ノット・アクターズ   作:ルシエド

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夜凪さんの初仕事

 難なく――難なくと言って良いのか知らんが――太川茂樹さん関連の情報を手に入れた。

 こいつがあれば例の事務所との交渉が上手くいく。

 法的な証拠能力はねえ。

 警察に伝えても役には立たねえレベルだ。

 あくまで「俺はお前の弱みを知ってるぞ」と匂わせ、例の事務所の譲歩を得るのが狙いだ。

 正直言って、あくどいことやらかしたやつをぶん殴って懲らしめてやりてえ、って気持ちがないわけでもない。

 

 でもなあ。

 現実は、悪党ですら殴っちゃあいかんのだ。

 暴力はよろしくねえ。俺の誕生年の仮面ライダークウガ・五代さんもそう言ってる。

 

 どうせ悪党はその内滅ぶ、そう思っておこう。頑張れ警察。

 俺は正義とかヒーローとかにはなれんタイプだ。

 そういうのは警察とかアキラ君に任せておこう。

 

「ありがとうございました、監督」

 

「あまり情報は悪用しないようにな。

 恨みを買うと良いことはないぞ。

 芸能界は敵を作るより味方を作る方が楽に生きられる世界なのだ」

 

「肝に銘じておきます。

 あ、お礼と言ってはなんですが、あのお城の陰の表現に蛍光オレンジ使うと良いと思います」

 

 監督が撮影に使ってたお城のミニチュアを指差し、一つアドバイス。

 ちょっと陰影甘い気がするぞ、あれ。

 

「ほほう」

 

「四池敏夫*1さん流です。

 ここ、この辺りとか、陰に少し蛍光オレンジを混ぜるといいですよ。

 明るいところじゃなくて陰に、です。

 漆喰の陰には蛍光オレンジの隠し味があるとリアルになるんです。

 ……申し訳ありません、スタッフでもないのにお仕事に口出しするようで」

 

「構わん、構わん。質が上がるなら良いことだ」

 

 寛大な処置に感謝します。ありがたい。

 気になって言ったのはいいものの、こういうの気にする人いるしな。

 

「それと、他にも―――」

 

 監督にお礼と俺にできる造形美術面でのアドバイスを置いていって、百城さん、湯島さん、源さんの撮影スタジオを覗いて、撮影所を出ていく。

 んで、電話を掛けた。

 

【02:30】

 

 意外と早く終わったな。

 ほれはよ電話に出ろ黒さん。

 出た。

 調べた結果を黒さんに報告、報告と。

 

『よくやった、うちの事務所に自由に出入りする権利をやろう』

 

「はあ、どうも。でも柊さんが嫌がりませんか」

 

『まああいつは大丈夫だろう。お前との仲も悪くねえ』

 

 そういうもんか。

 

「あっちの事務所との交渉はお任せしますが、俺が他に何かすることありますか?」

 

『働き者だな』

 

「茶化さないでください。俺が関わった仕事です、最後まで行く末見届けますよ」

 

『うちの職員でもねえのにご苦労なこった。だが、今はそのクソ真面目を利用させてもらう』

 

 このクソヒゲは他人の機嫌を取るって概念をどこに忘れてきやがったんだ。

 

『悪いな』

 

 ……まあ、いいってことよ。

 

『先に撮影スタジオ入りして準備を頼む。柊を後から行かせる』

 

「黒さんはどうするんですか?」

 

『夜凪を拾って後から行く。

 先に現着した奴がいねえと予定外の撮影セットが組めねえからな、頼んだぞ』

 

「夜凪さんを……分かりました」

 

 ああそうか。

 撮影自体は前から予定した通りのやつでも、景さんをねじ込んだのは今さっきだから、景さんに合わせた撮影セットは組めねえのか。

 前の女優に合わせたセットが予定されてたんだもんな。

 下手すりゃ景さんの身長とミスマッチで絵面が酷くなるかもしれん。

 

 俺の事務所に寄りつつまったり撮影スタジオに急行し、その道中で黒さんとスマホで連絡を取り合い、黒さんが撮りたい()の詳細を煮詰めていく。

 

「それなら、夜凪さんの素材を活かす感じでいいんですね」

 

『ああ。そこまで凝らなくていい』

 

「撮影セットと雑務のスタッフは手配済みなんですよね?」

 

『上手く使えよ』

 

「俺使われる方が得意なんですけどね……」

 

 さて。

 一回頭の中で整理しておくか。

 今回の流れはこうだ。

 

