【遊馬と万丈目で】 YU-JO!【時空を超えた絆】 作:千葉 仁史
1:After The World
雨が降っている。
大人しく、しとしと降っていた雨は、いつの間にか土砂雨となっていた。だが院内では、アスファルトに叩き付けるような雨音はストレッチャーの走る音によって完全にかき消されていた。
「血圧低下! 呼吸器とカンフルを用意しろ!」
「先生、CTの準備は出来ています!」
「ショック症状が出ている! 血圧監視! 内出血の可能性あり! 輸血準備だ!」
「すぐに心臓マッサージを!」
見知らぬ男を乗せたストレッチャーは、あっという間に廊下を駆け抜け、手術室へと消えていった。十三歳の遊馬にストレッチャーを囲む医師や看護師たちの言葉の意味は何一つ分からなかったが、ただ一つ、黒髪の彼が非常に危険な状態だと感じていた。それでも、病院に担ぎ込まれたからには彼は助かるだろう、と遊馬は安易に信じていたかった。取り留めもなく佇んでいると、「坊や」と手術室に入らなかった救急隊員から呼び止められた。
「彼が握っていたものだが、君が持っていてくれるかい?」
坊や、だなんて! もう来月で中学生なんだぞ! 遊馬が憤慨する前に、その男性から手渡されたのは名も知らぬ瀕死の彼が握り込んでいたデッキケースであった。俺が持っていて良いのか? と尋ねようと顔を上げた頃には、既に救急隊員の男性は廊下の遥か端へ去っていた。ちぇっと不満を漏らすと、再度デッキに視線を戻した遊馬は何の躊躇(ためら)いもなくデッキケースから出したカードを扇状に広げる。
「なんだ、これ? 《アームド・ドラゴン》? LV(レベル)モンスター?」
瞬(まばた)きを繰り返す。エクストラデッキではなく、メインデッキに入っているということはモンスターエクシーズではないのは確かだ。愛嬌のある低いレベルの橙(だいだい)色のドラゴンが、カッコいい高いレベルの鋼色の鎧を身に纏(まと)ったドラゴンへ進化(成長)していく様に想像が掻き立てられていく。見たことのない種類のカード群に遊馬は興奮が隠せなかった。
「遊馬。ばあちゃんが迎えに来るから、アンタは先に帰りな。私は記者だし、第一発見者だから残るわ」
「姉ちゃん! あの人のデッキ、すげぇぜ! 全然知らないカードばっかりだ! LVモンスターって、どうやって使うんだろ? あの人が元気になったら聞いてみようかな」
「遊馬」
手術室の扉上の赤いランプを能面のように見詰めていた明里は、弟の無邪気な問い掛けに名前を呼んで窘(たしな)めただけだった。姉ちゃん? と遊馬が再度呼びかけると、明里はくるりと振り向いて急に抱き締めてきた。その行為の意味が分からなくて、振り向き様に一瞬見えた姉の辛そうに歪んだ表情の理由を知りたくなくて呆然としていたら、聞きたくない推察を彼女は口にした。
「あの子、助からないかもしれない」
記者として様々な場面に遭遇したことのある明里の憶測に、温もりを与えられるはずの抱擁が一気に冷たく恐ろしいものに変わるのを遊馬ははっきりと感じ取ったのだった。
2:生(なま)暖(あたた)かい風
「あ、目が覚めた」
天窓から朝日が差し込んでいる。惜しいなぁ、と万丈目がハンモックからパッと手を放した。
「……万丈目?」
「さん、だ。学校が休みだからって、いつまで寝ている気だ? 鉄男たち、もう来ているぞ」
「マジ!?」
寝ぼけ頭の遊馬が急に起き上がるものだから、バランスを失ったハンモックがぐるりと一回転して、朝っぱら早々に大きな音を立てる羽目になった。結局、万丈目が悪戯しなくてもハンモックから落下し、床と接吻した遊馬は目を回す。そんな遊馬に万丈目は非情にもからからと笑いながら、約束の時間をとうに過ぎ去った時刻を指すDゲイザーを見せつけただけだった。
「痛たた……って、もうこんな時間かよ!? 万丈目、どうして起こしてくれなかったんだ!? バイトは!?」
「万丈目さん、だ! 残念ながら俺は貴様の目覚まし時計ではないのでな! それに今日は鉄子さんと闇川の野郎が店番だから俺様は非番だ」
「くっそう! アストラルもどうして起こしてくれなかったんだ!」
『アストラルさん、だ。私は君の目覚まし時計ではない』
「おい、アストラル! 俺様の台詞をパクるな!」
三人で騒いでいたら、風通し用の窓から鉄男と小鳥の声がする。慌てて遊馬が窓から身を乗り出すと、憮然とした態度の幼馴染の二人が立っていた。
「おーい、遊馬! デュエルする約束、忘れちまったのか?」
「置いてっちゃうからね!」
うわ、やっべぇ! とぼやきながら、遊馬は転がるようにして階下へ向かっていった。それも本当に《転がって》いったらしく、所々にぶつかった音が響き、とどめに明里の怒号まで聞こえてきた。
「遊馬! アンタ、朝からなに騒いでいるの!?」
「うわー、ごめんよ、姉ちゃん!」
「朝から賑やかな奴」
階下から聞こえる姉弟喧嘩に呆れつつも、万丈目の表情には穏やかさが帯びていた。ロフトの窓から万丈目が外を見ると、食パンを咥(くわ)えた遊馬が明里から逃げるようにして玄関から飛び出し、祖母のハルから「気を付けるんじゃぞ」と笑顔で見送られ、九十九家に居着いたオボットことオボミには「朝寝坊、ヘタクソ、遊馬」と訳の分からない煽りを受けている。小鳥と鉄男に挟まれ、ペコペコと謝っていた遊馬だったが、アストラルに言われて気付いたのか、窓から覗いている万丈目に大声で大きく手を振った。
「万丈目、行ってくるぜ!」
「さん、だ! 馬鹿遊馬め、とっと行っちまえ!」
それよりも大きな声で訂正する万丈目に、にししと笑って遊馬は走り出した。悪夢という名の現実に起こった過去が遠ざかり、朝日に皇の鍵と帝の鍵が同時に煌めく。今日は絶好のデュエル日和だぜ! と遊馬は喜ぶと、幼馴染二人を連れて駅前広場に走って行った。
(明里さんに『デュエルをやってもいい』と認められたからって、浮かれすぎだろ。でもまぁ、色々あったが、遊馬の奴が元気になって本当に良かったぜ)
だんだん小さくなっていく背中を見ながら、窓を開け放したまま、万丈目は大きく伸びをする。生暖かい風が眠気を誘う。遊馬を信じ、支えると決意してから一週間以上が経過し、その間に様々な出来事があった。
3:ナンバーズハンター
その日の天気は夕立だった。傘を持たずに中学校に行ってしまった遊馬をハルはずっと心配していた。お風呂を沸かしておかないとのぉ、と漏らす彼女に代わって万丈目が湯加減を見ていると、その心配の種が帰ってきたのか、玄関扉の開く音が聞こえてきた。だが、遊馬が帰ってきたにしては随分静かだ。小鳥とハルの女性陣の声しかしない。不思議に思って万丈目が廊下に顔を出すと、頭の先から足の爪先までびしょ濡れになった遊馬が立っていた。体だけじゃなく、瞳の中の炎まで雨に降られたのか、完全に憔悴してしまっている。
「遊馬! おい、何があった!?」
いつもらしさが消えた遊馬の肩を万丈目は揺さぶるが、彼は何も答えずに俯いたままだった。いったい何がどうなっていやがるんだ? あの落ち込みよう只事じゃねぇぞ!
「シャークみたいにデュエルに負けたのか!? くっそ、なんか言いやがれ! アストラル、貴様が出てきて説明しろ!」
だが、アストラルはその時と違って姿すら現さなかった。ただですら低い沸点が爆発しそうになっていると、「万丈目さん」と緑のベストの裾を小鳥に引っ張られた。
「遊馬が落ち込んでいるのはきっと……《ナンバーズハンター》に会ったからです」
「《ナンバーズハンター》!?」
初めて聞く単語に万丈目が目をパチクリさせた。彼女が小声で言うには、遊馬が持つナンバーズを狙うデュエリストが現れ、彼にデュエルを挑んできたらしい。らしい、というのはナンバーズハンターが遊馬とアストラル以外の時間を止めている間にデュエルをしたというのだ。
「そんな魔法みたいなことが……? じゃあ、遊馬はナンバーズハンターに負けたのか?」
「負けたわけじゃないみたいなんですけど……その人、デュエルを途中で引き上げていったらしいのですが、内容は完敗だったそうです」
小鳥の告白に万丈目は自身の考えの至らなさを思い知った。異世界の住人・アストラルの記憶の破片であり、強力なモンスターエクシーズであるナンバーズ。その不可思議な力が宿ったナンバーズを狙う奴らが出てくるなんて、少し考えればわかる話ではないか! しかもそいつに完敗し、途中終了されなければ、ナンバーズは奪われ、アストラルは消滅し、恐らく遊馬もただでは済まなかっただろう。
(なにが《遊馬を信じて守る》だ! こんな簡単なことすら警戒できずに……っ!)
「遊馬、何処へ行くんだい?」
ハルの悲壮な声に万丈目は思考を現実に戻した。廊下にポタポタと滴を垂らしたまま、遊馬は無言で階段に向かっていた。恐らく自室に向かうつもりなのだろう。
「待てよ、遊馬!」
万丈目が腕を掴むが、「放っておいてくれ」と払われてしまった。完敗のショックで一人になりたいのだろう。拒絶された右手を引っ込もうとした万丈目だったが、赤服の少年の後ろ姿があの時追っかけなかったオシリスレッドの《あの男》に重なった瞬間、もう一回手を伸ばしていた。
「なんだよ! 放せよ! 万丈目には関係ないだろ!」
「Shut up!(うるさい、黙れ!) 俺様が貴様の言うことを聞く訳ないだろ! 関係がない? 見ろ、貴様が歩くから廊下がずぶ濡れではないか! いったい誰が掃除すると思っているんだ! ああ!?」
よく通る声で二倍にも三倍にも言い返す万丈目に、文句の行く先を完封された遊馬が次の言葉を見つける前に、十九歳の青年が十三歳の少年を風呂場に引っ張っていく。突然の強硬手段に眼を丸くする少女と老婆の耳に、脱衣所で大暴れする声が届いてきた。やれ、一人で脱げるとか、貴様逃げるんじゃねぇとか。どったんばったんと騒がせ、最終的に万丈目が勝利したのか、ポーイと遊馬を風呂に投げ飛ばし、ばっしゃーん! と盛大な水音を響かせたのだった。
「小鳥ちゃん、今日は遊馬を送ってくれてすまなかったねぇ。傘とタオルを貸すから、気を付けて帰りんしゃい」
いつの間に正気に戻ったのか、ハルがニコニコしながらタオルと花柄の傘を小鳥に渡してきた。
「あの、遊馬は大丈夫でしょうか?」
「万丈目くんと男同士、分かり合えることがあるから大丈夫じゃろ」
「はぁ……」
朗らかに笑うハルの背後の風呂場から、「なんで万丈目まで入ってくるんだよ!」だの「ははは、この万丈目サンダーから逃げられると思うなよ!」とスーパーハイテンションな声が反響している。そんな賑やかなやり取りを聞いた小鳥は起き上がる笑いを堪えようとするあまり、微妙な返事になってしまった。
無理やり湯船に遊馬を沈ませた後、青白くなった皮膚が赤みを帯びてきた頃合いに猫のように引き上げると、万丈目は勝手知ったるとばかりに少年の頭にシャンプーをぶっかけた。
「なにするんだよ、万丈目!」
「さん、だ! 目や口に泡が入っても知らねぇからな」
わしゃわしゃとシャンプーを泡立てて、左の薬指に巻いた包帯が濡れるのも構わずにわざと爪を立てて頭皮を擦ってやる。痛い! と遊馬が文句を垂れるもんだから、痛くしてんだよ! と万丈目は返してやった。
「あのな、遊馬。俺は貴様に『落ち込むな』とは言わん。ただ自棄になるな」
泡を気にして遊馬が黙っていることをいいことに万丈目が慰めの言葉を吐くが、少年からの返答はなく、キュッと唇の噛みしめる音がシャワー音に紛れずに聞こえただけだった。
「万丈目、俺さ……デュエルに負けたんだよ」
言いづらそうにして、遊馬の重い口が開いたのはシャンプーをシャワーで洗い流し終わった頃だった。
「ナンバーズハンターのカイトって奴にさ、俺、負けちまったんだ。アストラルを超えるデュエルタクティクスを持っててさ、ホント、手も足も出なかった。相手が急に帰っちまったからアストラルも消えず、ナンバーズも奪われずに済んだけど、あの最後の攻撃が通っていたら、今頃、俺らは……」
「なんで、ナンバーズハンターとやらはデュエルを途中放棄したんだ?」
「分かんねぇ」
スポンジにボディソープを垂らしながらの万丈目の問い掛けに、遊馬は肩を落としたまま答える。
「オービタル7だっけ? アイツのお付きの変なロボットが『ハルト様の容体が!』って言ったら、ナンバーズハンターが『ハルトが!? 《彼女》は何をしている?』って慌てだして、デュエルを引き上げていったんだ」
カイト・オービタル7・ハルト・《彼女》。遊馬の話を聞く限り敵勢力であろうナンバーズハンターの一味は三人とロボット一体いることが確かなようだが――、駄目だ、情報が少なすぎる。
「遊馬、他に奴らは何か言って――」
「アイツとのデュエル、何をやっても先を読まれていて全然駄目だった。何がかっとビングだ……何がデュエルチャンピオンだ……っ! こんなんでデュエルチャンピオンになれるかよ!?」
万丈目の声を打ち消す程の激情を遊馬が吐露する。少年の両膝にのせた拳がわなわなと震える様を横目に、万丈目は泡立てすぎたスポンジを彼の小さな背中に押し付けた。
「当たり前だ。デュエルチャンピオンとやらに、そう簡単になられてたまるかよ」
その一瞬、遊馬の震えが止まったが、無視して万丈目は続けた。
「確かに貴様は強くなった……が、RPGで例えるならば、最初の街の周辺に現れるゴブリンに苦戦していたレベルから、一撃で倒せるようになっただけだ。せいぜい、時折クリティカルヒットや相手の急所を狙えるようになったぐらいか」
「うわっ、ひっでぇ言い方」
「でも事実だろが」
背中をがしがし擦りつつ、抑揚のない遊馬の台詞を万丈目はばっさり切り落とす。
「今回は魔王の四天王の一人が攻めてきたんだ、そりゃあ序盤の勇者で勝てる訳がない」
冗談交じりで言いながらも万丈目は真剣だった。どういう風に、どんな言葉を以(もっ)て、どのような声で語り掛ければ、彼は元気になるのだろう? 相手を傷付けないワードを選ぶのに慎重になるあまり、指に掛ける力が自然に緩まないよう必死で耐える。
「序盤の勇者で魔王が倒せるなら世界はとっくのとうに平和になっている。そこらの村民でも倒せる。それでも倒せないから、魔王は強いのだ」
十三歳の背中は小さすぎて、すぐに洗い終わってしまう。万丈目は短く息を吐くと、静かに、それでいてはっきりと言った。
「今のお前でも倒せる、そんな簡単にできる魔王退治に――目標に魅力なんてあるものか」
遊馬の背筋がピンとなったような気がした。万丈目自身の経験を参考にした慰め方は避けながら、ピンセットで恐る恐る拾い上げた単語でセンテンスを組み立てていく。
「頂点に立てるのは一人だけだ。そう簡単になれるものじゃない。だから、みんな必死になるのだ。だからこそ、デュエルチャンピオンが魅力的に見えるのだ。みんな、強くなろうとするのだ」
湯気なのか何なのか、視界が狭まっていく。スポンジを強く握りしめることで、真剣な言葉を真面目にぶつける行為に気恥かしさを感じて誤魔化してしまいたい気持ちの代替行為にして、万丈目は話し続ける。
「貴様がデュエルモンスターズのルールをちゃんと理解したのはつい最近のことだろう? だがな、みんな、貴様よりもずっと前から努力しているのだ。恐らくカイトとやらもそうだ。頑張ってあの強さを手に入れたに違いない。《俺ら》には《俺ら》の負けられない誇りがある」
「そんなことを言われたら、十三歳の俺じゃあ、ずっと勝てないじゃないか」
「馬鹿野郎。貴様には貴様にしかない《武器》があるじゃないか」
遊馬の背中の、調度心臓の位置をノックする。声よ、届いてくれ。あの時、《あの男》には届かなかった想いを今度こそは受け取ってくれ。
「『諦めない』という言葉は諦めそうな時ほど、真価を発揮する。かっとビングもそうじゃないのか」
遊馬が振り向いた。目の端に滴が溜まっている。だが、瞳には情熱の灯が揺らめき始めていた。
「万丈目、俺、強くなれるのかな?」
「貴様がかっとビングを持ち続ける限り、いくらでも」
その言葉を聞いた途端、遊馬の瞳の炎が逆巻いた。そうだ、諦めるな、遊馬。諦めない、頑張ると思っただけで最初の一歩はもう済んでいるのだ。
「なぁ、万丈目」
「さん、だ。で、なんだ?」
「カイトだけじゃない。これからたくさんの強敵が現れるんだろうな」
「ああ、そうだな」
「挫けそうになったり、逃げだしそうになったりすることもあると思う。だけど……」
遊馬が真っ直ぐに万丈目を見る。ぐるりと燃え盛る赤い瞳には決意が宿っていた。
「かっとビングがある限り、絶対に諦めたりしない! まだまだ弱い俺だけど、デュエリストとして誇りがあるんだ!」
「だったら、もっと精進してみせろ!」
「おう!」
彼があまりにもニカッと笑うものだから、万丈目が偉ぶって言ってやるが、遊馬の笑みはますます深くなっただけだった。元気を取り戻した少年に青年はフッとニヒルな笑みを見せようとした。お調子者が元気になったことに、安堵の表情なんて死んでも浮かべてやるものか。
ぎゃあぎゃあ騒ぎながらも互いに体を流し終え、二人揃って湯船に浸かっていると、遊馬がちょんちょんと万丈目の肩をなぞるように突っついてきた。
「サンキュー、万丈目」
「だから、さん呼びしろと――」
「俺、また頑張るよ。でも、万丈目って凄いよなぁ。俺をすぐに元気にしちまうんだもん。デュエル知識もいっぱいあるし、タクティクスもあるし」
(それは貴様が単純で、デュエルも経験が足りないからだ)
「ホント、万丈目は強いよな!」
『万丈目、お前は強いよな』
遊馬の明るい台詞に、励ましに失敗した男の冷めた台詞がリフレインする。年下のプロデュエリストに敗北し、カードの精霊を視る力を失った《あの男》を万丈目は自身の経験を基に励まそうとしたが、それはあっさりと振り払われてしまった。
(俺が強いなら、貴様にこんな言葉を掛ける訳がない。元気付かせることにこんなに慎重かつ必死になる訳がない。もし本当にそうであるのなら、あの時に《あの男》の激励に成功していたはずだから、《あの男》を救えたはずだから、こんなにも後悔している訳がない)
追わなかった――否、追えなかった《あの男》の背中が瞼の裏に浮かぶ。遊馬が携わってからのここ最近は、どうして《あの男》のことばかり思い出すのだろう。
