ノット・アクターズ   作:ルシエド

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 茜さんが海の上に足乗せてる一コマが無かったらセットのタイプを判断するのに結構悩んでたと思います。ありがとう茜さん


朝遠く、夕焼けの茜を、夜が呑む摂理

 デスアイランド一般オーディションを明日に控えた夜。

 俺はオーディション会場に一人残り、オーディションのためのセット……『デスアイランドの舞台を思わせる海岸のセット』を調整していた。

 細かい調整は、やっぱ一人でやった方が質も上がるし何より楽だ。

 

 セットサイズは10m×10m。

 右端、左端、奥のパネル壁に絵が書かれていて、簡単な撮影レベルであれば景色が広がる海岸線にしか見えないようになっている。

 昔作られた撮影セット一式を拝借して、俺が全体的にリペイントとリビルドを施した。

 しかし結構楽だったな。

 既に美術要員が集められてて、オーディションでも手足みてえに使えるとは思わなかった。

 手塚監督の段取りに感謝しとこう。

 

 下には砂浜に見える人工の床板、右左奥には壁。

 よってこのセットを正立方体と見ると、手前と上だけが開けた構図になる。

 上と手前から照明で照らして、セット内に光を入れる仕組みになってるわけだな。

 

 本来、こういうセットでは『肌や服に適度にくっつき落としやすい人工の砂』を敷き詰めたり、海を寒天で作ったりする。

 海に普通に水を張って、扇風機で波立たせたりとかもするな。

 だが今回のは、海も砂浜も全部セット床板に書かれた絵だ。

 そこまでリアルな質感は出ねえ。

 その分、カメラには本物に見えるよう、床板も左右と奥の壁も結構力を入れて絵を描いた。

 

 そして、左・右・奥と床下で合計四枚の風景パネルを組み合わせたセットに、偽物の木や偽物の岩を置くことでようやく、このセットは本物の海岸に見える。

 

 『ギ木』っていうもんがある。

 漢字にすると『擬木』だな。

 こいつはコンクリートやら樹脂やらで、木に見える木の偽物を作ったもんだ。

 

 現代じゃ危ねえ所の手すりが木製に見えたら、まずこれだと思う。

 木は腐るから危ねえし長期間保たないからコストもかかる、かといって金属は錆びるし景観が損なわれたり雰囲気が良くなくなる……そんな思いから、こいつは生まれた。

 まあ要するに、木じゃないものの表面を塗装して木に見せかける技術だ。

 

 多分、この技術で助かったところは多いだろうな。

 自然の木をそのまま使ってるように見えるベンチを導入したかった公園。

 景観を守りつつ木の手すりで安全を確保したい山道の管理者。

 極めつけは動物園や水族館だろうぜ。

 

 動物園や水族館には、巨大水槽の中の巨大岩、猿が登る木、キリンの歩行路を誘導する置き岩などなど、沢山の"作り物の岩や木"が要る。

 そもそも天然の岩なら重すぎて水槽に入れられねえし、水槽ごとに合わせた大きさの岩の調達にすら苦労する。

 天然の木は枯れるし、毛虫とかの害虫も湧いちまう。季節で景観が変わんのも問題だ。

 偽物の木はギ木と言うが、岩の方はギ岩と言う。

 中身を空っぽにしたりもできるギ木やギ岩は、一人で運べるくらい軽くすることもできるってのに、動物園に置いても撮影セットに置いても本物に見えるってわけだ。

 

 俺が今回セットの用意に使ったのは、以前別の仕事で俺が作ったポリウレタンとポリウレアの混合樹脂成形によるギ木とギ岩。勿論オーディションに合わせて再加工済みだ。

 表面塗装にそこそこのこだわりを持って仕上げてあるんで、オーディションやオーディション撮影レベルなら本物にしか見えねえだろうな。

 

 絵の空、絵の砂浜、絵の海。

 作り物の大岩、作り物の漂着木材、作り物の草と大木。

 まあ悪くねえ感じになったんじゃねえかな?

 

 一人作業の総仕上げを終わらせていた俺を見ていた手塚監督が、やっと口を開いた。

 

「昔、面白い理想論を聞いたことがあるよ」

 

「なんですか?」

 

「できないことを途中で諦めるのが凡人。

 できるまでやるのが天才だ、というものさ。

 凡才と天才の最たる差は、最後まで全力を尽くし続けるメンタリティ……というものだね」

 

 ふむ。

 一面的には正しい気がする。

 最初から最後まで全力を出し続け、気を抜かずに集中力を保ち続けるってのは、実は凡人には難しい。

 休憩や手抜きってのはどうしても発生しちまうのが普通の人間ってもんだ。

 だから休憩や休暇を計算して、決められた時間の中で最大のパフォーマンスを発揮できるようにする……そういうのが、クレバーな考え方になる。

 

 俺もそうだな。

 俺の場合は集中力が下がっても仕事の質を下げないように訓練して慣らした。

 一定以下の仕事レベルにならないように、が俺の基本だと言える。

 

「僕はこれはちょっとどうだろうかな、と思う」

 

「何故ですか?」

 

「納期の概念を念頭に入れてないからさ」

 

「それは……確かに」

 

「できるまでやる、が許される状況ってあまりないよね。

 そもそも期限無制限の仕事がほとんどない。

 無能は間に合わず、有能は間に合わせる。

 ほら、千世子ちゃんとか凄いじゃない。NGも全然出さないしさ」

 