 某食品会社が、『父の日にシチューを』企画で、シチューのウェブCMを作ろうとした。

 この食品会社がクライアントにあたる。

 クライアントの依頼を受けた広告代理店のCMプロデューサーが動き出す。

 このプロデューサーが、CMのプロデュース……要するに現場レベルじゃねえ大きな規模の、全体総指揮を執る。

 んで、CMプロデューサーが黒さんの『スタジオ大黒天』にCM作成依頼を出し、女優・スタッフ・撮影機材とかを手配しようとした。

 

 そこに黒さんが待ったをかけて、CMの中心を景さんにすげ替えた。

 あとはプロデューサーが手配した撮影のセットとスタッフを使って、黒さんの頭の中のイメージを、景さんが再現する手伝いをすりゃあいいって話だな。

 

 セットもスタッフも、今の時代じゃレンタルがある。

 金がありゃ、シチューCM撮影に使える上部にステンレス貼ったキッチンセットなんざ、2週間4000円くらいで借りられる。

 撮影に使うもんは大体レンタルができるし、おっそろしいことにディレクター(監督)からカメラマンまで貸してくれる会社すらある。

 金と技術と企画力がありゃ、プロに近い映像を撮ることはできるわけだ。

 大事なのは、どんくらい優秀なスタッフと予算が使えるか、だな。

 

「ところで、テレビ局の方からの借り物多いですね。セットと撮影機材」

 

『あんたんところの局で流すCMだろ、って言って引っ張ってきた』

 

「なるほど」

 

『気になったらセット弄っていいぞ。

 "あの朝風のリペイントや修繕なら頼みたいくらいです"だとさ』

 

「俺に無断で俺の名前使うのやめましょう、やめましょう。

 ええと、借りた空っぽのスタジオに、借りたセットを組み上げるという形でいいですね」

 

『おう』

 

 あんたのそのズケズケ行く感じは殺魔剣八郎*2さんを思い出すぞ!

 

「それにしても、キッチンスタジオ借りなかったんですね。なんでですか?」

 

『俺が思う通りのレイアウトにするどころか、好きに弄れもしねえからだ』

 

「まあ、それは確かに」

 

 キッチンスタジオ、ってのがある。

 綺麗なキッチン貸しますよー、普段から綺麗にしてますよー、だから使うなら一時間○円で料金払ってくださいねー、ってやつだ。

 クソ高えくたばれって言いたくなるやつもありゃ、クソ安いな贔屓にさせてくれやって言いたくなるやつもある。

 種類によっちゃ、このスタジオと撮影機材だけ用意して撮影した方が、料理シーンの撮影は安上がりになる。

 

 黒さんはそいつを使わず、スタジオのスペースだけ借りて、テレビ経由でスタジオセットと撮影機材を借りてきた。

 おかげで安上がりな上に自由度はダンチだ。

 本気で景さんを演出するフィールドを作るつもりだな、黒さん。

 

「絵コンテ、一枚でいいですから切って送ってくれませんか?」

 

『おう、ラインで送っとく』

 

 絵コンテとは、映像の設計図だ。

 今回みたいな撮影の場合は、景さんがシチューを作ってる絵とかを、監督が監督のイメージに沿って描くことになる。

 こいつを皆で見て「あーこういうの作るんだなー」と思うわけだ。

 

 お、来た来た。

 シャーペンの走り書きなのにやたら上手いな黒さんのイメージ画。

 システムキッチンと、そこでシチューを作る景さんと、その背後に冷蔵庫と食器棚か。

 全体的に画面が白く清潔な印象を受けるな……シチューが白いのと、景さんの黒くて綺麗な髪を別方向で印象付けるCMか。

 

 いいんじゃねえか?

 シチューの視覚効果ってのは、真っ白なシチューに色とりどりの野菜とか、薄桃色の鶏肉とかが浮かんでる、白を基調としたカラーによるもんだ。

 キッチンの撮影セットに目立つ色を置かねえことで、シチューの中の色彩豊かな野菜や肉が目立って美味そうに見えるし、景さんの黒髪とかが印象に残るだろうな。

 

 景さんの髪がうっかり落ちててカメラに映ることだけは気を付けねえと。

 あの髪は長いから、白基調のセットに落ちると目立つ。

 

「そういえば、15秒でいいんですか?」

 

『ああ、15秒だ』

 

 『CMは15秒』。

 これが現在のTVCMの基本だ。

 TVCMは15秒と30秒の二種類があって、全体の85%が15秒CMだって言われてる。

 

 が、WEBのCMにTVと同じ縛りはねえ。

 番組と番組の間っていう縛りがねえからな!

