【遊馬と万丈目で】 YU-JO!【時空を超えた絆】 作:千葉 仁史
1
「しょうこともなし」
その台詞が頭から離れない。先日行われた万丈目対アモン――Ⅵ(ゼクス)とのデュエルは、万丈目の完敗に終わった。ラストターンにおいて、手札共にフィールドのカードが0枚になった万丈目とは対照的に、手札を余らせたままのⅥ(ゼクス)のフィールドには五体のモンスター――そのうち二体は万丈目のモンスターというオマケ付きだ――が並び、相手のライフを一ミリも削ることなく、自身が誇るエースモンスター【アームド・ドラゴン LV10】によってフィニッシュを決められてしまった。
(手も足も出なかった)
病院のベッドの上で万丈目は背中を丸めて蹲(うずくま)った。爽やかな文月の風が舞い込み、さらさらとした生地のカーテンが彼の膝小僧を優しく撫でる。それが自身への同情心のように感じられて、万丈目は大袈裟にカーテンを薙ぎ払った。
「万丈目くん、迎えに来たわよ!」
「あ、明里さん」
病室の扉が開く。無機物に八つ当たりをするという子供染みた行為を明里に見られ、万丈目は思わず赤面した。
「高熱と関節痛はどう? 治ったかしら?」
「はい。単なる風邪だったようで、ご迷惑をお掛けしました」
ベッドに座り込んだまま、頭を下げる。万丈目くん、ともう一度呼ばれて顔を上げると、目尻の吊り上がった明里の顔がすぐ目の前にあった
「私、言ったよね? 君の身体はまだ丈夫じゃないから、デュエルは禁止だって」
ぎくりと万丈目の肩が揺れる。
「なんで、俺がデュエルしたって……」
「身体を調べれば、なんで倒れたかなんて分かるのよ。最近の噂だと、デュエルで受けるリアルダメージが規定数を超えるのを行う危ない輩(やから)がいるみたいだし、ね!」
明里の言う《危ない輩》とは、ナンバーズハンターのことだろうか。だが、今はそんなことを考えている場合ではない。何か言わなくては、と万丈目が単語を脳内で手探りする間もなく明里の詰問は続いていく。
「もし今回の身体へのショックで記憶がまた無くなっちゃったらどうするのよ! もしかしたら、もう――」
「いえ、記憶も失っていないですし、それどころか戻ってもいないですし!」
願うならば、Ⅵ(ゼクス)との無様な敗北デュエルの記憶を抹消してしまいたい程だ。高熱で魘(うな)されている間、ずっとⅥ(ゼクス)との完封負けデュエルのリプレイと終わりのない迷路のような路地裏を走り回る悪夢ばかり見ていた。当然、異世界渡航前後の記憶は戻ってすらいない。身振り手振りで否定する万丈目に明里が「そう?」と訝しむように繰り返す。
「とりあえず! これは没収だから!」
あ! と万丈目が漏らすより早く、明里がベッドサイドにあったDパッドを取り上げてしまった。
「今回、見知らぬ誰かが君を親切に病院まで運んでくれたからよかったものの、これ以上酷くなる可能性もあったのよ。私が認めるまで、Dパッドは預かるからね!」
びしっと額に指を差されながらの台詞に万丈目は何の言葉も返すことも出来なかった。明里は万丈目を心配して言っているのだ。そうと分かっていても、万丈目は縋るような動作を取ってしまう。だが、この世界において役に立たない――しかもエースモンスターが欠けた――デッキを持っていたとして何の意味がないことを悟り、その手をやおら下した。
(馬鹿だな。デッキもないこの俺がデュエルするためのDパッドを持っていたところで《しょうこともなし》ではないか)
心臓を回す炉の焔が冷えていく。左手で握り拳をつくったものだから、薬指に巻かれた包帯が掠れて痛い。今はもう太陽光に反射する帝の鍵の煌めきすら鬱陶しかった。
「急な取材が来たから先に帰るね! 後で遊馬が来るから待っていなさい」
この世界においてのいつもの格好――白いワイシャツと緑のベストに着替え終わった万丈目が病室から出てくると、廊下に居た明里は早口でそう告げ、Dゲイザー越しで誰かと会話しながら風のように去って行ってしまった。軽症者専用病棟のDゲイザー使用区域とはいえ、流石に歩きながらの通話は駄目だったらしく、彼女は看護師から注意されながら廊下を曲がって行く。ただでさえ忙しい記者である彼女を煩わせたことに万丈目の肩が落ちる。それによりずり下がる、少ない荷物が入ったトートバッグを抱え直し、彼女が消えたコーナーに向けて頭を下げると、彼は一人で病院を後にした。
2
行く当てはあるのに、その当てを頼ろうとはせずに万丈目は歩いていた。これ以上、九十九家に迷惑を掛ける気か! と叱咤する心の声が聞こえたが、それはまるで電車内で偶然聞こえた他人の会話の一部のようにしか聞こえなかった。色んな事が沢山詰まっていたはずの彼の胸中は、今では空っぽになっていた。詰まっていたもの全てが捨てられてしまったのではない。あのデュエルにより、万丈目がデュエリストとして築き上げてきたもの全てが真っ白な灰になってしまったのだ。
「オ掃除! オ掃除!」
「あ!」
下を見て歩いたのにも関わらず、掃除をしていたオボットにぶつかり、万丈目は大きくすっ転んでしまった。倒れた衝撃でデッキケースがベルトから外れ、カードが一枚だけ飛び出してしまう。
「ゴミ掃除! ゴミ掃除!」
「馬鹿野郎! 俺のデッキはゴミなんかじゃねぇ!」
オボットが長く伸びるアームで掴んだカード《アームド・ドラゴン LV3》を素早く取り返す。周りから万丈目を囲むようにクスクスと笑い声が上がる。転んだドジを笑ったのだろうが、進化後の全てのカードを奪われ、永遠の弱小カードに成り下がった【アームド・ドラゴン LV3】を「ゴミじゃない!」と叫んだことへの揶揄のように万丈目は聞こえた。震える手でデッキにしまうと、オボットに蹴りを叩き込み、通行人の誰一人とも視線を合わさずに走り出す。走れば走るほど、空っぽのなった胸に風が吹いて痛い。隙間風が「しょうこともなし」と鳴いている。うるさい! と万丈目が言いそうになった瞬間、Dゲイザーのコール音が鳴り響く。それすらも煩わしくて、彼はディスプレイも碌に見ずに取った。
『万丈目! 今、何処にいるんだよ!』
Dゲイザーに怒鳴る遊馬の顔が映った。少年のはっきりとした声に、一気に現実に引きずり戻される。無茶苦茶に走った結果、万丈目は見知らぬ公園についていた。視認したと同時に上がった息を整える。合流しようとした病院にて既に彼が退院したことを知り、遊馬は焦って電話をしてきたのだろう。彼には悪いことをした、と思いながらも、万丈目は自身が何処にいるのかを伝えようとは思わなかった。
「天気が好いから散歩していただけだ。じきに戻る」
もっとマシな言い訳をつけないのか、と我ながら呆れつつもDゲイザー越しの遊馬に伝える。
『なぁ、デュエルに負けたことを気にしているのか?』
遊馬のストレート過ぎる質問に、万丈目の肩の重みがぐんと増した。そうして連動するように思い浮かぶ、たかが一ターンで五体のモンスターが並ぶ絶望の光景に眼を反らしたくなった。
『万丈目、俺に言ったじゃねぇか! かっとビングを持ち続ける限り、いくらでも強くなれるって!』
『デュエリストならば逃げてはならない、私にそう教えてくれたのは君だったはずだ。その君が落ち込んだままでどうするのだ?』
遊馬とアストラルの鼓舞に、万丈目は息苦しさを感じて仕方がなかった。本来なら温かみを感じる激励のはずなのに、錫(すず)でできたシャボン玉のように彼の空洞になった胸に詰め込まれていくだけだった。
「悪いな。遊馬、アストラル」
どっかりと公園のベンチに座り込んで、Dゲイザーのレンズに話し掛ける。頭を垂れる姿勢になったので、万丈目の表情と声に影が宿った。
「遊馬、俺は貴様が嘘の理由を並べてデュエルしたことに怒っていたことがあった。アストラル、貴様が敗北の恐怖故にデュエルから逃げていたときなんて頭にきていた。だが、俺には貴様らを叱る資格も憤る権利もなかった」
『万丈目?』
「俺こそが逃げていたんだ。貴様らを強くするなんていうええかっこしい理由を並べて、プライドに縋りつくあまり、敗北を恐れて気付かないうちにデュエルを避けていた。あのデュエルの結果は当然だ、その罰でしかない」
