ノット・アクターズ   作:ルシエド

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 夜凪オーディション最終戦終了後、自宅帰還で夜→その日の夜に黒山が自宅訪問→黒山が夜凪のWEBCMねじ込み諸作業開始→翌日朝に夜凪拉致→朝にCM撮影そのまま開始という序盤特有のギチギチスケジュール
 夜凪が家族と「あのヒゲの男怪しくない?」と家族と相談し始めてから夜凪のCM撮影準備開始まで一時間か二時間くらいですかねあれ


ぼくたちには、ヒーローがいる

【11:50】

 

 気が昂ぶって眠れん。

 ここまでテンションが高まったのはいつぶりだっただろうか。

 黒さんとの会話を思い出す。

 

―――張り切ったお前の仕事は速くなったが、雑にはならなかったな。

―――あの速度で安定すりゃもっと上に行けるんじゃねえのか? メンタル次第だが

 

 張り切ってメンタルが安定している時の俺はクオリティそのまんま、速さだけをプラスしていける……らしい。

 上手いまま速くする、ってのが難しいんだが、気持ちが乗ってる時は疲れも感じねえしフルの集中力がずっと維持できてる。

 腕に染み付いた技を過不足無く使える程度の冷静さが頭に残ってると最高だ。

 しかし。

 

「終わっちまった……」

 

 来月末分まで、つーか今受けてた自宅消化用・事務所消化用の仕事全部終わらせちまった。

 なんてことだ。

 やることがねえ。

 そう思うと、ちょっと疲れが出てきた。

 

 昨日の朝にテレビ夕日の方に行って一日中仕事して、3時から6時くらいまで寝て、その後身だしなみ整えてスタッフ塾の応援講師また行って、夕方に一回棘谷*1に顔出して、その日の夜にスターズ事務所でオーディションの話聞いて、和歌月さん達と俺の事務所帰ってスターズ事務所行ってアリサ社長と会って、夜凪家行って俺の事務所にまた帰ってきた。

 そういやあんま寝てねえわ。

 気力は十分なんだが。

 十分な仕事には十分な睡眠が要るな、ちょっと寝るか。

 

 と、そこで鳴る電話。

 死ねって思う俺は普通だと思う。

 この番号は……黒さんか。

 

『お前ちょっと協力しろ』

 

「なんですか、藪から棒に」

 

 食い気味に言うな食い気味に。

 

『さっき……つっても数時間前か、夜凪をうちの事務所に誘った。夜凪だ、分かるな?』

 

「はい」

 

『あいつをな、受けてたCMの仕事にねじ込んだ。

 次の朝……大体九時間後には夜凪をシチューのWEBCMに出演させる手筈になってる』

 

「え?」

 

 えっ、待てや、オーディション終わって景さんちにあんたが行ったの今夜じゃねえの?

 その次の日の朝に景さんのCM撮影の仕事の予定入れたってことか?

 なにそれ怖え。

 景さん誘ってから、プロデューサーとかクライアント企業とかに話通して、使う女優の話通して撮影準備始めて、撮影開始を開始するってところまでを12時間くらいに納めた感じか?

 なにそれ有能。

 こわい。

 

 しかし流石黒さんだ。

 あの不思議な雰囲気の内に芯の強さを秘めたような景さんを説得して、信用させて、あっという間に自分の事務所に所属させることを同意させたってのか。

 そんな交渉力もあったとはな。

 驚いたぜ。

 ただでさえ最近の子は、芸能事務所へのスカウトと偽ってエロ的なアレの撮影に連れてく悪質業者がいるせいで、そういうスカウトをまず警戒してかかるっていうのに。

 

『ところがな。夜凪の前には当然予定してた女優がいたわけだ。

 この女優の事務所がうざってえことに、派手に抗議してきやがった』

 

「割と妥当だと思いますけど」

 

 途中で仕事から蹴り出されたらイラっと来ると思うぞ。

 というかあんた日本だと少し微妙な知名度で国内での監督実績もあんま多くないんだから、頼むから敵作んないでくれ。

 芸能界割と陰湿なところあるんだからよ。

 俺の胃が痛くなりそうだ。

 