 俺が知る限り、6秒のシチューCMや数分クラスのドラマ仕立てシチューCMもあった。

 良かった良かった、15秒で。

 簡易なスタジオ一つだけで数分もののCM撮影すんのは、間が保たねえしな……あれは辛い。

 

「そういえばさっきLINEでちょっと話したんですけど、柊さんがですね」

 

『なんだ、生理か?』

 

「違いますよ! 本人の前で冗談でもそういうこと言っては駄目ですよ!

 そうではなくて、黒さんが衣装の方のレンタルを断ったとおっしゃられてました」

 

『あーしたした。

 前の女優に合わせた黒い衣装なんて要らん。

 邪魔なだけだ。

 夜凪にはあいつの制服で、エプロンだけ着けて出てもらう』

 

「ええと……夜凪さんの今回のCMの設定は……

 夜凪さんは、初めて一人でキッチンに立った少女。

 もうすぐ父が帰ってくる。料理を作ろう。

 そう思い立ち、慣れない手つきでシチューを作る。

 喜ぶ父親の笑顔を思い浮かべながら味見をして終わり、でしたね。これで15秒と」

 

『そうだ。主に娘がいる父親をターゲットにしてるな』

 

「父親がいるこの年頃の娘がターゲットじゃないんですか?」

 

『こんなCMでティーンの娘が父親のために頑張ろう! ってなるわけねえだろ』

 

 ひっでえ。

 

 親父か。

 俺にとって親父はそういう存在じゃなかったが、景さんにとっちゃどうだっただろうか。

 

『お前、夜凪の制服姿は見たことあったか?』

 

「ありますね。数は多くないですが」

 

『じゃあそれに合うエプロンも作っておいてくれ。衣装の貸出は断ったからな』

 

 一回見りゃ覚える。

 基本は白、襟元・袖口・スカートが薄青、リボンが赤だったか。

 黒さんの意図を汲むなら、エプロンはシンプルに白でいいだろうな。

 

 あれ、規定の制服って商業利用アウトじゃなかったか?

 CM出していいんだっけ?

 それだと校章とか隠さないと駄目か?

 ……いや、学校の制服はその例には入らねえんだったな、確か。

 商業に使うといかんのは他の一部の制服だったか。じゃあ大丈夫だな。

 まあ念の為、景さんには校章は外してからCMに出てもらうか。

 

『ああ、そうだ。

 シチューが跳ねるかもしれん。

 俺の想定だと、かなりヘタクソに作るだろうからな』

 

「よく分かりませんが分かりました」

 

 白エプロンとはいえクリーム色っぽいのは駄目、ってこったな。

 

 白いエプロンの表面にちょっと跳ねたシチューがうっすら見えるくらいの塩梅か?

 

「シンプルな白エプロンなら……そうですね、五分くだされば確実に縫い上げられます」

 

『そんだけ速けりゃ問題は起きねえな』

 

「今時は小学生でも作ってますよ、エプロンなんて」

 

 あんまり俺の実力を低く見積もられてもちと困る。

 俺の仕事基準はおいおい覚えてもらっておこう。

 

「あ、今思いついたんですけど」

 

 今回の撮影はセットのキッチンに景さんが立ち、その向こうに地味な色合いの茶の食器棚と銀灰色の冷蔵庫が見える、壁も床も真っ白、そういうやつだ。

 なら、食器棚の戸のガラス張りの部分に仕事ができるな。

 

「食器棚のガラス部分の表面を鏡面に近い風に仕立てたらどうでしょうか。

 そうしたら夜凪さんの背中面もカメラに映ります。

 夜凪さんを視聴者に魅せたいなら、これで夜凪さんがより多角的に見えるかもですよ」

 

『悪くねえが視線が散るな。

 エージ、今回のWEBCMは15秒だぞ。

 客の視線はあんまり動かさないで済むに越したことはねえ。

 夜凪本人と、後ろの棚、視点の焦点を二つ用意しちまうのは好きじゃねえな。

 それなら後ろの棚は反射しないようにして、夜凪の正面顔に注目させたいところだ』

 

「そう、ですね。確かにそうです」

 

 うーむ。

 流石に黒さんは隙がねえなあ。

 俺の浅い発想じゃ役にも立たねえか。

 

 っと、到着した。

 

「現着*3しました」

 

