ノット・アクターズ   作:ルシエド

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 クレイマークレイマーの話、二年くらい前に海外で話題になったのに日本じゃ全然話に出ないなーと思ってたらそもそもインタビュー記事が翻訳されてませんでした
 そしてそもそもクレイマークレイマーが知名度そこまで高くありませんでした
 んもう!


魔法使いは、シンデレラに感謝も見返りも求めない

 柊さん画作りが結構上手いよなあ。

 黒さんの手足に徹してても、カメラに収める範囲、カメラへの納め方、カメラの撮影範囲っていう限定範囲の中でどう魅せるかが上手い。

 基礎的なところにも強みが見える。

 CMじゃ大した能力発揮できてねえだろうに、それでも上手く見えるぜ。

 

「カァァァット!!」

 

 まあ景さんのせいで失敗してんだけどな!

 

 景さんは料理が上手い。

 手付き見てりゃ分かる。

 が。

 黒さんのCMプランは、「父親のために初めてキッチンに立った娘」だ。

 おめー料理が上手くてどうすんじゃ。

 

「達人かお前は!」

 

 黒さんがキレてる。そりゃーこういうの監督は苛立つわな。

 

「真剣にやれよ!」

 

「真剣よ! 味見してみる!?」

 

「『真剣に作れ』じゃねえ! 『真剣に演じろ』ボケ!」

 

 喧嘩始めちまった。

 うーん駄目だ。

 過剰な憑依型俳優はどうしようもねえくらい扱いにくいんだよな。

 しかもメソッド演技型だとなあ。

 

 演じる役柄に応じて、その感情と呼応する自らの過去を追体験する演技法。

 こいつを『メソッド演技』と言う。

 

 近年の日本でこいつが有名になったのは、ダークナイト*1のジョーカー*2を演じたヒール・レジャー*3さんが、役作りの悪影響のせいで死に至ったのがきっかけだろうな。

 演者を死に至らしめるほどの演技法。

 見るものを圧倒し一生忘れない演技を見せる演技法。

 ただしこいつを、単純に既存の演技法の上位互換と見るのはクソ危ういことだ。

 

 まず、メソッド演技は何故生まれた?

 

 こいつは、既存のテクニックを否定し、自らの内面に深く潜り、過剰なほどに役を掘り下げ、自然な演技を作ろうって試みから始まったもんだ。

 要約すりゃ、昔からあるテクニックを否定して心で演じるっつー方向性。

 技で演じる人達とは真逆の方向に行こうっていうのが、メソッド演技の根幹だった。

 その源流の一つには心理学もある、なんて言われてるんだぜ。

 

 役を作るために、自らの内面に潜行し心を使う。

 そいつがどんだけ危険なことか。

 知識がありゃ、誰もが身構える。

 

 例えば、景さんは悲しみと涙の演技をする時、何かとても悲しいことを思い出してるはずだ。

 人生で一番辛くて悲しかった何かを思い出してるはずだ。

 思い出す度に、自覚なく自分の心を刃で突き刺してるようなもんのはずだ。

 景さんに泣けと監督が命じることは、"本気の涙を流してしまうほど辛かったことを思い出せ"と言ってるのと同じことだ。

 

 誰もが知ってる、アリリン・モンロー*4

 彼女は悲しみの演技をするため、悲しみのトラウマを繰り返し思い出し、そのせいで頻繁に情緒不安定になってたって話だ。

 メソッド演技は"そういうもの"。

 演技の方法の一つと言やあ聞こえが良いが、アリサさん辺りは「演出家が俳優に自傷を強制する外道行為を繰り返している」とか言うだろう。

 

 俺は。

 景さんのその悲しみがどういう質のものか分かってんのに、止めない。

 止められない。

 景さんが仮に「大丈夫」と言い張ったとしても、俺は彼女が涙を流すたびに思い出してる、俺の知らない彼女の悲しみの記憶を無視できない。

 俺は。

 オーディションの録画の最後で、皆に拍手され、讃えられ、笑顔になった景さんを見た。

 あれを、喜びと言うべきなのか、希望と言うべきなのか、夢見る顔と言うべきなのか。

 景さんから、あれを奪いたくない。

 止められない。

 景さんがこれから先に生み出していくものを、もっと見ていてえ。

 それで止めないんだから、俺は本当にクソ野郎だと思う。

 

(夜凪景のことを本当に想っている人ってのは、どう選択するんだろうな。

 景さんが望んでる役者の道を進ませるのか、進ませないのか……わっかんね)

 

 口から出そうになった疑問を、口の中で噛み潰す。

 

「大丈夫かな」

 

 ぼそっと、カメラに直接的に指示を出している柊さんの口から不安が漏れる。

 その不安を取り除いてやろうとして。

 

「大丈夫ですよ」

 

 びっくりするくらい信頼に満ちた声が、俺の口から漏れた。

 

「信じてるの?」

 

 半信半疑って感じの台詞が、柊さんの口から出てくる。

 

「疑ってないだけです」

 

 半疑すら無い俺の言葉が、勝手に俺の口から出てきた。

 

 

 

 

 

 メソッド演技は、アメリカとかの演劇世界の革新だった。

 それまでの時代の革新的なものを、新たに革新的な発想で纏めて混ぜ合わせ、結果生まれた革新的な演技法だった。

 一時期は、映画でメソッド演技がそれ以外の演技を駆逐するかもと思われてたくらいに。

 

 だが結局は、猫も杓子もメソッド演技、ってことにはならなかった。

 才能がねえ奴はメソッド演技が身につかねえか、結果も出せず潰れるだけ。

 稀有な才能の持ち主も、メソッド演技の悪影響で燃え尽きていった。

 んでもって、メソッド演技以外の演技が、メソッド演技を凌駕するって事例が増えたからだ。

 

 メソッド演技は、他の演技の上であることが確定してるもんじゃねえ。

 そいつを使ってる人の命を時に削りながら、前のめりに名演を目指すもんでしかねえんだ。

 

