ノット・アクターズ   作:ルシエド

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理由は笑顔の内に在り

 俺が生まれたのは2000年度。

 東京のとある病院で、俺は生まれた。

 その年、親父は仮面ライダークウガ(2000)の撮影に協力していた。

 俺が生まれたその日も、親父は撮影の現場に行っていた。

 

 後から聞いた話だが、結構な難産だったらしい。

 俺は赤ん坊の頃から他人様に迷惑をかけるようなクソ野郎で、出産の際に俺は死ぬ可能性が高いと予測され、最悪おふくろの命にかかわるかもしれないと言われていたそうだ。

 

 出産が始まり、俺が生まれそうになったその時、病院の医者は親父を呼ぼうとした。

 そりゃあそうだ。

 でなきゃ、親父は仕事してる間に何も知らないまま、息子と妻を亡くすかもしれねえ。

 だけどそいつを、身重のおふくろは止めた。

 

『仕事に集中してください!』

 

 おふくろは、医者が親父に繋いだ通話口に向けて、そう叫んだそうだ。

 

 親父は仕事を続けた。

 医者が死ぬかもしれないと言っても、病院には来なかった。

 俺もおふくろも死なず、出産は完了し、それから日付が変わって、親父はようやくそこで来た。

 おふくろはそんな親父の選択に満足したらしい。

 

 当時、そういうことがあって、そういうことを思ったことを、うんと小さい頃の俺に、おふくろは語って聞かせてくれた。

 誇らしそうに。

 自慢をするように。

 母体と赤ん坊の命と、仕事を天秤にかけ、仕事を選んだ夫のことを語って聞かせてくれた。

 

『あなたもお父さんみたいな人になれると良いわね』

 

 そこで仕事を選べるような『他の人とは違う判断ができる特別な人間』だから愛しているんだ、と言わんばかりに。

 

 だから俺は理解した。

 親父が撮影所で撮っていた、それは。

 俺の命より大切なものだったんだと、そう思ったんだ。

 

 人を感動させるそれは、俺の命より価値があるものなんだと、分かったんだ。

 俺の命は作品ほどには価値がないんだと、理解したんだ。

 

 少なくとも、仕事を優先した親父と、この日のことを誇らしげに語っていたおふくろが、そう認識していることは間違いなかった。

 

 親父が俺やおふくろの命より優先した仮面ライダークウガを、その日の内に見始めた。

 クウガは、ドラマ性がとても強い仮面ライダーだ。

 その深いテーマと非常に高い作品クオリティは、人によっては20年経った今も仮面ライダー最高傑作と評価してるらしい。

 

 人一倍我慢強く、人一倍やせ我慢が得意なだけの、いい笑顔の優しい男が、超古代の戦士の力を身に着け人々を守るストーリー。

 戦いに次ぐ戦い。

 守りきれず殺される人々。

 傷付く罪無き人の、流れる涙。

 主人公が守れた人々の、救われた笑顔。

 人々を傷付け笑う邪悪達。

 全てが、極めて高いクオリティで作られていた。

 

 無力感と戦いの痛みがひたすら刻まれる地獄の中、仮面ライダークウガはただ一人戦う力を持つ者として戦い続け、人前では笑顔を作り続ける。

 

 印象的なのは、ジャラジという敵と主人公の仮面ライダーが戦った時だろうか。

 子供達の頭の中に針を埋め込み、数日後に針が大きくなり、死ぬというゲーム遊びをジャラジはしていた。

 頭に針を埋め込み、「四日後に君は死ぬ」と言う。

 で、子供達は他の友達が頭の中で針が大きくなって死ぬのを見ながら、宣告された自分の死の日を待つことになる。

 死にたくない、死にたくない、と思いながら。

 その子供達の恐れる姿を、ジャラジは楽しそうに眺めて、死の日を待つのだ。

 子供達の中には、恐怖のあまり自殺してしまった子までいた。

 

 そして俺は、心優しい主人公が明確な殺意と憎悪で戦うシーンを、その時初めて見た。

 

 主人公はクウガの仮面を被り、ジャラジに襲いかかる。

 マウントを取り、ひたすら殴った。

 悪の怪人が情けなく顔を守ろうとして、マウントを取った正義のヒーローが、無力感に泣くような叫びと憎悪の叫びが混ざった叫びを上げ、怪人の顔を殴る。

 飛び散る血。

 血で赤く染まる怪人の白い髪。

 怪人の血で赤く染まるヒーローの拳。

 あまりにも凄惨で、目が離せなかった。

 

 徹底的に、容赦なく、怪人を攻め立て続ける正義のヒーロー。

 ヒーローの脳裏に浮かぶ子供達の顔。

 守れなかった子供達の顔。

 泣き叫ぶような憎悪の叫びを上げ、ヒーローは怪人を剣で切りつける。

 そして倒れた怪人の腹に剣を突き立て、腹を裂くように剣を動かし、殺害した。

 

 とても正義のヒーローには見えなかったが、後で当時のスタッフさんに聞いたところ、マジで仮面ライダークウガは正義のヒーローって言える存在じゃなかったらしい。

 

 仮面ライダークウガとは、皆の笑顔を守るために戦うヒーローだった。

 それは正義のための戦いじゃなかった。

 正義のためでなく、笑顔のために戦うヒーローにとって、人々の笑顔が失われ続ける戦いの日々は、まさしく地獄。

 仮面の下で泣き、叫び、笑顔を失っていくヒーロー。

 他者を殺すことも傷付けることも嫌いな優しい主人公に、世界で唯一の戦う力を与え、仮面ライダークウガとして戦わせるというシナリオ。

 そういうところがあるから、俺が物心ついた時から今に至るまでずっと、クウガが仮面ライダー最高傑作だと言っている人がいるわけだ。

 

 クウガを一通り見て、幼かった頃の俺は納得した。

 納得できた。

 『ああ、これは俺の命より価値のあるものだ』って。

 名作は、俺に納得させてくれた。

 

 "優れた作品は俺の命より遥かに価値があるものなんだ"と、俺は確と納得できた。

 

 もしもクウガが駄作だったなら。

 もしもクウガが駄目な作品だったなら。

 俺はきっと、特撮を見限っていた。

 "こんなもののために"と、親も特撮も憎んでいたかもしれねえ。

 でも、そうじゃなかった。

 そうはならなかったんだ。

 

