和歌月さんが所属している剣崎アクションクラブ*1は、相当なもんだ。
アクションに関しては日本で五指に入る、と思う。
有名所だと、仮面ライダー、戦隊、ウルトラマンのどれでも活躍し、俺達にレーザーブレード復活という歴史学者みたいな仕事をくれた坂木浩一監督がここの出身だ。
アクション俳優の王道出世ルートは、アクションで成功し、その後アクション監督などの監督になっていくルート……なので、和歌月さんもいつか監督になるかもしれねえな。
そうなった時、俺がその仕事を手伝えたら、楽しそうだ。
何年経っても助け合える関係ってのには憧れる。
助け合えるくらいの親しさは、いつまでも保っていてえもんだな。
さて。
アクションクラブってのは、そもそもなんだ?
この辺がちょっと複雑になる。
まず、俺が親父の仕事についていって見た、巌爺ちゃんの歌舞伎。
この『歌舞伎』は、一説には"歌い舞う特徴的で画期的な芸"という意味合いが当時あったんじゃねえか、と言われることもある。
要するに、喉と体の動きで魅せる、っていう演劇の革命だったわけだ。
新国劇が剣劇というジャンルを作ったのは、「様式美ばっかで歌舞伎にはリアルなアクションが全然ねーじゃん!」という声が大きくなったからだ。
この剣劇というジャンルが、小内剣友会*4って集団を作る。
小内剣友会は時代劇とか、色んな撮影にアクション担当で協力したそうだ。
そして剣劇に見放された歌舞伎自体は、ゴジラを走りとして数々の特撮に影響を与え、『変身直後の名乗り』や『決めポーズを取って決め台詞』などを確立させた。
特撮に継承されたこれをなんと言うか?
そう、様式美だ。
そして様式美からの脱却を目指した剣劇ジャンルで、「小内剣友会は若い奴に仕事回さねえで仕事を独占してやがる! 独立だ!」という声が上がった。
これで独立したのが、『小野剣友会』*5である。
そう。
仮面ライダーの正義と悪のスーツアクターを担当し、日本全土にその名を轟かせた伝説の小野剣友会だ。
こう見るとこう、なんだ。
歴史ってのは皮肉だよな。
小野剣友会は仮面ライダーに戦隊にと、幅広く活躍した。
つまりだ。
最終的に、歌舞伎の様式美を脱却しようとした剣劇集団と、歌舞伎の様式美を真似した特撮が混ざったことで、『歌舞伎なのに歌舞伎じゃない』もんが再生したわけだ。
歴史の中でバラバラになってもまた一つに集まって再生するとか歌舞伎くん、お前再生能力持ちの怪獣か何かかよ……?
小野剣友会は天下を取った。
初代仮面ライダーの視聴率は20パーセントを超え、子供達が好きなものと言えば仮面ライダーというほどで、小野剣友会もその人気の恩恵を受けていた。
間違いなく天下を取った。
かに、見えた。
今のアクションの世界で、かつて想像されていた"成長していった小野剣友会"のそれに近い隆盛っぷりを見せてんのは、JAE*6だろうな。
JAEは海外の影響を受け、世界に通用するアクションスターを育成するため、日本で設立されたアクションクラブだ*7。
歌舞伎から発展した日本アクション。
海外の技を発展した日本アクション。
この他にも大河ドラマアクションメインの若駒プロダクション*8の技術などが混ざり、こいつが今のアクション界を作る『多様性』ってやつの元になったもんだ。
仮面ライダーと怪人のスーツの中の人も、小野剣友会の役目であったはずが徐々に、JAEの人間がする仕事へと変わっていった。
"これを着て演技が出来るのは岡末次郎だけ、他の者では首が折れる"と言われた100kgのシャンゼリオンスーツを着てアクションし、とてつもない動きのキレを魅せる・岡末次郎*9。
仮面ライダーアギト以降、響鬼を除いた全ての仮面ライダーシリーズにおいて、全ての仮面ライダー中の人を実に18年間演じてきたスーツアクター・低岩成二*10。
この二人は伝説の男達であり、役者能力がもう怖えレベルだ。
変身前の役者さんを観察し、スーツを着て動きを模倣し、変身前と変身後を同一人物に見せる技を二人共体得しているあたり、バトルバージョンのアラヤさんにすら見える。
この二人は共にJAE所属だが、この二人以外にも目眩がするようなとんでもねえ人達がゴロゴロしてるのがJAEだ。
数が多い。
有能が多い。
よって最終的に出世する奴の数も多い。
まあ、なんだ。
ざっくり言うと。
今回俺が請け負った映画の監督がJAE出身、アクション監督が現役JAE、制作進行がJAEから別事務所に移った奴、特撮監督も一時期JAE担当のスーツや小道具を修復してた人だった。
大なり小なり全部JAE絡みの奴らじゃねえか!
