ノット・アクターズ   作:ルシエド
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親の死から逃げた天才の少女、親の愛で役者になった非才の少女、親に―――

 あれは、いつのことだったか。

 私はいつ、あれを見たんだったっけか。

 

「湯島さん」

 

「……何?」

 

「今日はですね、湯島さんが落ち込んでる理由……

 湯島さんが自分のことを才能が全く無いと思い込んでいる愚考を、壊しに来ました」

 

「えっ」

 

「本日の俺の自主的お仕事は、湯島さんの中に自信を作ることです」

 

 英ちゃんが持って来たのは、レンタルショップで借りられる、私が過去に出演していた作品全てを研究したものだった。

 

「つまり、この2008年度と2009年度の映画における湯島さんの演技の成長が顕著で―――」

 

 呆れと嬉しさが混ざり合った気持ちを、今でも覚えている。

 

「2011年度のこの時の撮影では、オールアップ時に監督から湯島さんがお褒め頂き―――」

 

 今なら分かる。

 

 英ちゃんは私を説得する言葉を繰り出せるほど、口が上手くなかった。

 

 だから"説得材料を作るしかなかった"んだって。

 

「―――つまり湯島さんは毎年、役者としての技能が確かに成長しているんです!」

 

「英ちゃん、それが言いたかったん?」

 

「俺は俳優さんじゃありません。

 自分の言葉に演技で説得力を持たせられないんです。なら、論拠を並べるしかないでしょう」

 

「へー、ほー、そうやったんかー」

 

 演技が徐々に上手くなってるっていう論理的証明。

 あんまりにもあんまりで、つい笑ってしまった。

 

 英ちゃんも自覚してたんだ。

 自分が、湯島茜の才能を見切ってることに。

 その上で、自分に嘘をついてまで褒めていたことに。

 ……私が、湯島茜が、そんな英ちゃんの褒め言葉をあんまり真に受けなくなってきたことに。

 

 だから、論拠を持って来た。

 説得材料を作った。

 私は、私が思う以上に単純な女だったみたいで。こんなことで、勇気を貰ってしまった。

 

「英ちゃんはほんま、一生懸命やなあ」

 

 ああ、この人、私の演技好きなんやなーって思って。

 私は心強くなって。

 うちはもうちょっと頑張んないとなって考えて。

 頑張る理由ができてしまった。

 

 女優を諦められるだけの確信か、女優を続けられるだけの自信が欲しかった。

 

 夜凪ちゃんは、多分英ちゃんの知り合いだ。

 あの目を見れば分かる。

 じゃあ英ちゃんにとっての夜凪ちゃんは……そこは、聞くのが怖い。

 英ちゃんは時々、ああいうよく分からない人を熱心に褒める。

 大人でも、子供でも。

 そしてだいたい、英ちゃんの見る目は正しい。

 

 私が下手だと思って英ちゃんが変に褒めてた子役は上に行った。

 私が褒めてて、英ちゃんが変に褒めてない子役はすぐに伸びなくなって辞めた。

 そして……英ちゃんが私より褒めてた子役も、どんどん辞めていった。

 

 英ちゃんと付き合いを続けるコツは、英ちゃんのやな部分を見ないことだ。

 彼は結構ややこしくて、面倒臭くて……残酷なところがある。

 でもそういうところを見てると、英ちゃんのイメージがそっちに引っ張られすぎる。

 英ちゃんの優しさが見えなくなる。

 「英ちゃんはキチガイじゃない」と思うより、「英ちゃんはどこかキチガイだけど優しいし常識あるし良識的で、うちの友達」と思っておく方がいい。

 それがコツ。

 

 英ちゃんでこういう癖を付けておいた結果、面倒臭い人に度々出会ってしまう芸能界での人付き合いがそこそこ上手くなったのは、英ちゃんに感謝しておくべきなのかもしれない。

 うーん。

 素直に感謝しきれない。

 

 だから、英ちゃんが変な考えをしても、友人は流してやるべし。

 じゃないと英ちゃんがずぶずぶ引きずる。

 私と英ちゃんの関係で、苦悩が大きいのはなんだかんだ英ちゃんな気がするから。

 