少し軽くなったデッキケースに触れる。Ⅵ(ゼクス)によって【アームド・ドラゴン LV5】【アームド・ドラゴン LV7】【アームド・ドラゴン LV10】の三枚が奪われてしまった以上、万丈目のデッキは回しようがなかった。彼がこの世界に持ってきたのは、この《アームド・ドラゴン》主軸デッキと予備用の魔法・罠カードが入ったサイドデッキ、そして精霊が視えなくなった《おジャマ》共だけだ。闘志もなければ、戦場に立つための武器すらない。
素直に謝るという、平常ではありえない万丈目の態度が遊馬にとって怖くて仕方なかったのだろう。このまま消えてしまうんじゃないか、と慌てて彼は言葉を紡いできた。
『でもさ、気付いたんだろ? なら、もう一度強くなるしかないじゃないか。俺だって立ち上がれたんだ! 俺に出来て、俺を励ましてくれた万丈目に出来ないはずねぇよ!』
(遊馬。貴様は強いから、そんなことを言えるのだ)
そう言い返したくなるのを万丈目は下唇を噛んで堪えた。これだけは言ってはならない、と年上としての最後の砦だった。何度も呼び捨てしているのに「さんだ!」と言い返さない万丈目に次第に不安を募らせたのか、遊馬の芯が通ったかのような眉が垂れ下がっていく。
『まさか、万丈目、このままデュエルをやめるつもりなのかよ』
恐る恐るされた質問に万丈目は視線を遠くに飛ばしながら、それでいて手元のデッキケースに力を込めつつ回答した。
「仲間(カード)がいないんだ。独りでデュエルが出来るかよ」
ちゃんと帰るから。頼むから今は一人にしてくれ。一方的に告げると、万丈目はDゲイザーの通話を切ってしまった。
病院のエントランス前にて、遊馬の持ったDゲイザーから通話終了を知らせる音が響いている。万丈目のあまりの元気のなさに、彼の隣に浮かぶアストラルが「重症だな」が呟いた。
『どうやら今回の敗北は、我々がカイトに敗北した際と同じくらい強いショックを彼に与えたようだ。もっとも彼が何も話さないのだから、これ以上推測しようがないが』
「でもよ、俺は万丈目に元気になってほしんだ」
Dゲイザーをしまいながら、遊馬は言った。
「俺が元気をなくしたとき、いつも万丈目は励ましてくれたんだ。シャークと初めてデュエルする前も、カイトと闘って負けた後も、俺を見捨てないでくれた。デュエルモンスターズのルールをしっかり教えてくれて、強敵に立ち向かう心強さを、諦めない心を持ち続ける為のブレイビングを教えてくれた。その万丈目がデュエルをやめるなんて、俺は嫌だ」
『だが、我々二人の言葉では届かなかった。閉ざされた彼の心に私たちでは足りないようだ』
「《我々二人》では……? だったら!」
アストラルの言葉に着想を得たらしく、遊馬がDゲイザーのコールボタンを鳴らす。その宛先が万丈目でないことを見ながら、アストラルは自身の発言に何かヒントはあっただろうか、と疑問に思った。
『遊馬。いったい、君は何をしようというのだ?』
さっぱり分からないと首を傾げるアストラルに遊馬は笑って答えた。
「万丈目を元気にするんだよ! かっとビングだ、俺!」
3
(遊馬とアストラルを励ますときにあんなカッコいいこと言っていた本人が出来ていなかったなんて、彼奴等に合わす顔がないな。《あの男》を立ち直らすのに失敗した《あの時》同様、俺に彼らを励ます資格なんて本当は無かったのだ)
遊馬とのやり取りを終えた万丈目は深い溜息を吐いた。家族連れが近くにいるらしく、楽しそうな会話が聞こえるが、内容までは分からない。ベンチに凭(もた)れながら、天を仰ぐと木々の合間から木漏れ日が差し込んできて、日陰なのに異様に煌めいて見える。
(デュエルをやめる、か。そういえば、そんなこと考えたこともなかったな)
あまりの眩しさに瞼の上に手の平を翳す。葉に溜まった水滴が一つになって落ちるように万丈目の脳裏に今まで見向きもしなかった選択肢が現れた。
オシリスレッドの《あの男》に敗北した時も、ラーイエローへの降格を賭けたデュエルに負けた時も、今まで見下していた奴らから嗤われようとも、万丈目の脳裏にデュエルをやめるという選択肢はなかった。見返してやる! ただそれだけの意地で彼はこれまで這い上がってきた――仲間(カード)を、知識(タクティクス)を、誇り(プライド)を新たに備え付けて。
(そうやって身に着けてきた力がこの世界のデュエルで通用しなかった。今まで培ってきた、デュエルにおける俺の全てが否定された。本当に《しょうこともなし》だ)
世界を照らす太陽の輝きに耐えきれずに目を瞑(つぶ)る。
(そもそも、デュエルは兄さんたちに勧められて、万丈目家の者として当然の嗜みとして始めただけで、好きで始めた訳じゃない。……潮時かもしれないな)
公園内の音が緩やかに遠ざかっていく。梅雨明け宣言はまだだが、これだけ天気が好いと恐らく近いうちに行われるだろう。ぼんやりと思考が蕩(とろ)けていく。ベストを脱ごうかな、万丈目がそう思った矢先だった。
「おわっひゃほう!?」
物凄く奇妙な悲鳴が喉から躍り出た。万丈目が思わず頬に手を当てていると、「相変わらずのリアクション芸ですね」と愉快な声が聞こえてきた。
「と、等々力! 貴っ様ァ! いきなり何をしやがる!?」
「とどのつまり! こんな炎天下に万丈目さんがぐだっているのが悪いんです」
キンキンに冷えた缶ジュースを揺らしながら、汗を掻いた等々力が楽しそうに笑う。頬に当てられた正体を確認した万丈目は「この悪戯小僧め」と悪態を吐きたくて仕方なかった。
「木陰とはいえ、熱中症になってしまいますよ」
自然に隣に座り込んだ挙句、そのまま缶ジュースを手渡される。年下に気を使われるとは、と悩む万丈目を他所に等々力は等々力で彼用の缶ジュースを飲んでいる。結局、それに倣うように万丈目もプルタブを開け、缶ジュースに口を付けた。飲んで気が付いたが、かなり喉が渇いていたらしい。あっという間に飲み干してしまった。
「これからキャッシーさんの家で勉強会をするんです。こんなところに居ても暑いだけですし、万丈目さんも一緒に来ませんか?」
にっこりと笑う等々力の誘いに万丈目は「招かざれる客が来ても迷惑するだけだろ」と返したが、「貴方一人増えたぐらいで困りませんよ、彼女の家は」と答えただけだった。
「それにですね」
「それに?」
「僕からのジュースを飲んじゃった以上、僕の言うことは聞いて下さいってことです」
その言葉に空っぽになった缶ジュースを握っていた万丈目は「謀ったな!」と叫んでしまった。だが、等々力は何処吹く風で「安いジュース代だと思って下さい」と先程とは違うにこやかさで応えただけだった。
「とどのつまり、どうせなら涼しいところで休憩しましょうってことです。ね? 熱中症なりかけの万丈目さん」
コイツ、意外と腹黒いな。なんだかんだ理由を付けて連れだそうとする等々力に、万丈目はむすっとした顔付きになる。
「クーラーの設定温度は二十度以下じゃないと嫌だからな」
「それは涼しすぎです!
相変わらずの素直じゃない万丈目に等々力が瞬時にツッコミを入れる。だが、彼から空っぽの缶ジュースを取り上げ、トラッシュボックスへ向かう水色髪の少年の横顔は楽しそうだった。その間に万丈目は荷物をまとめ、木陰から足を踏み出した。むわっとする暑さが彼を襲う。いつの間にか温度はかなり上昇していたらしい。あまりの暑さに驚いていた万丈目は、等々力がトラッシュボックスの陰に隠れてDゲイザーで「目標(ターゲット)と共に基地へ戻ります」と短く連絡していたことに気が付かなかった。
「此処がキャッシーさんの家です!」
等々力に案内され、万丈目準は郊外にいた。其処には近未来的な高層ビル群とは掛け離れた、洋風の門構えと広大な庭を持つ館が建っていた。
(キャッシーって、結構な金持ちだったんだな。だから招かざる客が一人増えたところで困らん訳だ。ああ、それにしても……)
目の前に広がる邸宅に万丈目は口を引き攣らせそうになった。金持ちはなんで郊外に洋風の館を持ちたがるのだろうか?