身内臭凄え。
馴れ合い感強い。
"先輩には逆らえませんよ"風味がハンパない。
監督がヤバいことやらかしそうになっても耳に痛いこと言って止めそうな人がいねえ。
今日が現場入り当日ってことで、初日挨拶も兼ねて打ち合わせに参加したが、美術監督としてあんま多く言えたとは思えん結果になった。
打ち合わせを終えて撮影所を出ると、和歌月さんを見つける。
なんとなく、彼女が最初に俺の顔を見てホッとしたような顔をした理由が分かった気がした。
「どうでしたか?」
「……まだなんとも言えないですね」
「そうですか……」
酷すぎてなんとも言えなーい。言えることがなーい。
身内で固める撮影チームとか割と珍しくねえけどさ。
駄目だ、肌に合わねえ。
俺とめっちゃ相性が悪いタイプのオッサン達だった。
俺が合わせるのは良いが、俺があっちに合わせてる限り永遠に改善しねえタイプの人らだ。
俺はなぁ。
仕事面で他人の仕事にあんま駄目出しできねえタイプなんだよな。
無理矢理他人の仕事のやり方を変えさせるのがどうにも苦手だ。
他人の都合で自分の仕事の形を変えんのは得意なんだが、どうにもな。
黒さん。
黒さんが居りゃなあ。
あの人、自分の都合で他人を蹴飛ばすの躊躇わないだろ。
ああいう人がいるといいんだよなあ。
「お前の仕事と能力は文句なしにクソだ!」って言える人がいると、撮影の流れに出来た淀みなんて全部吹っ飛んじまう。
「朝風さんが周りと連携できれば、徐々に方向修正できるんじゃないですか?」
「どうにも相性が悪いみたいです。
監督のイメージが伝わってこない、と言いますか……
あの監督のイメージの伝え方と相性が悪いみたいで、俺の方が合わせられないんです」
「監督のたとえ話がヘタクソと言えば良いのでは? ふわっとしてますからね、言い方」
「やめましょうよ和歌月さん」
なんだかんだ樋回真嗣監督*11とかは俺みたいなポジションから見ると良い監督なんだよな。
アニメの打ち合わせだと「特撮のあのアクションみたいなのやりたい」と言って、特撮の打ち合わせだと「アニメのあれみたいなの演出してください」とか言うから。
樋回監督のやり方が肌に合わねえって人もいるが、少なくともこの現場よりは良い。
なんつーんだろうな。
今回の監督、言い方がふわっとしてるだけじゃなくて、頭の中のイメージも多分相当ふわっとしてるんだよな。
だから監督の脳内イメージをできる限り正確に把握しようとして、できる限り正確に再現しようとする俺と相性が悪い……んだと思う。
この監督に合うのは多分、適当な監督のイメージを適当に形にする適当な人だ。
その上で、百城千世子を客寄せパンダにして、一定の興行収入を得るタイプの人だ。
だから俺とノリが合わねえんだ、多分。
悪いな和歌月さん。
あんまあんたの期待に応えられないかもだ。
「今日はまだ初日ですし、明日はあの百城千世子とデートでしょう。頑張ってください」
「ん゛ッ」
こ、こいつ!
人が真面目なこと考えてる前でそんなこと考えてやがったのか!
「最初はビックリしてたのに、今ではすっかり楽しんでますね、和歌月さん」
「仕事が完璧な人が、仕事以外でオタオタしているのは見てて楽しいかもしれません」
大御所のスーツアクターとの間に入るのやめてやろうかこんにゃろう。
……んなことしたら女性アクション俳優が足りなくなって結局俺の首が締まるか。絶対やったらいけねえやつだ。
翌日の日曜日。俺は街中の噴水前で待ち合わせしていた。
そわそわする。
そわそわする。
そういうアレじゃないと分かってるんだが。
とりあえず和田倉噴水公園*12で待ち合わせということにした。
ここは結構俺の好きな風景の場所である。
クソ、自分の好きなもの基準でしか色々判断できねえ俺が情けねえ。
「おはよう、英二君」
来た!