『ご苦労。セットは打ち合わせ通りにな』

 

「はい」

 

【04:05】

 

 そこそこ早朝だな。

 早く移動しすぎても撮影セットとスタッフが来ねえから、黒さんと打ち合わせしながら一回俺の事務所に寄って、ゆっくり移動して来たわけだ。

 まあこんなもんか。

 

 隣り合ったスタジオとかで人の動く気配。

 まだまだ多く点いてる室内電灯。

 俺達以外の撮影チームが忙しく動いている中、俺は撮影機材とセット一式が来るのを待った。

 

【04:25】

 

 ほどなくして、待ってた物と人が来る。

 撮影に必要な物と人が到着したのは、ほぼ同時だった。

 よし。

 

「本日はよろしくお願いします!

 スタジオ大黒天臨時代理の朝風英二です、よろしくお願いします!」

 

 大きく声を上げる。

 撮影の始まりはやっぱこいつが肝心だな。

 来てくれた皆さんが大きな声で、俺の返事に返答してくれる。

 いいな。

 こういうとこで返事が弱っちいというか、返事にやる気がねえチームだと、うっかり目を離した時に手ぇ抜いてたりするもんだ。

 

「これはあっちに、あ、照明はそっちでお願いします」

 

 とりあえず俺が指示出してセットを組ませる。

 まあこんくらいできなきゃ特撮監督は無理だし、その辺は黒さんも分かってて俺に任せたんだろう……と、思う。多分。

 ただ細けえところどうすっかな。

 俺の能力だと黒さんの画作りの基本スタイルにすら合わせきれてないだろうから、細けえところが黒さんにコレジャナイ感覚えさせかねないんだが。

 

【05:20】

 

「おはよ」

 

 あ。

 おー。

 来ましたか。任せていいっすかね?

 

「お久しぶりです、柊さん」

 

「おひさだね。元気してた? エージくん」

 

「はい。おかげさまで」

 

 人当たりがいい笑顔を浮かべ、やや長い髪を纏めた、黒山墨字の片腕がそこにいた。

 

 彼女の名は(ひいらぎ)(ゆき)さん。

 黒さんの『スタジオ大黒天』のスタッフで、黒さんの肩書きが監督なら、柊さんの肩書きは制作にあたる。

 とは言うが、実際は助監督。

 要するに黒さんにとって最も自由に動かせる手足であり、監督の意図を最も理解した上で独自判断にて動く、『監督の最大のパートナー』だ。

 美人さんなおねーさんである。

 

 今回はCM撮影なんで、『AD』って言った方が柊さんの役職に近いかもしれん。

 まあともかく、俺より詳細に黒さんの撮影を熟知してる人だ。

 現場の指示は任せていいな。

 

「ごめんねー、墨字さんが無茶言ってたでしょ。

 無茶振りや辛いことは断っても良いんだよ?

 君が頼まれたこと全部引き受ける義理なんてないんだからさ」

 

「大丈夫です。好きでやってることですから」

 

 しかしアレだな。

 俺が18歳でこの人が20歳なんだが、こうまで露骨にお姉さんぶられると複雑だ。

 いや、別に嫌ってわけじゃねえんだが。

 俺の方が身長高えんだぞ。

 

「作業はここまで進んでます。

 俺が黒さんから指示された内容はこっちにまとめてます。

 さっき出して今実行中の指示はここにまとめてます。

 俺はここから柊さんの下に入りますので、引き継ぎ完了後、指示をお願いします」

 

「ん、ありがと。分かりやすい」

 

 今回の形式のCM作成の場合、CMは広告代理店のCMプロデューサーが制作会社に依頼を出して任せるわけだが、その任せられた制作会社がスタジオ大黒天にあたる。

 もっと細かく言うと、黒さんと柊さんが制作責任者にあたるってわけだな。

 

 黒さんが依頼されて、黒さんが撮ろうとしてる映像を撮るためのスタジオを組み、そのためのカメラを配置し、黒さんの采配で撮影する。

 しからば、黒さんのやり方を熟知した人が現地で色々指示しねえといけねえわけだ。

 柊さんがそれにあたる。

 まー現地の撮影準備とか全部一切合切無関係なよその会社に任せる制作会社とか、いるわけねえしな……怖えし。

 なんだかんだ、柊さんの仕事量はすげえことになってると思う。

 

「レフ*4どこですか? 本撮影ではここに、こういう感じで……」

 

「柊さん、ちょっとセットのことなんですけど」

 

