【遊馬と万丈目で】 YU-JO!【時空を超えた絆】 作:千葉 仁史
俺は相手がエクシーズ召喚をすると思ったら
レベルの異なるモンスターでまた別のモンスターを特殊召喚したんだ!
な……何を言っているのか、わからねーと思うが
俺も何が起きたのか分からなかった……
頭がどうにかなりそうだった……
融合だとか儀式とか、そんな見慣れたもんじゃあ断じてねえ
もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ……
(JOJOパロ)
1
ブランコをこぐ夢を見た。
大草原の小さなウッドハウスのある畔(ほとり)、樹の枝からぶら下げた手作りのブランコに十にも満たない弟を乗せ、その幼い背中をゆっくり押していた。足元が地面から離れる度(たび)に年の離れた弟は声を上げて喜び、もっと強く押して! とせがむのだが、勢い良すぎて怪我をさせてしまうのが怖くて「ハルトがもう少し大きくなったらな」とあやすように誤魔化す。それなら早く大きくなりたいなぁ、と丸い頬を更に膨らませる弟が愛らしくて、此方まで頬が緩んでしまう。
「少しだけだからな」
そう言って、弟の背中を強く押し出した。ハルトの息を呑む音、初夏の風の感触、一羽の蝶が舞う青空に向かって投げ出される弟の両足。総てが瑞々(みずみず)しくて眩しくて、目を細め、シャッターを切るように瞼を落とす。
懐かしい夢だった。
目が覚めると、独りきりの部屋だった。ハートランドシティの中央に聳(そび)え立ち、近代都市の象徴でもあるタワーの高層階に宛(あて)がわれた自室は、夢の中で見た自然とは一番程遠い場所であった。じんわりと汗を掻いた手の平を開く。まだ其処には幼い弟の背中の温度が微かに残っているような気がしてならず、そんな幻想のかき消すようにカーテンを開き、朝日が昇ったばかりの現実の街を見下ろした。眼下には、一晩中我が物顔で踊っていたネオンの遺体を隠すようにただぼんやりとした朝(あさ)靄(もや)が漂っているだけであった。きっと郊外からこの塔を眺めたのなら、天空に浮かぶ城(キャッスル)のように見えたに違いない。喧噪も行き交う人々の存在も有耶無耶にして、総てが虚ろ気に見える蜃気楼の街を見下ろしながら、青年――天城カイトは早朝の遊覧飛行へ出掛けることを決めたのだった。
2
朝日が昇ったばかりのことだ。手洗い帰りに万丈目は明里の部屋のドアが開いていることに気が付いた。自分と同じように起きてしまって戻る際に閉め忘れたのだろうか。そう思って扉を閉めようと近付いたところ、忙しなくキーボードを叩く音がディスプレイライトと共に飛び込んできた。
このところ、ライターである明里は多忙を極めていた。WDCが近付けば近付く程、著名なプロデュエリストの決意表明の会見が増え、記事が次から次へと特集される。他の記者に負けないよう徒競走よろしく会見会場へ走ったり、障害物競走みたいに押し合い圧(へ)し合いで質問権をもぎ取ったり、本社に呼ばれて応援合戦にも似たブリーフィングをしたり、借り物競争を連想させるかの如く上司に頼まれた資料を取りに行ったり、と忙(せわ)しなく組まれた運動会のプログラムを消化する日々であった。
昨夜もその忙しさに則(のっと)り、明里はずっと部屋に篭(こも)りきりであった。見かねた万丈目がトレイに乗せた夕飯を運んだのだが、その時に見た光景と今見ている光景に変化はなく、暗い部屋の中、女性ライターはパソコンに釘付けのままだ。
仕事の繁忙期だから仕方ないと分かっている。それでも無理を重ねる恩人の女性を労(いた)わりたくて、なにか出来ないかと首を捻った万丈目だったが、ふとデュエルアカデミアの異性の同級生の言葉を思い出した。
(そういえば、学生時代、ジュンコとももえが『女の子は疲れているとき、甘いものが欲しくなるのよ』って言っていたよな)
閉めようとしたドアノブから、そっと手を放す。昨夜観た恋愛ドラマの合間に流されたパン菓子のCMを思い出した万丈目は財布を取りに、抜き足差し足で二階へ戻った。パパッと着替え、いつもの癖で財布と共にデッキケースを持とうとしたが、ナンバーズの精霊たるポン太が間抜け面で爆睡しているのが視え、遠出をする訳でもないし、とそのままにしておく。それでも帝の鍵は首にぶら下げ、その上にライダージャケットを羽織(はお)りながら、バイクのキーを手に九十九家の玄関扉を静かに開けた。七月というのに、早朝だからか、或いは朝靄のせいか、ひんやり感じられる。硬いヘルメットの下の頭の中でこれからすべき企(たくら)みをふんわりと思い描きながら、バイクにキーを差し込んでスタートボタンを押した。クラッチを放してグリップを回すが、加速しない。考えことをしていたからだろうか。燃料が入っていることを確認して、もう一度やり直すと正常に動き出したので万丈目はバイクを発進させる。普段デュエルで埋め尽くされた彼の頭の中には、明里を喜ばすための細(ささ)やかな計画が広がっていた。
恥ずかしい思いをした。頬に当たる風が冷たく感じる度に万丈目は自身が赤面していることを思い知らされ、運転中だというのに唸りたくなってしまう。
普段よく遊馬とアイスを買いに行くコンビニへ行ったところ、あのCMの菓子パンが見付からなかった。別のものでもいいだろうに、明里を癒せるのはあの菓子パンだけだと意固地になった万丈目が女性店員に詰め寄った結果、そのパンが此処ではない別のコンビニチェーンでしか売られていない限定の代物(しろもの)であることが判明したときの恥ずかしさといったら!