「おはようございます、百城さん」
まあ分かってたけど、帽子にマスクにサングラスとか完全に不審者だな。
まごうことなく不審者だ。
しょうがないけどな、テレビに露出してる百城さんは色んな服装で色んな人に見られ、色んな角度から色んな人に見られてる。
つまりそいつは、ちょっとした変装をしたくらいじゃバレるってことだ。
気持ち悪いなーとは思うが、重度のファンには自分が好きな芸能人は体のラインで判別することも可能なんだとか。こえー。
「それで、本当の目的はなんですか?」
「デートが目的だよ?」
「それで、本当の目的はなんですか?」
「えー、エスコートしてくれないのかな?」
「それで、本当の目的はなんですか?」
「……うーん。
これは見抜いてたとかじゃなくて、デートに本当の目的があってほしいやつ」
そうだよ。だから本当の目的をさっさと言え。
さしてプライベートな付き合いがあるでもない俺にあんたがそんなことする理由はねえ。
そんな好感抱かれるようなことした覚えもねえ。
オラオラさっさと本当の目的を言え! 言ってくれ!
「私、君の眼が欲しいんだ」
「と、言いますと?」
「君の視点が欲しい。ちょっとね、怪獣を見上げる視点っていうのもピンと来なくて」
「ああ、なるほど。俺の役職の『視点』が欲しいってことですね」
そうか、そういうことか。
百城さんは表現力の鬼だ。
役を掘り下げて演じ分けることはない。演じ分ける必要がない。
表現多彩な井村拓哉*13みたいなもんと言うのが正しいだろうか。あれも「全部イムタク」とか言われるし。
役を掘り下げて演じ分け、全く違う演技を魅せる役者は、漫画家で例えるならギャグ漫画とシリアス漫画と恋愛漫画を別連載するタイプの漫画家。
百城さんのように役の掘り下げと演じ分けがあまり必要ない役者は、漫画家で例えるならギャグもシリアスも恋愛も一つの漫画でやる漫画家だ。
例えば、漫画原作のドラマの主演を、この二種の俳優が演じたとする。
前者の場合は「○○ちゃん(ヒロインの名前)かわいい、○○ちゃんかわいそう、○○ちゃん頑張れー!」と感想が出る。
百城さんの場合は「千世子ちゃんかわいい! 千世子ちゃんかわいそう! 千世子ちゃん頑張れー!」と感想が出る。
つまり、『役の魅力』以上に『百城千世子の魅力』が出て、これ単品でしっかりと商売になる売り物になっちまうのだ。
黒さんとかこういうの嫌いだよなあ、多分。
要するに、百城さんの演技には意識的な技術が必須になる。
ビルの合間に怪獣が見えるシーンだって、首の角度をどのくらい上に傾けるのかで、そこに怪獣がいると思わせる『リアリティ』が段違いに変わる。
空を見上げている百城さんの顔のアップで「あ、何か大きなものを見上げてるんだな」と観客が思えないようじゃ、その映画は間違いなく失敗作だ。
百城さんはそういうわけで、特撮の撮影に詳しい俺の『眼』を盗もうとしている。
よかったー。
こりゃ仕事だ、デートじゃねえわ。
仕事なら安心できる。
「英二君の商売道具を盗むみたいで、悪いけど……」
「構いませんよ。どんどん盗んでください。それで作品が良くなるならいいことです」
「ありがとうね」
百城千世子、『NGを出さずリテイクもない』と語られる人。
本撮影で全く失敗しない名演者の能力の裏には、こういう細かな研鑽があったんだな。
けど、それは当たり前か。
白鳥は優雅に見えても水面下で足を忙しなく動かしてるもんだ。
綺麗に、苦労知らずに見えても、その下地には圧倒的な努力量がある。
この人に匹敵するような演技を、専門の下積み無しでやれるような人間がいたなら、俺は間違いなく自分の眼の方を疑う。
「いくつか仕事道具は持ち歩いてますから、このレーザーポインターを使いますね」
俺はまず、ビルを指差した。
昼間の街中だ、レーザーポインターはちらっと使うだけにしておこう。注目を集める。
「現在の怪獣描写文法だと、設定上の大きさは50mです。
ミニチュアの作成時、通常は人間の大きさを1.8mと仮定します。
すると27分の1か28分の1となりますが……これでミニチュアを作るとややこしくなります」
「なんでかな?」
「ミニチュアは、大きいミニチュアと小さなミニチュアを作ることがあるからです。
一例を挙げます。
まず、本物の街で撮影。
この街を小さくして作った『大きいミニチュア』で、怪獣が暴れるのを撮影。
そのミニチュアを更に小さくした『小さいミニチュア』を爆破して撮影。
これで、街の人間の撮影、怪獣が暴れる撮影、街が吹っ飛び消滅するシーンが撮影できます」
「なるほど」
「こういうのを作る時、4×7の1/28や、3×9の1/27のミニチュアはちょっとややこしいんです。
なので2×2×2×3の24を使うことが多いです。24分の1ということですね。