『んで、この事務所が工作してるみたいでな』

 

「む」

 

『このままだと夜凪に仕事やれない可能性が高い。

 事務所は当初の予定通り、自分のとこの女優を出したいみたいでな。

 なんかねえか? 俺がそいつを匂わせるだけであのクソ事務所が引っ込むような弱みとかよ』

 

 それはそれは。

 そこまで来るとちと悪質だな。

 CMに誰を出すかの話に黒さんが相当口出したのは事実だとしても、決めたのはプロデューサーやクライアント企業だろ。

 

 つか弱みってなんだ。

 そんな都合のいい話知ってるとでも思ってんのかボケ。

 俺はただの造形師だぞ。情報屋か何かと勘違いしてねえか?

 そういう面倒臭え芸能界の政争を生き抜くために懇意のプロデューサー作っとくとか、そういう人もいるんだぞ。

 なんでただの造形屋がそんなん知ってると思ったんだ? いっぺん反省しておくれ。

 まあ知ってるけど。

 

「心当たりが無い……ってわけじゃないですね」

 

『なんだ、言ってみろ』

 

「その事務所にちょっと怪しい人がいまして」

 

 ちょっと昔のことだ。

 

 仮面ライダー響鬼、っていう2005年の仮面ライダー番組があった。

 大人の仮面ライダーと、その人から多くを学ぶ子供のW主人公形式。

 主役の仮面ライダーであるヒビキさんは子供からの人気も高く、子供の憧れを受け止める大人っつー難しい役を、俳優の太川茂樹さんが見事に演じきったんだ。

 

 ところが2016年頃に突然太川さん解雇の話が出て、太川さんの悪評が流れ始めた。

 事務所が『これは不当解雇ではない、太川はパワハラが酷い問題児だったからだ』と言い始めたからだ。

 

 太川さんがつまらないことでキレてマネージャーを長時間説教し、無理矢理土下座させて頭を靴で踏みつけたとか。

 勝手に仕事を放棄したとか。

 後部座席から運転席をイライラして蹴って、事故が起こりそうになったとか。

 

 『関係者の証言』って形で、コイツはマスコミとネットで一気に拡散した。

 何せ番組の中では人格者な大人の仮面ライダーを演じて、舞台を降りても子供達に好意的な人格者に見えてたわけだからな。

 そのギャップは、皆の語り草になるには十分だったってーわけだ。

 ネットじゃこの人はそりゃもう、人格者を演じたクズってことにされてた。

 

 まあ最大の問題は、これらの証言案件の多くが『事務所の主張』『匿名芸能関係者の証言』以外に全くソースが無いっていうのに、ネットで長年真実のように語られてたこと。

 そしてきっちり調査と捜査がされた上で、裁判所で『こんなパワハラの事実全くねーよデタラメだよ』と断言されたことだ。

 怖っ。

 なんじゃそりゃ。

 この過度の悪評で太川さんは俳優生命ほとんど絶たれたんだが?

 

 当然ながら、当時から疑問の声も少しは出てた。

 「いや普段から素行が悪いなら全くそんな噂なかったのおかしいでしょ」とか。

 「ある日突然わっと悪評が出てくるのおかしくね」とか。

 「あそこの事務所は芸能界のドンの直系だからそりゃね」とか。

 「前もあの系列の事務所、独立した女優に仕事行かないよう圧力かけてたな」とか。

 「事務所の不当要求に逆らったからとかでしょ、太川さん」とか。

 事実とそこから広がる推測が、ぽつぽつと湧いていた。

 

 が、この辺は全然広がらなかった。

 長い間ネットじゃ太川さんが『パワハラで干された暴力男のクズ』という風潮が続き、太川さんを信じる声も少なくなっていったって話だ。

 

 なんでそうなったか、っていうと。

 この事務所の上には芸能界のドンにあたる会社があり、マスコミは結構な圧力をかけられちまったらしい。

 後に第三者組織がここにメスを入れるくらい、やべー事態になっていた。

 