狭い浴槽のなか、万丈目は励ましに成功した少年に背を向けた。その行為を遊馬は照れ隠しだと思うだろう。頬が熱い、少しのぼせたかもしれない。だが、胸の内は雨に晒されていたかのように冷たい。万丈目は大きく息を吸うと、遊馬にばれないよう静かにひっそり吐き出した。
その時、遊馬が万丈目の肩を見ていたことに彼は気付いていなかった。彼の肩には――いや、肩だけでない、湯に浸かって温まったことで身体中の大怪我の跡がうっすらと浮かび上がっていた。
(そうだよな、万丈目。生きている限り、チャンスはあるんだ。生きているなら諦めちゃ駄目なんだ)
あの大禍時(おおまがとき)、万丈目に初めて出会い、病院に担ぎ込まれた後に明里から受けた暖かくて冷たい抱擁を思い出し、思わずなぞってしまった彼の肩の傷跡を見ながら、遊馬はそう思ったのだった。
4:決闘庵
翌日、朝番だったため、万丈目は遊馬が起きるより早く店へ向かった。ギフトカードで何のモンスターエクシーズを買ったのか、と店主の鉄子が何度か聞いてきたが、万丈目はぎごちない笑顔でそれらを回避した。そんな風に勤務中始終聞かれたものだから、バイクから降りて九十九家の玄関を開ける前にDゲイザーからの鉄子のコールに万丈目は何の疑いもなく手に取った。
「鉄子さん、あの話でしたら、俺は……」
「ごめん、万丈目くん! 明里にバレちゃった」
「バレたって、何が――」
万丈目がその内容に疑問を抱くより先に地獄の扉は開き、其処には鬼の形相をした明里の姿があった。
「ばあちゃんも鉄子も万丈目くんもグルだったのね!」
徒刑囚ってこんな気持ちなのだろうか。明里の運転する車の助手席に座りながら、万丈目は流れるネオンを目で追った。
「万丈目くん、聞いているの!?」
「は、はい!」
前しか見ていないはずなのに、明里の射抜くような声に万丈目の肩が竦み上がる。後部座席ではハルが申し訳なさそうに目を伏せていた。
「鉄子も遊馬が店に来ていたことを黙っていたし、決闘(デュエル)庵(あん)だっけ? ばあちゃんも遊馬をデュエルができるところに案内しちゃうし、私の努力がまるで無駄じゃないの!? 絶対に連れ戻してやるんだから!」
「あの、明里さん」
「何よ!?」
切れ気味のドライバーに万丈目は恐る恐る話し掛ける。急加速、急ブレーキをして事故ったらどうしようか、と気が気でない。
「どうして、明里さんは遊馬がデュエルするのを禁止しているのですか?」
「万丈目くんには話していなかったわね」
お情け程度に減速しながら、カーブを曲がる。万丈目は悲鳴をあげなかった彼自身を褒めたいと思った。
「前に父さんが言っていたのよ、遊馬のデュエルは特別な意味を持つって。遊馬にとってデュエルはただのデュエルじゃないのよ」
「だからと言って、あんなにやりたがっているデュエルを禁止するなんて……」
「その後なのよ! 父さんが行方不明になったのは! 母さんもそのままいなくなっちゃったし! 遊馬は父さんに似ているから同じように何処かへ行っちゃうかもしれない! その原因になりそうなものなら、たとえそれがデュエルでも遠ざけて当然でしょう! これ以上、家族の誰かが消えるなんて私は耐えられないの!」
赤信号で車が停止する。ドライバーの言動とは裏腹に丁寧な停車だった。彼女の横顔を見てはいけないような気がして視線を窓に向けた万丈目だったが、夜のガラスは鏡と化していて、今一番に見てはいけないものをはっきりと目にすることになってしまった。
(年上だとか、大人だとか、悲しくて辛いことに関係ないよな)
今まで耐えてきたものが零れ落ちないよう必死に瞬きを耐える明里に、万丈目は彼女の強さと、弟の遊馬を守ろうとする固い意志を見た。彼女は弱さを見せたくないのだ。ならば、その弱さが零れ落ちる前に止めてやりたいと思った。弱さが漏れ出してから拭うのでは、彼女の場合、遅すぎるのだ。
「明里さん」
「何よ」
「俺が遊馬を守ります。それでは駄目ですか」
青信号になる。一瞬、明里が此方を向いたのが分かったが、万丈目は正面を向いたまま話し続けた。
「遊馬のデュエルを隠す真似をして、すみませんでした。明里さんが遊馬を大切に思う気持ち、俺には分かります。それと同時に遊馬がデュエルを愛する気持ちも分かるんです。だから、俺が遊馬を守ります。独りにならないよう、俺たちの手が届かない何処かへ勝手に行かないよう、アイツが一人で抱え込まないよう、俺が遊馬を信じ抜きますから、アイツが馬鹿な真似をしても《今度こそは》決して見捨てたりしませんから、支え続けますから、遊馬のデュエルを認めてやってはもらえないでしょうか」
部外者の俺が言うのも烏滸(おこ)がましいことではありますが。思い出したかのように最後に小さくそう付け加えると、九十九家の居候人は所在無さげに彼のベストの皺を伸ばした。万丈目の懇願に明里はしばしぽかんとしていたが、後方からのクラクションに慌てて車を発進させる。
「万丈目くんは遊馬のことが余程好きなようじゃのう。明里、決闘庵での遊馬のデュエルに対する本気を見てからでも遅くはないんじゃろうか?」
ハルの助け舟が出される。明里は大きく溜息をつくと、「そこまで言うなら仕方ないわね! 遊馬のデュエルを見てから考えてあげるわよ!」と弱さを引っ込めた代わりに意地っ張りな声でそう言ったのだった。
決闘庵につくと、ナンバーズを賭けたデュエルの真っ最中だった。其処の主に指南を受け、カードは仲間と豪語する遊馬はデュエルに対する勢いとかっとビングを取り戻し、カードは僕(しもべ)だという考えを持つ、ナンバーズに取りつかれた男である闇川に見事勝利した。朝日が差し込むなか、決闘庵の主たる六十郎に新たなカードを手渡され、明里にデュエル禁止令を解かれた遊馬はとても嬉しそうだった。
だが、万丈目はとてもじゃないが、そんな目の前の光景に集中できる気分ではなかった。六十郎の元弟子の闇川と遊馬がデュエルしたお堂の中には、武藤遊戯のエースモンスター【ブラック・マジシャン】や海馬瀬戸の象徴たる【青眼の白龍(ブルーアイズ・ホワイト・ドラゴン)】、丸藤亮ことカイザーが誇る【サイバー・ドラゴン】、ヨハン・アンデルセンの奥の手のカード【究極(きゅうきょく)宝玉(ほうぎょく)神(しん) レインボー・ドラゴン】、そして、《あの男》のフェイバリットカードたる【E・HERO(エレメンタルヒーロー) フレイム・ウィングマン】と【E・HEROネオス】等の木像が並んでいたのである。
(俺の知っているモンスターが木像で彫られているということは、やはり遊馬の世界と俺の世界は完全な別物ではなかったというべきか。あれらのカードが伝説扱いされているということを鑑(かんが)みるならば、エクシーズ召喚という見知らぬものがあるこの世界は俺が住む世界よりずっと先の未来なのかもしれない)
だが、と万丈目は思考を続ける。この世界が未来であるならば、俺はどうやってこの世界へ来たのだろうか。いや、それよりも気になる点がある。
(未来であるならば、どうして俺のエースモンスターである《アームド・ドラゴン》がいないのだ!? カイザーやヨハンや《あの男》のモンスターがあるのに、おかしいだろ! 今からでも遅くない! とっとと彫りやがれ!)
悔しさのあまり奇声をあげそうになるのを歯を食いしばって我慢しながら、万丈目はそのモンスターを彫らなかった人物こと六十郎を全力で恨んだのだった。
それから二・三日もしないうちの話だ。万丈目のバイト先のカードショップの店長こと武田鉄子が重大発表を行った。従業員をもう一人増やすことに決めたというのだ。近々大きな大会が控えているせいか、お客さんが増えてきて二人だと大変だしなぁ、どうせなら女性がいいなぁ、と呑気に考えていた万丈目だったが、彼女が連れてきた人物に驚愕してしまった。
「今日から一緒に働く闇川くんよ。万丈目くん、先輩として色々と教えてあげてね」
おいおい、世界は狭いといったが、狭すぎだろ。遊馬とのデュエル後に六十郎の弟子に戻ったと聞いたが、こんな早い再会は聞いてない。
(確かに爺さんの弟子になっただけじゃあ、食ってはいけないだろうが、よりによって此処でバイトかよ!)
だが、鉄子の判断なら致し方あるまい。万丈目か、よろしく頼む、と頭を下げる闇川に万丈目は早速の洗礼「さん、だ!」を浴びせるのだった。
5:CNo.39 希望皇ホープレイ
さて、この一件で遊馬は完全に元気を取り戻したようだったが、未だ落ち込んでいる人物が居た。アストラルである。デュエルタクティクスがあると自負していたから、彼を超えるデュエリストの登場にかなりショックを受けたらしい。遊馬は単純であるが故に前向き思考ですぐに落ち込みから復活したが、アストラルは後を引きずる性質のようだ。強い奴なんてごまんといるだろうに面倒な奴だな、と万丈目はつくづく感じていた。
そんな折――正確には夕焼け差す河川敷にて、ブルーのオーラを撒き散らすアストラルに遊馬がウンザリし、万丈目がどうしようかと思案していたときに事件が舞い込んできた。遊馬に協力しようとナンバーズの情報を集めていた小鳥・鉄男・徳之助・等々力たちが、逆にナンバーズを持つ怪人に攫われてしまったのだ。
「わが名はジン、全てを見通す者。カイト様の忠実なる僕(しもべ)。遊馬よ、君の友人は預かった。我が館にて、ナンバーズを賭けたデュエルを行うのだ。さもなくば、彼らの命はない」
(どうやら敵さんは待ってはくれないようだな)
唯一脱出に成功したキャッシーを操作する、見えぬ怪人からの脅迫に万丈目は眉を顰める。キャットちゃん、案内してくれ! と怪人のコントロールから解除された彼女を連れ、迷うことなく行こうとする遊馬をアストラルが呼び止めた。
『待つんだ、遊馬。これは罠だ。彼女は私たちを誘(おび)き寄せるために泳がされているのだ』
「罠だからなんだって言うんだよ。なにビビってんだ! 小鳥たちを放っておけるかよ!」
『だが、君はカイトに勝てるのか? 彼の戦略・彼の力――、私は彼のデュエルで身をもって知った。今の私たちに勝てる保証はない』
「じゃあ、お前は百パーセント勝てる相手としかデュエルしないのかよ!?」
『そうだ』
アストラルのあまりの即答ぶりに問い掛けた遊馬は勿論、聞いていた万丈目も言葉を失った。
『私にとって、デュエルとは生きる意味そのもの。負けると分かっている相手と闘うとは愚かな行為だ』
「テメェ……っ!」
『残念だが、君の友人のことは諦めるしかないようだ』
「ふざけんじゃねぇっ!」
淡々と冷徹に促すアストラルに感情が爆発した遊馬が殴り掛かるが、相手を通り抜け、その勢いのまま地面に倒れ込んだだけだった。頭に血が上るあまり、アストラルには触れられないということを遊馬はすっかり失念していた。
『遊馬……、私はデュエルに負けると消滅してしまう。負けると分かっているデュエルをするなんてことは出来な――』
「だが、いずれ負けるぞ」
万丈目のナイフを向けるような鋭い指摘にアストラルが硬直する。夕日に照らされる青い透明体の、揺れる金色の眼を見詰めながら彼は続けた。
「貴様が百パーセント勝てる相手としかデュエルしたくないように、恐らく相手側もそう思っているはずだ。貴様はカイトとやらに負けた。カイトより弱いのだ。あの時は相手側の事情で断念したが、その事情が解消されたなら、奴は再びやってくるぞ――百パーセント勝てる貴様を打ち負かすために」
万丈目が断言する。はん、と鼻で笑いながらアストラルを追い詰めていく。相手は遊馬ではないのだ、この方向で攻めるしかない。
「百パーセント勝てる奴としかデュエルしたくないなら、貴様には逃げ続ける道しかないが、奴は必ず貴様の前に現れる。なんたって、貴様はナンバーズを持っているのだからな。逃げ腰の貴様とのデュエルなんて、前回よりも楽勝だろうよ」
「万丈目! 言い過ぎだろ!」
意外にも反論したのは遊馬だった。やり過ぎたか、と反省しかけた万丈目だったが、百パーセント勝てる相手としかデュエルしないと宣言するアストラルに多少なりとも頭に来ていたので撤回はしなかった。そんな及び腰、デュエリストにはあるまじき行為だろうが。
「アストラル、確かに負けるのは怖ぇよ。負けたら消えちまうなら尚更だ。でも、そんなの俺だって一緒だ」
一緒? なにが一緒なのだろうか? 遊馬の発言を疑問に思う万丈目なんて気にせずに、少年はアストラルに話し掛ける。
「カイトに負けたら、ナンバーズごと俺の魂を持ってかれちまうところだった。俺だって怖かったよ。けどさ、俺たちはまだ生きているだろ? まだ闘えるだろ? 決闘庵の時のように練習して強くなれる。俺たちにはかっとビングがある。それに俺たちは一人じゃないんだ。二人で一人のデュエリストなんだ」
あの時、カイトに負けていたらナンバーズごと遊馬の魂まで奪われていた。少年から明かされる衝撃の真実に青年は唖然とした。遊馬がカイトに負けたことに落ち込んでいた、と万丈目は解釈して彼を励ましていたが、実はそれだけでなく、魂を奪われてしまうという恐怖もまた悩みとして介在していたのだ。
「俺たちはカイトに負けた。でも、見逃されて生きている。生きている限り、チャンスはあるんだ。生きているなら諦めちゃ駄目なんだ。お前の恐怖も俺の恐怖も同じさ……だから、アストラル、一緒に強くなろうぜ」
遊馬がアストラルに手を伸ばす。しばらく瞠目していたアストラルだったが、彼と同じように感じている消滅(魂の喪失)の恐怖を乗り越えて強くなろうとする遊馬の本気を受け取ったのか、彼もゆっくりと、それでいて確実に手を伸ばす。
『まさか、トンマに励まされるとはな』
「俺はずっとお前のことを励ましていたぜ?」
二人の手の平が重なる。触ることはできないから、力を込めたら貫通してしまうから、本当に重ね合わせただけだったが、それだけで二人の気持ちは十分重なっていた。
「あの~、何(にゃに)が何(にゃん)だか、さっぱり分からないんだけど」
アストラルのことを見えないキャッシーが挙手するように声を出す。遊馬とアストラルは互いに顔を見合わせて少し笑ってから、諾と強く頷いた。
「キャットちゃん、案内頼むぜ! 行くぜ、アストラル!」
『君と私で一人のデュエリストなのだから、当然だろう?』
キャッシーに続いて、遊馬とアストラルが駆け出していく。
万丈目も早く! と手を振る遊馬に、青年は小さく返事するとバイクに跨った。
(俺は強くなんてない。すぐに立ち直れて、あのアストラルの気持ちに寄り添って、立ち直らせた貴様が強いのだ、遊馬)
バイクのキーを回す。世界が朱鷺(とき)色から赤紫へ、次第に青紫に変わり、濃紺へと移行していくなかでも輝きを失わない十三歳の少年に、十九歳の青年は胸を掴まれたような息苦しさと己自身のみを残して世界が収縮していく気持ちを覚えたのだった。
占い師の怪人・ジンとのデュエルは強力なナンバーズに苦戦を強いられた。黙って玉座に座るカイトにアストラルの恐怖が刺激されて弱気になり、とどめに仲間の苦しむ姿を見せられ、意気消沈しかけた遊馬たちだったが、キャッシーの活躍によりカイトが人形だと判明した。また遊馬のアストラルを消滅させまいとする強い気持ち、仲間を大切にする想いを受け取り、同じように遊馬と仲間を救いたいという意志によりアストラルの力が開眼し、【No.39 希望皇ホープ】を素材にオーバーレイ・ネットワークを再構築して、新たな力【CNo(カオスナンバーズ).39 希望皇ホープレイ】(ランク4/光属性/戦士族/攻2500/守2000)をエクシーズ召喚し、見事カイト様狂信者のジンを打ち破ったのだった。
勝利によりジンの魔術から解放され、一瞬だけアストラルの姿が見えた小鳥たちが見当違いな方向に感謝の言葉を述べる一方で、遊馬が「俺が助けたんだぞ!」と駄々をこねるようにして憤慨している。
(【CNo.39 希望皇ホープレイ】か。エクシーズ召喚は素材となったモンスターをリリースではなく、素材――下敷きにして召喚するタイプだが、まさかモンスターエクシーズの上に更に重ねて再召喚するとは。同じレベルのモンスターを揃えて召喚するだけだと思っていたが、なかなか奥が深そうだな)
エクシーズ召喚の更なる可能性に、万丈目はデュエリストとして興奮を抑えることは出来なかった。
6:参観日にオボミにブラック・ミスト
占い師ジンの事件を通して、アストラルも強気を取り戻し、また一つ遊馬との絆も強くなった。
こうして思い返すと、ナンバーズ絡みの事件ばかりだが、無論日常においてそういうことばかりではない。万丈目として嬉しかったのは、遊馬の参観日に行けたことだ。
その週の土曜日は鉄子が同窓会に参加するため、前々から闇川との二人きりのバイトのシフトが決まっていた。何が悲しくて新人の男と二人きりで店番なのだ! と遊馬に思いっきり愚痴っていたから、彼は万丈目にも言い出せなかったのだろう――その日が参観日だということに。祖母も姉も居候も用事のため不在で遊馬一人きりの参観日になる予定だったが、鉄子から情報をキャッチした明里が車でハルを拾い、万丈目がバイトするカードショップまでやってきた。
「遊馬の奴、黙っていたんだけど、今日が参観日だったのよ! ほら、万丈目くんも乗って! 中学校に行くわよ!」
「今日は授業参観日だったんですか? あの馬鹿、変に気を回しやがって……でも、明里さん、居候の俺が行く必要はないのでは?」
「馬鹿ね!」
線引きする万丈目を明里が一刀両断する。
「同じ屋根の下で寝起きして、一緒の釜のご飯を食べているのよ!? もう私たち家族じゃないの! それに私たち二人だけ来て万丈目くんが来なかったら遊馬が悲しむでしょ!?」
「家族……」
縁が遠いと思っていた《家族》という単語に、万丈目の胸がいっぱいになる。
「ほっほっほっ、遊馬は万丈目くんのことが大好きだからじゃのう。きっと喜ぶわい」
「あの、ですが、仕事が……」
「いいから、とっとと行け。仕事は俺一人でも大丈夫だ。心配する必要はないぞ、万丈目」
「俺は万丈目さんだ! くっそう、分かったよ! 明里さん、俺も行きますよ!」