24分の1のサイズの、怪獣よりは大きくないビルを作り、街に並べることになります」
ウルトラマンティガ THE FINAL ODYSSEY*14でも確か、ウルトラマンティガの身長が53mだっていうのに、設計書でウルトラマンティガの身長を40m扱いにしていたはずだ。
ミニチュアも全部24分の1で設計されていたはず。
打ち合わせの時に見た書類を見る限り、俺がこれから設計・造形する各種あれこれも、24分の1設計になるだろう。
「だからあのビルの、あの辺りに怪獣の頭が来ると思います」
レーザーポインターをチカッと光らせ、空中に赤い線を引き、撮影で怪獣の頭が来るであろう場所の高さを指し示した。
「あの高さかあ」
百城さんは、ビルの合間を見上げる。
そこに大きな何かがいるかのように。
身をこわばらせ、僅かに足を引き、後退りする。
悲鳴を上げそうな演技を一瞬入れ、悲鳴を押し殺して怪獣に見つからないようにする普通の女の子を演じる。
その一瞬、百城さんを見ていただけの俺にも、"そこに怪獣がいるかもしれない"と、一瞬思ってしまった。
「どうかな? 怪獣がいそうに見えた?」
「はい、バッチリです」
パントマイム*15。
そこに無いものを、あるように魅せる肉体の芸術。
百城さんの表現力は、そこにないものを視聴者に確かに見せるものだった。
マイムは、技術だ。
徹底して自分の肉体を研究し、関節を把握し、普段自分がコップを持ったりドアノブを握ったりする一動作で、どんな筋肉や関節を使っているかを完全に把握しなきゃならねえ。
感覚でやると絶対に失敗する。
普段人間が感覚だけでやっている所作の一つ一つですら、頭で考えて完全再現するという、基本技のようでとても難しい技なのだ。
感覚や手癖だけで演じてる奴には、絶対にこれはできない。
コップを持ってない手をコップを持っているかのように見せるマイムなんてのは、理性による身体制御無しには成り立たねえからだ。
もしも、もしもだ。
マイムの訓練もしっかり受けずに、そこに無いはずのものを幻視させるほど、精巧なマイムを見せられる役者がいたのなら。
俺はそいつは、もう人間じゃねえと思う。
「こう、かな」
百城さんはビルを見上げる自分をスマホで自撮りして、見上げている自分の首と顎に手で触れていく。
写真で記録に残し、手で首の角度を覚えてるんだろう。
首の感覚だけで覚えても、感覚だけでやるとズレが出る。それがパントマイムだ。
今後撮影中に自分の演技にズレが出ないよう、適宜修正していくつもりなんだろうな。
プロやべえ。
「歩こっか。デートだもんね」
「仕事の準備ですよ」
街を百城さんと並んで歩く。
木々が風に揺れていた。
大スターである彼女と並んでいても、俺がある程度平常心を保てているのは、彼女が帽子にマスクにサングラスと、顔の大部分を隠してるからだろうな。
でなきゃ、俺はテンパるし、日曜の街は大騒ぎになる。
スターというものは、その名の通り星だ。
大衆が地から空へと手を伸ばしても、星へは届かない。
星は、人間じゃない。
有名人は普通の人生を送れなくなる。
百城さんのように、素顔で街を歩く自由すらなくなり、普通の人と同じ人生を送る権利すら失っちまう。
面白がってプライベートを暴かれるだけならまだしも、最悪心無い批判に叩かれ、引退に追い込まれ、引退後も晒しものにされ続けることすらある。
そいつはつまり、売れた俳優の人生は『自分のもの』ではなくなり、『大衆のもの』に成り果てるってことを意味する。
『俳優は大衆のために在れ』。それがスターズの信条だ。
それは生贄を強いるための言葉じゃねえ。
恋愛感情に素直になっちまうとか、大衆を蔑ろにして"自分のため"に生きようとすると、大衆は簡単に敵になるっていう警告だ。
そうなりゃ、本当の意味で人生が台無しになるっていう警告だ。
俳優は常にこの信条を胸に秘めておけば、間違えることはねえ。
大衆のために在るってことは、大衆を敵に回さねえってことなんだからな。
百城さんはとっくの昔に、人生の多く、日常のほとんどを、大衆に捧げている。
自由がない彼女を、日曜日まで仕事の質の向上に費やしてる彼女を見てると、浮ついた気持ちでいた俺が恥ずかしくなる。
平常心を保たねえとな。
俺にできることは、彼女が俺から盗めるものを、彼女に分かりやすい形で提供することだ。
「私が英二君って呼ぶのはいいけど、英二君が私の名前呼んだらバレそうだよね」
「あ、確かにそうですね」
そりゃそうか。モモシロもチヨコも響きだけでファンが反応してもおかしくねえわ。
「敬語を止めろとまでは言わないから、せめて友達みたいな感じに呼んでくれない?」
「え」
「私のために、ね」
えー……?