 また、フェイクニュース、事務所側の長期間ネット工作なども疑われてて弁護団と警察が2018年現在も詳細調査中であることが公表されている。

 そりゃネットの一般人も太川さん叩きの怪しいソースの記事を皆信じるわ。

 だって"皆がそう言ってる"って空気出来てんだもんな。

 そこまで行ったら工作しなくてもどうともなるわ。

 

 事務所側は泣き寝入りを狙ってたんだろう。

 大嘘ついてマスコミとネットの両方でゴリ押しすりゃ、一俳優は諦めて折れると思ってたんだろう。まあ普通は事務所が勝つよな。

 が。

 

 恐ろしいことに、太川さんは諦めなかった。

 しかも勝っちまった。

 2018年に「全部デタラメ、太川さんへの中傷は全て事実無根」と完全勝訴報告。

 事務所側の嘘が全てバレ、太川さん(仮面ライダー)にこそ正義があったと判明したのだ。

 

 リアル仮面ライダーかよ……なんだこの人……なんで現実で巨悪に立ち向かって勝ってんの?

 

 んで、それに先んじて各マスコミは誤報を流したことを全面的に謝罪。

 特にヤバかった『丁BS』に至っては、放送倫理機構のBPO(放送倫理審理)が入ることに。

 

 事務所は太川さんが全面的に悪いっつー証拠を提出したものの、ネットのフェイクニュースや週刊誌の創作だってことが判明したり。

 弁護団が太川さんの普段業務の記録、メール内容、各書類、音声記録を提出したため、太川さんが普段から真面目で良心的な俳優であることが判明したり。

 すっげー対照的な裁判になってたんだよな。

 いやもうこれ怖えって。

 なんで事務所を勝たせるため捏造品を作らせ裁判所に出してんだ。

 裁判の途中で、脅されて強要されて知らずに書類の偽造に手を貸してしまったんですって証言と謝罪した人まで出てきたからな。

 

 警察もこの案件のヤバさに気付いたのか、捜査に力を入れることを約束。

 2018年5月17日には、太川さんのブログに殺人予告の嫌がらせをしていた男を逮捕。

 すっげーな社会の悪に立ち向かった男を警察が助けてるぞ。

 リアル仮面ライダーかよ。

 

 そういう事情を、かいつまんで黒さんに話した。

 俺の主観と私情がちょっと入った語りになったが、そんくらいは勘弁してほしい。

 

「噂なんですが、黒さんに妨害仕掛けてるその事務所、この案件に関わってたらしいんです」

 

『ほー』

 

「脛に傷、ってやつですね。

 俺そういうのは変に首突っ込まないで当事者と法に任せるつもりだったんですが……

 ちょっとばかり道を譲ってもらいましょう。

 俺がこの噂聞いたの、『あの事務所の弱点をあの監督が知ってる』っていう話なんです」

 

『どの監督だ?』

 

「この前、百城さん主演で俺が美術監督だった怪獣映画です」

 

『ああ、あれか。なら繋がりはあるんだな』

 

「その事務所の社長が何月何日にヤバい会合に出てた、くらいの話でいいでしょうか」

 

『まああっちの事務所が黙ってくれりゃいい。俺はこういうの向いてねえから任せる』

 

 俺はもっと向いてねえと思うぞヒゲ。

 

「あんまり期待しないでくださいよ。

 あと、俺が詳細聞き出してきてもあんま多用しないでくださいね。

 よその事務所の恨みを買わないことが一番大切なことなんですから、この世界」

 

『だから日本のこの業界嫌いなんだよ。面倒くっせえな』

 

「黒さんの失態で夜凪さんの将来が潰されたりしたらぶっ殺しますよ」

 

 あ、やべ。

 

『……ハハッ! お前がうっかりでもそういうこと俺に言うの何年ぶりだ!?』

 

「……失礼します」

 

 電話切り。

 誤魔化し誤魔化し。

 俺としたことが、とんだ失態だ。クソァ!

 とりあえず景さんの仕事の邪魔を排除しねえと、今何時?