「あれっ? 万丈目さん、あまり驚かないんですね」
(万丈目家の――俺の実家を思い出したなんて口が裂けても言えん)
変なところで感傷に入りそうになりつつも、万丈目と等々力は迎えに来た車に乗り、彼女専用の離れの屋敷に向かった。
万丈目の希望通り、クーラーがガンガン効いている。離れ屋敷のホールには地べたに座り込めるよう配慮して、洋風を無視して畳が敷き詰められていた。そんな和風もどきの間で、主たるキャッシー、そして徳之助と鉄男がそれぞれの勉強道具……ではなく、カードを床にばら撒いていた。
「勉強と聞いてやってきたのだが、勉強は勉強でもデュエルの勉強かよ!」
思わず叫んだ万丈目を等々力が「どうどう」と諌める。
「あ、万丈目さん、待っていましたよ!」
「キャッと! 私にデュエルを教えて下さいな!」
「いやいや、俺が先ウラ!」
騙された! と正直に思った。万丈目そっちのけでわいわい騒ぐ子供たちに、当の本人は怒鳴りたくなる。今一番見たくもないもの――デュエルを見るなんて、真っ平御免だった。
「帰る」
「待って下さいってば!」
踵を返そうとする万丈目を等々力が押し留め、「ええい放しやがれ!」と彼が騒いでいる間にキャッシーと徳之助が靴を脱がせ、鉄男が万丈目を畳の上に運んでしまっていた。なんという息の合ったチームワークだろうか。
「いいか! 俺様は等々力に言われて涼みに来ただけだからな! 貴様らのデュエルなんて絶対に見ないからな!」
年下である等々力たちよりも子供っぽく我儘を言う万丈目は離れたところで借りてきた凶暴な猫のように毛を逆立てて警戒している。ええ~! それじゃあ意味がないウラ! と言いかけた徳之助の口を鉄男が塞ぐ一方で、キャッシーが「私たちは私たちで勝手にデュエルを練習しますから、万丈目さんはゆっくりしていって下さい」というものだから、万丈目は拗ねた子供の様に彼・彼女らに背を向けて寝っ転がったのだった。
不貞寝するように瞼を落とした万丈目だったが、その瞼の裏にちらつくⅥ(ゼクス)の影になかなか眠りに落ちることは出来なかった。
(アイツ、誰かからエクシーズ召喚のみならず、この世界の環境に追い付くデュエルタクティクスを伝授されたようだったな)
それはいったい誰なのだろう、と考える万丈目の耳に子供たちの賑喧(にぎやかま)しい声が聞こえてくる。どうやらWDCに向けて、デッキ調整をしているようだ。関係がない、と思いつつも万丈目の聴覚は子供たちに集中し、次第に寝っ転がる向きも反転し、距離もいつの間にか詰めていた。
「とどのつまり! エクシーズ召喚を考えるなら、レベル4を同じターンに召喚できるようにしないといけませんから、遊馬くんの持っている【カゲトカゲ】(星4/闇属性/爬虫類族/攻1100/守1500)は僕も持っていますし、デッキに採用しても……」
「やめとけ」
ファイリングを開いて吟味する等々力の独り言に万丈目が参入する。急な横槍に誰もがぽかんとするなか、徳之助が「分かったウラ!」と得心したように言った。
「遊馬と同じカードを使ってほしくないウラ! だから、そんなことを――」
「違う、そうじゃない」
あっさり否定され、予測を外した徳之助が転(こ)ける。
「等々力。貴様は機械族デッキだろう。ならば、爬虫類族なんていうシナジーの合わないカードは控えるべきだ」
「え、じゃあ、どうすればいいんだ?」
等々力の質問に「そうだなぁ」と考えながら、万丈目は勝手知ったるとばかりに彼のデッキとファイリングをひっくり返した。
「【カゲトカゲ】ではなく、【No.96 ブラック・ミスト】とのデュエルで鉄男が使用した【ブリキンギョ】(星4/水属性/機械族/攻800/守2000)を何枚か入れたらいい。同じカードは三枚まで投入できるからな。このカードが召喚に成功した時、手札からレベル4モンスター一体を特殊召喚できるという効果だから、一ターンに二体のモンスターを並べることが可能だ。これなら、即エクシーズ召喚が出来るだろ? 機械族同士、シナジーも合うから問題はない。……確か、貴様のデッキは《ガジェット》だったな。ならば、通常魔法【二重召喚(デュアルサモン)】がオススメだ。このターン、自分は通常召喚を二回まで行う事ができる、というシンプルな効果だ。貴様のファイリングに入っていたぞ、ラッキーだったな」
「なんで、【二重召喚】が《ガジェット》にオススメにニャるのかしら」
綺麗にファイリングされていた【二重召喚】を等々力に渡す万丈目に今度はキャッシーが質問する。それはな、と言いながら万丈目は等々力のデッキに入っていた、【グリーン・ガジェット】(星4/地属性/機械族/攻1400/守600)・【レッド・ガジェット】(星4/地属性/機械族/攻1300/守1500)・【イエロー・ガジェット】(星4/地属性/機械族/攻1200/守1200)の三体を並べた。
「この《ガジェット》の効果は互いに互いを呼ぶ効果があるからだ。【グリーン・ガジェット】が召喚・特殊召喚に成功した時、デッキから【レッド・ガジェット】一体を手札に加える事ができる効果を持つ。同じように【レッド・ガジェット】 は【イエロー・ガジェット】を、【イエロー・ガジェット】は【グリーン・ガジェット】をデッキから手札に加えることが出来る」
「半永久機関ウラ!」
「その通り。仮に【グリーン・ガジェット】を通常召喚したとして、その効果でデッキから【レッド・ガジェット】を一枚手札に加えられる。【二重召喚】を発動して、加えた【レッド・ガジェット】を召喚、その効果で更に【イエロー・ガジェット】を手札に加える。フィールドにはレベル4・機械族の【グリーン・ガジェット】と【レッド・ガジェット】が並ぶから、機械族レベル4二体でエクシーズ召喚すれば完璧だ。手札消費も少なくて済む。だから、【二重召喚】ととても相性がいい――っ!」
ここまで説明して、ハッと万丈目は気付いたが、もう遅い。子供たちの期待に満ちた目は完全に彼に注がれていた。またしても謀られた! と万丈目は愚痴りたくなったが、勝手に乗り込んでいったのだから、それはお門違いであろう。
「委員長だけずるいぜ!」
「じゃあ、今度は俺に教えてほしいウラ!」
「次は私よ!」
目の前で騒ぎだす中学生たちに「うるさい!」と万丈目が一喝する。そして、調子に乗りすぎたかと反省する彼・彼女らに十九歳の青年はこう言ったのだった。
「等々力のデッキをまだ見終わってないからな。それから時計回りで聞いてやる」
その台詞に四人組は嬉しそうに気色ばむのだった。
4
(のせられちまった)
デッキが強化できたことを喜ぶ子供たちを背に、人一倍のせられやすい性格の万丈目は一人反省していた。
(俺はデュエルをやめるんじゃなかったのか。いや、デュエルをやめると宣言した訳じゃないけどよ)
「万丈目さん」
云々と唸っていると、鉄男に声を掛けられた。なんだよ、もう。俺は今凄く凹んでいるところなんだけど。
「あなたのおかげでデッキ強化ができました」
「へいへい、最初から俺に教えてもらうつもりだった癖によく言うぜ」
年上らしくもなくいじける万丈目に彼・彼女らは苦笑いを浮かべる。
