ノット・アクターズ   作:ルシエド

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 8話で審査直前、ナンバープレートのことよく分かってない夜凪の胸にナチュラルに触ってプレート付け、気にしてない真咲くんは、世話焼きであると同時に凄いやつだと思いました
 その時ちょうどセットに見惚れてて気にしてない夜凪も凄い奴だと思いました
 なんてやつらだ
 この作品では英二君が見てなくて良かったと思います


きっと上手く行くと、何の根拠もなく、夢を見ていた

 俺は本当は、俺の予想を裏切ってほしいのかもしれねえ。

 俺の評価が過小評価だったと、誰かに思い知らせてほしいのかもしれねえ。

 世の中は、こんなクソガキの予想通りに動いてないんだと、人間には無限の可能性があるんだと……そう、教えてもらいたいのかもしれねえ。

 

 湯島さんも、アキラ君も、子役の時から知ってる。

 今じゃ数少ねえ、子役時代からの知り合いになった。

 子役って業界に何人いるんだ? 何%が大人になっても残ってる?

 正直なところ、俺にもよく分かってねえ。

 

 ただ、例に使える数字ならいくつかある。

 例えば毎年9000人以上の子役が集められ、1999年には1万人から1人の適役を探すオーディションをやった『アニー』*1とかな。

 

 あれを受けに行く子役とかが、大雑把に毎年1万人。

 受けようとする子役の年齢幅が大雑把に五歳分くらい。

 すると、平均取ったら同年齢に2000人ってとこだ。

 毎年この枠に収まらなくなった『子役卒業』が2000人。

 『子役新入り』も2000人。

 ただのミュージカルの、ただ一作の子役オーディションですらこうなんだぞ。

 業界全体なら、この入れ替わりも当たり前のように万人単位だ。

 

 たくさん入って、たくさん消えていった。

 湯島さんやアキラ君より才能があった人間、センスがあった人間、動きにキレがあった人間……色んな奴がいたが、もうこの世界にはいねえ。

 皆、途中でどっかに行った。

 皆、どっかで気付いたんだ。

 この業界に自分の幸せが無いことと、ここじゃない場所に自分の幸せがあることを。

 

 俺がアキラ君に向ける感情と、湯島さんに向ける感情は、どっか同じようで根本の部分でなんか違う気がする。

 

 湯島さんを、アキラ君と同じに見たことはねえ。

 アキラ君の苦しみは、湯島さんには分からねえ。

 湯島さんの苦しみは、アキラ君には分からねえ。

 そして役者でも何でもねえ俺には、きっともっと分からねえんだ。

 

 何も、何も。分かりゃしねえ。

 あの苦しみは、あの人達だけのもんだ。

 

 だけど、俺の奥深いところは期待してる。

 あの日、役作りで"江戸時代の創作した自分"にすら、他人にすらなりきった景さんに。

 いつかは"無力感に打ちひしがれる凡人"の心境ですら、完全にトレースしてしまうかもしれない景さんに、期待してる。

 もし、そんな人の気持ちや演技すら景さんが自分のものとしたなら―――俺は、俺は、きっと喜ぶ。複雑な気持ちすら押しのけて、素直に喜んじまう。

 俺は、そういう人間だと思う。

 

「景さん……俺が予想したどの方向にも行かねえか、これは」

 

 感覚で分かる。

 あと数秒で審査が始まるこの瞬間に、景さんは俺が想定したどこでもないところに、一直線に行こうとしている。

 飛行機で落ちたことなんてねえよな。

 無人島に行ったこともねえはずだ。

 そんな景さんがどうすんのか、考えただけでワクワクする。

 

 夜凪景。

 湯島茜。

 源真咲。

 烏山(からすやま)武光(たけみつ)

 四人中三人が俺の知り合いだが、さてどう転がるか。

 

 セオリー通りのやり方で合格するのは無理だろうな。

 例えば、「この将棋の盤面を5分で攻略して勝ってください」と言われて、バカ正直に攻略して勝つ奴か。あるいは「じゃあ対戦相手の棋士を殴って勝ちますね」とやれる奴か。

 そのどっちかなら受かるぞ、みたいな話だ。

 高い能力か、強い個性か。

 この四人には、何がある?

 

 景さんは言うまでもねえ。

 湯島さんと源さんは俳優事務所の所属だ。

 セットの上で、カメラの前で、一定以上の解答は見せられるはず。

 烏山さんは……へえ、資料を見ると、劇団遊劇座*2か。

 

 この人は、どうだ?

 実は即興劇(エチュード)は舞台俳優に有利だ。

 NGと撮り直しができるテレビ俳優より、失敗を無かったことにできねえ舞台俳優の方が、即興性と対応力において優れてることが多い。

 加えて、舞台俳優は大仰な身の振りに、観客席の奥にまで届く声量がある。

 インパクトにおいてはテレビ俳優を逆に食っちまうレベルだ。

 

 だが逆に、舞台俳優のよく感情が伝わってくる演技は、テレビや映画に最適化されてねえっていう弱点を時に露呈する。

 大仰で感情的な演技は時にネタにされることすらある*3

 んで、手塚監督はテレビ畑・映画畑の人だ。

 単純に受けで言うなら、湯島さんと源さんに有利な気もする。

 

 さて。

 ぼちぼち開演の時間だ。

 

 俺も四人の思考のトレースと、推察に集中しよう。

 深く潜るように、四人の思考を追う。

 

「準備は良いですかぁ? 私がカチンコを打ったらスタートですよー」

 

 セットに寝転がり"気絶していたけど今起きた"の準備を四人が始める。

 

 見た限り、景さんは……俺の予想のどれとも違う道に行く気がする。

 つか()()()()()()()()()()()

 他三人がどうする、どうするって必死こいて何かしら考えてる中、景さんだけ解決策を何も考えてねえような感じだ。

 考えてる様子が見て取れねえ。

 

 それはそれでまあ間違っちゃいねえ。

 自分を制御出来てねえ景さんじゃ、いくら考えても無駄だ。

 役に入ったらその瞬間に、それまでの思考吹っ飛ぶしな。

 "役そのものになりきったような迫真の演技"しかできねえ景さんには、リアルな別の自分を作り上げることしかできねえ。

 これはこれで、現状の正解か。

 

 むしろ、問題は。

 何も考えてなさそうな景さんより、色々と考えてる様子の湯島さんのことを心配しちまってる、俺の方か。

 ……自分の心を制御できてねえのは、俺も同じだ。景さんを笑えねえ。

 

 カチン、と音が鳴る。

 

 スタッフがストップウォッチのスイッチを押し、5分のカウントダウンが始まる。

 

 審査が始まった。

 

「……ここはどこだ……!?」

 

 お、烏山さんが最初に起き上がり、最初に声を上げたか。

 最初に声を上げる役が被ったら変な空気になるし、芝居全体に滑稽な空気が広がっちまうだろうに、"最初に声を上げる役被り"を恐れねえ良い勇気だ。

 この審査は事前の打ち合わせとかできねえから、最初に起きる役を誰もやろうとしなくて、最初の時間を無駄にした組とか結構いたしな。

 

 おかげで審査開始から最初の数秒、十数秒が完全に無駄にならなかった。

 俺が審査員ならこの勇気に加点する。

 

「他のクラスの皆はどこだ!? 俺達だけか!?」

 

 烏山さんが続けて、自然な形で説明セリフを入れ、作品の雰囲気を作る。

 いいぞ。

 作品の"入り"を完全に烏山さんが作った。

 俺にもこれ以上丁寧で素早いスタートは思いつかねえってレベルだ。

 

 お、源さんが起き上がって、頭を振る演技をしてる。湯島さんも起きようとしてるな。

 