 たとえ、私が、業界で成功してる天才の英ちゃんに思うところがあっても。

 恵まれた人間が上から目線で、好意と手助けを恵んでる……そんな風に見えても。

 笑おう。

 陽気に笑おう。

 英ちゃんが私の笑顔が好きなことは、なんとなく伝わってくるから。

 

 どこかズレてる人であっても、悪い人ではないんだ、英ちゃんは。

 

 だから。

 英ちゃんが『チヨコ』とかの長所を熱っぽく語った後でも、カメラの前では笑おう。

 売れない子役のままこの歳になった私を、後輩が嘲笑の目で見てても、笑おう。

 オーディションの大失敗も引きずらずに、笑おう。

 笑えない女優に、きっとそんなに価値はないから。

 

 でも、今日の大失敗を理由に女優を辞めてしまえば?

 もう、辛い思いをしなくて済む?

 じゃあやめたい……そんな風に、思ってしまって。

 

「湯島さん!」

 

 思ってしまったその時に、彼が来た。

 息を切らせて、追って来た。

 

 子供の頃。

 両親は私を子役にして、ちやほやしながら、「勉強ばかりしてるとつまんない人間になる」なんて言ってたかな。

 見てる? 二人共。

 私、つまんない役者になっちゃったよ。

 

 つまんない俳優とつまんなくない俳優が見分けられる英二君。

 君は私に辞めるべきじゃないとか言うけど、本当はどうなんだろう。

 私はもう分からない。

 

「英ちゃん、ちょっと聞いてええかな?」

 

「え? は、はい。なんでしょうか、なんなりと」

 

「英ちゃん、私の天井が見えとるやろ」

 

「―――」

 

「お世辞の『好き』とか、もうやめてくれへんかな」

 

 言った。

 言ってしまった。

 辞めるか辞めないかの瀬戸際だから?

 私に余裕がないから?

 オーディションで皆に迷惑をかけたことで、まだ冷静じゃないから?

 英ちゃんの前でかっこつけておいて、大失敗したから?

 どう話せばいいか分からなくなっちゃったから?

 

 ああ。

 

 ……こんな表情をさせたかったわけじゃ、なかったのに。

 

 本当は、子役からやってるのにさっさと上にも行けなかった、才能が無い私が全部悪いのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何もかも、私が壊してしまった。

 武光君も、真咲君も、茜ちゃんも、私をコントロールしようとしてくれたのに。

 お芝居中の私はそんなことに気付けないまま、周りを振り回して、お芝居の流れを全部台無しにしてしまった。

 映画で例えるなら。

 私が崖から落ちそうになって、暴れて、三人が私を引っ張り上げようとして、それでも暴れた私が皆と一緒に落ちちゃった形。最悪だ。

 

 英二くんとの約束まで、破ってしまった。

 

―――できればいいんですけど、景さんに周りを見てから演技してもらいたいです

 

 英二くんが言ってたことは、正しかった。

 

―――そういうことになったら、景さんまで失格になってしまいます。

―――それどころかオーディションの他の人が怪我してしまいかねません。

―――デスアイランドには俺の友人も参加しています。

―――俺はその友人を一番に応援しています。

―――景さんがその人を怪我させ、景さんが罰されたりすれば、俺はどういう顔をすればいいのか

 

 少し思い出すだけで、胸の内側をかきむしりたくなる。

 英二くんは、時代劇の時の私を見ていたから。

 こうなるかもしれないって分かってたんだ。

 ……私が英二くんの友達を傷付けるかもしれないって分かった上で、英二くんは私を応援してくれた……あんなお菓子まで作ってくれた。

 

 英二くんの目。

 私を信じ切ってる目。

 あんな彼が私に頼み事までしてたのは、()()()()()()()()()()()()()()

 もしかしたら英二くんは、私のことを何も信用してなかったのかもしれない。

 どこにもいなかった。

 私みたいな、共演者を攻撃する人は。

 どこにもいなかった。

 

―――うん、約束する。私、誰にも迷惑をかけずに受かってみせるわ

―――周りの人にも迷惑をかけずに受かる……うん。ちゃんと覚えたわ

 

