのだ。
「お、どれどれー」いきなり、まどかの後頭部に美樹さやかが顔を押しつけた。
「ひゃっ……い、いきなりなにっ? どうしたの?」
「いやぁ、やっぱまどかって良い匂いするよねえ」
「ち、ちょっと恥ずかしいよ……」
「大丈夫、大丈夫だって。よしよし、髪もしっかりふわふわしてるね」
やっぱり、美樹さやかはまどかの表情をたくさん引き出す。
私と一緒に居る時よりも、ずっと豊富な感情表現を見せるのだ。困っていたり、ちょっと怒って見せたり。その中に含まれる愉快そうな雰囲気は横から見ていても、楽しそうだった。 まどかと美樹さやかが共にある時に現れる空気感。私にとってはまるで縁の無いものだった。
私は、美樹さやかみたいに、あんな風にまどかをからかう様な冗談は言えない。
この二人の関係は、本当にただ、深く仲の良い親友だ。だからこそ、こんなに気安く、こんなに楽しそうなのだ。
比べてみると、私とまどかの間には確かな上下があった。
まどかが上、私が下。まどかにとっての私がどんな存在であれ、私にとってのまどかは尽くすべき友達。
それはどれほど時間が経って関係が変わっても揺らぐ事はない。まどかは知らなくたって、私は理解している。だから、まどかが私を愛してくれるんじゃなくて、私がまどかを愛している。まどかが私を忘れても、私がまどかを覚えてる。
私がまどかを想っている限り、美樹さやかよりも距離を詰める事は決してできないのだ。私がまどかから距離を取ってしまうから。
昔から、そんな美樹さやかを羨ましく思うと同時に、まどかと対等な関係にはなれない自分の人間的な魅力の乏しさと心の弱さを悲しく感じていた。
「さっきからなんであたしを見てるワケ?」
美樹さやかはまどかから離れ、目の前に移動してきた。
「……別に意味は無いわ」
「あ、絶対嘘。よくよく見ると分かりやすいわ、あんた」
ずい、と美樹さやかの顔が近づく。
この青い瞳は、私に厳しい視線を送ってくる事が頻繁にあった。今はそうではなくて、むしろ笑い混じりだ。
「あー分かった。あんたもまどかに愛してるって言って欲しいんでしょ」
彼女は時々鋭い。今もそれなりに近い事を言い当てた。
が、逆だ。まどかに言われるのは嬉しいけれど、そこじゃない。
「違うわ」
「えー? じゃあ、あたしに言われたいの? 言ってあげよっか?」
「それは……本気で言っているの?」
「素の反応をされると傷つくんだけど」
美樹さやかは大仰に、かつふざけて顔を覆った。
指を少しだけ下ろして見せると、瞳だけを隠さず露わにした。やはり、その視線に敵意はなかった。
「まあ良いじゃん。確かにあんたは無愛想だけど別にさ、あたしと仲が悪くはないでしょ」
「……」
「ほら、友達として手伝ってあげる。まずはほむらからまどかに言ってみなって。いいじゃん友達なんだから。あ、なんだったら席外してあげよっか?」
「ちょっと……美樹さやか……」
「何をしおらしくなってんだか。あたしと話す時はいつも強気な癖に」
「あはは……さやかちゃん、ほむらちゃんをからかっちゃダメだよ……」
まどかの注意もさほど気にせず、美樹さやかは殆ど冗談で、しかし少しだけ真剣味のある視線でこちらを注視している。
「ほら、早く」なんて私を焚きつけてくる。その間にまどかの背を押して私の目前にまで運び込んだ。何てことをしてくれるのだろう。私にはそんな、こんなに素直な言葉でまどかを表現するなんて到底できない。いや、まどかが望んでくれるなら頑張ろう、頑張れる。だけど、お願いだから押さないで欲しい。美樹さやかにとっては友達同士のちょっとした遊びでも私にとっては冗談では済まないから。だって私はまどかが大切だ。まどかに素直に気持ちを口にしたらどれほどの言葉が出てしまうのか分からない。のに、やんわり止めてくれているまどかですら、どこか興味がある様子でこちらを覗き込んでいる。
