ノット・アクターズ   作:ルシエド

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見る目がある、ということ

 スターズ事務所に入る前、俺のスマホが鳴った。

 さて誰だ、と思えば、表示された番号は黒さんのそれ。

 アリサさんに会う前で良かったな、と思いつつ電話に出る。

 

『お前、今どのくらいまで腕が上がった? 親父は超えたか?』

 

 黒さんはいきなり、そんなことを言ってきやがった。なんだ藪から棒に。

 

「父は、まだ超えてないと思います」

 

『早く超えとけ。余計な部分は全部お前に任せる』

 

「どうしたんですか? 任せるって? 話が読めないのですが……」

 

『前から撮りたかったやつがあってな、武器が揃った』

 

 前から撮りたかったもの、ね。

 思わせぶりなことだけ抽象的に言ってんじゃねえぞコラ。

 まあ映画のことだろうから分かるけどよ。

 

『お前の育て方なんざ俺には分からん。

 放っておいても勝手に成長するお前の性格に期待しておく』

 

 このタイミングで武器が揃ったって話は、多分あれか。

 

「夜凪景ですか?」

 

『なんだ、もう知ってたか。耳が早えな』

 

「オーディションで一人、女優を諦めた人がいたらしいですね。

 審査でもグランプリ候補だったのに、途中で棄権したらしいじゃないですか。

 顔も悪くなくて、劇団経験も長い。

 そんな人が……長年努力してきた人が……夜凪さんの演技を見て、心が折れた」

 

『ああ、夜凪は"本物"だ。あいつを見て自分を"偽物"だと思う奴は多いだろうな』

 

 この世界は、才能の世界だ。

 そして、才能だけでやっていくことが難しい世界でもある。

 頑張った子役は、途中から業界に入ってきた天才に追い抜かされて消えていく。

 努力を怠った天才は、大ブレイクした後に伸び悩んで消えていく。

 皆、心を折られる。

 何かが折れて消えていく。

 折るのは世間の声だったり、自分の無力さだったり、そして天才だったりする。

 

 "天才になれなかった"人達は消えていく。

 それを寂しいと思うのが俺で、さして気にしてない人がこの人だ。

 

「子供の頃、太川茂樹*1さんに頭を撫でてもらったことがあります」

 

 あの頃の俺は、なんで胸の奥が暖かくなっていたのかも分からなかった。

 周りの仕事を真似するばかりで、周りを見てなかった俺には分からなかった。

 今なら分かる。

 貰ったあれは優しさで、俺の胸に湧いたものは憧れだった。

 俺自身がそれを分かっていなかっただけで、それを確かに感じていた。

 

 テレビの中のヒーローは、テレビの中で子供に夢と勇気をくれて。

 舞台を降りた俳優は、カメラの前じゃなくても子供に夢と優しさをくれる。

 日本の特撮ヒーロー番組で、ヒーローを演じた人達のほとんどは、普段の日常の中でも子供に見つかると、子供達の前ではヒーローとして振る舞うという。

 こんな映像業界、他にそうそうないだろうよ。

 

 そういう人達の演技が夢を与えるものなら、夜凪さんの演技は、それは……そいつは、本当に俺が知ってる夜凪さんなのか?

 

「俺の知る人達の多くは、テレビの中で見る人に夢を与えていました」

 

『ああ、そうだな』

 

「見た人に夢を諦めさせる演技をする女優……それは、なんというか」

 

『安心しろ』

 

 何を安心しろってんだ。

 

()()に憧れるような人間もいるだろうさ。

 とびっきりの天才か、何も分からない無能か。

 少なくとも子供は、いつか銀幕に映る夜凪に憧れるようになる。そこは間違いねえ』

 

 それは現在の話か? 成長した後の未来の話か?