 なんで私は、あの約束を、私が守れると思ったんだろう。

 英二くんに役者失格と見られて当然だ。

 私、こんなで役者なんて名乗れない。

 武光君を殴ろうとしてしまった木の枝を拾って、握ると、その感触に罪悪感を思い出して、潰れてしまいそうだった。

 一度、頑張って、その感情を忘れようとしてみる。よかった、結構忘れられた。

 

 そうしていると、司会進行をしていた綺麗な女の人が話しかけてきた。

 

「あ、その枝こっちに置いといてくださいね。うちの朝風が直しますから」

 

「……え」

 

「うちの朝風の傑作なんですよ、それ。

 事故で壊れても、断面が危なく尖らないようになってるんです。

 擬似的なブロック構造……なんだっけ……とにかく、ハイテクで。

 本物の木にしか見えなかったでしょう?

 今後は壊さないでくださいね、仕事時間に基本タダでやってくれる彼以外に頼むと高いので」

 

 ふと、作り物の森を見て思う。

 英二くんはこれにどのくらいのお金をかけたんだろう?

 英二くんはこれにどのくらいの時間をかけたんだろう?

 

 私が何の罪悪感もなく折ったこの枝って、直すのにどのくらいお金と時間がかかるんだろう。

 

 英二くんは普段特撮でお仕事をしているらしい。

 木も作るし、森も作るらしい。

 毎日彼が作ってる木って、どのくらいの値段?

 ……考えたこともなかった。

 どんな気持ちで英二くん達がセットの準備をして、撮影の準備をして、オーディションの準備をして、本番に望むのか……英二くんや茜ちゃんが何を考えてるのか、想像もしてなかった。

 

―――人の気持ちが分からんなら、役者なんかやめてまえ!!

 

 最初のオーディションの時はよく覚えてない。

 CMの時は私一人だった。

 時代劇の時は……そもそも撮影を完遂できなかった。

 いつも私は。

 周りが私のことを考えてくれていても。

 周りのことを考えられてない。

 

―――俺は、景さんがこの世で最も幸せな役者になれるかもしれないと、そう思っています

 

 英二くんが私を褒めてた理由が分からない。

 黒山さんが私を拾い上げてくれた理由が分からない。

 柊さんが私を認めてくれていた理由が分からない。

 

 他人が分からない人間に―――他人になる役者を名乗る資格なんてあるの?

 

 この感情。駄目だ。考えがまとまらない。

 切り替えて、忘れないと。

 映画が見たい。

 映画が見られれば、すぐにどんな感情でも忘れられて、喜びの感情を思い出せるのに。

 

「どう思うよ、武光。今日のオーディション」

 

「はっはっは! 悪いことばかりではなかったと思うぞ真咲!」

 

「へーへー、そうかよ」

 

「ただ、真面目に考えるなら、俺達に合格の目はあるまい。

 真咲も俺も上手く立ち回れず、全体としての出来も良いとは思えなかった」

 

「だよなぁ……クソ、もうちょっと冷静に考えてりゃ、あいつらのフォローもできたってのに」

 

 同じ控え室の離れた場所で、武光君と真咲君が話している。

 武光君が豪快に。真咲君はクールに。

 熱い喋りと冷たい喋りがぶつかっているのに、そんなに不快じゃないのが不思議だった。

 ああ、もしかして、これが喋る訓練をちゃんとしてきた人ってことなんだろうか。

 

「茜さん、大丈夫かな……衝動的に事務所に辞表出したりとかしてねえといいんだが」

 

 え? 辞める?

 

 真咲君の発言に、武光君が返答を返す。

 

「さあな。だが、俺達は役者を辞められん。

 辞めたとしても、おそらくは一生大なり小なり苦しむだろう」

 

「なんでだよ」

 

「芝居は麻薬のようなものだからだ。俺達は、分かった上でそれに浸かっている」

 

 ……麻薬。

 茜ちゃんは辞める? 辞められない? 私のせい? 分からない。考えがまとまらない。

 

 真咲くんは優しい。

 芝居の時も、芝居が終わっても、ずっと他人のことばかり考えてる。

 今は、茜ちゃんのことを本気で心配してる。

 

 武光くんは勇ましい。

 芝居の時も、芝居が終わっても、割り切った豪快さがある。

 今は、茜ちゃんのことを心配してる真咲君を気遣ってるように見えた。

 

