ノット・アクターズ   作:ルシエド

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演劇集団・劇団天球

 はぁ、どう描けば良いんだ。

 とりあえず片付けを始めていこう。

 絵を外せば、シートは丸められるように作っておいた。

 ……だけど、シートを外した後、俺は何を描きゃいいんだ?

 

「いいと思うんだけどなこの背景。何が駄目だったんだ?」

 

「私に分かるわけないでしょ」

 

 っと、剥がそうとした背景画を、亀さんと七生さんが見てる。後回しにしとくか。

 二人には好評みたいだな。

 じゃあそこまで酷くはない……と思いたい。

 なら問題点はどこだ?

 

「でも、これだけは言える。

 私達の目より、英二の目より、巌さんの目の方が確かよ」

 

 そうなんだよな。

 俺も、俺の目以上に巌爺ちゃんの目を信用してる。

 何かが違ったんだ、何かが。

 

「巌さんは、俺の作品のどこをいけないと思ったんでしょうか……そこが分からないと」

 

 いつまで経っても地獄みてえに繰り返しだ。

 野外公演の開始までには絶対に間に合わせないといけねえし、背景がねえとセットが完璧には完成しねえし、セットが完成した状態で劇団の通し稽古も必須……と、なると。

 どんなに長くても使えるのは二週間ってとこか。

 どうしたもんかな。

 

「巌さんは曇り空とか夜空が見たかったのか?」

 

 亀さんが真剣に考えてくれている。

 

「いや、今回の演劇の作中時間帯は昼間よ。

 野外公演はナイターでもなければ基本昼間にしかできないわ。

 だから演劇の世界の中の時間は全部昼間のはず。だとしたら、曇り空だろうけど……」

 

 七生さんが真面目に考えてくれている。

 

 それだけで、なんか嬉しい。

 俺の仕事のことだから、何の役にも立たねえけど……いや、そうじゃねえか。

 この二人は、俺の仕事を改善できるようなジャンルの知識はねえ。

 だけど、そんな二人が俺のために真剣に考えてくれてるからこそ、嬉しいんだ。

 

「とりあえずプランを考えてみます。まだ空の絵のバリエーションはあるので……」

 

「ふーん、どんなの? 聞いてもいい?」

 

「とりあえず一つは、今七生さんが言った曇り空。

 他は夕焼けの情景か、ステージを消してしまう背景画もやってみます」

 

「ステージを消す?」

 

 七生さんが小首をかしげた。

 

「背景画をリアルにして、ステージに穴が空いているように見せるんです。

 絵そのものが覗き窓に見える風味というか……

 絵の向こうの景色が現実であるように見せかけ、目の錯覚を呼ぶタイプの背景にします」

 

「へえ、そんなの描けるのかお前」

 

 亀さんがほほうとニヤつく。

 

「ウルトラマンなどでは必須技能ですからね。

 撮影スタジオは広くないですから。

 そこに壁があるけれども、そこに壁があると思わせない……そういう背景になります」

 

 仮面ライダーとかなら、カメラの背景はビルとかになるが、ウルトラマンとかだと巨人の背景に地平線や空が見えるもんだから、背景の空がヘタクソだとスタジオだと即バレちまう。

 本物と見間違えそうな空を描けなきゃ、スタジオ担当は無理なんだよな。

 が。

 描ける、が。

 それだけでどうにかなるか?

 

「ただ……ピンと来ないんです。

 巌さんの言ってることがピンと来てないんです、俺。

 このままじゃ下手な鉄砲数撃つになりそうで、成功するイメージが湧いてきません」

 

「そりゃ確かに、巌さん相手ならよろしくねえな」

 

「成功する時は、こうだってイメージがあるんです。でも今はそれがないんです」

 

 亀さんは嫌そうな顔をしている。

 過去に適当なことやって巌爺ちゃんに怒られたことでも思い出してんのか。

 七生さんは納得した風な顔だ。

 巌爺ちゃんの演劇に関する仕事で、俺が手抜きをしない姿勢を見せたから、ちょっと俺の評価が上がった感じなんだろうか。

 

 こういう時に、"怒られること"を連想すんのが亀さんで、"巌爺ちゃんの演劇のこと"を連想すんのが七生さんなんだよなー。

 七生さんは淡々とした口調で、また語る。

 