「はいはいエージくん、ちょっと待っててね」

 

 スタジオ大黒天は今動ける人、黒さん、柊さん、景さんの三人だけってことになるな。

 だから仮に、このチームの人間+俺だけで俺の得意分野な特撮を、このスタジオ単独の作品として、最低限の役割だけ用意して撮るとする。

 

黒山墨字:監督、演出、脚本、プロデューサー

柊雪:チーフ助監督、制作、撮影、編集、録音、タレントマネージャー、事務

朝風英二:特撮監督、衣装、演出補佐、照明、操演、美術、造形、音楽、VFX&CG、ミニチュア

夜凪景:主演女優

 

 どこが死ぬのかひと目で分かるな。

 こいつをプロデューサーとかが別にいて、脚本とか色々要らねえCMの仕様に合わせて、特撮に必要な役職削って、雑用を派遣された他スタッフに任せ、諸々今回のCMに合わせて直す、と。

 

黒山墨字:監督

柊雪:チーフ助監督、制作、編集、タレントマネージャー、事務

朝風英二:美術、衣装

夜凪景:主演女優

 

 うむ、ずいぶんすっきりした。

 これなら――俺と柊さんが全力で色々な役割をやっていけば――撮影もイケるぜ。

 

 しかし黒さんはアリサさんとかとコトを構えそうな気配がしてるが大丈夫なんだろうか。

 干されないように立ち回ってほしいもんだ。

 このスタジオのこの人数で業界が敵に回ったりしたら人材枯渇で映画撮れんぞ。

 それともそうなる前に景さんを一気に売り出して、稼いだ知名度で『干せない』状況でも作るつもりなのか?

 うーむ、色々考えられるな。

 

 いや、今は目の前の仕事だ。

 ちょっと問題出てきたしな。

 

【06:07】

 

「……うーん」

 

「このキッチンセット、黒さんのイメージに合うと思います?」

 

「ちょっと汚れ過ぎかな。墨字さん、クリーンなイメージって言ってたよね」

 

「ですね。柊さんが言うなら、まず確実にこのキッチンセットじゃ駄目だと思います」

 

 テレビ撮影の方で使われ、以後倉庫にしまわれてるやつは時々意外なくらい汚い。

 保管が雑とかそういうのじゃねえ。

 単に、長期保存してるやつってのは大体そうなんだ。

 撮影用具のレンタルとかやってるところは、レンタル品を頻繁に手入れして新品に見せてるとこと、そんな手入れしてないところがかなり分かりやすい。

 

 まあ要するにだ。

 キッチンセット、かなり汚れていた。

 黒さんの撮影意図は――柊さんほどじゃねえにしても――俺が理解する限り、クリーンで純朴なイメージを持たせた景さんがシチューを作ってねえと、成立しねえ。

 借りもんのこのキッチンセットじゃ全然駄目だってことだよ!

 

 とにかくこのキッチンセットの、見るも無残なステンレス部分と、四方の側面の塗料ハゲっぷりをどうにかしないと駄目だな。

 きたねえ。

 

「大丈夫? どうにかできそう?」

 

「大丈夫です。今日は一応、フル武装で来ましたから。柊さんはスタジオの方をお願いします」

 

 黒さんと打ち合わせしつつ、俺の事務所に寄ってから来た甲斐があった。

 見ろ! この俺の作業用バックパック! 総重量65kg!

 様々な状況に対応するべく、各機材と各素材を入れられる持ち運び用欲張りセットだ!

 今回の撮影に使いそうなもんを詰め込んであるぜ!

 こいつを使えば、俺は事務所に据え置きの大型機械などを使ってる時と比べて、実に15%程度の仕事能力を発揮することができるんだ!

 

 ……微妙だな。

 自分でも分かる。

 だが、ここでの作業には十分だぜ!

 

「柊さん。平均的なステンレス使ってるキッチンなら、ですが……

 工場でキッチン上部のステンレス部分を鏡みたいに光らせるのに必要な時間、ご存知ですか?」

 

「知らないけど」

 

「30分以内です」

 

「おお、なんだか頼り甲斐が出てきてるね。最近何か良いことあった?」

 

「はい、それなりには。7時までには終わらせてきますので、少々時間をいただきます」

 

 さーて、まずはキッチンの側面塗装だ!