「も、モモさん」
「モモちゃんにしない?」
「も、モモちゃん?」
「そう、そんな感じで。いい顔してるよ英二君」
……。やっぱ平常心は無理だな!
今までに見たことねえくらい楽しい顔してるわ。
やっぱこいつ他人で遊ぶのが好きな奴だ!
「晴れてて良かったね。いい日曜日だ」
「良い青空ですね」
「何かを見て、何か思ったら全部教えて。
英二君が何考えてるか全部教えてくれないと、英二君の眼は手に入らないから」
「ええと、そうですね……青空って、合成には鬼門なんですよ。日差しが強い時には特に」
「なんで?」
「日光があるからです。
東に太陽があるのに、合成した怪獣の西側が照らされてたら台無しです。
CGもまた、太陽の位置と照らされている部分を計算しないといけません。
俺も小物を合成する時には、撮影時に小さなライトを当てて太陽に沿わせたりします」
「マメな人じゃないと苦労しそうだね。その調子で思ったこと全部言ってくれればいいよ」
全部か。うっかり変なこと言わないようにしないとな。
「この歩道橋ですけど、ちょっと古めかしい物なら紙でも作れるんですよ。足元に気を付けて」
「歩道橋じゃ流石に転ばないよ。古めかしい物に限定するのは何かあるの?」
「古い方が誤魔化しが利くんです。
汚したり、サビの塗装したりすると、紙っぽさが消えて本物っぽく見えますから」
「紙でも色々作れるんだ、英二君」
歩道橋を二人で上がる。
歩道橋の下には、六車線のでっかい道路が見える。
少し離れたところには、六車線を挟むようにして立つビルが見える。
あのビルの間に、六車線の上に立つ怪獣とかいたら楽しそうだ。
「歩道橋の上の百城さんが、あの辺りに立っている怪獣を見上げたら面白そうですね」
「あの辺りに? じゃあ、怪獣の頭の高さはあのくらい?」
「あ、注意してください。
今はももし……モモちゃんが歩道橋の高さの分、高さの下駄を履いてる状態です。
歩道橋の高さは5mくらいはあります。
ミニチュア作成時の怪獣縮尺の設定身長40mの、1/8です。
路面から見上げる時とは、微妙な差が生じてしまうかもしれません」
「人間の身長で言えば22cmくらいの差かな? それは大きいよね」
百城さんが遠くの想像の怪獣を見上げ、それが歩道橋に近寄ってくるのを想像しながら、首の角度を微調整し、首や顎に手を触れて角度を覚えている。
パントマイム技術が高い彼女の動きは、本当に自然だ。
周りに人がいる時にこれをやったら、つられてビルの合間にいる何かを見ようとしてしまう人も出てくるだろうな。
「怪獣は大きいので、歩道橋が揺れたりすることもありますね。
そういう時は手すりにしがみつく演技をしたりします。
歩道橋が揺れる撮影自体は、カメラを少し揺らしながら撮影するだけでいいですし」
「ふーん……こんな風に?」
百城さんが、揺れていない歩道橋が揺れているかのように演技して、手すりにしがみつくような演技を見せる。
かわいいな。
かわいいしリアルだ。
「そうですね、そんな感じです。
歩道橋の震えは撮影側が演出するので、体を震わせる必要はないと思います。
そうなると……必要な演技は、震える歩道橋で怪獣を見上げながらの、怯える表情でしょうか」
「だね」
百城さんの演技に表情が伴った。
……リアルだな。
これでカメラを揺らして、ゴジラの鳴き声でも合成すりゃ、それだけで『ゴジラが歩いているすぐそばの歩道橋』のシーンに使えそうだ。
『百城千世子』が既に単独の役として完成してんのは、本当に強い。
「仮にそう撮影するとしたら、カメラは中央分離帯あたりに置くことになりそうですね」
俺は歩道橋の下の、右の三車線と左の三車線の間にある、草がもっさり生えた部分を指差した。
「ももしろさ……モモちゃんは、歩道橋で撮影したこともあると思います。
