ノット・アクターズ   作:ルシエド

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ラストシーンの後は

 今回のMVPを俺が個人的に挙げるなら、やっぱ百城さんになるだろう。

 

 百城さんがいなけりゃ、俺は何もできなかった。

 あの流れのまま完成まで行こうとしてたなら、もっと根本的にしっちゃかめっちゃかになってたか……あるいは、大幅な製作延期と人員入れ替えがあっただろう。

 彼女の舵取りがあったからこそ、この作品は完走できた。

 俺は物を作っただけだ。

 

 こうして仕事を一通り見てると分かる。

 百城さんは本人の努力量と能力もずば抜けてるが、経験値が本当にダンチだ。

 有能な監督やプロデューサーと組んだことがあるから上からの視点がよく見えていて、有能なチーフや制作進行の仕事を覚えているから仕事の流れの調整ができる。

 有能なカメラマンのカメラワークを覚えてるからカメラ映りもいいし、俺の仕事とかも知ってるってのに服飾やセットの制作における皆の限界も見間違えねえ。

 経験が彼女を支えている。

 だから、撮影全体のコントロールなんかもできるんだな。

 

 この映画は、根本的に少女の物語だ。

 怪獣は全て背景。

 物語のための舞台装置であり、ラスト以外人間は生きてる間だけまともに心情が描写され、怪獣になると背景になる。

 主演の百城さんの主観視点と、そこで魅せる演技あってこその映画だ。

 カメラは常に百城さんを映してるし、百城さんの周り以外をカメラは映さねえ。

 

 だからこそ百城さんの時に繊細・時に大胆な演技が重要で、俺が作った怪獣スーツを怪獣プロレスに使わなくても許される作品だった。

 怪獣は戦わなきゃならねえ、って風潮がある。

 怪獣映画に怪獣同士のぶつかり合いがあってこそ、っていうファンの大派閥があるもんだから、こいつは最低あと数十年はなくならねえだろう。

 俺もちょっとそういうことは思うしな。

 

 怪獣が主役じゃないってことが、俺のスーツの突貫作業を許してくれた。

 常にカメラの中心にいた百城さんが、映画そのもののレベルを引き上げてくれた。

 俺の頑張りを彼女が"無駄な頑張り"にしないでくれた。

 俺の今回の仕事は、百城さんの表現力ありきのもんだった。

 

 声が聞こえる。

 特別先行試写会の会場から聞こえる声だ。

 映画関係者やマスコミだけに見せる先行上映で、こっそり関係者に"ここちょっと変だよね"って言われると、そこをこっそり直したりするのは制作側の秘密である。

 まあとにかく、好評みたいで良かった。

 これならいい感じに宣伝してもらえるかもな。

 

 脚本と、予算が残ってた時の特撮と、百城さんの演技がこいつの売りだ。

 出演者とかの名声に繋がるような作品になったら嬉しい。

 あ、監督。

 どうしたんだこんなとこに。

 こっちには自動販売機とベンチくらいしかねえぞ、会場戻れよ。

 

 と、思ってたら、感極まった監督に抱きしめられた。落ち着けよオッサン。

 

「ありがとう……本当にありがとうっ……!」

 

「……お気になさらず。仕事ですから」

 

 もしかしたら足りないもんもあったかもしれねえけど、俺と合わない監督だったってだけで、あんたの『映画を撮りたい』って気持ちは疑ったことねえよ。

 だから、俺があんたの映画に全力尽くしたのは当然のことだ。

 直してほしいところはいっぱいあるけどな!

 

「でもできれば、今回みたいなことはこれっきりにしてください」

 

「ああ、もちろんだ!」

 

 本当に分かってんだろうなー?