ハルの援護射撃に加えての闇川の駄目押しに、万丈目は自棄になったようにして車に乗り込んだ。女性陣が声を出して笑い、万丈目は顔を赤くする。遊馬が恥ずかしくなるぐらい大声で応援してやろう、と画策していた万丈目だったが、参観内容が体育の授業だったため、実行してやったところ「万丈目の為にも頑張るぜ!」と遊馬に宣言されてしまい、逆に参観に来た他の父母から注目され、赤っ恥を掻く羽目になったのだった。
また、万丈目が関知しないデュエルもあった。他にも、はぐれオボット――オボミ(観月小鳥命名)を救い出して、デュエルすることで悪に染まりかけた彼女(?)の心を取り戻すことに成功したのだった。
もう一つ、万丈目が関わらなかったデュエルがあった。それはナンバーズ関連であった。
学校帰りのデュエルに勝利して【No.96 ブラック・ミスト】を手に入れた遊馬だったが、鉄男からの相手モンスターに対する不用心さとプレイングの安直さの指摘に激昂してしまい、またしても喧嘩したらしい。遊馬の鉄男に対する文句を聞いて思わず「事実じゃねぇか」と万丈目が漏らしたものだから、彼が不貞腐れて口を利かなくなってしまい、非常に面倒臭いことになった。
鉄男の喧嘩が続いて三日が経過した夕方、バイト帰りの万丈目が高架橋(スカイロード)をバイクで走っていたとき、真下の大きな公園広場に遊馬・小鳥・鉄男たちの姿を見掛けた。
(やっと仲直りしたんかねぇ、アイツらは)
休憩スペースにバイクを止め、眼下の光景を何気なしに見ていた万丈目だったが、様子がおかしいことに気が付いた。
以前手に入れた、闇の力が一際強いナンバーズこと、ブラック・ミストにアストラルが乗っ取られ、遊馬もその支配下に置かれてしまったのだ。慌てて向かおうとした万丈目だったが、高層ビル並みの高架橋から真下に降りる術などあるはずがなく、只の傍観者になるしかなかった。闇に染まる前に遊馬から皇の鍵と【No.39 希望皇ホープ】を手渡されていた鉄男が、デュエルで彼らを救うことにしたようだ。何もできない自分が腹立たしい! せめてものと思い、万丈目はDゲイザーを起動させて二人のデュエルにロックオンし、音声を拾うことにした。
【No.96 ブラック・ミスト】の効果とブラック・ミストに完全に操られた遊馬のリークにより、鉄男は窮地に追い込まれる。だが、そのリークは遊馬が鉄男に勝利の道を示すため、ブラック・ミストに取り込まれていたように演技して流した嘘であった。
「お前なんかに俺たちの友情パワーが負けるかよ!」
遊馬がブラック・ミストに力強く宣言する。
この真意に必ず気付くはず、何故ならば俺はアイツを信じているから。
あの行為の意味は俺を助けるためだ、何故ならばアイツは俺を信じているから。
言葉を交わすことなく果たされた信頼関係により勝利をもたらされ、アストラルによってブラック・ミストはカードに戻り、遊馬と鉄男は親友として固い握手を結んだ。
(互いに互いを信じ、約定なしに助け合う存在――。そうだよな、それが友情だよな)
夕焼けが男同士の友情の演出に磨きを掛ける。眩い限りの情景を万丈目は、遊馬に気付かれて呼ばれるまで、目を細めて見詰め続けたのだった。
7:生(なま)温(ぬる)い風
梅雨時特有の生温い風が万丈目の前髪を揺らした。振り返ると、ロフトの床にはコンボの繋げ方やライフ計算を書いた裏紙だけでなく、デュエルマットや電卓、サイコロ、カウンター等が乱雑に転がっており、何度も遊馬のデュエル練習に万丈目が付き合った形跡があちらこちらで見受けられる。覚えが悪くて単調なプレイングをしがちだった遊馬も次第に変わっていき、時には万丈目さえ「おっ!」と言わせるようなコンボを閃いたことさえあった。
(それでも、まだまだなんだけどな)
今夜もきっと、昼間の鉄男とのデュエル結果を基にして、万丈目は遊馬の愚痴を聞きながら練習に付き合うのだろう。遊馬を強くすることに専念するのだろう。
己の人生は己のために使うべきだと万丈目はずっと考えていた。万丈目財閥の一員としての考え方もあっただろうが、頂点に立たなければ意味がないと思っていた。プロデュエリストの勉強を兼ねて、一時はエド・フェニックスのお付きになったこともあったが、誰かのサポーター(マネージャー)で己の人生を終えるなんて真っ平御免だった。誰かの人生の脇役で生きたくなかった。己は己の為に、己の人生の主役として生きたかった。
だが、この世界に来てからの万丈目は遊馬のサポートに回っていた。あんなに嫌っていた脇役ポジションなのに、練習の成果が彼のデュエルに出るのを見ると己のことのように嬉しかった。感謝の言葉を遊馬から告げられると、気恥ずかしい反面、気持ちが良かった。彼の成長が何よりの楽しみで喜びになっていた。
(前なら分からなかったが、今なら誰かを支える奴の気持ちが分かるような気がする。己のためだけという、頂点ばかり目指す縛りなんて無くしても、別の誰かの人生〔物語〕の脇役でも十分、己を満たせるではないか)
階下から明里の悲鳴がする。仕事関係でまたヒステリーになってしまったのだろうか。
「明里さん、どうされましたか?」
上り棒をゆっくり降りていく。金属棒から手を離す際、静電気だろうか、包帯を巻いた左の薬指が傷んだ。久しぶりに感じた痛覚だったから、大袈裟だが神経に染みるような痛さだった。水を切るように手を振って誤魔化すと、ベルトの右側に鉄子から渡されたスタンダードデッキが入ったケースを、左側に開かずのデッキケースを装備し、帝の鍵を首からぶら下げ、緑のベストを着こなした万丈目は彼女の居場所を探した。
(誰かを支える人生も悪くない)
以前の己なら考えもしなかった結論に、思わず笑みが浮かんだ。トップに固執せず、脇役に徹してもいいじゃないかと思い始めた万丈目だったが、その甘い考えは直ぐに打ち破られることになる――《あの青年》との二回目のデュエルによって。
8:代わり映えのない日常
「いらっしゃいませ……て、あれっ? 万丈目くん、今日は非番じゃなかったっけ?」
ドアベルがからから鳴る。カードショップに現れた万丈目に、鉄子が不思議そうな顔をした。
「なんだ、万丈目、出勤日を間違えたのか?」
「さん、だ! ンな訳あるか! 明里さんからこれを鉄子さんに届けるように頼まれたのだ!」
同じアルバイトの身である闇川に万丈目はしかめっ面で返すと、口調とは裏腹にオーナーである鉄子に持っていた冊子を丁重に手渡した。
「卒業アルバム! 同窓会の時に明里に貸していたんだよね! 今日だったっけ、返す約束していたのって? すっかり忘れてたわ」
あっはっは! と今にも笑い出しそうな鉄子の陽気な台詞に万丈目は「やっぱり急ぐ必要はなかったのではないか」とぼんやり思った。だが、在宅ライターである明里にとって、仕事ではなくてもプライベートでも締め切り(期限)は言い訳無用で絶対に守らなくてはならない絶対的なもののようだ。今朝、返す期日が本日であったことを思い出した彼女だったが、その日は原稿がまだ仕上がっていなかった。思わず悲鳴を上げた矢先に、天の助け――万丈目が呑気に現れたのだ、これに頼らない(これを使わない)手はない。
「万丈目くん、私の代わりに届けてくれるわよね?」
がっしりと居候の肩を両手で掴み、このチャンスを逃すまいと目を光らす命の恩人からのお願いに断れる男がいるだろうか? いたら是非ともお目に掛かりたいものだと思いながら、明里からの鬼気迫った依頼に万丈目はコクコクと首を縦に振ったのだった。
「せっかくの休みだってのにパシリだなんて、明里も酷いことするよねぇ」
「いえ、好い天気なので散歩がてら良い運動になりました」
「今日はバイクじゃなくて歩いてきたんだ、めっずらし~」
「あのバイク、今は点検中なんです。……では、お仕事中に失礼しました。これにて失礼します」
「あ! 万丈目くん、ちょっと待って! 渡したいものがあるの!」
帰ろうとする万丈目を引き止めると、他に客がいないことを確認してから、鉄子はバックヤードに入って行った。
「おい、万丈目。俺と店長への態度に差があり過ぎではないか?」
「さん、を付けろ、闇川。貴様より俺様の方が先輩なんだぞ。第一、俺を雇ってくれた恩人たる鉄子さんと後輩である貴様が同じ扱いな訳ないだろ」
店長兼オーナーが居なくなった途端、接客業のアルバイターとは思えぬ顔付きをした二人が見合わせることなく会話を執り行う。
「相変わらず口の減らない奴だな。……ところで、前々から疑問だったのだが、どうしてお前はデッキを二つ持っている? 片方は模擬デュエル用のスタンダードデッキだと知っているが、もう片方はお前本来のデッキか?」
闇川からの質問に万丈目は反射的に左手で彼自身のデッキケースに触れてしまっていた。包帯を結んだままの左の薬指が相変わらず痛み出し、そうだ、と何故か断言することが出来ない。言い淀む万丈目に何かを感じ取ったのか、闇川はそれ以上開かずのデッキに触れることなく、代わりに「鉄子から借りたスタンダードデッキを見せてほしい」と言った。
「構わんが、なんだ、急に」
「どんなデッキで模擬デュエルしているのか気になってな。……ん? このデッキ、モンスターエクシーズが入っていないのか?」
「入っている訳がないだろ、基本中の基本デッキなんだから。モンスターエクシーズなんて、俺は一枚も持っていない」
「一枚も? 貴様の本来のデッキにもか?」
「そうだ。だから、どうしたっていうんだ」
万丈目から渡されたスタンダードデッキを見ながら、闇川がそう繰り返した。エクシーズ召喚が溢れかえったこの世界において、モンスターエクシーズを持ってないことはとても奇異に映るらしい。遊馬だって、ごく最近まで持っていなかったじゃないか! そんな目で俺様を見るんじゃない!
「ごめん、万丈目くん、待たしちゃって!」
「これぐらい、待ったには入りませんよ」
バックヤードから鉄子が戻ってきたので、続けて質問しようと近付いていた闇川を万丈目はぐいっと押し退ける。はい、と笑顔の彼女から手渡された券には「デュエルカフェのコーヒー一杯無料!」と大きく印字されてあった。
「あの、これは?」
「近くにあるデュエルカフェのクーポン。使用日が今日までだから使っちゃってよ、勿体ないからさ。……あれ? もしかして、デュエルカフェ知らない? 闇川くん、其処にあるカフェの案内チラシを万丈目くんに渡してあげて。此処から歩いて十分もしないところにあってね、デュエルスペースもあるし、雑誌やカード検索用のパソコンも読み放題・やり放題だから、いい勉強になるんじゃないかなって思って。明里のお使いでここまできたご褒美ってことで受け取ってちょうだい」
万丈目のDパッドはお古のため、ネットが通じていないうえ、九十九家のパソコンも明里の仕事用で彼は使えないので、この世界のデュエルモンスターズの知識を得る手段は仕事終わりの短い時間に接続できるデータベースだけだった。このデュエルカフェに行ったら、さぞ沢山の――今まで以上の情報に出会えることができるだろう。闇川から渡されたチラシと券を交互に見たあと、万丈目が顔を上げると、ニコニコ顔の鉄子の姿があった。本当にこの人は恩人だ、頭が上がらない。
「万丈目くんは頑張り屋さんだからね、私は応援しているよ」
「鉄子さん……」
「ところで、あの商品券で何のモンスターエクシーズを買って――」
「カフェのチケット、ありがとうございます! 早速、勉強してきます!」
いや、本当に彼女には頭が上がらない。商品券の行方が話題に上がる前に、万丈目はショップを慌てて後にしたのだった。
「遊馬同様、慌ただしい奴だな。流石、アイツの親戚というべきか。……そういえば、店長、商品券とは何の話です?」
あまりにも喧しく鳴るものだから、一番身長の高い闇川がドアベルに触れて振動を止める。その行動に鉄子は「彼は意外と神経質なのかしら」とエプロンを結び直しながら、のほほんと思った。
「万丈目くん、モンスターエクシーズを持っていないっていうから、以前に一枚だけ買えるぐらいの商品券をあげたのよ。何を買ったのか、彼は秘密にしたいみたいだけど、ね」
そう言う鉄子の視線の先には、入荷した翌朝にsold(ソールド) out(アウト)の札が貼られたモンスターエクシーズのサンプルがあった。万丈目はあのカードをいたくプッシュしていたから、きっとそれを購入したのだろう、と彼女は考えていた。
「ですが、万丈目の奴、先程『モンスターエクシーズなんて一枚も持ってない』と断言していましたよ」
「え?」
闇川の発言に鉄子の目が点になる。それって、どういうこと? と彼女が口にする前にドアベルがけたたましく鳴った。
「鉄子さん、遊びに来たぜ! あ、闇川さん、こんにちは!」
遠慮なしに遊馬が扉を開け放し、鉄男・キャッシー・徳之助が入店した後、小鳥が礼儀正しくドアを閉める。誰からも見えないのに、何度目かの来店にアストラルも遊馬に倣ってお辞儀をした。
「もっと静かに入れないのか。万丈目もそうだが、親戚同士、本当にお前たちは似ているな」
「へへっ、まぁな……って、それって万丈目のスタンダードデッキじゃん! 万丈目、来ていたのか?」
遊馬の発言に、闇川はスタンダードデッキを彼に返しそびれていたことに気付いた。だが、まぁ、明日にでも返せばいいか、とすぐに開き直る。
「さっき出ていったばかりだが、会わなかったのか?」
「遊馬、入れ違いになったみたいだぜ」
「マジかよ、鉄男。なぁんだ、万丈目がいたら色々とアドバイスを貰えたのに残念だな」
「委員長といい、ほんとタイミングが悪いウラ」
「委員長は今日が通っているデュエル塾の試験日だから、今日は不参加で仕方無(にゃ)いじゃない」
「WDC(ワールド・デュエル・カーニバル)も近いんだし、私たちも頑張らないと!」
『デュエルを教える塾なるものがあるのか、記憶しておこう』
デュエルモンスターズの商品券の行方を悶々と考える鉄子を素通りし、各々(おのおの)言いたいことを言い合った中学生の客人たちは模擬デュエル用のテーブルへ向かっていく。
「ところで、遊馬は大会にナンバーズを使うウラか? ……って、遊馬からナンバーズを取ったら、エクストラデッキが空っぽになってしまうから使わずにいられないウラ」
「なにおう! 俺だってナンバーズ以外のモンスターエクシーズぐらい持っているぜ!」
徳之助の他問自答の発言に遊馬がムッとした顔付きになる。食い付いた遊馬に徳之助の目が眼鏡越しに確かに光った。本当ウラか~? と更に挑発すると、遊馬が「本当だって!」と躍起になる。
『遊馬、これは彼が君のデッキを知るための策謀だ。晒してはいけ――』
「見ろ! 俺が初めて手にした、万丈目から貰った絆のモンスターエクシーズ【交響魔人マエストローク】だ!」
アストラルの忠告は残念ながら届かなかった。あっさりと徳之助の話術に引っ掛かる遊馬に、短い付き合いのアストラルは嘆息し、長い付き合いの小鳥と鉄男は苦笑いを浮かべる。
(遊馬め、ナンバーズ以外もちゃんと持っていたのか。……ん? 『万丈目から貰った絆のモンスターエクシーズ』だと?)
ドヤ顔で遊馬が掲げたカードが、鉄子が先程見詰めていたモンスターエクシーズそのものであった事実に、闇川は思わず顔を引き攣(つ)らせてしまった。それと同時に数秒前まで唸っていた、隣に立つ店長が「へぇ」と漏らしたきり、しんと嵐の前の静けさのように黙り込んだことにも気付く。
(万丈目、次に来るときはお前の命が無さそうだぞ)
店長がいる左側に顔を向ける勇気がない。正面で行われるきゃっきゃっと戯れる中学生たちを現実逃避のように眺めながら、闇川はこの場にいない先輩に心から同情したのだった。
9:代わり映えのない日常、の続き
万丈目がデュエルカフェの無料コーヒーにありつけた頃には、鉄子の店を出発してから既に三十分以上が経過していた。チラシに描かれていた地図のイラストがあまりにも適当だったのだ。移動範囲が鉄子の店と遊馬が通う中学校の二通りしかない万丈目にとって、その先は未知のエリアであった。それをあんな簡素な地図で紹介されたのだから、たまったものではない。歩道橋を上ったり下りたり、横断歩道を渡ったり引き返したり、体力のない万丈目が息も絶え絶えに「俺はヨハンじぇねぇぞ!」と怒鳴った挙句にようやっと目的地に辿り着くことに成功した。道すがら「あんなド下手くそな地図を描いたやつを訴えてやる」と息巻く程であったが、自動ドアが開いた瞬間の涼しい風に吹かれた途端にどうにでもよくなってしまう。クーポン券を店員に渡し、どかっと万丈目は席に着いた。ついでに昼ご飯も頼んでしまおう、とメニューを開きながらコーヒーを待つ。ハルから貰った小遣いで足りる範囲のものを探していると、なんだか笑いが込み上げてきてしまった。
(万丈目財閥の俺が金額を気にするとはな)
黒いコートではなく、白いワイシャツの袖で汗を拭う。飲み物を持ってきたウェイトレスへ追加オーダーを依頼する。冷たいコーヒーを飲んで、万丈目はようやっと一息ついたのだった。
ランチを平らげた後、万丈目は目当ての行動に早速取りかかった。デュエル雑誌を読んだり、鉄子の店とは異なるパソコンでカードを検索したり、映像を再生したりして情報収集を行う。
(へぇ、十七ぐらいで活躍するプロデュエリストがいるんだなぁ。もっとも、アイツはもっと幼い時からプロの世界に居たんだっけな)
画面に映り出される、白い礼服を翻す礼儀正しいデュエリストに、白いスーツを着こなした厭味ったらしい年下のデュエリストが重なる。いや、アイツに似ているなんて相手に失礼にも程があるだろう。
(エド、か。U-20の大会の決勝戦、どうなったんだろうな)
ふと浮かび上がった疑問に万丈目は全力で首を振った。今は遊馬を強くするための知識集めに集中するべきだ! と決意した矢先に「万丈目さん」と耳元で囁かれ、危うく椅子を倒しそうになる。
「と、等々力! 俺様を驚かすな!」
「万丈目さんもⅣさんのファンなんですか? 強くて、ファンサービスも旺盛ですし、かっこいいですもんね! とどのつまり、僕、彼の大ファンなんですよ!」
「人の話を聞け!」
にゅっと現れたアルバイト先の常連客に驚くあまり、映像データを閉じてしまった。慣れていないパソコンのため、どんな操作をしたら戻るのか、万丈目はさっぱり分からない。偶然開いた動画のうえ、プロの試合映像なんて初めて見たのだから、デュエリストの名前なんて注意して見ている訳ないだろが!