 俺はクウガが好きだ。

 俺は特撮が好きだ。

 だから、俺の命よりそれらに価値があるって事実を、素直に受け止められる。

 

 グロテスクなだけ、リアルなだけだったら、俺はここまでクウガを評価してなかっただろう。

 俺が一番見惚れたのは、オサガリジョー演じる主人公、五代雄介の笑顔だった。

 

 クウガは仮面ライダーとして格好良かった。

 でもその格好良さよりも、仮面を脱いだ主人公の笑顔の方が良かった。

 子供をジャグリングで笑顔にしている時の主人公の笑顔が良かった。

 守れなかった悲しみを噛み潰して、頑張って浮かべていた笑顔が良かった。

 他人の笑顔が大好きな男の笑顔が、とても俺の心に染みた。

 

 父親と母親と、その頃はまださして会話も触れ合いもなかった撮影所の大人くらいしか知らなかった俺にとって、画面の中のその人だけが、俺の知る唯一の『とても優しい大人』だった。

 何よりも、笑顔のために。

 俺も自己満足の仕事にならないように、今でもそこに最大限に気を使っている。

 

 作中で、主人公・五代雄介は青空に例えられた。

 彼の笑顔は、青空だった。

 見ていて気持ちが良くて、清々しい気持ちになれて、一切の淀みなく晴れ晴れとしていた。

 五代雄介が子供を笑顔にして、"君は笑っていいんだ"と言わんばかりの笑顔を浮かべると、俺も自然と笑っていた気がする。

 

 これが、俺の原点。

 俺の青空。

 俺にとっては笑顔が青空。

 ふと、それを思い出した。

 

 俺が生まれたのが2000年。それからもう、18年も経っちまった。

 まだ、俺の行く道の先は長い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一通り稽古は見終わったので、巌爺ちゃんに挨拶して帰路につく。

 

「では、お先に失礼します」

 

「気を付けて帰れよ。横断歩道はよく見て渡れ」

 

「巌先生、俺も18になりましたから、その、そういう子供扱いは……」

 

「なんだもう18になったのか。背が伸びてねえもんだからガキだと思ったぜ」

 

「背のことはやめてください」

 

 御老体に拳の鞭打ってやろうかオラ。

 見てろよ爺ちゃん、今に伸びんだよ、俺の身長はな……!

 

 劇団天球が俳優の入れ替えはあれど、昔の通りの空気でちょっと安心した。

 いや、仕事には不安しかねえけど。

 どこにどういうものを置くのかもハッキリしてるから、俺が何をやっちゃいけねえのか、どこの物に触れちゃいけねえのか、古い記憶がそのまま適用できるのは嬉しいこった。

 あそこにはカツラ、あそこには衣装、あそこには……あれ? ん?

 

 いつもあそこには、ネオ・シーダーが置いてあったはずなんだが。

 

「そういえば、ネオ・シーダー使わなくなったんですね」

 

「ああ、最近は色々とうるせえからな」

 

「お上の規制と自主規制ですね」

 

 『ネオ・シーダー』。

 アンターク本舗が1959年から販売を開始した、少しのニコチンを含むタバコ型の咳止め薬だ。

 

 その昔、戦後の演劇舞台は普通のタバコを使ってた。

 タバコは演劇舞台の演出の一つで、嫌煙家さんからすれば功績を認めたくねえくらいの存在になるんだろうな。

 舞台の上で男がタバコを吸えば、サマになる。

 女にフラれた男が、女々しい香りのタバコを舞台上で吸えば、香りが観客の座る座布団席にまで広がって、煙と香りが空気を作る。観客もまた、女々しさを感じ取る。

 

 この"香り"は現代のTV番組や映画館のほとんどに無い、失われた演劇の長所だ。

 俳優が香りを制御できる。

 俳優が観客の五感の一つ、嗅覚もコントロールできる。

 動きで目を、声で耳を、タバコで鼻をコントロールできる。

 この技術は、メジャーにこそならなかったが強かった。

 

 だが、タバコが原因の火事が増え、タバコを嫌う客が増え、タバコを積極的に攻撃する人も増加し、政府もその後押しを始めちまった。

 タバコが殺されていった過程は、舞台演劇にも影響を及ぼしていったわけだ。

 

 そうして、舞台でタバコの代用品として使われ始めたのがネオ・シーダーだ。

 タバコと同じ吸い方ができて、煙も出て、香りも少しはタバコに近い。

 そんなネオ・シーダーは、舞台の上で一気にタバコに取って代わった。

 

 だが。

 そんなネオ・シーダーもまた、嫌煙家の人達からすりゃ親の仇に等しかった。

 

 ネオ・シーダーは一般医薬品だ。

 法的には、タバコとは全く違うものとされる。

 副流煙の害も、吸ってたところで人間の寿命じゃ害はまず発生しねえってくらいに薄い。

 だがニコチンを使ってる以上、未成年の使用は禁止されてる。

 依存症も"万が一"レベルの話をすりゃ、ないと言い切れるもんでもねえ。

 

 今じゃネオ・シーダーさえ舞台から消え始めてて、トップランド社とかの電子タバコや水蒸気タバコを使ってるってのが現状だ。

 劇団天球もそうなってたのか。

 

 そいつに加えて、昔は子供がうるせえからと子供お断りの劇場もあったが、今は子供でも見ていい――子供が騒いでも少しは許してくれる――劇場も増えた。

 子供が見てる劇場だと、こういうことを言ってくる人もいるわけだ。

 

『子供に喫煙シーンを見せて、喫煙を推奨してるのか!』

 

 劇場関連の仕事をしてると、マジでこういう苦情があることは皆知ってる。

 なんつーパワーだ。

 そのパワーをどっか別のところで活かしてくれや。

 つーわけで、電子タバコすら使えねえ劇場とかもある。

 子供を盾にされたなら、良心的な人ほど逆らえもしねえ。

 

 タバコも、ネオ・シーダーも舞台の世界じゃあもう死体だ。ここの劇団でもそうなった。

 時代は変わってる。

 巌爺ちゃんは、舞台の上で昔愛したものが、一つ、また一つと消えていくのを見てきた、そんな演劇歴史の生き字引な爺ちゃんでもある。

 

「少し、寂しくなりますね」

 