まどかがそれを望むなら叶えてしまいたくなる。喜んでくれて、幸せな気持ちになってくれるというのであれば、私は命も魂も捧げられる。恥ずかしくたって我慢しよう。怯えで震えてしまっても目はまどかを見つめ続けよう。
ついにまどかと正面から向き合ってしまった。美樹さやかは少し後ろで私が逃げられない様に背中へ手を当てている。他人に背中を触られ続けるのも中々に変わった経験だ。気持ち悪くは無いけれど、そんな事を気にしている場合ではなかった。
「……ぁ……その、まどか」
自分でもひどく焦りきった声だと思う。だけどまどかは、普段より神妙な面持ちで待ってくれた。
それが却って緊張する。感情のまま彼女に向かってしまった事はあったし、泣いた事も一度や二度ではない。けれど、こうしてただ、まどかに好意を示す為だけにまどかに好意を示すのは、一体どれほど前の事だったか。
「まどか……」
自分の声が震えていた。視界にはまどかしか入らない。
温かな瞳が戸惑いながらも見つめ返してくれている。
「う、うん」
「えっと……貴女の事は、好きよ」たまらず視線が下に向かった。「ええ。好き」
「わたしも、ほむらちゃんの事が大好きだよ」
「うん、ありがとう。私は、あなたが最高の友達よ……これは本当だから、そう、ね、これが私の気持ち」
「うん」
無理矢理言葉にしたからか、ぎこちない雰囲気になってしまった。
胸を張って大切だと言える、世界で唯一無二の愛するべき友達。
私は自分に自信がない方だ。それは自覚がある。人間的にも非常に魅力がある存在だとは言いがたい。むしろ良くない部分ばかりある存在だ。昔の自分も今の自分も、何にしたって褒められた人間ではない。しかも、今の自分になってからは悪口ばかりを言う嫌な人間になってしまった。
だけど、それでも私はまどかこそが大事だった。私がどんな人間であったとしても、どんなに罪深い存在だったとしても、「まどかは素晴らしい」という一点はまるで変わらない。そして、私がまどかを助けたいと思う気持ちにも変わりは無いのだ。
心がまどかを想っている。まどかに正面から自分の気持ちを伝えたら、瞳から涙が溢れかけていた。潤んだ目で視界が僅かに歪むも、まどかの姿ははっきりと見える。
「……私は」
ずっと自分に口を封じて、想いは内側に留めていた。こんなにはっきりと表に出してしまったから、秘めていた感情が奥深くから爆発的に広がってきた。
ああ、私は決して、まどかへの気持ちを間違えない。間違えたくない。この私の中で暴れ回る感情の暴力は、例え私を傷つけたとしても、まどかを貫く矢であってはいけない。
まどかは世界でたった一人の大事な友達で、だから、そう、私はまどかが。
「大好き」抑えきれず、声が漏れた。「愛してるわ」
小声だったけど、まどかには聞こえてしまった。彼女はその目を見開いたのだ。
しまった、と顔が青くなるのが自分でも分かる。
思ったよりも感情がこもってしまって、きっと冗談には聞こえない。
遊び半分の会話で言うには重すぎただろうか、気持ち悪くないだろうか。私みたいな距離感の人間が言って良かったのか。まどかにとって私はその他大勢の友達で、美樹さやかみたいに近い人間じゃないのに。
思わず出てしまった言葉が自分の中で繰り返される。まどかの為なら嫌われるのも引かれるのも怖がられるのも構わない。だけど、必要も無いのにまどかに避けられたくない。
恐怖に苛まれながらも、無理矢理にまどかの顔を直視した。
「うん! ほむらちゃん、ありがとうっ!」
私のそんな心配を吹き飛ばすかの様に、彼女は思いっきり笑って受け止めた。
そして、まどかは勢いに任せて私に抱きついた。
美樹さやかの笑い声が、遙か彼方から聞こえてきていた。