「ですね」

 

 撮影ってのは細かいミスが出たり、監督が思ってた感じにならねえと、NGになってNGの数だけ時間を食うことになる。

 あんまりにもNGがたくさん出て、「この撮影には無理があった」と判断され、打ち合わせ段階からやり直すなんてこともザラだ。

 

 百城さんは凄え。

 NG出さない、ってことがどれだけ非凡なことか。

 監督の頭の理想図を把握して、監督が口で指示したこと以上のことを理解して、不可能に近いような難しい演技すらやり遂げて、撮影プランの練り直しにも繋げない。

 そうでもしなけりゃ、NGを出さない女優になんざなれるわけねえ。

 

 NG5回が妥当な撮影なら、NGを出さない奴は平均の6倍速で撮影を終わらせることが可能な計算になる。

 NG20回の後に撮影プラン練り直しになるのが妥当な撮影なら、撮影は50倍速以上で終わると言っても過言じゃねえだろう。

 だからこそ、百城さんの撮影は上質で、速え。

 

「納期があると周りは待ってくれないからね。

 『できないならできるまで待つ』は中学校までさ。

 『できないなら要らない』が芸能の残酷な世界だ。

 だから努めて『できる』と答え、実際に注文を仕上げてみせる君は有能だ。

 そこが一番の評価点だと思う。

 君が納期に間に合わせなかったの見たことないし、想像以下の出来だったことも一度もない」

 

「あの、何が言いたいんでしょうか?」

 

「それが今回のオーディションの肝なんだ」

 

「……?」

 

「特別に、オーディションの課題を教えてあげようか?」

 

 よく分からねえな、この人は。

 

「いえ、いいです」

 

「なんでだい?」

 

「今回、俺の友人がオーディションを受けてます。

 俳優としての進退を今回の合否で決めようとしてるみたいなんです。

 聞けば、俺は絶対にオーディションの内容を漏らします。

 話さずにはいられないと思います。だから、聞くわけにはいかないんです」

 

 手塚監督が、トレードマークのサングラスを押し上げる。

 このサングラスが目をいつも隠してるから、この人の本心はイマイチ分からん。

 

「そういうところは子供っぽいんだよねえ、君は」

 

「? ええと、周りの大人を見習ったつもりではあるんですが。公平性とかそのあたりを」

 

「そうじゃなくてさ」

 

 ん? どういうことだよ。

 

「ズルして罪悪感があったら子供、罪悪感なくズルをするのが大人ってものだから」

 

 ……。

 

 この人は、斜に構えたりのらりくらりとかわしたり、ひねくれてんのかひねくれたフリしてんのか本当によく分かんねえな。

 

 ノリが軽いから、本当はどっちの方向を向いてんのか、よく分からなくなる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第一次審査、第二次審査は終了した。

 書類上の経歴に問題が無いと判断され、完全な素人ではなく何かしらの撮影に参加経験のある人間も残され、映像審査で容姿などもチェックされた。

 そうして残った、500人。

 今日この日に、ここから三次審査で12人が選ばれる。

 

 あ、湯島さんだ。

 手を振る。

 お、手を振り返してくれた。これで緊張ちょっとは抜けたら良いんだが。

 

 確かジュニーズの採用オーディションが実技試験段階で100人、採用10人とかだったな。

 つまりジュニーズは倍率10倍で、こっちはおおまかに倍率42倍ってことか。

 中々に狭き門だ。

 500人が集合した体育館*1は見ていて中々にワクワクする。

 

 お、デスアイランドの単行本持ってきて、オーディション前に読み込んでる人多いな。

 俺もデスアイランドを読み込んで来たが、結構面白かった。

 大ヒット漫画の看板に恥じねえレベルの漫画だと思う。

 

 デスゲーム物の面白さと強みの一つに、『読者の予想を外す』ってのがある。

 "こいつが死ぬと思わなかった"。

 "こいつが勝つと思わなかった"。

 "こんな展開だと思わなかった"。

 それらが詰まってるのと、作品の続編とか考えずにガンガン魅力的なキャラを死なせていける自由度の高さとかが、この手の作品の強い売りの一つだろうな。

 

 ただ塩梅が難しい。

 「逆張りだけのクソマンガ」「読者の予想を外すことしか考えてない作者」って言われたら終わりだと、俺は思う。

 つまり『読者を気持ちよく騙す』必要があるわけだ。

 読者の思考を計算し、予想を外すことで、逆に読者の予想と想像を掻き立て、読者の期待をどんどん膨れ上がらせていく。

 作者が読者の予想を裏切ることばかり考えてんのに、読者が裏切られた気持ちにならず、続きを読んで更に作者に騙されようとする。

 これが、デスアイランドの根底にある面白さだと思う。

 

 "予想がどんどん裏切られてるのに先の展開を予想したくて仕方がない"という状態に読者を持っていける作者ってのは、ほとんどいねえもんだ。

 映画の脚本にもそうはいねえ。

 だから読んでいて楽しい。

 映画も見てるだけで楽しくなるだろうと期待できるぜ。

 

 お。

 源真咲さんに、景さんもいる。

 俺の知ってる顔は500人の内、100人いないくらいか?