「だから、お礼と言ってはにゃんですが」
「カードをもらってほしいウラ!」
カードが収納された、色取り取りのファイルが青年の前にドンと積まれる。突然の出来事に目を丸くする万丈目に、鉄男が彼自身の胸を叩くながら「遠慮せずに選んでください」と言い放つ。つまり、デッキ構築のアドバイスの報酬として、好きにカードを持っていってもいいというのだ。自由にできる小遣いが少ない万丈目としてはカードをこんな形で得られるのは嬉しいことだ。デュエルを辞める云々の話はとりあえず傍(わき)に置いといて、早速試しに、と藍色のファイルに手を伸ばしたところ、視界の端にいた徳之助の顔が悔しそうに歪んだのが見えた。徳之助だけではない、隠そうとしているが、皆どこか顔が引きつっている。このファイルに入ったカードは今回のデッキには入れなかったものの、少ない小遣いで集めた大切なものなのだろう。もしかすると、一枚しか当たらなかったレア物もあるかもしれない。デッキ構築の報酬とはいえ、そんなものをもらっても良いのだろうか。
「いや、いいぜ。俺が好きでやったんだ。気にしなくていい」
万丈目が伸ばした手を握り締めて引っ込めると、子供たちから残念な声が漏れた。涼めたうえに、子供たちと語らうことで良い気分転換になったのだ。ほんの少し胸中に溜まっていた錫のシャボン玉が減ったのだから、これ以上は望むまい。だが、そんな万丈目の選択に納得する彼・彼女らではない。
「えー! そんなことを言わにゃいで下さい!」
「とどのつまり! 僕らの感謝の気持ちを貰ってくれないということですか!」
そんなことを言われてもな、と今度は万丈目が苦笑いする番だった。貰ったら、きっと子供たちは喜ぶ反面、残念に思うだろう。誰かの気持ちを悲しくさせてまで欲しくはないのだ。しかし、万丈目が何かしらカードを貰ってくれない限り、ブーイングし続けることは分かりきっていた。真剣な目で押し寄せる子供たちを見ていられなくて、思わず反らしてしまった万丈目の視界に部屋の隅に平積みされたファイルが止まった。
「あそこにあるファイルは何なんだ? そういえば、一度も開いてなかったようだが」
「一応持ってきただけの、えーと、その……」
「クズカ――」
「ノーマルやダブリ、使いにくいカードばっかりをまとめたファイルにゃんです!」
懲りずに失言しそうになる徳之助の口許を抑えながら、鉄男とキャッシーが取り繕う。成程、当たったはいいが、使う予定が当分どころか、ほぼほぼ無いカードたちということか。それなら、貰っても彼・彼女らは困らないだろう。
「それじゃあ、そのファイルのカードを貰うとしようか」
万丈目はそう言いながら立ち上がり、ページを挟み過ぎてパンパンになったファイルを手に取った。パラパラと重いページを捲ると、見知った通常モンスターや見知らぬノーマルカードが何枚にも渡って並んでいた。
(クックック、【モリンフェン】が入っているな、この世界でもそういう扱いかよ。……【局地的大ハリケーン】? 知らない罠カードだな、効果は……なになに、自分の手札・墓地に存在するカードを全て持ち主のデッキに戻してシャッフルする!? おいおい、デッキに戻しちまったら再利用すら出来ねぇじゃねぇか! いったい、何のコンボに繋げればいいんだ?)
ぼやぼや考えながら読み進めていった先に万丈目が良く知るカードに行き当たった。
(なぁんだ、お前たちもやはり此処にいたのか)
見つけた瞬間、先程とは違う笑みが浮かんでしまう。ダブりにダブりまくった、三ページ丸々を占める三種の《おジャマ》なノーマルカードを懐かしそうに見つめた後、寂寥感が浮かび上がる前に次のページを捲る。だが、万丈目の手は其処で止まってしまった。それらを視認したと同時に彼自身でも眼が大きく開き、揺れるのを感じた。
この世界に来た万丈目の目に入るものは知らないものばかりであった。知っていたものに出会ったところで、デュエルならルールに一部変更があったり、人物――アモンならⅥ(ゼクス)と言う名の別人になっていたりした。しかし、この瞬間、万丈目は《知らなくて知っているもの》に出会ったのだ。
(この世界は見知らぬカードで溢れていたが、古いカードとして俺たちの世界のカードも存在していた。少し考えれば、ありそうな話だというのに、どうして思い当たらなかったのか――その古いカテゴリーに派生した新しいカードがあるということに!)
タクティクスの海にダイブする。閃きの光が海を明るく照らす。既存のカードと新たなカードの間に絆が結ばれ、更なる可能性が広がっていく。水の中だというのに、全く苦しくない。それどころか、この光が差し込む海にいつまでも潜っていたいとさえ思った。
「万丈目さん、どうしたウラ?」
動きを止め、とあるページに釘付けになった万丈目に恐る恐る徳之助が話し掛ける。その言葉にすら現実に戻れずに、万丈目はそのページに目を落としたまま、尋ねた。
「このカテゴリーのカードを貰えるか?」
「クズカ……じゃなくて、そのカテゴリーのカードがどれくらい欲しいウラか?」
「ありったけ全部」
万丈目が即答する。彼が指差すページには彼の世界にはなかった《おジャマ》の派生カードたちが並んでいた。
5
「遠慮されちゃった」
「万丈目さん、遊馬と同レベルで喧嘩する癖に変なところで大人なところがあるからなぁ」
「でも、クズカードが片付いて良かったウラ」
目を伏せるキャッシーと鉄男とは対照的に徳之助がホクホク顔だった。デッキ構築を手伝ったお礼として、売っても二束三文にもならないお荷物と化していたありったけの《おジャマ》カードを万丈目は貰って帰っていったのだ。
「とりあえず、作戦は成功……なのかしら?」
「少しは元気になったから成功ウラ! でも、あんなクズカード貰ってどうするウラか? もしかして、何か裏があるウラ……って、あんなカードじゃあ勝ちようがないし、あり得ないウラ」
「あんまりクズカードって言うなよ、徳之助。万丈目さんが聞いたら、烈火の如く怒るぜ? とりあえず、俺は姉ちゃんに連絡を……って、委員長、何してんだ? おおい、何処に行くんだ?」
小さくなっていく万丈目を邸宅の前で鉄男たちが見送っていると、無言でガサゴソとファイルを漁っていた等々力がすくっと立ち上がって一気に駆け出していってしまった。
(《おジャマ》の派生カードがあったから、思わず貰っちまったが、俺はいったい何をしているんだ? デュエルを辞めるんじゃなかったのか?)
大きく溜め息を吐く。その手には、万丈目の世界には無かった『おジャマ』の派生カードだけでなく、既存のものもあった。派生カードだけ貰ったのならば、物珍しかったからと言い訳できるだろう。だが、その派生カードだけでなく、コンボを成立させる為に既存のカードまで貰った以上、言い訳は出来まい。コンボを考える以上、既存の《おジャマ》カードも彼のデッキに入っている一枚だけだと成立しないのだ。
(貰ったカードを中心に回せば、一気にレベル2モンスターが何体も並ぶ。此処でエクシーズ召喚を……って、モンスターエクシーズが無いんだから考えても仕方ないじゃないか。なのに、コンボが頭の中で展開されるのが止まらねぇよ、くそ!)