「あの喫茶店とコラボしたプリンパン、美味しいですもんね。お気持ち、分かります」
ちゃんと商品名も覚えてなかったうえ、ライバル店の商品だろうに、店員の女性は万丈目にその菓子パンが売られている近場のコンビニを懇(ねんご)ろかつ丁寧に教えてくれた。この世界は優しい人ばかりなのか、と熱くなる頬を隠すように全く別のことを考えながら、万丈目はその贔屓の店を後にしたのだった。
(家を出る前に、もっとちゃんと調べておくべきだったな。ともかく、プリンパンも手に入ったし、後は家に帰るだけだ! プロシュートか鳥シュートプリンか知らんが、きっと明里さんも喜んでくれるだろう)
そう考えると、頬の赤みが消える代わりに緩みそうになる。それにしても、この高架橋(スカイロード)、車線が多いのに何故渋滞になるのだろう。つい数分前に走っていた反対車線が空いているのを忌々しそうに見詰めていた万丈目だったが、前が動き出したので溜息を吐きながら左手の力を弱める。アクセルを掛けたのにも関わらず、バイクはのろのろとしか動かなった。
「へ?」
一瞬何が起こったか理解できず、万丈目は間抜けな声を漏らしてしまう。もう一回やってみるが、バイクは亀の歩みを繰り返すだけだった。やたらめっぽうにグリップを回していると、痺れを切らした後方車両からクラクションを鳴らされた。慌てながらバイクを白線の上まで移動させると、そのすぐ隣を車がびゅんびゅん走っていく。左を見ても然(しか)りだ。落ち着け、と万丈目は心の中で呟く。最初から動作をやり直してみるが、速度は上がらず、歩いたほうがずっと早いスピードで動き出すだけだった。激流時の中洲のように取り残された白線の上で万丈目は必死に動作を繰り返すが、現状は変わらない。
(う、嘘だろ?)
早く冗談になれよ、と青褪める万丈目の耳にトラックのクラクションが届く。だが、跨ったバイクは緩い速度でしか動かない。どうしようもなく、らしくもなく万丈目が縋るように《何か》を叫ぼうとして目を瞑(つぶ)った瞬間だった。
「動くなよ、落ちるからな」
グリップを握った両の手の上に、また別の手が重ねられた。一瞬で重力が加わり、左右から受けていた風が消え、別方向から風を受け始める。ベストの裾が浮かび上がる感触を不思議に思った万丈目が恐る恐る瞼を開けると、彼が跨ったバイクが宙(ちゅう)に浮いており、先程まで走っていた高架橋が眼下で小さくなりつつあった。
「もしかして、俺、バイクごと死んで、今は天に上(のぼ)る最中?」
「そんな訳あるか。おい、あの公園にゆっくり降下しろ」
「カシコマリ! 余裕で重量オーバーのため、ワタクシも同感であります」
頭の上から二つの声がする。一つは最初に聞こえた、万丈目に忠告した男性の声で、二つ目は機械音声であった。十九歳の青年がゆるりと顔を上げると、万丈目の手を抑える男の背にはメタルの翼が生えていて、「近未来都市の天使もまた近未来的で、機械仕掛けなのか」なんて莫迦げたことを思ってしまう。よくよく見ると背中の羽からはまた別のアームが伸びていてバイクをがっしりと固定しているが、余裕で重量オーバーと言っていただけに危なっかしい様子で滑空していた。
トラックに轢かれそうになった瞬間、この機械仕掛けの天使――天使は女しかいないと思っていただけに男もいることに吃驚だ――が瞬時に万丈目をバイクごと天空へ攫(さら)った事実に、十九歳の青年は揺れない地面に足を付けるまで気付けず、それまで夢心地の様に空中散歩を体感したのだった。
「ほら着いたぞ」
天使の言葉通りにバイクが早朝の誰もいない公園に降ろされる。すると機械仕掛けの翼が「疲れたであります」と天使から分離して、また別の姿――ロボットになって喋り出した。
「あ、ありがとう」
夢想が次第に現実になりつつあるなか、頭が上手く働かない十九歳の青年は素直に感謝の気持ちを口にする。想像だにしない現実離れした救出劇(レスキュー)に万丈目はぼやっとした気持ちで、ぐらつかない地面に足をつけた。意外にも目の前の天使は万丈目と似たような背格好で、歳も近そうであった。金髪碧眼(へきがん)で天使らしいっちゃらしいのだが、服装が暗く、眉も瞳も輪郭内に勇ましく収まっているので、天使の柔らかいイメージにそぐわない。命の恩人を頭の先から足の爪先まで見た万丈目はヘルメットをゆっくり外しながら、まだ夢の中の住人のような気分でつい問い掛けてしまった。
「お前、天使なのか?」