 自己紹介してねえバックダンサーの俳優さんとかは流石に名前覚えてねえわ……悪い。

 

 手塚監督に呼び出され、俺は海岸線のセットがあるスペースに移動する。

 

「二代目、そろそろオーディション始める予定だけど、見ていくかい?」

 

「セットが壊れればすぐ直したいですし、こちらからお願いしたいくらいです」

 

「休憩挟んで、まあ11時間ってところだね。長丁場になるから君も休憩時間挟んでおいて」

 

「長……いや。短すぎませんか? 500人ですよね」

 

 事務所のオーディションなら分業できるが、映画のオーディションなら監督や脚本が立ち会っておかねえと後でややこしくなるはずだ。

 かといって手塚監督が500人全員見てたら一日で終わるはずがねえ。

 

「ああ、説明してなかったか。

 今回は4人ずつオーディションする予定なんだよ。

 500人を4人ずつに分けて125組。

 1組5分で625分。休憩を入れて朝の8時から19時までってところさ」

 

「大丈夫ですか、監督。腰とか諸々」

 

「あっはっは。まあこのくらいならね。

 僕よりは受験者の方が圧倒的にキツいだろうさ。

 お題は"制限時間5分以内に4人が殺し合いを始めるように演じてください"。

 実力無しと判断したら即終了、っていう条件で始める予定だからね」

 

 5分。4人で5分。

 ……こいつはキッツいな。

 まともな演技のやり方じゃ、絶対に間に合わねえ時間だ。

 ん? いや、待てよ、これは……そうか。

 

「四人が殺し合いを始めるように演じろ、なんですね。

 殺し合いを始められたら合格でもなく。

 始まらなかったら不合格でもない。

 手塚さんのお眼鏡に適う個性を見せられたなら、それでいいよと」

 

「そういうことだね。四人一組は適当に組ませるつもりだし」

 

 やっべえぞこのお題。

 

 オーディションに集まった人間を適当に四人ずつ組ませた。

 ってことは、協調や連携はかなりやりにくい。

 オーディションは公平性を保つため、お題が審査の直前で出される以上、事前にお題に合わせた作戦会議とかも無理だ。

 つまりこいつは、ハナから協調性なんて求めてねえ。

 

 4人で5分っていう時間設定も厳しい。

 例えばテレビみてえに、各キャラに均等に一定以上の台詞時間を割いちまうと、アピール時間がせいぜい1人1分くらいしかなくなる。

 それじゃ受かるとは到底思えねえ。

 

 それを解決するには、素早く状況を明確化し、会話の主導権を握って、自分が台詞と演技をする時間を1秒でも長く確保しなきゃならねえ。

 人は喋ってる俳優を見るがために、自分の台詞パートでこそ、俳優は審査員に最大のアピールができるからだ。

 だとすれば、このオーディションはどれだけ自分が流れと共演者を支配できるか、どれだけ自分の見せる世界観を強制できるか、が重要になる。

 

 いっそ、周りがやろうとしてること全部潰そうとするくらいでもいいのかもな。

 

 たとえば強引だが、他の人が台詞を言っている最中に割り込むようにして大声を上げて、自分の台詞を始めたって良い。

 台本はねえんだ、そんくらいやったって良い。

 審査員に強い印象は残せるだろうしな。

 5分で殺し合いに話を持っていくには、そうやって"相手の台詞を遮ってギスギス感を出す"みたいなテクを使うのも悪くねえはずだ。

 自己アピールにもなるし。

 

 だが、そう簡単に行くわけもねえ。

 5分で殺し合いの段階まで話を持って行きてえのなら、他三人と協調して『狙い通りの話の流れに持っていくための会話』を作らなきゃならねえ。

 会話も無しに、(デスアイランドの作中設定で)クラスメイトで友達同士だった四人が、突然殺し合いを始めるわけもねえからだ。

 会話が要る。

 協調が要る。

 他人を押しのけてアピールしなきゃならねえのに、他人に合わせて自分を抑えて、全体の流れを作らなくちゃならねえっていう矛盾。

 こいつは相当に悩ましいぞ。

 たとえば景さんが過剰に暴走したりした場合、他三人が全く合わせてくれなくて、景さんだけ浮いて終わる可能性も無きにしもあらずだ。

 

 理想的な流れは、あくまで自分が一番に目立ちつつ、自分が目指す演技の流れの完成に他三人も参加させること。

 四人で共通の『流れの完成形』を作っていくのも悪くねえが、それを5分以内に間に合わせるのは中々難しい。

 かといって、自分が一番に目立つ流れを確実に作りてえなら、他三人の想像力とイメージまで支配して、『自分が考える完成形』を他三人に押し付けなきゃならねえ。

 

 さて。

 どうする? 受験者の皆。

 このオーディション、正道を進んできたタイプの役者なら、大女優や大スターでも下手したら成功させられない悪問だぞ。

 

 まーなんだ。

 実は少し、小細工をしてある。

 

 背景や大道具ってのは、役者の身長を考慮に入れる。

 身長が高い奴に合わせた舞台は背景の印象が違って見えるし、身長が低いやつに合わせた作り物のドアは、身長高い奴じゃくぐれない時もある。

 このセットもそうだ。

 全ての枝、葉、背景、小物を計算に入れりゃあ、『このセットが映えさせる最適な身長』ってやつは確固として存在する。

 このセットでは身長158cmがそれにあたる。

 