 キッチンセットをスタジオの外の野外に運んでもらって、そこで塗装開始だぜ。

 

「信じてるぜ、ウレタン」

 

―――ウレタンは柔軟で、多様性と汎用性がある、極めて便利な素材だ。

 

 アキラ君と一緒に新しいバイクの形を模索してた時、俺が思ったことだ。

 なればこそ、俺がこのキッチンを染め上げるのに採用したのは、仮面ライダー達の装甲を作ってきたウレタンの一種―――『水性ウレタン塗料』だった。

 こいつは夏ならばなんと15分で乾く、超高速乾燥ペンキとでも言うべきもの。

 俺は信じてる。

 ウレタンを信じてる。

 

 こいつは、歴代の仮面ライダー達の装甲を作ってきたやつなんだからなぁ!

 

 と、気合いを入れつつ。

 ややテンションを高め、静かに黙って、冷静に素早くキッチンセットの塗装を完了。

 白と黒のウレタン塗料によって、あっという間に乾く塗装が完了した。

 塗装が固まり始めたのを横目に見つつ、次はステンレスの加工の準備をする。

 

「目指すラインは……仮面ライダーのマスク、色付きカバーの下に着けられたミラーのそれ」

 

 なんでステンレスの表面を鏡にするのに、30分かからねえのか?

 そりゃ簡単だ。

 最近は全部機械でやってるからだ。

 

 紙やすりをイメージすりゃいい。

 ステンレスを磨くのに専用の紙やすりみたいなもんがあって、コイツを機械でギュイーンッと動かして表面に当てることで、ステンレス表面を削りながら磨くってわけだ。

 それには普通の紙やすりと同じで目が荒いやつと目が細かいやつがあって、荒い→細かいの順にかけていくと、表面がなめらかになる。

 

 木は表面がなめらかになるだけだが、ステンレスはこいつを繰り返すことで鏡みたいになるってわけだな。

 

 『ポリッシャー』っていう、円形の紙やすりを回転させる機械でステンレスを削り磨いていく。

 

 木の表面をヤスリで削って綺麗にしたことがある人は皆知ってると思うが、磨くっていうのは表面を削って、表面の汚れや傷・デコボコを消すってことだ。

 俺も今、ステンレスの表面の傷と汚れを削って、磨き消している。

 おー綺麗になってきたなってきた。

 

 特撮畑の人間にとって、コイツは因縁深い仕事だ。

 

 初代ウルトラマンなどを造形した伝説の造形屋、成口亨*5って人がいる。

 この人が『ヒーロー』として作られていく後輩ウルトラマン達の造形に反発し、『光り輝く者』として作り上げたのが『突撃! ヒューマン!!』*6の主人公、ヒューマンだ。

 このヒューマンのマスクはフルステンレス。

 俺がやったのと同じ方法で徹底的に磨き上げられたマスクは、鏡のように光り輝いたという。

 

 そして重かったという。

 記録数値を見る限り、このマスクを被ったまま飛び降りアクションをすれば首が折れる。

 ウルトラマンのマスクは正しかったな!

 

 俺はヒューマンのマスクを磨いたかつての芸術家のように、キッチンのステンレスを磨き上げ、多少は鏡に見えるくらいにつるつるに仕上げた。

 

「柊さーん! キッチン仕上げ終わりましたー!」

 

「お疲れ様! ちょっと食器棚もチェックして! あと全体の美術面も!」

 

「了解です!」

 

 さて、次はどうすっかな。

 仕事は自分から探してやっていかねえと。

 

【07:11】

 

 CM撮影が始まる予定の時間まであと二時間くらいか。

 他のスタッフと連携して準備を進めていく。

 

「エージくんちょっと来て。作戦会議」

 

「はい!」

 

 なんだなんだ。

 

「カメラの位置、どうしよっか」

 

 どうしよっか、と言われても。

 

「この手の撮影なら普通に横と正面、あとやるなら斜め前からでいいのでは?」

 

「墨字さんが一発撮りで全部撮り終わらせるって言ってたからなあ」

 

「あれ、もしかして寄りのカメラ禁止ですか?」

 

「寄りのカメラ禁止だねえ」

 

「何を考えて……ああいや、でもそうですね。

 景さんの場合、繰り返し同じ動きをカメラで撮影、というのが合わないのかも」

 

「墨字さんの指示だと、斜め上から見下ろすように撮るから、カメラを寄せないとなんだけど」

 

 複数のカメラで景さんのシチューを作る一連の流れを撮影して、そいつを切り貼りして繋げ、15秒のCMを作る。

 そいつが典型的なCMの撮影の仕方だ。

 