途端、目の前の天使が硬直した。その後方で翼だったロボが「て、天使! ……ト様が天使だなんて!」と機械(メカ)の癖に呼吸(?)が出来ないくらいに大ウケしている。天使の拳がぷるぷる震え、「そんな訳あるか!」と大声で怒鳴った。
「この俺が天使だと! とんだロマンチストだな!」
逆上する天使――男の様子があまりにも子供っぽくて、万丈目はやっと目が覚(さ)めたように非現実からの帰還を果たす。
「だってよ、空から機械仕掛けの翼で助けられたんだぜ? 誰だってそう思うだろ」
「あれは俺が作った機械(メカ)で、ウィングにもバイクにもなれるだけだ! ええい、貴様もいつまで笑っている!? そんなにスクラップにされたいのか!」
怒鳴り散らしながら金髪碧眼の男は次の標的となったロボを睨むが、ロボはロボで「重量オーバーによるエラーで心にもない台詞が出てしまいました」としらばっくれている。黒コートの男がヒートアップすればするほど、彼の人間らしさが露呈して、彼が天使ではなく同じ人間であることが判明して、万丈目は落ち着きを取り戻していった。
「貴様も貴様で、何故道路の真ん中で立ち止まっていた!? 俺が掬い上げなければ、どうなっていたか分かっているのか!」
そして、救い主である男の怒りは此方に飛び火する。万丈目はばつの悪さを感じながら、正直に早朝から続くバイクの不調を話した。すると、やはりというべきか、名前も知らない同年代の男に「何故そのまま発進させた!」と叱られる。これは何を言っても怒られるだろう。そうは分かっていても、その後はちゃんと動いたからという言い訳を万丈目が話すと、想像していた通り「認識が甘い」と注意された。普段の万丈目ならば、赤の他人にここまで強く言い切られたら反発してしまうものだが、命の恩人を手前にそんな恥知らずなことは流石に出来なかった。
「それで、貴様は何処に住んでいる?」
「えっと、あーどこだっけなぁ」
少し怒りを冷ました男からの唐突な質問に、とりあえずあっち方面と万丈目が指差すと、ムチャクチャ胡散(うさん)臭(くさ)そうな表情で睨まれた。この世界に来て半年も経っていないのに、地区名なんて覚えられる訳がないだろ。そんなことを思いつつも、此処から十五分も掛からないであろうことを伝えたら、金髪碧眼の男は訝(いぶか)し気な目付きはそのままでバイクへ近付いて行った。
「少し見させてもらうぞ」
万丈目の返事を待たずに男はバイクの点検をはじめた。思った通りだな、と男は独り言を漏らして公園の端へ避難していたロボを手招きする。ロボも主人の意向を理解したらしく「カシコマリ」と返事して近付くと、管のようなものを伸ばして詰まった汚れを吸い出していく。バイクのことなんざ、さっぱり分からない万丈目が不思議そうに覗き込んでいるうちに作業はあっという間に終わってしまった。
「このままでは帰れないからな、少し直してやった。だが、応急処置ということを忘れるな。帰ったら必ずメンテしろ、いいな」
まるで年下の子供に言うような物言いだ。だが、万丈目は不愉快にならなかった。間一髪のところを助けてくれたうえ、バイクを走れるようにしてくれたのだ。あのコンビニの店員といい、この世界は優しい人ばかりなのかと思ってしまう。
「助かったぜ。お前、優しいのな」
万丈目が思ったままの言葉を告げると、フンと鼻を鳴らされた挙句にそっぽを向かれた。何処かで見たことがある仕草だ、と感想を胸の内で漏らす万丈目は、その仕草を遊馬相手に自分がよく繰り返していることに全く気付いていない。背を向けたまま「さっさと帰れ」と告げる男に、万丈目は「ちょっと待ってくれ」とストップを掛けた。
「これ、受け取ってくれよ」
「これは?」
「なんだよ、知らないのか。巷(ちまた)で有名なプリンパンだぜ。ほらCMでよく流れているやつ」
バイクに括り付けていたサイドバックから戦利品であるプリンパンの一つを取り出し、万丈目は恩人に手渡した。
「これしか渡せるものがないからな、受け取ってくれ」
恩人が「甘いものは好きではない」だのとまごまごしているのをいいことに、万丈目は彼の手を取って無理やりにでも受け取らせる。ダメ押しで「頼む」と彼の優しさに付け込んで言い放つと、苦い顔をしながらも天使は甘い菓子パンを受け取ってくれたのだった。
「明里さんと一緒に食べようと思って二つ買ったんだが、ホント買っといて良かったぜ」
「もしかして、このプリンパンを買うためだけにこんな朝方に外出したのか?」