「クソッ」

 

「おいっ、皆起きろ!」

 

 源さんが起きて悪態をつき、烏山さんが起きかけの演技をした湯島さんと起きる気配が全くねえ景さんに呼びかける。

 いい感じだ。悪くねえ。

 それぞれの動きが、ほぼ初対面の四人組にしてはいい感じに噛み合ってる。

 

 特に烏山さんの呼びかけは、起きる演技をしようとしてた湯島さんに、『クラスメイトに起こされた』っていう『設定』をくれた。

 なら、どう起きるかの選択肢が全部排除され、湯島さんは起こされた演技をすりゃ良いわけで、演技が相当楽になっただろうな。

 サンキュー烏山。

 

 加えてこれで、自発的に起きたのが男二人。

 烏山さんの"起きろ"で起きたのが女二人。

 起き方のバランスがかなり良くなって、かなり自然になった。

 

 こういうバランス取りは結構重要で、映画では"複数人が気絶してたが起きる"っていうシチュエーションでは、最初に起きた一人が周りの人を次々起こしていったり、起こしている最中に他の人が自然と起きたりする。

 それが王道の開幕になる。

 それこそが自然な流れに見えるからだ。

 いいぞ、このバランスのいい起き方二種類は、俺としては評価してえところだ。

 

「他の皆の姿は見当たらない。俺達だけがこの無人島に漂着したのか……」

 

「なっ……嘘だろ!?」

 

 おっ。

 源さんが状況を明確化して、烏山さんがいいリアクションした。

 

 流石源さん。イケメンだぜ。

 原作有り作品だと原作を読み込んでからオーディションに挑むタイプの源さんは、言っちまえばこの中で"一番に状況を把握してる"かもしれねえ人だ。

 その人が明確化したセットの上の状況は、かなり『デスアイランド』らしい。

 

 咄嗟に呼吸を合わせた烏山さんも悪くねえ。

 素人だと相手の会話の呼吸が読めなくて、相手がまだ会話の台詞を続けようとしてんのに返事しちまって、相手の台詞遮って気まずい……とかあるんだが、流石に舞台慣れしてる俳優は呼吸を咄嗟に合わせんのが上手いな。

 

 湯島さんが動く。そうだ、会話に入ってアピール、アピールだぞ。

 

「あんたのせいよ!」

 

 湯島さんが烏山さんに、怒りの表情で掴みかかる。

 

 ほほー。

 一気に、速攻で不和を撒きに行ったか。

 いいなあ。

 湯島さんのこういう行く時は行く演技、俺好きだぞ。

 

 5分で殺し合いに持っていくには、周りに喧嘩を売るキャラと演技が必須だ。

 湯島さんはこのタイミングまで一言も喋ってなかった。

 状況に合わせてどんなキャラで行くかを決めるまで、断固として一言も喋ってなかった。

 だから、いくつか台詞を喋っちまってた源さんや烏山さんと違って、『ちょっと何かあるとすぐパニックになって周りに食ってかかるヒステリックな女』を演じる権利が、湯島さんには残されてたってわけだ。

 

 時々ドラマで湯島さんが演じてる穏やかなキャラ付けを完璧に捨て、初見の審査員に『ヒステリックな女』の印象だけを与える。

 いいぞ、器用な立ち回りだ。

 

「あんたがあの時非常口を開けたから一気に海水が流れ込んできたのよ!」

 

 へぇ。設定追加か。烏山さんに迂闊なことをした設定を追加し、『的』にしにいった。

 

「そのせいで私達は……!」

 

「何だと!?」

 

 よし、烏山さんが湯島さんの演技を受けた!

 セットの演技の中心が、『こいつのせい』というヘイトを集める、烏山さんに移行する。

 湯島さん達の演技に烏山さんっていう『軸』が出来た。

 話の焦点が、"烏山さんが悪いのか? 周りはどう思ってるのか?"にピントを合わせる。

 

「どちらにしろ機内は浸水してた! 今更何だよ!」

 

 烏山さんが湯島さんの怒りの演技を、逆ギレの演技で受ける。

 いいぞいいぞ。「俺が悪かった」とか一言でも言っちゃいけねえもんな。

 ここはその演技で、どんどん喧嘩腰に持っていくのが正解だ。

 

 そこにクールな様子で、源さんも"湯島さん側で"会話に入って来る。

 

「いや! 確かにあんたは早計だった!」

 

「お前まで何を……!」

 

 いいね。悪くねえ。

 責める湯島さん&源さん、逆ギレする烏山さんの二対一って構図になってきた。

 分かる、分かるぞ。

 この短時間で色々考えてんなお前ら。

 

 主演烏山、助演湯島、助演源って形で推移してる。

 ここだけ見ると烏山さん優位……と思いそうだが、実はそんなでもない。

 

 湯島さんと源さんにはアドバンテージがある。

 半ば偶然、半ば必然で、『同じ事務所の仲間が一緒に審査を受けている』ってことだ。

 合格枠が一つなら同じ事務所の仲間でも敵同士だが、合格枠が12あるこのオーディションにおいては、倍の戦力を使えるに等しい。

 湯島さんは源さんに合わせられるし、源さんは湯島さんに合わせられる。

 『流れ』を作りたい人達からすればこれほど恵まれたこともねえだろ。

 

 事実。

 烏山さんは始点を作った。

 源さんは最初に冷静な状況把握キャラを演じた。

 湯島さんが『ヒステリックなキャラ』を演じ、つっかかった。

 そして源さんが湯島さんに追随して、烏山さんを二対一で追い込む形に持っていった。

 

 最初に冷静な状況把握キャラを演じた源さんは、ここで『自然なキャラ演技』を選択するなら、「落ち着け」と湯島さんを宥めるのが妥当。

 だがそうしなかった。

 冷静に判断しているキャラという一貫性を捨ててまで湯島さんが演じてるキャラに賛同したのは……二対一のこの構図を作りたかったからだろう。

 

 ここから先、演技の常道を鑑みりゃ、行き先は二つ。

 烏山さんが二人を殺そうとする流れか。

 二人が烏山さんを殺そうとする流れか、だ。

 

 当たり前のことだが、芝居においては『殺す側』と『殺される側』がきっちり区分される。

 殺す演技の達人、殺される演技の達人がいるくれえだ。

 例えばウルトラ仮面なら、ウルトラ仮面のスーツの中の人は『倒す動き』をかっこよくできるスーツアクターがいいし、怪人のスーツの中の人は『倒される動き』を見事にできる人がいい。

 かっこいい飛び蹴りができる人と、無様に転がってフラフラ立ち上がり、最後に爆発して死ぬ演技をする人は違えんだ。

 

 んでもって、エチュードでは殺す側と殺される側が、その場のフィーリングでコロコロ変わることがある。

 「流れで判断して」ってやつだな。

 だとすると、今の流れでどっちが殺されるかは、このエチュードの出来不出来に直結する。

 

 今、話の主導権は……烏山さんか。

 さーて、どこまで状況を把握できるかな。

 

 烏山さんが『殺す側』の演技が得意なら、押せ押せの演技が最適解だ。

 怯まずガンガン押していって、殺す気満々なところを見せていって、湯島さんと源さんに「死ぬ役やってくれ」と暗に示し、誘導するのがいい。

 会話には起承転結がある。

 『烏山が殺す』っていう『結』に持っていこうとする会話ってのは、一定の形になる。

 会話してりゃ、それは湯島さん達にも伝わるはずだ。

 