近くのビルの窓、斜め上から歩道橋の上のモモちゃんや共演者を映すやり方などです」
「うん、それは何度かやったかな」
「でも怪獣とモモちゃんを同時に移す場合は、斜め下からカメラで映します。
そのために下の道路の間の、中央分離帯にカメラを置くと思うんです。その、スカートは……」
「えっち」
「……」
このやろう。
「と、とにかく。
斜め下のカメラから映す時の注意点は、最近の歩道橋の幅もあります。
最近の歩道橋は幅が3mくらいあるということもありますから、考えて使う必要があるんです」
「怪獣側かカメラ側か、ってことかな?」
うわっ、凄え。
説明の途中で気付いたか。
"自分がカメラにどう映るか"の把握力にかけてはマジでバケモノだな。
俺みたいな事前知識もねえのに。
「その通りです。
東西に伸びる歩道橋を挟んで、北側に怪獣、南側にカメラがあるとします。
歩道橋の上のモモちゃんをアップで撮る場合。
モモちゃんは歩道橋北側ギリギリに寄って、カメラは南側ギリギリに寄ることになります」
歩道橋が3m幅なら、まあそうなる。
「ただし、北側の怪獣と歩道橋の上のモモちゃんを一緒にカメラで撮る場合。
モモちゃんが南側に寄っておく必要があります。
モモちゃんが北側に寄っていると、南斜め下のカメラからだと、歩道橋が邪魔になりますから」
「その場合は……うん。
私が歩道橋の北側に寄りながら、現れた怪獣を凝視。
怪獣を恐れるような演技をしながら、南側に後ずさる演技を入れれば大丈夫かな」
いきなり最適解だ、怖っ。……シビれるぜ。だからスクリーンのあんたは、美しいんだよな。
「歩道橋は降りる時が一番転ぶので気を付けてください。
あ、歩道橋のセットですが、登りと降りを同じクオリティで作る必要はないです。
登りと降りの作りは基本同じで、アップでは片方しか映りませんからね。
だから登る時の階段を一つ作ったら、それを降りる時の階段にも流用できます」
「だから転ばないってば。
英二君も予算を計算して色々考えてたんだ?
あれはちょっと考えちゃうよね、出演者としては」
予算がなあ。
セット作成を抑えて、撮影許可もらった現実の橋を俺がちょちょいと加工して、それで撮影した方がいいかもしれん。
……ロケは関東だけで終わらせてくれるとありがてえんだがどうだろう。
県外ロケでゴリっと予算使う人多いんだよな。
「モモちゃん、ここにビルがあります」
「あるね」
「井下泰幸*16さんという方は、歩幅でこの大きさを測りました」
ビルの横を歩いてみる。
距離を測るのは基本メジャーな俺は、歩幅だけじゃ大きさは分からん。
「そして測った大きさを反映し、1950年台から60年台に名作ミニチュアの数々を作り上げました」
「こんな風に?」
たん、と微笑んでいそうな百城さんが、楽しげな音を響かせるステップで、ビルの横を歩く。
……ステップが軽やかだなあ。
しかも足元を見てると分かる。一歩の歩幅が全部同じだ。
目を瞑ったままステージを歩いても、ステージから落ちなさそうだとすら思える。
「縮尺を頭の中で再現できるというのは大きいです。
それは自然な演技と直結しますから。
"怪獣の姿が合成される前の百城さんが見たセットの街"。
"怪獣のスーツアクターさんが見ているミニチュアの街"。
この二つをシームレスに繋げて、頭の中で一つの画にイメージできると良いですよ」
「そっか、それが英二君の見てる景色なんだ」
その通り。
イメージは現実のように、頭の中に作る。
現実はイメージのように、セットに作る。
現実とイメージの境界を技術的に消失させ、滑らかに頭の中の映像を動かしていくのが基本だ。
「カフェでも入りましょうか」
「へー」
さて、屋内のことも何か説明しておくか。何から解説していこうかな。
このカフェ内だと何か使えるものとかあるかね。
……ん?