「貴様、遊馬と遊びに行ったのではなかったのか?」
「今日は僕が通うデュエル塾の試験日だから、断ったんですよ。もうそれは終わりましたけどね。そういえば、プロデュエリストも参加するWDCですが、万丈目さんも勿論参加されるんですよね?」
笑顔で尋ねる等々力の後ろに、アルバイト先でも目にしたWDCの告知ポスターが飾られている。デュエルチャンピオンになった者の願いを何でも叶える、という開催者の無謀な優勝賞品はともかく、デュエリストなら誰もが憧れる栄光へのロードに万丈目は背を向けて、こう答えただけだった。
「いや、俺は参加しない」
この世界において、万丈目は遊馬を信じ、支えることが己の役目であることを確信していた。それなのにサポーターの身で参加するなんて、おかしな話だ。加えて、万丈目はこの世界のではなく、別世界の住人なのだ。この世界の住人が凌(しの)ぎを削る大会に参加するなんて、以ての外であった。
「えー! 参加しないんですか? とどのつまり、勿体ないですよ!」
「俺は遊馬のサポーターに徹することにしたのだ。参加はせん!」
フンと鼻を鳴らしながら万丈目が断言すると、等々力が非常に残念そうな表情を浮かべた。
「なら、遊馬くんだけでなく、僕のサポートもして下さいよ!」
「気が向いたらな」
等々力のぼやきに万丈目はそんな曖昧な返事をしつつも、なんだかんだと言って協力してしまうであろう己自身に眼を細めていたことに本人ですら気付いていなかった。
パソコンの使い方とデュエルカフェを有益に使う方法、そして路地裏を使えば中学校まで行けるという万丈目でも迷わない道順を教えると、等々力は試験の復習があるからと帰っていった。そのお節介気質が委員長に選ばれた理由なのだろう。心の中で感謝しつつ、改めてカード知識を万丈目は集め始めた。モンスターエクシーズのサポートカード、流行のデッキ内容、コンボ集、大会に向けたデュエリストのインタビュー、それに廃人と化したデュエリストの記事からナンバーズを狙ったハンターの動向を読もうとした。
窓から差し込む光が薄くなってきた。雑誌から顔を上げると、周りの客層は入店時とはガラリと変わっていた。まだ夜ではないのに、外が随分と暗くなっている。女子学生だろうか、「これから雨が降るんだって!」「えー、嫌だぁー」等と甲高い声が聞こえてきた。手元に置き過ぎた焦点を壁にかかった時計に合わせると、とんでもない時刻を指していた。
「うわ、やっべ!」
慌てて立ち上がる。明里には一度Dゲイザーでメールを入れていたが、これでは夕飯の時刻に間に合いそうにない。雑誌を元の場所に戻し、緑のベストを着直した万丈目はとんずらこく様にカフェから飛び出した。
横断歩道を渡っている間も、歩道に沿って足を進めている間も、万丈目は夢現(ゆめうつつ)の様にずっとデュエルのタクティクスの構想を練っていた。だが、彼の思考の海で広がるのは彼自身のデッキではなく、遊馬のデッキであった。
(そろそろバイトの初給料日だし、明里さんに幾らか渡した後、残った分で遊馬のデッキに合うカードでも買ってやろう。きっと、アイツ、喜ぶだろうな)
嬉しそうな少年を想像しただけで笑みがこぼれてしまう。
そんな風に碌に景色も見ずに歩いていたものだから、赤信号で足を止めたことにより、まるで自身が知らぬところに立っていることに気が付いた。あのデュエルカフェに行くまで散々迷ったというのに、思索に耽る余りに更に迷うなんて! と一瞬頭を抱えるが、口を開けるようにして佇む路地裏が目に入り、等々力の言葉――中学校までの裏道の話が蘇った。
(そういえば、鉄男も路地裏を使えば、中学校から鉄子さんのお店まで楽に行けると言っていたな。……それにしても、路地裏か)
路地裏。その単語に万丈目は顔を顰める。この世界に来る前は何とも思わなかったのだが、どうにもこうにも、あの薄暗い雰囲気が今では苦手になってしまった。しかし、このまま大通りを使うのならば、確実に迷うであろう。遅くなって明里に迷惑を掛けたくはない。それに耳にした話を信じるならば、雨が降るらしいのだ。濡れる前に是非とも帰らなければならない。二回目に神代に会ったときは最悪だったが、それ以外に路地裏に嫌な思い出がある訳でもあるまい。それにもし此処にあのおジャマ共がいたならば、確実に腹が捩れる程に笑われただろう。
「路地裏がどうしたというのだ。くだらない!」
自身に言い聞かすように万丈目は声を荒げて独り言を口にすると、路地裏へ入って行く。それに倣って路地裏へ姿を消した人影が居たことに、いったい誰が気付けただろうか。
その路地裏は成程、恐怖を知らない度胸の塊の子供や恐怖で他人を屈服させることを知った大人が好みそうな道であった。高い建物に挟まれた隙間はとてもじゃないがバイクやオボットが通れそうなものではなく、燃えないゴミと共に冷ややかな空気が漂っている。
(まるで街の墓場みたいだ)
そう考えると、隣の壁がとてつもなく大きい墓石のように感じられた。墓石が大きいのか、それとも自身が小さくなってしまったのか。浮かび上がる妄言を馬鹿馬鹿しいと一蹴しながら、万丈目は早足で駆け抜ける。
そんな願いが通じたのか、広いところに出た。だがしかし、路地裏の広いところに出ただけであって、大通りではない。それでも、墓の群れの中を走るような圧迫感から一時的に脱出できたことに万丈目が息を吐こうとした、その時だった。
10:さようなら、日常
「Guten(グーテン) Abend(アーベン)!(ドイツ語で「こんばんは」) 《泉下(せんか)の住人》、万丈目準よ。君ならもっと後から来るかと思っていたよ」
聞くはずのない声が万丈目の鼓膜を叩く。私情を挟まない相変わらずな冷静な言い回しに、嫌な汗を覚える。この世界において、デュエルモンスターズのカード以外で万丈目が目にするもの、耳にするものは全て初めての物ばかりだった。だが、この逢魔時、この世界に来て初めて彼は、《初めて》ではないものを視界に入れ、聴覚で認識した。
「アモン・ガラム!? 何故、貴様が此処に!?」
ひっくり返ったような声が万丈目から発せられる。左腕に装着した小手が鈍い輝きを放ち、銀色で縁取りされた緑を基調とした礼服が風で翻り、赤茶髪が存在感を際立たせる。眼鏡のレンズ越しの瞳は獲物を捕らえる猛禽が如く、黒髪の彼をしかと捕らえている。路地奥から足音を響かせながら、在校時、財閥の御曹司かつ、万丈目とのデュエルに一度勝利し、アカデミアが異世界に飛ばされた後、ついぞ帰って来なかった留学生の男――アモン・ガラムが姿を現した。
「アモン・ガラム、か。その名前で呼ばれていたときもあった。だが、《泉下の住人》となった今となっては最早どうでも構わないことだ」
ずれてもいない眼鏡を直しながら、抑揚のない声でアモンが言う。服装は変わっているが、この男は間違いなくアモン・ガラム本人であるようだ。己以外にもこの世界に飛ばされてきた男がいた事実に、万丈目は信じられない気持ちでいたと同時に嬉しくもあった。これで元の世界に戻る方法が分かる!
「アモン、どうやって貴様はこの世界に来た? 《センカの住人》とは何だ? どうすれば、元の世界に戻れる?」
「やはりな。観察していた通り、君にとっての《あの瞬間》のことは本当に覚えていないようだ」
「観察だと! 貴様、俺のことに気付いていたのか! ならば、何故、今の今まで姿を現さなかった! 俺にとっての《あの瞬間》とはこの世界に来たときのことか! 俺の問いに答えろ、アモン・ガラム!」
はぐらかすような独り言を漏らすアモンに、万丈目がヒートアップかつ高圧的に矢継ぎ早に質問する。そんな彼とは対照的に冷ややかな態度を崩さないまま、アモンは簡潔に応えた。
「君こそ、僕の話を聞いていないではないか」
「なにっ!」
やれやれ、とでも言いたげなアモンの態度に万丈目が激昂するよりも早く赤茶髪の彼が腕を上げる。途端、赤く光る鞭のようなものが放たれ、万丈目の片腕に絡みついた後消失した。
「なんだ、これは!」
「君は質問ばかりだ。これは《デュエルアンカー》。デュエルが終わるまで相手を拘束するアイテムだ」
便利だろう? と呟きながら、アモンが彼の腕を引くと、赤い鞭は雲散しているというのに万丈目は引っ張られているかのようによろめいた。
「僕は言ったはずだ。君が先程から呼んでいる《アモン・ガラム》という名は《泉下の住人》となった今、全く意味のないものだと」
雨雲により空は覆われ、光は差し込んではいなかった。新たな象徴たる緑の礼服を片手で払いながら、男は最後の一歩を進めた。
「今の僕の名は《Ⅵ(ゼクス)》。僕と同じ《泉下の住人》、万丈目準よ。君にデュエルを所望する」
かつて《アモン》と呼ばれ、今は《Ⅵ(ゼクス)》と名乗る男が宣戦布告する。その言葉は万丈目にとって地響きのように感じられた。こめかみから生まれた汗が顎に行き着く前に、挑まれた者は拳を握り締めながら口を開いた。
「《ゼクス》だの《センカの住人》だの、訳の分からないことをベラベラと! いいだろう、デュエルで貴様を打ち負かし、全てを聞き出してやる!」
腰の右側に付けたデッキに手を伸ばすが、その右手は空を切った。何もない感触に万丈目は鉄子から借りたスタンダードデッキを闇川に貸したままだと思い出す。
(……くそったれ!)
一瞬躊躇した後、左手で反対側にぶら下げていた彼本来のデッキに手を伸ばす。包帯を巻いた薬指が傷んだが、もう気にしている暇はなかった。
「デュエルディスク、セット!」
遊馬のやり方を思い出しながら、万丈目はDパッドを宙に投げて展開し、初めて左腕に装備させる。左腕にかかる久方ぶりの重みに眩暈を覚えそうだ。
「Dゲイザー、セット!」
展開したデュエルディスクにデッキをセットした後、左目に特殊な片眼鏡を装着する。ARシステムリンク完了、という機械音声と共に数字の行列(マトリックス)が降り注ぐ。
アモン――Ⅵ(ゼクス)の左腕の小手が変形する。まるで本のページのように蛇腹に展開したかと思うと、一枚一枚独立した柊(ひいらぎ)の葉のようなデュエルディスクと化した。そのデュエルディスクは万丈目の様にDパッドのような形式ではなく、それ本来の役目しか持たないものであるようだ。そして、彼が左目に手を翳すと、その眼の周りに白銀色のマーカーが浮かび上がり、その瞳の色のみ銀色に変化した。こちらもまた、Dゲイザーではない方法で視るようだ。
デュエルを始められるよう状況を整えただけなのに万丈目の息が上がりそうになる。彼の顎まできた汗が重力に逆らえずに落下した。
「デュエル!」
万丈目とⅥ(ゼクス)のデュエルの幕が切って落とされた。
11:万丈目VS Ⅵ 1~2ターン目
――1ターン目、万丈目。4000ライフ。
―手札:5枚
「先攻は俺が貰う! 第1ターン目、ド――」
「先攻ドローなんていう無知な真似はしないでくれよ」
Ⅵ(ゼクス)の忠告に万丈目は彼自身のデッキに伸びた手をぐっと握り込んだ。この世界に来てから、万丈目はテーブル上の模擬デュエルしかしたことがなかった。デュエルディスクを使用した実戦は初めてである。初のオープンデュエル故にいつもの癖が出てしまった凡ミスに万丈目は歯を食いしばり、対戦相手がこのルールのデュエルに慣れている事実に敢えて気付かない振りをする。
「馬鹿が、俺様がそんなことをするかよ。俺は【仮面竜(マスクド・ドラゴン)】(星3/炎属性/ドラゴン族/攻1400/守1100)を攻撃表示で召喚! これでターンエンドだ」
白い仮面に似たようなものを被った、装甲の厚いドラゴンが万丈目のフィールドに登場する。これで相手の出方を見るらしい。
「あの時とは異なるデッキ内容か」
「貴様は知らぬと思うが、俺様は卒業後、プロデュエリストになった。そのデッキで貴様を倒す!」
万丈目がⅥ(ゼクス)――アモンと初めてデュエルしたとき、高火力を誇る《VWXYZ(ヴィトゥズィ)》と呼ばれるユニオンモンスターで構成される機械族のデッキを使用していた。その時のデュエルでは《雲魔物(クラウディアン)》と呼ばれる、戦闘では破壊されない効果を持つカード群を操るアモンに敗北してしまったが、同じ相手に負ける訳にいかない。
Ⅵ(ゼクス)は万丈目が言った《プロデュエリスト》という単語には反応せず、こう応えただけだった。
「奇遇だ、僕もあの時とは異なるデッキだ」
「え?」
対戦相手の言葉に万丈目が目を丸くするが、彼はそれ以上台詞を続ける気はないようだった。一枚使用しただけで万丈目のターンは終わった。
――2ターン目、Ⅵ(ゼクス)。4000ライフ。
―手札:5+1枚
「第二ターン、ドロー。僕は【魔導書士(まどうしょし)バテル】(星2/水属性/魔法使い族/攻500/守400)を召喚」
Ⅵ(ゼクス)のモンスターゾーンに、インテリな雰囲気を纏った青服の年若い魔導士が現れる。前のターンの終わりに言った通り、アモンのデッキは《雲魔物》と全く異なるもののようだ。
(だが、攻撃力500では攻撃力1400の【仮面竜】は倒せまい! 仮に強化して倒したとしても……)
「【魔導書士バテル】の効果発動。このカードが召喚・リバースした時、デッキから《魔導書》と名のついた魔法カード一枚を手札に加える。僕は魔法カード【魔導書庫(まどうしょこ)クレッセン】を手札に加える」
今後の動きを推察する万丈目を他所に、淡々とⅥ(ゼクス)が処理を行う。これにより、彼の手札は再び六枚となった。
「早速、通常魔法カード【魔導書庫クレッセン】の効果を発動するとしよう。このカードは自分の墓地に《魔導書》と名のついた魔法カードが存在しない場合に発動できる。【魔導書庫クレッセン】は一ターンに一枚しか発動できず、このカードを発動するターン、自分は《魔導書》と名のついたカード以外の魔法カードを発動できないという制約もあるが、僕には関係のない話だ」
デュエルは始まったばかりなのだから、互いに墓地は空っぽである。この第二ターン、【魔導書庫クレッセン】の制約――《魔導書》と名のついたカード以外の魔法カードを発動できない――によりⅥ(ゼクス)は《魔導書》と呼ばれるカード以外使用する気は更々ないらしい。《魔導書》という初めて聞くカードに万丈目は戸惑いを必死になって隠した。
「デッキから《魔導書》と名のついた魔法カードを三種類選んで相手に見せ、相手はその中からランダムに一枚選ぶ。僕がデッキから選んだのは【セフェルの魔導書】【グリモの魔導書】【ゲーテの魔導書】の三冊だ」
適当に三枚をシャッフルし、万丈目に背面を向けた三枚のカードをⅥ(ゼクス)が提示する。何を選んだら、どんな効果を及ぼすのか、どれを選べば被害は最小限に済むのか、万丈目は見当もつかない。黒い渦を巻いたようなカードの背面を睨んだまま、彼は「真ん中」と答えた。
「相手が選んだカード一枚を自分の手札に加え、残りのカードをデッキに戻す。ランダムだから、相手に選ばれて手札に加えるカードやデッキに戻すカードを公開する必要はない」
「知ってるわ!」
選ばれた一枚のカードを手札に加え、残りの二枚をデッキに戻しながらのⅥ(ゼクス)の説明に、万丈目が噛み付く。これにより、Ⅵ(ゼクス)の手札から一枚【魔導書庫クレッセン】が減って、何かしらの《魔導書》が追加され、プラスマイナス0――即ち六枚のままだった。
「僕は手札から通常魔法【グリモの魔導書】を発動。デッキから【グリモの魔導書】以外の《魔導書》と名のついたカード一枚を手札に加えるが、このカードは一ターンに一枚しか発動できない。僕は【ヒュグロの魔導書】を手札に加えるとしよう」
(先程、選んだカードは【グリモの魔導書】とやらだったか。この《魔導書》デッキ、サーチカードばかりではないか!)
サーチ(広義としてはデッキに眠っている状態のカードを一定条件下で探すこと)につぐサーチで、それ以外の効果を発動しないⅥ(ゼクス)に万丈目はフラストレーションが溜まっていく。Ⅵ(ゼクス)の手札は一枚減って一枚増えただけなのだから、相変わらず六枚のままだ。
「続けて、通常魔法【ヒュグロの魔導書】を発動。【ヒュグロの魔導書】は一ターンに一枚しか発動できない。自分フィールド上の魔法使い族モンスター一体を選択して発動できる。このターン終了時まで選択したモンスターの攻撃力は1000ポイントアップする。僕は【魔導書士バテル】を選択だ」
ようやくサーチ以外の効果が発動し、手札が五枚となる。攻撃力500の【魔導書士バテル】が強化され、1500となった。万丈目の攻撃力1400の【仮面竜】を上回ったというのに、当のモンスターのプレイヤーはほくそ笑んだだけだった。【仮面竜】は戦闘破壊されてこそ意味があるのだ。
「バトルフェイズに移行。攻撃力1500の【魔導書士バテル】で攻撃力1400の【仮面竜】を攻撃」
【魔導書士バテル】が手に持った本で【仮面竜】を殴り付けると、それだけで破壊されてしまった。万丈目は差し引き100のライフポイントダメージを受けるが、「これぐらい必要経費だ!」と彼は高笑いして言った。
「この瞬間を待っていた! 【仮面竜】の効果発動! このカードが戦闘によって破壊され墓地へ送られた時、自分のデッキから攻撃力1500以下のドラゴン族モンスター一体を自分フィールド上に特殊召喚する事ができる! 現れろ、【アームド・ドラゴン LV(レベル)3】(星3/風属性/ドラゴン族/攻1200/守900)!」
万丈目のフィールドに鎧にも似た固い鱗に覆われた橙色の小さな竜が参上する。彼は【仮面竜】というリクルーター(モンスターをデッキから特殊召喚する能力を持つモンスターカードのこと)を用(もち)い、自身のエースモンスターを呼ぶための布石にしたのだ。
「ならば、僕も効果を発動することにしよう。【ヒュグロの魔導書】の対象となったモンスター【魔導書士バテル】が戦闘によって相手モンスター【仮面竜】を破壊した場合、デッキから《魔導書》と名のついた魔法カード一枚を手札に加える事ができる。僕は【セフェルの魔導書】を手札に加える」
「またサーチカードか! サーチするしか能のないカード群め!」
結局はサーチする効果に万丈目が暴言を吐く。それに対して、手札が再び六枚になったⅥ(ゼクス)は溜息すら吐かずに「メインフェイズ2に入る」と宣言しただけだった。
「通常魔法【セフェルの魔導書】を発動。制約は変わらず、【セフェルの魔導書】は一ターンに一枚しか発動できない。自分フィールド上に魔法使い族モンスターが存在する場合、このカード以外の手札の《魔導書》と名のついたカード一枚を相手に見せ、【セフェルの魔導書】以外の自分の墓地の《魔導書》と名のついた通常魔法カード一枚を選択して発動できる。このカードの効果は、選択した通常魔法カードの効果と同じになる」
起伏のない声で効果を読み上げ、Ⅵ(ゼクス)は続けた。
「僕のフィールドには【魔導書士バテル】がいる。よって発動は可能だ。僕は手札の【アルマの魔導書】を君に見せ、墓地にある【グリモの魔導書】の効果をトレースする。《魔導書》の制約により、一ターンに同じ名前のカードは使えないが、同じ効果は使用可能だ」
【セフェルの魔導書】の効果欄が【グリモの魔導書】と同じ文面――デッキから【グリモの魔導書】以外の《魔導書》と名のついたカード一枚を手札に加える――に変わっていく。
「僕はこの効果で【ゲーテの魔導書】を手札に加える」
手札がまたしても六枚になる。サーチカードでサーチカードをサーチし、更にサーチを重ねる。意味のないサーチに万丈目は今にも舌を打ちたい気分だった。
「魔法・罠ゾーンにカードを一枚セット後、速攻魔法【ゲーテの魔導書】を発動。【ゲーテの魔導書】もまた、一ターンに一枚しか発動できない。自分フィールド上に魔法使い族モンスターが存在する場合に発動可能――今の場合、【魔導書士バテル】が存在するため、問題はない――、自分の墓地の《魔導書》と名のついた魔法カードを三枚までゲームから除外し、その枚数によっていずれかの効果を得る」
一枚伏せて、もう一枚を使用したため、彼の手札は四枚となった。人差し指を立てて、丁重にⅥ(ゼクス)は説明する。
「一枚の除外なら、フィールド上にセットされた魔法・罠カード一枚を選んで持ち主の手札に戻す」
人差し指と中指を立てて彼は続ける。
「二枚の場合、フィールド上のモンスター一体を選んで裏側守備表示または表側攻撃表示にする」
三本の指を立てて、対戦相手が締め括る。
「三枚ならば、相手フィールド上のカード一枚を選んでゲームから除外する」
彼の墓地に《魔導書》と名の付くカードは【魔導書庫クレッセン】【グリモの魔導書】【ヒュグロの魔導書】【セフェルの魔導書】の計四枚が眠っている。彼が望めば、三枚目の効果まで得ることが可能だ。
(せっかく呼び出した【アームド・ドラゴン LV3】を除外されたら、たまったもんじゃねぇ!)