 

 ……大女優を目指す者の心を折るようなレベルの演技で、子供に憧れられる演者か。

 

『憧れも畏怖も変わらねえよ。天才が凡人に見上げられる、ただそれだけの話だ』

 

 見上げる、か。

 手が届かない星に手を伸ばすように、足掻き続ける人もいる。

 その途中で折れる人もいる。

 

 アリサさんのスターズが、人工の星を並べた夜空なら。

 黒さんが作る夜空は、本物の如き星を並べた本物の夜になるに違いねえ。

 人工の星を超える、『本物の夜』か。

 ヤベえな。

 "ヤバいレベルの演者なんじゃないか"とちょっとハラハラしてたが、黒さんのこの自信たっぷりの声を聞いてると、ワクワクしてきた。

 

「聞いた話だけだと、アリサさんが嫌いなタイプの役者だと思いますが」

 

『あのババアと役者のタイプが似てるからだろ。ったく、審査私情で落としやがって』

 

「……」

 

『なに、俺は何も心配してねえよ。

 少なくともお前に関してはな。

 あのババアが敵になるとしても、お前が敵になることはねえ』

 

「俺、業界的にはスターズ派閥と思われてる人間なのですが、何故そう思ったんですか」

 

 フリーランスだけど結構恩売られてるんだぞ俺。

 あんたとスターズならスターズ選ぶ気がするわ。

 何を根拠に言ってんだ。

 

『お前は"それ"を美しいと思ったなら、絶対にそれの敵にはならねえからだ』

 

「―――」

 

『お前は夜凪に惚れ込む。絶対にだ。一億賭けたっていい』

 

 ……ねーよ。

 

「親父が時々言ってたんですよね」

 

 ただ、興味は湧いた。アリサ社長がオーディションの撮影とか持ってねえかな?

 

「『いい仕事をしたいなら、信頼できるキチガイを探せ』って」

 

 キチガイな時点で信頼できねえだろ、と当時の俺は思ったが。

 

 色々見てきた今となっては、親父が言ってたことの意味は、なんとなく分かるようになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、社長室にて、アリサさんが撮影させていたオーディションを見て。

 

 夜凪さんを見て。

 

 俺は、言葉を失った。

 

「―――」

 

 いつの間にか拳を握っていた。

 握っていた拳は、自然と出た手汗を握りしめていた。

 

 冷や汗が流れてる。

 シャツが肌に張り付いていて気持ちが悪い。

 

 目が痛い。

 どうやら一回もまばたきをしてなかったみてえだ。

 

 呼吸を再開する。

 自然と息を止めていたのは、彼女の演技に見惚れていたから。

 

 心臓がバクバクいっている。急に呼吸を再開した肺が痛い。額の冷や汗が目に入った。

 

「もう一回、見てもいいですか?」

 

「いいわよ」

 

 凄え。

 なんだ、この演技。

 何の技術もくっついてないが……未熟かもしれねえが……目が、離せねえ。

 通常の技術論が全く息づいてない演技。

 だからこそ分かる。

 

 この子は、『破壊者』だ。

 自分の登場以前を全て過去のものにしちまう、全てを破壊し全てを繋ぎ、"自分のやり方"で業界も世界も変えちまう、とびっきりの天才。

 演技を見て、それがひと目で分かった。

 

 オーディションの流れはこうだ。

 まず、夜凪さん、和歌月さん、桃野さん、それと……舞台の方の仕事で見た若い人だなこれ。

 四人が会場に入れられる。

 和歌月さんはほどよい緊張が最高の能力を発揮すると知ってて、その状態を保ってる。

 桃野さんこれ何も考えてねえわ。リラックスしすぎ。

 演劇舞台の方で前に見たこの人は、逆にリラックス状態を程よく保って微笑み、審査員の心証を良くしてる。真面目な表情の和歌月さんとは対象的だ。

 夜凪さんは……ぼーっとしてんのかこれ?

 

 お、会場にアリサさん、黒さん、アキラ君、夜凪さんの弟妹さんもいる。

 家族同伴とか型破りだな。

 この映像の視点からして、カメラマンとカメラ補佐、他審査員もいるな。

 

 そこに、アリサさんが『野犬』ってお題を出す。

 黒さんがそこでシチュエーションを説明。

 夜凪さんが主役じゃなかったのは、その瞬間までだった。

 

 夜凪さんが動く。

 夜凪さんの周りの雰囲気が変わる。

 夜凪さんが"イメージの野犬"を見て構える。

 それが、世界を塗り潰しやがった。

 

 周りの審査員も、桃野さん達も、夜凪さんがイメージした『森の中で野犬と睨み合う夜凪景』ってシチュエーションを幻視してる。

 森もねえ。

 野犬もねえ。

 なのに全員夜凪さんと同じ森を見て、野犬を見てやがる。

 