 それだけじゃねえ。

 メソッド演技を極めた人や映画は、時に()()()()()()()()()

 

 『クレイマー、クレイマー』*5ってコロンビアの映画がある。

 この映画は、メソッド俳優の主演男優に、監督以下誰も彼もが引っ張られた。

 

 まず、主人公の妻の役に恋人を亡くしたばかりの名女優が選ばれた。

 演技力で選ばれたんじゃねえ。

 恋人を亡くしたばかりのその人なら、簡単に精神を不安定にできるからだ。

 撮影時には死んだ恋人の名前を出して女優をいじめ、メソッド演技のそれを外部から強制、精神的に不安定になった女性を撮影した。

 それでも駄目なら、カメラの外で女優を平手打ちして泣かせた。

 俺はこういうの、あんま好きじゃねえな。

 

 子役が痛みで泣くシーンが必要だったもんで、主演男優は幼い子役が他のスタッフとめっちゃ仲良くなってるのに目をつけた。

 そして、「撮影が終わったらもう他人、もう二度と皆とは会えないよ」と言った。

 子供は泣いた。それが撮影され、本編に使われた。

 泣くに決まってんだろ!

 そりゃ、泣くだろうけどよ!

 ……ああ、そうだよな。

 『本気で心の底から泣いてる子供』の画ってやつは、そうでもしなきゃ撮れなかったんだろうけどさ。

 メソッド演技のやり方を子供に強制するのは、こうでもないと無理だったんだろうけどよ。

 俺は、そういうのあんま肯定できねえ。

 

 アリサさんは、こういうのも危惧してる気がする。

 強烈なメソッド演技に人は魅入られる。

 メソッド俳優で大成功した人がいると、子供や新人がそれに憧れ真似をする。

 他の監督も「ちょっとメソッド演技ってのやってみてよ」と撮影で言うようになる。

 そして、主体性が薄い監督達は、最悪メソッド俳優に引っ張られて大変なことになる。

 

 俺にも、それを危惧する気持ちは無いわけじゃねえんだ。

 

 メソッド演技自体の欠点も指摘も、累積されて長え。

 死に追い込むレベルの役者への負担もそうだが、演技も水物すぎる。

 技術的に冷静にやってねえから、再現性がない演技になることもしばしば。

 観客に伝わりにくい演技になることも多い。

 『表現力が低い』なんてもよく言われることだな。

 メソッド演技を極められてるって時点で、そいつは完全に天才なんだ。

 

 ハンブリー・ボガート*6は「メソッド俳優はやたらと動き回り、口から唾を吐き散らし、落ち着きの無い演技が得意だ」と皮肉った。

 ジャッジ・ニコルソン*7は役そのものになるのだという人達に、「じゃあ殺人鬼役の時はどうするんだ?」と言った。

 アイロニー・ホプキンス*8は「演技というものは嘘の絵空事であって、全ては台本の中にある」と台本外の役の掘り下げを否定した。

 

 メソッド演技の否定者ってのは多く、メソッド演技否定者の名演者ってのも多い。

 そこにメソッド演技特有の危険を指摘する人も加わるわけだ。

 昔ほどメソッド演技が海外で絶対視されてねえ理由が、よーく分かるな。

 普通こんな演技極めようとしてたら、全力で「俳優になるな」って止めるっての。

 

 それでも俺は。

 そういうの全部知ってる上で。

 アリサさんと同じ結論と選択に至れない。

 あのたった一回のオーディションで、俺の心は彼女の演技に魅せられてやがる。

 

 アリサさんも、黒さんも、俺も、景さんの生み出す美しさと可能性を理解してる。

 だからアリサさんは、壊れやすい美術品みたいに景さんを扱う。

 だから黒さんは、なんもかんもぶっ壊して皆の記憶に一生残る爆弾みたいに景さんを扱う。

 俺は……俺はなんだろうな。

 まだ分かんねえや。

 

 だけど。

 だけどな。

 

 景さんはメソッド演技を極めた者であっても、そこで終わると定められた者じゃねえだろと、俺は思う。

 

 原型的なメソッド演技なんて、もう大概が古くなってる。

 メソッド演技は改良を加えられ、細かに分類すれば様々な種類に分類できちまうくらいに、様々な分化と進化を繰り返してきた。

 黒さんだって、メソッド演技の改良法、比較的安全な運用法の前例くらいは知ってるはずだ。

 

 そもそも危険性が派手に騒がれてた頃のメソッド演技ってのは、台詞の発音や体の動きで感情を表現するやり方を否定してたが、現代のメソッド俳優達はその辺も普通に使ってる。

 メソッド演技が否定したものもメソッド演技に混ざったりしてんだ。

 他の技術を飲み込むことで、メソッド演技は進化する。

 

 メソッド演技がアメリカで革命を起こしたのが、1940年代。

 そっから日本にその概念が時に徐々に、時に急激に流入し、日本で信仰みてえな支持を獲得。

 メソッド演技を嫌う人達が本出したりし始めたのが20年前から10年前だっけか?

 演劇スタジオとか、公式サイトのコラムで批判してたりもしてたな、確か。

 

 だがな。

 演技は演技だ。

 技術でしかねえし、演じるのは俳優でしかねえんだよ。

 本来、ただの技術がこんなに嫌われるわけがねえんだ。

 じゃあなんでメソッド演技はこんなに好かれ、こんなに嫌われてんだ?