「無けりゃ無いでどうにかする。

 そいつが芝居だ。

 現実には夏の夢を見せる惚れ薬も、夜空を駆ける銀河鉄道も無いもんだぞ」

 

「それは確かに、そうですね」

 

 ま、巌爺ちゃんからすりゃハンデにもならねえか。

 タフなじーさんはこれだから困る。

 気に入らねえタバコをこの世から消すためにエネルギーを使ってる人とは、エネルギーの使い方がちげーわ。

 

「だが、小物がなくなって寂しいって思ってるのは、お前だけじゃないだろう」

 

 ん、まあ、そうかもな。

 巌爺ちゃんもちょっとくらいは思ってたりすんのかな。

 

「芝居の規制もまた強くなってやがる。

 昔ほど脚本は自由じゃなくなっちまった。

 演技にまで口出ししてくるうるせえ奴が出てこないことを祈るばかりだ」

 

 いつか、そうなるかもな。

 今はほら。

 "危険だから規制する"がちょっとよく分かんねえものにまで適用されてる時代だしよ。

 乗ってたら人が死にそうなバイクの規制と、子供に悪影響を与えるから()るなっていう規制ってのは、同じもんなのかね。

 俺の目には、同じもんには見えねえわ。

 

 ああ、そうだ、だからこそだ。

 だからこそ俺みたいな、工夫と小細工が得意な奴が役に立てる。

 

「今回の仕事をきっちりと果たして、巌先生に見せてみせます」

 

「ん?」

 

「規制があってもなくても、巌先生が求める小道具を、俺は法の中で作れるってことを。

 巌先生が望むなら、一見素朴な最高の舞台も、必要とされる小道具も、作ってみせます」

 

 もしもこの先、何かの形で、巌爺ちゃんが昔やった演出ができなくなったら。

 その時こそ、俺は俺の仕事をやってみせるぞ。

 タバコと同じ香りで、タバコと同じ煙で、タバコの害の無いもんくらいは作ってやるぜ。

 

「十年早えぞクソガキ」

 

 十年はなげーよ! 笑うなコラ!

 

 

 

 

 

 おのれ。

 何故俺の仕事は気合いの割に上手く行かんのだ。

 落ち込まねえわけじゃねえんだぞ俺は。

 誰か励ませ。励ましてくれ。巌爺ちゃんはハゲ増している。

 励ましたら俺の好感度上昇のプレゼントをやるぞ。

 

 ただまあ今はいいや。それどころじゃねえ。

 落ち込んでる湯島さんを励まさねえとな。

 俺が事務所に遊びに来ないかと電話で誘ったが、湯島さんは事務所に来た時、作り笑顔を浮かべつつもどっか様子がおかしかった。

 あかんわこれ。

 落ち込んでるやつだわこれ、多分。

 

「紅茶でいいですか?」

 

「ん、ありがと」

 

 茶菓子と紅茶を出す。

 好みに合えばいいんだが。

 チョコとか煎餅とか下手な鉄砲数撃ちゃ当たるで並べておこう。

 

「私のオーディションの結果聞いたんやろ」

 

「え……そ、そうですけど、よく分かりましたね」

 

「こうも気遣われたら分かるわ。ありがと、気持ちは嬉しい」

 

 女の勘こえー。

 

「芸歴だけなら同年代の色んな子に勝っとる。

 ……でも、同年代の色んな子が、私が選ばれなかったオーディションで選ばれるんや。

 正直こたえるわ。私は最初のリードを使い切って、どんどん追い抜かれてて、なんかな」

 

 子役からやってる人特有の苦悩。

 こいつは、ある程度の歳になってからスカウトされた人には分からねえ。

 もちろん俺にも分からねえ。

 俺は役者ですらねえからだ。

 口が裂けても、"辛いよな、分かるよ"なんて言えない。言えるもんか。

 

「運もありますからね。湯島さんもまだまだ若いですし、これからですよ」

 

「英ちゃんがそうやからなあ」

 

「はい?」

 

「英ちゃんはホラ、物作りの方で百城千世子みたいな評価の高さやん」

 

 それは流石に過大評価だ。

 

「いやいや、若くて多少無茶が利く便利屋ってのがせいぜいですよ」

 

「昔はそうでもなかったやん。

 でも、年々技量が上がっていったやん?

 私が足踏みしてる間、君は随分先に進んで直視できんくなってた」

 

「足踏みも何もないですよ。

 あなたは女優、俺は裏方です。

 俺がいくら成長しようと、先に進もうと、あなたより上等なものにはなれません」

 

「同じ作品作っとるなら対等やろ。上下とか本来ないわ」

 

 優しい考えだな。

 俺はそうは思わねえけど。

 俳優女優は作品の顔だ。

 俺はそれを作る手足だ。

 手足と顔、どっちが大切かなんて言うまでもない。

 

「仕事の幅増やしてどこからも引っ張りだこな君が、正直羨ましい」

 

 そうかい。

 俺はあんたみたいな人を尊敬してるよ。

 隣の芝生は青く見える、って言うよな。本当に。

 

「本当ならここまで仕事の幅増やさなくても食っていけたんでしょうね。ただ」

 

「ただ?」

 

「きっと、俺ができないことでも、親父はできちゃうと思うんです」

 

 そうだ、だから。

 俺は自分の中の『できない』を一つずつ潰していった。

 

「親、親なあ」

 

「子供の頃、湯島さん親御さんにめっちゃ愛されてましたよね」

 

「あー、あれなー。あれで私も引くに引けんくなって、今も役者やるハメになったんや」

 

「親は無かったことにはできないと思うんです。

 忘れたり、無視したりすることはできても、無かったことにはならない」

 

 俺もこの人も同じだ。

 親がいたから、この世界にいる。

 別の親の下に生まれてたら、俺もこの人も、この業界にいたかどうかすら分かんねえ。

 どんな家庭に生まれていてもこの業界に入ってそうな、本物の中の本物とは違う。

 

「それは幸せなことでもあり、不幸なことでもあり、どうしようもないことでもあると思います」

 

 子供は親を選べねえ。

 親の影響で人生が大体決まった子供は、人生をどのくらい選べるんだろうか。

 よくいるよな。

 有名な芸能人の二世の芸能人。

 ああいう人達は、自分の人生をどう思ってんだろうか。

 