 そういう流れになると、オフィス華野の二人の連携が生きる。

 そうだな、烏山さんが湯島さんを襲う真似をして、源さんがそれを庇って死ぬ……とかがベタだろうか。

 二対一の構図がこれで活きる。

 湯島さんと源さんは自分の死亡演技を魅せながら殺され、烏山さんの独白と後悔で終わり……これで、おそらく五分。ギリギリだな。

 これが烏山さんが殺し役に回ったパターン。

 

 逆に、烏山さんが『殺される側』の演技が得意だった場合。

 烏山さんは隙を見せにいくはずだ。

 周りに喧嘩を売りつつ、湯島さんや源さんに怯える演技、怯む演技を織り混ぜて見せ、『殺される人間』を演出し、舞台俳優が得意とする大仰で印象的な死に方で魅せようとするだろう。

 

 で、ここでも湯島さん達二人の連携が生きる。

 殺しに至るまでの会話の連携、殺害しようとする時の動きの連携、更には殺した後の『殺害を後悔する二人の会話』でも、息を合わせられる。

 演技は相当にしやすいはずだ。

 

 後はこの過程でどこまで目立てるか、どこまで個性を出せるか、だな。

 三人は全員、全力で演技しつつ、演技しながら様々な演技プランを考えて、考えながらの演技とかいう難しいことをやっている。

 部屋に入ってから演技開始まで2分弱、演技開始から現段階まで約30秒。

 2分半で思い付ける演技プランなんてそうそう多くねえ。

 俺が推察してる三人の演技プランと、彼らの脳内に大差はねえはずだ。

 

 彼らの挙動、言動、選択から、更に深くまで読み取り、推察する。

 

 俺なりに、彼らの脳内のプランを把握していく。

 

 烏山さんの言動行動からは、原作デスアイランドの匂いが全くしねえ。

 おそらく、自分の能力にかなり自信があるタイプ。

 自分の演技力だけで上手くやれる自信がある奴だな。

 

 この自信が、自分から状況を動かそうっていう行動力、主導力に直結する。

 自信相応に演技力もあり、声量など目立つ要素もある。好きな監督はとことん好きになるタイプで、目立つ以上オーディションって分野ではかなり強い。

 媚びのない自分自身の強みの魅せ方。

 

 あえて強引に例えるなら、素の笑顔があまりにも爽やかで元気で明るいものであったために、その笑顔を見た監督達が「この男にこんなキャラは似合わない」とキャラ設定レベルから書き直したという、福土蒼汰*4さんのようなやり方。

 

 源さんは、原作デスアイランドのキャラの仕草をさりげなくやってんな。

 原作まだ読んでねえ手塚監督にはイマイチ通用してねえが、原作ファンほど唸る基礎演技を確立してる。

 ここを売りにしに来たか。

 おそらくだが、スターズ組が『俳優のイメージ』、オーディション組が『原作のイメージ』を基点にしてる以上、原作に演技を寄せてる源さんは、正式に採用したならかなり使いやすいコマになるはずだ。

 

 目立つ演技や行動はしてねえけど、手塚監督の目に留まる演技力か個性が見えれば、かなり合格候補に近い。

 このオーディションが『原作読み込んでオーディションに臨んだ俳優がそんなに有利じゃない』っていう特殊オーディションじゃなけりゃ、合格候補No.1 だったかもしれねえとすら思う。

 悪く言えば媚び、良く言えばリスペクトに溢れた姿勢。

 

 あえて強引に例えるなら、子供の頃から大好きだった仮面ライダーBLACKに憧れるあまり、その愛でとうとうオーディションにて本家仮面ライダーの主役を勝ち取り、監督達から仮面ライダーBLACKを思わせる専用の形態を与えられ、仮面ライダーBLACKをリスペクトした専用の変身ポーズを考案した俳優……桐谷漣*5のようなやり方。

 

 湯島さん。

 湯島さんも悪くねえ。

 かなり上手に、丁寧な演技が出来てる。

 悪くねえ、悪くねえぞ。

 今のところ目立った失敗も欠点も見当たらねえ、湯島さんの能力からすりゃこれ以上を望むのがバカだってくらいの出来だ。

 

 あとは、何か、手塚監督の目に留まる何かがあれば。

 もうすぐ一分。

 クソ。

 手塚監督、もう止める気満々だ。

 適当な気持ちで見てんのが感覚で分かる。

 ここまでの演技の中には、手塚監督の目を引くもんは何もなかったらしい。

 クソ!

 何かねえのか、何か! このまま終わったら採用の目は薄いぞ! 何かねえのか!

 

「このままじゃ皆餓え死によ! 全部あんたのせいよ!

 こんな無人島でどうやって生きていけばいいのよ!?」

 

 湯島さんのいい感じの演技に興味も持たず、手塚監督が終了の合図を出そうとする。

 

 何か、何か、来い!

 

「はい、終わ―――」

 

 何か!

 

 

 

「? 皆、何言ってるの……」

 

 

 

 静かな、大きくない普通の大きさの声だった、と思う。

 自信がねえ。

 だって俺はその時、景さんのその声がいやにハッキリ、聞こえてたんだ。

 

「奥に人里があるかもしれないのに」

 

「―――」

 

 手塚監督の動きが止まった。

 湯島さん達三人の台詞も動きも止まって、景さんを見た。

 他の審査員も、撮影スタッフも皆揃って、景さんの大きくもない声にすぐに反応して、景さんの方を注視してやがる。

 

 そうだな。確かにそうだ。

 海辺で目覚めて数秒でここが無人島だと把握すんのは無理だよな。

 ここが無人島だって前提で話してるのはおかしいよな。

 流石メソッド演技。

 "より自然な演技"を求めて開発された演技法なだけはある。

 だけど、そこじゃねえ。

 今俺が震えてるのは、そこじゃねえんだ。

 

 なんで、()()()()()()()()()()()()()()

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 おいおい。

 おい、マジかよ。

 

 熱の入った演技ってのは、周りの声が聞こえなくなりがちだ。

 感情の熱が耳を遠くさせるってのもあるが、人間の耳ってのは自分が喋ってる時、周りの音が聞き取りづらくなる。

 人間が自分の滑舌の悪さを自覚できない理由の一つに、これが挙げられることがあるな。

 怒鳴り合ってる時はなおさら聞き取り難い。

 自分の声が大きく、相手の声が大きいせいで、会話を続ける限り周囲の声がどんどん聞こえなくなっていく。

 

 だから、怒鳴り合いを止めるには、もっと大きな声を上げて割って入んなきゃならねえ。

 漫画でもドラマでもあんだろ。

 口喧嘩してる二人の間に、誰かが大声上げて割って入って、口喧嘩止めるってやつ。

 あれがルールだ。

 ああしなきゃならねえんだ。

 人間ってのは、そうしなきゃ言い争いを止められねえように出来てる。

 

 なのに。

 

 なんで大声上げてもねえのに、離れたところで普通の声量で疑問を口にしただけなのに、全員の意識を引っ張り込んで、怒鳴り合い止めて、セットの上の芝居を一瞬で自分のものにしてんだ。

 

 それまで外野だった奴が、なんでこんなに静かに、なんでこんなに僅かな台詞で、怒鳴り合ってまで空気を作ってる人達の作った話の流れを、綺麗に粉砕できてんだ?