 

 そいつは、メソッド演技ってやつが強烈に人を惹きつける個性を持ってる証拠だ。

 凡百にだけは、絶対になれねえんだ。

 

「墨字さんなんであんな子連れて来たんだろう?」

 

「もうちょっと様子見てください、柊さん。

 景さんならどうにかなりますよ。

 ほら、そろそろ口喧嘩も終わりそうですし。

 俺もウマの運搬とか諸雑務はやっておきますから」

 

「何? あの子のこと好きなの? エージくんお熱だね、なんか」

 

「あの子の演技は好きですよ」

 

 柊さんと話しつつ、お互いしか目に入ってない黒さんと景さんの視界に入って邪魔しないよう、二人の口喧嘩をバックに色々とお手伝いする。

 

 黒さんは、景さんをどう仕上げるつもりなんだろうか。

 景さんは、目指してる俳優演技の形とかあんだろうか。

 少なくとも、アクターズの昔ながらのやり方にはならねえだろうな。

 

 『アクターズ』。

 1947年に創設された、メソッド演技の生みの親たる俳優養成事務所だ。

 心理学を導入した20世紀の演劇革命『スタニスラフスキー・システム』を素材に、革新的な発想で生み出された演技法が、メソッド演技ってーわけだ。

 ここがなけりゃ現代の流行りの映画なんてなかっただろうな。

 もちろん、ここがなけりゃメソッド演技もなかったわけだ。

 

 だが現代じゃ、かつてアクターズが生み出し持て囃されたメソッド演技だけで、何もかも乗り切るってのは無理だ。

 俯瞰の視点、マイム系の表現法の導入、メソッド演技を行いながら他俳優に合わせる柔軟性、毎日ルーチン的に繰り返す精神安定作業。

 やれること、改善できることってのは腐るほどある。

 黒さんは、それを知っているはずだ。

 

 アクターズが生み出したメソッド演技そのままじゃ駄目だ。

 メソッド演技を発展させ、その先に。

 アクターズの生み出したものから卒業するくらいじゃなきゃならねえ。

 

 

 

 アクターズに非ず(ノット・アクターズ)。それこそが、景さんの完成形になるはずだ。

 

 

 

 黒さんと景さんのギャーギャーした喧嘩が、ちょっと落ち着いてきた。

 

「夜凪、お前『芝居』を何だと思っている?」

 

「……()()()()()()?」

 

「お前なぁ……分かってるなら、早く()れよ。初めて親父に料理を作った日を思い出せ」

 

 スタジオに困惑が広がるのが分かる。

 見に来てたクライアントやプロデューサーが困惑してんな。

 他スタッフも少し動揺が見える。

 「ん?」といった風な顔をして、何やら勘付き始めてるのは柊さんだけか。

 スタッフに声かけしとこう。

 撮影に気が入らなくても困るし、不真面目な女優と思われて手を抜かれても困る。

 

「カチンコ*9の合図と共に過去に戻り、カチンコの合図と共に現在に戻ってくる。

 "メソッド演技"……過去の自分の感情を自在に現在に蘇らせる。それがお前の芝居だろ」

 

「……私、父親に料理を作ったことないの。戻るべき過去がないわ……」

 

 奇遇だな。俺も親父と、"そういう繋がり"なかったよ。

 

「……」

 

 あ、一瞬黒さんがめちゃくちゃ頭回した感じの、マジで一瞬の沈黙があった。

 うーむ、そうか。

 黒さんからすりゃ、景さんが一回でも初めて父親に料理を作った経験がありゃ、それであっさり終わるような仕事だったわけだな。

 

 考えてみりゃ黒さんからすりゃ、オーディションの最後から数えてまだ24時間も経ってねえくらいの付き合いだ。

 知らんことの方が多いだろうぜ。

 同じスタジオ所属の監督と俳優で、その相互不理解はどうかと思うが……俺はお隣さんだけど知らねえからもっとアレなんだよな。

 

「この際相手は誰でもいい。

 初めて手料理を作った日を思い出せ。

 俺が撮りたいのはお前の愛情だ。

 誰かのために努力するお前が観たいんだ」

 

 ロマンのあること言うよな、黒さんは。

 

 監督は、撮影現場の脳だ。

 自らの頭の中のイメージを皆に伝え、皆から帰ってきた意見を拾い、思うまま組み立てる。

 各個人に事細かな指示を出し、制作チームっていう体を指揮する制作の支配者。

 俺は意見や技術を出し続けてりゃ良い。

 完成形は、監督が決める。

 

 俺や柊さんっていう手足は望むまま動く状態だが、景さんっていう顔が思うように動いてくれてねえってのが現状だ。

 黒さんの言葉がどのくらい景さんをコントロールして、どう成長させるか。

 そこが肝になる。

 黒さんがどのくらい景さんの本質を見抜いていて、分かりやすく心に届く言葉を選べているか、そこに撮影の命運がかかってると言っても過言じゃねえ。

 さあ、どうなる。

 

「カレーライスだったわ」

 

 ……!

 "入り始めた"。理屈じゃねえ、感覚で分かる。景さんが役に入り始めてる。

 

 黒さんが景さんの語りと役への没入を邪魔しないよう、手を振って身振りで示す。

 誰より早く柊さんが反応し、全体を撮影の姿勢に入らせる。

 俺も動いてカメラマン達に耳打ちしていき、ついていけてない他スタッフを動かし始める。

 

「ずっと料理を作ってくれてた人が突然居なくなって、弟妹が毎日泣いてて」

 

 景さんが思い出を語りながら、包丁や鍋を取り出し始めた。

 カメラは……よし、動いてる!

 

「私は2人に笑って欲しくて、お母さんがよく作ってくれたカレーを作ろうと思って」

 

 "入った"。

 よし、いい感じに心が役に入れてる!

 シームレスな撮影の入りで申し訳ねえが、カメラマンも照明も頑張ってくれよ!

 

「包丁なんて初めて持ったから、2人共心配そうに私を見ていて」

 

 いい姉ちゃんしてるじゃねえか。

 そういうの好きだぜ、俺。

 景さんの演技見て……ん、んん? げっ!

 

「子供みたいに、不器用に……」

 

 景さんが料理を作るところまで入って、スタッフが皆景さんに見惚れてる。

 それはいい。

 だけど、やべえ! セット奥の壁が、揺れてねえけど固定されてねえ!

 経年劣化か何かで留め具が壊れたか!

 このままだとあと一分もしない内に壁が揺れ始めてNGになる。

 

 クソ、俺の大失態だ。全部の仕事を細かいところまでチェックしてれば……!

 

 そんなこと考えてる暇はねえ!