「ただやっぱり、親のせいにはできないんですよね。

 俺達の人生ですから。

 だから湯島さんも、親が悪いとか言ったことはないでしょう?」

 

「……ん、まあ、そやな」

 

 そういうのあんたのいいとこだぞ、湯島さん。

 

「いつの間にか、やめられんくなってたんや。楽しぃやん、あの拍手が、あの達成感が」

 

 それでいいんだろうな、『役者』ってやつは。

 

 それが、辛いことを乗り越える熱量になってくれるから。……羨ましいぜ。

 

「ちょっと待っててくれますか?」

 

「?」

 

「湯島さんが来るまで、ちょっと作ってたものがあるんです」

 

 励まそうと湯島さんを電話で呼んでから、来るまでの間でウレタンせっせと削ってたんだぞ。

 

「どうぞ、ミニ湯島さんです」

 

「わっ! なんやこれごっつかわいい!」

 

「気に入っていただけたなら幸いです」

 

「なんやっけ、ねんどろいどやっけ。あれみたいな造形でかわええ……これほんまに私?」

 

「はい」

 

 お前の方が可愛いぞ。

 

 デフォルメ立体化は案外コツがいる。

 大切なのは簡略化しつつも特徴を残し、特徴的な部分を強調することだ。

 芸能人のフィギュア化は、大体そういうフォーマットに沿って作成されている。

 

 素材はウレタン。

 中身が空なプラスチックカプセルにウレタンを巻いて、削り出して、筆とペンで塗装した。

 芯材にウレタンを巻いて削り出すというやり方は、仮面ライダー電王(2007)の相棒怪人・モモタロスの剣の製造法と同じだ。

 芯材を空洞にすればかなり軽く頑丈になる。

 電王で主役仮面ライダーと共に戦うモモタロス達のスーツもほぼウレタン製なんで、フィギュア作成のイメージを作るのはそんなに難しくもなかった。

 

 こいつとは別に、木を彫刻刀で削って、表面処理・塗装処理・再度表面処理の三層処理で作った人形も作っておいた。

 

「どうぞ、こっちがチャイルド湯島さんです」

 

「こ、子役時代の私のお気に入りだった服……!」

 

「なんか小学生時代ってお気に入りの服があってかなり頻繁に着たりしてましたよね」

 

「あー、そんなんあったなあ」

 

「まだまだ作れます。どんな素材でも作れますとも」

 

 大人になった湯島さんをモデルにした、ウレタン製の、プロのレベルで精巧な人形。

 子供の頃の湯島さんをモデルにした、木から削り出して塗装した、暖かみのある人形。

 素材と製法には、明確に差をつけておいた。

 この二つの違いは、"俺は個人としてもプロとしても応援してる"というメッセージ。

 

「こっちがファンとしての俺の作品。

 こっちが女優の湯島さんのグッズを、プロとしての俺が作ったらというものです」

 

「え」

 

「俺はファンとして、あなたの成功を祈ってます。

 俺はプロとして、あなたが成功できないほど実力が低い人間だと思ってません。

 オーディションに受からなかったなら、それは相手側に見る目がなかったってことですよ」

 

「……英ちゃん」

 

「湯島さんが役にぴったりなオーディションだって、必ずあるはずです。俺は信じてます」

 

 オーディションは優れた人を選ぶ場じゃなく、的確な人間を選ぶ場だろうがよ。

 そんなんで落ち込むなよ。

 そいつはあんたが周りより劣ってるなんてことを証明しない。絶対にだ。

 

 胸張れって。

 湯島さんよりダメダメだけど仕事持ってる女優とかいるんだからさ。

 後はホラ、運とか巡り合わせとか、今後の成長とかあるって。

 うつむくな。

 頑張れ。

 知った顔がこの業界からまた一人消えたら、俺は寂しいぞ。

 

 あんたのグッズとか勝手に個人的に作成するような熱狂的なファンがここにいるじゃねえか。

 

「ファンなんですよ俺。十年越しの湯島さんのファンなんです。嘘じゃないです」

 

「……知っとる」

 

 笑った。

 

 誤魔化しじゃなくて、ちゃんと笑ったな、湯島さん。

 

「君の作品は、昔からずっと、嘘なんてない心がこもっとるもんな。出来は最高や」

 

 俺の顔じゃなくて人形見てそういうこと言うのやめろ。

 別に俺の作品から俺の内心は読み取れんぞ。

 だからそんなに見るな。

 人形から俺の内心読もうとすんじゃねえ。

 

「そうでもないですよ、俺もまだまだ未熟です。

 今日も全力の仕事をバッサリ切り捨てられて、少し落ち込んでたくらいですから。ははは」

 

「え、君の仕事がボツ!? そんなんあるか……」

 

 そんな驚くなよ。俺何でもかんでも一発採用な超人じゃねえぞ。

 

「ただの難癖とちゃうん? ボツ出して報酬を引き下げようってハラなんとちゃうかな」

 

「そういうことする人じゃないと思いますよ」

 

「難癖以外で英ちゃんが落ち込むほど仕事ボロクソ言われるとか信じられんわ」

 

 いや信じろよ。

 

「あの、何故そんなに」

 

「君が駄目なら他の誰がやっても駄目ってことやろ?」

 

 んなわけねーだろ!

 

「ともかく、ふつーにやってたら絶対仕事にOK出されてたはずやって」

 

「湯島さん。仕事で駄目だったのは俺の責任です。

 俺の仕事や能力に納得しなかった人に何か言うのは、やめましょう」

 

 湯島さんは、俺が仕事を切り捨てられた話をしてから、ずっとむすっとしてる。

 

「私は、英ちゃんの作品のファンなんや」

 

「―――」

 

「だから言うんや。英ちゃんの仕事の良さが分からん人はしょうもないな、って」

 

 ……ああ、そうか。

 俺達今、同じようなこと互いに言い合ってたのか。

 もしかしたら、湯島さんがオーディションに受からなかったって話してた時、俺の方も顔がむすっとしてたりしたんだろうか?