 まあ俺以外誰も気付いてないとは思うけどな。

 贔屓は流石に怒られる。

 ただこんだけ地味な贔屓だと、大きく派手な効果は望めん。

 他の役者が映えないわけでもねえし、俺が調整した俳優を映えさせるセットの効果は全ての俳優に対して及ぶ。ある一人への効果が一番大きいだけだ。

 ただ、"僅差で負けた"程度の勝敗決着を、逆転させる程度の効果はある。

 

 湯島さんの身長は158cm。

 照明の光を通すと、木々の合間を通る光、床板の海で反射した光が"なんかいい感じ"に湯島さんを映えさせるように計算してある。

 

 ……こいつは俺が湯島さんの力を信じていないがための工作なのか、友達として受かってほしいっていう願いからの工作なのか。

 俺にもどっちなのか分かんねえ。

 女々しいことをしてる自覚はある。悪いな手塚監督。

 俺は今、きっと、平等に公平に審査をしたいあなたに誠実な男じゃなくなってる。

 

「おはよ、朝風君」

 

「おはようございます。町田さん」

 

 お、町田さんだ。

 スターズ側12人の1人を務めながら、今日のオーディションの司会進行もするんだったな。

 

「朝風君、オーディション受けに来た子に気に入った可愛い子いた?」

 

「!? 何言ってるんですか!?」

 

「あ、間違えちゃった。このオーディション、どういう感じになると思う?」

 

「その二つをどうやったら間違えるんですか……そうですね」

 

 目を閉じて、これまでもある程度は追っていた手塚監督の思考を、後追い(トレース)する。

 考える。

 予想する。

 仮定して、思考して、検証して、その繰り返し。

 そうしていけば、ある程度は手塚監督の考えも理解できる。

 

「スターズ12名の選抜なんですけど、元のキャラに近い売れ筋俳優から当ててますね。

 双子の亜門さん達を双子のキャラに当ててたりしてるのが分かりやすいです。

 その上で当て書き*2しています。

 俳優のイメージを残した演技で、原作キャラに配役する采配ですね。

 桐谷蓮*3にかっこつけな半人前を演じさせる感じです。

 その僅かな違和感を消すため、かつバランスを取るため……

 オーディション組は、原作に忠実なキャラ造型でやらせるんじゃないでしょうか」

 

「ああ、手塚監督の作風っぽい感じ。ありそう」

 

「となるとスターズは『魅せる』、オーディション組は『演じさせる』と思うんです」

 

 スターズは人気俳優だ。

 だから俳優目当てに客が寄ってくる。

 俳優のイメージをそのまんま映画に出すだけで、十分売りになる。

 よって上から渡された"推したい俳優リスト"から原作キャラに近い子をチョイスして、原作に配役してから脚本を当て書きする。

 

 んで、オーディション組は元の漫画のキャラを忠実に演じさせる。

 オーディション組はスターズと違って俳優の固有ファンが大していねえしな。

 こっちは原作に忠実になることだけを考えてもらって、原作ファンからの受けと印象を良くしてもらう……まあ、こんな感じだろ。

 

 オーディション組は自分を出さなくていい。漫画の中の役になりきればいいだけだからな。一回受かっちまえば景さんの大成功は確実だぜ。

 何せ景さんは漫画をよく読み込んでそれをトレースすりゃいいだけなんだ。ずっりぃ!

 演じることでそれになりきっちまう景さんと、そのキャラを最初から話の流れに組み込んでる原作あり映画は、かなり相性が良い気がする。

 意外と漫画原作の映画って、景さんには天職の一つなのかもしれん。

 殺人鬼の役とかは流石に無理だろうけども。

 

「ならこのオーディションの選考基準は、少し普通の映画のとは違って……

 『12の役にそれぞれ的確な12人を選ぶ』とかではなく。

 『目についた個性と高い演技力の12人を選ぶ』なんじゃないかと思うんですよね」

 

「へー」

 

「ただ、スターズより演技力高いということはほぼないと思うので……

 それなり以上に上手い人が、原作に忠実な演技をする。

 スターズがそれ以上の演技で、普段のイメージに沿ってキャラを演じる。

 そうすることで俳優の印象が鼻につく人の感情を宥める、そういう方針だと思います」

 

「演技力の上下で層を作ったのかな?」

 

「ですね。引き立て役と言っても、きっと言いすぎじゃないです」

 

 オーディション組は実質引き立て役で、原作ファン向け要素を補完するための12人だ。

 

 が、『演じる』ことを求められてる以上、撮影中に演技力を上げていったりすることができれば……映像のどこかで、視聴者の胸に残る演技を見せられるチャンスが必ずある。

 オーディション組に割り当てられたシーンはスターズほど多くはねえが、『演じる』チャンスが有る限り、有意義なチャンスを掴み取れる機会は絶対にあるんだ。

 頑張れよ、湯島さん、景さん。まずは受かってからだ。

 

 町田さんは俺の推察に何か思うところがあったのか、こめかみを叩いて色々と考えている。

 

「だとしたら、控え室で原作読み込んでた子達は不利かなあ。

 ほら、こういう漫画原作オーディションだと、

 『自分に近い役を狙って目標を絞り、その役を連想させる演技をする』

 ことで、オーディションに受かりやすくするってのがあるでしょ。

 その漫画のそのキャラに自分を配役させればピッタリ、って監督に思わせるために」

 

「ですね。そもそも手塚監督、まだ原作読んですらいないみたいですけど」

 

「え゛っ」

 