 

【00:20】

 

 確かあの監督、今日は夜通し撮影だったな。

 あそこの第六スタジオの予定表は最近見たから覚えてる。

 急げ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いっけね、結構時間食っちまった。

 スマホで時間を確認。

 

【00:50】

 

 シチューのWEBCMの撮影開始予定時刻が九時くらいだったか。

 七時くらいには話確定しておきてえだろうし、あと六時間ってとこか。

 急いだ方がいいかもな。

 

 スタジオを覗いて確認。

 ふむ。

 例の監督は撮影中だな。カメラが回ってる。

 今は話しかけるのは無理か。

 せめてカメラ止まって休憩に入ったタイミングとかじゃねえと。

 

 他スタジオでも撮影やってんなあ。

 あ、誰か寝てる。

 へへっ、分かるぜ……撮影は呼び出されて「出番が来たら呼ぶから」と言われて三時間スタジオに放置とかあるからな。

 寝れる時に寝ておくんだ。

 衣装部は着替えの時が仕事だし、録音部もあーだこーだとテスト撮影してる時は仕事無いこと多いしな。おつかれさん。

 

 こういう時間も好きだ。

 俺が何もしないで、眺めてるだけで、色んな人が撮影に駆け回ってる。

 必死で、全力で、懸命で。

 撮影現場の人達が、全身全霊で良いものを作ろうとしてるこの空気が好きだ。

 俺が当事者じゃなくて観客になってるようなこの時間も、嫌いじゃねえ。

 

 俺の肩を誰かが軽く叩く。

 振り返って、目が合った。

 湯島茜さんじゃーん。

 

「奇遇!」「奇遇ですね」

 

 あ、同じこと言ってんのに絶妙にハモらなかった! 発音ズレた! 惜しい!

 

「ややわー、ここで会うとは思わんかった。嬉しいわー」

 

「俺もです。撮影ですか?」

 

「朝ドラの室内シーンに脇役で出るんや。ほんま脇も脇やけどな」

 

 源真咲さんもいた。

 ようこんばんわ。ちょっと眠そうだな。

 俳優は俺と違って目の下のクマも致命傷になるからゆっくり寝とけよ。

 

「ども」

 

「こんばんわ、源さん」

 

「お疲れ様っす、朝風さん」

 

 おう俺の名前覚えてくれたんだな。心の中で褒めて使わす。

 ってかオフィス華野の二人じゃねえか。

 二人セットで仕事か?

 

「お二人は一緒の仕事ですか?」

 

「俺は別仕事で休憩時間っすね。ただ、茜さんはちょっとトラブルみたいで」

 

「トラブル?」

 

「なんちゅうかな、撮影中止状態ってやつや」

 

 撮影所はいっつもトラブルの種に事欠かねえな。

 

「茜さんの撮影スタジオでテーブルと椅子の足が折れたらしいんスよ。

 撮影の都合で重いもん乗せる土台にしてたせいでどっちも折れちまったとか。

 代わりのテーブルと椅子も探したらしいんスけどね。

 珍しいもんだったらしくて見つからないんだそうです。

 しかもそのテーブルと椅子で撮影進めてたもんだから、急に変えたくないんだとか」

 

「なるほど、監督のこだわりで止まっているんですね。

 説明ありがとうございます、源さん。助かります」

 

「や、こんくらいなら」

 

 時間に余裕があるってわけじゃないが、あっちの監督に話しかけられるタイミングを待ってる最中だしな。やってやらあ。

 

「分かりました。じゃあ俺が直しておきますよ」

 

「え、そんなん悪いて。英ちゃんそういうとこやで」

 

 どういうとこだよ。

 

「いいんですよ、どうせ手が空いてますし」

 

「そういうとこで賃金と評価と好感度を稼ぎつつ墓穴掘るんやで」

 

「やですね、お金なんて求めませんよ。

 俺は湯島さんが困ってるから助ける。

 撮影が止まってるのが見逃せないから助ける。

 俺は仕事が楽しい。誰も損しないなら、それが一番じゃないですか」

 

「俺はそういうとこだと思うっすね」

 

 あ、源が口笛吹いた。

 おいコラその口笛はどういう意味合いだ。

 夜に口笛を吹くと蛇が来る、って迷信があるからご老人の心象悪くなることがあるんだぜ! 本当に時々だけどな!