 皆景さんの演技に見惚れてるし、邪魔しないように黙ってる!

 このセットの壁は運びやすさと、倒れた時に人が下敷きになることを考えて、かなり薄く軽い素材で作られてる。

 景さんは怪我しないが、いい感じに入れた役から"戻って"来ちまう。クソが!

 

 シチューの平均的な調理時間から考えるとまだ10分以上は作業が続く。

 壁が揺れ出すまでの一分もない制限時間内に、作業が終わるまでの……余裕をもって20分以上保つ補修作業を終わらせる!

 急げ、急げ!

 

 視線走らせ、よし見つけた!

 経年劣化で折れてる固定具!

 取り出したるは、俺が数時間前に折れた椅子に使ったテープ・FiberFixと、紫外線ライトを当てることで5秒以内に固まる接着補修材・UVリペアペン。

 

 1、2、3、4……よし接着! 仮固定!

 化粧落としに使う用のぬるま湯で柔らかくしたテープを、表面に貼って固定!

 グラスファイバーを使ってるこのテープは、表面にペタっと一枚だけ貼っても引張強度241N/cm……要するに、70kgのパワーで引っ張っても耐えられる。

 人間の手で持って運べる重量のセットの壁を支えるには、十分だ。

 

 危なかった。

 普通の接着剤とガムテープだったら、固定が間に合ったかどうか……壁が微塵も揺れないくらいガチっと固定できたかどうか……マジで危なかったぜ。

 でも、間に合った。セーフ。

 さて景さんの演技を見に行くか。

 もうずっと景さんの演技の声しか聞こえねえ。

 皆ひそひそ話すらせず、景さんの演技に見入ってんだろうな。

 

 俺が戻った時、景さんはかつての自分を思い出しながら―――指を、包丁で切っていた。

 かつての自分が、弟と妹のために料理した時に包丁で指を切った過去を、メソッド演技でそのままに再現していた。

 ヤバい。

 イカれてやがる。

 「包丁で指を自分の意志でザックリ切ってね」って言われて切る女優ってのは、業界に一体何人いるんだ?

 切れるか? 自分の意志で自分の指を、包丁でザックリと。

 

 仮に切れたとしても、包丁で自分の指を切る前に一瞬表情に怯えが見えるもんだ。

 怯えをポーカーフェイスで隠せても、自分の指ザックリ行く直前は、痛みを想像した脳が体を強張らせちまう。

 これはもう半ば脳反応だ。

 訓練しても隠せねえ人の方が多い。

 

 なのに、景さんは全くそんなことがなかった。

 "弟と妹のために上手くできるか"という不安だけが浮かんでいた顔で、自分が指を切るなんて想像すらしていない雰囲気で、危うい手つきで野菜を切ってた。

 そして、あたかも不安な気持ちで集中力が散漫になった結果、指を切ったかのように。

 指を切った瞬間、予想外の出来事にとても驚き、それを隠すような表情を浮かべ。

 痛みをこらえながら、それを我慢していることが自然に伝わる表情に移行する。

 指を舐め、血が止まったら料理再開。

 

 ったく、すげえな。

 『本物』だわ、景さんは。

 ……黒さんの指示が上手くかみ合い、本当に本気で自分の指を切ったから、本当に痛いんだろ。

 

「とても痛かったけど2人が泣くといけないから、笑って誤魔化したの」

 

 それに、優しい。

 この演技には、優しさと愛が詰まってる。

 誰かを想い料理を始め、誰かを想って涙をこらえた優しい人の記憶が、その時そのままの形で今ここに形を結ぶ。

 景さんが大切にしている弟と妹の姿が、そこに見えるかのようだ。

 

 これが、メソッド演技。

 "かつての自分"を掘り出すことで、見る者の心を震わせる名演。

 

 斜め前の斜め上から、カメラが景さんを映している。

 鍋の中身も、景さんの右手のお玉も、左手の味見皿の中身も、家族を思う景さんの微笑みも。

 全てを撮るカメラに映る映像は、きっと美しいだろうと、そう思えた。

 俺も思わず、息を飲んじまってたから。

 

 景さんは、過去の自分を再現しているだけだ。

 創作を演じてるわけじゃねえ。

 なのに、再現された過去の景さんの姿が、とても美しく感じられる。

 家族を思うその姿がとても尊く見える。

 それは普段の日常の中ですら景さんが、周りが見惚れるような生き方をしているから……ふと、そんなことを思った。

 

 もしそうなら。

 俺は彼女の人生全てに見惚れることもあるかもしれないと、ふと思った。

 

「味は?」

 

「コゲて苦くて、皆で笑っちゃったわ」

 

 黒さんが笑って問いかけ、景さんが微笑みのまま返答する。

 景さんはまだ"戻って"来ていない。

 自分の内面に潜る深度が本当に桁違いだな。

 

「カット!」

 

 黒さんの声が上がり、息を合わせた柊さんが同時にカチンコを鳴らす。

 その瞬間、景さんが"戻って"来た。

 あーもークソ、見ててハラハラする切り替えの仕方してやがる。

 

「OKだ! シチューはマジでコゲてるから別撮りな!」

 

「は……はい!」

 

 始まりの合図はなかったが、終わりの合図はあった。

 景さんの演技に"引きずり込まれていた"スタッフの人達が、黒さんの張り上げた声により、現実に戻ってくる。

 皆、夢でも見てたみたいな気持ちだろうな。

 だがこっちが現実だ。

 しっかりしてくれ。

 俺は今そっちに気を向けてる余裕ねえからな!

 

 スタジオに誰よりも先んじて、俺は飛び込む。

 

「景さん!」

 

「あら、英二くん。いたなら声をかけてくれれば良かったのに」

 

「手の手当しますから手を動かさないでください!」

 

 過去の自分のリプレイしたら手を切るのは不可避とか、どうなってんだお前!