 湯島さんには、俺がどう見えてたか分かったもんじゃねえな。

 

「俺が悪かったんですよ、きっと。作品作りのどこかで失敗したんです」

 

「何やそれ。英ちゃんだと、深く考えすぎて失敗したとかしか思い浮かばんね」

 

「かもしれません。何が悪かったのかまだちょっと分かってないんですよ」

 

「たまには何も考えんと好きに描いたら、それで合格になったりせんかな?」

 

「あはは」

 

 湯島さんの笑顔にもつられて、俺の方が笑顔にされてしまった。

 

「大丈夫大丈夫!

 君が作ったもんが、きっと世界で一番綺麗や! 自信持てば絶対大丈夫やって!」

 

「ありがとうございます、湯島さん」

 

 励ますつもりが、いつの間にか励まされちまった。

 

 観客を笑顔にすることが俳優の仕事なら、彼女はもうとっくに俳優だった。

 ファンもいる、女優の責務を果たせる、そんな女優だった。

 応援してるぜ湯島さん。

 物作りしかできない俺には、応援くらいしかできねえけど、応援してる。

 

 そういえば。

 この人は前に、晴れた日の公園が好きだと言ってたな。

 青空の下の公園が好きだと。

 笑顔のこの人が、青空を見て笑顔を浮かべる光景を想像してみる。

 

 俺にとっては笑顔が青空。

 

 ふと、それを思い出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日になった。

 

 笑顔のような空か。

 空のような笑顔か。

 空に対して言う「美しい」と、笑顔に対して言う「美しい」は違うんだろうか。

 それとも、本当は同じなんだろうか。

 この哲学的な何かは、作品に表現できるものなんだろうか?

 

―――たまには何も考えんと好きに描いたら、それで合格になったりせんかな?

 

 何も考えず好きに、ね。

 俺の仕事の方式から一番遠いやり方だっつーの。

 何も知らない素人め。

 何も知らないからか好きなこと言いやがって。

 

 湯島さんの言ってることが正しいかもな、なんて思っちまったじゃねえか。

 あんたは素人なのに。

 そんな助言聞く必要ないってのに。

 何故か、無性にあんたの言葉を信じてみたくなった。

 

 今日の本来の予定では、俺は劇団に朝九時に合流する予定だった。

 それを早めて、早朝から集合場所に行く。

 少し、心の中を整理する時間が欲しかった。

 

 遊びのように刷毛(はけ)を走らせる。

 気ままに、思いついた素材を使って、思いつきのままに描く。

 過去に習ったこと、学んだこと、何一つして意識しない。制御しない。

 思うまま、望むままに描く。さぞクソみたいな作品ができるこったろうな。

 

 ああ、でもなんか、楽しい。

 湯島さんのおかげか肩の力が抜けて、何か不思議なコンディションだ。

 

 遊びってのはいいな。

 そういや、子供の頃に画用紙にクレヨンで落書きとかしてた記憶ねえや。

 俺の最初のお絵かきは、撮影所で書かれてた絵コンテの真似事だった。

 楽しい。

 何の責任もない、遊ぶだけの作業は楽しいな。

 

 仕事の前に気ままに遊ぶのも悪くないかもしれん。

 いい気分転換になる。

 遊びで描いた空の絵は、俺が過去に描いたどの空の絵とも違っていた。

 

「おはよ―――え―――え?」

 

 あ、七生さんだ。

 この人髪染めて舌ピアスとかしてるのに朝一番乗りとか真面目な面見せるのあざとくねえか。

 俺の絵を見た七生さんが、何故か目を見開く。

 

「空が……え、空が、これ、何?」

 

「おはようございます、七生さん」

 

 まー驚くのも無理ねえか。

 ここまで何も考えずに描いた適当臭い絵、俺今までお出ししたことねえし。

 でも遊びだから許してくれ。

 お、亀さん、アラヤさん、巌さん、劇団員と、続々来たぞ。

 

「え、何だこの空……何?」

 

「……へぇ。朝風、こういうことするんだ。なんか癖が変わったんじゃない」

 

 そんなマジマジと見んなや、恥ずかしいだろ、目潰すぞ。

 今片付けるからこんぐらいの遊びは許してくれ!

 

「待て、片付けるな」

 

「え」

 

 なんで? 巌爺ちゃん?

 

「昔、芸術家は彫刻と絵のどちらもやった。

 立体と平面。片方を極めていけば、もう片方も極めていける。そういうもんだ、阿良也」

 

「そういうもんかな」

 

 なんか会話始まったぞ。待て、会話する前に片付けさせてくれ。

 

「どう思う? 巌さん。今から役者が一人増えるようなもんでしょ、これ」

 

「演じろ。阿良也」

 

「しなきゃ駄目?」

 

「他の劇団員が分かってねえ。

 全員絵に何かを感じてるのは事実だが、何を感じてるか分かってねえのさ」

 

「はいはい」

 

 アラヤさんが遊びの背景画の前に立つ。

 おいおい待て待て待て。それそういうのじゃねえから。

 ん、でももしかして、この背景の方がいい感じになるのか?

 

 ……いや、駄目だ。根本的に失敗作だ。

 自由に描きすぎたせいで背景の自己主張が強すぎる。

 

 風景画と人物画ってやつがある。

 風景画の主役は風景だ。だから風景に力を入れていい。

 だけど人物画の主役は人物だ。人物より風景に力を入れるのはありえねえ。破綻する。

 俳優に注目を集めたいなら、ここまで主張と個性を出した背景は失敗作でしかない!

 

 アラヤさんが、演技を始める。

 

「多くの書物を読み、知ったことがある。誠の愛が、穏やかに実を結んだ試しはない!」

 

 ―――。

 うっ、おっ、なんだ、これ。

 本気のアラヤさんだ。

 ステージの上にいるってのに、観客席の一番後ろにまで届きそうな声と存在感。

 

 観客席の前の人が、大きな声に不快にならない声と演技。

 観客席の後ろの人にまで、ちゃんと届く大きくハッキリした声と演技。

 そんな矛盾が成立してやがる。

 

 よく通る声であり、不快感を覚えにくい声であり、よく感情がこもった声だ。

 しっかりとした役作りから、確かな演技力で演じられるそれが、目立つ背景を力任せにねじ伏せていく。

 アラヤさんの存在感が空の存在感と食い合って、その上でアラヤさんが勝ってやがる。

 それが、これまで以上にアラヤさんの存在感を増してやがるんだ。

 

 アラヤさんから目を離せない俺の後ろで、七生さんと亀さんが会話していた。

 