 

「案内してください。ささっと直しておきますから」

 

「ありがとさん。また今度お礼するわ。こっちや」

 

 湯島さんに連れられ、湯島さんの撮影現場の監督さんに挨拶して作業に入る。

 

 とりあえずチェック、チェックだ。

 テーブルの方はちょっと凝った構造してるが、大まかにはベーシックな木の円盤に木の棒状の足を四本組み合わせた構造。

 そこにピチッと密着する真っ黒なテーブルクロスをかけて、足も含めた全体が人の目には直視できねえ、けど形は分かる、そんな感じのテーブルか。

 足がかなり分かりやすくベキッといってんな。

 

 椅子もベーシックな、L字型に腰掛けと背もたれを組んで、そこに四本の棒状の足を組み合わせた形か。

 こっちは……足と腰掛けの接続がボキッと折れたか。

 椅子の方は木材じゃねえな。樹脂系か。

 折れた断面が比較的綺麗な断面になってやがる。

 

 よし。

 こんぐらいなら、まあどうにかなるな。

 時間を確認しておこう。

 

【01:11】

 

 さて、修理開始だ!

 

【01:13】

 

 修理完了。

 

「すみません湯島さん、お待たせしました。修理完了です」

 

「待っとらんけど!?」

 

 いや流石に何時間もかかるような修理だったら俺も助けにくるかは迷ってたわ。

 すぐ直せるから来たんだって。

 そういうこった。

 

「え……いやなんやこれ」

 

「日本の制作じゃあまり使われてませんが、アメリカではメジャーな道具を入手したんです」

 

 俺は湯島さんにテープと接着剤を見せる。

 FiberFixってテープと、UVリペアペンって樹脂補修材だ。

 テープでテーブルの足を補修して、補修材でささっと椅子の足を接着したってわけだ。

 

「このテープの強度は強いガムテープの数百倍です。

 強度的にはステンレスと大差ないですね。

 お湯で濡らしてぱっと貼ればそれで完了です。

 この撮影所の環境だと硬化まで2分。完全固定まで20分ですね」

 

 電気にも水圧にも強く、大体の熱や低温にも強え。

 コンクリートの折れた柱すらこいつを巻いておけばどうにかなる。

 補修作業ってのはかけた時間と、最終的に得られる強度が比例しがちだが……こいつのおかげで、最近の俺の応急修理速度は飛躍的に上昇した。

 テーブルクロス掛けときゃ、カメラにテープ補修部分は映らねえ。

 

「こっちの補修材は、紫外線ライトを当てると5秒以内に固まる接着剤です。

 なので椅子の方は直すのに15秒かかってないと思います。

 硬化タイミングをコントロールできるのが大きいんですよ、これ。

 既存の瞬間接着剤は俺の手の速さと比べると硬化が遅すぎました。

 かといって、他作業と並行させるには硬化が速すぎる時もありましたから」

 

 しかもこのリペアペン、補修材部分にヤスリがけできるんだぜ。

 表面に塗装もしっかり乗るし、乾くとちゃんと透明で白くもならねえ。

 硬化まで5秒以内なもんだから、最近の俺の応急修理速度は飛躍的に上昇した。

 

 人類すげーよな。

 技術力の進化が半端ねえ。

 

「俺はまだまだ成長の余地がありました。

 既存の技術で満足しすぎていたんです。

 最近、その……知り合いのお爺ちゃんに色々と教えられまして」

 

「はえー」

 

 湯島さんが『よう分からんがいつもの英ちゃんやなあ』って顔してる。

 いやそこは『すげー』って顔してくれない?