 

 じゃあお前、演技中にゲロ吐くの不可避の事案になったらどうすんだバカ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 景さんの手当終了。

 

「ありがとう、英二君。気遣いの鬼ね」

 

「女優の体には小さなキズが付くのも気にするものですよ。体をお大事に」

 

 怖い。

 こりゃ怖いな。

 メソッド演技に没頭してる時は、たぶんどんなに非常識的なことも、自分の体が傷付くことも躊躇わねえ……いや、違うな。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()って言うべきか。

 

 日本だと憑依型は、役の感情が自分自身の感情を上回っちまうことが多い。

 撮影時の役で親友だった子を、現実でも親友だと思っちまったりとかな。

 憑依型の女優は特にこれが顕著で、マネージャーや一般人と恋愛関係にならねえ身持ちの固い清純派女優が、ドラマの共演者をとっかえひっかえしてることがある。

 

 これはその女優がビッチとかそういうことじゃねえ。

 演技の度に"その男を好きな女"の役に入り込みすぎるせいで好きになっちまって、撮影が終わって次の撮影に行くと、次の撮影で別の役に入り込みすぎて別の人を好きになっちまうからだ。

 恋愛感情を役作りで作れる女優も、役作りで作った感情を理性で全く制御できてない女優も、この業界にはそこそこいる。

 そういうのも含めて業界用語で、『共演者キラー』って言う。

 いやあ、俳優じゃねえ俺はこういうのに巻き込まれないからそういうとこ幸運だと思うわ。

 

 景さんもメソッド演技に本当の自分が引っ張られねえといいんだが。

 そこは景さんの生来の精神の頑丈さと、ここからの成長に期待しておくべきか。

 

 っと、柊さん。片付け手伝いますよ。

 

「ありがと、エージくん」

 

「いえいえ」

 

「墨字さんがさっき『金の卵』って言ってたんだけどさ。……うん、これは誇張無しだ」

 

「景さんは、ああですから」

 

 びっくりしたろ。

 あれが黒山墨字が懐に抱え込もうとするレベルの才能だ。

 あーよかった。演技よかった。

 贅沢言うと最初から最後まで生で演技見たかったぜ。惜しいことをした。

 

「柊さん見ましたかあの演技。愛ですよ、愛」

 

 強いて名付けるなら、家族愛の演技ってとこか。

 

「凄いですよね。どこの漫画でしょうか。言葉無くとも愛が伝えられる、って」

 

 見る者に愛を感じさせる演技。

 CMの流れの中に、景さんの台詞はねえ。

 台詞もなく、状況の説明もないってのに、ただ料理を作ってる姿を見せるだけで、景さんは黒さんが満足する画を作り上げてみせた。

 

 そう、見せただけだ。

 見せただけで説明しない。

 見る者の脳に自然と理解させる、そんな画作り。

 だからこのCMは、きっと見ているだけで心地良い。

 

「あそこまでの『愛の演技』は、きっと才能が無い人間には真似すらできないやつです」

 

 かーっ! いいもん見た! いいもん見た気分だ!

 

「お熱だね、エージ君」

 

「かもしれません」

 

「墨字さんが君を引き込めた理由、大体分かった」

 

 柊さんと色々片付けていると、指に絆創膏とテープを巻いた状態の景さんが寄って来た。

 

「さっそくお仕事で会うなんて思わなかったわ」

 

「ですね。セット、何か特別なことは感じましたか?」

 

「特別……? いいえ、特別何かは感じなかったわ」

 

「それならいいです。それが最良ですから」

 

「?」

 

 ヘタクソのセットは、足を一歩踏み入れただけで分かる。

 セットは家を模しているだけのもんだ。

 だからスタジオの床とセットの間に隙間が出来たり、この隙間で音が反響していやーにセット感が出ちまうことがある。

 ヘタクソならコンパネ*10使った方がいいくらいだ。

 

 セット組みに工夫はした。

 普通、一般家屋と撮影セットてのは床を踏んだ感触や音が違う。

 夜凪家の床は一回歩いて覚えてたからな、そっちに合わせた。

 

 キッチンもそこそこ物の置き場を調整した。

 景さんが料理してる姿は、前に一回見てるからそっちに寄せた。

 あとは、夜凪家は小さい子供がいる家だからな。

 子供が姉や親の真似して包丁を勝手に取り出さないように、とか、包丁のしまい方やその他諸々の"小さい子対策"が施されているはずだ。

 だからそれ相応の物配置にした。

 

 俺の今回の仕事は美術。セットのレイアウトは好きにさせてもらった。

 

 景さんの演技はまだ、寸分違わないメソッド演技のそれ。

 基本的に過去の自分のリピートだ。

 だから、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 ただそれだけで()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()かもだ。

 可能性レベルの話だが、それが怖かった。

 

 ただおそらく、そうなってたなら、黒さんは『どこに調理器具があるか分からなくて混乱している娘』って方向に方向性を変えてたかも、とは思う。

 それはそれで、今回のCM依頼に相応しい画が撮れてただろうな。

 そっちなら初々しさが撮れるだろうし。

 

 まあ所詮推測だ。

 "黒さんはいくつかのプランを頭の中で広げてたんだろう"っていう俺の推測。

 黒さん見てる内にそうなんじゃねえかって俺が思っただけ。

 もし本当にそうだったら、俺がこのセットを夜凪さんちに地味に寄せた意味はなかったってことだが……まーそれならそれでいいか。

 

 景さんは特別なことは何も感じなかったと言った。

 

 他のセットや舞台、小道具や衣装を知っている人が、俺を褒めてくれることがある。

 他の人の仕事と比べて褒めてくれるもんだから、ちょっと複雑な気分になりつつも嬉しい。

 他の人がバカにされてるみたいで複雑な気持ちだってのに、嬉しくなっちまう。

 景さんにそういうのはねえ。

 彼女はこれが初仕事だからだ。

 そんな彼女が、初仕事のステージに何の違和感も覚えなかった。

 これ以上の光栄があるか?