除外の場合、墓地ではないので呼び起こすのがかなり難しくなってしまう。冷や汗をかく万丈目だったが、次のⅥ(ゼクス)の行動に眼を剥くことになる。
「僕は墓地の【グリモの魔導書】一枚だけ除外し、フィールド上にセットされた魔法・罠カード一枚を選んで持ち主の手札に戻す効果を適用する」
「フィールド上にセットされた魔法・罠カードだと!? 俺のフィールドには【アームド・ドラゴン LV3】のモンスターカードしかいない! いったい何の魔法・罠カードを持ち主の手札に戻すというのだ!?」
「あるじゃないか、僕のフィールドに」
Ⅵ(ゼクス)は表情を崩さず、先程伏せたばかりのカードを指差しながら言った。
「僕は僕のフィールドのカードを僕の手札に戻す」
フィールドから一枚戻り、Ⅵ(ゼクス)の手札が五枚に戻る。僅か数十秒前に魔法・罠ゾーンに設置されたカードが持ち主の手札に戻っていくという無駄な行為が行われる。本来であるならば、墓地の《魔導書》を三枚除外して【アームド・ドラゴン LV3】を除外しなかったことを喜び、相手のプレイミングミスを嘲笑うべきだろうが、万丈目はそれが出来なかった。まるで意図の見えない行為に薄気味悪さを覚える。
「最後に通常魔法【アルマの魔導書】を発動する。このカードもまた、一ターンに一枚しか発動できない。【アルマの魔導書】以外のゲームから除外されている自分の《魔導書》と名のついた魔法カード一枚を選択して手札に加える効果だ。先程、【ゲーテの魔導書】で除外した【グリモの魔導書】を手札に加える。僕はこれでターンエンドだ」
Ⅵ(ゼクス)の手札は最終的に五枚となり、【魔導書士バテル】の攻撃力が400に戻る。結局、このターンにおいて彼はサーチにサーチを重ね、場のモンスターを増やすこともせずに手札のサーチカードを増やしただけであった。しかも、そのサーチカードは他のサーチカードをサーチするためだけの効果しか持たない。ゲシュタルト崩壊を起こしそうな程のサーチ行為を繰り返したターンはこうして終結したのだった。
12:3ターン目
――3ターン目、万丈目。3900ライフ。
―手札:4+1枚
―場 :【アームド・ドラゴン LV3】
―墓地:【仮面竜】
(アモンは見慣れぬデッキを使い、訳の分からないことを繰り返していた。奴のことだ、必ず意味のある行為なのだろう。ならば、その行為が意味を持つ前に彼奴を屠(ほふ)るまで!)
息を大きく吸うと、万丈目はこれをラストターンにすべく動き出した。
「3ターン目! 俺のターン、ドロー! スタンバイフェイズに【アームド・ドラゴン LV3】の効果発動! 自分のスタンバイフェイズ時、フィールド上に表側表示で存在するこのカードを墓地へ送る事で、手札またはデッキから【アームド・ドラゴン LV5】(星5/風属性/ドラゴン族/攻2400/守1700)一体を特殊召喚する! 俺のエースモンスターよ、成長しろ!」
ドローフェイズが終わるや否や、スタンバイフェイズにフィールドのモンスターの効果を発動させる。可愛らしい橙色の子供のドラゴンはレベルアップし(墓地へ送られ)、鋸刃やドリルを付けた、猩々緋が主色となったドラゴン【アームド・ドラゴン LV5】へ成長する(デッキから特殊召喚される)。だが、対戦相手であるⅥ(ゼクス)は何の反応を示さない。万丈目はそれを横目で確認して「これならどうだ!」と言わんばかりに次なる進化を求めた。
「更に俺は手札から通常魔法【レベルアップ!】を発動! フィールド上に表側表示で存在する《LV》を持つモンスター一体を墓地へ送り発動し、そのカードに記されているモンスターを、召喚条件を無視して手札またはデッキから特殊召喚する。俺が選択するのは勿論【アームド・ドラゴン LV5】だ! Go to the next level!(次のレベルへ進め) 現れろ! 【アームド・ドラゴン LV7】(星7/風属性/ドラゴン族/攻2800/守1000)!」
万丈目の手札が四枚になる。今度は黒い鎧調の【アームド・ドラゴン LV5】がレベルアップし(墓地へ送られ)、精悍な目付きをした銀色の鎧調の大人ドラゴン【アームド・ドラゴン LV7】へ成長する(デッキから特殊召喚される)。
「まだだ! まだコイツの成長は終わっていない! 俺は自分フィールド上に存在する【アームド・ドラゴン LV7】一体をリリースし、手札からコイツを特殊召喚する! 見るがいい! 俺のエースモンスターの究極進化形【アームド・ドラゴン LV10】(星10/風属性/ドラゴン族/攻3000/守2000】》を!」
風が渦巻いていく。鋼の鎧で覆われた【アームド・ドラゴン LV7】がレベルアップし(墓地へ送られ)、隆々とした肉体を誇り、鋼鉄の鎧で覆われた【アームド・ドラゴン LV10】へ最終進化を遂げる(手札から特殊召喚される)。【アームド・ドラゴン LV10】は通常召喚できず、自分フィールド上に存在する【アームド・ドラゴン LV7】一体をリリースした場合のみ特殊召喚する事ができるという、それまで――前のレベルモンスターをリリースした後、デッキや墓地から次のレベルモンスターを特殊召喚――とは異なる進化の仕方を取っている。万丈目の手札にあり、かつフィールドに【アームド・ドラゴン LV7】がいるときにのみ召喚できるモンスターカードだ。
僅か開始3ターン目で万丈目のフィールドに攻撃力3000のモンスターが躍り出た。この動きにより残り手札が三枚になったが、まだ彼のアクションは終わらない。このターンでⅥ(ゼクス)を潰すのだ。
「俺のメインフェイズ1はまだ終わっちゃいない! 【アームド・ドラゴン LV10】の効果発動! 俺は手札を一枚墓地へ送ることで――」
『いや~! やめてよ~、アニキィ~!』
コストとなるカードを握った瞬間、万丈目はカードの精霊の声を聞いたような気がした。手元のカードに視線を落とすが、これは空耳だ。いつもコストやら生贄(リリース)要員にするから、その時のアイツの叫びや愚痴が脳内にこびり付いて勝手に再生されただけなのだ。だって、精霊が宿っているカードから何の温もりも震えも感じない、姿すら視えない。
「どうした、万丈目準。手札を一枚墓地へ送ることで、どんな効果が得られる?」
Ⅵ(ゼクス)が先を促すように口を挟む。その効果の影響を受ける相手から冷静に質問され、万丈目は頭にカッと血が上った。
「俺は手札を一枚――【おジャマ・イエロー】(星2/光属性/獣族/攻0/守1000)を墓地へ送る事で相手フィールド上に表側表示で存在するモンスターを全て破壊する! くらえ! 《真・ジェノサイド・カッター》!」
もう幻聴はなかった。それが尚更、精霊が見える力を失ったことを突きつけるようで万丈目は態(わざ)と声を張り上げる。
万丈目の手札が二枚になる。【アームド・ドラゴン LV10】の腹の鋸刃が回転し、放たれた衝撃波がⅥ(ゼクス)のフィールドのモンスター【魔導書士バテル】を破壊する。対戦相手の魔法・罠ゾーンにカードはない。Ⅵ(ゼクス)のフィールドは完全に空っぽになったのだ。
「続けて俺は【ドラゴンフライ】(星4/風属性/昆虫族/攻1400/守900)を通常召喚! 《アームド・ドラゴン》の進化は全て特殊召喚だからな、一ターンに一度行える通常召喚はまだ行ってはいない!」
とうとう万丈目の手札が残り一枚になった。彼のフィールドに巨大なトンボのモンスターが現れる。
「バトルだ! 俺のモンスターたち、相手プレイヤーのアモンに総攻撃を仕掛けろ!」
メインフェイズ1が終わり、バトルフェイズに入った。先鋒とばかりに【ドラゴンフライ】がⅥ(ゼクス)に襲い掛かる。
Ⅵ(ゼクス)のフィールドには何の壁もない。【アームド・ドラゴン LV10】の攻撃力は3000、【ドラゴンフライ】の攻撃力は1400、合わせて4400、対戦相手の残りライフは4000、彼のフィールドにはモンスターがいないためにダイレクトアタックが通るので、余裕で倒すことが可能だ。しかも、魔法・罠カードすらないから何も案じる必要がない。なのに、Ⅵ(ゼクス)は何の表情も浮かべない。手も足も出ないことに諦めの境地に達したか!
(勝った!)
万丈目がそう確信したときだった。
「この瞬間、僕は手札から効果モンスター【バトルフェーダー】(星1/闇属性/悪魔族/攻0/守0)の効果を発動。コイツを僕のフィールドに特殊召喚する」
「俺のターンのバトルフェイズ中に手札からモンスターを特殊召喚だと!?」
Ⅵ(ゼクス)のターンではないのに、むしろ万丈目のターンのバトルフェイズ中だというのに、ベル型のモンスターが突如として対戦相手のフィールドに特殊召喚された。そのモンスターが鳴らす鐘の音を聞いた途端、【ドラゴンフライ】が急ブレーキを掛け、【アームド・ドラゴン LV10】は振り上げた拳を下す。いったい何が起きているのか、万丈目は全く分からなかった。
「どうした、お前たち! 何故、攻撃をしない!?」
「【バトルフェーダー】の効果だ。相手モンスターの直接攻撃宣言時に発動できる手札誘発のカード。このカードを手札から特殊召喚し、その後バトルフェイズを終了させる。もっとも、この効果で特殊召喚した場合、このカードがフィールドから離れた場合に除外されてしまうが――」
眼鏡を直しながら、Ⅵ(ゼクス)は言った。
「――この短いデュエルには関係のない話だ」
バトルフェイズ終了の鐘が余韻よろしく響いていく。はたはたとⅥ(ゼクス)の服の裾がはためき、万丈目の短いベストの裾は申し訳程度に揺れただけだった。
手札誘発のカード。特定の条件下で相手のターンに手札から発動するモンスターカードなんて、万丈目には馴染みのないカードの種類であった。元の世界において、伝説のデュエリストの武藤遊戯が使用していた【クリボー】(星1/闇属性/悪魔族/攻300/守200)の効果が相手ターンの戦闘ダメージ計算時、このカードを手札から捨てて発動可能、その戦闘によって発生する自分への戦闘ダメージは0になる、というものだったが、その《相手ターンに手札から発動するモンスターカード》という点に留意したことはなく、変わった条件下で発動する、デュエルキングらしい防御カードとしか思っていなかった。
万丈目はエクシーズ召喚に関することは調べていたが、それ以外は等閑(なおざり)になっていた。
つまり、元の世界では特別であり、この世界では当然である手札誘発という種類のカードを彼は純粋に知らなかったのである。
「君のバトルフェイズは終わった。さぁ、メインフェイズ2に入ってもらおう」
Ⅵ(ゼクス)が宣告する。バトルフェイズが強制終了された今、もうバトルは行えない。このターンで相手を倒す方法は永遠に失われてしまったのだ。
(確かにこのターンで決着をつける手段は無くなった……だが……っ! 次のターンを凌げば、この《罠カード》が発動すれば、まだ俺にも勝機がある! それに相手の戦法はサーチカードをサーチし続けるというだけではないか。いったい何を恐れる必要があるというのだ!?)
このターンの始めに考えていたこととはまるで逆のことを思いながら、万丈目は魔法・罠ゾーンにカードを一枚伏せ、ターンエンド宣言を行った。これにより、彼の手札は0枚となった。
13:ラストターン
――4ターン目、Ⅵ(ゼクス)。4000ライフ。
―手札:4+1枚
―場 :【バトルフェーダー】
―手札:【グリモの魔導書】 他
―墓地:【魔法書士バテル】【魔導書庫クレッセン】【ヒュグロの魔導書】【セフェルの魔導書】【ゲーテの魔導書】【アルマの魔導書】
「4ターン目、ドロー。メインフェイズ1に入る。僕は第二ターン目で【アルマの魔導書】の効果で手札に加えた通常魔法【グリモの魔導書】を発動。このカードは一ターンに一枚しか発動できない。デッキから【グリモの魔導書】以外の《魔導書》と名のついたカード一枚を手札に加える。僕は通常魔法【魔導書の奇跡】を加える」
Ⅵ(ゼクス)のターンに入り、此処で初めて彼は《~の魔導書》以外のカードを手札に加えた。流れが変わり始めたのだ。
「準備は整った。《魔導書》デッキの神髄、とくとお見せしよう」
【魔導書の奇跡】とやらがそんなにもキーカードだったのだろうか。Ⅵ(ゼクス)の台詞に、ならば何故最初からそのカードをサーチしなかったのか、万丈目は疑問に思った。だが、その疑問はすぐに晴らされることになる――路地裏に潜む闇のような絶望と共に。
「僕は3ターン目に特殊召喚された【バトルフェーダー】をリリースし、【魔導冥士(まどうめいし)ラモール】(星6/闇属性/魔法使い族/攻2000/守1600)をアドバンス召喚!」
互いのプレイヤーに与えられた一ターンに一回きりの通常召喚権はレベル4以下のモンスターなら即召喚できるが、レベル5以上になるとフィールドに存在するモンスター一体を、レベル7以上は二体をリリースしないとできない。そのため、レベル1の【バトルフェーダー】を墓地に送ることでレベル6の冥界の鎌を持った魔法使い【魔導冥士ラモール】がアドバンス召喚(リリースを必要とする通常召喚のこと)されるわけだ。相手モンスターの攻撃力は2000、万丈目の【ドラゴンフライ】の攻撃力は1400のため倒されてしまうが、攻撃力3000の【アームド・ドラゴン LV10】には及ばない。
(それに万が一、上回ったとしても最後の罠カードが俺を守ってくれる!)
これからのデュエルを想像する万丈目にⅥ(ゼクス)の声が届いた。
「【魔導冥士ラモール】の効果発動! この【魔導冥士ラモール】の効果は1ターンに1度しか使用できない。このカードが召喚・特殊召喚に成功した時に発動可能、自分の墓地の《魔導書》と名のついた魔法カードの種類によって以下の効果を適用する。三種類以上ならば、このカードの攻撃力は600ポイントアップ。四種類以上の場合、デッキから《魔導書》と名のついた魔法カード一枚を手札に加える」
三本、四本と手を開いていき、最後にⅥ(ゼクス)は手を開いて言った。
「そして、五種類以上ならば、デッキから魔法使い族・闇属性・レベル5以上のモンスター一体を特殊召喚する。僕の墓地には【魔導書庫クレッセン】【ヒュグロの魔導書】【セフェルの魔導書】【ゲーテの魔導書】【アルマの魔導書】【グリモの魔導書】の計六種類の《魔導書》と名の付いた魔法カードが存在している。僕は全ての効果を発動可能だ。【魔導冥士ラモール】の攻撃力は600ポイントアップし、デッキから【トーラの魔導書】を手札に加え、魔法使い族・闇属性・レベル6の【魔(ま)導(どう)鬼士(きし)ディアール】(星6/闇属性/魔法使い族/攻2500/守1200)をデッキから特殊召喚する!」
炎の剣を掲げた、悪魔の騎士にも似た風貌の魔法使いがⅥ(ゼクス)のフィールドにスペシャルサモンされる。今時分になって、万丈目はⅥ(ゼクス)の台詞「準備は整った」の意味を理解した。2ターン目に行われたサーチ行為は、あれは手札に加えることが目的ではなく、《魔導書》と名の付くカードを使用して、墓地に送ることが目的だったのだ。だから、魔法・罠カードをフィールドに伏せてから【ゲーテの魔導書】を使用したのだ――より多くの《魔導書》を使用し、墓地へ送るために。そして今、墓地に五種類以上揃ったことにより、【魔導冥士ラモール】の効果が全て発動し、レベル6の魔法使い族モンスターが二体、Ⅵ(ゼクス)のフィールドに並んだ。
「レベル6の魔法使い族モンスターが二体……?」
そんな、まさか! と万丈目の肩が震える。Ⅵ(ゼクス)は笑いもせずに、彼らの世界にはなかった最大の特徴たる召喚法を唱えた――二体以上の同じレベルのモンスターで行う特殊召喚を!
「僕は魔法使い族・レベル6の【魔導冥士ラモール】と同じく魔法使い族・レベル6の【魔導鬼士ディアール】でオーバーレイ! 二体のモンスターでオーバーレイ・ネットワークを構築!」
エクシーズの渦が現れ、二体のモンスターを吸い込んでいく。そして、強いエネルギーを放ちながら、一体のモンスターエクシーズが飛び出した。
「エクシーズ召喚! 現れろ! 【マジマジ☆マジシャンギャル】(ランク6/闇属性/魔法使い族/攻2400/守2000)!」
Ⅵ(ゼクス)のフィールドに現れたモンスターエクシーズは、武藤遊戯が所有する【ブラック・マジシャン・ガール】にも似た露出度の高い姿をしており、お堅い性格の彼には似合わないカードだった。そのことを指摘して笑えたら、どんなに良かっただろうか。だが、そんなことができるほど、今の万丈目に余裕なんてものはなかった。
「アモン、何故、貴様がエクシーズ召喚を……」
「教えてもらったんだよ、僕に《新たな使命》を授けてくれた《彼ら》に」
「《新たな使命》? 《彼ら》だと?」
「関係のない話さ、今度こそ涅槃へ逝く君にはね」
対戦相手の口調こそは静かであったが、その内容は予言のようであり、嘘や冗談の類(たぐい)ではなかった。ゆっくりと心臓が冷えていく感触が万丈目を蝕んでいく。
「【マジマジ☆マジシャンギャル】の効果を発動。一ターンに一度、このカードのエクシーズ素材を一つ取り除き、手札を一枚ゲームから除外して二つある効果から一つを選択して発動できる。僕は五枚の手札から一枚【トーラの魔導書】を除外し、相手フィールド上のモンスター一体を選択し、このターンのエンドフェイズ時までコントロールを得る効果を適用する。【アームド・ドラゴン LV10】、此方に来るんだ。【マジマジ☆マジシャンギャル】、《メロメロ☆マジック》だ!」
『は~い! マスター、分かりましたぁ!』
小悪魔の様に【マジマジ☆マジシャンギャル】は可愛らしく返事して、手にしていたロッドからではなく、ウインクしてハートを飛ばす。そのハートに当たった【アームド・ドラゴン LV10】がぽわわ~んと愛の形に包まれると、プレイヤーたる万丈目に背を向けて、Ⅵ(ゼクス)の元へ歩いていく。
「《アームド・ドラゴン》!」
万丈目の悲痛な叫びを無視し、彼の最大のエースモンスターは敵に回った。ぐにゃり、と融けて曲がっていきそうな視界の彼にⅥ(ゼクス)が更なる追い打ちを掛ける。
「エクシーズ素材として墓地に送った【魔導鬼士ディアール】の効果を発動。このカードが墓地に存在する場合、自分の墓地の《魔導書》と名のついた魔法カード三枚をゲームから除外して発動できる。このカードを墓地から特殊召喚する。僕は墓地の【ヒュグロの魔導書】【セフェルの魔導書】【ゲーテの魔導書】の三冊を除外し、【魔導鬼士ディアール】を特殊召喚」
【魔導鬼士ディアール】が再びフィールドに舞い戻る。無論、Ⅵ(ゼクス)のメインフェイズ1はまだ終わらない。
「更に【マジマジ☆マジシャンギャル】でオーバーレイ・ネットワークを再構築!」
「再構築だって!?」
万丈目が金切り声のように叫んだ。遊馬が行った【希望皇ホープ】を元に【CNo.39 希望皇ホープレイ】へエクシーズ・チャンジさせたように奴も行うというのか!?