男に呆れ顔で言われたが、万丈目は「ああ」と笑うだけだった。眉を顰(ひそ)めてばかりの天使がなんだか可笑しくって、つい浮かれ気分になってしまう。だが、次の瞬間、万丈目は彼がまごうことなき人間であることを思い知ることとなる。
「恋人のためとはいえ、随分と健気な奴だな」
恋人。その二文字に万丈目は瞬間的にのぼせてしまったような気に陥った。
「ち、違う! 明里さんは恩人で、そういうのではない!」
「だが、そのアカリさんとやらと同棲しているんだろ?」
「二人っきりではない! 明里さんの家族と一緒だ!」
「ああ、家族公認の仲ってことか」
「なんで、貴様は言葉尻を悪くとるのだ! 居候させてもらっているのだ! それに俺には天上院くんという心に決めた女性(ひと)がいる!」
「お、今度は堂々と二股発言か?」
「違うと言っているだろう! いい加減、俺を揶揄(からか)うのはよせ!」
あたふたと弁明していた万丈目だったが、うっすらとニヤニヤしている相手に気付き、ぎゃんぎゃんと捲(まく)し立ててしまう。学生時代もこんな風によく遊ばれていたのに、万丈目準は未だに学習しないようだ。相手から予想だにしない、とても天使とは言えない台詞の手痛いカウンターを受けて、万丈目は仏頂面になるが、男はロボと一緒にもう一度噴き出すだけであった。
「ああ、そうだ。この出来事は――俺と出会ったことは誰にも言うなよ」
不貞腐れた万丈目がバイクに乗ろうとしていると、命の恩人は急にそんなことを言い出した。自身が異世界から来たことを周囲の殆どの人に黙っている経歴のある万丈目は、突然振られた秘密への提案に別段不思議さを抱(いだ)かなかった。
「分かった、内緒にすればいいんだろ? そもそも、UFOキャッチャーよろしく機械仕掛けの天使に助けられたなんて、ぶっ飛びすぎていったい誰が信じるってんだ」
深いことを聞かずに笑う万丈目に、男は人知れず安堵の息を吐く。それから「バイクは必ずメンテしとけよ」と言い残すと、命の恩人はロボが変形させた機械の翼(オートウィング)を背負い、早朝の公園から飛び立っていく。
「内緒の話か。なんか本当に天使みたいだな」
朝靄が濃いせいか、彼方に見えるハートランドタワーが天空に浮かぶ城(キャッスル)のように見え、更にファンタジーさを増長させる。天使が飛び立った衝撃で深緑の葉が舞い降りるなか、彼が朝靄の中へ姿を消すまで見送った後、ヘルメットをテキパキと被った万丈目はバイクを発進させた。何のトラブルも異変もなく動くバイクに跨りながら、十九歳の青年は親切な人たちに出会えたことに心から感謝する。そして、恩人の名前を聞きそびれた事をちょっぴり後悔したのだった。
ハートランドタワーへ目指しながら近未来的な翼で飛ぶ青年ことカイトは先程助け、会話した黒髪の男のことを緩やかに思い返していた。
(アイツは悪魔に魂を売った俺を『天使』と呼ぶのか)
弟を助けるために他者を傷付けるカイトを、その真逆の《天使》と呼ぶなんて、なんとも皮肉な話である。しかし、高架橋で立ち往生する馬鹿を見た瞬間、カイトは理屈やら理由を見つけるよりも早く行動に移していた。そのうえ、全く知らない男だというのに、バイクの修理という親切まで働いてしまった。
だが、カイトのことを何も知らずに話し掛ける同年齢に近い男との会話は素直に楽しかった。憐憫も嘲笑も期待も同情も悪意も憎悪も憤怒も郷愁も沸かない会話をしたのは、実に何年ぶりだろうか。そして、あの黒髪の男がデュエリストではなくて本当に良かった、とカイトは思う。持ち上げたときに気付いたが、彼のベルトにはデッキケースもDパッドも付けていなかった。もし、彼がデュエリストだったならば、あの何のしがらみのない会話を途中で打ち切る必要があっただろう。ゴーシュたちは勘違いしているが、オービタル7にナンバーズを見付ける機能はなく、カイトのナンバーズハントがしやすいよう手助けをしているだけだ。ナンバーズがあるかどうか瞬時に判別できるのは、あの異世界から来た少女だけなのだから。
カイトは拠点へ降り立つと、オービタル7をすぐさま自動メンテナンス室へ放り込んだ。あれだけの重量オーバーだ、自由に動けるようになるのは昼過ぎになるだろう。九十九遊馬のあのペンダントを奪うのはそれからでも遅くない。そう考えながら、カイトは最上階にある最愛の弟の特別ルームへ向かった。中央のベッドには、昨日の深夜に起こされ、Mr.ハートランドに酷使された弟が静かに寝息を立てている。その傍らには異世界から来た少女が床に膝をつき、弟のベッドに置いた腕の上にその小さな頭を乗せて眠っている。カイトの弟であるハルトが眠れるまで、ずっと側であやしてくれていたのだろう。そんな彼女の乱れた前髪の直してやろうとして手を伸ばしたカイトだったが、Mr.ハートランドの呪詛を思い出し、手を引っ込める。そうだ、弟のために他者を傷付ける男に、少女に優しくする資格はない。では、今朝の男の件はどう説明する? カイトが自問自答しているうちに、少女の瞼がゆっくりと開いていった。