 二度三度と同じことあったら流石に俺もちょっと仕事拒否を考えるぞ。

 監督が会場に戻っていって、入れ替わるように和歌月さんが来た。

 

「大盛況ですよ朝風さん。行かないんですか?」

 

「行きませんよ。そういうもんです」

 

「……そうですか」

 

「主演でないとはいえ、女優が会場抜けるとマズいですよ」

 

「所詮脇役です。マイクも渡されないような端役ですから。

 それにちょっと、ああいう空気はまだやっぱり慣れませんし」

 

 アクションクラブ所属ならああいう会場に行ったことないわけがないだろうに。

 俳優ってやつは慣れるまでが大変なのかもな。

 とにかく、おつかれさん。

 

「いい経験になりました。それと、もう一つ」

 

「?」

 

「挑戦こそが人間だと分かりました。少し、自分の身の振り方を考えてみます」

 

 おう、会場に戻りな。

 挑戦、挑戦か。そうだな、挑戦こそが成長を呼ぶんだろう。

 でも俺らは仕事やってんだからなあ。

 求められてんのは、予算を使って斬新な技術を編み出す挑戦をすることじゃなくて、既存の技術を使って安く高品質なウケると分かってる傾向のもんを生産することだ。

 

 昔から特撮はそうなんだよな。

 現場で色々試行錯誤したり、新技術開発したりしながら、既存技術を使って予算の範囲で安定して望まれたものを作る。

 矛盾してるようなことを繰り返してきたんだ。

 

 スターズのメソッド的な、安定と一定上の質を目指す方向性。

 黒さんみたいな、芸術肌の人が求める革新と挑戦の方向性。

 どっちか片方に寄りすぎても、なんかあんまりよろしくねえ気がする。

 挑戦なくして革新なく、挑戦は常にリスクを伴い、商売でリスクは極力減らすもんだ。

 そもそも、映画ってのは芸術なのか商売なのか、強いて言うならどっちなんだろうか? ただの造形屋には分かんねえな。

 

 音だけで、少し遠くの特別試写会のざわめきを楽しむ。

 心地いい。

 ゴールに到達した、そんな感じがする。

 撮影終盤の監督の名采配も、俺のやり方見て色々吸収したスタッフも、撮影期間に下手な俳優さんが何人か成長してたのも楽しかった。

 ああ、楽しかった。

 キツかったが、この達成感があるからやめられねえんだよな。

 

「ハリー・ポッターで美術監督が舞台挨拶してたことがあったけど、日本はあんまりないよね」

 

 何であんたまでこっち来んの?

 

「百城さん」

 

「隣座っていい?」

 

「いいですよ。でも会場の方に……」

 

「少し休憩したいって言って出てきたから大丈夫だよ」

 

 戻る気は無いか。

 人一人分くらいの間を空けて、百城さんが俺の隣に座る。

 わざわざあんなキラキラした場所からこんな陰の場所に来なくてもいいってのに。

 優しいやつめ。

 監督といい、和歌月さんといい、わざわざ会いに来てくれんの結構嬉しいぞ。

 

「監督がね、君をあそこで紹介したがってたよ」

 

 特別試写会で?

 何考えてんだあの監督。

 試写会に来た人が困惑するかもしれんだろ。

 今日はそういうことしていいイベントじゃねーぞ。

 そういうのはスタッフ全員参加の試写会とかの時くらいしか駄目だろうが。

 

「今日は監督と俳優の挨拶ですよ。

 美術監督が出るなんて進行プログラム上許されません」

 

「主演と監督の合意があれば、そのくらいは許されない?」

 

 俺が許さねえよ。

 

「そこで俺が『彼のおかげです』なんて言われて紹介されるなら、俺は絶対に行きません」

 

 今日はスタッフが仲間を関係者やマスコミに紹介する日じゃねーんだよ。

 

 映画の顔であるあんたらが、表舞台でキラキラと輝いて、注目とスポットライトの光を浴びて、あんたらの撮影期間の頑張りが報われる日なんだ。

 

「監督のおかげで、俳優のおかげでもあるんですよ。

 俺のおかげ、なんて試写会で言わせるわけにはいきません。

 称賛のベクトルが散っちゃうじゃないですか。

 監督や俳優などが一番に目立たない舞台挨拶がありますか? ないでしょう」

 