「このオーディション、原作のファンの俳優が相当に受かりにくくなってますよ」

 

 俺の知る限り、前に一緒に仕事をした源さんがこのタイプだ。

 原作を読み込み、原作に忠実に演技できることをアピールする。

 ソラで原作の台詞を一字一句違わず暗唱し、自分の落ち着いたキャラクター性を協調し、大抵のドラマや漫画にいる"落ち着いたクール系キャラ"とかに採用させる。

 原作付きの作品だと、源さんはこれでオーディションを勝ち抜いてたはずだ。

 ……そういうのが逆効果なこともあんだから、オーディションってのは難しい。

 

 原作キャラに新しい解釈を加えて斬新な魅せ方をする、ってのは、漫画の実写化でやりたがる監督が多い事柄の一つだ。

 これもまた、好き嫌いが分かれる要素だな。

 これのせいで原作に忠実な奴がオーディションに受からなかったりするわけだ。

 なんでこれをやりたがる監督が結構いるのか?

 そいつは、舞台演劇のメソッドにも原因がある。

 

 舞台演劇の世界において、俳優は演出家の想定通りに演じるんじゃなく、演出家の想像を超えることが求められる。

 俳優が自分の解釈で個性を出すことが求められてんだ。

 舞台演劇の演出家は俳優が自分の想像を超えて輝くことを求めるが、映画監督は自分の目指した完成形を作るためのパーツとして俳優を使う。

 

 この性質の差が、様々な監督に影響を与えてるってわけだ。

 だからか、舞台俳優がテレビドラマとかの世界に行くと、個性を出しすぎる俳優を監督が矯正しにかかるなんていう話もある*4

 

 手塚監督は、どのくらいの俳優を求めてんのかね。

 未知への感動と、既知への安堵。

 原作を知るがゆえの感動と、原作を知るがゆえの安堵。

 どっちもある俳優が理想的なんだが、はてさて。

 

 あ、そうだ。

 お茶を飲んで喉を潤している手塚監督に歩み寄り、こっそり耳打ちする。

 

「黒さんから何か言われてますか?」

 

「んー、まあ、見込みがないなら僕は一分で切るよ。そんな期待してないし」

 

「うわぁ」

 

「ただ、あの黒山が懐に入れようとしてる二人だからね。

 機会があれば……並べたら面白そうかもな、とは思ってる。

 それを考慮しても、アリサさんの心象が悪くなりそうな採用はちょっと」

 

 うっへぇ。

 景さんハードモードは続く、か。

 夜凪景の不安要素を挙げようとすりゃ、それこそ星の数ほど出てきそうだ。

 

 だが、なんでだろうな。

 景さんが負ける気がしねえ。

 『上手くやる』のは無理でも、『派手にやる』のは問題ねえと……なんだか、感覚的に分かってるとか、そういう感じ。

 信じてるって言うと、正しくねえ気がする。

 俺は、疑ってねえんだ。

 夜凪景を。

 その合格を。

 

 オーディションが始まる。

 

「はい君達、そこまででいいよ」

 

 うーわー……手塚監督、容赦ねえ。

 さっきから4人入っては4人消えてる。

 まだ数分しか経ってねえのに、もう16人消化しちまった。

 4人の演技を1分も見てねえよ。

 あっという間に審査打ち切って、部屋の外に出してやがる。

 

 まともなオーディションじゃねえが、手塚監督は見るべきところは見てるな。

 俺にもいくつかのタイプが見えてきた。

 

 このオーディションは四人が海岸線のセットに寝かされるところから始まって、そこから起きて殺し合いに至るまでの即興劇(エチュード)を見るもんだ。

 殺し合いを始めるため、何をするかが重要になる。

 

 例えば、誰よりも先に起きて第一声を上げようとする奴。

 悪くねえ。

 第一声は印象に残る。

 

 例えば、わざと最初には起きない奴。

 会話の主導権を握ってもこの状況で上手く操縦する自信はないが、演技力には自信があるため、第一声を上げた奴に柔軟に合わせる気だ。

 四人全員を"殺し合いを成立させた合格候補"に押し上げる意図が見える。

 

 例えば、わざと狂乱したフリをする人。

 狂乱するフリをすれば、「落ち着け!」か「うるせえ!」が横から飛んでくる。

 「落ち着け!」が来れば「落ち着いてなんかいられない!」とキレて殺し合いに誘導。

 「うるせえ!」が来れば喧嘩腰で応対して、さっさと殺し合いに誘導すりゃ良い。

 いい感じに計算されてるのが見てて分かる。

 

 ……分かるんだが。

 これら全部一分以内に「もういいよ」されてんの厳しくねえ?