ああ~ん、いや~ん! と叫ぶ【マジマジ☆マジシャンギャル】を引きずり込んだエクシーズの渦が再び輝きだす。
「古(いにしえ)の魂を継ぐ黒衣の魔導師よ、今こそ冥界より降臨せよ! エクシーズ召喚! 現れろ! 【幻想の黒魔導師】(ランク7/闇属性/魔法使い族/攻2500/守2100)!」
長い金髪をこれでもかという程に揺らしながら、褐色肌で蒼いローブを纏った黒魔導士がエクシーズ召喚される。何処となく【ブラック・マジシャン】に似た魔導士は万丈目を見て、邪悪な笑みを浮かべた。
「本来ならば、二体のレベル7のモンスターでエクシーズ召喚されるモンスターエクシーズだが、このカードは自分フィールド上の魔法使い族・ランク6のモンスターエクシーズの上にこのカードを重ねてエクシーズ召喚する事も可能だ」
淡々とⅥ(ゼクス)が説明する。手札四枚のまま、Ⅵ(ゼクス)のフィールドに、万丈目からコントロールを奪った【アームド・ドラゴン LV10】、墓地から蘇った【魔導鬼士ディアール】とオーバーレイ・ネットワークを再構築された【幻想の黒魔導師】の三体が並んだ。
「【幻想の黒魔導師】の効果発動。一ターンに一度、このカードのエクシーズ素材を一つ取り除いて発動できる。手札・デッキから魔法使い族の通常モンスター一体を特殊召喚する。エクシーズ素材となった【マジマジ☆マジシャンギャル】を墓地に送り、僕はデッキから魔法使い族・通常モンスターの【魔法剣士トランス】(星6/地属性/魔法使い族/攻2600/守 200)を特殊召喚。ちなみに【幻想の黒魔導師】のこの効果は一ターンに一度しか使用できない」
オーバーレイ・ユニットを吸い込んだ杖を一振りし、【幻想の黒魔導師】が、剣を持った風変わりな魔法使いをデッキからⅥ(ゼクス)のフィールドに特殊召喚させる。フィールドに並んだ、レベル6の【魔導鬼士ディアール】に同じくレベル6の【魔法剣士トランス】――またしても、エクシーズ召喚の条件が揃ってしまった。
「この光景、見覚えがあるだろう。僕は【魔導鬼士ディアール】と【魔法剣士トランス】でオーバーレイ!」
二体のモンスターがエクシーズの渦へ飲み込まれていく。だが、その渦は先程の召喚時とは異なり、妖しい光を放っていた。それは万丈目も見慣れた、遊馬のエースモンスターを召喚するときと同じ光だった。
「相手を追いつめる詰めの一手(ナンバーズ)となれ! エクシーズ召喚! 【No.72 ラインモンスター チャリオッツ・飛車】(ランク6/地属性/獣戦士族/攻2500/守1200)!」
和太鼓が何処からともなく響いてくる。飛車を掲げた奇天烈なナンバーズが渦から飛び出してきた。
「ナンバーズ……」
万丈目にはそう漏らすことしか出来ない。強大な力と意志を秘めるカードが敵の手元にある事実にただ唖然とするばかりだった。そして、ナンバーズを操りながらも自我を保つⅥ(ゼクス)に一つの推論が浮かんだ。
「アモン、もしや、貴様……《ナンバーズハンター》なのか?」
遊馬を襲った《ナンバーズハンター》ことカイトに仲間がいることを読んでいたが、もしかすると彼がそうだったのかもしれない。万丈目の予想外の発言に、Ⅵ(ゼクス)は一度動きを止めたが、いつも通りの私情を挟まない声色でこう答えただけだった。
「違う。むしろ、彼らこそが敵だ。もっとも、君らが彼らに敵対していたとしても、僕らの味方にはならない」
「では、何故俺とデュエルをする?」
「あの時、僕は君からのデュエルの誘いに乗った。今度は君が僕の誘いに乗っただけの話だ。お喋りは止そう。観衆(オーディエンス)が飽きてしまう」
覇気を失いかけた万丈目の質問をⅥ(ゼクス)は早々と切り上げてしまう。
今、彼のフィールドには攻撃力3000の【アームド・ドラゴン LV10】、攻撃力2500の【幻想の黒魔導師】、同じく攻撃力2500の【No.72 ラインモンスター チャリオッツ・飛車】の三体が並んでいる。対して、万丈目のフィールドには攻撃力1400の【ドラゴンフライ】と罠カードがあるだけだった。
Ⅵ(ゼクス)に奪われた【アームド・ドラゴン LV10】は、前回のターンで万丈目が使用した、手札を一枚捨てて、相手フィールド上のモンスターを全て破壊する効果を持っている。その効果を使われてしまえば、万丈目のモンスターゾーンは空っぽになってしまう。だが、影響を受けるのはモンスターゾーンのみなので、魔法・罠カードは無事だ。万丈目の伏せた最終防御兵器はそのまま取り残される。
(いくらモンスターを並べようが、無駄だ。攻撃宣言した瞬間、俺の伏せカードが火を噴いて、貴様のモンスターを殲滅してくれる!)
同じ世界から来た対戦相手のエクシーズ召喚、エースモンスターの奪取、オーバーレイ・ネットワークの再構築、ナンバーズの使用に心を乱されてきた万丈目だったが、タクティクスを見直して勝利の糸口を探す。ようやく見つけ出した糸口を掴もうとした瞬間、Ⅵ(ゼクス)の口が処刑人の様に開いた。
「【No.72 ラインモンスター チャリオッツ・飛車】の効果発動。一ターンに一度、このカードのエクシーズ素材を二つ取り除き、相手フィールド上に表側表示で存在するモンスター一体と相手フィールド上にセットされた魔法・罠カード一枚を選択して発動。選択したカードを破壊する。僕は【ドラゴンフライ】と伏せカードを選択だ。いけ、《ローリング・クラッシュ》!」
「なんだと!」
万丈目の驚愕の声よりも先に、彼のフィールドのモンスターカード一枚と魔法・罠ゾーンの伏せカードがライン上に点滅する。【No.72 ラインモンスター チャリオッツ・飛車】が放った車輪により、直線上にあった二枚のカードが轢かれ、一気に破壊されてしまった。その破壊音は、勝利への糸口が蜘蛛の糸の様に切れた音でもあった。
「君が伏せていた罠カードは、相手モンスターの攻撃宣言時に相手フィールドの攻撃表示モンスターを全て破壊する【聖なるバリア ―ミラーフォース―】だったか。危ないところだった」
危ないと言っていたが、その台詞には全く感情が宿っていなかった。だからといって、棒読みでもない。底のない暗闇から響く声であった。
「【No.72 ラインモンスター チャリオッツ・飛車】の効果を発動したターン、相手が受ける戦闘ダメージは半分になる。……といっても、今の君には無意味な話だ」
彼の言う通り、付け足された説明はまるで不要であった。攻撃力3000の【アームド・ドラゴン LV10】、攻撃力2500の【幻想の黒魔導師】、同じく攻撃力2500の【No.72 ラインモンスター チャリオッツ・飛車】、合計ダメージは8000、それを半分にしても4000、万丈目の残りライフは3900で差し引きライフは0になる、フィールドは空っぽ、手札0枚の状態ではどうしようもなかった。彼を守る術なんて、もう何処にも存在していなかった。
(嘘だろ……たった四ターン目でエースモンスターが奪われた挙句、俺のフィールドが空っぽだなんて。プロデュエリストの俺が一太刀も浴びせられないまま、終わるなんて!)
万丈目は目の前が真っ白になりつつあるのを感じていた。だが、悪夢は終わらなかった。
「バトルフェイズにはまだ早い。Meine Kameraden!(マイネ カマハ:ドイツ語で「諸君」) お愉しみはこれからだ」
Ⅵ(ゼクス)の、マーカーがある左目とは逆の右目の下にタトゥーのように紋章が現れる。彼の手元にはまだ四枚も手札があるのだ。
「このターンの一番初めに【グリモの魔導書】で手札に加えた通常魔法【魔導書の奇跡】を発動するとしよう。このカードは一ターンに一枚しか発動できない。自分の墓地の魔法使い族エクシーズモンスター一体とゲームから除外されている自分の《魔導書》と名のついた魔法カードを二枚まで選択して発動可能だ。僕は【幻想の黒魔導師】のエクシーズ・ユニットとして墓地に行った【マジマジ☆マジシャンギャル】と、【魔導鬼士ディアール】の特殊召喚の為に除外された【ヒュグロの魔導書】【セフェルの魔導書】を選択。選択したモンスターを特殊召喚し、選択した《魔導書》と名のついた魔法カードをそのモンスターの下に重ねてエクシーズ素材とする。甦れ、【マジマジ☆マジシャンギャル】!」
様々な色の光が飛び交し、その中央に『マスター、信じていましたわぁ☆』と甘い声を出しながら【マジマジ☆マジシャンギャル】がエクシーズ・ユニット付きで復活を果たす。しかし、その甘い声は万丈目にとって死神の囁きでしかなかった。
「彼女の効果を発動だ。一ターンに一度、このカードのエクシーズ素材を一つ取り除き、手札を一枚ゲームから除外して二つある効果から一つを選択して発動できる。先程の効果は相手フィールド上のモンスター一体を選択し、このターンのエンドフェイズ時までコントロールを得るというもの。もう一つの効果は相手の墓地のモンスター一体を選択し、自分フィールド上に特殊召喚するというものだ。僕は手札の【魔導書整理】を除外し、万丈目の墓地の【アームド・ドラゴン LV5】を選択。【マジマジ☆マジシャンギャル】、《メロリン☆マジック》だ」
『はぁ~い、仰せのままにぃ☆』
【マジマジ☆マジシャンギャル】が投げキッスをすると、彼女のラブコールを受けた【アームド・ドラゴン LV5】が墓地の扉をぶち破り、愛らしい悪魔の下僕になった。己が誇るモンスター二体と敵対することになった事実に、万丈目の顔色が青を通り越して白くなる。
「LV10だけでなく、LV5まで!?」
「本当は攻撃力が高い【アームド・ドラゴン LV7】が欲しかったが、【アームド・ドラゴン LV5】の効果でしか特殊召喚できないから仕方ない」
その独り言は劇の台本の台詞を感情込めずに言い放ったようだった。残った二枚の手札を無視して彼は続ける。
「僕は【マジマジ☆マジシャンギャル】でオーバーレイ・ネットワークを再構築。さぁ、来て貰おうか、このデュエル最後のモンスター【迅雷(じんらい)の騎士ガイアドラグーン】(ランク7/風属性/ドラゴン族/攻2600/守100)よ!」
二回目のオーバーレイ・ネットワークの再構築に、万丈目は酷い悪夢を見ているような気分に陥った。だが、これは紛うことなき現実だ。えーん、やっぱり~! と泣き真似して嘆く彼女を元にオーバーレイ・ネットワークを再構築した結果、やけにカラフルな出で立ちをした竜騎士が颯爽と現れた。
「二体のレベル7モンスターでエクシーズ召喚可能のモンスターだが、自分フィールド上のランク5・6のエクシーズモンスターの上にこのカードを重ねてエクシーズ召喚する事も可能。効果は、このカードが守備表示モンスターを攻撃した時、その守備力を攻撃力が超えていれば、その数値だけ相手ライフに戦闘ダメージを与えるというものだが……今この場において全く意味がない」
騎士が乗ったドラゴンが咆哮すると、それにつられるようにしてⅥ(ゼクス)のフィールドに居たモンスターたちが鬨(とき)の声をあげた。攻撃力3000の【アームド・ドラゴン LV10】、攻撃力2500の【幻想の黒魔導師】、同じく攻撃力2500の【No.72 ラインモンスター チャリオッツ・飛車】、攻撃力2400の【アームド・ドラゴン LV5】、攻撃力2600の【迅雷の騎士ガイアドラグーン】の計五体がⅥ(ゼクス)のフィールドに整列する。
(そんな、そんな馬鹿な……)
万丈目は声も出なかった。顔色同様、頭の中も真っ白で何も考えられなかった。ただ目の前に絶望が並んでいることだけは理解していた。
「君は元の世界ではプロデュエリストのようだが、この世界においては何の価値もない。後進的な知識はこの世界の速さには通用しない。まるで意味がない」
万丈目の全てを否定し、この世界でⅥ(ゼクス)となった青年は言った。
「しょうこともなし」
真っ白に染まった思考回路が真っ黒に塗り潰される。その台詞を聞いた途端、万丈目はぺたんと座り込みそうになった。それを耐えて立ち続けることが出来たのは、果たしてどうしてだろうか。
「バトルフェイズへ移行。僕のモンスターたちよ、プレイヤーにダイレクトアタックだ。最初はナンバーズにいってもらうとしよう。【No.72 ラインモンスター チャリオッツ・飛車】、《ストレート・クラッシュ》だ」
総攻撃開始の合図が放たれる。先鋒に任命された、攻撃力2500の【No.72 ラインモンスター チャリオッツ・飛車】は車輪を処刑道具の歯車の様に回転させ、情け容赦なく丸裸のプレイヤーの万丈目に向けて飛ばした。
「うわーっ!」
真っ直ぐに飛ばされた車輪を避ける術なんて、万丈目にはなかった。二対の車輪攻撃をまともに受け、彼が悲鳴を上げて崩れ落ちる。地面に手を付けて立ち上がろうとするが、肉体へのダメージが強すぎて立ち上がれそうにない。ライフダメージは【No.72 ラインモンスター チャリオッツ・飛車】のデメリット効果により半分になり、残りライフは2650となる。
「強い力と意志を秘めたナンバーズのデュエルが普通ではないことを君はよく知っているはずだ。……【アームド・ドラゴン LV5】、万丈目を攻撃しろ。《アームド・バスター》!」
次鋒は攻撃力2400の【アームド・ドラゴン LV5】だった。ドスドスと音を立てながら、重量感のあるモンスターが眼前に近付いていく。《アームド・ドラゴン》! と万丈目が叫ぶよりも先にモンスターの力を込めたパンチがヒットする。哀れな犠牲者の体は蹴り飛ばされた空き缶のように飛んでいき、何回かバウンドしてからようやく止まった。残りライフは1250となる。
「神の気まぐれたる回り道を終え、本来《逝く》べきところに向かうだけだ。安心して黄泉の国の住人となりたまえ」
Ⅵ(ゼクス)の声は、自身の吐く荒い息で聴覚を支配された万丈目に聞こえていなかった。呻きながらも顔を上げた彼の視界に飛び込んできたのは、風のエネルギーを溜める【アームド・ドラゴン LV10】の姿だった。
「《アームド・ビッグ・バニッシャー》」
コントロールプレイヤーの冷徹なる呼び声で【アームド・ドラゴン LV10】が斬撃を放つ。遮られることのない攻撃が無防備な万丈目に直撃する。ダイレクトアタックが成功し、彼のライフが0になる。ARヴィジョンのデュエル終了音声が鳴り響く。Ⅵ(ゼクス)が勝利し、万丈目準に敗北の烙印がおされた瞬間でもあった。
【アームド・ドラゴン LV10】の攻撃の余波はそのまま万丈目を背後の壁に叩き付けようとするが、その間近になって彼が首からぶら下げている《帝の鍵》が閃光を放ち、その衝撃を和らげた。致命傷は免れたが、一ヶ月前まで大怪我で入院していた彼の体がそれまでの攻撃に耐えきれる訳がなく、俯せになって倒れ込んだ。
雨が降り始めていた。ARヴィジョンが解除されたことにより、Ⅵ(ゼクス)のフィールドに居たモンスターたちが夢幻のように消えていく。
「成程、《貴方》が其処に居ましたか。だが、具現化できない《貴方》のか細い力では彼をそんな風にして守るのが精一杯でしょう。《貴方》のせいで、せっかくのARヴィジョンなのに、残り二体のモンスターの攻撃モーションを見られなかったのが残念です」
僅かに煌めきを残す帝の鍵にⅥ(ゼクス)が話し掛けるなか、万丈目は今にも落ちそうな意識を必死で耐えていた。ナンバーズが絡んだリアルダメージにより、Dゲイザーは飛ばされ、彼の自慢のデッキもあちらこちらに散らばっている。霞む視界のなか、万丈目は力の入らない手を必死になって伸ばした。一番近くにあったカードを拾おうとした瞬間、ひょいっと誰かに先に取られてしまう。此処にいる誰かなんて一人しかいない。
「ア、モン……返せ、俺のモンス、ター……」
「《貴方》に免じて、万丈目準への追撃は止めるとします。それにしても、【アームド・ドラゴン LV7】――こんな時代遅れのレベルモンスターで勝とうなんて笑止千万」
万丈目を無視して、Ⅵ(ゼクス)が小言を漏らす。彼の右目の下の紋章が更に強く輝いたと思いきや、その光が彼の手に持っていた【アームド・ドラゴン LV7】へ伝染し、白銀の光は次第に暗黒を湛えるようになり、そのカードを黒く暗く汚染していった。
「此方のカードの方がよっぽど使える。僕に負けた罰だ。《アームド・ドラゴン》は貰っていく」
雨の中、緑の礼服を翻してⅥ(ゼクス)がその場を立ち去っていく。万丈目は身を捩(よじ)るようにして手を伸ばすが、どのカードにも誰にも届かなかった。左の薬指の包帯が解けていくのと一緒に、敗北者の意識が緩やかに遠のいていく。
「十代」
この世界に来てから心の中でも呼ぶまいとしていた者の名が万丈目の口から転がり落ちた。意識が闇に落ちる間際、何度も助けられた癖して、相手が困っているときは何一つ力になれなかった男の名を呼んだことに笑いたい気持ちになった。
14:死人に口なし
「ブラボー! 素晴らしいデモンストレーションデュエルだったよ。頑張って君を育てたかいがあったってものだ」
雨音に交じって拍手が混じる。観衆(オーディエンス)に勝者がカツリカツリと歩み寄り、銀色の仮面を被った首魁である少年――トロンの言葉にⅥ(ゼクス)は恭(うやうや)しく頭を下げた。
「貴方にそう言って頂き、恐悦(きょうえつ)至極(しごく)に存じます。彼らも十二分に理解して下さったようだ」
お辞儀をしたまま、チラリとⅥ(ゼクス)はトロンの背後に立つ少年たち――ⅣとⅢを見る。白い礼服の青年のⅣは先程のデュエルの敗者の様に青白い顔つきをしており、アプリコット色の礼服の少年であるⅢはただただ呆然としていた。
(この野郎、僅か四ターンで勝ちやがった。相手の空になったフィールド、0枚になった手札とは対照的に、コイツのフィールドにはモンスターゾーン全てを埋める五体のモンスター、傷一つ付かなかったライフ、あんなに展開したのにもかかわらず余裕のある手札――フィールド・ライフ・手札と全てのアドバンテージで勝っていた。しかも、ナンバーズを使いこなしたうえ、オーバーレイ・ネットワークの再構築まで行い、隙のない怒涛のコンボだけでなく、わざわざ相手のエースモンスターの召喚を許し、そのうちの二体も奪って相手の鼻っ柱を完全にへし折って戦意喪失までさせるという《ファンサービス》のおまけ付きだ。……いったい、コイツは何者なんだ? 何処から来たんだ?)