 

 彼女は、特別なことは何もしなかった。

 彼女は、特別なことは何も感じなかった。

 ごく自然体のまま、セットの環境に適応し、特別何も思わないまま特別何もしないまま、普段通りの自分らしく演じてみせた。

 

 俺はなんとか、過去の記憶に意識を飛ばした彼女が、周囲の環境と不協和音を起こすという、想定外事態を止められたみてえだな。

 環境の方をいじって彼女に合わせた甲斐はあった、と思いたい。

 床に違和感覚えて集中力が少しでも削がれるとか、そういうことは避けられた。

 

 何も特別でないってことが、こんなにも誇らしい。

 自然体で演技できる舞台を用意できたことが、こんなにも誇らしい。

 それが、裏方(おれたち)の誇りだ。

 

「おいエージ!」

 

 なんですっかね黒さん。

 皆から離れて自動販売機横のベンチに座ってる黒さんに駆け寄っていく。

 

「よう、よくやった。悪くない仕事だったぞ」

 

「ありがとうございます」

 

 いいとこで呼んでくれたな。

 聞きたいことあったんだよ。

 

「今日の仕事、景さんはキッチン前に立ちっぱなしでしたが……

 もしかして、次の仕事も景さんがそこに立ちっぱなしの撮影だったりしますか?」

 

「ああ。時代劇あたりのエキストラ、それも立ちっぱなしで動きがねえ奴を考えてる」

 

「……やっぱり」

 

 今の景さんに舞台演劇をやらせたら何もかも崩壊する。

 景さんは今のままだと他人に合わせられねえし、後ろの席の方まで演技の質感を届けられるだけの"よく届く演技"が出来てねえからだ。

 演劇全体のバランスも考えると、景さんみたいな他役者を食いかねない存在感の役者はめっちゃ使いづらいだろうしな。

 

 かといって、カメラで撮る既存の撮影でも問題が出ないわけじゃねえ。

 例えば、遠くから人が迫ってくる演技。

 この場合は遠くから走ってきた人が固定カメラに寄り、カメラに迫り、そこでにっこり笑顔を見せるとかの撮影がこれにあたるな。

 だが、『憑依型の迫真の演技』をする奴は、そこそこの確率で演技に夢中になった挙げ句、動き回りすぎてカメラに収まらない。

 そこそこあるんだ、こういうのが。

 だってそうだろ。

 カメラの前に満面の笑みを映すシーンは、10cm横にズレてただけで顔が全部カメラの撮影範囲から出ちまうんだぞ。

 舞台なら10cmズレてるくらいはどうにかなる。

 だがカメラ撮影だと、こういうフレームアウトになっちまったりするわけだ。

 

 今の景さんだと、動く姿を撮影すると、予想外の方に行きかねねえ。

 "このカメラの撮影範囲を認識して撮影範囲いっぱいに笑顔映してね"と言われても、カメラの撮影範囲の計算や歩数の計算ができねえから、絶対失敗するだろうな。

 

 だから黒さんは、立ったまま撮れる、あっちこっち行かなくていい仕事をあてがった。

 今回の仕事と次回の仕事を、夜凪さんを安定してカメラ内に収められる仕事にしたんだな。

 これならカメラの範囲やら歩数やら考えなくていい。

 つまり、カメラを意識しなくても撮影できるレベルの仕事だってことだ。

 

 よく考えてやがる。

 カメラを意識しなくてもいい仕事で経験積ませつつ、なんらかの技術を先に仕込んで、そっからカメラを意識させるつもりだろうか?

 "カメラを意識しろ"と言わなくていい分、景さんがカメラ以外の何かしらに集中できる……そういうことだろうか。

 

 俺のレベルじゃ、黒さんが口にしてねえ意図を読み取るのはここらが限界だ、クソ。

 

「それにしても。な」

 

 なんだなんだ。

 俺の仕事にまだ未熟な部分があったか。

 言ってくれ、直すぞ。

 

「……お前、夜凪のこと下の名前で呼んでんだな。珍しくねえか? ん?」

 

「―――」

 

「しかもお前、俺にそれを隠してたな? ちょーっと、俺はその理由を聞きてえな……?」

 

 うわああ……知られちゃならねえやつに!

 

「まあ座れ座れエージ。何か飲むか?

 コーヒー? 紅茶? ククク……ゆっくり話そうぜ」

 

「クライアントさーん! プロデューサーさーん! ここで監督がサボろうとしてまーす!」

 

「あ、テメエ!」

 

 ふざけんなクソヒゲオヤジてめえのペースになんざ乗ってたまるかぁッ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 片付けもなんとか終わった。

 スタッフさん達、撮影用具やセットを用意してくれた人達に礼を言って、「また頼らせてください」とか言っておく。今後の関係が良好になるからだ。

 プロデューサーとかクライアントとかは、CM放映までは仕事で付き合いが続くもんだ。

 だから丁寧に別れの挨拶をしておく。

 俺、黒さん、柊さん、景さんだけになったそこで、時間を確認する。

 

【11:50】

 

 よし、午後からの仕事には余裕で間に合うな。

 

「俺もうちょっとしたら次の仕事行きます。皆さん、お疲れ様でした」

 

「後でいいから事務所に来いよ。報酬の話もしねえとな」

 

「分かりました。では、18時頃にお邪魔します。

 予定の時間に間に合いそうになければ一時間前には連絡入れますね」

 

「おう」

 

 景さんが興味深そうにこっちを見ている。

 おうじっと見んな。

 照れる。

 横顔だけ見るタイプな百城さんより真正面からじっと見てくるこっちの方が恥ずい。

 

「今度はどんなお仕事なの?」

 

「テレビ局のエロHKで特番やるらしいんです。

 昔の映画監督の特集やるって聞いてます。

 それの衣装と造形と、あと時代を反映したセットの作成の打ち合わせを」

 

「映画監督? 誰かしら」

 

 ふむ。

 景さんは映画好きだと思う。

 だがいい機会だ。少し試してみるか。

 

「こほん」

 

 少しばかり、映画の台詞を言う。

 

「『バカになったみたいだ。恋をしたのかな?』」

 