 手塚監督のお眼鏡に適う人のハードルが高すぎる……怖い。

 何が怖いって、もう湯島さんより明確に格上な人が5人ほど「もういいよ」されてんのを見てるからだ。

 

 心の奥底に、嫌な気持ちが湧いて来る。

 湯島さんの実力を正確に見切ってる俺の奥深い部分が、もう既に冷静に結論を出している。

 うるせえな。

 やってみなくちゃ分かんねえだろ。

 

「お」

 

 合格っぽい手応えの人が出たな。

 一分で終わったが、そいつは他三人がいい感じに演技した一人に合わせきれてなかったからか。

 

 まず、その一人が超速攻で気絶から目が覚めた演技、そして混乱する演技、話しかけて来ようとする三人の言葉も無視で、自分の頭の中の混乱を口にする演技。

 「ここはどこ」「なんで」「そうだわ、飛行機が」「ここは無人島」「じゃあ私は」と感情を込めた怒涛の演技で発狂した狂人の演技までシフトし、殺し合いにまで持っていった。

 すっげー。

 30秒で、巻きで殺し合いまで持って行きやがった。

 一般オーディションも侮れねえな。

 ……スターズの平均値は、こういう人を余裕で超えていくってのがまた恐ろしいが。

 

 部屋に入って、お題を教えられて、セットの上に四人並んで寝かされて、演技開始……ここまでの流れを時間に換算しても、1分から3分ってとこだ。

 最短1分でここまでの演技策を考えてくる役者の思考の速さには驚くばっかだな。

 が、「これだ」ってもんがねえってのも事実。

 俺は判断基準が甘くなりがちだ。

 手塚監督が『監督の目』でちゃんと合格だと思えるような人間じゃねえと、手塚監督のデスアイランドに相応しい人間は揃いやしねえってことなんだろう。多分。

 

 ん?

 

「さて、さっさと始めようか。

 残り460人もいるんだからね。テキパキ行こう」

 

「では私の方から演技審査について説明します。

 お察しの通り無人島浜辺を模したこちらでお芝居して頂きます。

 設定は原作と同じで、修学旅行中の飛行機が嵐に遭って海に落ち……

 無人島に漂着したクラスメイト4人が目を覚ますところからスタートです」

 

 手塚監督と町田さんが解説始めてる。

 あれは、景さん? 湯島さん? 他に二人いて、四人で来て……あれもう出番?

 

 え、早くね?

 もう40番台?

 あ、いや、今が41~44番ってことは10組終わったってことで、全部の組が1分以内に退場だから……オーディションが始まってから20分と少しってとこか。

 妥当だ。妥当だった。

 このオーディションサイクルが速すぎる……!

 

 やべやべ。

 まだ応援の言葉贈ってねえぞ今日。

 セット調整するフリして、こっそり四人とすれ違う。すれ違いざまに、一言だけこっそりと。

 

「頑張ってください。応援してます」

 

 景さんと湯島さんが振り向いた。二人一緒に。周りの人に気付かれないくらいに小さな動きで。

 

 あ、応援の声二回分言っておけば良かった。

 

 応援の声一回分じゃ後で何か変な勘違いされっかな……まあいいや。

 

 頑張れよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 湯島茜に才能がない……なんてことは、言われなくてもよく分かっている。

 

「うち、ゆしまあかねっていってなー。よろしくなー」

 

「よろしくお願いします、湯島さん。朝風英二といいます。何なりとお申し付けください」

 

 英ちゃんは、出会った時からただの一度も、私を天才扱いしなかった気がする。

 子供の頃の私は気付いていなかった。

 今の私は気付いてる。

 気付かないままだったら、私はどんなに幸せだっただろうか。

 

 子供の頃の私は、神様を信じるように自分の才能を信じていて、天才に天才の造形家の友達が出来たことを、疑ってもいなかった。

 

「英ちゃんって、自分の能力を疑ったこととかないん?」

 

「子役が何を言ってるんですか。

 俺達の能力は低くて当たり前です。

 だから一生修練なんです。伸びなければ、消えていくだけです」

 

「そっかー」

 

 私が私のことを何も考えず信じられたのは、本当に子供の頃だけだった。

 次第に、自分を信じる理由がなければほんの少しでも信じられないようになっていった。

 子供の頃の私と英ちゃんは、その。

 対照的だった気もする。

 自分のことを信じてないけど、技術は信じてる英ちゃんと。

 何の根拠もなく、才能もなく、自分を信じていた私と。

 

 チヤホヤされるのが嬉しかった私は、ただ笑っていて、怖いくらいに技術の習得に集中していた英ちゃんは、全然笑っていなかった。

 他の人は違う解釈をするかもしれないけれど、私には笑っていないようにしか見えなかった。

 

「英ちゃん、将来の夢はなんや?」

 

「父を超えることです」

 

「そっかー。うちはな、大女優!」

 

「……」

 

「10代の内に有名女優、20歳で大女優なりたい!」

 

「……なれるかもしれませんね。湯島さんなら」

 

「ほんま!?」

 

「ええ」

 

 英ちゃんは、自分に嘘をつく時、核心的な言葉を避ける。

 後になってから、よーく分かったことだった。

 当時の私は、全く分かっていないことだった。

 

 いい夢ですね、とも英ちゃんは言わず。

 なれますよ、とも英ちゃんは言わず。

 英ちゃんは私の才能を何一つ信じられないまま、自分に嘘をついていた。

 

 次第に、歯車に噛み合いが悪くなっていく。

 色んなことが上手く行かなくなっていく。

 私が夢見た私と、現実の私が離れていく。

 

 私に向けられる褒め言葉が減った。

 私の耳に届く褒め言葉の量は変わらなかった。

 周りの人、私の後輩への褒め言葉を聞く機会が増えた。

 

 同期、後輩が、私より売れていく。

 最初は負けへんでって気にもなった。

 でも、途中からどんどん、どんどん、怖くなっていって。

 小学校の頃に好きで買っていた現役人気女優の特集雑誌が、怖くて買えなくなることが増えた。

 