「カイトさん? あ、ごめんなさい! 私、そのまま寝ちゃって……」
起き上がろうとした少女を、カイトは彼女を撫で付けようとしていた右手で抑える。それから一言「貴様にやる」と告げて、十八歳の青年は左手で持っていたものを十二歳の少女に押し付け、一度も顔を見せることなく去っていった。今の表情を見せたが最後、あの少女の純真な瞳に総てを見透かされて、彼女が発するであろう心配ゆえの言葉を乱雑かつ乱暴に叩きつけてしまうような気がしたからだ。
『お前、優しいのな』
不意に今朝助けた男の言葉が蘇る。あの男の名前を聞かなくて良かった。聞いていたら、あの男を探し出して「そんなことないぞ」とあの細い肩を揺さぶりに今すぐにでも飛び出してしまいそうだった。
カイトが去り、取り残された少女は独り途方に暮れていた。ハルトの眠りが深いことを確認して、兄弟二人の空間を邪魔してしまったことに深く後悔する。それから彼女は青年が渡したものを確認した。それはプリンパンであった。しかもそれは、彼女が兄と仲間とよく好んで食べていたプリンを使用して作ったパンであった。彼女がいた世界も、この世界も、文明に違いこそあれ、過ごしていくうえで言語や文化にそれほど大きな違いはない。彼女の世界と同じプリンがあったって、不思議ではないだろう。取り出して、音を立てないようかぶりつく。口内に広がる甘さに涙が零れる。湧き上がる郷愁に心の弱さが言葉になって飛び出そうになったが、それだけは必死に耐えた。
食べ終わった後、カイトにお礼を言いたくて彼女は部屋を飛び出した。幾つか部屋を覗き込み、最終的に自動メンテナンス室を開けると、居たのはオービタル7だけであった。
「オービタル7、カイトさんを知らない? あら、コードが焼き切れそうじゃない! 大丈夫? 無理しないで」
「ああ、なんとお優しいお言葉。オイラには勿体ない言葉であります」
自分で自分を直す器用なロボットに少女は心配気な声を掛ける。スクラップにするぞ、が口癖の主人に酷使されてばかりのオービタル7は、その言葉に機械音声が涙声になってしまう程に感動した。
「ううう、……様こそまさしく天使であります。カイト様が天使な訳、やっぱり無いであります。修理は自分でしとけ、だなんて。しかも、今日は九十九遊馬のペンダントを手に入れなくてはならない日なのに――」
シクシク泣き出すロボットの背を少女は優しく撫でていたが、後半の呟きに「ペンダント?」と首を傾げる。
「ハイ。あのペンダントを解析できれば、きっと真実が分かるはずだと、カイト様が仰っていたのであります」
「真実……。それが分かったらハルトくんもカイトさんも救われるの?」
「え? あ、はい。恐らくそうだと思われます、カイト様の言う通りならば」
焼き切れかけのコードを交換しながら、特に深い考えもなくオービタル7が肯定する。だから、ロボットは気付かなかった――何の温かみもない自身の背中の装甲を柔らかく撫でていた少女の手が止まっていたことにも、その彼女の瞳に強い決意が宿りつつある事実にも。
3
ここ最近の、神代凌牙の日常はだいぶ様変わりしていた。
美術館前で行われた遊馬とのタッグデュエル以降、放課後に一歳年下の彼とばったり出会えば、まるで「相撲とろう!」と誘う河童よろしく「デュエルしようぜ!」と迫ってきて、逃げたが最後、掴まるまで追っかけっこになってしまう。夜は夜で、倉庫街で行われた万丈目とのタッグデュエル以降、閉店後のカードショップを訪れると、待っていましたとばかりに五歳年上の彼からデュエルに関する質問を矢継ぎ早に浴びせられる。
でも、凌牙はこの日常が嫌いではなかった。遊馬に見付かるように歩いたり、万丈目からの「今夜、店は空いているぜ」という彼からのメールを待ったりするぐらいには気に入っていたのである。
例えば、こんな日があった。