 この撮影に映ってる全員の視線に線を引いて見りゃ分かる。

 全員の視線が一点で交わるはずだ。

 だって、そこに夜凪さんが演じて見せてる野犬がいるんだから。

 ……ああ、ヤバい、見てるだけで胸が高鳴る。

 

 つか、こりゃ駄目だ。

 もうこの時点で、夜凪さん以外の出演者の勝ちは消えてる。

 だってそうだろ。

 夜凪さんのイメージに沿って演技して、夜凪さんの演技が作った森と野犬を前提に演技して、夜凪さんがイメージした通りの野犬に合わせて演技する。なんだそりゃ。

 

 お前ら全員、自覚なく全員『助演』になっちまってんじゃねえか。

 ……和歌月さんと桃野さんですら、無自覚に助演に押し込まれたのか。

 主演のつもりの共演者を、一瞬で全員助演に押し込みやがった。

 なんだ、この、夜凪さんの、これ。

 

 桃野さんは野犬に怯えた女の子の芝居をしてる。

 まあそれも正解だ。

 ただそれじゃ動きがねえから演技力のアピールにならねえだろ。

 

 和歌月さんはなまじできることが多いせいで判断が遅れてんな。

 色々できるのに、何もできてねえ。

 桃野さんを野犬から庇う演技を咄嗟に見せたのは百点やりてえとこだが、そこで自分から状況動かそうって気配が見られん。

 

 正直、採点するならこの舞台俳優の人が比較的高得点だな。

 夜凪さんの演技に合わせようとしてる。

 舞台演劇で助演に慣れてんのか? 『主演・夜凪』に一番合わせられてる空気はあるわ。

 誰だっけな、どっかの劇団で見た気がするんだが。

 

 そこで夜凪さんは噛みつかれる演技をして、野犬と戦う演技をし、逃げる野犬を幻視させる。

 そして野犬から家族を守る演技をして、幻の野犬を倒した。

 それで、オーディションはおしまい。

 

 審査員が拍手して、桃野さんや舞台演劇の人が拍手する。

 夜凪さんだけが拍手と称賛に包まれる。

 あー、これで「君が合格」って言われたら、和歌月さんも引きずるわな。

 

 ……これはヤバいな。

 夜凪さんの最初の方の演技見て、それに咄嗟に合わせた他三人の優秀さが霞む。

 あの一瞬でそれぞれ対応したなら、他三人の下地の能力が低いわけじゃねえってのに。

 

「演じる役柄に応じて、その感情と呼応する自らの過去を追体験する演技法。

 これを、『メソッド演技』と言うわ。

 彼女はそれを極めている。

 このレベルになると、もう本人でも表出させた感情をコントロールできていないでしょう」

 

 メソッド演技。

 そいつが、夜凪景の演技の凄まじさの源泉。

 『本物の感情にしか見えない迫真の演技』の正体か。

 いや、これはもう、それだけで語れるもんじゃねえな。

 

「ですが、メソッド演技はほんの一面的な凄さにすぎませんね、これは」

 

「気付いたことは全て言いなさい。朝風」

 

「アリサさんが『野犬』というお題を出したのは何故ですか?」

 

「メソッド演技は自分が体験したものしか演じられない。

 よって、見たことがないもの、未体験の事柄は演じられないわ。

 野犬を例に出せば、野犬を見る機会もない現代の子には演じられないと思ったの」

 

「そうです、それです」

 

 映像の再生位置を調整して、アリサさんがお題を出した直後、黒さんがシチュエーションの説明をしたところから再生する。

 

『お前達は深い森へ迷い込んだ。

 野犬に出逢うとは運が悪かったな。

 鋭く尖った瞳、牙、爪……

 全てがお前達に向けられている。ああ……あと。そいつ腹空かせてるぞ』

 

 黒さんの説明は単純明快。

 この短い説明から、夜凪さんは迫真の演技に入り、周囲の人間全てに野犬と森を幻視させた。

 

「彼女は野犬を見たことが無かったんだと思います。

 でも説明され、それを具体的に周囲に見せるほどの名演を見せました。

 彼女はここで自分の過去の体験をほぼ使ってません。

 もしかしたら怖いものを見た記憶くらいは使っているかもしれませんが……

 過去の経験の追体験が一切無い以上、これは実のところ、メソッド演技ではないです」

 