 私も心配で、心配で、思わず言葉が口から漏れる。

 

「……茜ちゃんは?」

 

 真咲君が、複雑な感情を精一杯消した表情で、私の問いに答える。

 

「……帰ったよ。審査結果は後日だし」

 

 時計を見る。

 審査が終わってから、もう一時間くらいが経っていた。

 英二くんが茜ちゃんの後を追ってから一時間。

 私が見限られてから、一時間。

 胸が痛い。

 私がどのくらい迷惑をかけたのかを、想像したくもない。

 

「どうせ確実に落ちてるしな」

 

 真咲君の取り繕わない一言が、胸に刺さった。

 茜ちゃんだけじゃない。

 武光君も、真咲君も。

 私を責める資格があって……でも、責めない。

 だからこのくらいの言葉で済ませてもらえることは、幸運なんだ。

 

「茜さんは高校辞めて、上京して、バイトしながら女優目指していて……」

 

 真咲君の言葉が、胸に刺さる。

 

「……今回のオーディションにかけていたんだ」

 

 真咲君の声が優しい。

 これは、私を責めるための言葉じゃない。

 そうだったらもっとトゲトゲしく言うはず。

 真咲君が優しいから……それだけだと思っていいことじゃ、なくて。

 

 真咲君は、きっと擁護してるんだ。茜ちゃんを。

 人の気持ちが分からない私にも、さっきからずっと茜ちゃんのことを心配してる真咲君を見ていれば、流石に分かる。

 

 茜ちゃんが押し倒した私の中の茜ちゃんのイメージを、良くしようとしてる。

 茜ちゃんが必死だった理由を、私に教えようとしてる。

 夜凪景の中の湯島茜のイメージを、少しでも挽回しようとしてる。

 暴走してめちゃくちゃにしたのは、私だったのに。

 

 本当は、私だけが悪いのに。

 

 真咲君が教えてくれなければ、私が何を壊したのかも分かってなかった私は……本当に、茜ちゃんが言ってた通りの人間だった。

 英二くんが作った大事なセットを壊して、武光君に殺す気で殴りかかって、茜ちゃんの大切なオーディションをめちゃくちゃにして、真咲君に教えてもらわないと分かりもしない。

 駄目だ。

 ダメだ。

 私、このままじゃ駄目だ。

 

「夜凪」

 

 武光君に呼びかけられても、顔を上げられない。

 

「結果的に俺達は『殺し合い』の芝居をするに至った。

 あれは初めからそういう狙いだったのか?」

 

 顔を上げないまま首を振る。

 狙いなんてなかった。

 一生懸命、どうしよう、どう演じよう、そう考えてる皆の横で……私だけが、『役に入る』ことだけしか考えてなかった。

 

 英二くん。

 

―――役そのものになりきれる人は、新しい役を得るたび、別の人生を生きるといいます

 

―――それで自分の人生を見失ってしまう人もいます。

―――でも、それでも、見失わなければ……

―――あなたは役の数だけ人生を生きられる、この世で最も幸福な者になれます

 

 どうして私が、そんな人間になれると思ったの?

 私はこんなにも簡単に、自分を見失ってしまうのに。

 

「殺し合いの芝居なんて、初めから難しいと思ってた。

 知らない自分を上手に演じ切ることもできないのに……ごめんなさい」

 

「ごめんなさいって、マジでそんなことあるのかよ」

 

 変わらないと。

 変わらないと。

 変わらないと。

 

 嫌いな自分、逃げたい現実があったら、映画を見ればよかった。

 今の自分を忘れてしまえばよかった。

 抱えた感情を忘れてしまえばよかった。

 現実から逃げてしまえばよかった。

 

 大好きだった母が死んだ時の感情も。

 父に捨てられた時の感情も。

 お母さんが死んでお父さんはいなくて、弟妹はいつも泣いていて。

 家の外では皆幸せそうに笑っていて。

 映画の中の世界は幸せそうで、楽しそうで。

 全部全部、映画を見て感情を思い出して、今の自分を塗り潰してしまえば、忘れられた。

 

 私が何も幸せじゃない時も、映画の中の人達は幸せそうで。

 映画を見て幸せな過去の感情を掘り出せば、私も幸せな気持ちになれて。

 ルイとレイの前では私は明るく笑っていないといけなくて。

 