「万丈目さん!」
体は高揚しているのに、心は冷え込んでいる。その温度差に戸惑う万丈目に等々力が駆け寄ってきた。
「等々力! 言っとくが、別に遠慮してあれらを貰った訳じゃないからな。欲しくて貰っただけだからな!」
「なら、尚更構いません!」
遠慮した・していないの水掛け論が面倒で先手を打った万丈目だったが、等々力の想像していなかった返しに目を丸くしてしまう。その隙に等々力は万丈目に持っていたカードたちを押し付けてきた。
「使って下さい! これらは通常モンスターや低レベル、獣族モンスターをサポートするカードですから、きっと役に立つはずです」
「おい、あれだけ貰ったんだからもういらねぇって」
「大丈夫です。これらはダブリでノーマルですから遠慮はいりませんよ」
万丈目の逃げ道を丁重に塞ぎながら等々力が笑う。この世界において、万丈目はエクシーズ召喚関係については調べてきたが、他のカードについては知らないことばかりであった。つまり彼には等々力の言葉が本当か嘘なのかすら判別つかないのである。この世界のカードのことを知らない事実を改めて突き付けられたようで、彼の情けなさに更なる拍車をかけた。
「万丈目さんは僕の憧れなんです。だから……」
「やめてくれ、等々力」
子供たちの手前、我慢していた感情がドロドロとした沼地からぬっと姿を現す。年下の少年からの告白には確かな尊敬と感謝の気持ちが込められていたが、今の万丈目には苦痛でしかなかった。
「俺は嘘を吐いていた。貴様らには偉そうに振る舞っていたが、その実、カードのことなんて知らないことの方がずっと多かった。本当は貴様らに教える資格すらないのだ。この世界のデュエルのスピードにさえ、まともに追い付けない、ただのハリボテの、デュエリストですらない、しょうことも……」
「でも、貴方は僕の為にカードを調べてくれました」
顔を背けながら、万丈目が最低な告白を行う。自身を卑下する青年の唇に、少し背伸びして少年が被せるように人差し指を添えた。
「デュエルカフェで会った時のことを覚えていますか? 僕は『遊馬くんだけでなく、僕のサポートもして下さいよ!』と言いました。貴方は『気が向いたらな』と投げやりに返答していましたが、今回、僕のデッキに合うアドバイスを与えてくれました。あの助言こそ、万丈目さんがデュエルカフェで僕のためにも調べ物をしてくれた何よりの証拠です」
彼の言う通り、等々力が帰った後、万丈目は遊馬のデッキに合うカード――戦士族を探す傍(かたわ)ら、等々力のデッキにも合うカード――機械族にも目を通していた。そんな小さな努力を等々力は見抜いていたのだ。
「初めて見るはずのキャッシーさんや徳之助くん、鉄男くんのデッキにも貴方は有益なアドバイスを与えていました。カード効果やコンボだけでなく、戦略や攻めるときの心構えも教えてくれました。僕は貴方のことを遊馬くんの親戚のお兄さんとでしか知りません。ですが、貴方には膨大な経験に則った、一朝一夕では手に入らない《センス》と《閃き》があるように思われます」
彼の唇から指を離す。頬を上気させたまま、等々力は親愛なる年上の青年の目を真っ直ぐに見つめながら、まるで想いが目から入って体の何処にもあるはずのない心へ届かせるように言葉を繋げた。
「貴方は僕の為に色々と助言をして下さいました。遊馬くんのためにもサポートしてきました。ですが、そろそろご自身のためだけに頑張ってもバチは当たらないと思いますよ」
耐えきれなくなったのか、台詞を言い終わった途端、少年ははにかんだ。もし、等々力の台詞を万丈目の昔からの知人らが聞いたら吃驚仰天するであろう。財閥の御曹司で他人が傅(かしず)いて当然、そんな唯我独尊で高飛車な彼が他人をマネージメントするなんて、ナンセンスなジョークだと笑うに違いない。だが、この世界ではそんなジョークが本当になってしまうぐらい、万丈目は等々力や遊馬たちに尽力してきたのだ。
「それでは、万丈目さん、また今度! とどのつまり、WDC(ワールド・デュエル・カーニバル)で対戦する時を楽しみにしています!」
等々力からの長い告白に目を丸くするばかりだった万丈目は彼からの別れの言葉に即座に反応することが出来なかった。あ! だの、おい! だの言う前に等々力は駆け出して行ってしまい、万丈目の手元には彼から貰ったカードと言葉の余韻だけが残されたのだった。
6
「次はハートランド中央公園前、中央公園前。お降りの方は――」
がばっと顔を上げる。思わず「降ります! 次、降ります!」と万丈目は立ち上がって叫んでしまったが、周りの視線で降車ボタンを押すだけで済むことに気付き、顔をパッと赤らめた。誰かがボタンを押したのだろう、バス中に張り巡らされた全てのボタンが点灯する。次止まります、という機械音声を聞きながら、小さく座り直した万丈目は目当てのバス停まで目を伏せることに決めた。
別に居眠りをしていた訳ではない。ただずっとデュエルタクティクスを練っていただけだった。デュエルを辞めるはずじゃなかったのか、ともう一人の自分が指摘するが、「そろそろご自身のためだけに頑張ってもバチは当たらないと思いますよ」という等々力の台詞と子供たちから得たカードが万丈目の思考回路に引かれた遮断機を持ち上げてしまうのだ。ああすれば、こうすれば、特殊召喚ができる、相手にダメージを与えることができる、攻撃を防ぐことができる、勝つことができる。
(全て『たら・れば』のもしもの話だ。エクシーズモンスターがいないのだから、意味なんてない、《しょうこともない》んだ)
悪夢とはまた違う、終わらない思考ループに息を吐き、カードをトートバッグにしまい、キュッと抱き締める。
(おい、お前ら。ご主人様がこんなに落ち込んでいるんだぞ。何か言えよ、『アニキらしくないな』って揶揄(からか)いにこいよ)
なのに、カードの精霊――おジャマ共は話し掛けてこない。当たり前だ、自分はカードの精霊を視る力を失ったのだから。それが病院の重病棟に居た頃を思い出させ、万丈目の気分を更に暗くするのであった。
バスが停車する。お兄さんが降りる停留所ですよ、と見知らぬ乗客に肩を叩かれ、縮こまっていた万丈目は吃驚の余り変な声を漏らしながら慌てて昇降口へ向かう。握り締めていた小銭を支払って降りると、降車客は万丈目一人だけだった。公園から九十九家までの道のりは子供たちに教えられていたが、とても帰る気分にはならない。バスが発車しても停留所に立っていた万丈目は仕方なく公園へ歩みを進めることにした。
(結局、最初のベンチまで戻る形になっちまうとは……)
あの時いた家族連れは当然もういない。溜息を零しながらベンチに近付くと、既に先客が座っていた。
「る~るる~、万丈目くん。待ってたよ」
「て、鉄子さん!?」
先程まで会っていた鉄男の姉である鉄子が茶化しながら手を振る。恩人であり、アルバイト先の店長の突然の登場に万丈目がひっくり返った声を出していると、彼女が立ち上がり近付いてきた。
「その調子じゃあ元気になったようだね」
「ゴ心配ヲ、オ掛ケシマシタ」
ニコッと笑う店長に万丈目は片言で応えてしまう。少し前まで一人でモヤモヤ考え事をしていたせいか、うまく言葉を返せない。会話をしなければ、と思うが、良い切り出しが見付からない万丈目に鉄子は「話があるんだけれども」とやおら落ち着いた声で向こうから話し始めてくれた。
「はい、なんでしょうか?」
「私が上げたデュエルモンスターズの商品券、遊馬くんにあげたでしょ?」
空気が凍り付く音が聞こえた。大袈裟ではなく、目の前が白と黒に点滅し、万丈目は視線を下に落とす。どうしてバレてしまったのだろう、遊馬か、遊馬が言ったのか! 白と黒の点滅が次第に混ざり合うような渦を巻き始めたので、万丈目は拳を握り締め、深く頭を下げた。
「すみません、鉄子さん! 貴方が俺の為にくださったのに、遊馬に使っちまって! でも、俺はどうしても彼奴(あいつ)を勝たせたかったんです!」
懺悔は思った以上に大声になった。手の平に爪が食い込むぐらい握り締める。左の薬指が痛く感じても、万丈目は拳を開かなかった。
「万丈目くんに渡したいものがあるの」
落ち着いた声のまま、鉄子が話し続ける。見上げると、彼女の鞄からパサリと取り出された封筒に目がいった。解雇通知だろうか。
(そうだよな、店長の好意を無下にするわ、接客態度は良くないわ、この世界のデュエルモンスターズを理解してないわ、彼女の親友の明里さんたってのお願い事とはいえ、こんな《しょうこともない》従業員なんていらないよな)
鼻が詰まって上手く呼吸ができない。覚悟なんて出来てない癖に、まるで覚悟が決まったように鉄子の表情を見られないまま、封筒を受け取る。
(あ、れ?)