「出る気はないんだ?」

 

「皆さんに称賛が行くことが、俺の望みです」

 

「君に称賛が行くことが私の望みだって言っても、私の望みは叶えてくれないの?」

 

 ズルい言い方しやがる。

 的確な言葉選びができるってことは、言葉がどう受け取られるか分かってるってことだから、記者会見とかでミスもヘマもしねえ。

 言葉がどう受け取られるか分かってるってことは、言葉である程度は相手の心の動きや反応を誘導できるってことだ。

 

 俺が断りにくい言葉を選んできやがったなこいつ。

 でも、駄目だ。

 ここは譲れん。

 俺は出しゃばらない。あんたらが主役だ。だからこその、舞台なんだぜ。

 

「あなたが俺の助力で栄光を得るなら、俺は光栄です。それだけで十分ですよ」

 

 あ、むすっとした。

 

「周りの人に色々褒められてたよ、監督。

 『十年ぶりの名作』

 『本当に時々いいものを出す』

 『安定感は無いがやっぱり才能のある監督』

 って、色んな人に言われてた。多分雑誌とかでも監督の功績が語られると思う」

 

 ああ、そうかもな。

 光るところはあったわ。

 最終的に完成した映画を見たが、ふわっとした部分がファジーなのにしっかり噛み合ってて、描写範囲と想像に任せる部分のバランスがめっちゃ良かった。

 あの監督がああいう作品作るんなら、俺の方があの監督に合わせられるように頑張って成長していって、また一緒に仕事してみたいと思える。

 

 いいことだ。

 一緒に仕事をした人がクソクソ言われてヘコむのを見るより、その人の仕事を手伝って、その人が映画の出来を褒められてる方が気分がいい。

 造形屋は誰だってそうだと思うけどな。

 だから食い下がるなよ、百城さん。

 そういう目でこっちを見んな。

 

「どんなに凄くても、褒められない裏方は辛くない?」

 

 何言ってんだこいつ。

 ん? 自分の言ってることが分かってねえのか?

 しっかりしろ百城!

 

「何言ってるんですか。今百城さんが褒めてくれたじゃないですか」

 

「―――」

 

「俺は頑張りました。俺は認められ、褒められました。だから嬉しいんですよ」

 

 特撮ヒーローものが『人々の期待と想いを背負ってハッピーエンドを作る主人公』ものなら、『大衆の期待とスタッフの想いを背負って成功させる』彼女こそが、まさに主人公だ。

 

 主演(きみ)裏方(おれ)の仕事を無駄にしないでくれた。

 裏方(おれ)が作ったものを、最高の作品にしてくれた。

 主演(きみ)はもう、俺の頑張りに報いてくれた。

 かっこいいぜ、百城千世子。

 

「じゃ、飲み物くらい奢らせてよ。

 この自動販売機のラインナップだと……いちごオレが好きだったっけ?」

 

「ああ、最近飲んでませんでしたが、小学生の時一時期めっちゃ好きでしたね俺」

 

 ん?

 

「あれ、あの頃、百城さん芸能界にいましたっけ?」

 

「いたんじゃない?」

 

 いたっけか。

 会ったような、会ったことなかったような、いや会ったことあるような気がする。

 俺が忘れてるだけか。

 相手が覚えてんのに俺が忘れてるって大分失礼だな……気をつけよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私は……百城千世子は、昆虫と、他人の横顔が好きな変な子供だった。

 

 誰かに見られてるなんて思いもしていない人の横顔が、好きだった。

 私に見られていると気付いていない、無意識の表情を盗み見るのが大好きだった。

 

 けど、それは周りの子供達にとっては気持ち悪いものだったらしい。

 そりゃそうだ。

 誰だって自分が気を抜いてた時、自分の顔を盗み見られるのは不快に決まってる。

 

 ふと、思った。

 私の横顔は、どう見られてるんだろう?

 私が見てるなら、周りの皆も私のことを見てるんじゃないか?