 

 前の景さんの演技と同じだ。

 よく通る声、よく耳に残る声、目を引く所作、人の意識を引く異様に質感のある演技。

 皆が、景さんを見る。

 皆が、景さんしか見ない。

 他人の意識を引きずり込むような、異様な吸引力。

 光を引き込んで二度と出さない、夜の闇みたいな、意識の吸引力だ。

 

 他の誰かなら。

 景さんじゃない誰かが、「なんでここが無人島だと思ってるの?」なんて同じように言ったところで、三人が作った流れを止められたわけがねえ。

 あの加熱した演技に、普通の声量で割って入れるはずがねえ。

 その台詞が無視されて終わり、ってのが関の山だろう。

 

 "景さんの台詞を誰も無視できなかった"。

 "景さんの台詞が聞こえなかった人が誰もいなかった"。

 それが、全てを破壊する。

 

「あ……あるはずないでしょ、人里なんて……」

 

 あ、バカ、湯島さん……考えてから喋れ。

 なんで無根拠にそう言えんだ。

 ここに人里が有るか無いかは、あんた知らないのが当たり前のはずだろ。

 そこでそんなこと言っちまったら不自然だろ。

 ああ、クソ。

 湯島さんの演技から、メッキが剥がれるみたいに質感が剥がれていく。

 

 源さんは動揺してるが、考えがまとまるまで口は開いてねえ。

 致命的なことは言ってない。

 セーフだ。

 

 烏山さんは気付いてる。

 "景さんが一番自然な芝居をしてる"ことに気付いてる。

 ……有能だなこの人。

 思考の瞬発力もかなり高かったが、状況把握能力も高く、何より見る目がある。

 俺が見る限り、多少程度にしか見る目がない源さんや、見る目がほとんどない湯島さんよりはかなり有能だ。

 この人がいればまだ、『この先』が繋がる気がする。

 

「ちゃんと調べてもないのにどうしてここを、無人島だと知ってるの?」

 

 空気が変わった。

 湯島さん達が作った芝居の流れが壊れていく。

 メソッド演技が過去の自分をリピートし"本当のことのようにしか見えない演技"を生み出すものなら、それすなわち、彼女の演技は『現実感の無い演技』の存在を許さねえってことだ。

 

 そうだ、これだ。ここまで喋ってなかったが、ようやく動くか夜凪景。

 また俺を心底ワクワクさせてくれ。

 焦がれるように、君を見る。

 

「勝手に決めつけて喧嘩して、あなた達……どうしたの?」

 

 ここからは、景さんのためだけのステージだ。

 

 

 

 

 

 それまで積み重ねられた演技の流れが粉砕されて、皆が景さんを見て芝居が再開される。

 圧倒的な吸引力から、一人だけずば抜けた説得力の芝居。

 三人が作っていた世界観が、景さん一人の作った世界観に、完全に当たり負けしていた。

 

 相変わらず演技のパワーが桁外れだな、景さん。

 さっきまで技巧戦してた皆がバカみたいじゃねえか。

 これに当たり負けしねえ奴、数えるほどしか知らねえぞ俺。

 

 皆、景さんの台詞に反応しちまった。

 景さんの主張を聞いちまった。

 なら、一番妥当性がある景さんの台詞をもう二度と誰も無視できねえ。

 全てが景さんを中心に回っていく。

 

「歩いてもいないのにどうしてここを、無人島だと知っているの?」

 

「ど……どうしてって、そんなの……」

 

 『よく分からない思考と言動をしている三人』を見て、困惑の表情を浮かべる景さんは、完全に役に"入って"いた。

 

 凄え。もう景さん以外、全員脇役だ。

 審査のことなんて全部忘れて、本当に無人島に漂着した人間みてえな反応。

 リアリティと説得力が、他三人と比べ物になってない。

 

「気味が悪いね」

 

 審査員席の手塚監督が、ぼそっと言った。

 悪くねえ反応だな。なんとなく手応えがある。

 もう景さんの合格は、手塚監督の中で六割くらい決まってる感じがする。

 

「漂流して浜で目が覚めたとしてもそこが無人島とは限らない……はは、一本取られたね」

 

「笑い事じゃないですよ。

 正確に演じられたら確かにそういうことになります。我々のミスでは?」

 

 脚本が笑って、プロデューサーが真面目な顔をして、そんな風に話していた。

 

 いやいやいや。

 この程度のことで我々のミスとか言い始めんなよ。

 普通演技のお題なら、このくらいの"ちょっと不自然だと解釈できる部分"なんていくらでもあるだろ。ケチなんて付けようと思えばいくらでもつけられるもんだぞ。

 普段のあんたなら、んなこと言わねえだろプロデューサー。

 

 いいんだよ、あんたら特に間違ってねえんだよ。

 景さんに引きずられて「我々がミスしてたのかも」なんて思い始めんなよ。

 下手な役者だったら「お題を曲解してるんじゃない」って言ってるとこだろあんた。

 景さんのリアルな演技に「確かに」って思っちまったせいで、微妙に引きずられてんな。

 

 分かる。

 景さんの演技ってリアルだから、自分が認識してる何かが時々信じられなくなるんだよな。

 あの時の時代劇で、歌音ちゃんの生死が誤認されたのと同じように。

 

 ん? 源さんが動くな。

 

目的地(グアム)までの航路をフライト時間から逆算すれば……

 おそらくここは北マリアナ諸島の更に北。

 終戦後、多くの無人島が点在するエリアだ。この島も無人島と見て間違いないだろう」

 

 ……!

 

 こいつは。

 

「町田さん」

 

「英二君も分かる?

 あれ、原作の秀才キャラの台詞だね。

 それも一字一句同じ台詞。

 ただのオーディションにここまで原作読み込んで来る姿勢は、かなり評価できるよ」

 

 だよな。

 これは才能って言うより、努力の証だ。

 源さんはこのオーディションに向けて、今ここにいる四人の誰よりも堅実で効果的な努力を重ねて、必要な知識を積み上げて臨んだってわけだ。

 俺も今日はもう40人以上候補者を見てるが、多分源さんがその中で一番、真面目に原作を勉強して来てるなこれ。

 好感が持てるし評価できる。

 

 合理と知識で、景さんの演技を論理的に自分達の流れに戻そうとしてる。

 いいぞ、こりゃいい。こういうのは好きだ。

 

「英二君、知識を才覚で使いこなす人好きだよねえ」

 

「百城さんの武器がそれですからね」

 

 つーか、漫画のこの長台詞を、一字一句違ってないと判断できるレベルで完全に記憶してる町田さんもたいがいだぞ。

 これ原作では男の台詞ってことは、町田さんが演じる可能性が0の役の台詞ってことだよな。

 なんで自分が演じる可能性もない役の、脚本でどんくらい採用されるかもまだ決まりきってねえ台詞を、一文字単位で覚えてんだあんた。

 自分が演じる想定のキャラの台詞覚えてる源さんとは訳が違うぞ……?

 

 スターズのおっそろしいとこは、こういう優秀な人の数段上に優秀なとこを、さらっと見せて来ることなんだよな。

 

 ……そんなスターズの中でも、俺が景さんと渡り合えると思えるのは一人。

 そんな景さんと普通の俳優レベルが混ざったオーディションは、これの結果は、多分……

 

「わ……私も見たわ」

 

 そうだな。源さんがいいこと言ったなら、そっから繋ぐのは湯島さんの仕事だ。

 

「飛行機からこの島が見えたの。

 見渡す限り森だったわ! ここは無人島よ!」

 

 源さんのここが無人島だっていう台詞から、湯島さんが綺麗に繋ぐ。

 ふむ。そんな悪くない演技だ。

 景さんを自分達の演技に巻き込もうって意志は、まあ伝わってくる。

 

「……なんだか皆で口裏を合わせてるみたいだわ。何が目的なの……」

 

「―――」

 