その日は隣町へ新発売のカードパックを買いに行く予定だったので、遊馬との追っかけっこには付き合わないつもりだった。だから、十三歳の少年に見付からないよう裏口から出たのにも関わらず、発見されてしまった。すぐさま追い掛けてくる少年を撒こうと複雑な道を通ったのにも関わらずついてくる。ようやっと撒けたか! と思ってバイク置き場に戻った瞬間、物置の陰から飛び出してきた少年に確保される。バイク置き場(ゴール)が決まっていることを、凌牙はすっかり失念していた。用事があるんだ、デュエルできねぇぜ。そう告げる凌牙に、遊馬は珍しく「今日はデュエルじゃないんだ」と言って小さな袋を手渡してきた。
「クラスの調理実習でクッキーを作ったんだ。いっぱい作ったからシャークにも分けたかっただけだぜ!」
ニィと笑ってそう告げると、遊馬はクラスメイトのところへ戻っていった。ハート柄のラッピングシートの小包みを手に凌牙はなんとも間抜けな表情を浮かべてしまう。嵐みたいな奴だ、しかもとびっきりの暴風雨。そんな感想を持ちながら、凌牙はお菓子をポケットに詰め込み、バイクに跨ったのだった。
その晩、万丈目からのメールに誘われて閉店後のショップへ赴くと、彼はやけに上機嫌であった。なに浮かれてんだ、と呆れる凌牙に万丈目はフフンと得意げに《あるもの》を見せびらかしてきた。
「この俺、万丈目サンダーがこの世界でもモテるってことを見せつけてやろうと思ってな!」
俺のファンという美女に貰ったのだ! そう言って凌牙の眼の前に《あるもの》を掲げようとする万丈目に「嘘はよくないぞ」と十四歳の少年は笑いそうになる。
「サンダー、いつから遊馬は美女になったんだ?」
《あるもの》こと、万丈目が持っていたハート柄のラッピングシートの小包みと同じものを凌牙がポケットから取り出す。すると、青年が「シャーク、謀ったな!」と頓珍漢な怒りを表すものだから、「嘘の自慢話をしようとするからだ」と今度は此方がニィと笑ってやる番だった。
「鉄子さんや闇川だけでなく、シャークにまであげるなんて、アイツ、どれくらい作ったんだよ。きっと明里さんやハルさんにもあげているんだろうな。これじゃあ、誰も騙せないじゃないか。ええい、タヌキ、貴様も笑うな!」
ぶつくさ言いながら勝手に拗ねる万丈目と二人でクッキーを頬張っていく。窓から見える外はもう暗くて、夏なのに寒そうに思えた。
「おい、シャーク、聞いてるのか」
店内は二人しかいないのに、とても明るく暖かい。聞いてる、と言ってその日に買ったカードパックで凌牙のデッキに合わないカードをあげると、万丈目の興味はすぐさまそちらへ移った。そうして始まる質問会に凌牙は身を乗り出して応えたのだった。
そんな日常を過ごせば過ごすほど――遊馬と万丈目に関われば関わるほど、凌牙は二人の人間味の面白さに嵌まっていった。性格も年齢も故郷も異なる二人だが、デュエルに対する熱い魂(スピリット)は同様に秘めていて、此方がこそばゆく感じてしまう程だ。それを見る度に、一年前に捨てたと思っていたデュエルに対する情熱が戻りつつあることに、凌牙は二人に対する感謝の念を更に募らせていくのであった。
「楽しそうだね」
そんなことを考えながら中学校の廊下を歩いていた時だ。先程、遊馬が「やっべー! 今日の体育、プールだってことを忘れてた!」と叫びながら走り去るのを見ていたものだから、そっちかと思って無視すると「安心したよ、君が学校に来てくれることになって」と続けて言われ、凌牙は右京先生が此方に向かって話し掛けていたことに気が付いた。
「遊馬が君の心を変えたのかな」
その遊馬の担任の右京先生の呟きに、凌牙は思わず顔を上げてしまう。
「彼には太陽のような不思議な力がある。何故か遊馬に関わった人間はいつの間にか自分の心を照らし出されてしまう。そう思わないか?」
その言葉に遊馬と出会ってから今までが急に凌牙の脳内に蘇ってきた。仲間だ! とはっきりと言い切る声。不屈の炎を燃やす瞳。前へ向かって歩き続ける足。奇跡を信じ、力強くドローする手。その総てがまざまざと浮かび上がり、思わず凌牙は「さぁな」とぶっきらぼうに右京先生の横を通り過ぎる。その背に彼は更に「君が楽しそうで何よりだよ」という声を掛けた。
楽しそう。その形容に凌牙は自分がこの日常を楽しんでいたことを認めた。でなければ、学校に行ったり、わざと走るスピードを緩めたり、万丈目のデッキに合うカードを探したり、ちょっと難しい質問をして反応で遊んだり、なんて真似はしないだろう。早く夕方が、夜がくればいいなんて、朝起きた瞬間に願うこともしなかったろう。嗚呼! 自分は心からこの日常を楽しみにして、楽しんでいるのだ!