 カチッ、と音もなく何かのスイッチが入った、そんな気がした。

 景さんがすっと別人のようになり、彼女の口からとある映画の名演の台詞がそのまま出る。

 

「『私は、半年前からバカだったわ』」

 

 うわっ、名演だ。

 

「「 『日曜日が待ち遠しい!』 」」*11

 

 こえー。

 百城さんとかはこっちに合わせてくるが、景さんは圧倒してくるな。

 こっちからおふざけで話を振ったっていうのに、景さんに飲み込まれちまいそうだ。

 景さんが"戻って"きて、黒さんが鼻で笑っていた。

 

「トリュフォーかよ。古臭えな」

 

「嫌いですか? 黒さん」

 

「嫌いとまでは言ってねえだろ」

 

 なんだこいつめんどうくさい。

 

「そういえば真面目に黒さんが好きな映画とか聞いたことなかったですね」

 

「お前らが今語ってたトリュフォーが言ってんだろ」

 

「?」

 

「『映画作家は何かを言うのではなく、見せるだけだ』」

 

「む」

 

 確かにそうだ。

 "俺が好きなのはこういうもんだ"ってのを普段の会話じゃなくて自分の作品で語ろうとするか、黒山墨字!

 いいぞ! そういうの俺結構好きだぞ!

 

「トリュフォー? いいよね、私も好きだよ」

 

「柊さんもでしたか」

 

「いいよね。恋愛極めた映画監督って感じで。

 『どうすれば恋をしているとわかるか?

  それはとても簡単なこと。

  自分の利に反して行動するようになったら、それは恋をしているということ』とかね」

 

 あー、それなぁ。

 

「俺、トリュフォー好きなんですけどそれだけはあんまり納得してないんですよね」

 

「どうして?」

 

「だってそうなら、俺は景さんに恋してることになりますよ」

 

「ん?」「ん?」「ん?」

 

 だってそれなら、俺は百城さんにも景さんにも、アラヤさんにも巌爺ちゃんにも恋してることになるぞ。他にも色々。

 それは流石にねえと思うがなあ。

 百城さんと景さんだけだったとしても俺が相当なクズになっちまう。だからないない。

 

「ど、どうしよう、告白されてしまったわ。どうごめんなさいって言えば……」

 

「あわあわしてないでけいちゃん!」

 

「だはははは! おっ、お前っ、エージお前!」

 

「いや、別に告白してるわけじゃなくてですね」

 

 爆笑してんじゃねえぞうるせえヒゲオヤジ!

 

「夜凪さんは才能が美人なんですよ。

 いや外見も美人ではありますが。

 美人というのは、上手く言えませんが、他者を惚れさせてこその美人じゃないですか」

 

「ん、んん?」

 

「美人薄命と言いますし、男はバカだから美人を守りたがるとも言うじゃないですか」

 

「えー、あー、いや、その、私ね」

 

「だから理論的に自然なことなのでは? 俺そんな間違ってないと思うんですけど」

 

「柊さん!」

「耳を塞ぎなさいけいちゃん!

 何かに夢中になってる時のエージくんの話をまともに聞くと引っ張られるよ!」

 

 何失礼なこと言ってんだテメー。

 

「景さん」

 

「は、はい」

 

「あなたの演技に一目惚れしました。

 作品完成を前提に、あなたの仕事にお付き合いを申し込みます」

 

 いやーここまで俳優さんの演技に惚れ込んだのは久しぶりだ。

 前に百城さんの良い演技見た時以来かもしれん。

 

「……よ、よく分からないけど、これは交際を申し込まれてるの?」

 

「よく話を聞いてけいちゃん!

 エージくんのこれ、多分恋愛から一番遠いところにあるやつだよ!」

 

 地獄の底まで相乗りしても良いと思える相手が見つかると、心が躍るよなあ。心が滾る。

 

「ハハッ! 才能に甘酸っぱい片思いするバカって奴は見てて楽しいよな、柊!」

 

「楽しくないんですけど!? 墨字さん!?」

 

 いつまで笑ってんだヒゲ!

 

 

 

 

 

 ちょうどいいとこにバスが来たんで、そいつに乗って移動した。

 少しばかり歩きそうだったもんで、歩きながらスマホを取り出す。

 震えているスマホが表示してる番号は、アキラ君のそれ。

 

「朝風です。何かありましたか?」

 

『突然すまない。何かあったというか、何か起きてるというか……』

 

「?」

 

『最近千世子君と何か話さなかったか? ケーという読みの名字の人とか』

 

「景さんの話ならしましたよ。

 期待の女優って話もしました。

 夜凪景さんですけど、名字ではないですね」

 

『! そうか、あの夜凪……ん? 待った、君が名前呼び? 女性だったと記憶してるけど』

 

「色々ありました」

 

『そうか……そうだったのか……

 名字で検索……彼女はケーが名前だと思わなかったから……

 ……それなら探しても見つかるわけもない……

 朝風君の二人称と夜凪君の両方を知ってる僕だから気付けたか……

 千世子君なら朝風君の目を信用してるから、間接的に夜凪君の実力を……

 ……だとしたら、同格の共演者になる可能性を考えて……千世子君は……』

 

「アキラさん?」

 

『いや、なんでもないよ。言っても朝風君の場合は意味が無いことだしね』

 

 んだとコラ。

 

『どうせ千世子君は実際に演技見るまでピンと来ないだろうし、いいんじゃないか』

 

「え、本当にどうしたんですか。百城さんに何かあったんですか?」

 

 病気とかだったら見舞いに行かねえと。

 

『千世子君は大丈夫だろう。君が大丈夫じゃないだろうけど』

 

「えっ、何故俺が?」

 

『千世子君と夜凪君が同時に仕事依頼してきたら、欲張りな君はどうする?』

 

「あーそれはそれはえーとあのそのえーとんー……大丈夫じゃないですね」

 

『ほらね』

 

「そうだ! 俺が仕事の速度を倍にしてどっちの現場にも行くってのはどうでしょうか?」

 

『どうでしょうかじゃないが』

 