 

「あ、監督さん。

 シルエットのため二重巻きにしたので足一本あたり引張強度が409N/cmです。

 足一本の仮想耐久が120kg、均等重量分散状態では足四本なので480kgです」

 

「……?」

 

「夜青龍*2が乗っても大丈夫ですが、彼が足一本に体重かけると折れます」

 

「なるほど、分かった」

 

「応急処置なので後でちゃんと直してもらってください。うちに持ってきたら俺が直します」

 

 いい道具の導入によって、俺は仮面ライダーの剣や戦隊の銃がへし折れても、早けりゃ10秒以内で接着と偽装塗装を終わらせ、撮影に使えるようにすることができるようになった。

 いやー凄えな道具の力。

 俺程度の技術だとここまで改善するとは。

 

「すっげえ速え」

 

 源さんそろそろ休憩時間終わるんじゃねえの? 大丈夫?

 感心してんのか。

 いや、なんというか。

 速い作業を凄いと思うより、遅くても丁寧な職人作業を凄いと思う癖付けといた方が良いと思うんだよな俺。

 

「あんたの手足ってゴキブリの数倍速い気がしてきた……ゴキブリに例えるのは失礼だな」

 

 ゴキブリに例える時点で失礼だオラァ!

 まあ褒められて悪い気はしねえ。

 ゴキブリを超えた男か……文字にすると少しかっこいいかもしれねえな。

 

「ありがとさーん!」

 

 湯島さんに見送られてそこのスタジオを離れる。

 時間確認。

 

【01:17】

 

 余裕だな。

 ……いや通常撮影の慣例からすりゃ余裕全然ないか。

 撮影の休憩時間に人の合間を縫って、監督に会いに行く。

 

「おお、朝風君! よく来てくれたな!」

 

「ご無沙汰しております、監督。お元気そうで何よりです。すみません、撮影中に」

 

「うむ、構わんよ。君に仕事を頼むことはないが、ゆっくりしていきたまえ」

 

 この前のスーツ0円から監督が好意的で困る。

 

「実は少し監督に聞きたいことがありまして。

 あと、手伝えることがあれば手伝おうと思ったんですが……無いみたいですね」

 

「うむ、君には恩がある。何でも聞いてくれたまえ、私は何でも応えよう」

 

 と、そこで、助監督が監督に耳打ちする。

 

「少し後にまた来てくれないか。君のために時間を作る」

 

「ありがとうございます!」

 

 これなら大丈夫だな。

 今からカットの撮影に入るんなら、そこまで長時間長引くことはねえだろう。

 スタジオから出て、スタジオ入口すぐ傍で一人待ってることにする。

 

 やっぱ監督ってやつは本能的な商売だな。

 百城さん主演の映画で大成功と大人気が見えてるってのに、もう次の撮影の序盤撮りを始めてるってのは、中々熱意が感じられる。

 いいことだ。

 

 あ、そうだそうだ。

 湯島さんとかが出る回の朝ドラ録画予約しとかねえと。

 絶対仕事で見れねえし。

 そんなことを考えていたら、ふと。

 

「―――」

 

 真横に、俺の横顔を覗く百城さんがいることに気が付いた。

 

 なんで!?

 

「!?!?!?」

 

「傷付くなあ。そんな妖怪を見たみたいな顔しないでよ」

 

「……突然妖怪を見て驚いた顔はしてませんが、突然天使を見て驚いた顔はしています」

 

「かもね」

 

 微笑む百城さん。可愛い。

 

「なんでここにいるのかな? 英二君、今日ここで撮影あったっけ」

 

「景さん……知り合いの新人俳優のデビューの件で、ちょっと」

 

「ケーさん? ……ふーん」

 

「本当に凄い人ですよ。

 個性的な演技とか、面白い演技とか、そういうレベルじゃなく凄い演技です。

 思わず見惚れてしまいました。

 あれは成長すれば百城さんと肩を並べるかもしれませんね。

 彼女のあの演技は、成長する百城さんの表現力を見た時と同じくらいワクワクしましたよ!」

 

 すっ、と。

 百城さんの目が細まった。

 期待と戦意が、一瞬だけ百城さんの目に浮かんで消える。

 

「英二君はさ」

 

 え、あ、はい。なんでしょうか。

 

「人は褒めるけど、そこまで演技を絶賛することあんまりないよね」

 

「そうでしたっけ?」

 

「だからアキラ君が地味に絶賛されてないこと気にしてるの、気付きもしてない」

 

「え」

 

 え、マジ?