 ところが、相手は景さんだ。

 多分、あの演技を見るに、カメラの方に合わせられねえ。

 撮るにしても一回撮影、よく出来ましたハイ終わり、ってのにしないと齟齬が出るかもだ。

 

 景さんを斜め上から見下ろすように撮るなら、景さんの近くに踏み台の足場を作って、そっから撮るのが一番だろう。

 だがあの景さんはメソッド演技の体現者。

 メソッド演技の制御を覚えてない内に、自分の演技に没頭してる景さんに『異物(カメラ)』が近付きすぎると、景さんが変な反応を出して撮影失敗になりかねん。

 最悪カメラが殴られてもおかしかねーわ。

 イメージの中とはいえオーディションで野犬殴りに行った人だぞ。

 

「黒さんはどうして斜め上から撮りたいんでしょうか」

 

「料理風景を斜め上から撮ると、鍋の中身や味見のお玉の中身、俳優の表情全部見えるからね」

 

「なるほど」

 

 なるほど!

 

「ならば、どうしましょうか?」

 

「正面、真横のカメラは目線の高さ(アイレベル)

 斜め前からの撮影は目線の高さ(アイレベル)と……斜め上から撮るかな」

 

「斜め前で斜め上、ですか」

 

「墨字さんはこの最後の味見シーン、斜め上からの視点で撮るの譲らないだろうから」

 

 アイレベルってのは、カメラの基本。

 目線の高さにカメラのレンズの高さを合わせる、ってやつだ。

 これでカメラが記録する映像が自然に、『人間の目の高さから見る景色』になって、その映像を見る人がストレス無く映像を見られるようになる。

 そういう工夫だ。

 

 景さんを真横から映すカメラは目線の高さ。

 正面から映すのも目線の高さ。

 だが斜め前で斜め上からの撮影には、もっとカメラ位置の高さと、角度が要る。

 どうすっかね。

 

「斜め上から撮るのは、どのくらい角度つけて撮りますか?」

 

「演者さんに寄れないんだっけ? それなら……どうしよっかな」

 

 うーん、と悩む柊さん。

 ゆっくりでいいから確実に決めてくれ。

 監督の意志を一番把握してるのは助監督なんだぜ、柊さん。

 

「その女優さん私は知らないんだけど、身長はどのくらい?」

 

「夜凪さんの身長は、目で見た感じ168cmから169cmだと思います」

 

「じゃあ身長はキリよく170cm想定で、目線の高さ(アイレベル)は160cmでいいかな?」

 

「ですね」

 

「その人からカメラが1m離れるごとに10cmカメラの高さを上げる、このくらいでどうかな」

 

「いいと思います。ちょうど景さんの表情と味見皿の中身が見えそうな角度ですね」

 

 1m離れるごとに10cm上がるなら、カメラが下を向く角度は大まかに6度くらいか。

 いいんじゃねえかな。

 

「カメラ位置と役者さんの距離は6mくらいになるかな」

 

「異議無いです。良いと思います、柊さん」

 

「カメラと役者の距離6m。

 となると、始点でのカメラの高さが160cmで、そこから6回分高さ上げになるね。220cmかな」

 

 夜凪さんから1m離れたところにいる目線の高さ170cmの人間も、夜凪さんから6m離れたとこにいる目線の高さ220cmの人間も、夜凪さんを見下ろす角度は同じ。

 そういうことだ。

 

「カメラマンとカメラを乗せる木の土台が要りますね。作ります。20分ください」

 

「ん、お願い。仕事の段取りとテンポずいぶん良くなったね、偉い偉い」

 

 あざす!

 

 撮影に使う、木製の王道の土台ってやつがある。

 片方は『平台』、もう片方は『箱馬』っていうやつだ。

 こいつにカメラ載せて上から俳優を見下ろす映像を撮ったり、こいつに乗せた俳優の上半身を斜め下から撮ったりして、俳優を見上げる映像を作ったりするわけだな。

 

 平台は3尺(90.9cm)×6尺(181.8cm)×五寸(15.1cm)。

 箱馬は1.5尺(45.1cm)×1尺(30.3)×5寸(15.1cm)。

 今回は箱馬っぽい何かを即席で作ることになるか。

 カメラマンとカメラを乗せた三脚の両方が乗る構造にしとかないとな。

 

 すっげえ個人的な考えだけど尺換算の大きさってクソ面倒臭えよな。

 全部メートル系で統一しろよ。

 仕事上インチとかフィートとか使うけど全てに死をもたらしたいくらいにこのごっちゃになってる単位系嫌いだわ。めんどうくさい。

 