「亀」

 

「なんだよ七生、ちょっと集中して見させてくれ」

 

「あの空の雲、どう思う?」

 

「……ふわっとしてるな。

 前に描かれてた背景画の雲よりよっぽどふわっとしてる。

 空が、春から夏に移り変わってる最中みたいな……なんだこりゃ」

 

 春は綿、夏は岩、秋は砂、冬は泥。

 それが雲を魅せる基本だぜ亀さん。

 何も考えないで描いても、そいつは手癖に染み付いてたみたいだな。良かった良かった。

 

 夏の夜の夢は、日本では真夏の夜の夢と訳されることもある。

 だが日付で言えば、この作品の作中時間は四月末だ。

 全然真夏じゃねえ。

 別解釈したってせいぜい初夏のことだろう。

 俺は無意識的に、その認識を遊びの絵に反映してたんだろうな。多分。

 

 前の俺の背景画は、引き立て役として印象を強めないよう、あえて季節感を強調しなかった。

 だが何も考えてなかった俺の手は、春から夏に移る途中の空をかなり強調してる。

 つまり目を引きすぎちまう。

 背景が印象に残りすぎれば、巌爺ちゃんの育てた演技だけで魅せる俳優の強みが死んじまう。

 最悪の失敗作だ。

 

 だってのに。

 アラヤさんはその背景を『もうひとりの共演者』として扱うみてえに、その存在感をコントロールし、踏み台にしてみせてやがる。

 アラヤさんが少し舞台を動くと、そのすぐ後ろにあたる空の形と雲の形も変わるから、観客席から見たアラヤさんの印象がコロコロ変わってる。

 千変万化、ってのはこういうもんなのか。

 

 ……面白え。

 遊びの絵だもんな。最後まで、遊びで行こう。

 演劇に使用する家具用の大鏡があったな。

 あれで、舞台の上の空の絵に太陽光を当てる。

 早朝のこの時間帯、太陽光はまだ十分じゃねえからな。

 

「七生、こいつは俺の気のせいか?」

 

「……亀と同じところを見て、同じことに気付いたと思うとイラっとするわね」

 

「やっぱ気のせいじゃないよな。空の表情、変わってないか」

 

「空に顔なんてないわ」

 

「……」

 

「でも……確かに、表情が変わってる。

 阿良也一人の舞台なのに、まるで二人の役者の共演に見える」

 

 遊びだったからな。

 ()()()()()()()()()()()って、何か面白そうだろ。やってみたいと思ったんだ。

 いやでも恥ずかしいわ、ジロジロ見ないでちょっと見るだけで流してくれ。

 遊びの手法なんだって。

 

 あ、アラヤさんの演技が終わった。

 名演でしたアラヤさん!

 でも"表情が変わる空"を背景にして、初見で完璧に対応して演技を調整すんの、ここまでやられるともはや怖えぞ!

 

「こんなもんでいい? 巌さん」

 

「ああ、十分だ」

 

 よーし終わったな。さっさと外して隠そう。物珍しさしか取り柄ないぞこんなの。

 

「英坊……いや、英二。他の奴にも分かりやすいように説明してやれ」

 

「え、あの、これお遊びで描いたもので納品予定のものではないんですが」

 

「やれ。何度も言わせるな」

 

 巌爺ちゃん、おい、なんでや。まあやれって言うならやるけど、しまわせてくれよ。

 

「この作品の雲は化粧品を塗料に使いました。ふわっとした感じが出せそうだと思って」

 

「化粧品!?」

 

「ルースパウダー、という空気を含む粉状の物を使わせていただきました」

 

 そりゃ亀さんは驚くか。

 ま、遊びだしな。

 遊びならなんでもありだ。

 とびっきり真っ白な化粧品で、雲を仕上げさせてもらった。

 

「私も使ってるけど、化粧品が絵に定着するわけ……あ、他の塗料に混ぜたの?」

 

「はい。白の塗料も併用してあります。塗料はあくまで繋ぎですけどね」

 

 七生さんは流石に察しが良いな。女子力を感じる。

 

「なんでまた化粧品なんて選んだんだ?」

 

 そりゃ亀さん、遊びだからだって。

 

「なんとなく化粧品使おうかなと思って。

 成分表見てああこれなら、って思ったんです。

 成分がマイカ、酸化亜鉛、酸化チタン、シリカ、シルク、水酸化Al、酸化鉄だったんです」

 

「いやいや、それがなんだってんだよ」

 

「全部過去に弄ったことのある素材だったので、いけるかなと思いました」

 

「―――は?」

 

 マイカはマイカって呼ばれることが多いが、雲母のことだ。

 マイカプレートは絶縁シートになり、電気が流れる玩具や機材の製造・修理に使える。

 夜凪さんちの弟くんに修理した玩具を渡した時も、元は捨てられてた玩具の状態が不安だったんで、中にマイカシートを安全のため追加しておいた。

 電気漏れ怖いしな。

 

 LEDのライトに触れたことがない人はいねえだろう。

 LEDの青色は今、メイン素材が急速に取って代わられようとしている。

 新しい青LED、それに使われてるメイン素材が酸化亜鉛だ。

 夜凪さんちの弟くんにやったあの戦隊の玩具、あのシリーズにも当然LEDは使ってる。

 

 俺が前の撮影で使った、空気と反応して白煙を出す四塩化チタン。

 あれが空気中の水分と反応した後に残るのが酸化チタンだ。

 

 シリカを加工したものを珪砂と言う。

 特撮でミニチュアに雨を降らせる時は、水をそのまま降らせても全く雨に見えないんで、珪砂を水のように見せかけて雨を演出する。

 それが基本にして秘奥のテクニックだ。

 

 シルクは絹。

 これで百城さんの衣服を作ったこともある。

 

 仮面ライダースーツに使うFRP(繊維強化プラスチック)の着色塗料、その中でも青が強く見える緑色の塗料を、ピーコックと言う。

 このピーコックの主成分の一つが水酸化アルミニウムだ。

 混ぜちゃいけねえもんは分かってる。

 

 酸化鉄は特撮に使う鉄製小道具の黒被覆なんかに使う。

 特に鉄の橋の質感を出すため、鉄の橋のミニチュアを本物の鉄で作った場合、こいつでミニチュアを被覆してからどう塗装するかを考える場合もある。

 