「アバウトで自由度が高い『脚本に合わせた空』って指示。

 却下の時にはかなり曖昧で自分で考えさせる指摘。

 巌さんは英二に期待してるんだと思うけど……こりゃちょっと分かんないね」

 

「抽象的だよなあ。俺、阿良也に向けて教えてるみたいだと思ったわ」

 

「あー」

「あー」

 

 七生さんの発言に、亀さんがアラヤさんの名前を出して、俺と七生さんは同時に頷いちまった。

 

 明神阿良也。

 現在どっか行ってるっていう、劇団天球のエースだ。

 

 命の危険も恐れない役作りで役に入り込み、そいつを巌爺ちゃん仕込みの演技力で表現する、実力派舞台俳優だ。

 演劇界の怪物、憑依型カメレオン俳優とか言われることもある。

 アラヤさんの舞台見に行こうかなーとか思ってチケット買いに行ったら、チケット販売日に全席売り切れててクソがぁっ! ってなったことがある。思い出したくもねえ。

 

 『実力派』って表現が使われる俳優には、二種類いる。

 一つは、全然知名度もなく実力もそんな高いわけでもないが、映画や演劇の宣伝文句として『実力派』って修飾を使われてるパターン。

 もう一つが、アキラ君みたいな華やかで売れてる俳優と対象的に、全国区のテレビとかで顔が売れてるわけじゃないものの、実力が高い……みたいな人を褒めるパターンだ。

 アラヤさんは後者にあたる。

 

 天才肌で、本質的。

 アラヤさんは何言ってんのか分かんねえことが多いが、他人には分かんねえことも分かってる、そういう天才だ。

 本質を掴むのが上手いから、巌爺ちゃんの意図を劇団の誰よりも理解できてる。

 巌爺ちゃんの言ってることが抽象的だったから、二人共アラヤさんを連想したんだな。

 

「阿良也の方が、私達より英二に良いアドバイスできたかもね」

 

 その時、七生さんの溜め息と、誰かの靴が地面を踏むジャリって音が、重なった。

 

「呼んだ?」

 

「! 阿良也!」

 

「ちょっといつ帰ってきたの?」

 

「今」

 

 うわあああっ!?

 よ、妖怪に見えた……声出しそうになった……ぬっと出てくんなや!

 つか顔近い顔近い。

 嗅ぐな嗅ぐな。

 俺は有機溶剤の匂いがする男だぞ。

 

「ちょっと見ない間に人間になってきたね。巌さん、今の朝風の方が好きなんじゃない?」

 

「俺は最初から人間ですけど!? あ、お久しぶりです」

 

 何言ってんだこいつ!

 

「で、何があったのさ」

 

「実は―――」

 

 七生さんがアラヤさんに説明を始める。

 陰気で愛想がないとか、冷淡で言動に優しさがないとか言われることもある七生さんだが、その実仲間意識とかは強く、根底には純な優しさがある。

 ある、と思う。

 仮に無かったとしても俺はあると信じている。

 見ろこのムーブを。

 俺のためにアラヤさんに説明してくれてるこの行動は優しさの塊だぞ。

 

 ぬ。

 なんだ亀さん。

 俺の頭撫でんな。

 

「英二、七生はああ言ってたが」

 

「はい」

 

「お前って阿良也と波長合わねえんじゃねえかな」

 

「……どうでしょう」

 

 そんな合わないって思ったこともないが、合うと思ったこともないな。

 少なくとも、今の若手俳優のトップレベルの人達の中だと、一番一緒に仕事をやりやすいと思うのは百城さんだし、一番やりづらいと思うのはアラヤさんにはなるか。

 だってなあ。

 アラヤさん、演技力高すぎるから俺の作る物そもそもあんま必要ねえんだよな……っと、七生さんの説明終わったか。

 

「なるほど。大体分かった」

 

「役作りすると大体分かっちゃうアラヤさんがそう言うと果てしなく怖いですね」

 

 こっち見て大体分かった言うな。

 あんたの目ってどのくらい他人の深いところ見てるか分かんねえからこえーんだよ。

 