新鮮な空気を吸いたくて、バルコニーへ出て汗を拭った。なんとなくデッキケースから一枚のカードを取り出し眺める。取り出したカードが万丈目に以前薦めたものと同じ系統のカードなのが何処となく愉快だった。コントロール奪取効果を持つ通常罠カードを眺めながら「遊馬には太陽のような不思議な力がある、か」と呟き、フンと鼻を鳴らした。そのとき、自身が浮かべた笑みが緩んで柔らかいことに少年は気付いていない。嘘で隠されていた本音と本気の熱が太陽に照らし出され、今も凌牙の手のうちに輝いている。
(遊馬が太陽なら、サンダーは月ってか?)
太陽に近付けば近付く程、自身の暗い影は伸びていく。そんな凌牙の影を否定も肯定もせず、寄り添ってくれたのが万丈目だった。それがどんなに嬉しいか、あの男は知らないだろう。
(確かに皇の鍵はゴールドで太陽っぽいし、帝の鍵はシルバーで月っぽいけど、サンダーに月は似合わないな)
今度この話を青年にしてやろう。きっとちんぷんかんぷんな理由で怒るだろう。今宵の話題が決まったことに凌牙が気分を良くしていると、中庭を不審なごみ箱が移動しているのを見付けた。どう見ても中に何かが入っている。本来は授業中の時間帯だ、恐らく気付いたのは凌牙だけだろう。どれ、調べてやろうと軽い気持ちで凌牙はバルコニーを飛び降りたのだった。
4
どうしてこうなった!? 混乱しながらも凌牙は人通りの少ない方、少ない方へ走り出す。後方から追い掛けてくる破壊音に、凌牙はもう一度「どうしてこうなった!?」と嘆いた。
中庭で見掛けた、あの奇妙奇天烈な動き方をするゴミ箱を追っていった先には、プールの男子更衣室があった。そろそろと覗き込むと、被っていたゴミ箱を投げ捨てたロボがロッカーをあさっており、そのアームの先には遊馬のペンダントである皇の鍵があった。任務完了! 嬉しそうに言うロボから凌牙は瞬時に皇の鍵を奪還する。
「お前、何をしている?」
「それは! そのペンダントを返すであります! でないとワタクシはスクラップに!」
「訳の分からないことを!」
知ったことか! と言わんばかりに十四歳の少年はロボにキックを叩き込む。返すも何も、そもそもこれは遊馬のものだろうが。さて、どうやって遊馬にこれを返そうかと思案する凌牙に「よくもやったな、こうなったらそのペンダントを絶対に返してもらうであります」と不穏な機械音声が聞こえてきた。いつの間にやら、人並みの大きさだったロボは巨大化し、そのアームの先をドリルの形状へ変えていた。どう見ても戦闘モードのそれだ。
「マジかよ」
凌牙は汗をたらりと掻く。
「お前か、私のどちらか、スクラップになるのをかけて勝負であります!」
全身凶器のロボに生身の人間がリアルファイトで敵う訳がないだろ! と叫ぶ暇すらなく、壁を粉砕するドリル攻撃を躱すと、その空いた穴から凌牙は外へ逃げだしたのだった。
学校を飛び出した後、凌牙は息を切らしながら円形闘技場(コロッセオ)にも似た建物内を走っていた。確か此処は潰れたショッピングモールだ。少々暴れたところで人的被害はでないだろう。ドンドン近付いてくる破壊音と共に「待つであります!」という怒号の機械音声が追随する。
(いい加減、諦めろよ。でないと、このショッピングモール、ただでさえもう潰れているのに、あのロボの攻撃で物理的にも潰れてしまうぜ)
最終的に凌牙が辿り着いた先は屋上であった。聞こえてこない破壊音に胸を撫で下ろす少年だったが、「そのペンダントをよこすであります」という声と共にドリルで屋上を突き破ってロボが現れる。なんというショートカットだろうか。そのまま向けられたドリルに凌牙が硬直した瞬間だった。
「そこまでだ、オービタル7」
静止の声が入る。文字通り目と鼻の先で止まったドリルの勢いに凌牙は大きく息を吐いた。その最中(さなか)、ロボが「カイト様!」と主人の名前を呼ぶ。何処かで聞いた名だな、とそれにつられるようにして凌牙が見上げると、いつの間に来たのか、金髪碧眼の黒コートの青年が立っていた。年齢は万丈目と同じ頃であろうか。だが、瞳の濃さも輝きも黒髪の青年とは異なっていて、まるで慈悲のない猛禽類に似ていた。ただものではない雰囲気に凌牙は冷や汗を掻く。今日は汗を掻いてばっかりだ。
「お前の持っているそのペンダント、渡してもらおうか」
この男――カイトの声より先程の機械音声の方がよっぽど人間らしく聞こえる。それぐらい淡々とした、それでいて他者を圧する響きに凌牙は「だが、嫌だね」とあの時の万丈目のように即答してやった。
「テメェのものでもないのに、随分偉そうに言うんだな。これが誰のものか知って言っているのか」
「知っているさ。九十九遊馬のものだろう?」
凌牙がカイトに見えるように皇の鍵をちらつかせると、男はいけしゃあしゃあと宣(のたま)った。遊馬をフルネームで呼ぶ、その態度が無性に凌牙を苛立たせる。
「遊馬を知っているのか」
探(さぐ)るように凌牙が訊くと、カイトは「ああ」と端的に答えた。
「奴はナンバーズを持っているからな」
「ナンバーズ? そうか、テメェがナンバーズハンターの天城カイトか!」
相手の言い回しに、凌牙は以前に万丈目から教えてもらった情報に結び付いた。
(Ⅵ(ゼクス)と名乗るアモンって野郎とは別の一派で、倉庫街でデュエルしたゴーシュ&ドロワの仲間である天城カイトに、まさかこんなところで出会うとは!)