 うわあ。流石景さん、"湯島さんの演技"を見て、"演技して騙そうとしてて何が目的なの?"って結論に到達するか。

 いや、これはリアルかもしれん。

 景さんにこう言われると、湯島さんレベルの芝居は、『女子高生の自然な振る舞い』っていうより、『演じてることが見てて分かるレベルの演技』にしか見えん。

 演技してるようにすら見えん景さんと比べりゃ、雲泥だ。

 相変わらず質の基準値が高くて凄えや、景さん。

 

「ははは、そりゃ演技だもんな」

 

「あの子悪質ですね。

 ふざけて審査ごとぶち壊すつもりですよ。止めてください監督」

 

「……いや」

 

 プロデューサー達が何か言ってて、手塚監督が失格をやんわり止めてる声が聞こえる。

 皆景さんから目が離せねえのに、景さんの演技を色々自分なりに解釈して、景さんの演技の見解が分かれ始めた。

 離れたところから見てるからか、手塚監督くらいしか全体を詳細に見れてねえな。

 

 共演してる三人はまだ景さんに引っ張り込まれてなくて、自分達が作った流れにしがみついていられてるが、景さんの演技の内実が理解できたら、その瞬間に景さんの演技の流れに引っ張り込まれちまうだろう。

 

 ふざけてる、とか解釈してんじゃねえよプロデューサー。

 景さんはふざけて芝居を壊してえんじゃねえ。

 自然な演技をしてんだ。

 自然に、その役に相応しい女の子を演じてるんだ。

 彼女はこう思ってんのさ。

 このよく分からない状況を理解して、友達な彼らをまた信じたい、ってな。

 信じる理由を探してんだ。

 当たり前のように。

 だけどな。

 

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 ただ、それだけなんだ。

 

 三人が景さんレベルの迫真の演技をしてたら、景さんはここで騙されてくれてただろう。

 湯島さん達の演技の流れに、乗ってくれてただろう。

 "景さんが演じてる女の子"なら、そのレベルの演技できっと騙させてたはずだ。

 まあそうならなかった以上、別の何かが必要になる。さあどうする?

 

 景さんの口から、怯えた声が漏れた。

 

「どうして皆黙ってるの……? 皆……どうしちゃったの……?」

 

 分かる。

 ずっと手塚監督の方に思考の形合わせてきたからか、今ここに限って言えば、手塚監督が景さんに向けてる感想が分かる。

 

 『夜凪景の演技が最も説得力が有る』。

 『相対的に他三人の芝居の説得力の無さが際立つ』。

 『構図が変わった』。

 『下手な企てで一人の少女を惑わそうとする三人と、それに勘づき怯える少女の構図』。

 『夜凪景の演技が自然すぎて、三人の演技がもう不自然なものにしか見えないが、夜凪景の演技は無人島に漂着した少女のそれにしか見えない』。

 

 多分、こんなとこだろうな。

 三人が作ってた世界観に認識のチャンネル合わせてたプロデューサーとかは、イマイチ景さんが今作ってる世界観に乗り切れてねえが……まだ3分ある。

 景さんの作った世界観の中に飲み込むには十分すぎる時間だ。

 

 それにしても、凄まじい。

 景さんの芝居がリアル過ぎて、他三人の演技が()()()()()にしか見えなくなってんだな。

 さっきまで普通に上手な芝居に見えてたってのに、だ。

 それは烏山さんとかは自覚してるだろうぜ。

 

 ははっ。

 こりゃ、凄え。

 周りの芝居と演技が全部、飲み込まれてる。

 これだからこの人は主演しかできねえんだよな、現状。笑っちまうくらい素敵だ。

 

 他の三人が真面目に演技してんのに、景さんと比較で並べられた結果、演技の未熟な部分が自然と目についちまうんだ。

 だから、少女(景さん)を騙そうと演技してる三人に見える……三人が自然な振る舞いのつもりでやってる演技が、"見てるだけで演技だと分かってしまう演技"に格落ちさせられてる。

 三人の演技は変わってねえのに。

 パねえなぁ。

 

「どうしたって、俺達はただ―――」

 

 おっ、烏山さん、"黙ってたら駄目だ"と判断して動くか。

 いい判断だ。黙ってたら全部持ってかれるぞ。

 この人は最初からずっと『自分から動いて狙った方向に事態を動かす』ことが出来てるな。

 そんな烏山さんの台詞を遮って、湯島さんが怒鳴った。

 

「あんた―――いい加減にしぃや!

 さっきから訳分からんことばっか何のつもりやねん!」

 

 ……はぁ。

 いけねえ、思わず溜め息吐きそうになった。

 馬鹿野郎、湯島さん応援に来てんだろうが。絶対にやるんじゃねえぞ、俺。

 受かってほしいなら、何も出来なくてもせめて心底応援しねえと。

 

 今の湯島さんの叫び、いい感じの怒声だったな。

 子役時代の素直に感情を乗せた叫びと、長年の訓練で身に着けた発声の技が、なんかいい感じに混じわってた。

 迫力はピカイチだったぜ。

 ……ただ、なあ。

 今、演技忘れてたろ。

 余裕無いのは分かってる、分かってるんだが……湯島さんはそういうところで感情任せになるから……先と周りが見えなくなるから……だからあなたは……いや、止めだ。

 これ以上は考えたくねえ。

 

 どうする。

 このままじゃ湯島さんは失格一直線だ。

 芝居を忘れて、景さんに対して本気で怒ってる。

 そんな女優が失格以外の結果をつかめるわけがねえ。

 頼む、周り見えてる烏山さん、事務所仲間の源さん。

 それに、景さん。

 どうか湯島さんを助けてくれ……頼む。

 

「その通りだ! お前さっきから変だぞ! どうしたんだ!」

 

 おおっ! 源さん!

 源さんが湯島さんの怒りの演技に合わせて台詞を選び、"夜凪が変で周りの皆がそれに怒ったり戸惑ったりしてる"って意図の演出だと、そう思わせる方向にフォローした!

 いいな、今のはかなりいいぞ。

 湯島さんの演技を忘れたガチギレが、『おかしなこと言い始めた子にヒステリックに怒った』演技にちょっと見えてきた。

 ナイスフォローだ。

 

 しかも源さん、オーディション撮影用カメラに映らねえ死角に腕を通して、湯島さんの肩を軽く叩いて冷静になるよう促しやがった。

 カメラには何も映ってねえだろうが、ワンアクションで崩壊寸前の撮影を立て直しやがった。

 景さんの演技を前にしても、余計なこと考えてねえし、冷静さも失ってねえ。

 視野も広いし、機転も利く。

 こりゃあ強えや。

 源真咲。演技力や演じ分け能力だけ見りゃ、そこまで優秀に見えねえかもしれねえが……こいつを撮影に出したら、安心感はかなりのもんだろうな。

 

 三人と景さんがにらみ合うような構図になって、景さんが怯えた演技で一歩後ずさる。

 

 湯島さんの感情がよく乗った怒声と、その後の源さんのフォローがいい感じに噛み合った。

 本当は「どう考えても自然なのは夜凪の方で、どう考えてもおかしいのは湯島達の方で、よく考えればそれで夜凪を変な子扱いで怒るのおかしくね?」って思われてもおかしくねえ流れだ。

 だが、勢いで流した。

 勢いでなんとなく疑問点に着目させなかった。

 あっぶねえ、こええ、今の湯島さん相当綱渡りしてねえか?

 

「朝風君、何を見てるの?」

 

「すみません町田さん。今ちょっと集中させてください」

 

 今の景さんは一挙手一投足が次の動きへの伏線だ。

 そして一つ行動するたび、周囲の空気を自分の演技で"寄せ"ていく。

 さあ、どうなる?

 どう転がる?