「朝風、どうすんの。巌さんは絶対にできない課題は振らないよ」

 

「んー……打開策が見えないので、また本読んでインプット増やしたいと思います」

 

 空のバリエーションも増やしておくか。

 空の表情を描写する技術を頭に入れておくだけなら、なんとかなる。

 それで巌爺ちゃんが何を言っても対応できる対応力を仕込んでおくんだ。

 ってオイ。

 アラヤさんなんだその表情。

 

「朝風はそれが駄目なんだろうな」

 

「え?」

 

「勉強すればどうにかなっちゃうのが一番ダメ」

 

 わけわからんこと言うな。

 勉強したらどうにかなることはプラス要素だろ、それが駄目?

 

「俺さ、小学校の頃迷路にペン走らせてさ、ゴールまで行くやつやってたんだよね。

 紙に書いてある迷路、知ってる?

 行き止まりに行ったらペン戻すやつ。

 でも意地悪な迷路はさ、どこをどう進んでも行き止まりになっちゃうのがやらしくてさ」

 

「えー、えと、そうですね」

 

 何が言いたいんだ?

 

「今の朝風と同じで、スタートの地点で逆走して迷路の外側を回るのが正解でさ。

 迷路を進むともう終わり。頭使えばどうにかなると思ってるから絶対に失敗するっていうか」

 

 何が言いたいんだろうか。

 

「朝風はなんだ、頭の良いオランウータン?

 頭の良さが邪魔で、考えて工夫するとどうにかなっちゃうんだよね。

 迷路の壁を力任せに壊して進んでたらそりゃ巌さんも眉間にシワ寄せるよ」

 

 何が言いたいんだオラァ! コラァ! 誰がオランウータンだ!

 

「分かった? 反省できた?」

 

「すみません……俺は何かアドバイスされてるのに理解できないゴミカスです……」

 

「巌さんは路地裏の良いラーメン店が食べたいんだよ。

 君はとても美味しい日清のラーメン出して怒られたの」

 

「分かりません……!」

 

 俺に理解力が今の倍あれば……!

 

「まあまあ、どうどう」

 

「亀さん」

「亀」

 

「お前らそれ以上話してても時間の無駄だぞ?」

 

 ハッキリ言うな亀!

 

 あ、亀さんがセットの背景画叩いてる。

 俺の青空は頑丈に塗り込んだからもっと強く叩いても壊れんぞ。

 

「しっかし本当にもったいねえよなこれ。一回くらいは稽古で使ってみねえか?」

 

「まーたあんたは勝手に……一回だけよ」

 

 亀さん? 七生さん?

 

「気分転換に俺達の稽古見ていくか? 何かに気付くかもしれないだろ?」

 

「え」

 

 稽古? こいつを使って? いいのかそれ。

 

「んー……まあ、いいんじゃない。

 巌さんが参加してない流し稽古だから、かなりぬるいと思うけど」

 

「アラヤさんまで……」

 

 亀さんが呼びかけて、他の劇団員も集まってきた。

 マジか。

 このボツ背景で、演出家抜きの流しとはいえ稽古やるのか。

 

「で、見てくか? 英二」

 

「是非!」

 

 見てくに決まってんだろ!

 

 俺はあんた達のファンだぜ!

 

 

 

 

 

 始まる、始まるぞ。

 舞台の上には劇団員。

 稽古だからか、観客は俺一人。

 アラヤさん、七生さん、亀さんはまだ出てきてないな。

 

「ご機嫌麗しゅう、アテネ公シーシアス様」

 

 始まった、『夏の夜の夢』だ。

 夏の夜の夢はシェイクスピアの生み出した喜劇だ。

 演劇に使う作品としちゃ、王道の中の王道だな。

 シナリオの核はこうだ。

 

 男Aがいる。

 男Aは女Aにベタぼれで、女Aの婚約者だ。

 割と気持ち悪い男。

 

 女Aがいる。

 女Aは男Bにベタぼれで、男Bの恋人で、男Aの婚約者だ。

 めっちゃ美人の設定。

 

 男Bがいる。

 男Bは女Aにベタぼれで、女Aの恋人だ。

 若いイケメン男。

 