「そうね」

 

「メソッド演技が後天的に極められたものだとしても……

 この、周囲全ての人の意識を引きずり込むような演技は、彼女の才能です」

 

 マイムの本領は、「そこにいないはずのものが見える」だ。

 これの最大の長所であり欠点は、『観客の想像力に依存する』という点にある。

 夜凪さんの演技は、このマイムの究極地点に片足を踏み入れていた。

 系統的なマイムの技術を、全く使ってなかったのに、だ。

 

 メソッド演技で深く深く役に入り込むこともそうだが、そこから繰り出される演技がとてつもなく恐ろしい。

 

「アリサさんが『野犬』という曖昧なお題を出したのが効いてますね。

 野犬、というイメージだけなら、犬種も大きさもバラバラのイメージがなされます。

 審査員も演者も、『野犬』のイメージは人ごとにバラバラですから。

 ところが夜凪さんが演じて見せた野犬の姿、全部一緒なんです。

 全員同じ形の、同じ動きをしてる野犬を見ています。イメージが統一されてるんです」

 

 それぞれが違う『野犬のイメージ』を持ってるってのに、その全員に同じ野犬を見せる演技ってのは、一体全体どういうことなんだ、オイ。

 

「観客の想像力が、この野犬を見せてます。

 なら人の想像力の数だけ違う野犬が見えるはずなのに。

 夜凪さんの圧倒的な演技が、一つの解釈以外の野犬の姿を許さない。

 観客の想像力を支配してるんです。

 あまりにも大型な野犬だと、夜凪さんと喧嘩して野犬の方が逃げる演技が成り立ちませんから」

 

「ええ、そうよ。恐ろしい才能だわ」

 

 観客が創造した"それ"は、現実の何よりも美しい、と言われる。

 ロード・オブ・ザ・リング*2は昔、映像化不可能と言われていた。

 そう言われていた理由は、小説の出来があまりにも良かったからだ。

 小説を読み、読者が頭に浮かべたあまりにも美しい光景を、現実の特撮映画が絶対に超えられないと確信されていたからだ。

 

 創作者、演技者に、客の頭に何よりも素晴らしい光景を浮かべさせる技量が有るならば、そうすることが何にも勝る想像の創造となる。

 

 観客の想像力に依存するこれは、成功すれば最高のもんになる。

 だが失敗すれば、観客の目には何も映らない、想像力が何も映さない、最低最悪のもんになる。

 世の中ってやつは、意外と理解力のねえ奴が多い。

 それが悪いってわけじゃねえ。

 ただ、理解力の高低って奴がある以上、作品はバカにも分かるようにしなきゃならねえ。

 "子供にも分かるような作品作り"ってのは、本当に重要なんだ。

 

 そう、子供にも分かるようにすんのが、重要なんだ。

 

「夜凪さんの弟さんと妹さんがいますね」

 

 映像の再生位置を調整する。

 

『おねーちゃん、すごかった、ちょー面白かった!』

 

 レイちゃんとルイちゃんが、興奮した様子で演技直後の姉に歩み寄っている。

 いや、もう、なんつーか。

 すげえわ。

 

「夜凪さん、多分野犬見たことないですよね。反応見るに」

 

「そうね。現代の街暮らしで見ることはまずないわ。

 黒山が野犬の説明をしたせいで、上手くいかなかったけど……」

 

「姉がそうですから、同一の環境で育った弟妹もそうだと思われます。

 この姉弟達はそもそも野犬を見たことがなくて、イメージが持ててません」

 

「それがどうかしたの?」

 

「凄かった、面白かった、とこの子らは言ってます。

 この子らにも野犬が見えてるんです。

 夜凪さんが()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()んです」

 

「―――」

 

「この子らは後でテレビで野犬を見て、こう思うんでしょうね。

 ()()()()()()()()()()()()()()って。

 夜凪さんに噛み付いた野犬なんて、物質的にどこにも存在しないのに、です」

 

 この質の演技で"子供にも分かる演技"とか。

 子供レベルの想像力があれば分かる演技とか。

 なんだお前、それどうなってんだ。

 思わず、俺は息を飲んだ。

 