―――役者さんにならないなら、おねーちゃん怖い

 

 そうだ、だから、感情を頻繁に入れ替える私を、妹は怖がっていて。

 私は役者にならないといけなくて。

 でないと家族と一緒にいれなくて、家族の笑顔を守れなくて。

 役者でいれば私は幸せで。

 そこにくらいにしか、私の幸せも喜びもなくて。

 役者になった私を、妹も弟も笑顔で肯定してくれて。

 

 私達を捨てた父が送ってくるお金は使いたくなくて。

 だからずっと、辛くてもバイトで三人分の学校と生活のお金を稼がないといけなくて。

 役者をやっていれば、きっとそれも解決できて。

 忘れたい? 私は、忘れたい? 現実のこと全部忘れて映画の世界に逃げたかった?

 

 駄目だ。この感情は忘れないと。

 この思考は忘れないと。

 きっと、この想いはよくないもの。忘れよう。忘れた。

 私は一点の曇りもなく家族を愛してる。

 

 前向きな気持ちを思い出そう。

 後ろ向きな気持ちだけじゃ駄目だ。

 過去から前向きな記憶を思い出して、前を向く。

 よし、できた。少しは前向きになれた。

 

 英二くん。

 

―――俺は、景さんがこの世で最も幸せな役者になれるかもしれないと、そう思っています

 

―――そうなれたら、素敵ね

 

 英二くんはとても素敵なことを言ってくれた。

 なれるだろうか、私に。

 ……役者も名乗れそうにもない私に。

 なりたいなら、変わらないと。

 今日みたいなことを二度と起こさない私に。

 

 茜ちゃんを二度と怒らせない私に。

 

「私はこのままじゃいけないんだわ」

 

 沈黙が流れて、武光君が口を開いた。

 

「確かに、お前の芝居には冷や汗をかいたが……

 いつかもう一度お前とまともに芝居がしてみたいと、俺は思ったよ」

 

 え?

 

「おい、正気かよ」

 

「正気だとも。テレビに出てる君らの界隈は知らんが……

 しがない舞台俳優でしかない俺は、舞台の上には、こいつの同類がいるのを知っている」

 

 ? 同類……?

 

「はぁ……はぁ……すみません、今戻りました!」

 

「! 朝風さん!?」

 

 ―――英二くん。

 

「朝風さん、茜さんの方はどうにかなったんスか?」

 

「大丈夫です。あの人は聖母か何かですね」

 

「は?」「は?」

 

 は?

 

 えー……?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 無才。

 自分のやりたいことと、できることが噛み合っていない人を、そう言う。

 

 無能。

 自分のやるべきことと、できることが噛み合っていない人を、そう言う。

 

 天才。

 自分のやろうとしていることと、できることが噛み合っている人を、そう言う。

 

 不幸。

 自分のやりたいことと、やるべきことが一致していない人を、そう言う。

 

 幸せな人。

 自分のやりたいとことと、やるべきことが一致している人を、そう言う。

 

 天職。

 自分のやりたいことと、やろうとしていることと、できることが一致している人を、そう言う。

 

 天才ってのは、なんなんだろうな。

 料理の天才がサッカーの世界に行ったら、天才じゃねえ。凡才になる。

 逆にサッカーの天才が料理の世界に来ても、凡才になっちまうだろう。

 天才ってのは絶対的指標か?

 俺は、違うと思う。

 活躍する場によって天才が凡才に、凡才が天才になったりもする。凡才の中で頭一つ抜けた奴は間違いなく天才で、飛び抜けた天才の前で普通の天才は凡才に堕ちる。

 

 俺は天才とか大袈裟に言われることもある。

 景さんは天才だ。

 百城さんも天才と言っちまっていいだろう。

 だが俺が俳優をやったら、景さんが物作りをやったら、確実に凡才扱いだ。

 

 無才。

 何かをやろうとしてて、やりたいことがあって、才能がなくてできることが噛み合っていない……一度しかない人生で、もうその願いが叶わないと決まってる人。

 応援してるつもりだった。

 願いを叶えてほしいと思ってた。

 なのに……一番に応援するって約束を、破っちまった。

 