Ⅳは恐怖で身が震えるのを感じた。現在、プロデュエリストとして活躍する彼でさえ歯噛みしてしまう程、Ⅵ(ゼクス)のデュエルの実力は認めざるを得ないものであった。あんな完膚無きまでに叩きのめされたら、もう対戦相手は立ち直れないだろう。
「対戦相手はカードの知識がないように見受けられましたが……。それにしても、レベルモンスターとは何でしょうか? 聞いたことがありませんね」
「後進的な知識など、何の役にも立つまい」
一番位の低いⅢの呟きを、長身長髪の男――Ⅴが叩き切るように否定する。
「さて、寸劇も終わったし、マイホームに戻るとしようか。雨に濡れるなんて少しムードがあって良いけれど、これ以上は勘弁願いたいからね」
さらりと言って背を向けると、片手を翳して不可思議な力を発動させ、トロンが魔法陣を作成する。ⅤとⅥ(ゼクス)がその動きを見つめる間に、後方をちらちら見ながらⅢがⅣに「兄様」と呼び掛けた。
「あのままでは、彼が……」
「分かっている」
Ⅲの言う《彼》が敗北した対戦相手ということは、Ⅳでもすぐに分かった。三人は気にも留めていないようだが、デュエルダメージを受けて気絶した黒髪の敗者は雨曝(あまざら)しのなか、放置されていた。ナンバーズが使用されたデュエルで受けるリアルダメージは普段のARヴィジョンとは比べ物にならないものだ。このまま放っておいたら、彼の命に関わるかもしれない。他人を放っておけないあたり、なんだかんだ言ってもやっぱり兄弟なんだな、とⅣは一年前に出来た傷を撫でながら思った。
「俺があいつらの気を引くから、Ⅲ、お前は路地近くにいる奴を捕まえて、そいつに人が倒れているということを伝えろ。余程の悪人ではない限り、そいつがどうにかしてくれるだろ。気付いた以上、助けないわけにはいかねぇはずだ」
ほら行け、とまるで猫を追っ払うような仕草をするⅣに感謝して、Ⅲは音も立てずに走り去った。魔法陣が完成し、今にもテレポートしそうな彼らのうちの一人――最も気に食わない他人にⅣが話し掛ける。
「おい、Ⅵ(ゼクス)といったか。どう見ても、先程のデュエルのラストターンの【魔導書の奇跡】以降のアクションは不要だろ。【No.72 ラインモンスター チャリオッツ・飛車】の効果を使用した時点で、もう既に決着はついていた」
喧嘩を吹っ掛けるような言い回しの非難に振り返ったⅥ(ゼクス)の顔はそのデュエルの時と同様、冷たい面構えをしていた。雨に濡れているせいか、更にその気を強くさせる。
「言ったはずだ、あれはデモンストレーションだと。そうでなければ、あんな無駄な行動はしない。勝利して当然、目的は力を誇示すること。僕は目的に沿った最適な行動をしただけだ」
Ⅵ(ゼクス)にとって万丈目とのデュエルに勝利することは既に前提条件であった。その態度が気に食わない、とⅣが不愉快そうに眉間に皺を寄せていると、彼は「それともなんだ」と続ける。
「君独特の定義の《ファンサービス》と答えた方がご希望の回答だったかな」
(兄貴、話しやがったな!)
Ⅳは兄たるⅤを睨みつけたが、彼は素知らぬ顔をしただけだった。コイツのなにもかもが癪に触る。オーバーすぎる実力も、人らしさを排斥した感情のこもらない声も、トロンに認められ、血の一滴も繋がらないのにⅣたちのファミリーに属していること自体も!
「テメェの実力は分かったぜ。けどな、俺はテメェを認めたわけじゃねぇ。第一《センカの住人》ってなんだ! テメェ、何処から来やがった! 何が目的だ!?」
「Ⅳ、嫉妬かい? 男のヒステリーはみっともないよ」
感情的になるⅣに対して、Ⅵ(ゼクス)は肩を竦める等のリアクションすら取らなかった。そんな彼の代わりとばかりに口元を嗤いで歪めながらトロンが忠告する。それがますますつまらないのだ、と言わんばかりにⅣが隠すことなく舌打ちする。
「目的、か」
Ⅵ(ゼクス)は雲に覆われた空を見上げながら呟く。雨滴が彼の頬に落ち、涙の様に落ちていった。
「此方の世界に《逝く》前の僕なら、確かに果たすべき目的があった。だが、それは一歩も進むことなく、ただ大事な女性を失っただけの大言壮語に終わった。目的が果たされないならば――結果が出なければ、僕の人生に意味はなかったと同義だ。だが、神の気まぐれによる回り道により、僕はこの世界に招待され、右も左も分からないところをトロンに助けられた。彼からこの復讐計画を聞いたときに、僕は決意したよ。前の世界で《全ての人の為》に行動した結果、何の結果を得ることは出来なかった。ならば、今度こそ確実に一人は救うため、ただ《一人の人の為》だけに尽力することを。そのためならば、僕は如何なる手段も断行し、その他の人々の想いを踏み躙(にじ)ることすら厭わない」
あれから雲を見上げなくなっていた。水滴で覆われた眼鏡のレンズすら気にせずに、Ⅵ(ゼクス)は言い切った。
「その他大勢の想いに《僕の気持ち》が入っていたとしても……もはや《死人に口なし》だ」
Ⅵ(ゼクス)の強固な決意にトロンが「流石だね」とニンマリと笑う。Ⅴは額にへばり付く前髪を煩わしそうに掻き上げただけだった。
異邦人が話している内容はⅣにとって何一つ明瞭を得られるものではなかった。しかし、《此方の世界》や《センカの住人》、《死人に口なし》等、独特なフレーズを使う目の前の男にⅣは不気味さを感じていた。それのそのはず、彼は彼自身のことすら感情も意志も持たない駒のように思っていたからだ――まるで彼が先程使用したナンバーズ【No.72 ラインモンスター チャリオッツ・飛車】のように。
(Ⅲ、まだ来ないのか!)
ファミリーといいつつ、其処にⅣの味方はいなかった。過去は敬愛したが、今ではその面影すら揺らめきつつある首魁に、何も話さない長兄、そして知らず知らずのうちに入り込んできた異邦人。ぎりぎりと歯軋りしたくなる気持ちを理性で抑え付け、次男は未だ人としての気持ちを失っていない末っ子の帰還を心から願った。
15:気付く者・気付かない者
Ⅳの助言であの場から飛び出したはいいものの、雨だからか、Ⅲはなかなか人を見付けることが出来なかった。次第に悪くなる視界に焦燥感を覚えつつ、辺りを見渡しながら走る。路地裏特有の薄暗さは雨により倍増しており、近道にもかかわらず、誰も見当たらない。探す時間は限られているのだ。思わずⅢが「神さま」と願った瞬間、黒い蝙蝠傘を差した中年の男性が視界に入った。丸い眼鏡をした、長髪の男性だ。自身の兄であるⅤのようなストレートではなく、ウェーブのかかった黒々とした髪型をしており、雨に映える陰気さが垣間見える。平常ならば絶対にお近付きになりたくないタイプであろうが、そんなことなんて気にも留めないと言わんばかりに突進する勢いで、Ⅲは男性に近付くと一気に捲し上げた。
「助けてあげて下さい! あの路地の先に人が倒れているんです。知ってしまった以上、貴方は無下にできないでしょう!」
路地を指さしたと同時に、Ⅲの体が光り輝いて消えてしまった。Ⅳの時間稼ぎが終わり、トロンの不可思議な力により強制的にテレポートされてしまったのだ。
傘を差した男は急に現れ、急に消えた少年に呆然としてしまった。非現実的な彼を天使というならば、あまりにもロマンチスト過ぎる。梅雨が見せた白昼夢だったかもしれない、と思いかけたが、彼の必死な声の余韻がまだ鼓膜に残っていた。
「知ってしまった以上は無下にできない、か」
一昔前の自身の発言を使われては仕方あるまい、と男は微かに笑うと、少年が指さした路地裏へ歩みを進めることにした。たまに傘を路地裏の壁に擦りながらも広い空間へ行き当たる。ばら撒かれたデッキ、激闘の残り香を漂わす場に、二度と見ることはないと思っていた向こうの世界の住人たる《彼》が倒れていた。
「万丈目準」
男が拾い上げたカードは、かの生徒がデュエルアカデミア時代に愛用していた【おジャマ・イエロー】だった。銀のペンダントをして服装は違えど、彼は《万丈目準》であることに間違いないようだ。意識はなく、雨のなか野晒しにされていたために、頭から爪先までぐっしょりと濡れている。ほんの一瞬、このまま放っておこうかという考えが過(よぎ)ったが、あの《少年》と仲良くしていたという理由だけでは、あまりにも大人気(おとなげ)ない選択だ。散らばったカードを集め、彼を見下ろすと彼の左の薬指の包帯が完全に解けてしまっていることに気が付いた。その爪だけがやけに綺麗で、随分と深爪をしていた。彼は変に神経質なところがあったから自身で噛んでしまったのだろうか。そう考えたが、また別の可能性が閃いた途端、ぞんわりと背筋が冷たくなるのを感じた。その仮定と連動するように、二月終わりの小さな新聞記事が脳裏に蘇る。今まで忘れていたのに、どうして、この瞬間にあの記事を思い出したのか。それから「あの被害者は彼だったのか」と納得する。彼にはあの《少年》同様の力があったと聞く。ならば、此方の世界に来ることができたのも頷けるだろう。【おジャマ・イエロー】を持ったまま、男は彼が来た時期とその方法を想像した。
着信音が鳴り響いている。辺りを見渡すと、彼の物であろうDゲイザーから聞こえていた。Dパッド等の装備から見ても、やはり彼はたった今此方の世界に来たわけではない。あの記事から計算するならば此方に来て数ヶ月、ならば彼の保護者がいるのだろう。
(向こうの世界でも此方の世界でも、彼は何かと巻き込まれやすいようだ)
Dゲイザーのディスプレイには《九十九遊馬》という知らない名前が表示されている。男は少しだけ逡巡すると、Dゲイザーのコール音に応えることにした。
「万丈目、おっそいなぁ~」
彼の物であり、彼の物ではないベッドに寝転びながら、遊馬が呟く。夕立が降るから、と早めに解散して帰宅する羽目になったので、遊馬は夕飯までの時間を持て余していた。此処に万丈目がいたならば、今日の鉄男とのデュエルの愚痴を聞いてくれて、模擬デュエルに付き合ってくれるのに、と恨めしく感じる。
『遊馬、小鳥から借りたエスパーロビンをもう一度観ないか?』
「アストラル、お前、何回見れば気が済むんだよ」
ふよふよと浮く幽霊にも似た存在――アストラルに遊馬が呆れた声を出す。
『何回観ても面白いから仕方ないだろう。それに万丈目が心配なら、Dゲイザーで連絡を取れば良いのではないか?』
アストラルの提案に遊馬は「それもそうか」と得心する。早速とばかりに起き上がってコールするが、「只今、デュエル中により接続できません」という無機質な機械音声が流れただけだった。
「万丈目、デュエル中だってさ」
アストラルに結果報告すると、遊馬は再びごろんとベッドに寝転んだ。雨の音が室内にも忍び込んでくる。カーテンでも閉めたらマシになるかな、と遊馬が思った矢先にアストラルが呟いた。
『確か、万丈目は明里からデュエルを禁止されていなかったか……?』
その言葉に遊馬はやおら起き上がった。再びコールするが、接続が悪くて上手く繋がらない。くそっ! と漏らすと、階段を駆け降り、「どうしたの、遊馬!?」と驚く明里と「何処行くんじゃ?」というハルの制止を無視し、遊馬は着の身着のままで自宅から飛び出した。
『傘も差さずに君はいったい何処へ行くというのだ?』
「デュエルカフェだよ! 鉄子さんが万丈目は其処に行ったっていうから、まだいるかもしれねぇ!」
ARヴィジョンでのデュエルを禁止されている万丈目がデュエルを行った、という事実に遊馬は嫌な予感がして仕方がなかった。もし、これが単なる親善試合のようなものなら何の心配もいらないだろう。闇川が万丈目の模擬デュエル用のデッキを保持していた。ならば、遊馬ですら一度としてデュエルで万丈目が使用するのを見たことがない彼自身のデッキで行ったということになる。
(俺のナンバーズを狙って、小鳥たちを誘拐した奴がいた。もしかして、万丈目も同じ目に……?)
顔に当たる雨粒を無視して、遊馬は青になったばかりの横断歩道を駆け抜ける。
『万丈目のデュエル相手がナンバーズハンターのカイトでなければ良いのだが……遊馬、もう一度コールしたらどうだろうか?』
「分かっているよ!」
同じように危惧していたアストラルの勧めに苛々しながら遊馬が実行に移す。三度目の正直だろうか。数度のコール音でディスプレイに人影が映り込んだ。
「万丈目!」
少年が食い付く様に見つめる画面に現れたのは、目的の青年ではなく、中年の見知らぬ男性であった。
「誰だ、お前は! 万丈目をどうしたんだ!」
感情の奔(はし)るまま遊馬は詰め寄るが、ウェーブのかかった黒髪の男性は「目上の人に対して敬語を使うように学校で習わなかったのかい?」と冷静に返しただけだった。
「万丈目を出しやがれ!」
質問に対して答えではない返しに遊馬が更に大声をあげる。人の話を聞かない子供だね、と黒服の男は漏らすと、「万丈目準なら此処にいるよ」とDゲイザーを傾けた。其処には青白い顔して横たわる探し人の姿があった。
「万丈目!? テメェ、俺の仲間に何をした!」
『私は倒れている彼の介抱をしただけだ。どうして彼が倒れているのかは知らないよ』
遊馬の感情のボルテージが跳ね上がっていくが、それにつられることなく、男は淡々と返答した。
「じゃあ、万丈目とは無関係の、偶然通りかかった人……なのか?」
『だとしたら可笑しい』
遊馬の呟きをアストラルが否定する。
『ならば、何故、万丈目のフルネームを知っている?』
遊馬は先程から「万丈目」と呼んでいた。一度もフルネームで呼んでいないにも拘らず、中年の男は「万丈目準」と言っている。
「お前、万丈目を知っているのか?」
『目上の人には敬語を使うよう言ったはずだが。……昔、彼とは教師と生徒の間柄だっただけだ』
アストラルは遊馬から万丈目は記憶喪失だと聞いていた。ならば、この男性は万丈目の失われた記憶を知っているのでないだろうか。そのことを更に突き詰めるように遊馬に指示しようとしたアストラルだったが、彼がした質問はとんでもないものであった。
「教師と生徒? ってことはデュエルアカデミアの……?」
『おや、君がデュエルアカデミアを知っているとは心外だね。彼が話したのかな』
「なぁ、お前も万丈目と同じ《異世界》から来たのか? 万丈目みたいにカードの精霊が視える世界から来たのかよ!」
『遊馬!?』
少年の台詞にアストラルが思わず声を上げた。遊馬は万丈目の過去を知らないのではなかったのか!? 驚愕するアストラルなんて気にも留めずに、遊馬は画面越しの男との会話に集中する。
『我々が異世界から来たことを知っているとは、ただの坊やではなさそうだ。一つだけ言っておくけれど、私が居た世界では全員が全員、カードの精霊が視えた訳ではないよ。視えていたのは《選ばれし人間》である彼らだけだ。もしかして、君も彼みたいにカードの精霊が視える《選ばれし人間》なのかい?』
「カードの精霊は視えねぇけど、似たようなものなら視えているぜ」
『そうか。君も、か』
この瞬間、電話相手の男の声があからさまに変わった。
『では、《選ばれし人間》である君に私から質問だ』
柔らかな口調ではあるものの、男の話し方は仕込み刀のようであった。何の変哲もない棒に明確な凶器たる刃を隠し持っている。
『君はこんな質問を聞いたことはないか? ゴミが落ちているのに気付いて拾わない者と、気付かずに拾わない者。さて、どっちが悪い?』
「え、なんだよ、それ? 今、関係ないじゃねぇか。そんなことよりも早く万丈目を――」
『いいから答えたまえ!』
異世界で教師だったというのは、強(あなが)ち嘘ではないらしい。ビリビリとした年長者の迫力に遊馬は押されそうになるが、万丈目の容体を見る限り、早めに何かしらの行動に移さなくてはならない。今朝見た夢が――季節の変わり目、瀕死の万丈目が手術室に担ぎ込まれる姿が遊馬の脳裏に色濃くまだ残っていた。
『さぁ、早く!』
「そんなの分からねぇよ!」
男からの催促に遊馬が怒鳴るようにして答えた。
「さっきまで俺は呑気に家の中に居たんだ、万丈目はいつ帰ってくるんだろうってベッドでゴロゴロしながら待っていたんだ! でも、その時にはもう万丈目は傷付いていたんだよ! 知らなかった――気付かなかったことが俺は凄く悔しい! だから、今の状況に気付いちまったら、もうじっとしていられねぇ! 俺は万丈目を助けたい! お前は今何処にいる!? 万丈目を返しやがれ!」
この言葉こそが少年の回答だった。以前に《選ばれし人間》が答えたように、ゴミが落ちているのに気付いて拾わない者と気付かずに拾わない者を客観的に審判者のようにジャッジするものではなく、その者自身=己と仮定する主観的なものに、デュエルアカデミアの教師であった男はしばし沈黙を並べると「君、齢はいくつだい?」と静かに尋ねた。脈絡のない質問に遊馬は虚を突かれつつも「十三歳」と答えた。その年齢に、男は「高校生なら未だしも、中学生相手に少し大人気なかったかな」と小さく独り言を呟いた。
『私は今から彼を担いで病院へ連れていく。君は一度家に帰って着替えてから、保護者と一緒に病院へ行きなさい。このままだと君まで病院にお世話になることになってしまうからね』
急に打って変っての男の優しい態度に遊馬はついていけなかった。とりあえず、この男は万丈目を病院へ運んでくれるようだ。安心したと同時にくしゃみが零れ落ちた。雨が降っているというのに傘を持っていかないなんて、どれだけ慌てていたんだか。
「それじゃあ、万丈目を頼んだぜ……じゃなかった、万丈目をお願いします!」
画面越しに大きく頭を下げる少年に男性は「ようやく話が通じたか」と漏らす。
『ところで、九十九遊馬くん』
「あれっ? 俺、名乗ったっけ?」
『万丈目くんのDゲイザーに登録されていたよ。最後に君に一つ忠告してあげよう』
「忠告?」
連続して左右に首を傾げる少年に、かつて教師だった男は言った。
『《大いなる力には大いなる責任が伴う》ということを覚えておきなさい。今の君が理解できなくても、いずれ知る時がくるだろう。《カードの精霊に似たようなもの》にも、どうぞよろしく』
「う、うん? 分かった。覚えておきます」
『遊馬! 彼の名前を聞くんだ!』
男がDゲイザーを切る前に素早くアストラルが遊馬に指示する。慌てて遊馬が「貴方のお名前は?」とぎごちない敬語で尋ねると、男はこう答えただけだった。
『《選ばれし人間》に敗れた、もはや教師ですらない男さ』
意味深な回答ならぬ回答に遊馬が更に突っ込んだ質問をする前にDゲイザーは切られていた。
16:左手の薬指
遊馬が一度帰宅し、着替えてから明里の車で病院へ駆け付けたときにはもう男の姿はなかった。気絶した万丈目を病院側に受け渡した後、名前も名乗らずに消えてしまったらしい。彼の命の恩人の名前を聞かなかった遊馬をしこたま叱った後、明里は医者の説明を聞きに行ってしまった。遊馬もドア越しに耳を傾けていたが、明里に「アンタはまたそうやって!」と再び怒られ、しぶしぶ万丈目の眠る病室で待つことにした。
病室の窓ガラスを夕立が絶え間なく叩いている。数刻前とは比べ物にならない雨の激しさに、遊馬は見知らぬ男が万丈目を病院に連れて行ってくれたことに心から感謝した。ベッドに横たわる万丈目の顔色はDゲイザーの画面で見た時よりもずっとマシになっており、寝息も静かで命に関わるような状況ではないらしい。
『万丈目は誰とデュエルしたのだろうか?』
皇の鍵が輝き、アストラルが暗がりの部屋で一人発光している。アストラルの問い掛けに、椅子に座った遊馬は答えなかった。
『身体への大ダメージといい、恐らくナンバーズが関わったデュエルだったのだろう。そして、恐らく彼は……』
「アストラル。今、そのことは話したくないんだ」