 表現力は、まだ意識的に使いこなせてるとは言い難いが、それがなくても「周囲の人間の心を意識的に引きずり込む」ことができないだけだな。

 一度引きずり込めれば、海の底に沈めるように観客の心を捉えて離さねえ。

 きちんと表現技法を駆使すりゃ、夜凪さんの芝居は化物の領域に到達する。

 

 感情表現の表現力は技術だ。

 本来、専門の先生についてしっかり学んだ方が良い。

 ただ夜凪さんのこの演技を見る限り、少し精神的な姿勢を変えただけで、意識的に表現技術を操れるかもしれん。

 

 見た限り、この人は本能で芝居をしている。

 この人は、何かに気付くだけで爆発的に成長するタイプだ。

 コツコツとした下積みじゃあなくて、コツを掴んで一瞬で成長するタイプだ。

 

「この人、感情を伝える技とか、意識的に使えてませんが内側に秘めてるみたいですね」

 

「でしょうね」

 

「声です。

 声がよく聞こえます。

 普通、大きな感情に引っ張られた人の声は聞き取りにくいです。

 激怒した人の怒鳴り声などがそうですね。

 ですが夜凪さんは、メソッド演技にありがちな欠点がありません。

 感情に身を任せているのに、発する言葉がとても聞き取りやすいです。

 名作映画の迫真の演技のような、周りにちゃんと聞こえる発声ができてますね」

 

「発声はまだ甘くないかしら」

 

「問題点はメリハリくらいですよ。

 『迫真の演技に相応』の発声ができてるなら、後は天井知らずに上達するだけです」

 

 夜凪さん、いい発声の癖してるな。

 幼い頃から名作映画をよく見てる人は、こういう声になる。

 人の耳によく届く声、不快にならない声、感情の乗った声を『映画の真似』で自然と身に着けていくからだ。

 

 ただの一般人はこうはならねえ。

 人間の耳は結構適当だから、ちょっとくらい適当な言葉の使い方をしても、発言の意図は伝わりやすい。

 だから一般人の言葉は実はかなり適当に使われてやがる。

 例えば、『ひ』と『し』が混合されてるパターンってのがクソ多い。

 

 夜凪さんには、そういうのが全くねえ。

 メソッド演技タイプなら感情で言葉が聞き取りにくくなりがちだってのに、彼女の場合は言葉にちゃんと感情が乗ってるのに、言葉が聞き取りやすい。

 発声部分ってのはちょっとでもミスがありゃツッコまれる部分で、こいつができなきゃオーディションなんざ無理、なのに長年の訓練が必要なもんなんだが。

 すげえ。

 すげえわ。

 何年レッスン受けても棒っぽい演技しかできない声優だって世の中にはいるんだぞ?

 

 あんた、どういう才能してるんだ。

 

「子供にも分かる演技。

 子供にも聞き取れる発声。

 完璧ですね。

 子供に分かるってことは、誰にでも分かるってことです。

 表現力のバランスが悪いものの、強烈に伝える表現力はありますね。

 とんでもなく膨大な感情を伝えられるものの、その伝達力が汎用的でない感じでしょうか」

 

 多分、彼女に誰かが『バカにも分かるようにやれ』って言ったな。

 その影響で夜凪さんの自己満足的な、自分の内側に潜行するような"深い"芝居が、オーディション会場に満ちて伝わる程度の芝居になってる。

 バカにも分かるように伝わる芝居ってのは、周りが分かる芝居、周りに伝わりやすい芝居ってことだ。

 

 自分一人で完結するような夜凪さんの芝居を、誰かのほんのちょっとのアドバイスがいい方向に誘導してる、それが目に見える。

 

「あ、ここ足の動きが僅かに変ですね。

 多分これ、森の中で根っこを踏んでしまった表現です。

 これは多分メソッド演技の一環でしょうね。

 森を歩いていて木の根を踏んでしまった時の体験を再現した、"迫真の演技"です」

 

「でしょうね。こういった細かな演技が、野犬を見たことがない子供にすら、野犬を見せる」

 

「夜凪さん……これはもう、筆舌に尽くし難いレベルの演技だと思います」

 

「……」

 

「マイムは、そこにないものを見せる技術です。

 ですがそれにも限界はあります。

 コップを持って触れる演技をすれば、観客もコップを幻視するでしょう。

 でも、ビルは無理です。

 マイムで表現しきれません。

 マイムは基本的に、手に持てるサイズ、手で触れるサイズのものしか表現できません。

 動いている動物のマイムも、大半の動きが表現不可能です。

 パントマイムで森や、襲いかかってくる野犬を表現できるわけがないんです。普通は」

 