 ……頑張れ、湯島さん。

 

 そこそこ離れたところにいる手塚監督は、景さんが「心から『本物』になりきっている」って理解してたっぽいのに。

 共演者の烏山さんは、景さんの演技を理解して、どこかで協調できる部分を探してるのに。

 源さんも、余計なこと考えないで芝居を破綻させねえよう頑張ってんのに。

 湯島さんだけが、景さんのことを微塵も理解できてなくて、怒っちまってる。

 そうだ、確か。

 最初のオーディションの時もアキラ君が、景さんの演技が理解できなくて、「冷やかしなら帰ってくれ!」って怒ってたんだっけ。

 

 才能によって決定される、本質的な理解力、生来の感受性。

 訓練によって身に付けることが不可能な『見抜く力』。

 

 天才への無理解が、湯島さんの無才を証明する。

 

 景さんをずっと見ていれば、俺から懇切丁寧に説明されれば、湯島さんは景さんを理解できるかもしれねえ。

 最初のオーディションで景さんを全く理解できてなかった、アキラ君と同じように。

 

 だけど、もう。

 湯島さんは自分自身でも気付かないまま。

 『夜凪景の足下にも一生届かない自分』を、証明しちまった。

 

 証明しちまった以上―――バカ、やめろ、俺。

 

 俺の目を抉り出したい。

 こんな事実を一瞬で見抜く俺の目が、憎たらしくてしょうがない。

 もう能力の天井が見えてる人と、能力の天井が見えない人がいると、つい後者に目が行って、俺は目を奪われて……いつの間にか、後者の方しか見ていない。

 最悪だ。

 

 誰か、俺の目が節穴だったと証明してくれたらいいのに。

 

「っ」

 

 !

 景さんが逃げ出した。

 三人が『自然体に見えないから』『下手な演技をしてるようにしか見えないから』不自然さが怖くなって、逃げ出したか。

 

「えっ!? 何!? どこに……!」

 

 困惑する湯島さんが見つめる先で、景さんが三人から森の方へと逃げて―――俺がせっせと絵を描いた壁に、激突した。

 

 バカ! 当たり前だろうが!

 10m×10mのサイズでしか作ってねえんだからそうなるわ!

 倒れなくてよかった。撮影セットの背景は軽いものなら数kgくらいの重量しかねえ。

 景さんの体重で思いっきりぶつかれば、それは数十kgのハンマーでぶっ叩くのと同じことだ。

 俺が頑丈に補修してなかったら、補修前のこのセットの壁の強度と耐重量だったら……可能性レベルの話でしかねえが、ぞっとする。

 

 考慮しておくべきだった。

 役に"入った"景さんは、そこに壁があるっていう当たり前のことですら、簡単に忘れちまうっていうのに。

 もっと、俺の頭の中を、景さんのために最適化するくらいの割り切りが要る。

 

「うっ……」

 

 壁に全力でぶつかっていった景さんの鼻から、血が垂れている。

 顔を抑え、涙をこぼす景さんは、演技がどうこうというレベルでなく痛そうだった。

 砂浜の絵の床板を踏みしめる湯島さん達が、痛そうに壁に寄りかかる景さんににじり寄る。

 

 ……!

 良いな。

 この三人の立ち位置、良いぞ。

 手塚監督はどうか知らんが、俺はこいつを評価する。

 

 このセットは右・左・奥・床の四方向がパネル絵の撮影セットだ。

 照明は上からのものと、監督達がいる手前側からのものしかねえ。

 三人は烏山さん・湯島さん・源さんの順に並んで立ち、手前側から景さんを演技の流れに組み込もうとにじり寄ってたが、立ち位置の間隔が絶妙だった。

 

 景さんが壁に寄り添い、手前側から三人が近寄るってことは、三人は手前側の照明を背にしながら壁側に向き合ってるってことだ。

 ここで三人が間隔を空けることで、景さんにもちゃんと手前側の照明が当たる。

 景さんの表情が、手前側から壁側に伸びる三人の影に隠れちまうってことがなくなる。

 ナチュラルにやってんなこの三人。

 撮影や舞台のやり方が肌に染み付いてる証拠だ。

 三人が自然に間隔を空けてくれてるおかげで、景さんにちゃんと手前側の照明が当たって、オーディション撮影カメラにも景さんがちゃんと映ってる。

 

 今撮影カメラには、三人の体から伸びる影が景さんに当たってない構図、湯島さんと源さんの間を通して景さんの姿が映ってるこったろう。

 

 悪くねえ。

 本当に悪くねえ。

 ただ、こういった技術より『迫真の演技』の方が評価されるのがこの業界の常。

 現に俺も、景さんが次に何をするかにばっか心が向いている。

 

 景さんが、鼻血が垂れる鼻を抑えて涙ながらに叫んだ。

 わけがわからない、と言わんばかりに。

 怖い、と言わんばかりに。

 その振る舞いが、周囲の空気と雰囲気の全てを塗り潰す。

 

「来ないで!」

 

 痛ましい、怯えおののく少女の演技。

 

 一瞬、源さんや烏山さんの表情に罪悪感が浮かんだ。

 何も悪いことしてねえのにな。

 景さんの演技に心が引っ張られたか?

 "これじゃまるで俺達が悪者だ"くらいは思っちまったか?

 こんなややこしい状況だってのに、景さんの演技に感情を引っ張られたか。

 

 ここからどう話を作る?

 もうあと二分ねえぞ。いや、もうあと一分か。

 動くとしたら、ここまでの流れで自分が動くことで状況を動かそうとし続けてきた……やっぱりあんたか。烏山さん。

 

「クククク……はははは……そうだよ夜凪」

 

 "悪役笑い"?

 ……そうか。

 景さんのここまでの疑問を逆利用して、そういう展開に持っていく気か!

 

 烏山さんが悪役笑いをしながら、悪役のように振る舞いながら、自然と位置を調整する。

 

「すべて、俺達の仕業だ」

 

「―――」

 

「皆殺した。残りはお前だけ」

 

 悪役の演技。

 景さんの「なんでこの人達は、全然自然に見えない、こんな不自然な演技を?」という積み重なった疑問に、最高に腑に落ちる答えを与えてやったんだ。

 景さんの疑問を逆利用した。

 演技中の景さんの思考が"そうだったんだ"と自分で納得できる答えなら、演技中の多少判断力が下がってる景さんの思考じゃ、怪しくも思えねえ。

 

 この『思考の瞬発力』……烏山さん、ここだけ見りゃ確実にスターズクラスだ。

 景さんの表情の恐怖に怒りが混ざる。

 生きようとする想い。友達を殺された怒り。迫る死への恐怖。

 全てが混ぜこぜになった感情が景さんの顔に浮かんで、景さんが撮影セットの木の枝を掴んで折って、武器にして駆け出した。

 通常俳優が手に掴んで折れるような高さの木の枝なんてセットにはあんまねえが、湯島さんの身長158cmの頭に当たらない高さに設定しておいた木の枝は、身長168cmの景さんからすれば掴み取りやすい高さにあったらしい。やっべ。

 木の枝片手に、景さんは悪役の演技をしている烏山さんの頭を狙い、ひた走る。

 

 烏山さんの狙い通りに、烏山さんの演技でコントロールされた景さんが、襲いかからんとする。

 すっげ。

 やるなあ。

 景さんの演技はいつも通り、目を奪うほどに見事だが……この烏山さんの器用さ、評価してえ。

 今回のオーディション、景さんの次にこの人を評価したくてたまらん。

 いや、"景さんを使いこなした助演"としての評価だけどさ。

 まさか劇毒に近い景さんをコントロールして、合格を獲りに来るとはなぁ。

 