解雇通知という紙切れが入っているはずの封筒は厚みがあり、手の平サイズの《なにか》の束が中に入っているのを、万丈目は触った途端に理解した。この馴染みのある重みを、サイズを彼は知っていた。鉄子の顔を見ないまま、封筒を開ける。中にはランク2のエクシーズモンスターが入っていた。しかも一枚や二枚ではない、幾つか同じカードが入っていたが、数枚の数種類のカードが入っていたのだ。
「万丈目くんはレベル2のモンスターが主軸でしょ。これなら、きっと――」
「受け取れません!」
明るく話す鉄子の台詞に被さるようにして万丈目が絶叫した。カードを突き返したまま、言葉は続ける。
「俺は貴方を裏切ったんですよ! 貴方の好意を無下にしたんです! そんな俺に貰う資格はありません!」
視界が水面のようにゆらゆら揺らめく。瞼を落としたら最後、取り返しがつかなくなるような気がして万丈目は頭を下げたままでいた。だが、鉄子は万丈目からカードを受け取らなかった。
「万丈目くん、私の話を聴いてくれるかしら?」
カードの突き返しを拒みながら、鉄子は穏やかな声で語り始めた。
「私はね、幼い頃からカード屋の店主になるのが夢だったの。同じように、記者になるのが夢だった明里と『お互いにどんな困難にあっても挫けないで頑張ろう』ってよく話していたわ」
懐かしむように鉄子の声が若干透き通る。
「小さい頃からよく通ったカード屋があって、私たちを孫のように可愛がってくれた店主のおじいさんがね、私が高校を卒業する前ぐらいに、もう齢だからって店を畳むことを決めたんだけど、後継ぎがいないからって他人の私にお店を丸ごと譲ってくれたの。おかげで、あの学年でいの一番で進路を決めたのが私になったわ」
ホント、ラッキーでしょ? と言う鉄子だったが、その台詞には何処か自虐的な意味合いが込められていた。
「確かに金銭のやり取りもあったけど、私は何の苦労もなしに大通りに面した最高の立地条件のお店を、仕入れ先のルートや常連客ごと貰えることができた。もうまるで、RPGで例えるならレベルは1でも強くてニューゲーム状態だった。本当になんの苦労もいらなかった。店主がおじいさんから私に変わっただけで、何も変わらなかった」
内容は超絶幸運の出来事であったが、語る鉄子の口調は鉛のような重さを抱えていた。でも、と彼女は続ける。
「その裏で明里は記者になるために昼夜問わずに勉強していた。隈が出来ていることもあった。思ったようにいかなくて苛々していることもあったけど、その努力が実って、明里は記者になれた。明里が私の夢が叶った時に祝ってくれたように、私も祝った。だけれども、私はずっと心苦しかった」
隠されていた鉛がゆるゆると紐解かれていく。
「あんなにも明里は苦労したのに、私は何の苦労もせずに夢を叶えている。努力の量がまるで違うのに、お互いに幼い頃から望んだ夢の舞台に立っている。記者になった明里は更に忙しく働く一方、私はのんびりカード屋の店長をしている。現状さえ維持していれば、私は生活できるほどの収入を得られた」
彼女の声は至極落ち着いていた。だが、それはまるで表面上は緩やかなのに、その下では足元が掬われてしまう程に怒涛の流れを持つ川のようであった。
「何の努力もせずに夢を叶えられるってとんだ幸運なのに、心苦しさを感じるなんて自分でも酷い我儘だと思った。努力をしても夢が叶えられなかった人に失礼だと思った。夢が叶ったから、それでいいでしょって、自分に言い聞かせてきた」
彼女の告白に万丈目まで心苦しさを覚えてきた。鉄子さん、と他意もなしに呼ぼうとして、顔を上げたときだった。
「そんな心苦しさを騙し騙し繰り返して、ようやっと落ち着いたころに君がやってきた」
唐突な万丈目自身の登場に、十九歳の青年は何を発しようとしていたのかすら忘れた。そして、鉄子の表情は口調同様に柔和なもので、決して怒ってはいないことに気が付いた。
「明里に『親戚の子を雇ってほしい』ってお願いされたとき、本当は嫌だった。私のお店は私のお城で私が王様、誰かを入れたくなかったし、私一人なら十分な収入でも、誰か一人を雇うには不十分だと思っていた。でも、親友たってのお願いなんて断れないでしょ? とりあえず雇って、明里には悪いけど難癖付けて辞めてもらおうかなって黒いことも考えていた」
ほんの須臾(しゅゆ)、瞳を伏せた際に長い睫毛が揺れて、万丈目は目の前にいるのが気の強い、ボーイッシュな店長ではなくて、一人の女性だと知る。
「そんなこんなで、やって来た子が私より一つ年下で驚いたし、異性だったから更に驚いた。細身で頼りげなかったし、大丈夫かなと思いつつもスタンダードデッキを渡したのを覚えているよ」
この合間、フッと鉄子が小さく笑った。
「だけれども、君は積極的だった。接客に慣れていないなんて一目で分かるのに目一杯の敬語を使って、初手ドローとか、デュエルモンスターズのルールに対しては頓珍漢なところがあったから、間違って披露してしまった時もお客さんに謝って、見本として置かれたヴァリュアブルブックに目を通して、お客さんがいないときも陳列棚に置かれたカードを覚えようとメモして、休憩中はずっとパソコンに向かい合って、カードバンクにアクセスして知識を得ようとしていた」
気が付けば、口調の川は表面とその下を混ぜ合わせたような、裏表のない流れになっていた。
「覚えている? 店内の模様替えをしたときのこと。君が思った以上に力がなくて――まぁ、退院したばかりだから仕方ないけれど――鉄男や遊馬くんに手伝ってもらいながら棚を移動したら、変に空間(スペース)と机と椅子が余っちゃって。どうしようかなって考えていたら君が『このスペース、好きに使ってもいいですか?』って言ってさ。私も何の考えもなしに『いいよ』って返事したら、君は余った机と椅子を設置して整えると『模擬デュエルします』という小さな看板を立てちゃった。好きにしてもいいよって言った手前、反対できなくて、どうせお客さん来ないから諦めるだろうって思っていたら、数日もしないうちに『デュエルに勝ちたい』っていう中学生がやってきた」
この時にはもう、万丈目は口を挟むことを忘れて聞き入っていた。
「ルールもカードもしっかり覚えていないのに、その中学生――等々力くんにどうやって教えるんだろうって思って、ちょっと放って置くことにした。せいぜい知識を与えるだけだろう、ついでにオススメのカードを売りつけるだけだろうと思っていた。けれども、それはとんだ間違いだった。発動タイミング、先を見るデュエルタクティクス、相手の隙を突く戦法、君の模擬デュエルはスタンダードデッキとは思えない処理の仕方をしていた。君は模擬デュエルを通して、等々力くんに闘う上での心構えと戦局の見極め方を教えていた。小遣いの少ない彼に遠慮して、今、彼の持つカードで行える最上の戦い方を見出していた。君は知識ではなく、知恵を彼に授けていた。君らは何回も模擬デュエルをしていて、見学する人もどんどん増えていって、気が付いたら、私も閉店後に君にパソコンしてもいいって許可を出してしまっていた」
板に水を流したように、鉄子の唇が閉じることはない。
「それからしばらくもしないうちに等々力くんが喜色満面で店にやって来た――勝ちたいクラスメイトの太一くんに勝ったって。君に凄く感謝していて――その頃には君はもう店に馴染んでいたから――君も調子良く『俺が教えたのだから当然だろう』って偉ぶっていたけれど、模擬デュエルを見守ってきていたお客さんが拍手をしてくれた。一人や二人じゃなかった、店内にいた十数人のお客さんがみんな拍手をしていた。その中には私の知らないお客さんがいた。おじいさんから引き継いだ常連客じゃない人も何人もいた。『次は俺に教えてくれ』って頼み込む人が続いて、『友人に誘われて見てきたけど、凄いわね!』っていう会話が聞こえてきた」
息を吸い込むと、鉄子は瞼を落とした。きっと、その時の情景を思い出しているのだろう。
「広い店内が狭く小さく見えた瞬間、自分は何をしてきたんだろうって思った。おじいさんからお店を引き継いで、私は現状維持をしてきただけだった。新しいお客さんを呼び込むための努力もしなかった。知識が欠けている君が勉強して企画して新しいお客さんを呼び込んだというのに」
瞼を開けた彼女は晴れやかな気持ちで心を開く様に言った。