「だから俺、化粧品は結構遊べるもんなんだなと思ったんです」

 

 何が害がある物質か。

 何が害のない物質か。

 それは俳優に害がないか。

 それは子供に害がないか。

 全部把握してなくちゃ、俳優が着るスーツを作っちゃならねえし、玩具の造形仕事に関わる仕事をするべきじゃねえ。

 

 どれも俺が知ってる物質だった、だから先人がこういうのに使った前例が無くても、安心して使えた。

 物質は人間とは違え。

 同じ作業と加工をすりゃ、必ず同じ結果と形になる。

 そいつのなんと心強えことか。

 

「表情が変わる空は?」

 

「紫外線顔料を使っています。

 紫外線顔料は立体に使われることが多い、色彩変化塗料です。

 暗所では白く、紫外線を浴びることで特定の色に変化します。

 この空は紫外線が当たると、徐々に雲や月が変化していくようになっているんです」

 

 野外公演では、太陽の向きも変わり、ステージの一部が背景に影を落とすこともある。

 そこで遊んでみたら楽しそうだな、って思ったんだ。

 

 紫外線顔料は紫外線を使って結構面白くできる。

 

 紫外線顔料に白塗料や透明塗料を混ぜておけば、紫外線を受けた後に変化する色の濃さも、薄くして調整が可能だ。

 紫外線顔料の上に薄い塗料を塗りゃ、紫外線顔料に届く紫外線が少なくなるから、日光が強い時間帯以外には色が変わらないようコントロールもできる。

 

 そこの雲は、ちょっとの紫外線で青色に変わり、空に溶けて消える。

 だから早朝でも消えちまうんで、曇の日の公演でしか見られない。

 

 そこの雲は、結構な量の紫外線で青色に変わり、空に溶けて消える。

 だから10時から14時の間だけ、空から消えてる不思議な雲だ。

 

 そこの雲は夏の雲みたいに見えるが、特定の時間帯だけ雲の一部が紫外線で消えて、春を思わせるふわふわしたちぎれ雲になる。

 季節感も揺れ動くのは見てて楽しいだろ?

 

 そして俺のお気に入りは、特定の時間帯だけ薄っすらと空に見える月だ。

 

 いいよな、時々真っ昼間に青空に見える月。

 俺は、子供の頃から、昼に見える月が何故か好きだった。

 いつもは夜に見える月が昼間に見えるのが面白くて、楽しくて、美しく見えた。

 

 現実の真昼の月は、太陽がギラギラ輝いてると見えねえ。

 だから絵の中の青い空に白く浮かぶそいつも、現実の太陽がギラギラと輝いてる時間帯は、紫外線で見えなくなるようにした。

 

 お遊びで描いただけの表情をころころ変える空の背景画だが、描いてんのは楽しかったな。

 うん、楽しかった。

 

「皆さんはこれから野外公演です。

 そう思ったら、それで遊べる要素ってなんだろうって思ったんです。

 この背景画は、朝昼夜で色合いがぐっと変わり、天気でも結構変わります。

 公演の度に全然違う背景になったら、それはとても面白いと思ったんです」

 

 七生さんが何か神妙な顔してる?

 

「天気によって表情を変える空。

 化粧品の雲。

 表情があって、晴れだから……これまさか、『晴れ晴れとした笑顔』?」

 

「……あ、あー! そういうコンセプトかこの青空背景! 七生でアハ体験だわ!」

 

「私でアハ体験すな」

 

 流石女子の七生さんは違えなあ。視点が違うから、男より気付くのがはえーや。

 

 そういうことだ。

 この青空は顔。

 笑顔の青空だ。

 そこに化粧を施した。

 女性の笑顔を、化粧品で彩るのと同じように。

 

 ほら分かるだろ、こんなに遊んだ作品はもう仕事じゃねえって。

 

 雲の位置を俳優さんのために調整したとかもない。

 引き立て役にもしてねえ。

 これは背景画としてはよろしくねえ例の一つだ。

 ほらさっさと片付けるからどけどけ。

 

「俺はこいつを今回の巡業に採用しようと思うが、それでいいな?」

 

 えっ。巌爺ちゃん?

 

「いいんじゃない? たまには」

 

 アラヤさん!?

 

「私も異議なし」

 

「こいつは面白そうだ」

 

 七生さんと亀さん……って他の人達もかよ!

 え、なんでだ。

 こんなにギミック仕込んだ、俳優に注目集める邪魔にしかならねえ背景要らねえだろ。

 

「英二。センスとはなんだ」

 

「え……感性、でしょうか」

 

「そいつも間違っちゃいねえ。

 だが、分かってねえな。

 お前これの前にもう一枚描いてただろ。それもそこに広げろ」

 

「え、え、え」

 

 なんで知ってる! 最初から俺が描いてんの見てたわけじゃねえよな……?

 

「お、こっちは夕方なんだな。俺こっちも好きだわ」

 

 亀さーん。

 お遊びなんだってば。

 こっちは夏の夜の夢のイメージに合わせてもないからな!

 

「茜色の空。

 茜色の反対側の深い黒。

 地平線に並ぶ百の城。

 空にうっすらと輝き、夜を待つ星」

 

 七生さんのコメントが光る。

 やべーな。

 何を思って俺がお遊びしてたか、バレたら死ぬ。死ぬしかねえ。

 

「英二、描いてて楽しかった?」

 

「はい」

 

「夏の夜の夢のイメージには合ってないけど、これも悪くないと思うよ」

 

 ありがとう七生さん。

 だから早くしまわせてくれや。

 

「阿良也、最初の空の絵をどう思う? こっちの夕方の絵を踏まえて言ってみろ」

 

「天気、時間帯、舞台の向き。

 どれか一つが変われば表情を変える"生きた背景"。

 七生が言った通り、綺麗に化粧した笑顔みたいな空だよね。

 ちょっと間違えたら平凡になりそうだけど……二つの絵のどっちも、センスが高い」

 

「そうだ。遊びでもこのレベルになるのは、センスに起因する」

 

 センス、センスって、何が言いたいんだ?