 ともすれば一分終了しそうだったこのオーディションに、景さんの破天荒で破壊力のある演技が『リアルな説得力』を与え、暴走する景さんに振り回されるその状況を、景さんを曲がりなりにもコントロールした烏山さんが着地させて見せた。

 この審査は一から十まで景さんのための舞台になってて、最後に景さんが烏山さんを殴り倒して――設定的には殴り殺して――終わりだろう。

 とてつもなく目立った景さんをコントロールして引き立てた助演ってだけで、烏山さんはかなり有能さが印象付けられた気がする。

 

 つか、悪役の演技しながら烏山さんが何気なくした移動が、舞台俳優らしい移動ながらも、実に的確で素晴らしい。グッドと褒め称えてえ。

 今までの構図がこうだった。

 

 

     [夜凪]

 

 

[烏山][源][湯島]

 

 

 そして、烏山さんが前に出て、こう。

 

 

     [夜凪]

 

     [烏山]

    [源][湯島]

 

 

 あんまりにも自然な動きだったんで、気にしてる人は大していねえ。

 だがその後の展開を見りゃ分かる。

 

 景さんからすりゃ、三人全員悪者だ。

 だから自分に近い順に殴りに行った。

 当然だな。

 そこまで予想してた烏山さんは、悪役の演技をする前に、二人の前に出た。

 自分の演技の結果、怪我する奴を自分以外に一人も出さないために。

 女の子の湯島さんを傷付けさせないために。

 

 男だ。間違いなく。

 今棒を持って迫り来る景さんを見ながら、烏山さんは怯え一つ見せてねえ。

 

 景さんは景さんにしかできねえことをしてる。

 烏山さんは飛び抜けた演技力があるわけでもない。

 だが他人にもできることを、最適なタイミングでこなす優秀さが見える。

 

 俺は烏山さんには見惚れねえが、景さんの異常な天才性に隠れるこの優秀さを評価しないってわけじゃねえ……スターズの大半に、俺はこの感情を抱いてる気がすんな。

 

 景さんが木の枝を振り上げる。

 一番前に出た烏山さんは不遜に構えたまま。

 そうして、今回の審査を確実に成功にまで持っていくであろう、『殺し合い成立の証拠』になる全力の一撃が、景さんの手によって振り下ろされて――

 

 

 

「なんでこんなメチャクチャできんねん!」

 

 

 

 ――沸騰した怒りをそのまま全身から吹き出させたような湯島さんが、それを止めた。

 

 景さんに飛びかかって、押し倒して、馬乗りになって抑え込む。

 湯島さんの方が体は小さいのに。

 湯島さんは、とにかく必死で、とにかく懸命だった。

 

「皆必死やのに! 真剣やのに!」

 

 ハッ、と。

 

 俺の心と景さんの心が、元の位置に戻る音がした。

 

 気が、した。

 

 

 

「人の気持ちが分からんなら、役者なんかやめてまえ!!」

 

 

 

 息が、止まった。

 

 俺。

 

 俺、何やってんだ?

 

 なんで俺今、人が思いっきり殴られるって分かってて、止めなかったんだ?

 

「あー、終わっちゃった」

 

 町田さんの零した声が、静かに響いた。

 

「はい、終わり。テキパキ出てってね、次の審査があるから」

 

 手塚監督の無情な宣言が通る。

 ここまでだ。

 "殺し合い"は、始まらなかった。

 そこでようやく、湯島さんが我に帰る。

 

「……あ」

 

 怒りで少し上気していた顔色が、さあっと青くなった。

 ……湯島さん。

 考えるな。

 余計なこと、考えるな。

 

 湯島さんの目が、源さん、烏山さんの方を見る。

 考えなくたって、俺には何思ってるか分かる。

 友人だから。

 "私のせいで皆が合格するチャンスも一緒に消えた"って……多分、考えてる。

 

「あ」

 

 バカ、一瞬で考えすぎだ。クソ、俺が何か言う暇もねえ!

 

「ごめっ……っ……」

 

 謝ろうとした湯島さんが、自分が押し倒していた景さんを見る。

 景さんはなんでか、俺の方を見ていた。

 なんでか分からないが、俺に何かの言葉を求めていた。

 それを見て湯島さんは何か、変な反応をした。

 

「―――っ」

 

 駆け出し、控室に逃げ出していく湯島さん。

 追おうとした瞬間、呆然とする景さんの姿が俺の目に入った。

 呆然とした景さんの口から、言葉が漏れる。

 

「人の気持ちが……わからないなら……」

 

 っ。

 ショック受けてる。

 放っておけねえ、だけどどうする!

 景さんの方に行ったら、湯島さんの方は、だけど……!

 

「なにやってんスか」

 

 源さん?

 

「こっちじゃないでしょう、あっちでしょう、あんたは。

 茜さん、ダチが応援してくれてたから、その分気張って、余裕なかったんじゃないんスか」

 

「……っ」

 

「行ってください」

 

「俺は」

 

「行けよ!」

 

 迷いを、力尽くで押し切られた気がした。

 踵を帰して、湯島さんを追う。

 またここに戻って来ねえと、景さんが心配だ。

 だけど今は、湯島さんを!

 

「英二く―――」

 

 景さんか、誰かの声が聞こえたような気がした。気のせいだったかもしれねえ。

 ドアを閉めた音のせいで、誰の声だったかも分からん。

 今はとにかく、走らねえと!

 

 審査の前に俺は、景さんより湯島さんの合格を祈っちまった。

 景さんの合格を確信しながら、湯島さんの合格を願っちまった。

 俺の心は、湯島さんを好みながら、景さんを信じてた。

 多分、四人の中で景さんの合格だけを信じてて、湯島さんの合格だけを祈ってた。

 

 なのに。

 

 俺、湯島さんの応援に来てたはずだったのに。

 一番に応援することを約束してたのに。

 景さんの演技に見惚れてた時だけは……その約束を、忘れてた。

 他の誰もできないことを景さんがして、胸躍っている時だけは、湯島さんのことを忘れてた。

 

 何やってんだ、死んでしまえ。自分が嫌いで嫌いでしょうがなくなる。

 

 景さんが木の枝を握って、最後のクライマックスに向かった、あの瞬間。

 俺は、そもそも、あの瞬間に。

 『湯島さんが景さんに殴られる心配』を、しなくちゃならなかったんじゃねえのか?

 友達の心配より……名演の質を分析してた俺は、俺は。

 

 クソっ。

 

 俺はこの業界が好きだ。

 様々な人と組み、多様な現場に行き、無限の可能性を追求できるこの世界が好きだ。

 その中でも、特別な輝きを持ってる人が好きだ。

 

 でも、時々。

 ほんの時々。

 才能が天才と比べて無いってだけで、報われない人達を見ていると、その涙を見ていると……この業界が、嫌いになりそうになる。

 それに最適化してる自分が、嫌いになりそうになる。

 

―――この業界において、優しさは頻繁に無価値にされるものなのよ

―――観客はアキラの優しさなどを、アキラの演技の評価点になど加えない

 

 アリサさんの言葉が、脳裏に甦る。

 

 アリサさんみたいに割り切って、すっぱり心を切り替えられたなら、いっそ楽だったかもな。

 

 だけど割り切れねえ。

 割り切れるか。

 割り切ったら俺の中でアキラ君はどうなるんだ?