 女Bがいる。

 女Bは女Aの友達で、男Aにベタぼれだ。

 顔の良さはベタ褒めされるほどじゃない、って感じの女。

 

 男Aは女Aが好きで婚約者だから、女Aと両思いの男Bをメチャクソ嫌っている。

 女Bは男Aが好きだから、男Aと婚約者かつ惚れられてる女Aを、実は憎んでもいる。

 女Aと男Bは、婚約を強制してくる父親も、色々あって絡んでくる男Aも女Bも面倒臭えなー! と思い、駆け落ちを決意。

 ここから始まる物語だ。

 

 面白いのはおっちょこちょいな妖精のせいで、惚れ薬によってこの恋愛の矢印がしっちゃかめっちゃかになっちまうところから。

 

 男Aと男Bが、女Bに惚れちまうのだ。

 

 男Aは婚約者の女Aに「お前もうどうでもいいわ」と言う。

 そして自分に惚れてた女Bに「今こそ君の愛に応えよう!」とか言う

 しまいには男Bに「君の恋人だろ? 女Aとお幸せに!」とか言う。

 

 男Bは恋人の女Aに「お前もうどうでもいいわ」と言う。

 そして女Bに「君への真実の愛に目覚めたんだ!」とか言う

 しまいには男Aに「君の婚約者だろ? 女Aとお幸せに!」とか言う。

 

 女Aは「ウワアアアアアア!! このクソ女どうやってこいつら洗脳したァー!」とキレる。

 

 女Bは「あっ、これは私以外が全員組んでのお芝居ですね……(現実逃避)」となる。

 

 真面目にアレンジすれば恋を軸にした悲劇になるし、一貫してコメディ調にすりゃ大笑いできる喜劇にできる。

 各キャラの性格をアレンジして……例えば男Aと女Bを、愛が報われないヤンデレに設定したりすれば、純愛が試練を乗り越えようとする話になったりもするわけだ。

 

 演劇ってのは面白えよなあ。

 特撮の方が面白えけど。

 

「おお、ライサンダーよ。

 君の要求は危険だ。ぼくの正当な権利を認めてはくれないか?」

 

「正当な権利だと?

 君が彼女と婚約できたのは、君が彼女の父に気に入られたからだろう。

 彼女のことはぼくに任せて、君は彼女の父親と結婚したらいいんじゃないか?」

 

 愛する女Aと結ばれる恋人の男Bがアラヤさん。

 婚約者なのに結ばれない道化の男Aが亀さん。

 亀さんとアラヤさんが絡んでる序盤の会話だけでも小気味が良くて、二人の言葉の応酬を聞いているのが心地良い。

 

 脚本の人は新しい人だろうな。

 巌爺ちゃんの癖がねえ。

 結構軽めの、テンポを重視したサクサクと進む感じの脚本だ。

 

「なんてことを言うんだ! 君は卑劣なやり方でぼくの婚約者の心を奪ったのだ!」

 

 亀さんが、婚約者を奪った男に怒る演技をして、身振りとセリフで感情を発露する。

 

 アラヤさんは、真実の愛のため、婚約者のいる恋人を勝ち取ろうとする男Bを演じる。

 イケメンの振る舞いが上手いなあの人。

 これは婚約者のいる女でもゲットするのは余裕って感じだ。

 

 亀さんは、婚約者を奪われた男Aの役。要するにピエロだ。

 もう婚約者の心が自分に向いてないってのに、無駄に足掻いて、隙あらばアラヤさんが演じているイケメン男をぶっ殺そうとしてやがる。

 女Aと男Bの愛のお邪魔虫ってわけだ。

 未練がましく、みっともなく、ダセえ。

 

 だけど、アラヤさんと亀さんは、見事に男Bと男Aを演じきっていた。

 

 アラヤさんのイケメンの演技も良いが、今のは亀さんの演技の方が目につくな。

 "恋に敗れる者の演技"が上手いってのは、もうそれだけで実力だ。

 いい人が痛い目を見るって展開は、ストレスになる。

 痛い目を見るのは、意地悪なやつ、道化なやつ、そういうやつらであるべきだ。

 

 亀さんが演じるこの恋愛敗北者は、恋に破れても観客に「かわいそう」と思わせねえ。

 きっちりダセえ道化を演じきってやがる。

 観客はこれでスムーズに、亀さんの男Aと女Aの恋路を応援することなく、アラヤさんの男Bと女Aの恋路を応援できるようになる。

 

「ぼくは婚約者を君から必ず取り戻してみせるぞ!」

 

 !