「英ちゃんは変わってるんか変わってないんか、時々よう分からんなあ」

 

「湯島さんは美人になられましたよね」

 

「やーもう、お世辞ばっか上手くなって!」

 

 笑え。

 笑え、私。

 落ち込んでてもどうしようもないから。

 下を向いても何にもならないから。

 辛いことがあったわけでもないんだから、せめて前を向いていかなくちゃ。

 

 焦る。

 

 『子役』というブランドがなくなって、『湯島茜』が評価されるようになって、どんどん売れなくなっていって、焦燥感だけが増えていく。

 焦る。

 幼い頃は自分の才能を無条件で信じられて、子役じゃなくなっても私はわたしを信じていて、でも心のどこかで"私は特別じゃない"って思うようになって。

 焦る。

 英ちゃんは天才だった。

 私が天才だと信じてる。

 じゃあ、私は?

 

「天才なんて呼ばれたんわ子供の頃だけや。

 チヤホヤされたんもあの頃だけ。

 あとは、天才に負ける側で……

 頑張っても上手く行ったんは子供ん時だけで……

 今は、毎日頑張るのが当たり前で……

 頑張っても、上手くいかんのが当たり前で……

 ……ああなんかなっさけないなあ、ごめん、英ちゃん」

 

 なんで私はあの頃に、自分が天才だなんて、身の程知らずに思っていたんだろう。

 

「今日は休んで、また明日から頑張りませんか?」

 

 なんで英ちゃんは天才でもない私に、優しくするんだろう。

 

 決定的な痛みは、あの日。

 両親と少しだけ話したあの日。

 売れなくなった私に、両親は優しい声で、こう言った。

 

「何か一つのことに固執しなくても、生きる道は自分で選んでいいのよ、茜」

 

「……親の都合で勝手に子役にして、何も考えずに褒め続けてごめんな、茜」

 

 悔しかった。

 『あなたには才能がある、頑張って』と言ってくれなかったことが。

 子供の頃には言ってくれてたのに。

 今は、絶対に言ってくれない。

 それが悔しくて、辛くて、悲しかった。

 "これ"が、他の皆の、子役の頃ちやほやされてた子供達の心を折ったものなんだと、唐突に理解できてしまって、ちょっと泣きそうになって。

 

 役者辞めようかなと、通っている高校で、時折思うようになった。

 

 役者の道を諦めないことは、私が自分のことだけを考えてるのと、どう違うのか。

 他人のためなんかじゃない。

 ならきっと、これは私のためでしかない。

 でも"私のため"だけで役者を続けられるほど、今の売れてない私の心には余裕がなくて、今の私には自信がなくて、今の自分を肯定できない。

 

 いっそのこと、もう細かいことなんか何も考えられないくらい割り切って、どっかの天才に本気で憧れることができたら、それだけで楽になれそうなのに。

 

 ある日の仕事で、辞めようか、辞めないか、それを迷いながらスタジオを散歩してみた。

 後輩の真咲ちゃんが悪戦苦闘してる。

 私を子役の時に採用してた、今は見向きもしないプロデューサーがいた。

 私より後に芸能界に入って、今はスターズで大成功してる後輩の女優がいた。

 

 ちっちゃい頃、見上げるしかなかったカメラがあった。

 三脚の高さがやや低めで140cm。

 今はもう、見下ろせる。

 私が女優であることを許されていたのは、このカメラより背が低い時だけだったんじゃないかって、そんなことを、ふと思った。

 

 私は、百城千世子のようにも、町田リカのようにも、星アキラのようにもなれない。

 

「あ、英ちゃんやん」

 

 そんな中、友達を見つける。

 

 途中から撮影に加わった英ちゃんは、通行人役の私に"ひと味"加えるために、ちょっとした物を作っている最中だった。

 

「湯島さん、湯島さんを引き立てるネックレス作りますけど、ご要望はありますか?」

 

「せやなー。要望はあるけど、英ちゃんに全部お任せするわ」

 

「え」

 

「英ちゃんが一番似合うと思ったやつでお願いな?」

 

 私に辞めろと、英ちゃんは言わない。

 辞めた方が良いとも言わない。

 でも"大女優になれるかも"と可能性の話はする。とっても、残酷なことに。

 私が辞めたら、英ちゃんはきっと悲しむに違いない。

 

 百城千世子や星アキラみたいになれなかった子役達が、一人、また一人と辞めていくたび、誰にも見えないところで泣きそうになっている英ちゃんを見たことがある。

 英ちゃんはどんな大人になるんだろう。

 泣かない大人か。

 泣く大人か。

 泣いている英ちゃんはきっと心臓に悪いから、絶対に泣かない大人になれるなら、そうなってほしいとすら思う。

 

 子役時代から約十年、ずっと売れてない私のことを、英ちゃんは売れると信じようとしてて……本当は、私の才能の上限も見切ってる。

 だから、大女優になれるって一度も言わない。

 大女優になれるかも、とは言う。

 なのに、私に女優を辞めてほしくないと、多分思ってる。

 

 私のことを信じようとしてるこの人は、きっと一番私に厳しく、一番私に残酷なんじゃないかと……そう、思った。

 

「任せてください。俺の全力を尽くします」

 

 私が辞めたら英ちゃんが悲しむなら、もうちょっとだけ頑張ってみようかと、そう思う。

 

 私は、女優だ。

 

 その気概まで失ったら、きっと私に価値はない。何の価値もなくなってしまう。

 