 だけどどうにもならねえことなら、割り切る以外に解決法は何もねえんだ。

 

 俺はこの人達がなんで百城さんや景さんになれないかも、なんで俺がこの人達の成功を祈ってるかも、よく分かっている。

 分かってる、分かってるけど。

 それでも湯島さんは、優しかった。

 

 湯島さんはなんで、あのタイミングでどうしようもねえくらいにキレたのか。

 

 それは、景さんが本気で烏山さんを傷付けにいったからだ。

 人が人を自分勝手に傷付けようとする。

 その行為にこそ、湯島さんはどうしようもない怒りを覚えた。

 一回源さんになだめられて、意識的に自分の怒りを抑えていたはずの湯島さんが、抑えきれない怒りを覚えたのは、隣人を守ろうとする優しい心があったから。

 

 オーディションをちゃんと成功させることができなかった原因の怒り。

 クライマックスの流れを壊してしまった怒り。

 殺し合いの成立を邪魔してしまった怒り。

 その怒りは、あの場で誰よりも優しかった湯島さんだからこそ湧いたもの。

 

 

 

 優しいからこそ。全部、台無しにしちまったんだ。

 

 

 

 あの人は、俺よりずっとずっと優しいからこそ。

 俺が黙って見てるだけだった、人が殴られるその瞬間を。

 本気で、必死に、止めに行ったんじゃねえのか?

 湯島さんがオーディションを台無しにしてしまったのは、優しいからであって、それで湯島さんが落とされたりすんのは、絶対におかしいことなんじゃねえのか?

 なんでさっきの流れで、俺に一つの不利益も発生してねえんだ?

 

 人でなしは……優しくない、人の気持ちが分からない人でなしは。

 

 俺だけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 茜ちゃんの叫びが、耳に焼き付いている。

 

―――人の気持ちが分からんなら、役者なんかやめてまえ!!

 

 呆然とした私の頭が、動かない。

 夜凪景は天才だって、そう言われた。

 でもとてもそんな風には思えない。

 こんな私が天才だなんて、全く思えない。

 自分を制御することすらできなくて、周りにも迷惑をかけて。

 こんな私に、どんな価値があるんだろう。

 

―――人の気持ちが分からんなら、役者なんかやめてまえ!!

 

 私が、私にしかなれないのは。

 私が、他の人みたいに赤の他人になれないのは。

 私が、他人の気持ちを分かってないからじゃないの?

 

 じゃあ、私、役者じゃない。

 茜ちゃんが言う通り、役者なんて名乗れない。

 でも。

 役者じゃない私は、家族にも受け入れてもらえない。

 

―――役者さんにならないなら、おねーちゃん怖い

 

 レイが泣きながら私にそう言ったことを、私は忘れない。

 家族にちゃんと認めてもらうには、私は役者で居続けないと。

 役者じゃない私は無価値だ。

 役者じゃない私は、家族にも許容されない。

 だから、役者以外の人生は嫌だ。

 

 役者になったら、皆が笑って、拍手してくれた。

 あんなの初めてで、私の人生には他にあんなの何もなかった。

 嬉しかった。

 楽しかった。

 映画を見ていつも辛いことを忘れていた私が初めて、自分が何かをして褒められて、その喜びで何もかも忘れられるかもしれないと、そう思えた瞬間だった。

 

「英二くん」

 

 呼んでも、彼は振り向かなかった。

 茜ちゃんを追って行ってしまった。

 ……彼も、私が役者失格だと思ったのかもしれない。

 

 だって、そうだ。

 彼は役者としての私が大好きだって、それは分かるけど。

 それ以外の私が好きかどうかなんて、全然分からない。

 だからなんとなく思う。

 私が役者じゃなくなったら、彼はきっと私の友達ですらなくなるんじゃないかって。

 

―――あなたの演技に一目惚れしました。

 

 英二くんは直球だ。

 いつもちゃんと、伝えたいことをちゃんと言葉にしてる。

 伝え方に問題が有る時もあるけれど、英二くんが私をどう見てるかは、ちゃんと分かっているつもり。

 だから……だから。

 私は本当に、役者失格なのかもしれない。

 

「……あ」

 

 ふらふらと立ち上がろうとして、気付く。

 演技をしていない状態で、押し倒された姿勢から立ち上がって、普段の私の視線の高さじゃない高さ……茜ちゃんの視線の高さを私の目線が通過して、その時気付いた。

 このセット、茜ちゃんの身長に合わされてる。

 普段の私の視線の高さだと気付かないけど、この高さを通過する時は見れば分かる。

 

 ……ああ、そっか。

 

―――俺はその友人を一番に応援しています。

 

 英二くん、私と茜ちゃんの傍をすれ違う時、一回しか応援言ってなかったね。

 

―――頑張ってください。応援してます

 

 なんで、私に言われたことだと思ったんだろう。

 なんで、こんなことになっちゃったんだろう。

 私は……私を応援してくれた物作りの友達を、傷付けてしまったかもしれない。

 最低だ。

 最悪だ。

 

 私は。

 

 私はもしかしたら、取り返しのつかないことをしちゃったんじゃないかって、そう思った。

 

 どうしよう。

 

 そうだ、この感情は忘れよう。英二君へのこの想いは忘れよう。

 

 忘れた。

 

 良かった。これで私はまた元気になれる。

 英二くんにも、明日またちゃんと謝らないと。

 せめて英二くんにだけは、ちゃんとした役者だと認められたい。

 

 茜ちゃんに言われたことで思った感情はそのまま残ってる。

 そうだ、茜ちゃんにも謝らないと。茜ちゃんに認められないと。

 じゃないと私……きっと、役者を名乗れない。

 

 

 

*1
国民的ミュージカル、と言われることもあるミュージカル。娯楽が氾濫する現代では知名度が下がったが、毎年9000人を超える子役がオーディションを受けに来る大型コンテンツ。子役限定であるにもかかわらず、主役を狙うなら倍率一万倍と正気でない数字。

*2
原作の遊劇座は劇団遊劇社か劇団遊劇体だと思われますが、この二次創作では劇団遊劇体がモデルという体で進みます。

*3
舞台俳優として演技を確立させた藤腹竜也など。ただしネタにされるだけで評価は高く、観客はその演技に感情を伝えられているため、ファンも多く、進んで使う監督も多い。

*4
仮面ライダーフォーゼ主人公、如月弦太朗役。

*5
仮面ライダーW主人公、左翔太郎役。




 他人の頭の中の仕事思考→経験上それなりに分かる
 クライアントの脳内イメージ→経験上かなり正確に分かる
 女心→経験値がないのでほぼ分からない


 あのオーディションシチュエーションが凡人にはこなせないレベルなので、夜凪に引っ張られた三人はともかくとして、他の一般募集の人達どうやって選ばれた! 凄いな! と思います。
 少なくとも手塚監督の目に留まる個性か、スターズの引き立て役になれるレベルの有能さはあると思うんですよね。

 あとこのオーディション回で人の影はほとんど書かれてませんが、一番影が目に見えるように書かれてる9話のシーン(夜凪がセット奥の壁にぶつかるシーンの夜凪の影)は、ちゃんとセット上方とセット手前(監督達がいる方)の二方向にしか照明がない前提の影の書き方をしてます。
 夜凪の影が壁の方に一直線に行っていて、それ以外の方向に行ってないんですね。

 あと原作のここのシーンは、三人が夜凪を追い込むシーンで立つ時、人一人分か二人分の距離を互いに空けてる(三人の隙間を通してカメラが夜凪を撮影できるため、その後の鼻血と涙による夜凪の「来ないで!」という迫真の演技などがカメラに撮影され、10話で天使が興味を持つきっかけになっている)のとかかなり好印象です。すき。
 他人をカメラや観客の目に映す基本の距離感が出来てるんですね。
 英二君も自然にこういうことできる俳優は好きな模様です。

 唐突に描写無く烏山さんが移動してコマ内でセンターになってたり、その理由を考えていくと、烏山さんは脳内思考でも自分の功績を解説しない人だと分かるので困りますね……

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