あ。
今の「へー」は『君が女の子をさらっとカフェに誘えるとか全く思ってなかったよ』的な意味の「へー」か!
しまった。
百城さんに色々伝えることを考えすぎて、『女の子をカフェに誘うって恥ずかしくね?』っていう基本的な思考が浮かんでなかった! バカか!
ほーら見ろ百城さんのこの顔を!
こいつは人心掌握に長けた天使が不器用な男を見て笑いをこらえきれない顔だ!
マスクとかでほとんど見えねえけど声で分かる!
「私が注文しておくから、また何か話を続けてくれると嬉しいな」
「ん、そうですね……あ、このテーブルの馬の木彫りの人形、バルサですね」
「バルサ?」
「ハリウッドの特撮で派手に壊れる建物に使われる、柔らかい木材ですよ。
柔らかいので加工しないと壊れやすいですが、本当に加工しやすいです。
日本でも昭和の頃、デザイン打ち合わせの時にバルサの彫刻モデルを使ったんですよ」
「この馬が? そうなんだ」
「そうですね、市販のバルサブロック千円分くらいあれば……
モモちゃんの人形がたぶん40くらい作れると思います。安いですから」
「作りたいの?」
「作りませんよ。大女優に不快な気持ちを味わわせるわけにはいきませんから」
「ご注文のダージリンティーとケーキセットです。ごゆっくりどうぞ」
あざっす店員さん。
あーこのお茶俺好きなやつ。
ケーキもハイセンス。
「例えばここで俺達が食事しているシーンで、怪獣が来るとします」
「うん」
「その場合、基本は平面です。上は見ません」
「天井があるからね」
「そうです。屋内では『怪獣を見上げられない』んです。
見えるのは横のみ。
揺れる路面、揺れるお茶、道路を転がる何か、先だけ見える怪獣の足。
そうしたものが入り口向こうに見えて、登場人物が悲鳴を上げる。これが基本でしょうね」
俺はテーブルの上のお茶を揺らす。
安上がりな撮影にするなら、テーブルとコップとお茶を用意して、テーブルの下にテーブルを殴るスタッフを一人入れて、俳優さんが揺れるテーブルを見て動揺する演技をすりゃいい。
それだけで、『怪獣が歩いて来てテーブルとお茶の水面が揺れる』ってシーンは十分に撮影可能だ。低予算ならそれはそれでやり方はある。
入り口から怪獣の足が見えるだけなら、安い外側だけのハリボテ足でもいいしな。
「役に入りすぎると、つい見上げそうになると思いますが気を付けてください。
屋内の人は、屋外の人と違って"大きなものがいる"とは分かりません。
役者は怪獣だと分かっていても、登場人物が怪獣を知らない場合に齟齬が出ます。
左右に首を振って『なんだろう』と動くのはいいですが、上を見ようとすると矛盾するんです」
「うん、ありがとう」
「ただし、見上げさせたい監督さんというのもいます。
そういう場合、演出として床が揺れるのではなく、天井が揺れるように画を見せます。
その場合は、自然に客が上を見上げる構図になり、天井が壊れ怪獣が……
という風な流れになることもありますね。監督がどういう画を撮りたいかにもよりますが」
「監督の撮りたいものを考えると、主人公に極端に危機が迫る画は少ないんじゃないかな」
「……確かに」
監督についても意見を交わしつつ、ほどほどに時間を潰してカフェを出た。
お、鳥。
「いいですよねあの小鳥。機械で作ってみたいです。
俺、作れないわけじゃないんですけど、アニマトロニクスやる機会少ないんですよ。
動物人形を機械で作るやつですね。
前に作ったのは生々しい深海魚だったんですよ。
モーターで体が動いて、背びれあたりに透明な棒を付けてあるんです。
モーターはあくまで体の動きだけで、水中を動くのは俺が持った棒でなされるんですね」
「あはは、本当は泳いでないんだ」
「そうなんですよ。
これをブルーバックでクロマキー合成*17。
他で確保しておいた泡の合成素材と一緒に、暗いスタジオに合成すると……
なんと不思議。深海にも行ってないのに、深海の特撮映像の完成というわけです」
「深海魚って、あの寄生虫みたいな形の?」
「寄生虫基準で容姿を語るのどうかと思いますよ?」
虫博士かよ。
あ、あの木、形がいいな。今度ミニチュアの参考にしとこう。
その向こうにはコンビニがある。