 今、亀さんが先に舞台袖から退場して、アラヤさんの男B演じる長台詞が始まったが……何気なく凄い動きしたな亀さん。

 

 今のシーンの一連の流れ。

 亀さんは舞台の右袖から入ってきて、大仰な動きで俺の目を引き、道化みたいな動きをして注目を集め、アラヤさんと対峙して会話、最後にアラヤさんの周りを回った。

 で、アラヤさんの背後に回った瞬間、アラヤさんの体が盾になって観客(おれ)の視線が切れたその一瞬に、『舞台奥に向かって一歩後退』した。

 

 リアルな公演だったら、一歩分後退したことに気付かない人も多かったかもしれん。

 一歩分観客席から離れた亀さんは、そのまま台詞を吐いて舞台袖に退場していった。

 

 つまり、こういうことだ。

 亀さんは道化を感じさせる目立つ動きで観客(おれ)の視線を引きつけ、そのままアラヤさんとの会話シーンに入り、最後の動きでアラヤさんの周りを周って、アラヤさんの背後で客席から距離を取って……"客の視線をなすりつけていった"んだ。

 とんでもねえ。

 今の亀さんの動き一つで、亀さんとアラヤさんが引きつけた分の視線が、二人の技量が集めた観客の視線が、アラヤさんにだけ集中するようになるってことだ……!

 

 アラヤさんは亀さんが集めた視線のアドバンテージを受けつつ、長台詞に行ける。

 こいつは間違いなく名助演だな。

 

 話が進む進む。

 なるほど、男Aが亀さん、男Bがアラヤさん、女Bが七生さんか。

 七生さんに惚れられる男の役とか亀さん喜んでそうだなぁ。

 しかも惚れ薬のせいで七生さんに惚れちゃって、最後には七生さんとくっつく役だからな、亀さんの役……うわぁキャスティング考えたの誰だ? 巌爺ちゃんだよな?

 

 亀さんは七生さんに好意的だけど七生さんがつれないのが普段の平常運転だから、めっちゃインパクトあるな、なんか。

 

「あなたをこんなにも愛しているのよ、私は!」

 

「だけどぼくは、愛する婚約者と結ばれる運命なんだ。分かってくれ」

 

 亀さんは報われない婚約者への愛を叫んで、そんな亀さんへの報われない愛を七生さんが叫ぶ。

 報われない愛、一方通行の愛にもほどがあるな。

 

 七生さんが迫って、亀さんが迫る彼女から後ずさりして逃げようとする。

 む。

 これ面白え。

 

 七生さんが迫り、亀さんが後ろを見ずに後退してる形。

 つまり七生さんはかなり自由に動けるが、亀さんの方がそれに合わせて後退する流れ。

 かといって七生さんが楽してるってわけじゃなく、会話のテンポと迫る動きのテンポを七生さんが合わせてるから、亀さんの方も合わせやすそうだ。

 

 見てると、二人の呼吸のリズムまで合ってるような気すらする。

 二人のテンポが合ってるから小気味よく、動きのテンポが合ってるから見てるのが楽で、会話のテンポが合ってるから耳が楽しい。

 しかも話が進むにつれて、キャスティングの妙が見えてきた。

 

 惚れ薬の話になって、亀さんの男Aとアラヤさんの男Bが女Aへの愛を忘れさせられ、女Bを演じる七生さんに二人して言い寄り始める。

 みんなして私をからかって、騙そうとして、笑いものにしようとしてる、と七生さんが魂のこもった名演の叫びを上げる。

 

「ふざけないで。

 どうして私がこんなにからかわれないといけないの?

 あなた達はみんな、芝居で私を貶めている!