 あ、いい形の廃材の木外に転がってんじゃん。これなら10分で終わるな。

 

「柊さん、ウマ*7出来ました。外に置いてあります」

 

「お疲れ様。少し休んだら?」

 

「いえ、これからエプロン作りに入ります。

 俺より休憩してない柊さんが休んだ方が良いですよ。

 撮影始まったら俺の仕事はほぼありませんが、柊さんは撮影でもメインですし」

 

「それもそうだけど……うーん……分かった。ちょっと休憩入れてくる」

 

「何か問題起きたら呼びますから、外の空気吸っててください」

 

 制作会社の仕事の事前準備は大体終わってきた。

 こっからこっから。

 撮影準備も忙しいが、撮影中が一番忙しいのが制作会社だ。

 制作会社があくせく撮影セットを手がけんのは、自分達が思った通りの映像を撮るためで、つまるところ本命の前準備でしかねえ。

 

 他のスタッフさんに何か聞かれたら指示を出し、本物のキッチンを模したセットの全体のバランスを考える。

 変な角度にならないようにしとかねえと。

 

 黒さんが監督ってことは、俺達は黒さんのイメージを具現化する役割ってことだ。

 今ここにいる面々で黒さんに対する理解度は、柊さん>俺>その他派遣スタッフだから、この序列順に"判断があてになる"ってことになる。

 そういや景さんはこの序列だとどの辺に入るんだ?

 わっかんねえ。

 そういや俺、景さんと黒さんがどんくらい仲良いのかも知らねーわ。

 時間確認。

 

【08:11】

 

 ぼちぼち良い時間だな。

 良かった間に合った感じだ。

 黒さんから連絡ねーし、例の事務所からの妨害もねえってことだ。

 今日の撮影は順風満帆に終わりそうだな。

 

「あ、来た」

 

 !

 来たか!

 柊さんがなんか反応してる!

 "今日が初めての料理"らしさを出すためにピカピカにしていたお玉を放り投げ、柊さんがいるスタジオ外に駆け出す。

 おせーぜ黒さん! 景さん連れて来るって話だったよな! さあ名演見せろ!

 

「―――!?」

 

 そして外に飛び出した俺が見たものは、黒さんと景さんが中で喧嘩する車が暴走し、俺がスタジオ外に置いておいたウマに突っ込み、粉砕しながら壁に激突する姿だった。

 

 なにこれ。

 

「……????????」

 

 車の中から飛び出してくる黒さんと景さん。

 ……の、ノースタント型アクション俳優!?

 服に汚れ一つねえ!

 タフだなお前ら……ってそうじゃねえッ!

 

「ほらぁ! 事故ったじゃねぇか! お前が暴れるから!」

 

「暴れて当然でしょ! この犯罪者!」

 

「誰が犯罪者だ! 芝居を教えてやるって言ったろ!? 親切だろうが!」

 

「信用ならないのよ現に誘拐でしょコレ!? 犯罪よ!」

 

「違いますぅ! 送迎ですぅ!」

 

 粉砕された俺のウマを蹴っ飛ばしながら、景さんを無理矢理抱きかかえて連行する黒さんが、スタジオ入り口に入って来た。

 

 黒山ァ!

 

 てめぇが良い映画撮る監督じゃなかったらここでぶっ殺してたところだ!

 

 運が良かったな!

 

 

 

*1
美術監督として高名な四池敏夫さんは、英二が家具の参考にした井下泰幸さんの弟子。

*2
薩摩の剣豪、空手と水墨画の達人であるスーツアクター。100kgを超える怪獣ヘドラのスーツを着て、その怪奇の動きを演じた。後にはゴジラも演じたことがある。若い頃に他人の空き地でひたすら剣を振り、体を鍛え、それがエスカレートして他人の土地で勝手に道場を開くようになった凄まじき剣豪。地主はキレた。

*3
現場到着の略。

*4
反射板。俳優周辺などに光を集める。

*5
多くのこだわりを持つ芸術家肌な人であり、芸術家の良い面と悪い面を凝縮したような人だった。この人でなければ『ウルトラマン』は生み出せなかったとすら言われる。

*6
1972年10月7日から12月30日まで放映。なんか怖い。

*7
箱馬の略。工業系の仕事では台のことを大雑把にまとめてウマと呼んだりもするらしい。




 使ってた木材が砕け散ったので今度は作るのに20分かかりました

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