「あ。見てくださいモモちゃん、コンビニの看板ですよ」
「そうだね。どこでも見るやつだね」
「あれの基本フレームはアルミなんですよ。
アルミを粉々にして塗装して、上に黄色を塗ると金属感のある金塗装になるんです。
ライジングアルティメットとか、金色の仮面ライダーはそれで塗装してるんですよ」
「英二君は金色はピンポイントにしか使わないよね?」
「俺の仕事よく見てますね。
派手なので、確かに全体に派手に使うことは多くないです。
あ、あの看板の土台や四隅はアルミじゃないですよ。プラスチックです。
雨にも風にも強く、傷が多少ついても目立たず、壊れない。良いですよね」
「私は見ただけじゃ分かんないかなあ」
「看板に付いている色は着色ポリエチレンと、表面処理の塗料ですね。
傷に強くするためにASA樹脂も使われてるみたいです。
看板の大半は高密度ポリエチレンで出来ているみたいです」
「それだとどうなるの?」
「この看板から仮面ライダーの装甲が作れます。
モモちゃんに似合う花の髪飾りだって作れますよ」
ポリエチレン万能説。
かつてポリエチレンで山森さんがぶっ壊した仮面ライダーの目も直したもんだ。
すっと、一瞬、百城さんの目が細まった気がした。
「私に髪飾り? 遊びで適当なのを作ったりするだけの話じゃないの?」
「もし作ることになったら、その時はちゃんと本気でやりますよ。
そうですね……青い花の髪飾りとか作るでしょうね。
作り物が美しくなかったら、誰も本物じゃない作り物なんて求めないじゃないですか」
「……」
「人が作り物を求めるのは、それが本物より良いからです。
俳優が演じる人物も、俺が作る物も、作り物の世界も、そういうものでしょう。
百城さんに何か作るとなったら、俺は現実の花のどれよりも美しいものを目指しますよ」
天然の何かより、人の手で仕上げられた何かの方が美しい。
だから俺に俳優って原石を磨いた宝石を指輪にしろって言ったんだろ、巌爺ちゃん。
「ま、それはまたの機会にね。
英二君が英二君のままなら、その内貰えそうだから今はいいや」
「俺が俺のまま?」
「今日、私はね」
並んで歩いていると、ふわりと百城さんが前に一歩を踏み出す。
ふわりと髪が揺れる、軽やかな一歩。
地面を歩いているのに、空を歩く天使のような一歩だった。
「英二君は四六時中仕事のことや、綺麗なものを見てるんだなって、再確認できた」
百城さんは視線を走らせ、周囲に誰もいないことを確認して、マスク等を外して俺に微笑む。
今日初めてみた、とても綺麗な、百城千世子の微笑みだった。
「撮影で英二君にできないことは、私がすればいいとして」
? 百城さん?
「俳優は大衆のために在れ。それがスターズ。
じゃあ俳優じゃない君は、誰のために在るのかな」
聞くまでもねえだろ、決まってる。
「作品のため、それと
俺の返答は、正解だったのか、間違いだったのか。
陽気な笑顔が、百城さんの顔に浮かんだ。
……また内心が読み辛え。
「不安要素は多いけど、英二君がいるなら仕事はなんとかなりそうな気がするかな」
「買い被りすぎですよ。不可能なことの方が多いんですから」
「君を信じて裏切られたことなんて、一度もないじゃん」
「―――」
うっ。ストレートな信頼に、ちょっとぐらっときた。
俺はそういう風に見られてたのか。
でもそれで"なんとかなる"と思い込まれたら、百城さんがどっかで俺を信用したせいで痛い目をみるかもしれねえ。
「違いますよ。それは俺に能力があるとか、そういうことじゃないんです」
そう言われるのは嬉しいが、事実を言っておかねえと。
「あなた達の期待を裏切りたくない。
だから頑張ってるだけなんです。
俺が知ってる皆の輝きを、皆に知ってほしいだけなんです。それだけですよ」
俺は裏方だ。
裏方に期待なんてすんなよ。
成功して当たり前、失敗したら怒るくらいでいいんだ。
俺達の成功ってのは、あんた達の成功なんだから。
「だから君は、ずっと
そう言って、百城さんは表情を変えながら、サングラスとマスクを付け直す。
最後の笑顔は、マスクとサングラスに隠されて、よく見えなかった。
世界は彼にとって玩具箱と同じなんだと、百城千世子は思った