「私の夢が棚から牡丹餅のようにあっさり叶ったのは本当にラッキーだったと思う。でも、だからといって満足しちゃいけないことに気が付いた。現状維持じゃ駄目だ、もっと我儘になろう、このお店を大きくしようって決めた。夢が叶ったのなら、次の新しい夢を見ればいい。その足掛かりとして、仕入れルートを開拓して、扱うカードの種類を増やした。闇川くんを雇って従業員も増やした。広くするために、今度工事することも決めた」
万丈目くん、と鉄子が呼ぶ。
「君はずっと誰かの為に――私や遊馬くんたちの為に頑張ってくれた。そんな君が遊馬くんのために商品券を使っちゃうのは君らしいと思うけれど、今度は君自身のために頑張ってほしい。鉄男から聞いたよ、君の主軸モンスターのレベルを。だから、ランク2のエクシーズモンスターを選んだの」
これなら遊馬くんは使えないでしょ? と彼女は冗談めかす。等々力と似たようなことを言うと、鉄子はカードを拒んだままの万丈目の手の平をやんわりと押し返す。一瞬だけ触れたその掌は言葉と同じように柔らく温かなもので、彼女の気持ちを真っ直ぐに表していた。
「君の頑張りが私に新しい夢を教えてくれた。だから、これはそのお礼として受け取ってほしい。君が君のデッキでデュエルできる日を――私とデュエルできる日を楽しみにしているよ」
鉄子の笑顔に、とうとう万丈目の涙が零れ落ちた。この世界のデュエルを理解しようとする彼の頑張りをずっと見守ってくれた人がいた。その姿を見て、影響を受けた人がいた。
(俺の今までの頑張りは無駄ではなかったのだ)
その真実が万丈目の琴線をおおいに弾く。今までの彼自身を肯定する証として渡されたカードを胸に抱き込むと、万丈目は頭を垂れ、喉を鳴らした。肩が揺れ、視界も揺れている。両手はカードで塞がっているため、拭うことも出来ず、渇いた公園の地面に落ちた影を更に暗く濡らしていく。
万丈目にとって涙は恥の象徴であった。涙は自身の至らなさを露呈するもので、泣けば泣くほど、突き付けられた弱さに怒りを覚え、心が冷え込む行為であった。だから知らなかったのだ――心を満たす涙があるということを。今の今までずっと知らなかったのだ。
泣き止まない万丈目を前にして、鉄子は何もしなかった。声を掛けることも、抱き締めることも、頭を撫でたりもせず、十九歳の男のデュエリストとしての沽券(こけん)を大事にして、ただ黙ってくれていた。その女性の思いやりが青年には嬉しかった。見知らぬ他人相手というのに、なんたってこんなに優しくしてくれるのだろう。抱き寄せたカードが温かく感じる。やっぱり彼女は恩人だ、と心から思った。
7
ガクガクする膝を叱咤しながら帰路を走る。公園から九十九家まではそんなに距離がないはずだが、医者の言った通り、万丈目の身体は思っていた以上に体力がないらしい。それでも、駆ける速さを緩めようとは思わなかった。泣き止んだ後に鉄子さんから《あの話》を聞かされた以上、一刻も早く遊馬に会わなければならなかった。
「遊馬ーっ!」
ツンツンとした特徴的な髪型を視認した途端、その名を腹の底から呼んだ。玄関先で明里と口論する遊馬を見守っていた小鳥が「万丈目さん!?」と反応する。大丈夫ですか? と汗で顔を真っ赤にする万丈目を心配する少女を片手で制して、走る勢いを落として、驚きで瞬きを忘れた遊馬へ近付く。
「貴様が、何を、明里さんに、言って、いたか、おおよそ、予測が、つく。……だが!」
息も絶え絶えのまま、万丈目が遊馬に話し出す。その口ぶりに、余計なお世話だったか、と危惧した遊馬だったが、次の彼の台詞で一気に消し飛ぶことになる。
「この先は俺様に言わせろ、貴様ばっかりにいい格好させてやるものか」
呼吸を正常に戻しながら万丈目は遊馬を押しやり、腰に手を当ててご立腹そのものの明里に近付いた。彼女の吊り上がった瞳を見た後、万丈目は威勢よく頭を下げた。
「明里さん! ご心配をお掛けてして、すみませんでした!」
万丈目の盛大な謝罪に遊馬も小鳥もアストラルまでも目を丸くする。頭を下げたまま、告白を続ける。
「約束破ってデュエルしたり、行方を眩ましたりして心配させてしまったこと、本当に申し訳ないと思っています! それでも、俺は!」
とんだ我儘だと思いながらも万丈目は口を開いた。
「デュエルをしたいんです!」
目を閉じ、全身全霊で言葉を吐き出した。
「取り戻したい誇りがあります! 負けられない奴がいます! 俺が俺であるために、今までの俺自身を肯定するために、どうか!」
一度転落した自分がデュエルアカデミアのノース校で得た、誇りの復活の象徴《アームド・ドラゴン》、それを奪い去り、万丈目に敗者の烙印を押したアモンが脳裏に過(よぎ)る。顔を上げ、万丈目は真っ直ぐに明里を見た――まるで想いが目から入って体の何処にもあるはずのない心へ届かせるように。
「俺からデュエルを取り上げないでください」
自らの心が震え、声まで震えそうになるのを耐えながら魂からの懇願を舌にのせる。キュッと唇を噛み締め、明里の返答を待つ。遊馬も小鳥もハラハラした気分で見守る。短くて長い沈黙後、この中で一番の年長者たる明里は息を吐き出すと、こう呟いたのだった。
「遊馬と万丈目くんって、本当に兄弟みたいね」
脈絡のない台詞に万丈目は目をパチクリさせる。それから明里は大仰に溜息を吐いて、お手上げとばかりに芝居がかったように手の平を宙へ投げた。
「降参よ、降参! そこまで二人して熱心に懇願されたら、もう止めるよう言えないじゃない!」
そう言うと彼女は大きめのウエストポーチに入っていた、彼から取り上げたお古のDパッドを取り出した。
「ホント仕方ないわね! 君のデュエル、許可するわ。でも、このDパッドを受け取った以上はその『負けられない奴』とやらに絶対に勝ってよね! でないと許さないんだから」
先程とは違う意味で目尻を釣り上げた明里が約束を迫るものだから、Dパッドを受け取った万丈目は元気付いて「当然です! 万丈目サンダーの名に掛けて!」と調子良く返事する。
「……ったく、もう! 私も甘くなったわね!」
「でも、いつもの万丈目さんに戻って良かったじゃないですか」
いそいそとDパッドをベルトに装着する万丈目を見ながらの小鳥の台詞に、明里が「それもそうだけどね」と前置きしてから続けた。
「小鳥ちゃんも遊馬と一緒にいるから分かっていると思うけれど、デュエル馬鹿相手に『無茶するな』とか『無理するな』とか言っても全然聞かないのよ! ……だけどね、万丈目くん」
気持ちを共有できる相手にプンスカと愚痴を漏らしていた明里だったが、急に声のトーンを落とすと、目尻を下げて、万丈目を見て静かに告げた。
「無茶しても無理しても、どうにもならなくなったら、私のところへおいで。何もできないけれど、君の背を撫でてあげることはできるから」
さっきまでお姉ちゃん風を吹かせていた明里が急に包容力を持つ大人の女性の雰囲気を醸し出すものだから、変にドギマギした万丈目は彼女の本意を理解できないまま、汗とは別の意味で上気した顔でコクコクと頷く。やっぱり明里さんは大人だなぁ、と小鳥が感心する一方で、遊馬が複雑な表情を浮かべていたことにアストラルは気が付いた。訝(いぶか)しげに思ったアストラルが少年の名を呼ぶ前に、遊馬はその感情を隠すようにして万丈目の背中に飛び付いた。
「良かったな、万丈目! 姉ちゃんにデュエル許可してもらって!」
途端、「さん、だ!」と万丈目が最早条件反射並に訂正する。今朝の電話口では返してこなかったそれができるほどに元気が戻ったことが嬉しくて、遊馬は彼の腰にへばり付いたまま、にししと笑う。その振動がくすぐったくて、万丈目は「ええい、離れやがれ!」と猿みたいに纏(まと)わりつく遊馬を振り解こうとしたが、残念、彼は更に力を強めただけだった。
「鉄子さんから聞いたぞ。貴様、俺を励ますために色んな奴に声を掛けたんだってな」
「あちゃー! 鉄子さん、喋っちまったのか!」
遊馬の笑い方がばつの悪そうなものに変わる。公園にて万丈目が泣き止んだ後、鉄子から聞かされた《あの話》とは、遊馬から彼が落ち込んでいることを教えてもらった、という内容であった。
「なんで、貴様はそこまでして、俺を――」
「だって、万丈目には元気になってほしかったんだ」
じゃれていた遊馬は動きをピタリと止めると、万丈目の背中におでこを当てて呟いた。
「元気のない万丈目なんて、万丈目じゃないみたいで俺は嫌だった。だから、元気になってほしくて――いつも万丈目が俺を励ましてくれたように、俺も万丈目を励まし返したかったんだ」
緑のベストにぐりぐりとおでこを擦(こす)り付けるようにして遊馬は続ける。