 私はあなた達と違って、愛しいものを見つめる眼差しで見てもらったことさえないのに!」

 

 この作品の肝は、モテモテの女Aと、モテない女B、その立場がおっちょこちょいな妖精のせいで逆転し、女Bが突然モテ始めるところにもある。

 

 男Aを愛しているのに、男Aが女Aを愛していたから、決して報われない女B。

 "私はあの人ほど美しくないから愛されない"という叫び。

 それが妖精の失態のせいで、男Aと男Bに同時に愛されることになった困惑。

 それまで全く愛されなかった女Bの、何もかもが疑わしく見えるがゆえの、迫真の演技。

 

 うーんしっくりくる。

 演技に厚みがある。

 七生さんの強みがこのキャスティングにガッチリはまってやがる。すっげえ。

 

 七生さんは()()()()()()()()()()()()

 女Bは誰から見ても美人な存在ではいけないからだ。

 それでは、男Aが女Bから逃げ、女Aに惚れている説得力が減るからだ。

 それでいて、報われない恋に身を焦がしている表情の演技の時、七生さんは美しい。

 

 『この女Bは顔が女Aほど良くないから男を射止められない』という設定の説得力を増し、『恋する女は美しい』という魅力を重ねてやがる。

 一つの劇の中で、不美人に見える演技と美人に見える演技を使い分けてやがる。

 どういう演技力だ。

 もうほとんど変身ヒーローの変身みたいなもんだぞ、これ。

 

 うーわ流しの稽古なのに見てて楽しい。

 完成形の劇がめっちゃ見たくなってくる。

 あ。

 いやそのためには俺が仕事成功させなくちゃならねえんだった!

 やめろよおまえこの劇が俺の仕事のせいで台無しとか絶対に嫌だぞ!?

 

「朝風。稽古終わったよ。いつまで」

 

 あっ、アラヤさん。めっちゃ良かったぞ劇!

 

「お疲れ様です。とっても、とっても良かったですね!」

 

「そう? まだ出来はそんなでもないと思うけど」

 

 本物のプロは言うことが違うな……かっこいいぜ。

 

「で、俺達の稽古見て、何か気付いた?

 俺達の稽古は、ずっと君の描いたセット背景の前でやってたわけだけど」

 

「いえ、ちょっと感激したのは確かですが、巌さんが言ってた"気付き"はまだです」

 

「そっか」

 

 気付くだけでいいと、巌爺ちゃんは言った。

 気付けってなんだ。

 何に気付けってんだ。

 あんたの育てた俳優達の稽古を見ても、俺は感激するだけで何も気付けてねえぞ。

 俺はいったい、何に気付けば良いんだ?

 

「電話震えてるよ」

 

「え、あ、すみません。ちょっと失礼します」

 

 誰だ。

 ……ホントに誰? 知らない番号だけど誰これ?

 さっさと出るか。

 

『ども、源っす』

 

 え、源さん? 源真咲? お前湯島さんとかと仕事中じゃないのかこの時間帯。

 

「源さん? どうしたんですか?」

 

 つかなんで俺の携帯の番号知ってんだ?

 教えた覚えねえぞ?

 あ、いや。携帯の番号は名刺に載せてるし、名刺はめっちゃたくさん配った覚えあるな。

 事務所のオフィス華野あたりから聞いたのかもしれん。

 

『その、茜さん、オーディションに落ちちゃったらしいんですよ』

 

「―――」

 

 ……そっか。

 

『だから朝風さんの力でどうにか受かってたことにできませんかね?』

 

「!?」

 

 え、なにそれこわい。俺何でも屋だがそこまで何でも屋じゃねえぞ。

 

『うちの社長が言うには朝風さん、どこにも顔が利くらしいじゃないですか。だから』

 

「……俺にそんなコネも権力もないですよ」

 

 俺が色んなところで使われてんのは、俺が比較的恩を売らないからだ。

 事務所やTV局の派閥闘争とかにもあんま関わらず、権力の類も持ってねえからだ。

 俺を使うことでデメリットが発生しないってことが、偉い人が俺を気楽に起用する理由にもなってんだ。

 たとえ、俺が湯島さんを助けたいと思っても。

 ただの造形屋でいることを望んだ俺に、できることはねえ。

 

『……そうですか』

 

 悪いな。電話越しにも、あんたが落胆したのが伝わってくる。……本当に、ごめんな。

 