 

 そう思ったら、何もかもが怖くなった。

 前を見てると、左右の人が怖い。

 右を見ると、前と後ろの人が怖い。

 私の横顔を見てくるかもしれない他人の目が怖い。

 

 気付けば、逃げるように作り物の世界に没入した。

 現実の世界は子供の頃の私にとって、とても生き辛かった。

 そんな小学校生活の、ある日の夏だったと思う。

 

「朝風英二です。短い間ですが、よろしくお願いします」

 

 彼は転校生としてやってきた。

 私の一学年上の子として、私と一緒の登校班の新入りとして。

 子供なのに、大人みたいな目と、大人みたいな挨拶をしていたのが、どこか不自然で不揃いで、少し気持ち悪かった。

 

 私にとってとても短い、ひと夏の思い出だ。

 

「英二君はお父さんの仕事の都合で日本の色んなところを転校しているの。

 日本の色んなところの話を聞けるかもしれないわ。みんな仲良くしてあげてね」

 

「「「 はーい! 」」」

 

 彼と一緒に登校して、彼と横並びに歩道を歩く。

 横顔をじっと見つめてみる。

 どこか遠くを見ている目が、目の前を見ていない目が、強く印象に残った。

 

 長く見つめすぎたのか、少年はこっちを見た。

 いけない。バレた。気持ち悪がられる。

 横顔を盗み見られたら、皆普通は不快になるから。

 

「あ、あの」

 

「ん?」

 

「……ごめんなさい」

 

 先んじて謝ったけど、少年の反応は薄かった。

 

「俺はそもそも、お前に興味がない。だからどうでもいい」

 

「……え」

 

「話は終わりか?」

 

 私を見る目。

 私はその目を知っていた。

 虫が好きな私は知っていた。

 この目は、人間が興味のない虫を見る時の目だ。

 

 この人は、私に毛の先ほどにも興味を持っていない。

 今の会話も多分、目の前を飛んでる虫を優しくどけてやったくらいの気持ちだったんだ。

 

 ある日、教室で一人で机に向かっている彼が、木を何かで彫っているのを見かけた。

 

「何をしてるの?」

 

「造形」

 

 少年は、物を作る人だった。

 木を削って、削りカスが教室に落ちないように集めて捨て、木に塗装して、人形を作る。

 朝一番に教室に来て物を作って、真面目に授業を受けて、休み時間に物を作って、昼休みもずっと机で作業をしていて、放課後もずっと教室に居た。

 先生が違和感を覚えて、そんな彼に声をかけたのを見たことがある。

 

「英二くん、帰らなくていいの? お父さんとお母さんが待っているわよ、きっと」

 

「待ってるでしょうね。

 でも俺は早く帰らない方がいいんです。

 母は父と二人きりの時間を好んでますから。

 俺が帰ると、母は俺に優しくしないといけなくなります。

 それなら俺はギリギリまで学校で時間を潰して、二人きりの時間を作ってあげたいのです」

 

「……英二くん」

 

「子供の面倒を見るのは、僅かであっても、母と父の負担になると俺は考えます」

 

 淡々としていた。

 悔しさとか、寂しさも見えなかった。

 ただ、なんというか、『自分の幸せなんかよりも大切なものがある』人というのは、ああいうものなんじゃないかと、幼い頃の私は思った。

 

 非人間。

 クラスメイトと話もしない、物作りにしか興味がない怪物。

 意味が分からないけれど……彼は、18歳になった今よりも子供の時の方が、ずっと"仕事以外に何もない人間"だった。そんな気がする。

 その頃の私は知らなかったけど、小学校一年生の私の前に現れた頃の彼は、既に撮影所に入り浸るようになってから五年が経ったような怪物だった。

 

 ただ、この怪物は、他人に頼まれると断らない人だった。

 断れない、じゃなくて断らない。

 "他人のために物を作る"ことを当然だと思っているような人だった。

 