「でも、彼女はやった」

 

「夜凪さんが構えて、虚空を睨んだだけで、皆"そこに野犬がいる"と思いました。

 皆、腹を空かせて夜凪さんを睨む野犬を幻視しました。

 これ、誰が真似できますか? 俺には無理です。

 無言劇(パントマイム)ですから、夜凪さんは『野犬だ』とすら言ってないんですよ?」

 

 野犬を見たことがない小さな子に野犬を見せる?

 主演のつもりだった共演者を全部無自覚な助演に落とす?

 審査員を含めたその場の全員に、同じイメージの幻覚を見せる?

 狼と睨み合う演技を無言でしただけで、狼をそこに幻視させる?

 

 メソッド演技だけで説明できるか。

 夜凪景は、もはや異能の域にある天才だ。

 ああ。

 クッソ。

 これが、惚れ込むって感情か。

 黒さんが一億賭けるわけだ。

 

 観客の想像力を意識なんてレベルじゃねえ。

 観客の記憶の利用なんてレベルじゃねえ。

 これは、もう、魔法のレベルだ。

 夜凪景の才能は、童話の中の幻想的な光景――誰も見たことのない光景――ですら、観客に見せることが可能かもしれねえ。

 

 観客を引きずり込む『底の深さ』だけで言うなら、もしかしたらアラヤさんを凌駕してるかもしれない……底を覗き込もうとしても、まるで夜の空を見てる気分だ。

 上限が見えねえ。

 果てが見えねえ。

 星よりも高いところにあるのが夜空。

 大きさも、上限も、底も見えねえ。それが夜空だ。

 輝く星ですら、夜を飾るもんでしかなくなる、それが夜空だ。

 

 その底の見えなさに、魅せられる。

 

 尽くしたい。

 一度でいいから、この人の全力を、俺の全力を尽くして引き立ててみたい。

 そう、思った。

 

「朝風。この子に弱点はあると思う?」

 

「弱点だらけだと思いますよ?」

 

「言ってみなさい」

 

「まず、舞台演劇は主演以外全部無理でしょうね。

 目立ちすぎます。

 脇役に置いたら主役さえ食って劇を崩壊させてしまいますよ。

 自分を殺す演技、っていうのがまだできないタイプだと感じました」

 

 弱点なんて、あんたには一番よく分かってんだろ。

 

 現役時代のあんたと夜凪さんは、かなり近い同タイプなんだから。

 

「舞台演劇だと、彼女は自分の役に集中しすぎてしまうでしょうし……

 そうすると、周りの役に合わせられません。

 この"周りの演技に合わせられない"のせいでどこかで絶対失敗しますよ。

 共演者の演技を受け止められないんです。

 百城さんみたいに、共演者の芝居を受け止めて柔軟に演技を変えるのも無理でしょう」

 

 メソッド演技は過去の自分の体験を想起して演技するから、メソッド演技だけだと柔軟性が全くねえんだよな。

 

「表現形式が不親切なのも少し気になりますね。

 分かる奴だけ分かる、って演技の方向に行きそうでそこが怖いです。

 感情が伝わりやすい舞台演劇か、個性を抑えて受けを良くするドラマ演劇か……

 まあどっちかでしっかり技術や方向性を得ておかないと、躓きそうな気もします」

 

 今のままだと、ちょっと噛みあわせが悪いと演技が正確に伝わらないパターンも出てきそうでもったいねえ。

 折角周囲全ての人間に同じイメージを持たせられる豪腕の表現力が有るんだ。

 そいつを正確に周りに伝えてほしい。

 

 この前百城さんを撮ってたセカイ系の映画みてえな、カメラが主演にぴったりずっと張り付いてる映画なら夜凪さんはめちゃくちゃ強えだろうが、そこ止まりになりかねん。

 

「あとは……テレビの連続ドラマ撮影とかがちょっと読めないですね。

 あっちはカットごとにバンバン撮ります。

 悲しみのシーン数秒撮影、次怒りのシーン数秒撮影、次日常のシーンを……

 そんな風にカットごとに小刻みに撮影していきます。

 感情を自分の中に入れる彼女が、そんな風に短時間に頻繁に感情を入れ替えたら……」

 