 私は湯島茜。18歳。オフィス華野の所属女優。

 好きなものは洗濯、アイロン、日曜の晴れた公園……それと、応援してくれるファン。

 

 私は女優だから。

 ファンの声は力になる。

 ファンの声を裏切りたくないと思う。

 子役の時から、ずっとそれが私の力。

 私のファンの天才に、ちょっとくらいは応えたい。

 

 女優を諦める理由が欲しくて、デスアイランドに応募した。

 女優を続ける転機が欲しくて、デスアイランドに応募した。

 

 どっちつかずの今を終わらせたい。

 どこかに行きたかった。

 なにかになりたかった。

 今のままじゃ、嫌だった。もっと胸を張れる何かになりたかった。

 

 私は、この仕事が好きだから。

 この仕事が好きなままでいたい。

 芝居と舞台のこの世界を、好きなままでいたい。

 何もかも嫌いになってこの世界を去ることだけはしたくない。

 

 演技が飛び抜けて上手いとか。

 天才だとか。

 そんなことは言われなくてもいい。

 

 全ての撮影を終えて、オールアップの花束を貰った時に。

 皆の感謝の言葉と拍手に包まれて、達成感に包まれて。

 "ああ、やりきった"と思えるあの瞬間を、何度でも噛み締めたい。

 好きだと思えるこの仕事を、ずっとずっと続けていたい。

 たとえ私に、それ相応の力が無かったとしても。

 

 頑張りたい。

 頑張れる理由が欲しい。

 私の演技を好きだと言ってくれる人がいるなら、そのために頑張りたい。

 頑張れる、力が欲しい。

 

 だから、このオーディションに賭けた。

 

 上手く行ってほしい。

 できれば、共演者にも仲良くやってほしい。

 普段以上の自分の力が出せて、それで受かるならそれでもいい。

 どうか神様。私がこのオーディションに上手く行くなら、なんでもします。

 だから、お願い。

 

 色んなことを考えながら、オーディション会場で柔らかく笑う。

 いつもの陽気で明るい私を演じられてるだろうか。

 ふとした時に、真面目な顔をしてないだろうか。

 

 普段の自分を演じて、セットの上に上がろうとして、その時、英ちゃんとすれ違った時。

 

「頑張ってください。応援してます」

 

 私だけに贈られたエールが、心強かった。

 

 男の子としてはすごく、すごーく、どうかと思うけれど。

 英ちゃんは私の友達だ。ずっとずっと、私を応援してくれている。

 私を愛しているからこそ、私を応援しなかった両親より、きっと応援してくれている。

 

 その優しさと残酷が、今はとても心地良い。

 

 今の私に余裕がない自覚はある。

 緊張して、気負いしすぎて、固くなってて。

 それが少し抜けて、少し楽になった。

 振り向いて、英ちゃんにかっこよく言ってやろうとする。

 

「見ててな、英ちゃん。

 英ちゃんには業界でどう成功するか、みたいな悩みもあるんやろうけど。

 そもそも業界に残れるかどうかも分からん……そんなみそっかすの意地、見せたる!」

 

 でもなんだか気恥ずかしくなって、結局私は思うだけで言えないのであった。

 

 それにしても、私の隣で芝居の前準備に寝転がった夜凪ちゃん。

 不思議な振る舞いの、あまりオーディションのことも知らなそうな初々しい子。

 この子はなんで今、英ちゃんが私に呼びかけた時、一緒に反応したんだろう?

 

 

 

*1
撮影などに使うため、レンタル体育館を借りるというやり方がある。ものによっては一時間数千円で借りることができるため、数十人から数百人を撮影に使うためには格好のスタジオとなることもある。前後左右上下に広い体育館のスペースはスタジオセットを組むのにも使える。原作ではオーディション開始時の演説シーンの手塚監督が立っているところの描写や、建物外観、扉周りの作画などから、オーディション会場は通常の体育館を二つ連結したようなレンタルクリエイティブスペースである可能性が高い。

*2
演じる俳優を決めてから脚本を書くこと。俳優に柔軟に合わせた脚本が書けるため、その俳優の魅力が最大限に活かされた脚本になる。だが俳優に『全くの別人を演じさせる』という要素が消失していて、俳優がそのまま作品に出ているような空気になることも多く、嫌っている人は本当に嫌っている。原作付きの映画の場合、「俳優のイメージを守るために映画でキャラが原作と違う行動・言動を選ぶ」という問題も発生しうる。

*3
仮面ライダーW、左翔太郎を演じた。実は本人の素のキャラも左翔太郎にそっくり。また近年ではドラマ『正義のセ』にて、「子供達に夢を与える特撮ヒーローが人を跳ねてしまった。マネージャーがその特撮俳優の罪を被って出頭。自らの中の良心に従うか、マネージャーが覚悟を持って守ろうとした子供達の夢を守るか、特撮俳優は揺れて……」といった役も演じている。『上手く自分を売れている』俳優だと言える。

*4
舞台俳優40年以上のベテラン・丸間進さんの言。




 原作黒山さんのオーディション前の「皆死に物狂いで来るんだ。今まで通りで良いと思うなよ夜凪」ってアドバイスは的確なんですが、台詞だけで伝わるものでもないと思います


追記:うっかり書き忘れてました。今日は湯島茜さんの誕生日です! 誕生日おめでとう!

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