 ……そうだったかも。

 やっべ悪いアキラ君。

 これはかなり最悪なことしてたわ俺。

 アキラ君は俺の仕事かなり絶賛してくれてた覚えあるぞ……クソ野郎じゃねえか俺!

 

「でもちょっと楽しみかな。英二君、出来の良い作り物にはとっても好意的だもんね」

 

 にこりと天使が笑う。

 作り笑顔を極めた末に、誰から見ても綺麗に見えるっていう、天使の笑顔。

 その下には案外ガキっぽい負けず嫌いな一面があることを、俺は知ってる。

 

 それは自分に演技で喧嘩売ってきた奴を、更に上等な演技で叩き潰したりせずに、やんわり受け止めて自分の演技に取り込み、自分の演技を引き立てたりするタイプの負けず嫌い。

 撮影を壊さず、相手を叩き潰さないまま、大きな敗北感を与えるタイプの勝利者。

 ひとたび主演にキャスティングされれば、どんな人間にも撮影の主役を譲らない、限定的な負けず嫌いが。他の演技と競うその熱意が。作品へのその妄執が。

 その笑顔を更に綺麗にすることを、俺は知っている。

 

「英二君はさ」

 

 またその台詞で会話始める気か!

 発言を際立たせるために一呼吸置くな! 怖い!

 

「私とその人、どっちの演技が好き?」

 

 目が怖い。

 

「『"アメリカの夜"は、

  "映画は現実の人生よりも素晴らしいか?"

  という問いをめぐる映画でもあったが……』」

 

 あのな百城さんはさぁ……と思いつつ、とある映画監督の台詞の始まりを言う。

 ぴくり、と反応した百城さんが、少し呆れた風に微笑んで、続きを言う。

 

「『もちろん答えはない』」

 

 そして俺が、最後に続きを言い、締める。

 

「『子供に"パパとママとどっちが好きか?"と聞くのと同じことなのさ』」

 

 分かんだろ、百城さん。

 

「「フランソワ・トリュフォー、より」」*3

 

 今の俺には順番なんて付けられねえ。

 だけどな、順番を付けられねえってことこそが、素敵だってこともある。

 

「まあ、私は今はそれで納得してあげようかな、うん」

 

 納得してくれて何よりだ。

 

「今は他のお仕事忙しくて余計なこと考えてる暇ないし。あ、またお喋りしようね」

 

「ですね。百城さんとは話してて楽しいです」

 

 それは本当だ。

 時々珍しい虫の話しろって言われるのは中々厄介だがな!

 

「アリサさんが言ってたよ」

 

 何を?

 

「本物の役者は自分に夢中になっていた人が、他の人に少しでも夢中になったらすぐ分かるって」

 

 へー。

 

「うん、本当だった」

 

 怖いこと言ってんなコイツ。

 

 

 

*1
ウルトラマンの棘谷プロダクションは本放映以外にヒーローショー準備等の業務が中々多い。

*2
力士のあの人。

*3
1950年代にフランスで始まった新時代映画運動・ヌーヴェルヴァーグ運動。それを代表する映画監督の一人が、フランソワ・トリュフォーである。『愛の映画芸術家』と言われ、戦争も政治も大嫌いなので恋愛映画だけ撮っていたという愛の人。『アメリカの夜』は映画撮影を舞台にした、監督や女優などの映画撮影を行う者達の人間模様を描く映画である。「アメリカの夜は『映画は現実の人生よりも素晴らしいか? という問いを巡る映画でもあったが、もちろん答えはない。子供に『パパとママのどっちが好きか?』と聞くのと同じことなのさ」とは、トリュフォーが自作を指して言った言葉である。いい言葉なんだがググっても出ないんで現代では忘れられる運命にある。




 英二君くらいの作業速度になると作業音が独特な音とテンポ(速すぎる)になるので、能力が非常に高い人は作業音を聞くだけで寄って来ることもあります

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