アストラルの推察を遊馬が止めさせる。もしかすると、遊馬がナンバーズを持っていたから、それを狙う奴に万丈目が襲われたのかもしれない。そう考えるだけで遊馬の胸が苦しくなった。
『では、別の質問をしようか』
眠る万丈目を見詰め続ける遊馬にアストラルが別の話題を展開する。
『万丈目が異世界から来たことを君は知っていたのだな』
その問い掛けに遊馬は膝の上の置いた拳をキュッと握りしめた。
『君は私に初めて会ったとき、「アストラル《も》別世界から来たってこと?」と聞いていた。この時点で私は気付くべきだった。《も》 と付けることは既に《別世界》から来た人物がいたという事実に』
遊馬、とアストラルは続けて尋ねた。
『教えてくれ、いったい万丈目は何者なのだ? 君たちはどうやって出会ったのだ?』
「……何処から話せばいいのかなぁ」
ちょっと黙った後、遊馬の口が開く。その口が閉じてしまう前に『話せる範囲で話してほしい』とアストラルは頼んだ。
「俺が万丈目を見付けたのは小学校を卒業する数日前のことで……そういえば、その時も雨が降っていたなぁ」
雨音に耳を傾けながら、当時のことを思い出すように遊馬がぼんやりと呟く。
『見付けた? 出会ったではなく?』
「うん。その時の万丈目は今みたいに……いや、今よりもずっと酷い怪我で倒れていたところを俺と姉ちゃんが見付けたんだ。すぐに救急車を呼んだけれど、一時は本当にヤバくって……さ。助からない、って言われたこともあった」
今は大丈夫ということを無性に知りたくなった遊馬は万丈目の手首を触った。触り方が悪いのか分かり辛いけれども、確かに脈は打っている。
「とりあえず、危険なところは脱して……ええっと、山だっけ、谷だっけ?」
『峠のことか?』
「そう、それ。峠は越したんだけど、なかなか目が覚めなくってさ。俺、春休みなこともあって暇さえあれば看に行っていたんだ。だから、万丈目が目を覚ました時は本当に嬉しかった」
でも、と遊馬は俯きながら話した。
「万丈目はどうして自分が大怪我を負ったのか全く覚えていなかったんだ。とりあえず、お医者さんが素性を知ろうと万丈目にいろいろ聞くんだけど、万丈目財閥だとか、U-20大会とか、デュエルアカデミア卒業のプロデュエリストだとか、全然聞いたことも見たこともないことを言うんだ。そんな財閥もなければ、大会もないし、デュエルアカデミアなんて耳にしたこともないし、万丈目準なんていうプロデュエリストの登録もなかった。お医者さんたちは『大怪我で精神が錯乱して、記憶が混乱しているんだろう』って結論付けたから、俺もそうなのかと思った。けれども、そうやって接するようになったら万丈目が心を閉ざしちまって、何の問い掛けにも反応しなくなっちまった」
雨音の煩さに閉口したのか、遊馬は立ち上がって開けていたカーテンに手を伸ばした。
「それでも俺は万丈目のお見舞いに行っていたんだ。万丈目は何の反応も返さなかったけれど、話し掛け続けていればいつか返してくれると信じていた。」
カーテンを掴んだまま、遊馬は滴に支配された窓を見詰める。
「あの日はとてもいい天気だった。その日もお見舞いに行って俺は万丈目に話し掛けていたんだ。万丈目は痛み止めが効いていたのか、珍しく上半身を起こして、もしかすると今日こそは反応してくれるかもしれないって祈るような気持ちで窓の外を見ていたら、知らない誰かがデュエルしていたんだ。思わず俺が『あ、デュエルしてるぜ』って言ったら万丈目が反応してさ、チャンスだと思ったからDゲイザーを貸して、エクシーズ召喚のことを話したんだ。すると、万丈目の目が次第に輝いていって……俺、其処で気付いたんだ。万丈目はエクシーズ召喚を知らないんじゃないかって」
『エクシーズ召喚を知らない? そんな馬鹿な! 彼はデュエリストとしての閃きもタクティクスも君以上にあったというのに!』
「俺以上って酷い言い草だなぁ! まぁ、万丈目と比べたらそうかもしんないけどさ」
シャッとカーテンを締め、遊馬が定位置に戻る。
「姉ちゃんはライターだから、万丈目の素性を色んな方面から調べていたみたいなんだけど、やっぱり手掛かりは見付からなくって。万丈目のデュエルディスクの破片も調べてもらったみたいなんだけれど、回路が全く違っていて、《オーバーテクノロジー》ならぬ《アナザーテクノロジー》だなんて言われていたんだぜ」
ふぅ、と遊馬が小さく息を吐く。アストラルの無言の催促に細々と応えていく。
「なぁ、アストラルから見た万丈目ってどんな奴?」
『なんだ、唐突に? 彼は非常に頭の回る人物かつ高飛車で口は悪いが、いつも君を支えようと、助けようとする優しさを持っている。更に付け足すならば、プライド高き激情家ということだろうか』
「プライド高き激情家、か。確かに万丈目ってすぐにカッとするよなぁ。……でもさぁ、入院していた時の万丈目はいつも泣いてばかりいたんだ」
『彼が泣く……? 想像できないな』
「想像できないなら、それがきっと今は回復した証だよ」
万丈目を見下ろしながらのアストラルのぼやきに遊馬は安堵したように返答する。
『何故、彼は泣いていたのか? 痛みによるものか?』
「それもあるだろうだけど、理由が分からない大怪我と誰も知り合いがいない心細さに、多分、本当に精神的に参っていたからだと思う。どうして此処にいるのか分からないって、いつも話し掛けていたし」
話し掛ける? 君に? と疑問符を浮かべるアストラルに対して、遊馬は一言「違う」と即答する。
『では、誰に?』
「万丈目が持つカードに」
『カードに?』
遊馬の突飛な回答を聞いたアストラルは思わず目を丸くしてしまった。おかしな話だろうだけど、と前置きしてから遊馬は語った。
「俺、万丈目がカードに話し掛けているのを何度か見たことがあるんだ。『此処は何処なんだ』『なんで誰も俺のことを知らないんだ』『どうしてお前たちは応えてくれないんだ』『カードの精霊共! 何故、姿を現さないんだ』みたいなことを話し掛けながら、ずっと泣いていた。それが尚更、お医者さんに精神錯乱だって思わせることになっちゃったけど、きっと万丈目にはカードの精霊が視えていたんじゃないのかなぁ。前に父ちゃんが言っていたんだ。カードを大事にしていたら、精霊が宿るって。聞いたときは夢物語にしか思わなかったけれど、その時はそれだと思ったんだ」
『つまり、万丈目のこの世界にそぐわない情報・エクシーズ召喚を知らない事実・アナザーテクノロジーのデュエルディスク・カードの精霊を見る能力……という断片を掛け合わせて、君は《万丈目が別世界から来た》と判断したのか』
「現実離れした無茶苦茶な推理だけどな」
アストラルのまとめに遊馬が苦笑する。
「万丈目もエクシーズ召喚をみたときに、此処が異世界だってことに気付いたみたい。それから財閥の話とか一切しなくなって、記憶がないって言い張って、リハビリを頑張るようになったし。……そんで、退院した後、俺んちが引き取ったんだ。異世界がきたってことはこの世界に帰る場所がないってことだからさ」
フッと遊馬の横顔に寂しさが混じる。だが、それもアストラルが二度見する前に消えてしまった。
『彼が異邦人ということに気付いたのは君だけなのか?』
「だって、そんなファンタジー、誰も信じねぇぜ? 万丈目もそうだとおもったから、記憶喪失だって言い張ることにしたんだし。俺はその嘘に乗っかっただけだ。姉ちゃんたちは全部の記憶を失ったって思っているし。まぁ、俺もどうやって来たのかなんて知らないけどさ」
相手の立場が危うくならないように、相手の嘘に気付きながらも敢えてその嘘に従う。アストラルにとって、遊馬は何処にもいるような子供だった。かっとビングという芯を持ちつつも、落ち込んだり、いじけたり、嘘をついたりするが、悪事を許さず、仲間の為なら立ち向かう、デュエル好きな少年だと思っていたが、その彼が相手のことを慮(おもんぱか)って、何も追究せずに虚構の設定に付き合うという判断にアストラルは意外性を感じていた。
(彼は単なる単純馬鹿ではないようだ)
記憶しておこう、とアストラルは心の中で呟いた。
『……ということは万丈目の記憶喪失は嘘だったのか』
「大部分は嘘だけど、全部は嘘じゃないぜ。言ったろ、万丈目は大怪我をしたときのことを何一つ覚えていないって。異世界に来たことも最初分からなかったみたいだしな」
これで俺からのお話はおしまい、と言いたげに遊馬が背筋を伸ばす。だが、アストラルにはまだまだ気になることがあった。どうして万丈目は記憶を失ったのか、ということだ。しかも、一部的な記憶を、だ。異世界間の移動の際に失ったように推測されるが、記憶喪失と移動と大怪我は密接にリンクしているのでないだろうか。アストラルがこの世界に来た時に《なにか》にぶつかって全ての記憶を失ったように、万丈目もまた《なにか》に衝突して大怪我をし、記憶の一部を失ったのだろうか。
『そもそも、どうやって、どのような理由で彼はこの世界に来たのだろうな?』
「え?」
話題が終わったと思っていただけに、アストラルの疑問に遊馬が間抜けな声を上げる。
『彼もまた私の様に何かしら使命があったのだろうか。もしかすると、ナンバーズに関することかもしれない。遊馬、万丈目の目が覚めたらそのことを聞いて――』
「駄目だ!」
遊馬がいきなり立ち上がったことにより、彼が腰かけていたパイプイスが倒れる。大きな音を立てたというのに、少年は気にせずに声を荒げた。
「そんなことを聞いちゃ駄目だ! 言ったじゃねぇか、万丈目はそのときのことを何も覚えていないって。大怪我した理由も異世界に来れた理由も何も知らないって! そんなことを聞いて、万丈目の《あの記憶》が戻っちまったらどうすんだよ! あんな、あんなことを……」
遊馬の喉がわななくあまり、彼はそれ以上言うことが出来なかった。だが、それは確実な失言であった。
『遊馬、君は万丈目の失われた記憶を知って――!?』
「ちょっと、遊馬、なに一人で騒がしくしてるのよ!」
勢いよく扉が開いて明里が入ってくる。パイプイスの倒れる音と遊馬の声は廊下まで響いていたようだ。俺にしか見えない存在のアストラルとお話していたんです、なんて言ったところで絶対に信じてくれないだろう。突然のピンチに目を泳がす遊馬だったが、眠っている万丈目の左手を見た瞬間、「あっ」と声を上げてしまった。
「姉ちゃん! 大変だ、万丈目の包帯が取れてる!」
「あら、ホント!?」
万丈目の左の薬指に注目する姉弟の後ろからアストラルも覗き込む。いつも彼は其処に包帯を巻いていたのだから、どんな怪我をしていたのだろうとアストラルはずっと不思議に思っていたが、なんてことはない、単なる深爪ではないか。常に包帯を巻いていたからか、他の爪と比べたら異様に綺麗だった。ところが、九十九姉弟は顔を蒼ざめさせ、とんでもないことが起こったと言いたげに互いに見合わせていた。
「遊馬、もしかすると今回のことで万丈目くんの記憶が戻ったかもしれない。飽くまで可能性の話なんだけどね。起きたら、姉ちゃんからそれと無く聞いてみるから、アンタからは何も聞いちゃ駄目よ」
「分かっているよ」
しゅるり、しゅるりと封印するかのように深爪した薬指が包帯に隠されていく。ポーチから取り出した包帯を慣れた動作でゆっくりと巻き始めている姉の背を弟が見守っていた。
「本当かしら? アンタ、口が軽いし、嘘は吐けないから一番心配なんだけど」
「本当だぜ!」
「こら、声が大きい」
「ゴメンナサイ」
静まった空気に耐えきれないのか、茶化しながら姉弟はやりとりをしていく。
「姉ちゃん、あの《約束》は守るさ。万丈目を引き取るときの約束が『彼が知らなくて俺たちが知っていることを話さないこと』なんだから、絶対に話さないよ。小鳥にも鉄男にも、勿論、万丈目にも」
不意に遊馬が顔を上げ、沈黙を守っていたアストラルと敢えて視線を合わせた。これで私も共犯だと言いたいのだろうか、とアストラルは思った。異世界から来たことを知っている遊馬だけでなく、異世界から来たことを知らない明里まで万丈目に何を隠し事にしているのか、とんと見当がつかないが、余程当人には内緒にしなくてはならないことらしい。
『万丈目が遊馬たちに異世界から来たことを内緒にしているように、遊馬たちもまた万丈目に秘密にしたいことがあるようだ。しかし、何故人はデュエルでもないのに親しい者にも隠し事をしなくてはならないのだろうか』
理解できない、とアストラルが首を振る。包帯を巻き終わると、明里と遊馬は静かに退出していった。その際、遊馬がアストラルを見上げて「絶対に内緒」と口パクしたものだから、アストラルは肩を竦めて皇の鍵へ引っ込んだのだった。
17:雨
U-20の大会の決勝戦の出場が決まったときの喜び。その翌日、三位決定戦の観戦後の帰り道でのエドとの会話。そして、彼と別れた後の一人で歩きながら見た異国の風景。
『アニキ、後ろ!』
場面が飛ぶ。路地裏を走って走り抜いて、息を吐こうとした瞬間に上がったおジャマ・イエローの悲鳴。落とした赤い傘の骨が折れる音、デュエルディスクが壊れる音が雨の中で空回りする。
映画のフィルムが途切れ途切れに再生される。ちぐはぐに貼られ、肝心の《あの記憶(シーン)》だけが消失していた。
気が付けば、万丈目は血だらけで地面に這い蹲(つくば)っていた。声は出ず、途切れ途切れの呼吸しか出来ない。身体中の感覚が宙に浮き、痛覚だけが残され、右手で掴むデッキの感触だけが頼りだった。這いずる様に伸ばした左手が第二者に思いっきり踏まれる。
「《あの時》、貴様は貴様を捨てたのだ」
左手を踏んだまま、そう言ったのはオベリスクブルーの万丈目準だった。
「捨ててしまった以上、もう以前の貴様には戻れまい」
今度はホワイトサンダーの己に変化する。
「だから、これは罰ゲームだ」
ゾンビになった己がニタニタ笑いながら、左手を甘ったるく握り込む。
「《これ》は貰っていくよ」
悪意の塊がアモンの姿形を取る。【アームド・ドラゴン LV7】を奪った時のような声が聞こえ、左の薬指を優しくまぁるく撫でられたかと思いきや、悪魔は一気に――。
絶叫は声にもならなかった。ベッドから上半身を起こした万丈目は荒い息を吐き、包帯の巻かれた左の薬指を必死で探した。以前よりも少し伸びた固い爪の感触を得て、先程の光景が現実ではなく悪夢だと理解すると、ようやく汗を拭う。額が熱い、間接も軋むように痛い。ぼんやりする思考を慰めながら、辺りを見渡して此処が病院だと知る。
「デッキは!? 《アームド・ドラゴン》!」
一気に覚醒する。誰かが集めてくれたのだろうか、ベッドサイドに置かれていたデッキを掴むと、布団の上にばら撒いた。見知ったカードが白いシーツの海に浮くが、【アームド・ドラゴン LV7】だけがどうしても見付からなかった。いや、その一枚だけじゃない。その進化前の【アームド・ドラゴン LV5】も、その進化後の【アームド・ドラゴン LV10】もなかった。一瞬、万丈目はその誰かが集め損なったのかと思ったが、あのデュエルのラストターンにおいて、対戦相手にその二枚のカードのコントロールを奪われていたことを思い出した。
まさか、ナンバーズが使用されたデュエルでは、自分のモンスターのコントロールが奪われた状態で決着が着くと、そのまま相手のものになってしまうのだろうか。
「くそったれ!」
呪詛の様に吐き散らかすが、やはり何処にも三枚のカードはなかった。衝動のままにベッドに拳を叩き付けても、シーツの柔らかい感触に迎え入れられ、何の痛みも得られない。何度ぶつけても、丸く縁取りされた音がするだけであったカードが心配そうに見上げている。散らばったデッキを――自分の世界から持ってきたカードのみで構成されたデッキを見渡しながら、ずるずると頭を垂れつつ、万丈目は自棄っぱちの様に真実を吐き出した。
「本当は……本当は分かっていたんだよ! この世界で俺のデッキが通用しないなんてことは!」
一度叫び始めたら、もう止まらなかった。
「俺の世界より、ずっとカードの種類が豊富で、展開の速い世界において、俺のレベルデッキが間に合わないなんてこと分かり切っていた! でも、俺は! 俺をプロデュエリストに導いてくれたこのデッキが役に立たないなんて認めたくなかったんだ! 遊馬を支えるという大義名分を以て、俺はただデュエルから逃げていただけだった! その結果がこれだ! 挫折からの復活の証たるエースモンスターを奪われ、レベルに関する大半のカードは意味を失った!」
万丈目がシーツをひっくり返すと、多くのカードが宙に舞い、ひらひらと落ちていく。そのカードの行方すら追わず、彼は癇癪を起した子供の様に両の拳を無茶苦茶に振り下ろすと、背を丸めて蹲(うずくま)った。声は震え、視界もぐらぐらと揺れ始めていた。
「この世界において、俺の世界のデッキでデュエルをしたら負けることが分かってた。でも、俺は負けるのが怖かったんだ……っ!」
同じデュエルモンスターズであっても、万丈目の世界と遊馬の世界では大きな開きがあった。初手ドローが出来ない、なんていう可愛い問題ではない。エクシーズ召喚という手札一枚も消費せずに行われる特殊召喚、手札誘発という全く異なった活用をするモンスターカード、僅か一ターンの間にフィールドをモンスターカードで埋め尽くす特殊召喚コンボ、そして何よりも万丈目の世界を凌駕する豊富なカードプールとその展開力のスピード。まるで環境が異なるということを万丈目は肌で感じていたが、己が自慢するデッキがまるで通用しないということは認めたくなかったのだ。だから、彼はカードの精霊が見えなくなったことを理由にしてデュエルから逃げていた。遊馬を支えるというええかっこしい理由を盾に、敗北の恐怖から逃亡していた。そうでなければ、Ⅵ(ゼクス)とのデュエルに模擬デュエル用のデッキを一番初めにセットしようなんて思わない。デュエルする前から彼はずっと怖がっていたのだ。
その結果、この世界の環境に順応し切ったⅥ(ゼクス)に惨敗した。ライフ・手札・フィールド、全てのアドバンテージを上回った相手に自慢のデッキが通用しないことをまざまざと見せ付けられた挙句、三枚のエースモンスターを奪われた。《アームド・ドラゴン》が召喚出来なくなった以上、万丈目のデッキは本当の役立たずになってしまった。
遊馬は凌牙の為なんていう大義名分を掲げつつも、敗北への怖さのあまり嘘を吐いた。アストラルは自身の消滅から逃げるあまり、勝てないデュエルを回避し続けようとした。万丈目はそれらをデュエリストにあるまじき行為だと憤慨したが、彼自身、敗北を恐れるあまり、遊馬を支えるという大義名分を元にデュエルから己を遠ざけていた。
デュエルアカデミアのオベリスクブルーの一年生のときから、己の根底は全く変わっていなかったのだ!
ナイフのように己の弱さが心の臓に突き刺さる。冷たさのあまり血液が凝固して、どれだけ歯を食いしばろうが、瞼を閉じないようにしても、声は揺れ、視界はぐらついてしまう。蹲ることで作り出した小さな暗がりの中に残されていた三枚のモンスターカードを見つけると、万丈目は横隔膜から絞り出すように呻いた。
「なぁ、おジャマ共、どうしてお前たちは姿を現さないんだ。何故、俺はお前たちが視えなくなってしまったんだ」
三枚のカードに額を擦り付ける。温もりすらも感じられない【おジャマ・イエロー】に上から水滴が零れ落ちたのを認めた瞬間、万丈目は全てを堪えるのを放棄して声を荒げた。
「俺は……いったいどうすればいいんだ!」
その後はもう言葉にならなかった。十字架の様に三枚のカードを握り締め、嗚咽を漏らす。心の真ん中に立つ一年生の己に今の己が重なっていく。身体を震わせながら、突き付けられた己の心の弱さに万丈目は慟哭した。
その晩、雨が降り止むことは終(つい)ぞなかった。
つづく