あまりの展開に舌打ちしたくなる。凌牙を見てもすぐにデュエルを吹っ掛けないあたり、本当にゴーシュたちはカイトに話さなかったらしい。そしてそれは、次のカイトの台詞で証明された。
「俺を知っているのか? ならば、貴様もナンバーズを?」
あのデュエルを通して、ゴーシュたちは万丈目しかナンバーズを持っていないことを知っているはずだ。もし仮にあの大男が話していたら、カイトはこんな質問をしないだろう。これはある意味チャンスではないだろうか、と凌牙は思った――相手から情報を引き出し、遊馬からナンバーズハンターを遠ざける最上の好機だと。
「持っていると言ったら?」
凌牙は含み笑いで言い放った。当たり前だが、ナンバーズなんて少年は一枚たりとも持っていない。ハッタリはデュエルで習得済みだから、これぐらい朝飯前なのだ。
「ならば、俺にとっては好都合」
相手の瞳の色の深みが猛禽類の狩猟時のそれに変わっていく。
「小僧、デュエルだ。貴様のナンバーズカードもそのペンダントもどちらもいただく」
そう言って翼になったロボを使うと、カイトは凌牙の向かい合わせに立った。この建物の円周上に互いに位置し、一番凌牙から遠い位置に居るカイトを見て、本当に円形闘技場のようだと少年は笑いたくなった。
(遊馬、お前に借りを返す時がきたようだぜ)
デュエルに入る前に凌牙は皇の鍵を握り締めてから、その紐を自身の首に通すと、それだけで勇気が湧いてきたような気がした。一度は自身の手で壊してしまった遊馬の宝物。それなのに遊馬は凌牙のピンチを救い、仲間だと言ってくれた。楽しい日常をくれた。
それに遊馬は《デュエルだけの仲間》じゃない。本当に《デュエルだけの仲間》だったら、デュエルでもないのに凌牙を探しだしてお菓子をくれる訳がない。つまり、遊馬と凌牙を繋ぐ絆の名は《デュエル》だけでなく、《友情》も含まれているのだ。
だからこそ今度は俺が遊馬を守ろう、彼との友情に報いようと凌牙はより強く覚悟を決めることができた。
「デュエルディスク、セット!」
凌牙がDパッドを展開させて左腕に装着する。
「Dゲイザーセット!」
いつもより遥かに気合を込めて凌牙はデュエル体勢を整える。
「デュエルモード、フォトンチェンジ!」
カイトがそう宣言すると、彼の黒い服が白い服へ変わっていく。何処(いずこ)からか放たれたブーメランが三日月形の独特なデュエルディスクに変形し、彼の左腕に固定された。ゴーシュたちの様に青いマーカーが左目周辺に浮かび上がり、その眼が赤いものに変わっていく。二人のデュエリストの準備が終わった瞬間、『ARヴィジョン、リンク完了』と機械音声が流れ、数字の羅列が降り注いだ。
「さぁ、狩らせてもらおう、貴様の魂ごと!」
「面白い、受けて立つぜ。だがな、その前に言っておく。小僧ではない、俺の名前は神代凌牙だ」
円形闘技場に似た、廃墟になったショッピングモールの屋上で二人のデュエリストは自身の威信を賭けて「デュエル!」とはっきりと宣言した。
5
「シャーク?」
不意に呼ばれた気がして、万丈目は空を見上げた。雲が灰色に染まり、唸り声すら聞こえてくる。それは朝方の天使の助言通りにバイクをショップに預け、安全チェックを終えたので受け取りに来た夕方のことであった。
「アニキ、どうしたポン?」
「いや、シャークが俺を呼んだような気がした」
不思議そうに訊くポン太に、万丈目も不思議そうに答える。そうこうしているうちにDゲイザーが着信で震えた。シャークかな、と液晶を見たが、遊馬からの電話であった。万丈目が通話ボタンを押そうとした瞬間、気圧の変化か、包帯を巻いた左の薬指が痛んだ。思わず指を見つめたが、気にせずに通話ボタンを押す。
万丈目は知らない。次なる事件がもう始まってしまっていることに。大きな運命のうねりが動き出したなんて、今の彼が知る由もなかった。
つづく