 約束破りのクソ野郎だ。

 俺が約束を破ったことは誰にもバレてなくても、俺の心が知っている。

 俺がクソなことは俺が一番よく知っている。

 

 全部、俺が悪い。

 

「英ちゃん、ちょっと聞いてええかな?」

 

「え? は、はい。なんでしょうか、なんなりと」

 

「英ちゃん、私の天井が見えとるやろ」

 

「―――」

 

「お世辞の『好き』とか、もうやめてくれへんかな」

 

 目を逸らすな。

 心が痛くても、湯島さんと向き合え。

 楽な道を選びたいなら、自分のためだけだったなら、ここに来なかっただろ、俺。

 嫌われてもいい。

 否定されてもいい。

 

 俺はどうなってもいいから、せめてこの人には笑ってほしい。

 今は、作り笑顔は要らねえ。

 作り物の顔は要らねえ。

 本物の笑顔が欲しい。

 

「お世辞なんかじゃないです」

 

「どうだか」

 

「いいえ、本当です。聞いてください湯島さん。俺は、湯島さんに謝らないといけないことが」

 

「ストップ」

 

 え?

 

「経験則的に分かる。この英ちゃんの話は私が聞いたらヘコむやつや」

 

「えっ」

 

「やから聞きとーない」

 

 ええ……そうきたか。

 

「で、でもですね、俺はとても酷い……」

 

「何のことかさっぱり予想できんけど、これ以上ヘコみたくないんや。

 大丈夫や、私英ちゃんが生き方ヘタクソなこと知っとるし。

 聞いてもどうせ英ちゃんの評価は変わらん。ただ私がヘコむだけの聞き損や」

 

「は、はあ」

 

「私は聞かん。英ちゃんも話すな。ええな?」

 

 謝らなきゃならんことがたくさんある。

 でも謝っちゃいかん。

 ……ああクソ、湯島さんにここまで言わせてどうすんだ。

 分かってんだろ俺。

 気を遣われてんだよ、俺は。

 どん底の状態でも他人を気遣える女の子に、気を遣わせてんだよ。

 

「でも私、そんな心広くあらへんから。

 やーなことされたと思たら、ふつーに不快になるんや。

 英ちゃんはちゃんと反省すること。

 英ちゃんはよく自分を責めるから、それでじゅーぶん罰になるはずやし」

 

「……俺が十分な罰になるくらい、自分を責めないかもしれませんよ」

 

「英ちゃんを信じる。それでええやん」

 

 湯島さんは、精一杯の作り笑顔を浮かべていた。

 

「―――っ」

 

 情けなかった。

 励ましに来たつもりだった。

 慰めに来たつもりだった。

 ところがどうだ。

 湯島さんはなけなしの心の力を振り絞って、俺を気遣ってる。

 

 "湯島さんに最悪なことをしちまった"と気にしてる俺を、逆に気遣ってきた。

 

 ……応えてえ。

 この友情に、応えてえ。

 そうだろアキラ君。

 俺みたいなクズはいっつも手遅れになってたりするが……ちゃんとその心がヒーローやってるアキラ君なら、ここまでしてくれた人を、ほっとかねえだろ。

 俺も、アキラ君みたいに、かっこよく他人に優しくしてえ。

 アキラ君が持ってる"当たり前"を少しだけ、足りないものだらけの俺に貸してくれ。

 

 この人をせめて、ちゃんと笑顔にしてえんだ。

 

「じゃあ、もう少し、信じてもらいます」

 

「?」

 

「湯島さんは悪くないと言いたかった。

 あなたの演技が好きだと言いたかった。

 でも、多分、今言っても信じて貰えないと思います。

 だから、今までしたことがなかった話をします。それで信じていただければ」

 

「何の……?」

 

「俺が心で好きになったものっていうのは何か、って話です」

 

 近場の自動販売機を操作して、紅茶のボトルを二本ほど買う。

 片方を湯島さんに渡した。

 詳細まで話すと、少し長くなる話だ。

 それに……俺もあんましたい話じゃねえ。

 