「あの時、俺とアストラルの言葉だけじゃ届かなかった。だから、みんなに協力してもらったんだ。俺たち二人じゃ届かなくても、みんなが集まれば絶対に届くと思って!」
背面にへばり付いているから遊馬の顔なんて見えないのにも拘(かかわ)らず、彼が顔を上げて笑っていることを万丈目は安易に想像できた。
「万丈目って凄ぇよな! 俺が『万丈目が落ち込んでいる』って言っただけで、今何処にいるの? 励ましたいから教えろ! ってみんなから詰められてさ。俺だけじゃなくて、みんな万丈目のことが好きなんだって知ってびっくりしたぜ!」
ぎゅうぎゅうと後ろから抱き締められて、正直に言って、万丈目はどんな顔をしたらいいか分からず、思わず彼とお揃いの帝の鍵を握り込む。
「デュエルと一緒だ。一枚のカードなら弱くても、色んなカードと繋がれば、絆が結ばれて、すっげぇ効果になるように、一人じゃどうしようにもならなくても、みんなと心が繋がれば、すっげぇパワーを発揮できるんだ! ……でも、万丈目のデュエルを許可してもらおうと思ったら、姉ちゃんが頑固の上、強敵でさぁ。小鳥と一緒に頑張ったんだけど、全然説得できなくて、どうにもならねぇってときに万丈目が来て助かったぜ!」
ははは! と笑う遊馬に、万丈目はますますどんな顔をしたらいいか、分からなくなった。明里にデュエルの許可のお願いなんて、そもそもの当事者である万丈目がすべきなのだ。それを『万丈目が来て助かった』と言われ、いったいどんな顔をすればいいというのだ。
『万丈目、嬉しくないのか?』
「ど阿呆! ンな訳あるか! それに、俺は万丈目さんだ!」
アストラルに奇妙な顔付きをしていたことを指摘され、万丈目が声を張り上げて反論する。
「遊馬! 俺は――」
貴様が何もしなくても立ち直っていたわ! と叫びそうになるのを、ぐっと堪(こら)える。違う、言いたい言葉は――言うべき言葉はそれじゃない。頭を振ると、腰に回った遊馬の手を抑えつつ、素直になれと呪詛のように繰り返しながら、万丈目が意を決してお礼の言葉を横隔膜から引っ張り上げようとした瞬間、Dゲイザーが鳴った。なんだよ、もう! 人が決心した矢先に! 遊馬を振り解き、ポケットからDゲイザーを取り出す。小さなディスプレイには、アルバイト先の後輩の名前が点滅していた。
「貴様、闇川にも連絡したな」
心底恨めしそうな万丈目の発言に、遊馬は「おう!」と何の危機感もなく返事する。職場の、異性の上司なら良くても、同性の後輩には弱さを見せたくないらしい。万丈目の考えに思い立った明里と小鳥が顔を見合わせて、当人にはばれないように笑う。そんな彼・彼女らを横目に、遊馬と万丈目の二人にしか認識できないアストラルは顎に手を置きながら独り言(ご)ちていた。
『我々二人では万丈目の心を開くことは出来なかったが、みんなでなら開かせることができた。人もカードも繋がることで、とてつもないパワーを発揮する。人の絆もデュエルと一緒ということか……、記憶しておこう』
賑やかな、それでいた新たな日常が始まろうとしている。万丈目の胸の内を占めていた錫のシャボン玉は、とうにハジけて消えてしまっていた。
8
とっぷり日は暮れている。ロフトで爆睡する遊馬に遠慮して、デスクスタンドだけを付けた部屋の中、万丈目はデッキを再構築していた。ナンバーズ倶楽部から貰った、見知ったおジャマモンスターと初めて見るその派生カード。等々力がくれた、通常モンスターや低レベル、獣族モンスターをサポートするカード。鉄子から渡された、ランク2のエクシーズモンスター。そして、九十九家の玄関先のひと悶着の後に明里がこっそり譲ってくれた、一パックのカード。見知らぬカードが大半を占めるなか、万丈目は黙々と作業をしていた。元々のデッキをばらし、今は使えないカードを外していく。
(すまない、《アームド・ドラゴン》。だが、絶対に取り返してやるから今は待っていてくれ)
アモンに進化後の全てのカードを奪われてしまった【アームド・ドラゴン LV3】を外し、レベル関係のカードも全部取り除く。スカスカになったメインデッキに、今回得たカードを投入し――それでも、四十枚に満たないので、仕方なしにそれを埋めるためのカードを入れていく。エクストラデッキは一から構築することに決め、鉄子から貰ったエクシーズモンスターを全て採用した。これで完全に、この世界の、エクシーズモンスターのみが入ったエクストラデッキになった。
デッキをベルトに装着する。姿見の前に立つと、万丈目はフウと息を吐き、覚悟を決めた。
「デュエルディスク、セット」
Dパッドを展開させ、自身の世界とはまるで形状も重みも違うデュエルディスクを装着する。
「Dゲイザー、セット」
ソリッドヴィジョンではなく、ARヴィジョンという全く異なる方法でデュエルを可視化するレンズを装備する。
「決闘(デュエル)!」
姿見の中には、黒コートでシルバーのデュエルディスクを身に着けたプロのデュエリストではなく、左の薬指に外せない包帯を巻き、緑のベストを羽織った、この世界のデュエルアクセサリーを身に着けたレベル1のデュエリストが映っていた。
「待っていろ、アモン! 新しい仲間(カード)と共に、必ずや貴様に奪われた誇りを取り戻してみせる!」
そうだ、負けてもまた這い上がればいい。以前の世界において、《アイツ》に気付かされた事実が再び万丈目の胸を熱く焦がす。
しょうこともなし、なんて二度と言わせはしない。《アームド・ドラゴン》を取り返し、失った誇りを手にするまでは元の世界には帰らない――つかの間の異世界の異邦人ではなく、この世界のデュエリストとして生きていくことを、しかと心に決めた瞬間であった。
9
遊馬は夢を見ていた。映画館の中に、彼は一人っきりで居た。目の前のスクリーンは、雨の中、傷だらけの黒髪の青年が倒れている光景を映していた。流れるようにシーンは移り変わり、手術後、包帯だらけの青年がベッドで呻きながら眠る姿、起きてから身の内を語るが、誰にも理解されないことをカードに縋るようにして涙を零し、心を閉ざしていく様、デュエルを見て何かに気が付いたのか、目を見開いていく様子、歯を食い縛りながらリハビリに励む背中、退院して連れてこられた居候先の家族の前で「ひとりじゃないんだ」と漏れる嗚咽、次第に打ち解けてきて、くるくると変わる表情、恩を返そうと打ち込む仕事風景、大声を上げて笑って、譲れないことに怒る声、デュエルを教えてくれる厳しくも優しい指先、落ち込むことがあっても立ち上がれる強さ――、スクリーンには万丈目のこれまでが映り出されていた。最後に背筋を伸ばして歩いていく万丈目の後ろ姿が映り出され、白い空間に彼の黒い影が伸びていく。その影は伸びに伸びて、万丈目が気付かないまま、恐ろしい化け物の形を取ろうとしていた。それに気が付いた遊馬は、すくっと立ち上がって駆け出していた。いつの間にか映画館は消え、スクリーンも周りに溶け込んでいて、遊馬と万丈目のいる場所は同じ空間になっていた。走り幅跳びのように勢いをつけると、ホップ・ステップ・ジャンプで平面から立体に起き上がろうとした怪物を踏み潰す。少年は青年の名前を呼んだ――いつものように怒鳴られたくて。
だが、振り向いた人物は万丈目ではなく、姉の明里にとって代わっていて、腰に手をあてた彼女は目くじらを立てたまま、ずかずかと近付いてきた。
「いーい? 万丈目くんの身体は丈夫じゃないの。そんな彼がデュエルを続けるなんて危険だわ。それに、万が一にでも《あの記憶》が戻ったらどうするの?」
万丈目のデュエル許可を得るため、小鳥と一緒に説得しに行った際と同じ台詞を明里に向けられた遊馬は、同じようにその時の台詞をそっくりそのまま返した。
「俺が万丈目を守るよ。それならいいだろ」
明里から目をそらさずに、皇の鍵を握り締めた遊馬はまるで誓いを立てるように告げた。
「姉ちゃんが万丈目を大事に思う気持ち、俺にも分かる。でも、万丈目がデュエルを好きな気持ちも分かるんだ。だから、俺が万丈目を守るよ。万丈目が独りで涙を零すことがないように、自分を見失ってしまわないように、万丈目が万丈目でいられるように、《あの記憶》が戻らないように、俺が万丈目を信じるから、その手を掴んで離さないから……姉ちゃん、万丈目のデュエルを認めてくれよ!」
本来(現実)なら此処で万丈目がやってきて自ら懇願し始めるのだが、夢の中の明里は「遊馬と万丈目くんって、本当に兄弟みたいね」と表情を崩すものだから、遊馬も似たような顔で――姉弟揃って微笑んだのだった。
つづく