 なんてこと言いやがる。

 

 しかし本当にあっちで何があったんだ。

 俺を知り、夜凪さんを知り、百城さんを理解しているアキラ君にだけ分かった何かがあったのかもしれん。

 ……まあ、アキラ君なら問題はねえだろう。

 この口ぶりだと大したこともなさそうだし。

 任せとくか。

 

『そうだ。夜凪君と千世子君の演技、どっちが良いと思った?』

 

 お前までそういうこと言うんかい。

 

「百城さんは例えば、発言の前に一瞬溜めと間を作って、次の発言を強調します。

 これが観客の心を揺らす、表現力の演技です。

 景さんは逆に普通の会話には溜めも間もないので、極めてリアルな演技に感情を込めます。

 これが観客の心を揺らす、再現力の演技です。正直言って、甲乙つけがたいとしか……」

 

『そうか』

 

「ただ、現段階だと百城さんが上な気もしますね」

 

『へぇ』

 

「たぶん、今の景さんだと周囲にお膳立てされて、幸運が絡んで、それで互角くらいかと」

 

 凡才が何十年経験を積んでも景さんには一息で飛び越えられるだろう。

 だけど、百城さんも天才の部類だ。

 特に"頑張り続けられる才能"においては、百城さんとアキラ君と並ぶような人間はそうそういねえと俺は思う。凄えのさ、お前ら二人は。

 

『君の才能を見る目は確かだから、僕もそこは信頼できる』

 

 嬉しいこと言ってくれるじゃん。

 台詞のセレクトまでイケメンな野郎だ。

 

「あ、そうだ。今夜一緒に焼き肉食いに行きませんか?」

 

 そうしたいって思ったら、気付いたらそう言っていた。

 

『焼き肉? いいよ、時間は?』

 

「19時半くらいでどうでしょうか」

 

『じゃあ赤坂のいつものところで』

 

「はい。急な仕事は入っても気にせずそっち行ってください」

 

『もしそうなったら仕事の方に行くだろうけど、そうなったら僕は気にするよ』

 

 少し話して、電話を切る。

 時間を見て、ふと気付いた。

 

【12:30】

 

 昨日の夜から、何も食っていない。

 なんかずっと仕事してるぞ俺。

 そうか……俺のこのほとばしる食欲は……そのせいか。

 心が叫ぶ。

 

 ―――友達と、焼き肉が食いてえ! 主にライス大盛りと牛タンが食いてえ!

 

 仕事を超特急で終わらせることを、俺は心に決めるのだった。

 

 

 

*1アメリカンコミックの代表的な人気キャラクター・バットマンを中心としたハードなストーリーが展開される2008年の名作映画。

*2狂気を宿したバットマンの宿敵。異能ではなく、精神の異常によって人々を震え上がらせるサイコパス。狂気の哄笑こそが彼を象徴する記号であり、後の時代には"正気の人間にはジョーカーを完璧には演じられないのかも"と言われたことも。

*3金に困らない家に生まれ、親に恵まれず、テレビに出れば出るほど嫌がらせやいじめを受けた幼少期をバネに、俳優として大成功した。ただし、俳優として成功し始めた頃に望んでいた役柄の才能は最後まで手に入らなかった。おそらくデビューした年齢は星アキラと同い年。

*4映画一本があっという間に興行収入当時400億円相当を稼いだりと、まさに桁違いの存在である伝説の女優。

*51979年公開。第52回アカデミー賞作品賞、第37回ゴールデングローブ賞ドラマ部門作品賞受賞。アカデミー助演女優賞などの受賞者を主軸に据え、アカデミー脚本賞や主演男優賞も獲得した。日本ではともかくとして世界的に高い評価を受け、名作として基本好意的に語られる映画。

*6『ハードボイルド』の体現者であったハリウッド俳優。彼が作り出したハードボイルドの概念は、後の仮面ライダーWの探偵主人公・左翔太郎にも大きな影響を与えた。

*7名俳優にして名監督という映画の化身。アカデミー賞常連であり、彼の作品群の中から名作だけを抜き出して見ようとしても、一日では時間が足りないほど。

*8映画『羊たちの沈黙』でサイコパスの殺人鬼医師・ハンニバル・レクターを名演。アカデミー主演男優賞を獲得した。役の掘り下げや自分の内面に潜ることを「馬鹿げている」と言い切る、表現力の鬼。極めた表現力によって観客に違和感を抱かせない。ある意味、百城千世子の完成形の一つとも言える存在。

*9映画の撮影開始時に監督や助監督が鳴らしている、黒っぽいアレ。表面にどこのシーン、どこのカット、これがNGの結果何回目の撮影かなどが書かれており、これをカメラで撮影しておくことで、撮影映像に映像だけでラベリングすることができる。音と映像を個別の機械で記録する撮影様式の場合、カメラ側はこれが鳴らされた映像の瞬間、音声側はこれが鳴らされた音の瞬間を基準にして映像と音声を合成する。短い料理CM撮影などの場合、ただの撮影開始の合図となることも。

*10コンクリートパネル。素材にコンクリートは使っていない。コンクリートの成形に使う型枠のベニヤ板のこと。演劇の世界ではセットの素材として、特撮の世界ではセットや特殊効果に使う。英二が千世子との仕事時に使っていた『ホコリ』などをコンパネの上に山盛りにし、コンパネを火薬で爆破すると、怪獣やウルトラマンが着地した時の地面の爆発になる。

*11フランソワ・トリュフォーの『日曜日が待ち遠しい!』(1983)。トリュフォーの遺作。軽快で有能な女優でもある女主人公が、惚れた男のために駆け回る、明るい恋愛系コメディ映画。




 現実のアクターズ・スタジオと架空の組織であるアクターズは別の組織です、別の組織です、名前が全然違いますからネー

 夜凪が恋愛映画好きで、百城さんが横顔好きで、二人とも好きな映画にローマの休日(恋愛系)が入ってるので英二君がこの手の話振っても完璧に反応してくれるという

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