 俺はもう乗り越えてる。

 俺はもう気にしてない。

 俺はもう忘れてるも同然。

 俺はもうちゃんと心で消化してる。

 もう心の一部見てえなもんだ。

 だから、平静な気持ちで語れる。

 "好きだから"という話を。

 

「湯島さんは、お父さんが好きですか?」

 

「んー、まあ、好きやな。あんま嫌いになる要素あらへんし。

 私を子役に入れて人生決めたんは、ちょっと思うとこあるけど」

 

 親父の話ができる。

 

 

 

 

 

 真咲さんも、武光さんも帰った。

 オーディションはまだ地味に続いている。

 俺は休憩室の自動販売機を操作して、お茶を二本買った。

 ……あ、一時間くらい前に飲んだばっかだった。飲みきれっかな。

 片方を景さんに渡す。景さんは、自動販売機横のソファーで膝を抱えていた。

 

「ごめんなさい」

 

 景さんが謝る。

 片っ端から謝る。

 俺が予想してた謝罪も、予想してなかった謝罪もあった。

 

「謝るのは俺の方です」

 

 俺も謝る。

 片っ端から謝る。

 景さんが謝って、俺が謝って、互いに"こっちが全部悪い"の平行線。互いに譲らん。

 ええいクソ、強情なやつめ。

 ここまでネガティブな人間だとは思……いや、俺は心のどこかでは思ってたか。

 

 メソッド演技は、過去の自分を今の自分に上塗りするやり方。

 精神医科学的には、過去と現在の自分の混同の危険さえ指摘されてる。

 それを天然で身に着けられるやつが、幸せなわけがねえ。

 前向きに、ポジティブな心の持ち主であるはずがねえ。

 心は弱く、過去には現実逃避の連続だったはずだ。

 

 強情で、向こう見ずで、突っ込みがちで、前のめりなのに、気にしいでネガティブ。

 辛いことを引きずらない陽のキャラに見えがちなのは、定期的に感情を忘れてるから。

 『切り替えが早い』と『前向きでポジティブ』は同一の性質に見られがちだが、景さんみたいに切り替えの早さしか持ってねえ人もいる。

 

 だから、支えねえといけねえんだが……人を支えるってのは、本当に難しい。

 

「英二くんは、強いわ」

 

 景さんが、いたわるような、褒めるような、そんな声色を出す。

 

「……失敗して、人を傷付けて、辛い想いをして、私みたいに落ち込みすらしない……」

 

 なんだそりゃ。

 俺がそんなに強く見えるか。

 こんなに情けねえやつ、そんないねえよ。

 

「落ち込む時間の余裕があったら落ち込みます。でも、今はそうじゃありませんから」

 

「……」

 

「俺は自分の心の状態を理由に、何かを損なってはいけないんです。

 そうなる前に立ち上がらないと。それが母から貰った、造型屋の正しい資質(ライトスタッフ)ですから」

 

「……お母さん?」

 

「はい、俺の母です」

 

 景さんは立ち上がろうとしてる。なら、俺のおふくろの話がちっとは役に立つかもしれん。

 ソファーの景さんの横に腰を下ろす。腰を据えよう。

 詳細まで話すと、少し長くなる話だ。

 それに……俺もあんましたい話じゃねえ。

 

 俺はもう乗り越えてる。

 俺はもう気にしてない。

 俺はもう忘れてるも同然。

 俺はもうちゃんと心で消化してる。

 もう心の一部見てえなもんだ。

 だから、平静な気持ちで語れる。

 "何をもってして『創る者達』は失格なのか"という話を。

 

「景さんは、お母さんのことが好きですか?」

 

「好きよ。

 私をとても大切にしてくれたから。

 もう死んじゃったから、好きだった、って表現になるけど」

 

 おふくろの話ができる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「俺が父親を殺した時の話を、少し聞いてくれませんか」

 

「俺の母親が、俺を許さないまま、俺の前で首を切った時の話を、少し聞いてくれませんか」

 

 

 

 

 

 湯島茜。

 夜凪景。

 

 二人は英二が、今まで踏み込ませなかった部分にまで踏み込むことを許した気配を、なんとなくに感じていた。

 

 

 




 これは独り言なんですけど、一人称って主人公が何か必死に思い込もうとしてる部分に関しては普段事実を書かなくていいのが面白い形式ですよね





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