 あと褒めんな、これ以上褒められると顔が茹だりそうだ。

 

「英二。磨いたセンスはなくならねえ」

 

「磨いたセンス……?」

 

「お前は過去の技術をひたすら模倣し続けた。

 成功例も、失敗例も、多く見てきたはずだ。

 何が良く、何が悪いかを、膨大な経験値が既にお前に学習させている。

 お前の感覚は、既に良悪を知っている。そこで何も考えずに仕事をすればどうなる?」

 

「え」

 

「お前にはもう、何も考えずとも失敗作を作らないセンスが身に付いている」

 

「―――」

 

「過去の模倣を考える必要もねえ。

 何も考えなくとも、お前の腕は染み付いた技を形にする。

 一度過去の模倣を考えるのをやめてみろ。

 お前の独自の作風で何かを作ってみても、立派な作品になるだろうよ」

 

 もしかして、巌爺ちゃんが言ってたのは、そういうことだったのか?

 

「その能力をまだ自覚的に使えんのなら、ヒヨッコとしか言えんがな」

 

「……そう、ですね」

 

「人の目を引く背景を描きやがって。

 阿良也以外はこの背景を凌駕するための稽古をやり直すしかねえじゃねえか」

 

 うん、まあ、そりゃそうだよな。

 失敗作なのは間違いねえんだこれ。

 俺が見た感じ、この背景に絶対に負けない俳優は阿良也さんくらいしかいねえ。

 次点で亀さんが負けないかもってくらいか。

 つまり個性があっても、劇団に合わせることをマジで全く考えてねえんだ。

 

 となると、劇団はまたしっかり稽古の仕込み直しだ。

 じゃなきゃ皆背景に負けちまうもんな。

 「えー」って声が劇団の皆様から漏れている。

 ごめんなさい。

 俺の絵によって皆の稽古スケジュールが相当キツくなりそうだな……マジごめんなさい。

 

「お前は競って良かったんだ、英二。

 俳優と競うのもお前の選択肢の一つだ。

 そうしてぶつかりあって高め合うこともある。

 俳優と高め合うような背景、引き立て役の背景、意識的に使い分けられるようになれ」

 

「巌先生……もしかして、俺にこのことを教えるために?」

 

「あっちの業界に浸かりすぎたな。

 誰もお前に失敗作を要求しねえ。

 誰もお前に成功しか要求しねえ。

 成功と収入が基準の、遊びがねえ業界だ。

 それじゃあお前が"そう"成るのも当たり前だろうよ」

 

 ぐっ。

 そっか、過去の名人の技術を模倣して、過去の成功例の技術を具現して、なるべく早く仕事を成功させるのが良い業界に浸かってたのが、巌爺ちゃんには悪い癖に見えてたのか。

 

「お前みたいな奴が他人を美しく魅せようとするための行為は、愛の言葉みたいなもんだ」

 

 愛。愛っすか。

 

「過去の誰かの愛の言葉を真似する、まあそれもいい。

 失敗はしねえだろう。

 愛の言葉を作るのも上手くなるだろうな。

 だが本当に何かを愛した時、使う愛の言葉はお前だけのもんじゃなきゃならねえ」

 

「……はい」

 

 俺らしい、俺だけの技術、俺だけの作風、ってことか。

 

「お前は自由だ。

 何を作っても良い。

 そんな当たり前のことを、お前が身に着けた技術が忘れさせる。

 何故なら、先人の技術を使うことは『正解』になるからだ。

 面白くねえ。挑戦がねえ。独自性がねえ。何より、遊び心がねえ」

 

 遊び心。……"気付け"って言ってたのは、それか。

 

 遊び心を持って、挑戦して、面白い俺の独自性を作れっていうんだな、巌爺ちゃん。

 

「美しいものを創れるのは、美しいものを見たことがあるやつだけだ。

 美しいものを生み出せるのは、美しいものを知っているやつだけだ。

 お前も役者と同じだ。

 自分の中に無いものは演じられねえ。

 自分の中に無いものは作れやしねえ。

 お前が生み出すものの源泉は、全てお前の中にある。どんなものだろうとだ」

 

 美しいもの、か。

 ああ、知ってる。

 俺は美しいものを知ってる。

 

 だからその星とか百の城とか茜色の空とか描いてある俺の絵を見るのやめない?

 やめろジジイ。

 やめろや。

 見んな。

 

「過去の人間の技を学ぶだけでどうする。

 まだお前は成長に行き詰まってもねえガキだろうが。

 お前にしか生み出せない技も、お前にしか生み出せない物もあるだろう。

 朝風英二が真似してきた過去の先人が、過去になかった技術を生み出してきたようにな」

 

 つか、巌爺ちゃんがここまでしっかり長く俺に何かを言うの珍しいな。

 こんなに多くのことを一気に伝えようとしてるのも珍しい。

 勘だけど、伝えようと思ってたことを、これが最後だから全部伝えようとしてるような。

 なんか、遺言みてえだ。

 気のせいか?

 

「好ましく思ったものを、美しいと思ったことを忘れるな。

 お前が美しいと思った心は、お前にしか形にできねえんだ。肝に銘じておけ」

 

「……はい!」

 

 だからさあジジイ。

 その茜色の夕方の絵を眺めて笑うのはやめてくれ。

 

 なんだ。

 何か察してるのか。

 察してるとしたらその口を封じなけりゃならなくなるぞ。

 どうなんだジジイ!

 

「いい絵だ。お前が今、幸せなことが伝わってくる」

 

 ……。

 なんだよ。

 どういう感想だ巌爺ちゃん。

 なんで笑ってんだ。

 

「俺がくたばる前に、この絵を見られてよかった」

 

「縁起でもないこと言わないでください。まだピンピンしてるじゃないですか」

 

「ふん」

 

 そのパワーのある眼光でその台詞は似合わねえって。

 俺の幸せとか気にすんなよ。

 巌爺ちゃんに仕事を認められたってだけで、俺は結構心満たされてるぜ。

 

「俳優は原石だ。

 俺達演出家は、原石を磨いて宝石にする。

 お前は、宝石を指輪にしてみせろ。その価値を更に高めるために」

 

 任せろ。

 

 そいつが俺の仕事だ。

 

「はい。やってみせます。

 もうちょっと立派になったら、巌先生に仕事で礼をしてみせますから」

 

「十年早えんだよ、英坊」

 

 テメー十年も待たせるかよ!

 

 一年くらいでやってやる!

 

 

 




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