「プリキュアつくってー!」

「ドラえもんつくってー!」

「仮面ライダーカブトハイパーフォームパーフェクトゼクター持ちつくってー!」

 

「ああ、いいぞ。ただし先に頼んだ人のをまだやってるから、少し時間はかかるぞ」

 

 木を拾って、削って、ペンで塗装して、子供達に渡していく。

 子供が望めば何でも作ってあげる彼は、クラスの魔法使いだった。

 担任の先生まで可愛いキャラの人形を貰っていたのが、とても印象に残っている。

 別クラスに上級生から下級生までクラスに集まって、彼のクラスはいつも大騒ぎだった。

 

 信じられないことだけど、クラスの子供達はみんな誰も彼と友達じゃなかったのに、彼のことが好きだったと思う。

 なのに彼は周りのご機嫌取りをやっているつもりなんてなくて、技を磨く修行の一環だと思っていたらしい。

 彼の木彫りの腕は最初から上手かったのに、ぐんぐん上達していった。

 

 彼が誰とも人間らしく話をしていないのがなんだか怖くて、ある日思い切って、私は彼のクラスに行って話しかけた。

 

「虫の話、できる?」

 

「虫の話? ……そうだな。うちの親が仕事してる、仮面ライダーのモデルの話でも」

 

「仮面ライダー……日曜日の?」

 

「そうそう。ちょうどカブト*1完結してたしさ」

 

 今は虫が好きで、昔は昆虫が好きだった私は、当時から仮面ライダー等のモチーフ知識を集めていた彼と話が合った。

 初代仮面ライダーはバッタだったらしい。

 知らなかった。

 彼もまた、私が知っているマイナーな虫に興味を持ち、モチーフにするために図書館に調べに行ったりしていた。

 それが彼の助けになったのなら、今更になって誇らしい。

 

 彼の能力がクラスで期待されたのは、当然図工の時間。

 上級生と下級生合同の図工の授業で、クラスメイト達が注目する中、彼は紙にペンを走らせるだけでも上手かった。

 周りに頼まれると、クラスメイトの似顔絵を頼まれた分だけ上手く描いてしまうのが、とても彼らしいと思った。

 

 その頃の私は、絵にデザインを起こして、それを実物として形成していくっていう特撮造形の流れを、彼が学校で訓練していたのだと感づいてもいなかった。

 むしろ、自分の絵が彼と比べて下手だったことを恥じていたはずだ。

 恥じ入るだけだったはずだ。

 けれど彼は私の絵を見て、笑わなかったし、バカにもしなかった。

 

「良いと思うよ。俺は美しいと思う。だって、魂込めて描いたってことは伝わってくるから」

 

「え……」

 

「美しい作り物は魂がこもってるものだけだと、母さんが言ってた」

 

 魂。魂? 作り物に?

 

「その人が作ったってことは、その作り物はその人の一部なんだぜ。父さんが言ってた」

 

 私の一部? 私が作ったものが?

 

 よく分からないまま、日は進む。

 ある日の朝、たまたま教室に彼だけがいるのを見た。

 学校構造上、私は自分の教室に行く途中で必ず彼の教室が目に入る。

 彼が座って作業をしている横の席に腰を降ろして、彼に声をかける。

 

「朝風くん」

 

 彼は少し困ったような顔をした。

 

「ええと……ごめん、名前なんだっけ?」

 

「えっ」

 

 なんと彼は、私はもちろんのこと、クラスの誰の名前も覚えていなかった。

 彼は毎日何を作るか、どう作るかを考えていて、その合間に他人とした話をすっかり忘れてしまうような人なんだと、私はその時ようやく気付いた。

 たぶん、私との会話もほとんど覚えてない。

 

「……あ、あー。もしかして絵の子?」

 

 なのに、私が描いた絵のことは覚えている、そんな人だった。

 私のことは覚えてないのに、私の作ったもののことは覚えている。

 クラスメイトの名前は覚えてないのに、クラスメイトに作ってほしいと頼まれたもののことは一つも忘れない。

 頭のスペックの全てを物作りに振って、何もかもから貪欲に吸収しようとする子供。

 私は思った。

 