「壊れるわ。脆ければ、すぐにでも」

 

「感情をポンポン入れ替えて、壊れないかもしれません。

 逆に感情の入れ替えが追いつかないかもしれません。

 撮影スケジュールがギチギチで、頻繁に感情を詰め直すようになったら気を付けましょう」

 

「あの子の味方のような言い草ね、朝風」

 

「知り合いなんです、ちょっとした」

 

「ふぅん」

 

 弱点なら、いくらでもある。

 

「強いて夜凪さんを例えるなら、不器用で演技の深度が深くなった小竹しのぶさん、ですかね」

 

 『小竹しのぶ』。

 業界では伝説級の扱いをされる名女優だ。

 1973年にデビューしてから現在まで一度も仕事が途絶えたことがない、という事実からも、その凄まじさは伺える。

 

 憑依型の女優であり、どんな人間にも『変身』できた怪物だ。

 撮影時に瞬時に涙を流すことができたと撮影スタッフが証言しており、涙腺レベルで身体制御を行うその技術はまさに天才。

 多種多様な女性のドロドロとした感情や情念を演じ分けるその技術はかなりヤバい。

 

 小竹さんが何よりヤベえのは、普段の自分、役そのものになりきっている自分、本当の自分と役の区別がついてない自分を使い分け、スイッチのオンオフのようにそれらを切り替えられるっていうその演劇スタイルだ。

 自分の心と役の心がごっちゃになった状態から、彼女は一瞬で帰ってくる。

 

 ある時期、小竹さんが妊婦役をやっていた時期。

 夜目覚めた時、腹が膨らんでいないのに気が付き、「私の赤ん坊がいない!」と大騒ぎしたっていうエピソードがある。

 足の不自由な役をやった時には、歩き方を完全に頭から追い出したため、家の中で歩けない状態になっちまったっていうエピソードがある。

 

 小竹さん曰く、このレベルの演技は「結婚してなくなった」らしい。

 愛する夫、愛する子供の存在が、小竹さんを『普通』に寄せた。

 逆に言えばそれまでの小竹さんは、それほどまでに()()()()()()()()()()()()

 親父が言ってた『信頼できるキチガイ』ってのは、そういう人種のことを言うんだろう。

 

 俺が見る限り、夜凪さんは意識的に使える技術は素人同然だが、その底無しの『深度』は小竹さんのそれを超えている。

 

「重度の憑依型女優が抱える弱点は、夜凪さんはみんな持ってると思います」

 

「なるほど。ご苦労様、朝風。ちなみに最終的な採点だと、どのくらいになるかしら」

 

「100点満点で100点くらいでしょうか」

 

「……? 夜凪景には欠点があったんでしょう?」

 

「そうですよ。欠点や弱点があるので、減点して100点です」

 

 まあ、まだ未熟だ。

 成長するまでは100点しかやれねーな。

 

「もはや、演じるというレベルでなく……

 魂の底から、自らの全てを加工し、別の者になる。

 本物のまま、最高の作り物に変じる。

 ああいう人を支える仕事ができるなら、俺は死んでも良いです」

 

 良いよな。

 あれは良い。

 夜凪さんの演技の成長のために死ねって言われたら、やってもいいと思えてしまうかもしれん。

 

 アリサさんが、溜め息をはく。

 

「あなたの父親と同じようなことを、同じような女優に対して言うのね。あなたは」

 

 どこか、懐かしそうに。

 

「母親に似なくて良かったわ」

 

 どこか、攻撃的に。

 

 アリサさんの言葉には、俺がした発言と夜凪景に対する、どこか屈折した攻撃性が感じられた。

 

 

 

*1
仮面ライダー響鬼の大人側の主人公・ヒビキを演じた男。子供と動物を愛する俳優。近年、人知れず現実世界でも巨悪と戦い勝利していたことが明らかになったリアル仮面ライダー。

*2
J・R・R・トールキン作の『指輪物語』原作。圧倒的なファンタジー世界観により、世界中の人達を魅了し、現在の創作分野の多くに影響を与えている。




 アクタージュ一話の夜凪は読者に対してもちょっと『その凄さが少し伝わりづらい不親切な芝居』してるフシがありますよね

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