『まあそれなら、ちょっと励ますとかしてやってください。なんかめっちゃ落ち込んでるんで』

 

「はい、そのくらいなら。教えてくださって、ありがとうございます」

 

 物を作る以外には、俺には何もできねえ。

 何もできないならせめて、励ますくらいはするべきだよな。

 でなきゃ。

 俺はこの罪悪感を、どこにやっていいのかも分からねえ。

 

 俺も仕事に失敗した直後で励ましてほしい方の人間なんだが、しょうがねえか。

 心の中で今、源さんと湯島さんに謝っちまった時点で、俺の心は半ば決まっちまった。

 

「アラヤさん、今日は皆さんの稽古を一通り見てから帰ります」

 

「うん、いいんじゃない?

 巌さんも流石に今日中に課題がクリアできるとは思ってないでしょ」

 

 七生さんは巌爺ちゃんの方に行ってるな。

 亀さんは他の劇団員さん達と脚本抱えて討論してる。

 ここにいんのは俺とアラヤさんだけか?

 俺とアラヤさんが二人きりで話すとか、随分珍しいな。

 

「ああ、そうだ」

 

 ん?

 

「前から亀や七生に邪魔されて、今日まで聞けなかったけどさ」

 

 亀さんや七生さんが邪魔してた? 何のことだ?

 

 

 

「君の母親、君の父親の仕事のため、リアルな死体を教えるために自殺したって本当?」

 

 

 

 ……。

 誰から聞いた?

 

「ただの噂ですよ」

 

「ふぅん」

 

「ただの噂ですってば」

 

「そうか」

 

「ただの噂です。まあ、自殺したのは本当ですけどね」

 

 分かれよ、ただの噂だって。

 

「父は人の死体に見えるものを作るのが上手い人でしたよ。

 母が死ぬ前も、母が死んだ後も。

 ウルトラマンや怪獣が壊す街のミニチュアを作るのがとびっきりに上手い人でした。

 街が破壊されるシーンで、飛び、燃え、転がる死体の造形は、本物にしか見えないくらいで」

 

 それでいて、子供向けの映像には、余分にグロテスクなものは見せないようにしてて。

 風で巻き上げられる人の人形は本物にしか見えなくて。

 炎の中で踊る死体は、目を覆うような凄惨さと、火の綺麗さが両立していて。

 凄惨さやリアルさの全てを、ヒーローの格好良さに繋げられる男だった。

 

 リアルな悲惨が、そこに立つ勇気と優しさのヒーローを引き立てる。

 

 親父は、人の死を魅せるのが上手かった。

 親父は、ヒーローを魅せるのが上手かった。

 親父は、大人も楽しませながら子供の夢を壊さないことを徹底してて、俺以外の子供のことは過剰なくらいに気遣っていた。

 

「憧れたんです。その、本物にしか見えない作り物の光景に」

 

「だろうね」

 

 親父は、『本物』だった。

 

「君の母親は、元は巌さんのところに居た人なんだっけ」

 

「はい。巌さんに見出され、舞台俳優から映画女優になって、引退したんです」

 

 幼い頃から俺は親父に現場に連れて行かれてて。

 おふくろが早くに死んだから、俺は現場の優しい大人に面倒を見てもらってて。

 俺はおふくろのことを覚えていて。

 巌爺ちゃんは、俺以上におふくろのことを知っている。

 

「朝風はご両親は好き?」

 

「はい」

 

「今でも愛してる?」

 

「はい」

 

 それは嘘じゃない。

 

「君の父親の仕事をよく知っていて目も確かなのが巌さんだ。

 巌さんなら、君が父親を超えた時にそのことを分かってくれるだろうね」

 

「そうなんです。だから、巌さんの課題を超えることは俺にとって大切なことなんですよ」

 

 俺は親父の仕事を覚えていて。

 巌爺ちゃんは、俺と同じくらいには親父の仕事を知っている。

 

「父を超えたいんです、俺は」

 

 そのために、巌爺ちゃんが出したこの試練を突破してえんだ。

 

 何か変か? どこかに変なところでもあったか? それは俺の直すべきところか?

 

 なあ、何か気付いたんなら教えてくれよ、アラヤさん。

 

 

 




アラヤ「めっちゃ臭うわ」

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