(今の私が、今のこの人と友達になるなんて、絶対に不可能だ)

 

 ほどなくして彼はまた転校していった。

 また親の仕事の都合らしい。

 彼の友達はクラスに一人もいなかったが、彼が転校する時、クラスの子供達の誰もが彼との別れを惜しみ、彼を熱い言葉で送り出していた。

 子供達の手には、彼お手製の木彫りに塗装した人形、彼が描いた子供達の似顔絵があった。

 

 彼はたった一ヶ月で、子供達の心から一生消えない記憶を刻んでいった。

 その物が皆の手元に残っている限り、誰もが彼のことを忘れないだろう。

 友達ですらなかったというのに、きっとずっと忘れない。

 私もまた、彼が好きな飲み物の話を覚えていたりするんだろう。

 

 彼が信じたものが何なのか、私にも少し分かった気がした。

 

 生き辛い現実が戻ってくる。

 いや、私が彼を見ていて忘れていただけで、現実はずっとそこにあった。

 横顔を見られるのが怖い。

 そういえば彼は横顔を見られることを嫌がってなかったな、と思い出す。

 今なら分かる。

 

 私が、人の横顔が好きで、人に横顔が見られているのが怖くなった人間なら。

 彼は物作りが好きで、物作り以外に興味がない。

 好きなものが価値観の底にある者同士と気付くと、彼が転校した後だと言うのに、彼という人がどんな人だったのか理解できてしまった。

 

 物作りの彼がいなくなってからも、映画の世界の作り物の虚構に溺れる。

 そんな私は。

 ある日、あの人に出会った。

 

「役者に向いてる」

 

 私の頭を撫で、スクリーンの向こうの憧れだったその人は、私にそう言ってくれた。

 当時押しも押されもしない大女優だったあの人は、私を褒めてくれた。

 嬉しかった。

 あの人に憧れて、星を目指すように、私は走り出した。

 

「頑張ろう」

 

 自分に言い聞かせ、できることは何でもやった。

 

 表情の作り方、言葉の選び方、服装、所作、体型、全てを調整(コントロール)した。

 監督、カメラマン、美術、音楽、そしてそれらの人が使う道具についても熟知した。

 SNSを利用しエゴサーチを繰り返し、統計を繰り返し、演技を微調整して人々が私に抱く印象を意識的に作り上げた。

 寝ることも忘れ、観客(たにん)の望む私を作る作業に没頭した。

 努力は、数字になって返ってきた。

 

 生き辛かった世界は、生きやすい世界に変わった。

 私に被せる"私"という仮面を作る作業は、きっと楽しかった。

 大衆のための仮面の強度を上げれば上げるほど、私は一人になってゆく気がした。

 それでもいいと、そう思えた。

 

 そう思う自分を主観的に見ても、客観的に見ても、女優は天職だと思った。

 

「朝風英二です。よろしくお願いします」

 

 天職の私がこの世界にいるんだから、同じく天職を得ている彼がこの世界にいるのは当然。

 だから驚くよりも先に、納得していた。

 ある日突然に撮影で彼と出会っても、驚きを顔に浮かべずに済んだ。

 

「ふふっ」

 

「どうしました?」

 

 私のことを全く覚えていない彼を見て、まずひと笑い。

 仕事に集中するとこちらを見もしない相変わらずの集中に、またひと笑い。

 彼が作ったドラマ用の特別衣装を見て、私の笑いは止まって、作り笑いに切り替える。

 技量の上昇が凄まじい。

 ……あの頃作っていなかった服、あの頃扱っていなかった布で、これだけの仕事ができるなら、他はどんなことになっているのか、少しワクワクしてしまった。

 

 久しぶりに会って、人間らしくなったなあと思った。

 あと、なんだかからかうと可愛い反応を見せるようになった気がする。

 背も伸びてなかったなあ。

 でも昔と違って、遠い目じゃなくてちゃんと私のことを見てくれる目になっていたから、それはよしとした。

 

 次第に、撮影で彼と絡む機会が増えていく。

 彼が出世したとかではなく、私が新人から徐々に成功していくにつれ、どの現場でも重宝される彼と会う機会が増えてきた、という話。

 

「百城さんの演技や振る舞いは、一から十まで綺麗ですね」

 

 そう彼に言われて、部屋に帰ってから、私は一人笑ってしまった。

 彼は私に好意的。

 それ自体は悪い気はしない。

 でも彼が私に好意的なのは、私の普段の顔が全部作り物だからだ。

 24時間365日、私は『普段の自分を演じる』ことで日常を過ごしてるからだ。

 巧みな技術で作られた作り物を、彼はいつだって愛し、称賛し、その作り物を作るのに使われた技術と時間と努力を褒める。

 

 だから、彼は私に好意的だ。

 だから、彼は私の仮面に好意的だ。

 それはきっと、彼がこれまでの人生の多くの時間を物作りのために使ってきたのと同じように、私もこの仮面を作るのに人生の多くの時間を作ってきたから。

 

 作り物と本物の違いが分からないはずがない。

 彼はプロなんだから。

 私が知る限り、作り物の世界で最高のプロなんだから。

 彼は私の仮面がそこにあることも、仮面の上に仮面を被って演技をしていることも、その下には私の素顔があることも、全部ちゃんと分かっている。

 

 彼が私に好意的なのは、私が仮面を常に被っているような女だから。

 私が人生をかけて作り上げたこの仮面を、私の人生ごと肯定してくれているから。

 忘れてはいけない。

 私が忘れることはない。

 彼は"人がものを作る"ということそのものを肯定する、物作りの達人だっていうことを。

 

「百城さんの笑顔は芸術ですよね」

 

 英二君がそう言って、一緒にいたアキラ君がなんでかびっくりしてたことを覚えてる。

 

 この言葉は額面通りに受け取るものじゃないよアキラ君。

 "あなたは綺麗ですね"って意味で受け取っちゃいけない。

 芸術は、誰かが作るものだよ。

 技を磨いて、センスを磨いて、人が意識的に作るものが芸術だから。

 私の笑顔を芸術だと言った彼は、とてもよく私のことを分かっていると思った。

 

 私の作り笑顔が気にならないの? と、つまらないことを聞いたことがある。

 

「百城さんの作り笑顔は美しいから、それで良いんじゃないですか?」

 

―――良いと思うよ。俺は美しいと思う。だって、魂込めて描いたってことは伝わってくるから

―――美しい作り物は魂がこもってるものだけだと、母さんが言ってた

―――その人が作ったってことは、その作り物はその人の一部なんだぜ。父さんが言ってた

 

 彼は十年経っても同じことを言っていた。

 どうやら私の仮面には、ちゃんと魂がこもっているらしい。

 少し、ほっとした。

 

 彼は物を作ることにばかり興味があって、他人の物作りを真似して、他人が作った作品(もの)を褒め讃えて、作り物の世界に現実の自分の全てを費やしても構わない人間だった。

 

 彼は"百城千世子が作った"ものを、同じような台詞で褒めていた。私の絵も、私の仮面も。

 

 私は嘘だらけかもしれないが、彼は子供の頃からずっと、私に対して正直な気がする。

 

 彼を信じて裏切られたことは、一度もない。

 

 

 

*1
2006年開始の仮面ライダーカブトは、登場仮面ライダーのモチーフがカブトムシ、クワガタムシ、スズメバチ、トンボ、サソリ、バッタなど虫で統一されている。虫統一でこの数のライダーが登場するというのは非常に特徴的。スーツのデザインも極めて秀逸。




 学校、それすなわち無限のリクエストが来る場所で、それに対応可能な底なしの対応力と応用力を得られる修行場です

 通りすがりの造形師だ、覚えておけ!

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